大判例

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東京高等裁判所 昭和27年(う)3798号 判決

控訴人 被告人 入沢衡

弁護人 三木義久

検察官 原長栄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人三木義久作成の控訴趣意書提出の件と題する書面記載の通りであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

論旨第一点及び第二点について。

原判決挙示の証拠の内容を検討し、これと原判示事実とを対照して見ると原判示の抜歯及び入歯は渡辺静代に対してなしたものであることが明らかである。

而してこれを認めた証拠として原判決が挙示した証人渡辺静代の原審公判廷の供述によれば同人は被告人より上歯二本を抜いて顎つき入歯を造つて貰つたが、一本はぐらぐらしてほんの一寸ついていた程度で指で押したらすぐ抜けてしまい、他の一本は金冠をかけて貰いたいといつたら歯がしつかりしておらないから駄目だといわれたので自分で取ろうと思つて始終手で動かしていたら肉が痛くてうまく取れなかつたため被告人の処に行つたところ、被告人は一寸といつてピンセットで押したら難なく取れた。抜く時は痛み止めの注射はしないが血止めをしたので血は出なかつた。その後五、六回通つて顎つきの入歯を造つて貰い口に合うようにして貰つて出来上つた歯は被告人が口の中に入れてくれたが肉がはれて痛かつたので自分で入れた。代金は二千円宛三回に計六千円支払つたというのである。惟うに抜歯とは慢性疾患によつて保存の見込のない歯牙を除去することをいい、その方法は歯牙の周辺に薬品を注射して局所を麻痺させ知覚を喪失させてからメス様の刃物でその歯牙を包む環状靭帯を剥離した上「カンシ」と称する機具を用いて歯牙を抜きとりその後消毒するのを通例とするが、かかる医学的操作によつて歯牙を抜きとる場合のみに限らず苟しくも人体より歯牙を人工的に離脱せしめる行為はすべてこれを抜歯として歯科医師法第十七条にいわゆる歯科医業の範囲に属するものと解すべきであるから、被告人が渡辺静代に対してなした二本の歯の処置のうち少くとも後の一本についてはこれを抜歯と認めるのが相当である。次に入歯とは咀嚼機能を回復するために義歯を入れることをいい、義歯を入れるとは不良歯を整理して直接患者の口中より形をとり、適宜の操作により上下の歯の咬み合せ関係を見、これによつてできたものを患者の口腔に適合するや否やを試み、かくして調整完成した義歯を患者の口腔に装着することをいうのであるが、右渡辺静代の証言は用語やや簡に過ぎその意を十分尽さざるうらみあるもその趣旨は同人は不良歯二本を抜歯した後咀嚼機能を回復するため被告人に顎つき義歯を造つて貰うことを頼み、被告人は渡辺の口中より形をとり上下の歯の咬み合せ関係を見、同人の口腔に適合するや否やを試みかくしてでき上つた義歯を同人の口腔に入れたという趣旨なのであるから、被告人の右所為を以つて入歯と認定しこれを以つて歯科医師法第十七条にいわゆる歯科医業と認定したのは正当である。(論旨は原判決は渡辺静代の原審公判廷の供述の外同人に対する検察官の供述調書の記載を証拠に採用して事実の認定をしておるとなし該調書の記載を捉えて原判決を論難攻撃しておるが原判決は渡辺静代に対する検察官の供述調書を証拠として引用しておらないことは判文自体明らかであるからこの点に関する論旨は理由がない)而して原判決挙示の証拠(但し樋川はる江の原審公判廷の供述を除く)を綜合すると被告人が原判示の如く渡辺静代に対し抜歯及び入歯の行為をなして歯科医業をなした事実は優にこれを認めることができ右証拠によつて右判示事実を認定することは何等経験則に反するものでなく固より虚無の証拠によつて認定した違法もない。記録を精査するも原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとは認められないから論旨はいずれも理由がない。

論旨第三点について。

原判決挙示の証拠の内容を検討し、これと原判示事実とを対照して見ると原判示の金冠篏装は樋川はる江に対してなしたものであることが明らかである。而してこれを認めた証拠として原判決が挙示した証人樋川はる江の原審公判廷の供述によると同人は以前大久保という歯科医に入れて貰つた下歯の金冠が飴を食べたら抜けてしまつたので被告人方に行つて診て貰つたらこれは金冠がうすくなつているから金を足して造つてやるというので、その翌日行つたら出来上つていて被告人は金冠にセメントをつめて自分の歯のところに持つてきて葉書のような紙を渡しこれをあてて上歯でぐつと押しなさいといつたのでその通り押したら入つたというのである。惟うに金冠篏装とは金冠を自然歯に合せて装着することをいうのであるから被告人が樋川はる江に対してなした右行為を原審が金冠篏装と認定したのは正当であつて(論旨は原判決は証人樋川はる江の原審公判廷の供述の外同人に対する検察官の供述調書の記載を採用して事実の認定をしておるとなし該調書の記載を捉えて原判決を論難攻撃しておるが原判決は樋川はる江に対する検察官の供述調書を証拠としておらないことは判文自体明らかであるからこの点に関する論旨は理由がない)原判決挙示の証拠(但し渡辺静代の原審公判廷の供述を除く)を綜合すると被告人が原判示の如く樋川はる江に対し金冠篏装の行為をなして歯科医業をなした事実は優にこれを認めることができ、右証拠によつて右判示事実を認定することは何等経験則に反するものでなく固より虚無の証拠によつて認定した違法もない。記録を精査するも原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとは認められないから論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 小中公毅 判事 渡辺辰吉 判事 河原徳治)

控訴趣意

第一点原審判決は被告人が其自宅で「渡辺静代外一名に対し抜歯入歯或は金冠篏装を施し歯科医業を為した」と判示し歯科医師法第二十九条により被告人に対し罰金七千円に処する旨判決したが、原判決は証拠に基かずして判決した違法がある。

原判決は被告人が渡辺静代外一名に対し抜歯入歯或は金冠篏装をしたと認定しているので、原判決が引用した渡辺静代の公判廷に於ける各供述検察官に対する被告人の第一、二回各供述調書被告人の公判廷に於ける各供述調書により、先ず被告人が原判決に所謂抜歯をしたかどうかに付検討する。

証人渡辺静代は原審公判廷において残つた三本の歯(自然歯)のうち一本を残して、入歯(有床義歯)を作つて貰つた。抜いた二本の歯の内、一本はほんの一寸着いていた程度で指で押したら抜けてしまい、今一本に金冠をかけて貰いたいと言つたところ、歯がしつかりしていないから駄目だといつたので自分でとろうと思つて、始終手で動かしていたが、肉がいたくてうまくとれなかつた。そして入沢さんのところへ行つたら、入沢さんが一寸と言つてピンセットで押したら何なくとれてしまつたと供述し(同人は検察官に対しては、入沢さんに入れて貰うまでには外にも歯があつたので前歯を三本抜いてもらつたのでありますと供述し)被告人は原審公判廷に於て渡辺静代にはどういうことをしてやつたかという弁護人の訊問に対しぶらぶらした歯が一本あつたので指で押したところ奥の方え転んだので手でとるのも悪いのでピンセットでつかまえて出しましたと供述している。而して樋川はる江は原判決引用の右各証拠によるも同人は抜歯には全然無関係であることが明白であるので、原判決は渡辺静代の原審公判廷における供述と(検察官に対する右供述と)被告人の右供述により渡辺静代に対する被告人の抜歯行為を認めたものと思われる。しかしながら、弁護人は右各供述により果して抜歯を認められるかどうか多大の疑問を有するものである。

抜歯とは慢性疾患によつて保存の見込のない歯牙を除去することをいい、其の操作は歯牙の周辺に薬品を注射して局所を麻痺させ知覚を喪失させてからメス様の鋭利の刃物で其歯牙を包む環状靭帯を剥離した上カンシと称する機具を用いて力を加えて引張り又は押して歯牙を抜きとつた上其あとを薬品で消毒するのである(原審証人丹沢美次の証言参照)。しかるに、渡辺静代の原審公判廷に於ける前記供述によれば、同人の残存自然歯三本のうちしつかりしていた一本の歯を残し、被告人はこれをかかりとする有床義歯を製作して渡辺静代に供給した事実を認められ、除去した二本のうち一本は指で押した程度でとれてしまい他の一本は被告人が抜歯することを肯じなかつたため、渡辺が自身で動かして抜歯を試みたが、痛くてとれず、被告人方へ行つてピンセットで簡単に除去して貰つたことを認めるに十分であり「被告人は痛み止めのための注射をせず、該歯牙を包む靭帯の剥離等抜歯の準備行為をなさず又抜歯後の消毒等をしなかつた事も判明している」即ち単に指で押した程度でとれピンセットで挟み出す程度で除去することができる場合には専門医を待たず通常人でもなし得ること容易で何等医学的操作を必要としないのである。歯科医師法の抜歯を重視し、無免許者の右行為を罰する所以は、其操作如何によつては患者の健康に影響を及ぼすことを顧慮しての事であるが、自然脱落の一歩手前にある歯牙で何等医学的操作を要しない歯牙の除去に対してまで「抜歯」として、其責任を追及することは過酷に失し、吾人の常識にも背及する結果を招来するものと信ずる。前記検察官に対する渡辺静代の供述は、単に三本抜いてもらつたとあるだけで、其操作については何等触れていず、かつ、前公判廷における同人の供述と齟齬しているので、同人の右供述によつて抜歯を認めることは出来ない。

原判決は結局吾人の経験則に反し虚無の証拠により抜歯を認定した訴訟手続上の違反があり、判決に影響を及ぼすことの明かな誤認があるから破毀を免れないものと信ずる。

第二点原判決は、「入歯或は金冠篏装を施し」云云と判示し被告人が「入歯」をしたことを認定している。入歯なる文字の意味は、義歯其ものを指す場合と、義歯を歯牙の脱落部に篏入する行為を指称する場合と二つの場合がある。原判決には所謂「入歯」とは義歯其ものを指称するか、義歯を篏入する行為自体を指称するか不明であるが、何れにしても義歯を篏入したことを認めたものと思われる。しからば、被告人は果して、原判決に判示した渡辺静代外一人に義歯を篏入したかどうかにつき原判決に示された証拠により之を検討してみることにする。

証人渡辺静代は原審公廷において「今まで使用していた歯が具合が悪いので顎付の入歯を作つて貰つただけです」と証言し、(検察官に対しては、昨年入歯が大変こわれたので入沢さんにお願いして顎付を入れて貰いました」と供述し、(渡辺静代に対する供述調書参照)被告人は原審公判廷において「そうして何日かたつて一本残つた上歯以外の義歯を作つてやりました、私が入れてはいけないので本人に入れて貰いました」と供述している。(原審公判調書参照)。右証拠によると、被告人が渡辺静代に製作して交付した義歯は取り外しのできる顎付の義歯即ち有床義歯であることが明白であるが原判決は被告人が渡辺静代に有床義歯を篏入したものとして被告人を有罪としているのである。

従来の大審院の判例によれば、歯科医以外の者が歯冠又は義歯を製作するに止まらず、之を患者に施用することは、其施術の巧拙は、延いては患者の健康に影響を及ぼすに至るべきを以て義歯又は金冠を患者に篏装する行為は違反行為としている。大審院が篏装を医業の一部として違反の対照とする所以のものは、人体の一部として残存自然歯牙に装着固着させる故に人体の健康に影響があり歯牙、歯齦其他口腔の状態を診察判断し残存自然歯牙を修正する等適当の所置をとることを要するので明白に医業に属する行為を認めたものであり、かく解するのが厚生上妥当である。しかし、有床義歯の単なる篏入はそれが各人に適合する限り(試適行為の結果)何等人体に影響を及ぼさない。即ち有床義歯の単なる篏入は単純にして機械的であり、注文者自身篏入すると、技工師が篏入してやると其間に何等の差違がない。注文者自身自分の手ですれば罪とならず、技工師の手をかりると罪となるということは滑稽の形式論と謂わねばならぬ。有床義歯の単なる篏入は医療の範囲外であり違反として罰すべからざるものである。

被告人は渡辺静代の注文により有床義歯を修理して之を同人に交付したに過ぎないことは、前記証拠によつて明白である。(被告人は日本歯科技工師会に加入した会員で、篏装行為を厳に禁止されていたので印象採得試適行為以外の行為を避けていた)

原判決は渡辺静代に対する有床義歯の篏入を虚無の証拠により認定した訴訟手続上に違反があり、しかも判決に影響を及ぼすことが明かな誤認があるから刑事訴訟法第三八二条の理由があり、原判決は破毀を免れないものと信ずる。

第三点原判決は「渡辺静代外一名に対し抜歯入歯或は金冠篏装を施し」とし、被告人が渡辺静代若しくは其他の一人に対して金冠篏装をしたとして有罪の判決を宣告した。

被告人は果して、右の者に対し、金冠篏装をしたのであろうか、原判決が証拠として引用した証拠中、証人樋川はる江は原審公判廷に於て「入沢さんが見てくれて、これは金冠が薄くなつているからと云つて金を足して作つてくれたので自分で入れました、入れて貰うつもりでしたが入沢さんが自分で入れてはいけないと云つたので自分で入れました」。「持つて行つた翌日入沢さんのところへ行つたところ、出来上つていたので入沢さんは金冠へセメントをつめて、私の歯のところへ持つて来て、葉書のような紙片を渡してくれ、これをあてて歯をぐつと押しなさいと云つたので、其の通り押したところうまく入りました、自分で入れてはいけないと云つて入れてくれませんでした、と供述し、検察官に対し同人は「私が入れて貰つた歯は左下の奥歯一本でありまして、前に大久保歯科医院で入れて貰つたのが、抜けてから、それを直して貰ふ為め御願したのであります」と供述し被告人は原審公判廷で樋川はる江にどういうことをしてやつたかとの弁護人の問に対し「他所で入れた金冠が抜けて穴があいたので、金を足して厚くしてやりましたところ、私に入れて貰い度いとの事でしたので私は自分には入れることができないので金冠にセメントをつめてやるから自分で入れてみなさいと云つたところ、樋川さんは紙をはさんで、かんで自分で入れました、それをすると歯科医師法に触れるからです」と供述している。金冠を自然歯に篏入してから相当年数がたつと、薄くなり、かつ、歯齦部が後退して、之と金冠との間に間隔を生ずるので、一寸したことで脱落することは、金冠を篏装した者の屡々経験するところである。樋川はる江は飴をたべて金冠が抜けたので(原審公判廷における証人樋川はる江に対する検察官との問答参照)樋川はる江は被告人に之が修理を委託し、被告人は金を補足修理の上之を同人に手交したに過ぎず、之を以て被告人が樋川はる江に対し原判決理由に所謂金冠篏装をしたものと認定することはできない。

之を要するに、被告人は商法第五〇二条第一項第二号の「他人のためにする製造加工に関する行為」即ち営業的商行為をしたに過ぎないものである。原判決は同人に対し金冠篏装を施したものと認定したが、叙上証拠によつては、たやすく之を認定することができないのに右の如く認定したのは吾人の経験則に違背し、虚無の証拠により犯罪事実を認定した訴訟手続上の違反があり判決に影響を及ぼす誤認があるので原判決は破毀さるべきものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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