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東京高等裁判所 昭和32年(う)340号 判決

控訴人 被告人 近藤勝太郎 外三名

弁護人 大竹武七郎 外四名

検察官 池田浩三

主文

第一審判決を破棄する。

被告人小島敏雄を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

被告人小島敏雄に対する本件公訴事実中強盗殺人及び死体遺棄の点については、同被告人は無罪。

被告人近藤勝太郎、同近藤糸平及び同吉野信尾は、いずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は被告人近藤勝太郎、同小島敏雄、同近藤糸平の弁護人大竹武七郎、被告人近藤糸平の弁護人内藤惣一、被告人吉野信尾の弁護人小石幸一の各作成名義、被告人近藤勝太郎の弁護人村松茂友、被告人小島敏雄の弁護人小竹勝共同作成名義の各控訴趣意書及び被告人小島敏雄の上申書(昭和二十五年七月十四日付)と題する書面に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。

第一、本件各控訴趣意及び差戻前の第二審判決の各要旨並びに上告審判決の破棄理由

(一)  本件各控訴の趣意

本件各控訴趣意に共通する論旨は、第一審判決の事実誤認の主張であつて、被告人近藤勝太郎、同小島敏雄、同近藤糸平(以下、いずれもその「名」のみを呼称する)については同判決判示第一の強盗殺人、同第二の死体遺棄、被告人吉野信尾(以下、その名のみを呼称する)については同判示第三の賍物故買の各事実認定の誤謬を強調し、その主なる理由として先ず、同判決引用にかかる被告人等の検察官の面前における各自白、証人吉野千枝子の裁判官の面前における供述は、同人等の取調に当つた司法警察員の拷問又は間接の強制威迫に由来するものであるから任意性を欠くものであることを指摘し、次に第一審判決判示第一及び第二の各事実に対し同判決の挙示する証拠の間には、重要なる点においてくいちがいが認められ、また同一被告人の供述中にも矛盾撞著があり、この点から見ても関係被告人等の供述に真実性がないことを首肯し得るとし、その論拠として被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の検察官の面前における各供述(自白)を対比照合すると、同判示被害者方へ赴くまでの右被告人等の行動、特に同判示共謀の経過顛末、被害者萩原幸太郎、同ふみ子、同征男、同賢二を殺害した手段方法についての右被告人等の役割、被害金品の在り場所、右被害者の死体運搬埋匿の順序及びその際における同被告人等の分担行為の態様、死体埋匿のための穴を掘つた時期、犯行当夜の右被告人等の服装、履物等の点につき、同被告人等の供述の間にくいちがいがあり、特に死体埋匿の順序に関する供述に至つては検察官の検証調書に明記された客観的事実にも符合しない点があり、その真実性と信憑性を欠くことが自ら明らかであること、被害現金の数額、衣類の点数についても被告人勝太郎、同糸平の供述を除けば、これを実質的に裏付けるべき何等の証拠もなく、また第一審判決が同判示第一の犯行の凶器と認定した手拭その他の物件も全然発見されず、押収のハンドル(当庁昭和三十二年押第一四二号の六五・以下、単に証第六五号と称する、他の証拠品番号の呼称もこれに準ずる)も被害自転車の一部とは認められないこと、被害者萩原幸太郎の顔面皮下出血と両膝関節の擦過傷についても、第一審において取り調べた証拠によつてはその原因を説明し得ないこと、被告人勝太郎、同敏雄と被告人糸平とは年令が相違し、一度も話をしたこともなく、本件強盗殺人の謀議などする筈がないこと、被告人勝太郎及び同糸平についてはアリバイの成立を認め得る証拠の存すること等の事由を挙げて、逐一その具体的内容を縷説し、以て第一審判決挙示の証拠によつて同判示第一ないし第三の各犯罪事実を肯認し得ない旨主張し、なお以上のほか大竹弁護人において第一審判決判示第一及び第二の各事実に対する証拠理由不備と第一審の公判手続における刑事訴訟法第三百一条違反を、小石弁護人において同判示第三の事実に対する採証上の法令違反を、それぞれ主張しているのである。

(二)  差戻前の第二審判決の要旨

叙上の控訴趣意に対し差戻前の第二審(以下「原第二審」と略称)判決は、先ず第一審判決援用にかかる被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の検察官の面前における各自白、証人吉野千枝子の裁判官の面前における供述が、所論のように同人等の取調に当つた司法警察員の拷問又は間接の強制威迫に由来する不任意のものであるとの事実を肯認すべき証左がないとしてこの論旨を斥け、次に右被告人三名の検察官の面前における各供述の間に多少のくいちがいがあり、また同一被告人の右供述中にも矛盾の存することは所論のとおりであるが、通常人として本件のような重大な犯罪を敢行する場合、その実行の際には相当高度の精神的興奮状態を伴うものと認めるのが相当であるから、その間の詳細な事実については初めから認識していない点もあり、或は後で記憶を喪失することも往々あり得るところであり、また被害者四名を殺害した際の右被告人三名の役割、右四死体運搬埋匿の順序、その際における同被告人等の分担行為の態様、死体埋匿の穴を掘つた時期、所論共謀の経過顛末など具体的の事実は、第一審判決の認定しないところであつて、共同正犯においては、かかる点について認定判示しなくても差支えないと説示し、同判決援用の証拠を仔細に分析検討したうえ、本件被害者等の死体は被告人勝太郎の指示によつて発見発掘され得たものであると断じ、これが最大の決め手である以上、被害者殺害の凶器と認定された手拭や被害品の未発見、その他論旨指摘のような諸事実は、いずれも第一審判決の事実誤認を疑わしめる素因とはならないと判断し、ただ被害現金の数額に関しては、それが第一審判決判示の如く約七万円であることを認めるに足りる的確な証拠がないから、この点は事実誤認であるが、本件の如き被害者四名の強盗殺人及び死体遺棄の罪状に照らすと、被害物件の一部である現金の数額について事実誤認があつても、その誤認は判決に影響を及ぼすものとは認められないとして、結局、事実誤認の主張を容れず、その他第一審判決の理由不備、採証及び訴訟手続違反等の各論旨についても、悉く理由ないものとしてこれを排斥したのである。

(三)  上告審判決の破棄理由

前記のような原第二審判決に対し被告人等から上告した結果、最高裁判所は同判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するとして同判決を破棄し、本件を当裁判所に差し戻す旨の判決をしたのであるが、その理由として

(1)  第一審判決は被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の三名が共謀のうえ、被害者萩原幸太郎方で同人等所有の現金約七万円、衣類二十数点、中古黒塗男女兼用自転車一台を強奪し、被告人信尾が右強奪品中現金を除いた物品をその賍物であることの情を知りながら買い受けた旨の犯罪事実を認定したけれども、原第二審判決は第一審判決が本件被害現金額を約七万円と認定したのは事実誤認であると判定し、残る衣類二十数点、中古自転車一台については、これを被告人信尾に売り渡した旨被告人勝太郎、同糸平、同敏雄等の供述並びにこれを買い受けた旨の証人吉野千枝子の供述がないわけではないが、被告人信尾方から該物品と確認し得べきものが発見されていないし、また同被告人がこれを如何に処分したかについては明確な証拠が見当らないので、第一審及び原第二審の審理の程度では、前記供述を信用してよいかどうかについて多大の疑問が存する。

(2)  第一審判決判示のように被告人勝太郎と同糸平とは年令に大きな隔りがあり、経歴も異るうえに、本件強盗殺人事犯の四ケ月位前である昭和二十三年七月頃、被告人勝太郎が被告人糸平所有の銀側懐中時計一個を盗んだという同判決判示第四の認定事実をも併せ考えると、同判決判示のような動機から右両被告人の間でたやすく本件の如き強盗殺人の共謀をしたということには多大の疑問があり、第一審及び原第二審の挙げた証拠と説示によつては、未だその疑問を解消するに足りないと思われる。

(3)  第一審判決挙示の証拠によつて被害者の死体に巻きつけられていたと認められる同判決引用の綿平織黒色たすき様布紐(証第八号及び第一九号)木綿紫色布紐(証第三四号及び第三六号)及びいちびの紐(証第一二号)等の出所、その結び方の特徴と犯人との関係について未だ納得するに足りる審理が尽されているとは思われない。

と説示しているのである。

第二、上告審判決の指摘する立証上の問題点の究明

前叙の如く最高裁判所は、原第二審判決に重大なる事実誤認の疑あることを理由として同判決を破棄し、その理由とする問題点を具体的に指摘しているので、差戻を受けた当裁判所としては、前出「第一」の項に記述した裁判上の経緯に鑑み、各控訴趣意に共通する第一審判決の所論事実認定の当否を判断する第一階梯として、先ず上告審判決の破棄理由に挙げられた立証上の問題を究明すべきものと認め、これを中心として可能な限りの審理を尽したのであるが、それによつて収め得た結果は次のとおりである。

(一)  破棄理由第一点について

ここに究明すべき事項は、第一審判決判示第一の被害現金の数額と被害の衣類及び被害自転車の行方である。

(1)  被害現金の数額

この点につき原第二審判決は、所論被害現金約七万円については第一審において取り調べた全証拠によるも、これを認めるに足る的確な証拠がないと判定し、当裁判所もこれと見解を同じうするので、更に差戻後の当審(以下、単に「当審」と略称)において取り調べた関係証拠を検討するに

(イ) 当審証人萩原勘次郎(被害者萩原幸太郎の実兄)に対する尋問調書中同人の供述として弟幸太郎は予て町へ出て店を持ちたいと言つていたから、十二、三万円位の金は持つているのではないかと思つていた旨の記載があるが、この証言は被害者幸太郎が市街地に店舗を開設するため保有するやも知れない準備資金の額を想像して述べたに過ぎないから、固よりこれを以て同人の手持現金額を推定する証左とすることはできない。

(ロ) 当裁判所が萩原勘次郎から任意提出を受けて押収した被害者萩原幸太郎方の取引収支簿(証第九五号)家計簿(証第九六号)を見ると、被害当日までの営業上の収入、支出及び家計費等の支出関係が丹念に記載されているのであるが、これらは帳簿として完備したものでないから、記載の趣旨が必らずしも明確でないけれども、その記載面よりすれば昭和二十三年一月以降同年十月末日までの営業上の収支差引残高は合計七万一千百八十六円、同期間中の家計費等の支出を控除した残高は一万二千六百三十五円、同年十一月の分は未だ集計を見ていないし、鉛筆書きの跡が薄れて判然しない個所もあるため、計数の正確を期し難いが、同月二十九日までの営業上の収入は二万二千七百十円で、同支出は二万二千五十五円、差引残高は六百五十五円、また同月二十七日までの家計費等の支出合計は五千三百二十六円余で、結局、四千六百七十一円余の赤字であると推測される。また同じく萩原勘次郎の任意提出によつて当裁判所の押収した右被害者方の貯金、保険等の通帳によると、預金高の最も多い萩原幸太郎名義の幸浦村農業会の分(証第六八号)が昭和二十三年一月十二日に一万六千五百円を預け入れ、同年三月二十日一万五千円が引き出され、最後の預入は同年十月一日の九十六円四十銭であるが、その後利息の加算もあつて昭和二十五年二月二十八日現在の残高三千三百九円七十銭となつており、その他の東海銀行今池支店の普通、国債各貯金通帳二冊、特別据置貯金証書、簡易保険証書(証第六九号ないし第七四号)を見ると、証第七一号の郵便貯金の分が三百八十二円余の現在高となつている外は、いずれも百円を出ない程度の預入に過ぎない。なお、前示家計簿の記載によると、昭和二十二年以降の帳尻が二万七千百円の黒字となり、このうち二千円の積金をしている如く推量されるのであるが、この記載のみによつては、果して同金額の手持現金が本件当時、右被害者方に存在したことを確認するに足らない。

従つて、以上の帳簿や通帳の記載に徴しても、本件当時における被害者萩原幸太郎方の手持現金が、第一審判決認定のように七万円もあつたとは、到底首肯し得ないばかりでなく、的確な数額を判定することもできないのである。

(2)  被害の衣類及び被害自転車の行方

被害の衣類とハンドル以外の被害自転車の行方は、第一審及び原第二審の審理段階を通じて全くこれを窺知するに由なく、当審における事実の取調の結果によるも、この点に関する新たな証拠の発見は、遂に不可能であつた。しかしながら、押収のハンドルのうち一個(証第六五号のうち、いわゆる「深曲り」の方)は、果して検察官主張の如く、被害自転車から取り外されたものであるか否かの点をめぐつて第一審以来争われ、積極、消極の両面証拠が交錯しているので、当審においても、更にこの点について慎重な検討を加えたのである。蓋し、この点を積極に認定し得るならば、右押収ハンドルは本件捜査の頭初において被告人信尾方から押収されたものであるから、該ハンドルの同家における存在は、これと一体をなしていた被害自転車の存在をも肯定せしめる筋合であり、旦つ、これによつて上告審判決の指摘する疑問点、すなわち被害の衣類とそれを乗せて運んだ被害自転車とを被告人信尾方に売り渡した旨の被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の検察官の面前における各供述及び裁判官飯田秀之に対する証人吉野千枝子(被告人信尾の妻)の原判示第一の犯行当夜、被告人勝太郎が被告人信尾方へ自転車一台と風呂敷包にした衣類を持ち込んで来て、これを売つて欲しいと申し入れ、被告人信尾がこれを受け取つた旨の供述に対する信憑性に大きく影響するものと認められるからである。よつて、以下この押収ハンドルと被害自転車との関連性について究明することとする。この押収の古ハンドル二個は、前記の如く本件捜査の頭初である昭和二十四年二月二十一日被告人信尾方から当時の南磐田地区警察署員福田恵介が裁判官の令状によつて押収したものであり(記録第二十五冊四一丁以下)、両者は証第六五号の一及び二として区別され、第一審及び原第二審の審理過程においては、概ねいわゆる「浅曲り」の方が証第六五号の一、いわゆる「深曲り」の方が同号の二として表示されているようであるが、記録と現物とを仔細に対比検討すると、必らずしもこの区別が貫かれているとは限らないので、ここには右証拠品番号によらず、専ら「浅曲り」と「深曲り」の呼称に従つて区別する。

(イ)「浅曲り」ハンドルについて

このハンドルは、被告人信尾が昭和二十三年夏頃静岡県磐田郡福田町豊浜の自転車商清沢芳から解体自転車のフレームと共に入手したものであつて、本件被害自転車と何ら関連性を有しないことは、既に第一審の審理過程において明らかにされたところであるが、更に当審において関係証拠を取り調べた結果、一層その消息を確認し得るに至つたので、この分については多くを述べる必要を認めない。

(ロ)「深曲り」ハンドルについて

このハンドルと本件被害自転車との関連性については、前記の如く第一審以来、積極、消極の両面証拠が交錯しているけれども、ここには右対立証拠の比較検討は暫らく措き、積極証拠をそのまま認めるとして、果してこれにより右関連性を肯定し得るや否やについて討究する。

そこで先ず、この点の積極証拠と目されるものを収拾すると、

一、司法警察員矢部宣治ほか三名共同作成名義の南磐田地区警察署長あて昭和二十四年二月二十一日付捜査報告書中、同日浜松簡易裁判所裁判官の捜索差押令状により被疑者吉野信尾方を捜索したるところ、同家入口側土間棚上に隠匿してあつた自転車ハンドル(中古)一ケを発見差し押え、即時これを被害者萩原幸太郎実兄萩原勘次郎をして鑑定せしめたるに、本職提示せる瞬間「アツ、これです、幸太郎にやつた自転車のハンドルに間違いありません」と極めて自然のうちに被害品と確認したるにより、更に本職等は何処をもつて被害品と断定し得るやと質問せるに「ハンドルの左が握りがなく、右の握りの色も黒く今少し長かつたが、このとおり破損している個所が新らしい」と現物をもつて説明を加えたるゆえ、被害品の一部と判明したものである旨の記載(記録第八冊二一七丁以下)

一、萩原勘次郎の司法警察員に対する供述調書(昭和二十四年二月二十一日付)中、被疑者吉野信尾方より押収した自転車古ハンドルホークナシ一個(註いわゆる「深曲り」ハンドルと認められるもの)を提示されての供述として「そのハンドルは先刻刑事さんに見せて頂き、直感的に私の弟幸太郎が乗つていた自転車のハンドルと思いました。その自転車は弟幸太郎が生前乗用していたが、弟等がいなくなると同時に無くなつたもので、私が今から十五、六年前に購入し、昭和十七、八年頃にタイヤが古くなつたのであげてあつたのを終戦後に幸太郎が乗れるように直して使用していました。只今お示しのハンドルは、私は確実に弟の処の自転車のハンドルだと思います。ハンドルの錆の程度、錆の具合、曲りの具合などや握つた感じなど、そのままであります。握るところも左の握りは有つたか無かつたか、はつきりしませんが、大部壊れていて有つたとしても、ほんの少し附いていたように思います。右側の握りは色も黒で、もう少し長かつたが、このとおり破損したもので、その個所もはつきり記憶があります。握りの模様までは、はつきりと記憶しませんが、確かに模様はありました。私も長い間、自分の乗用した自転車であり、ハンドルを握つた感じなども、ハツキリ覚えておりますし、幸太郎の処へやつてからも都合によつては時々持つて来て私も乗つていたので、間違うようなことはありません」との記載(記録第九冊二九二丁以下)

一、第一審の証人萩原勘次郎に対する尋問調書(昭和二十四年六月十三日付)中同人の供述として、警察で吉野信尾方にあつた自転車のハンドル(註、いわゆる「深曲り」ハンドルに当るものと認められる)を見せられたが、その時そのハンドルは幸太郎の処にあつた自転車のハンドルではないかという感じが起きました。それは、そのハンドルの型や新らしさから見て、直感的にそう感じたのです。幸太郎の処にあつた自転車は、私が昭和二十一年五月頃幸太郎に呉れたもので、その後同人が本件発生まで使用していた旨の記載(記録第五冊一〇八丁)

一、第一審の証人萩原勘次郎に対する尋問調書(昭和二十四年九月二十四日付)中同人の供述として、お示しのハンドル(註、いわゆる「深曲り」ハンドルに当るものと認められる)は、古さから握りのところから私が幸太郎にやつた自転車のハンドルに似ていると思います。その自転車は昭和十四年頃自転車商の寺田喜八から買つたもので、昭和十五年頃車体を男女兼用のものと交換し、引き続き使用していたのですが、昭和二十一年頃幸太郎にやつたのです。お示しのハンドルの錆びた具合、曲りの具合、握りなどから私が幸太郎にやつた自転車のハンドルと思うのですが、その握りが現在片方なく、片方半分壊れていますが、私が幸太郎にやつた時は、左の握りが少し壊れていて七分通り残つており、右の握りは全然欠けていませんでした。私はお示しのハンドルを警察でも見せて貰いましたが、その時私は幸太郎にやつた自転車のハンドルだと直感的に思つたのです。その時附近に萩原孝、加藤智もいて二人とも幸太郎の処へやつたものだと言つていました。私はその自転車を幸太郎の処へやつてからも同人方附近に私方の温室がありますので、その温室へ行つた時、月に三、四回は借りて乗つていましたから、ハンドルについての前述のような状況が良く判つている旨の記載(記録第六冊三四二丁以下)

一、当審証人萩原勘次郎に対する尋問調書(昭和三十二年十月十七日施行)中同人の供述として、これまで自転車について述べたことは私の記憶に基いて正直に申し上げたつもりです。(中略)第一審で調べられた際は、吉野信尾の処から押収した物を見せられて、幸太郎の乗つていた自転車のハンドルに「似ているように思う」と述べたように思います。それは、そのハンドルの特徴というようなことからではなく、馬鹿に似ているなア、という感じだつたと思います。他に絶対的に違うという特徴もなく、全体の感じですとの記載(記録第十三冊一八八丁及び一九二丁)

一、第一審の証人萩原孝(現姓、大石)に対する尋問調書中同人の供述として、私は萩原幸太郎の自転車をウロ覚えていますが、そのハンドルの握りの色は黒で、左右いずれであつたか覚えないが、そのハンドルの片方の握りが半分程とれていました。そして、そのハンドルは深曲りで、お示しのハンドル(註、証第六五号のうち「深曲り」の方に当るものと認められる)に似ていました。大体、古さも曲り具合も、このハンドルのようなものでありました。そのハンドルは握りが片方なく、片方が半分とれていたのであります。私は警察でハンドルを一度見せられたことがあり、その時そのハンドルの古さ加減、握り、曲り具合から、これは幸太郎のものだと言いましたが、断言はできない旨の記載(記録第六冊三二五丁以下)

一、当審証人久保田誠策の当公廷における萩原幸太郎が生前使用していた自転車は度々見ており、大部古い自転車でそのハンドルは一文字だつたように思います。ハンドルの握りは附いていなかつたか、附いていても片方位だつたように記憶します。お示しのハンドル二個(証第六五号の一、二)のうち「深曲り」の方が幸太郎の使つていたものと似ているように思われる旨の供述

を挙げることができるのであつて、結局、右に尽きるのである。

よつて叙上の証拠について、その証明力を考察するに、右供述者三名のうち萩原勘次郎は被害自転車の元所有者として十年近くこれを乗用し、昭和二十一年五月頃弟幸太郎に与えた後も、月に三、四回位は借用していたというのであつて、そのハンドルの形状、錆び具合、右側握りの破損状況等は、少くとも乗用の都度眼のあたり現認し、ハンドルを握つた感触も、自分の長い体験によるのであるから、これらの点に関する同人の記憶は、かかる体験を有しない他の供述者萩原(現、大石)孝及び久保田誠策のそれに比して遥かに正確度の高いものというベく、従つて右三名の前掲各供述の中では、萩原勘次郎の供述を以て相対的に最も証明力あるものと判定すべきは当然である。ところで、右萩原勘次郎の前顕供述の内容を吟味すると、押収の「深曲り」ハンドルが本件被害自転車の部分ハンドルに近似するという根拠は、右押収ハンドルの錆の模様、曲り具合、右側握りの破損状況と握つた感じ等に基くものであつて、そのうち比較的最も識別し易い特徴と目されるものは、右側握りの破損状況であり、他の諸点は独立して同種ハンドルとの判別基準となし難いものであるところ、同人は捜査段階における参考人及び第一審における証人として、いずれも同ハンドルを提示され、これを現認しながら右側握りの破損状況につき「このとおり破損している」とか「半分壊れている」とか述べているに過ぎないのであつて、該ハンドルを示される以前に右側握りの破損状況について供述している形跡は記録上見出し得ないのである。もつとも昭和二十三年十二月付、国警静岡県本部刑事部及び南磐田地区警察署連名の「特別重要品触」と題する書面に表示された被害自転車のハンドルの特徴は、恐らく同人の供述に基くものと推認されるのであるが、これによつても「一文字、握りは黒セルロイド、左は破損又はなし」とあるのみで(記録第一冊一五九丁)、右側握りの破損状況については何ら記載されていないのである。して見れば、右破損状況によつて被害自転車のハンドルを他の同種ハンドルと峻別し得る程度の同ハンドルの固有の特徴を具体的に証明するに足る供述は窺われないことに帰し、従つて同人の前掲各供述によつては、未だ押収の「深曲り」ハンドルと被害自転車との関連性を根拠づけるに足りないものといわなければならない。もし夫れ、押収の「深曲り」ハンドルが、その形状性能等において本件当時、その地方では極めて稀に見る特殊品であつたような場合は格別であるが、そのような特異の種類、形状のものでなかつたことは、当審証人鈴木清一の供述その他によつて明白である。さすれば、本論点の積極証拠として、その証明力の最も高かるべき萩原勘次郎の前顕供述を以てしても、右押収ハンドルと本件被害自転車との関連性を肯定するに足りないので、この点に関する消極的証拠を批判検討するまでもなく、被害の衣類と被害自転車の行方は、当審においても依然、解明し得なかつたことに帰着するのである。かくして被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の検察官に対する所論各自白及びこれに照応する証人吉野千枝子の裁判官に対する供述の信憑性について、上告審判決の指摘する疑問は、別個の角度からの究明によるほか、これを解消するに由ないものといわざるを得ない。

(二)  破棄理由第二点について

ここに究明すべき事項は、被告人勝太郎と同糸平とが第一審判決判示の如く年令、経歴において著しく相違するにかかわらず(右両被告人が上告審判決の指摘する窃盗犯人とその被害者という関係にあるとの点については、後出「第四の(二)」の項に説示する如く当裁判所は職権調査のうえその事実を認定しないから、ここに論及しない)、同判示のような動機から本件の如き強盗殺人の犯行を共謀したとする第一審判決の認定の当否である。ところで上告審判決は、第一審判決が右共謀の事実を認定したことに対して、同判決及び原第二審判決の挙示する証拠と説示によつては多大の疑問なきを得ないとしているので、当裁判所としては既存の関係証拠のほか、当審における事実取調の結果によつて、右上告審判決の疑点を解明し得るか否かを検討しなければならない。

本論点に関し当審に現われた新たな証拠としては、当審第三十三回公判において検察官の申請に基き証拠調をした別件確定の強盗殺人事件四例の判決謄本のほか、特記に値する程の資料を得られなかつたのであるが、右判決謄本によつては年令十四才ないし二十四才の隔りある者の間でも、本件と同罪質の犯罪が共同して敢行された事例の存することを認め得るに止まり、未だこれを以て上告審の指摘する疑問に答えたものと認めるには足りない。蓋し上告審判決の趣旨とするところは、被告人勝太郎と同糸平との年令の隔りや経歴の相違もさることながら、右両被告人が第一審判決判示のような動機のもとに、本件の如き凶悪犯罪を共謀したとする同判決の認定には首肯し難い節があることを指摘し、この点に関し、そのような共謀をするに至つた特段の事情につき、更に探究することを要求したものと解されるからである。すなわち賭博犯等の如く、仲間の年令、経歴その他の社会的関係の相違は勿論、特にその動機の点をも穿索するまでもない犯罪ならば格別、本件強盗殺人の如き残虐なる犯罪を共謀するについては、それ相応の深い動機がある筈なのに、第一審判決の判示する程度の動機では、この点が納得し難いという趣旨を含むものと解せられるのである。なるほど一件記録及び当審における事実取調の結果によると、被告人勝太郎が予て賭博を好み、その資金を欲していたことは窺われるにしても、日夜賭博に耽つてこれが資金獲得に狂奔していたとか、或は女色に惑溺して遊興費に行き詰まつていたような形跡は更に見当らない。また被告人糸平にしても、妻子六名を抱え、左官職としての自身の収入及び妻子の縄ない等の内職稼ぎによつては、固より生計に余裕はなかつたにしても、本件当時その日の生活の資にも困窮していたような証跡は存しない。その他右両被告人を本件強盗殺人の共謀に導き易いような格別の動機を窺い得ないのである。して見れば、被告人勝太郎及び同糸平間の窃盗犯人とその被害者という関係の存否にかかわりなく、右両被告人の所論共謀の事実に対する上告審判決の右疑問は、当審における事実取調の結果によつても、充分にこれを解明し得たとはいい難い。従つてこの点に関する第一審判決の事実認定は、他の角度からの解明を得られない限り、これを是認することができないものというのほかはない。

(三)  破棄理由第三点について

ここに究明すべき事項は、第一審判決引用の押収にかかる綿平織黒色たすき様布紐(証第八号及び第一九号)木綿紫色布紐(証第三四号及び第三六号)及びいちびの紐(証第一二号)等の出所、その結び方の特徴と犯人との関係である。

(1)  右紐類の出所について

検察官の昭和二十四年二月十四日付検証調書及び同添附の図面、写真、医師山田迪の萩原幸太郎、同ふみ子、同征男、同賢二の各死体に対する各鑑定書、司法警察員佐原敏の前同日付差押調書の各記載を総合すると、(イ)証第八号及び第一九号の綿平織黒色たすき様布紐は被害者萩原幸太郎及び同ふみ子の各死体の頸部に巻きつけられていたもの、(ロ)証第三四号及び第三六号の木綿紫色紐は被害者萩原征男及び同賢二の各死体の頸部に絞めくくられていたもの、(ハ)証第一二号のいちびの紐は被害者幸太郎の死体の後手を緊縛してあつたものであることを認め得るところ、右(イ)の紐は当審証人久保田きよ及び同久保田誠策の各証言によつて、被害者ふみ子が長男征男の生まれた頃、実家から背負紐として貰い受け使用していたものであることを認め得べく、右(ロ)の紐は右久保田きよの証言によると、恐らく被害者征男又は賢二の着物に縫い附けてあつた紐(同証人のいわゆる「彦紐」)であろうと推認され、右(ハ)の紐については直接の証拠を欠くけれども、当審証人久保田進に対する尋問調書中、同人がこの紐と同じ材料の荷造用の紐を自ら独楽用に作り、本件発生と同じ年頃、被害者征男に二本位与えたことがあり、証第三〇号のいちびの紐が捻り具合から見て、それであるように思う旨の供述記載(記録第十八冊三一一丁以下)と、右証第三〇号の紐が被害者の死体と共に掘り出された事実(検察官の前掲検証調書の記載)とを総合すれば、証第一二号のいちびの紐も本件当時、やはり被害者方に存在したものと推測し得ないわけではない。

そして、このいちびの紐は、巷間見受けられないような特殊のものではなく、その原材料となる繊維作物は、静岡県下においても以前より磐田、浜名両郡地方を中心に多く栽培され、本件発生地幸浦部落の農家が、これで作つた紐を自家用に供していたことは、当審鑑定人大河内秀樹の鑑定及び同人作成提出の「静岡県におけるいちび(黄麻)の栽培概要」と題する書面、当審証人萩原勘次郎、同小島峻の各証言によつて窺い得るところである。

(2)  右紐類の結び方の特徴について

当審における鑑定人額田巌、同西山誠二郎の共同作成名義の鑑定書によると、証第八号の綿平織黒色たすき様布紐は、一見、結び類似の形状を呈しているが、実は結び目は形成されておらず、証第一九号の綿平織黒色たすき様布紐、証第三四号及び証第三六号の木綿紫色布紐の結び方は、いずれも「ま結び」と称せられるものであり、証第一二号のいちびの紐の結び方は「ま結び」又は「はた結びの変形」というべきものであつて、これらの結び方は人種、地方別、職業、性別等から見て、格別に特徴ある結び目を呈しているものでないことが領解されるのである。

(3)  右紐類の出所及びその結び方の特徴と被告人等との関係について

右紐類の出所については、前掲(1) の項で解明されたとおり本件発生当時、概ね被害者萩原幸太郎方にあつたものと推認し得るのであるが、この事実を以て本件事犯と被告人等との結びつきが証明されたものとすることはできない。蓋し、右紐類が本件当時被害者方に存在したという事実自体は、これを使用したと見られる犯人を特定する上に、何等の根拠をも提供しないからである。ただ、証第一二号のいちびの紐が、本件発生地地方において決して珍らしいものでないことを認め得る点は、犯人が遠隔地の者又は第三国人ではないかとの論旨の疑問を解消するに役立つものであるが、これによつても所論犯行が本件発生地と全然無関係な通りすがりの者によつて為されたものでないことを推認せしめるに止まり、被告人等と本件との関連性を決定づけることはできない。

次に右紐類の結び方と被告人等との関係であるが、その結び方が前記の如く、格別に特徴あるものでないと認められることによつて、犯人の人種、居住地、職業等の点を重視することは不用に帰したというべきであるが、さればといつて、この紐類の結び方の解明により、新たに被告人等と本件との結びつきが証明されたということもできない。

要するに、当裁判所が破棄理由第三点の指摘するところに従つて審理を尽した結果、右紐類の大略の出所とその結び方の特徴とを究明し得たけれども、これによつて被告人等と本件との関連性は、これを窺知することができなかつたのである。

第三、前出以外の当審における事実取調の結果

叙上の如く、上告審判決の破棄理由に指摘された立証上の問題点については、当審においてこれを究明するため、あらゆる審理を尽したにもかかわらず、これを解明して第一審判決の所論事実認定を肯定し得るような新たな証拠を得られなかつたのであるが、右上告審判決が原第二審判決を破棄した趣旨は、前示のように判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があつて、原第二審判決を破棄しなければ著しく正義に反するというにあるのであるから、破棄理由とする立証上の問頭点が、差戻を受けた下級審において積極認定の方向に解明されない限り、飽くまで下級審を証拠不十分の判断に覊束するというのではなく、もし差戻後の審理の全過程において、破棄理由に指摘された立証上の不備をも超克し得ることが採証、経験、論理の各法則に従つて是認される新証拠が発見され、これによつて原第二審判決にかけられた重大な事実誤認の疑を解消し得るものと認められた場合には、右新証拠を採用して有罪の判定をしても差支えない趣旨であると解するのが相当である。

よつて以下、当裁判所の審理過程に現われた主なる新証拠を摘記し、果してそれが右のような証明力を有するか否かについて逐一、検討することとする。

(一)  当審鑑定人内田常司の足跡照合鑑定の結果

この足跡鑑定は当審に至つて、始めて行われたものであつて、それは押収の女用紺鼻緒下駄(証第五〇号の三)と下駄足跡石膏(証第六四号の三)との照合及び押収の中古ズツク靴(証第五五号の一)とズツク靴跡石膏(証第六四号の二)との照合によるものであるが、内田鑑定人の鑑定結果は、

一、押収の女用紺鼻緒下駄一対(甲乙)中の甲下駄の固有する特徴個所と下駄足跡の石膏型に存在する特徴個所とは、対比合致するものと認められる。

二、押収の中古ズツク靴一対の右とズツク靴跡なる名称により押収されている石膏型とは、対比上合致するというのである。

(1)  内田鑑定の正確度

右内田鑑定の正確度を判定する前提として、先ずこの照合鑑定の資料に供された現場足跡石膏型の採取経過と現物履物の押収経過とを見るに、記録並びに当審における事実取調の結果に徴すると、押収のズツク靴跡石膏型は被害者萩原幸太郎方西方約五百米の御長屋橋手前麦畑内に自転車車轍痕等と共に印象されていた足跡について、また押収の女下駄跡石膏型は右幸太郎方入口南方約二十数米の玉葱畑内に印象されていた足跡について、いずれも昭和二十三年十二月四日午前中、南磐田地区警察署員加藤鳥雄が採取したものであり(司法警察員佐原敏作成名義の昭和二十三年十二月十日付足跡等採取報告書=記録第六冊一一三丁以下」当審証人杉山仲一に対する証人尋問調書=記録第十二冊三三五丁以下」当審証人加藤鳥雄の供述=記録第二十六冊六丁以下)、また押収の女用紺鼻緒下駄一対は昭和二十四年二月十八日令状により被告人敏雄の父小島武方を捜索して発見押収され、中古ズツク靴一足は同年三月二日令状により被告人糸平方を捜索して発見押収され(記録第一冊三四九丁及び三五九丁等)、その後第一審の第一回公判において検察官から証拠品として提出され、裁判所がこれを採用押収したものであることが明らかである(記録第一冊七一丁以下)。そして当審鑑定人河村竜馬作成の鑑定書及び同人の当審公廷における補足説明としての証言によれば、右各石膏型の採取は当該足跡の微細な印象状態にも、殆んど変化を生じない時期において行われたものであることが認められる。

そこで右内田鑑定が正確度の高いものであるならば、それ自体極めて有力な決め手となると共に、被告人勝太郎、同敏雄、同糸平等の司法警察員及び検察官に対する自白の真実性を大きく裏付ける情況証拠であることはいうまでもない。ところが、この内田鑑定に対しては弁護人側から幾多の疑問と批判とが提起され、当審公判廷において同人を三回にわたり証人として詳密に尋問したのであるが、なお氷解し得ない疑問があるとして弁護人より再鑑定の申請があり、当裁判所は右申請を容れて鑑定人上野正吉に対し、右足跡の照合鑑定と内田鑑定の当否についての鑑定を命じたところ上野鑑定人は、

一、押収の女用紺色鼻緒下駄一対(証第五〇号の三)のうち何れか、特にそのうちの甲下駄によつて、下駄の跡の石膏として押収してある石膏型(証第六四号の三)にみる足跡が作られたとみることが可能であるが、この下駄でなければならぬとすべき程の根拠(特徴点の一致その他)を挙げることはできない。すなわち合致するとの積極的証拠は挙げ得ない。

二、押収の中古ズツク靴一対(証第五五号の一)のうちの何れか、特にその右靴によつて、ズツク靴跡の石膏として押収してある石膏型(証第六四号の二)にみる足跡が作られたとみることは可能であるが、このズツク靴でなければならぬとすべき程の根拠(特徴点の一致その他)を挙げることはできない。すなわち合致するとの積極的証拠は挙げ得ない。

三、内田鑑定は極めて詳密なる実験的検査に基き本件証拠物、すなわち下駄またはズツク靴の特徴を明らかにし、それ等特徴を押収の証第六四号の三又は二の石膏型の上に発見せんと試み、一部成功していると思われるが、他の一部においては特徴の合致を証明するに急で、その論旨の進め方において行過ぎや牽強附会の点があり、従つて「両者が合致する」とした結論には、多分に検討を要する点がある。

と鑑定したのである。

すなわち内田、上野両鑑定は、その結論を異にしており、上野鑑定によつては内田鑑定の正確性を裏付け得ないばかりでなく、むしろ内田鑑定の正確度を多分に減殺するものといわなければならない。以上のような内田、上野両鑑定人の各鑑定書における鑑定の結果とその実験経過及び右両名の当審公廷における各証言並びに鑑定資料である押収の現場足跡石膏型にあらわれた印象状態と現物履物の現況とを彼此照合して検討考察すると、内田鑑定は特殊な照合技術による詳密を極めた実験的検査に基くものではあるが、該鑑定の手法において上野鑑定人指摘のような欠陥があると認められるので、その結論に至つては、そのまま直ちにこれを容認することができないものであるとの判断に到達せざるを得ないのである。

(2)  押収の現場足跡石膏型及び押収履物の鑑定資料としての適格性右足跡鑑定の資料に供された現場足跡石膏型の採取経過と押収履物の押収経過とが、前記のとおりであるとしても、その鑑定資料としての適格性には次のような問題が存する。

先ず、右現場足跡石膏型と被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の各自白による本件犯行当時の足取りとの関連性について考察するに右被告人等が右犯行の前後において被害者萩原幸太郎方入口南方の玉葱畑内に足を踏み入れたことを肯認し得べき証左は、同被告人等の供述中にも、その余の証拠中にもこれを見出だすことができない。(もつとも被告人勝太郎の司法警察員に対する昭和二十四年二月十三日付供述調書中には、被害者等の死体運搬の際、同被告人が被告人敏雄、同糸平と共に右玉葱畑も含まれると推認される個所、すなわち被害者萩原幸太郎方東側の温室と同家の井戸との間を通つて南に出た旨の供述記載が存するけれども、その後被告人勝太郎の司法警察員に対する同年二月二十二日付供述調書によると、右供述は嘘で死体運搬の際は右被害者方の北側を通つて被告人糸平方の表を通つたのが本当であると訂正されている=記録第七冊二六〇丁以下及び三三三丁)従つて、右玉葱畑内に残されていた足跡について採取したという押収の女下駄跡石膏型は右被告人等の自白による犯行当夜の足取りと結びつかないこととなり、鑑定資料としての適格性に疑問が持たれるのである。次に押収の履物と右被告人等の自白によるそれとの関連性であるが、被告人敏雄の本件犯行当夜の履物が女用駒下駄であることは、同被告人の司法警察員に対する昭和二十四年二月二十日(「一月二十日」とあるのは「二月二十日」の誤記と認める)付供述調書(記録第七冊四一一丁)検察官に対する同年二月二十八日付供述調書(同記録四四八丁)及び被告人勝太郎の司法警察員に対する同年二月十三日付供述調書(同記録二五三丁)検察官に対する同年二月二十三日付供述調書(同記録三五七丁)に右と符合する各供述記載(もつとも被告人敏雄の右検察官調書の供述記載によると、「黒塗りの駒下駄」となつており、この点押収の生地下駄とは符合しない)の存することによつて、これを窺い得るけれども、被告人糸平の当夜の履物については、同被告人の司法警察員に対する同年三月四日付供述調書(同記録四九四丁)によると「麻裏草履」、同被告人の検察官に対する同年三月七日付供述調書(同記録五四九丁)では「タイヤ裏の草履」とあり、被告人勝太郎の検察官に対する前記供述調書には「跣足袋の様なもの」、また被告人敏雄の検察官に対する前掲供述調書には「靴の様なもの」とあり、ただ僅かに被告人勝太郎の司法警察員に対する前顕供述調書(同記録二五六丁)に「ズツク靴の様なもの」とあるのみであつて、他にズツク靴であることを明認するに足る確証は存しないのである。して見れば、被告人糸平方を捜索してズツク靴を発見押収し、これを同被告人の本件犯行当夜の履物である如く前提することは、既に同被告人との結びつきに難点があるばかりでなく、捜査段階において押収の右現物履物を同被告人に示してこれに対する供述を求めた形跡すら窺い得ないのであるから、押収のズツク靴についても、被告人糸平との関連性に疑が存する以上、これ亦、足跡鑑定資料としての適格性に疑問を掛けられても、已むを得ないところである。

第一審及び原第二審において、この押収にかかる現場足跡石膏型と押収履物とが、証拠品として現存するにかかわらず、遂に両者の照合鑑定がなされないままに経過した所以も、恐らくこの辺に潜在するものと推量される次第である。

(3)  内田鑑定の立証価値

既に前出(1) (2) の項で説示した如く、内田鑑定がその正確性において、そのままこれを容認し難いものであり、しかも右鑑定資料の適格性にも疑問の余地が存する以上、この鑑定の結果を採つて本件強盗殺人、死体遺棄の断罪の決め手となし得ないのは勿論、第一審判決引用の被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の検察官に対する各自白、証人吉野千枝子の裁判官に対する供述の真実性を裏付けるに足る情況証拠とすることもできない。

(二)  本件被害者等の死体発見の端緒に関する当審の事実取調の結果

本件被害者等の死体を埋匿した個所が、如何なる端緒によつて発覚したかの点は、本件における最も大きな決め手として、第一審以来当審に至るまで強く争われたところであり、検察官はこれを被告人勝太郎の指示によるものと主張するに対し、被告人側は捜査官が被告人勝太郎の自供前に埋匿死体を発見したにもかかわらず、恰も被告人の指示によつて、始めてこれを覚知したものの如く仮装したのであると反駁していることは、一件記録に徴して明らかなところである。そこで記録並びに当審における事実取調の結果に現われた関係証拠を見ると、検察官側の主張に対応する主なるものとしては被告人勝太郎の司法警察員及び検察官に対する各自供、第一審及び当審の証人北徳太郎、同松島順一、同紅林麻雄、当審証人伊藤寿雄の各証言、右松島、北両巡査部長名義の昭和二十四年二月十四日付捜査報告書等があり、また被告人側の右主張に対応する主なる証拠としては、第一審及び当審における被告人勝太郎、同証人近藤忠一、第一審、原第二審及び当審の証人山下敏治の各供述等が存するのであるが、右各証言及び捜査報告書を除けば、本件被害者等の埋匿死体発見の端緒が被告人勝太郎の供述によつて得られたか否かを窺い得る資料は、結局、右死体発掘前における同被告人のこの点に関する供述を録取した供述調書のみである。

そこで先ず、これに該当する供述調書を記録について探索すると被告人勝太郎の司法警察員佐原敏に対する昭和二十四年二月十三日付第一回供述調書がそれであつて、かつ、同調書が唯一のものである。しかして、この調書に記載された同被告人の供述によると、本件死体は被害者萩原幸太郎方の西南方にあたる舟小屋の西側に二つの穴を掘つて埋めたというのであつて、その地点を自ら図示し、該図面は同調書末尾に添付されているのである。もつとも、被害者等の死体を発掘した当日である同年二月十四日付の司法警察員佐原敏に対する同被告人の第二回供述調書があつて、同調書によると同被告人が正に右死体の発掘された個所に合致する地点を死体埋匿個所である旨供述し、前日述べた死体埋匿個所は嘘であつたと訂正しているのであるが、この調書が死体発掘後の作成にかかるものであることは、同被告人及び当審証人佐原敏の各供述によつて明らかなところであり、しかも右調書には前記第一回供述調書と異り、当該地点を示す図面も添付されていない点に徴すると、この調書記載の供述をもつて、直ちに真実の死体埋匿個所が、死体発掘前に同被告人によつて供述されたものか否かを断定する資料とすることはできない。原第二審判決が、被害者等の死体は被告人勝太郎の指示によつて発見発掘されたものであると判定し、その理由として被告人勝太郎の右司法警察員に対する第二回供述調書に同人の供述として記載されている死体埋匿個所が、本件死体発見場所に照応している点を挙げているのは、該供述調書が右死体発掘前における同被告人の自供をその機会に録取したものであることを前提としていることは、その説示自体に徴して容易に領解し得るところであるから、右判断はこの限りにおいて正鵠を失しているものといわなければならない。

飜つて被告人勝太郎の指示によつて、右死体埋匿個所を発見したものであると一致して確言する北徳太郎、松島順一、江林麻雄の第一審及び当審における各証言、伊藤寿雄の当審における証言並びに同趣旨の記載ある同年二月十四日付右松島、北両巡査部長名義の捜査報告書について、被告人勝太郎のこの点に関する事前の自供があつたことを裏付ける資料の有無を検索するに、右自供の際もその取調に当つた北、松島両証人は、第一審において被告人勝太郎に右地点の図面を画かせたが、その後これを紛失した旨供述し、当審においても同様の証言をしているが、佐原敏は第一審においては「自分は供述調書を作成するには刑事の下調の結果を記載したメモに基いて自室で取り調べる。そして本件死体埋匿地点の図面は見ている」との趣旨(記録第五冊一七三丁及び同第八冊九九丁)を証言したにかかわらず、当審においては「自分は刑事に下調をさせても図面とか下調のメモを受け取ることなく、必要な図面は自ら直接、供述者に画かせ、図面を刑事より引き継ぐことはない。北、松島両巡査部長が右図面を画かせたが紛失したという話は、後に同人等より聞知したに過ぎない。また被告人勝太郎に対する第一回供述調書を作成する時は、死体埋匿地点たる舟小屋西側の見取図を書かせたが、同第二回供述調書作成の際は、既に死体発掘後であつて図面の必要がなくなつているから、特に図面を作らせなかつた旨(記録第十四冊二四七丁)証言し、この点につき前後異つた証言をしているのである。

いずれにせよ、被害者等の死体発掘地点を示した被告人勝太郎作成の図面は、本件訴訟上ついに現われなかつたのであつて、このように当該図面が存在しない限り、右証言以外には果して被告人勝太郎が右図面を画いたことがあるかどうか、又いかなる図面を画いたものかは、これを確認する術がなく、ひいては右捜査官等の証言や捜査報告書の記載のような地点の指示があつたかどうかも実証されないのであつて、このことは単に捜査技術又は捜査段階における手落ないし過失に過ぎないものとして看過し得ないものがあると思われる。その他右各証言を相互に対比し、また他の関係証拠と照合すると、右各証言は、必ずしも全面的には措信し難い節があつて、被告人勝太郎の死体発掘に至る経過に関する第一審以来の供述(それは、そのまま措信し得ないにしても)とも考え合せると、果して右死体発見が同被告人の自由な、そして信憑力ある供述に基いたものであるかは、疑を挿まざるを得ないところである。

かように考察して来ると、本件被害者等の死体発見の端緒が被告人勝太郎の指示によるものであるとして、これを直ちに本件断罪の決め手とすることは、相当でないと論結せざるを得ないのである。

(三)  前掲以外に当審に現われた新証拠

(1)  本件被害者殺害の時刻に関する情況証拠

これに当るものは当審証人寺沢小芳、同時沢半十、同島津猪熊の各供述であつて、証人寺沢小芳は終戦後間もない昭和二十年九月半ば頃より被害者萩原幸太郎方の東方二粁近い磐田郡幸浦村大字西同笠(現在、浅羽町に合併)に居住するものであるところ、(当審における昭和三十二年十二月二十三日施行の検証調書=記録第十六冊二十一丁以下)、同人は本件発生当夜と目される晩、一寝入りしてから屋外便所小屋で小用を足して、その小屋の傍に立つたとき四、五回続けざまに「助けてくれ」という腹の中から絞り出すような死物狂いの女の悲鳴が、附近の松林を非常な速さで西方から東方に通り抜けるのを耳にし、未だ何か聞えるかと思い、暫らく立ちつくしてから屋内に入り、時計を見たら十時前であつたというのであり(記録第十六冊一二六丁以下)、証人寺沢半十、同島津猪熊の各証言は、いずれも右寺沢小芳の証言を裏付けるものである(記録第十八冊一七三丁以下及び同第十六冊四十九丁以下)。しかして右寺沢小芳、同寺沢半十両証人の証言によると、夜間強風の際には被害者幸太郎方より遠方からも音曲、太鼓、歌声等が聞えて来ることがあるとの事実、当審の前記検証の結果によると、被害者幸太郎方と寺沢小芳方とは、同証言を首肯し得べき地形関係にあることが認められること、本件当夜同地方では西の強風が吹いていたこと(第一審証人北河政明の供述=記録第七冊八六丁以下)、右寺沢半十の証言により同家の当時の時計は、先ず正確に動いていたものと認められること(記録第十八冊一七七丁以下)に徴すると、右寺沢小芳の証言内容は真実を伝えるものと認め得られるのである。

飜つて被告人等の本件自供の内容を考察するに、被告人勝太郎及び同敏雄は被害者萩原ふみ子殺害の場面につき司法警察員及び検察官に対して、いずれも同女が「助けてくれ」と数回叫んだ旨供述している(被告人勝太郎につき記録第七冊二五九丁及び三六一丁、被告人敏雄につき同記録四一三丁及び四三四丁)ので、これに符合する寺沢小芳の前掲証言は、この点に関する限り、確かに右両被告人の自供を裏付けるに足るものである。

しかしながら、被告人糸平の司法警察員及び検察官に対する本件犯行自供中には、被害者ふみ子殺害の際同女が悲鳴をあげたことを窺うべきものがなく、この点につき同被告人は司法警察員に対して「お神さん(ふみ子の意)が眼を覚まして何か言つたようでしたが、これは直ぐに勝(被告人勝太郎を指す)が飛び掛つて行つたようでした。その時はもう暗いので良く判りませんでしたが、約五分位もバタバタやつて静かになつてしまいました」と述べ(記録第七冊四九九丁)また検察官に対しては「それから(被害者幸太郎を殺してからの意)私は内儀さんの方へ行きました。内儀さんは勝つチーが俯伏せにして押え付けており、上から蒲団を冠せられて勝つチーが馬乗りの様になつており、もう大部参つて声も出ないようでした」(同記録五五三丁)と述べた旨、それぞれ当該供述調書に記載されている。

一方、寺沢小芳証言の悲鳴時刻と被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の自供する被害者ふみ子殺害の時刻との間には、相当の懸隔があると認められる。すなわち、被告人勝太郎は司法警察員に対し「被害者四名を全部殺し終つたのが午後十時頃」(記録第七冊三一九丁)、検察官に対し「被害者方へ着いたのが大体午後八時半頃」(同記録三五八丁)或は「被害者方に侵入したのが午後八時過頃」(同記録三七二丁)と述べ、被告人敏雄は司法警察員に対し「被害者方へ侵入したのが午後八時一寸過頃」(同記録四一二丁)、検察官に対し「午後八時過頃被告人勝太郎と二人で被告人糸平の処まで行き、同人を呼び出して三人で真直に海岸の方へ行き、海岸の脇の処に鋤簾やシヤベルを使つて穴を掘つてから、被害者方へ侵入した」旨(同記録四三四丁)述べ、被告人糸平は司法警察員に対し「三人で出掛けたのが午後八時半頃になつたのではないかと思います。……それで幸ちやアの家の前まで行つて三人で中をうかがうと……良く寝静まつていて……大丈夫だというので、私と勝と二人で入口の戸をソツと上にあげるようにして開け……」(同記録四九五丁裏以下)と述べ、検察官に対し「二人(被告人勝太郎、同敏雄の意)が来たのは午後七時三十分頃ではなかつたかと思いますが……私は外へ出て二人に対し夫れじや遣るだかと聞いたら、勝つチーが遣るぞ……と申し、それから敏雄君が俺がこれから様子を見て来るぜと申して幸ちやの家の方へ行きました。……五、六分して敏雄君が帰つて来て……寝ているやーと言うので……私が未だ未だ早いから一寸居まいかと申して巻煙草を一服喫つてから三人で幸ちやの家に出掛けました。……三人で道を通つて幸ちやの家に行き硝子のはまつた戸から硝子越しに中を覗いたところ……幸ちや一家四名は皆寝ていたので私は勝つチーと二人で……入口の戸を一枚開け……そこから私が先頭になり続いて勝つチー、敏雄君の順序で座敷の中に躍込みました」(同記録五四八丁以下五五二丁まで)と述べた旨、それぞれ当該供述調書に記載されている。

以上によると、被告人勝太郎が司法警察員に対して供述する被害者ふみ子殺害の時刻は、一見、寺沢小芳証言のそれと符合するようであるが、同被告人の供述する右時刻には、格別の根拠がないばかりでなく、同夜被告人勝太郎が被告人敏雄と共に被告人糸平を呼び出し、三人で犯行後に被害者の死体を埋匿すべき穴を掘りに出掛けたのが「午後八時頃」である旨の被告人勝太郎の司法警察員に対する供述(同記録二五四丁以下)を基準とする(なお、検察官に対する被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の各自白調書を比較検討すれば、後記の如く同被告人等が本件犯行を実現するため被告人糸平方前を出掛けたのは同夜八時頃以前であることに略々一致しているものと認められる)ならば、当裁判所の昭和三十三年一月二十七日施行の検証の結果(記録第十七冊一四五丁以下)によつて確認された本件被害者殺害までの想定所要時間、すなわち右死体埋匿跡に近接する砂地において、縦約一八〇糎、横約一三五糎の地面を深さ約一五〇糎掘り上げるに要する時間約十六分と、被害者萩原幸太郎居宅跡から死体埋匿地点跡まで徒歩(ゆつくり)による往復の所要時間約二十六分とを加算し、これに約二十分程の余裕を見積つても、同夜午後九時頃には右被告人等が被害者幸太郎方に侵入する運びになつたものと推認せられ、右被告人等の前掲各供述に徴すると、本件被害者等殺害実行の所要時間は十分前後と認められるので、この点からしても被告人勝太郎の供述する全被害者殺害終了時刻「午後十時頃」というのは、右被告人等の自供にかかる犯行の経緯から見て、余りに時間がかかり過ぎたものと考えられ、その点から見ても、これを正確な時刻を供述したものとして信憑すべき根拠に乏しいものと認められるのである。更に、被告人勝太郎が検察官に対して供述する被害者幸太郎方へ到着したという時刻(午後八時半頃)または同家へ侵入したという時刻(午後八時過頃)、被告人敏雄が司法警察員に対して供述する右被害者方へ侵入したという時刻(午後八時一寸過頃)、検察官に対して供述する被告人勝太郎と共に被告人糸平を呼び出したという(時刻午後八時過頃)、被告人糸平が司法警察員に対して供述する被告人勝太郎、同敏雄と共に本件犯行のため自宅を出掛けたという時刻(午後八時半頃)、検察官に対して供述する被告人勝太郎、同敏雄の両名が被告人糸平方に来たという時刻(午後七時半頃)を基準としても、前叙の理由により被害者ふみ子の殺害推定時刻と寺沢小芳証言の悲鳴時刻との間には、少くとも一時間前後の隔りがあるものと認めざるを得ないのである。

以上の如く、寺沢小芳証言は当審における事実取調によつて現われた新証拠のうち、被害者ふみ子の悲鳴とその殺害時刻とを立証する上に、最も高く評価せらるべきものではあるが、右被告人等の本件犯行自供の真実性を裏付ける情況証拠となすに足りないものといわなければならない。

(2)  被告人勝太郎及び同敏雄の浜松刑務支所入所当初の言動をめぐる情況証拠

これに当るものは、当審証人村井里吉の証言と被告人勝太郎及び同敏雄の東京拘置所保管に係る身分帳簿の記載であつて、右村井証人は右両被告人の浜松刑務支所に在監当時、同支所保安課所属の看守部長として保安戒護事務を担当していたものであるが、昭和二十四年二月二十八日被告人勝太郎と兄近藤美好との一分間の接見に立ち会つた際の模様につき「兄美好が最初に勝太郎に声をかけると、その場に泣き崩れてしまい、本当に済まないということが態度に出ていた。その時の勝太郎の接見票談話の要領欄に記載してある『兄さん、本当に申訳ありません』との勝太郎の言葉は、自然に出たものと受け取られ、そこには何かあるなと直感した」(記録第十八冊五二丁以下)と供述し、次に同じ日に被告人敏雄と父小島武との五分間の接見に立ち会つた模様につき、「敏雄は同人の接見票談話の要領欄記載のとおり、父に対し『本当に申訳ありません』と言つて泣いていた」旨(同記録五六丁)証言しており、当裁判所が昭和三十二年十一月十四日東京拘置所において右両被告人の身分帳簿を検証した結果によれば、その各接見票中の該当欄に右証言に吻合する記載の存することを確認し得るのである(記録第十四冊二二丁編綴の写真第一一及び同上四〇丁編綴の写真第三〇の参照)。なるほど、右証言及び右両被告人の身分帳簿の接見票中における談話要領欄の記載によれば、右両被告人が本件公訴にかかる窃盗被告事件により浜松刑務支所に収監された当初、近親者に対して陳謝の意を示した一場面を看取するに難くないけれども、初めて勾留された若年の右被告人両名が、近親者との僅か一分ないし五分以内の面接時に「本当に申訳ない」旨の詫言を発したとしても、かかる特殊環境下における片言隻語を捉えて、直ちに本件強盗殺人等の被疑事実(当時該事実については起訴に至らず)の自認を如実に物語るものとは断じ難いのである。従つてこれ亦、右被告人両名の本件犯行自供の真実性を裏付けるに足る資料とすることはできない。

(3)  被告人糸平の被害者一家の行方捜索当時の言動をめぐる情況証拠

この関係証拠は、既に捜査段階にも存在し、更に第一審に至り証人久保田きよ、鈴木よし、安間丹蔵、萩原孝、大場東太郎等の各証言を得ているのであるが、当審に至つて始めて現われたのは久保田誠策、渥美正能、萩原勘次郎の各証言であつて、その内容(萩原勘次郎の分を除く)は、右列挙の第一審証人等の供述内容と同じく、昭和二十三年十二月初頃被害者幸太郎一家の行方捜索のため湊部落、松野の中浜道を砂防林附近まで出向いた際、被告人糸平がことさら被害者の死体埋匿地点に近づけまいとするような言動に出たことを具体的に述べているのである。このほか久保田きよ、大石(旧、萩原)孝、大場東太郎も、やはり当審証人として右と同趣旨の証言をしているのであるが、この三証人は第一審において証言したところを再確認したものに過ぎないから、当審の事実取調による新証拠とはいい難く、右久保田誠策、渥美正能の右両証言も、既に第一審において他の同旨の証言が存する以上、厳密には新証拠というに相応しくないけれども、既存の証拠を増強する意味において、特記したものにほかならない。しかして以上の各証言に現われた事実によると、被告人糸平が本件の犯人なるが故に、被害者等の死体埋匿地点の発覚を防ぐ意図から作為した仕種の如くにも受け取れないことはないが、その言動のうちに真犯人でなければなし得ないと直感される程の切実味が欠けており、これのみを以て同被告人の犯行自供の真実性を裏付けることは早計であると認められる。

次に当審証人萩原勘次郎は、被告人糸平の当時の挙動について「幸太郎一家の行方について大掛りな捜索をしていた頃、月日は記憶しないが氷雨の降つていた日のこと、糸平がヒコ紐(註、幼児の着物の付け紐)の真中が結んであつて、その両端が着物から切り離してあるのを持つて来て『この紐が砂防林を西に行つた豊浜境の北側中腹の松の木に引つかかつていたが、これは征ちやんのではないか』と言つたが、自分には判らないので女の者に聞いて見ると言つて一応預り、妻にその紐を見せたところ、征男のではないということであつた」との新事実を証言し、このことはこれまで機会がなかつたので申さなかつた旨附言した(記録第十二冊三八三丁)。右証言に現われた被告人糸平の言動に対し、本件との関連において不審の点があるとする見方も立ち得るかも知れないが、右証言事実から推して同被告人が、ことさら本件に無関係である如く作為するため、被害者征男のヒコ紐でないことを知悉しながら、恰もそのヒコ紐ではないかと思つた如く装い、被害者の兄勘次郎の手許まで届けたものであるとまでは断じ難いところである。

第四、結論

(一)  以上各般の検討の結果を総合考察すると、次の結論に到達する。

上告審判決の破棄理由に指摘された立証上の問題点は、当裁判所においてあらゆる審理を尽したにもかかわらず、これを解明する結果を得るに至らず、また他にこれに代つて断罪の決め手と認め得べき新証拠も現われなかつた以上、第一審判決の所論事実認定の当否を判断するための証拠資料は、その立証上の評価において、原第二審判決当時の資料を超えることができなかつたことに帰着する。しかして、原第二審判決は右限度の資料をもつて、第一審判決には同判示第一ないし第三の各事実認定に判決に影響を及ぼすべき過誤はないと判定したところ、これに対して上告審判決は前顕破棄理由三点を挙げて、原第二審判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があるとして同判決を破棄し、本件を当審に差し戻したのであるが、当審における審理の結果は前叙のとおりであるから、当裁判所としては右上告審判決の判断の趣旨に従い、第一審判決の所論事実認定には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の廉あるものと断ぜざるを得ない。然らば前掲弁護人及び被告人敏雄の主張する被告人等の司法警察員及び検察官に対する所論各供述の任意性に関する論旨、大竹弁護人の主張する第一審判決の証拠理由不備及び第一審公判手続における刑訴法第三百一条違反の各論旨、小右弁護人の主張する第一審判決の採証上の法令違反の論旨に対して判断を与えることは、おのずから不用に帰したこととなるので、これらの点についての判断はこれを省略する。

(二)  次に職権をもつて調査するに、被告人勝太郎に対し第一審判決の認定する同判示第四の窃盗の事実は、同判決拳示の対応証拠によつて、一応、肯認し得る如くであるが、その援用にかかる同被告人の司法警察員に対する昭和二十四年二月十二日付弁解録取書によると「日は忘れましたが七月頃夜十二時頃、近藤糸平方へ行つて時計と金を盗みました」云々とあるが(記録第七冊二三九丁)、同被告人の司法警察員に対する同年二月十三日付供述調書には「昨年八月頃で日は覚えないが……午後二時頃近藤糸平方に誰もいなかつたので、入口から入つて柱に掛けてあつた十八型位の白い側の懐中時計を取つて」云々となつており(同記録二四七丁)、両者は犯行の時刻、手口において全く相違し、いずれが真なるやを判定し難いこと、また被害者方家人である近藤千代子の司法警察員に対する同年二月九日付供述調書によると、同人が被告人勝太郎を犯人であると推定する根拠としては、背恰好や背の高さが似ているというに止まり、それも夜半十二時頃就寝中に偶々眼を覚ました瞬間、一人の男が隣室の六畳間から土間に降りて表口から出て行く後姿を月明りで見掛けた感じだというに過ぎない(記録第一冊二四四丁以下)のであるから、その根拠が極めて薄弱であることと、その他の関係証拠を検討しても、右窃盗の事実を首肯するに足るべき的確な資料を把握し難いこと等の諸点に鑑みると、第一審判決がこれを有罪と判定したのは、事実の認定を誤つたものというべく、この誤認が判決に影響を及ぼすことは論を俟たない。

(三)  右いずれの点よりしても第一審判決は破棄を免れないので、刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書に則り同判決を破棄し、更に当裁判所自ら次のように判決する。

(1)  当裁判所の認定する事実は

被告人敏雄は八木秋太郎と共謀の上、昭和二十三年八月中旬頃静岡県磐田郡浅羽町(当時、幸浦村)大字湊七百七番地太田賢一方から東北方約百米の地点に在る同人所有の新築家屋内で同人所有の西瓜保温用硝子約五十枚を窃取したものである。

との事実であつて、この事実は

一、被告人敏雄の当公廷における自白(但し犯行の日時の点を除く)

一、八木秋太郎の司法警察員に対する昭和二十四年二月十四日付(「一月十四日」とあるのは「二月十四日」の誤記と認める)供述調書

一、太田賢一作成名義の被害始末書

を綜合してこれを認め、右事実を法律に照らすと、右被告人敏雄の判示所為は刑法第二百三十五条、第六十条に該当するから、その所定刑期範囲内で同被告人を懲役六月に処し、情状に鑑み同法第二十五条第一項を適用し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。

(2)  次に被告人勝太郎、同敏雄、同糸平に対する強盗殺人、死体遺棄、被告人信尾に対する賍物故買、被告人勝太郎に対する窃盗の各公訴事実は、

被告人勝太郎、同敏雄、同糸平の三名は静岡県磐田郡幸浦村(現在、浅羽町に合併、以下同じ)大字湊に居住し、被告人糸平は日雇等に従事しおるも、妻子六名を抱えて日頃より生計に困窮していたもの、被告人勝太郎、同敏雄の両名は素行不良の青年にして、常に賭事をなしおり、これが資金に窮していたものであるところ、

第一、右被告人等三名は昭和二十三年十一月下旬頃右幸浦村湊において賭博等の資金に窮した結果、強盗をなさんことを企て、寄々協議を遂げた結果、同家に居住し藷飴等の製造販売をしている萩原幸太郎(当時三十四年)方は、相当現金を蓄えている風評を耳にしておつたので、同人方を襲つて金品を強奪しようとしたが、それには近所にて顔見知りである関係上、むしろ幸太郎一家を鏖殺した方が犯行発覚の虞れがないものと思料、衆議一決し、同月二十九日頃の夜八時過頃、幸太郎方に表口より押し入り、折柄就寝中の幸太郎、同人の妻ふみ子(当時二十八年)長男征男(当時五年)及び次男賢二(当時一年)の四名を、順次、手拭或は細紐等を以てその頸部を絞扼して殺害した上、現金数万円、自転車一台、衣類数十点を強奪し

第二、右被告人等三名は前記のとおり幸太郎ほか三名を殺害した上、これが犯行発覚を防止するために、該死体を同所より南方約五百米の海岸附近の砂丘まで運搬し、同所に鋤簾等を使用して穴を掘り、ここに該死体を埋没し、以て遺棄し

第三、被告人信尾は前記幸浦村湊において主食その他のブローカーをしているものであるが、昭和二十三年十一月二十九日頃右自宅において被告人勝太郎等より同人等が当夜同村の萩原幸太郎方一家四名を殺害して強奪して来た自転車一台、衣類二十数点を、その賍物である情を知りながら代価二万七千五百円にて買い受け、以て賍物の故買をなし

第四、被告人勝太郎は昭和二十三年八月頃前記幸浦村湊近藤糸平方において同人所有の時計一個を窃取したというのであるが、前顕説示の如く上告審判決の破棄理由に指摘された立証上の問題点をはじめ、およそ本件断罪について検討を要すべきあらゆる角度からの審理を尽した結果、竟に右各事実を認むるに足る証明が得られないので、刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条に則り被告人等に対し無罪の言渡をする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 荒川省三)

弁護人大竹武七郎の弁論要旨

(一) 上告審判決の拘束の範囲について

旧裁判所構成法第四八条には「大審院に於て裁判を為すに当り法律の点に付て表したる意見は其の訴訟一切の事に付下級裁判所を羈束す」と規定していた。ところが、現行裁判所法第四条には「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する」と規定している。両者を比較してみると、前者は「法律の点について表したる意見」と規定し、後者は「裁判における判断」と規定している。これによつてみれば、裁判所法は、法律の点に付て表した意見のみならず、事実認定の点について上級審の裁判における判断がその事件に関する限り、すべて下級裁判所を拘束すると解すべきものと信ずる。この点につき、最高裁判所事務総局名義の「裁判所法逐条解説(昭和三二年一〇月一日付、裁判所時報第二四〇号)は、「元来、裁判所は、いわゆる下級裁判所であつても、裁判そのものについては、完全に独立の権限を有し、一般的に、上級裁判所の裁判に拘束されるものではない。しかし、特定の事件について、上級審の裁判所が、下級審の裁判所の示した判断と異る判断を示して、下級審の裁判所の裁判を破棄し、事件を下級審の裁判所に差し戻したような場合にも、なお下級審の裁判所は、上級審の裁判所が示した判断に従うことを要しないものとすれば、事件は、いたずらに、上級審の裁判所と下級審の裁判所とを往復して、いつまでも終局的な解決が得られない結果となり、審級制度が設けられた趣旨にも反することとなる。そこで、上級審の裁判所の裁判における判断は、当該事件に関する限りは、下級審の裁判所を拘束する趣旨が明らかにされたものである(中略)拘束力を有するのは「上級審の裁判所の裁判における判断」である。

(中略)上級審の裁判所の裁判の範囲には制限がない。しかし、その裁判があつた後当該事件について下級審の裁判所の裁判が行われるのは、実際上、上級審の裁判所が下級審の裁判所の裁判を取り消し、または破棄して事件を下級審の裁判所に差し戻し、または移送する場合(民訴三八八―三九〇、三九六、四〇七、刑訴三九八―四〇〇、四一二、四一三)にかぎられるから、拘束力を有するのも、これらの裁判にかぎられることとなる。なお、破棄(取消)差戻、移送を内容とするものであるかぎり、判決にかぎらず、決定もまた拘束力を有する(民訴四一四、四一九ノ三、少年法三三等)。

裁判における判断とは、原判決を取り消しまたは破棄する場合における、これを違法不当ならしめる事項についての判断をいい、裁判の主文およびこれを基礎づける直接の理由を意味する。破棄または取消の原因をなす判断であれば、法律点に関する判断であると、事実認定に関する判断であるとを問わない。これに反し、いわゆる傍論、すなわち主文を基礎づけるために直接の必要がなく、これと関連して附随的にのべられた意見は、本条にいわゆる裁判における判断に含まれない。

上級審の裁判に拘束されるのは下級審の裁判所である。破棄または取消の裁判をした裁判所に対して下級審の関係にあるかぎり、当該裁判所から直接差戻又は移送を受けた裁判所にかぎらず、その裁判所の上級審の裁判所も拘束を受ける。たとえば、上告審の裁判所が事件を第一審の裁判所に差し戻したような場合には、第一審裁判所ばかりでなく、控訴審の裁判所も、もとより上告審の裁判に拘束される。さらに、上級審の裁判所そのものも、前に上級審の裁判において示された判断に拘束され、これを変更することは許されない。たとえば、最高裁判所が上告審として一の事件に関し、一定の事項につき判示した後、当該事件の破棄差戻後の判決に対する上告について、さらに再び審判する場合には、最高裁判所みずからも前の判示に拘示されることとなる。けだし、これを変更することを許されるとすれば、無用の手続がくりかえされることとなり、事件はいつまでも終局的な解決を見ないこととなるからである(中略)

上級審の裁判における判断は、下級審の裁判所を拘束する。拘束するとは、その判断と異つた判断を下し、または異つた判断を前提として事件を処理することができないことを意味する。そして、これは、上級審の判断が客観的に間違つていると否とを問わない。(昭二五、一〇、二五最高大法廷判決、刑集四巻一〇号二、一三四頁。昭二七、三、一八、最高三小法廷判決、民集六巻三号三五八頁)拘束力の訴訟理論的な性質については争があるが、判例は、前述のとおり、これを既判力と解している」と言つている。

なお昭和三二年一二月五日の第一小法廷の判例(昭和三一年(あ)第四〇四一号、集第一一巻第一三号第三一六七頁)は事実の誤認および訴訟法の違反があり(中略)右の誤りは判決文に影響を及ぼすことが明らかであるというにある場合には差し戻しを受けた第一審裁判所は第一審判決に事実誤認、訴訟法違反があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるとの原判決の判断の範囲内において更に審理すべき拘束を受ける」といつている。而して本件の上告審の判決は、審理不尽、事実誤認を理由として破棄差戻をしたのであるから、差戻を受けた裁判所はその範囲内において取調べをしなければならぬ。東京高裁昭和三一年(う)第三二三〇号事件判例(集第一〇ノ一二、第八二六頁)参照。

本件に関する最高裁判所の判決は

「職権をもつて調査すると、当裁判所は次の理由により原判決には判決に影響をおよぼすべき重大な事実誤認の疑いがあつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

一、第一審判決は、近藤勝太郎、同小島敏雄、同近藤糸平の三名は共謀の上、昭和二三年一一月二九日午後八時過頃静岡県磐田郡幸浦村湊松野萩原幸太郎方で、同人等所有の現金七万円、衣類二十数点、中古黒塗男女兼用自転車一台を強奪し、被告人吉野信尾は、右強奪品中現金を除いた物品をその賍物であることの情を知りながら買受けた旨の犯罪事実を認定した。しかるに、原判決は、第一審判決が本件被害現金額を約七万円と認定したのは、事実誤認と認めなければならないといつている。残る衣類二十数点、中古自転車一台については、これを被告人吉野信尾に売渡した旨の被告人勝太郎、糸平、敏雄等の供述並びにこれを買受けた旨の証人吉野千枝子の供述がない訳ではないが、被告人吉野方からは該物品と確認しうべきものが発見されていないし、また、同被告人がこれを如何に処分したかについては明確な証拠が見当らない。従つて、原一、二審の審理の程度では前記供述を信用してよいかどうかについて多大の疑問が存する。

二、第一審判決は、被告人等が判示年月生れで、判示冒頭記載の経歴の者であるが、第一に被告人近藤勝太郎、同小島敏雄の両名は、常日頃賭博に耽つてその資金に窮しており、また、被告人近藤糸平は、妻子六名を抱えて日頃から生計に窮して居つて、いずれも、金銭を欲しく思つていたところから、右被告人等三名は、昭和二三年一一月二五日から同月二八日頃までの間肩書居村湊内で寄々協議を遂げた結果共に同村内で相当現金を蓄えておるとの噂のあつた同村湊松野に居住し、甘藷、飴等の製造販売をしている萩原幸太郎(当時三四年)方に入つて金品を強奪しよう、然し近所の事で顔見知りである関係上若し犯行発覚の虞があつたらこれを防止するためには右幸太郎一家を鏖殺するのも已むを得ないと相談が纒まり、茲に、右幸太郎一家を殺害して金品を強奪しようと共謀した旨認定し、さらに、第四、被告人近藤勝太郎は、同年七月頃静岡県磐田郡幸浦村湊二〇番地近藤糸平方において同人所有の銀側懐中時計一個を窃取したと認定した。しかし、大正一四年六月二六日生れの判示経歴を有し判示第四の日時頃同判示のごとき窃盗をした被告人近藤勝太郎と明治三六年五月二四日生れの判示経歴を有し判示第四の如き窃盗の被害を受けた近藤糸平とが判示第一の日時頃同判示のごとき動機から、たやすく同判示のごとき強盗殺人の共謀をするものであろうか、多大の疑問なきを得ない。そして、原一、二審の拳げた証拠並びに説示によつて未だ右の疑問を解消して前記共謀の事実を確認するに足りないと思われる。

三、検察官の昭和二四年二月一四日附検証調書及び添付の図面、写真(記録一冊三一二丁以下)、医師山田迪の鑑定書(記録一冊二九二丁以下)医師古畑種基の鑑定書(記録一〇冊六八七丁以下)、押収品(証一号乃至三九号)等によれば、被害者の殺害された当時の服装、殺害の手殺方法、屍体の始末等がほぼ判明し、ことに第一審判決に引用されている綿平織黒色たすき様布紐(証第八号及び証第一九号)、木棉紫色布紐(証第三四号及び第三六号)及び被害者萩原幸太郎の手を縛つたものと見られるいちびの紐(証第一二号)等が押収されている。しかるに、これらの押収品の出所、その結方の特徴と犯人との関係等につき未だ納得するに足りる審理が尽されているとは思はれない」

と言つている、要するに最高裁判所は審理不尽、事実誤認の多大の疑があり、破棄しなければ著しく正義に反すると全員一致で判断したのである。而して同裁判所は事実誤認、審理不尽と判断した理由を具体的に説示しているのであるから。その判断は差戻を受けた裁判所を拘束する、ただし最高裁判所の判断をくつがえすに充分なる新証拠を発見した場合は格別であらう。そこで差戻後の審理において、最高裁判所の右三点の判断をくつがえすに充分なる、明確なる新証拠が発見されたか否かを検討する。〈以下省略〉

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