大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(う)517号 判決

被告人 菊地文雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年四月に処する。

理由

一、弁護人の控訴趣意第一点の所論は、原判決は審判の請求を受けない事件について判決をした違法があると主張し、原判示第一のいわゆる酒酔い運転の事実については公訴の提起がない、というのであるが、起訴状には、その第一訴因中に被告人が運転開始前に飲んだビール、ウオーツカー等の酔いが廻わり、正常な運転ができないおそれのある状態に至つたので、この様な場合自動車運転者としては、酔気の解消するまでの間運転を中止しなければならないのに敢えて運転を継続した旨道路交通法第一一八条第一項第二号所定のいわゆる酒酔い運転禁止違反の構成事実を記載し、その罰条として、道路交通法第六五条、第一一八条第一項第二号、同法施行令第二七条を掲げている。右起訴状第一訴因としては、弁護人主張の如く酒酔い運転の所為を業務上過失傷害罪における過失の一内容とみて、これと一所為数法の関係にあるものとしているけれども、右酒酔い運転禁止違反の罪についてもその審判の請求をしていること明瞭である。この点について公訴の提起がないと主張する所論は採るを得ない。

二、同控訴趣意第二点の所論は、原判決には法令の適用に誤りがあると主張するので、まづ、本件酒酔い運転禁止違反(道路交通法第一一八条第一項第二号の罪)と業務上過失傷害の罪が併合罪の関係にあるか、あるいは、想像的競合の関係にあるかについて考えてみるのに、被告人は酒に酔い正常な運転ができないおそれのある状態で、敢えて運転を継続し、前方の注視、制限速力の維持等安全運転に必要な措置を講じないで本件事故を惹起したものである。ここに、正常な運転ができないおそれのある状態というのは、原判示の如くアルコールの影響によつて、前方に対する注意力その他安全運転のために必要な判断力が不十分な状態をいうのである。また業務上の過失があるというのは、自動車運転者として事故の発生を未然に防止すべき注意義務に反して致死傷等の結果を招いたことをいうのである。ところで、酒に酔い前方に対する注意力その他安全運転のため必要な判断力が不十分な状態に陥つたとき、自動車運転者として事故の発生を未然に防止するため必要な注意義務として当然考えられることは、このような危険の発生を招くおそれのある運転を中止すべきことである。したがつて若しこれを中止しないで敢えて運転を継続するということは、一面酒酔い運転禁止の道路交通法規に違反すると同時に、それは自動車運転者として事故発生防止のため当然なすべき義務に違反して傷害の結果を招いたものとして業務上過失傷害罪に触れる訳である。

本件の場合事故の直接の原因は前方の注視が不十分のまま、制限速度を超える時速七〇粁という高速で進行を継続したことにあることは原判示のとおりである。しかし原判決は酒酔い運転は単に道路交通法規に違反するにすぎないとし、これを過失の内容にはみていないようである。そして酒酔い運転をする場合は、当然その前方に対する注意力が不十分となるものだから、このような場合自動車運転者として事故防止のためになすべき注意義務は、高速度で進行することを避けることであるとし、被告人はこの速度を適正にすべき注意義務に違反したと判断してもその点に過失がありとしているのである。しかしながら酒に酔い正常な運転ができない状態にあれば、単に前方注意力が不十分になるばかりではなく、速度を適正にすべき注意力その他すべて安全運転のため必要な判断力が不十分になるのであるから、このような場合自動車運転者として事故防止のため最善の措置としてはその運転を中止するということである。この最善の措置を採らなかつたということが最も大きい過失となる訳である。原判決が酒酔い運転、あるいは、前方の注意力が不十分のまま運転を継続することを過失とみないでこれを単なる法規違反とし、前方不注視のまま運転するのだから、速度を適正にすべき業務上の注意義務があるのだと判断しているのは妥当ではない。

原判決は、酒酔い運転は現場附近だけの行為ではなく、酒酔い運転という継続した行為の全体であるのに、業務上過失傷害罪は現場に接着した過失犯だから併合罪とみる方が正しいと説示しているのであるが、自動車運転者としての、事故の発生を未然に防止すべき注意義務違反は、事故発生の瞬間とか、その直前だけにあるのではなく、少くともアルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態に陥りながら敢えてその運転を継続したときから継続して存在するのであつて、それが事故発生の原因である限り、業務上過失の内容をなすものである。酒酔い運転禁止違反と業務上過失傷害が想像的競合の関係に立つことを妨げるものではない。

以上、原判決が右両者を併合罪の関係にあつたとしたことは判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反であつて、この点において破棄を免れない。

所論は、道路交通法第七二条第一項後段の罪(報告義務違反)は、同項前段(救護措置義務違反)に吸収されて一罪として処罰さるべきであると主張するのであるが、右前段の規定は、専ら事故現場における応急適切な措置によつて被害の増大を可及的に防止することを目的とし、後者はそれと異り、交通取締当局に対して遅滞なく事故の発生を知らしめ、これによつて事故発生に伴う必要万全の処置を講じて取締当局をしてその任務の遂行を全うさせようとするものである。両者は法規の目的、法益を異にし、したがつて各違反罪の内容、実体も相違するものである。原判決がこれを併合罪の関係にあるものとしたのは正当であつて、この点の論旨はとらない。

三、その他の控訴趣意は、被告人に対する原判決の刑の量定が重きに失すると主張するのであるが、被告人は酒酔い運転によつて当時二十一歳の被害者に対し脳挫傷、骨盤骨折等の重傷を与えたものである。被害者は辛うじてその生命をとり止めたけれどもその後遺症は重く、その健康を回復することは絶望とみられているのである。この種事犯に対する一般警戒のためにも、原判決の科刑は相当であつて、所論指摘の諸情状をすべて斟酌しても、これを被告人のため更に有利に変更すべき事由を見出し得ないのでこの点の論旨も採るを得ない。

ただ、前記法令違反の点について、本件控訴を理由ありと認め、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により自判するのであるが、原判決の認定した事実に法令を適用すると、原判示酒酔い運転禁止違反の所為は、道路交通法第一一八条第一項第二号第六五条同法施行令第二七条に、業務上過失傷害の点は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項に、救護措置義務違反の点は、道路交通法第七二条第一項前段第一一七条に、報告義務違反の点は、同法第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号に該当し、酒酔い運転禁止違反と業務上過失傷害罪とは一個の行為にして二個の罪名に触れる場合に該るから刑法第五四条第一項前段第一〇条により業務上過失傷害罪の刑に従い、これと救護措置義務違反および報告義務違反とは、刑法第四五条前段の併合罪であるから、業務上過失妨害罪について禁錮刑を、その余の罪について懲役刑を選択して、同法第四七条第一〇条により重い前者の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を禁錮一年四月に処する。

よつて、主文のとおり判決した。

(裁判官 兼平慶之助 斎藤孝次 関谷六郎)

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