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東京高等裁判所 昭和40年(行ケ)130号 判決

原告 奥村文治

被告 山田信子

主文

原告の請求は、棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は、「特許庁が、昭和四十年十月十二日、同庁昭和三七年審判第三二一号事件についてした審決は、取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、本案前の申立として、「原告の訴は、却下する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、本案につき、主文第一項同旨の判決を求めた。

第二請求の原因

原告は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和三十七年三月二十五日、被告が特許権者である特許第二三〇、五二三号「編機に於ける編糸緊張装置」(昭和三十年二月十一日特許出願、同三十二年三月二十九日登録)につき特許無効審判を請求し、同年審判第三二一号事件として審理されたが、昭和四十年十月十二日、「本件審判の請求は成り立たない」旨の審決があり、その謄本は、同年十月二十八日原告に送達された。

二  本件特許発明の要旨

摺動盤上の編針のバツトと衝突する位置に左右に少許移動できるように摺動板を設け、一端がこの摺動板と掛合した揺動板の他端を曲桿基部の小軸を貫通し、別に摺動盤の一部に開閉自在に設けた抑糸板の開閉を前記曲桿によつて掌らせ、摺動盤の往復運動の両終点近くで抑糸板を自動的に閉じて編糸の送込みを阻止すると共に、別に設けた弾性導糸桿によつて編糸の弛緩を吸収するようにしたことを特徴とする編機における編糸緊張装置。(別紙図面参照)

三  本件審決理由の要旨

本件審決は、本件特許発明の要旨を前項掲記のとおり認定したうえ、原告が本件特許発明の明細書及び図面に示す実施例の構造は、事実上実施不可能であるから、この点においても本件特許は無効とすべきものであると主張した点につき、「右実施例の装置は、その明細書に記載するとおりの作用効果を奏するものと認められ、仮に被請求人(被告)が右実施例と相違する構造のものを本件特許発明の装置であると称して製作販売している事実があつたとしても、その事実から右実施例に示す装置が実施不可能であるとすることはできないから、本件特許発明の明細書及び図面に示す実施例の構造が実施不可能であるという理由で本件特許を無効とすることはできない」としている。(なお、本件審決は、本件特許発明は、その目的、作用、効果等は、原告が、これより先、昭和二十五年六月十五日特許出願した発明内容と均等であるから無効とすべきものであるとした原告の主張も採用しなかつた。)

四  本件審決を取り消すべき事由

本件特許発明は、次の点において、実施不可能であり、旧特許法(大正十年法律第九十六号)第五十七条第一項第三号に該当し、無効とされるべきものであるにかかわらず、本件審決が、実施不可能と認めることはできないとしたのは、判断を誤つたものであり、違法として取り消されるべきである(これ以外の取消事由は主張しない。)。

(1)  本件特許発明においては、その明細書の発明の詳細なる説明によれば、本件装置は、編糸が最も弛緩する摺動盤の方向転換時期に編糸の送込みを阻止して、その弛みの吸収を完全にしたものである、とされているが、編糸の弛みを完全に吸収しようとするなれば、本件特許発明の弾性導糸杆23ではその目的を達しがたく、原告の発明にかかるマクラ(スラツシヤー)を取り付けなければ完全にその目的を達成することはできないものである。

(2)  本件特許発明は、明細書の記載から明確であるように、「糸の送込みを中断する構造を附加して、編糸の送込みを阻止して糸の弛みの吸収を完全にしようとした」ものであるが、この糸の送込みを中断するという構想自体絶対実施不可能な空想的着想である。何となれば、摺動板4はキヤリツジが左行する場合ニツテングカム/aの線と一致し、右行する場合2aの線と一致するので、摺動板4が左右に移動する距離は僅か四、五ミリ程度であるに対し、キヤリツジの移動速度は秒速約一米であるから、摺動板4の移動距離を移動する時間は、約千分の四秒ないし五秒であり、この時間糸の送込みを中断したところで、糸の張力の調整はおろか、何らの作用効果も期待できないことは理の当然とするところであるから、本件特許発明の特異点であるこの構想そのものが空想的考案にすぎない。

(3)  本件特許発明においては、手編機として必要な編糸の取替えがその構造上できないから、進歩した手編機、すなわち、フロートステツチを編成しうる機械(原告の発明にかかるものは、色模様の編成さえ可能な超高級家庭用メリヤス機械である。)に利用するテークアツパーとしては、利用価値が全くない。

(4)  本件特許発明のような、いわゆるテークアツパーは、機械の後方に位置するように取り付けなければ操作できないものであるが、本件特許発明においては、手編機とこれを操作する者との間に位置せしめる構造としているから、その実用化は絶対不可能である。

第三被告の答弁(陳述したものとみなされた答弁書の記載)

被告は本案前の抗弁として、本件特許はすでに登録取消の手続が完了し、原告主張の特許権は存在しないのであるから、本件審決は効力がなく、仮に何らかの効力があつたとしても、これを取り消すべき実益がないのであるから、本件訴は、訴の利益を欠く、と述べ、本案につき、本件特許の登録は、原告主張のような不法のものではない、と述べた。

第四証拠関係〈省略〉

理由

被告の本案前の抗弁について

被告は、本件特許はすでに登録取消の手続の完了により、現在において存在しないから、本件審決は効力がなく、そうでないとしても本件審決を取り消すべき実益がない旨主張するけれども、特許法施行法第二十五条第一項の規定によりなお効力を有する旧特許法第五十七条第三項の規定によると、特許権消滅後といえども該特許の無効審判をなしうることは明らかであるから、本件特許が被告主張のとおり登録取消により消滅したとしても、このことは本件審決に何らの影響を及ぼすいわれはないし、したがつてまた、本件審決を取り消すべき実益を失わしめるものとも解することはできない。したがつて、被告の本案前の抗弁は、採用することはできない。

本案について

その方式及び趣旨に徴し真正に成立したものと認むべき甲第一号証(本件特許公報)によれば、当業者において、本件特許発明の明細書及び図面に基づき、本件特許発明を実施することは、原告が本訴において指摘する諸点を考慮しても、なお必ずしもできないものではないと認められるから、本件特許をもつて、その明細書又は図面に必要な事項を記載せず、又は不必要な事項を記載してその実施を不能ないしは困難ならしめたものとすることはできない。

この点に関し、原告は、本件特許発明は、その明細書又は図面の記載から実施することは不可能であると主張して、前掲請求原因の項四の(1)から(4)の点を指摘するが、その主張は当を得たものということはできない。すなわち、

まず、前掲(1)の点についてみれば、前顕甲第一号証の「発明の詳細なる説明」の項には、「本発明の装置は編糸が最も弛緩する摺動盤の方向転換時期に編糸の送込みを阻止して、その弛みの吸収を完全にしたものであるから、編目を斉一に保つことができる特徴がある」旨記載されているが、厳格な意味でのその弛みを完全に吸収するような張力の微妙な調整をすることは、あるいは困難であるとしても、前顕甲第一号証により明らかな本件特許発明が手編機という比較的編目の大小の変化をさまで問題にすることのない編機に関するものであることを考慮すれば、本件特許発明の構造によりこの種編機において期待される一応の張力調整の作用を奏しうるものと認めるを相当とするから、他にこれを左右するに足る何らの証拠のない本件において、この点に関する原告の前示主張を理由があるものとすることはできない。

次に前掲(2)の点についてみるに、手編機におけるキヤリツジは手動によつて左右に摺動されるものであるが、キヤリツジの移動速度は常に一定不変ではなく、左右両端においては一旦停止し、そこでは糸の送込みも停止することは、その構造一般に徴し明らかなところであるから、キヤリツジの速度が左右両端及びその付近においても原告主張のとおりであるとみることはできないことは、また明らかなところである。したがつて、糸の送込みの速度が常時原告主張の高速度であることを前提とする原告の前示主張は、採用することはできない。

前掲(3)の点についてみるに、本件特許発明のものにおいては、糸の取替えができず、したがつて、異色の毛糸を使用して模様編みをすることができないとしても、そのことの故に、本件特許発明を実施不能とすることはできない。それは、それを実施した製品の利用価値の問題にしかすぎないからである。

前掲(4)の点についてみるに、従来の編機の操作の状態は、甲第七号証の第一、二図に示すようなものであるとしても、本件特許発明の実施品の使用状態が同第三図のごときものに限定されるとみることは妥当ではない。あるいは、導糸杆の支持杆21を同号証の第一図のように位置させることもできないではないであろう。したがつて、本件特許発明の図面に示された実施例においては、編糸の糸巻(導糸環24)と抑糸板18との関係位置を変えることができない構造となつているので、操作上若干の不便ありうるとしても、これをもつて、その操作、したがつて、特許発明の実施が不能であるとまで断定することはできないから、この点に関する原告の主張もまた採用しうべき限りではない。

(むすび)

三 叙上のとおりであるから、その主張の点において本件特許発明の実施が不能であることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由がないものといわざるをえない。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 杉山克彦 武居二郎)

(別紙図面省略)

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