大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京高等裁判所 昭和41年(行コ)8号 判決

控訴人 農林大臣

訴訟代理人 叶和夫 外三名

被控訴人 西村周三

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実

(申立)

一、控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

二、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

(主張、証拠)

当事者双方の主張、証拠の提出、認否等は、左記のほか、原判決の事実摘示に記載するとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人

1. 原判決一四枚目表(記録五二丁)三行目の「同様の」を、「前記土地の下渡しを目的とする」とあらためる。

2.〈以下証拠省略〉

理由

(争いのない事実)

一、原判決添付物件目録記載山林(以下「本件山林」という)および附近一帯が旧弘前藩の所領であつた頃、被控訴人の曽祖父である西村幸助が弘前藩から漆木の仕立方を命ぜられ、「旧藩漆仕立場所元帳」に「赤滝沢ヨリ上赤荷沢マデ」一万二、〇〇〇坪と表示された土地については安政二年(一八五五年)に漆木二、五〇〇本を、同元帳に池の平一万二、〇〇〇坪田茂ケ平一万二、〇〇〇坪と表示された土地についてはともに文久元年(一八六一年)にそれぞれ漆木五〇〇本および三〇〇本を植付けたこと、幸助が前記三カ所の土地について文久二年に割渡しを受けたこと、前記各土地が明治四年六月版籍奉還により国の所有に帰属したこと、幸助の相続人である西村久五郎が明治二八年四月八日に前記三カ所の土地についで、植付けた漆木が成木していたことを理由に、「漆仕立方遺漏編入願」を提出して前記各土地の民有下渡し方を申請したこと(ただし、この申請が「赤滝沢ヨリ上赤荷沢マデ」を目的とするものと、池の平、田茂ケ平を目的とするものとの二口のものとして申請されたかどうかについては争いがある)国有土地森林原野下戻法(以下「下戻法」という。)の施行により前記申請が下戻法に基づく申請とみなされ、明治政府が旧藩当時漆木を植付けて成木をみていた地域については下戻法による下戻の対象になるとの取扱をしていたこと、西村久五郎が明治三五年一〇月二日に前記土地の下渡しを目的とする再願書を提出したこと(ただしこれが二口のものとして提出されたかどうかについては争いがある)、明治三七年八月二四日に主務大臣(農商務大臣)から「明治二八年四月八日付申請漆仕立山下戻ノ件池ノ平ノ一筆ニ限リ聞届ク」との指令がなされたこと、控訴人が、久五郎からなされた明治二八年四月八日付の前記申請は一口のものであり、従つて明治三七年八月二四日付の前記指令によりすべて処分済であるとの見解をとり、今日に及んでいること、以上の事実は当事者間に争いがない。

(争点に対する判断)

二、西村久五郎が明治二八年四月八日付で池の平のほか田茂ケ平・赤滝沢より上赤沢までの三筆について下戻申請をしたことは当事者間に争いがないのであるが、この三筆に対する申請が一口として、すなわち一通の書面によりなされたか、それとも二口とし、すなわち二通の書面によりなされたかについて争いがあることは、前記のとおりである。すなわち、控訴人はこの申請は一通の書面によりなされたと主張(したがつて明治三七年八月二四日付の前記指令は池の平以外の二筆については不許可にしたものであると主張)するのに対し、被控訴人は、前記申請は池ノ平・田茂ケ平の二筆を一通に、赤滝沢より上赤荷沢までを一通に、計二通の書面によりなされたと主張(したがつて明治三七年の前記指令が池の平と同一の書面で申請された田茂ケ平を不許可とするものであることは理解できるが、これとは別個の書面で申請された赤滝沢より上赤荷沢までの一筆については未だ申請に対する処分がなされたとはいえないと主張)して争つているのである。

よつて、明治二八年四月八日付の前記申請が一通の書面によりなされたか、それとも二通の書面によりなされたかについて検討する。

1.当審における〈証拠省略〉の結果により成立を認める〈証拠省略〉によれば、喜良市村の明治三五年収受件名簿の人民願伺届書の部には、同年一〇月二日付で、西村久五郎からの漆仕立下戻申請に関する再願書が受理番号を五四四番および五四五番として受理されていることを認めることができる。これによれば、西村久五郎が明治三五年一〇月二日に前記の再願書二通を喜良市村に提出したことは明らかである。被控訴人は、この再願書の提出された時期が下戻法第一条に基づく下戻申請期限である明治三三年六月三〇日から二年余経過した時であることから考察すると、再願において本願(前記明治二八年四月八日付の申請をさす)以外の新たな地域についての申請を追加することは許されないから、再願の内容は本願の内容と同一であり、再願が二通でなされたことが明らかな本件では、本願も二通でなされたことが明白であると主張する。

しかしながら、〈証拠省略〉によれば、明治二八年四月八日付の本願書が提出された当時には、同二三年の農商務省訓令により下戻申請書の提出先は県知事とされ西村久五郎の提出した本願書も青森県に提出されていたが明治三二年四月一七日法律第九十九号国有土地森林原野下戻法が施行され同法施行前に県知事宛に申請されたものは同法第七条により同法による申請とみなされることになつたこと、青森県庁で明治二八年四月に本四〇号として受理された前記の本願書も下戻法の施行に伴い同三二年六月一二日に青森県知事から青森大林区署に引継がれたこと、下戻法の施行に伴なうこのような取扱の変更の結果、下戻申請書を県知事宛に提出すべきか大林区署宛に出すべきかについて国民の間に疑問を生じ、下戻申請書の中には同一内容の申請書を県知事宛と大林区署宛に何通も出した者もいること、西村周三が前記の〈証拠省略〉に再願書二通受理の記載があることを理由に本願書が二通であることを主張し、赤滝沢より上赤荷沢までの下戻申請につき審議されたい旨農林省山林局長に申し出たところ、昭和四年一二月一一日、山林局長は調査の結果青森営林局長に対し、再願書が二通提出された場合でも一通は農商務省(大林区署)一通は内務省(県知事)に提出されることもあるわけであるとして、再願書が二通あるからといつて本願書が二通あることにはならないと説明し、西村周三からの前記申出を採用できない旨通牒し、その頃この通牒の趣旨は西村周三にも通知されたこと、および前記の〈証拠省略〉は昭和三年頃になつて発見されたもので、その後西村周三をはじめ青森県選出の代議士らが同号証の記載を理由に本願書も二通であると主張して農商務省に対し申立をした結果、調査の後に前記山林局長の通牒が発せられたこと、以上の事実を認めることができ、これを覆すに足りる反証は存在しない。

前記認定の諸事実に、〈証拠省略〉を併せ考察すると、〈証拠省略〉に前記の再願書二通が受理されたとの記載があるからといつて、この事実から明治二八年四月八日付でなされた本件申請が二通の書面によりなされたことを認めることはできない。

2.当審における〈証拠省略〉には、「西村久五郎は明治二八年二月三日までは池ノ平・田茂ケ平・赤滝沢より上赤荷沢までの三筆について一通の申請書で出願してきたが、同二八年頃に青森県庁から下戻申請の目的物の面積が広いと許可になり難いからなるべく小口に分けて申請した方が得策であると内諭されたので、この内諭に従い同年二月三日付の申請書の返還を求め同年三月一〇日その返戻を受けた後、池ノ平・田茂ケ平の下戻申請を一通とし赤滝沢より上赤荷沢までの下戻申請を別の一通にしたため、同年四月八日に前記二通の申請書を提出して下戻を申請した」旨の記載、およびこれと同趣旨の供述がある。

しかし、前記の〈証拠省略〉は、前記谷村唯一郎の証言によれば弁護士である同証人が独自の立場で調査した結果作成したものではなく、西村周三の代理人である訴外長尾角左衛門および佐々木儀方から事情を聴取して作成したものであるところ、その際谷村弁護士も前記の〈証拠省略〉に再願書二通受理の記載がなされている点を重視し、これから推論して明治二八年四月八日付の前記申請は二通の書面によりなされたものと考えて前記〈証拠省略〉に前記のような記載をしたことが認められる。のみならず、前記〈証拠省略〉によれば、西村久五郎からなされた明治二八年二月三日付の下戻申請については、すでに前年の同二七年二月に「聞届ケ難キ旨」の結論が出されその旨申請人にも通知済であることを理由に、詮議の限りでないとして西村久五郎に返戻されたことを認めることができる。この事実によれば、明治二八年二月三日付の前記申請書は下戻申請の目的の範囲を小口にするために西村久五郎が自発的に取り下げたものではなく、また、前記の〈証拠省略〉に徴すれば、西村久五郎からの下戻申請については明治二六年までの再三にわたる実施調査の結果、「証拠不充分或ハ漆木無之等」の理由で、同二七年二月一五日すでに却下の結論が出ているというのであるから、採用される見込の全くない下戻申請について青森県庁が西村久五郎に対し小口で下戻申請をすれば得策であるとの示唆したなどとは、特段の事情について立証のない本件においては、認めることが困難である。

以上に考察したところに、前記の〈証拠省略〉を併せ考察すると、前記の〈証拠省略〉の結果等によつても、明治二八年四月八日付で西村久五郎からなされた申請が二通の書面によりなされた事実を認定することはできない。

3.前記の〈証拠省略〉および原審における被控訴本人尋問の結果中には、明治三七年八月二四日付の「漆仕立山下戻之件池ノ平ノ一筆ニ限リ聞届ク」旨の指令がなされた前年の明治三六年、係官が西村久五郎ら立会の下に現地調査を行つたが、その調査は池ノ平・田茂ケ平だけで打ち切られ、本件山林についてはその時にも同記指令の後にも現地調査はなされなかつた旨の記載および供述がある。そして、被控訴人は、この事実からみても、明治二八年四月八日付の本件申請は池ノ平・田茂ケ平を一通とし本件山林を別の一通とする二通の申請書によりなされたことが明らかであると主張する。

しかしながら、前記の〈証拠省略〉によれば農商務省山林局長嶋啓三郎、同中村勢之助が明治三六年に前記の三筆全部について現地調査をした事実を認めることができる。〈証拠省略〉が作成された経緯は前記認定のとおりであり、また、被控訴本人の前記供述は西村久五郎から聞いたことを内容とするものであつて、これらによつて、前記の認定を覆すことはできない。

よつて、これらの証拠によつても、本件申請が二通の申請書でなされたと認定することはできない。

4.そして、他に、本件申請が二通の書面によりなされたことを認めるに足りる証拠はない。

(結論)

三、以上のとおりであつて、明治二八年四月八日の下戻申請が池ノ平・田茂ケ平を目的とするものと本件山林を目的とするものとの二口に分れていたとする被控訴人の主張事実については、結局、立証がないことに帰する。

してみれば、これを前提とする被控訴人の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく、失当として棄却を免れない。

よつて、これと結論を異にする原判決を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 久利馨 三和田大士 栗山忍)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com