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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1772号 判決

控訴人

ミツミ電機株式会社

右代表者代表取締役

森部一

右訴訟代理人弁護士

河村貞二

被控訴人

藤原輝夫

被控訴人

鈴木志圖男

被控訴人

吉田和男

被控訴人

有坂正一

右四名訴訟代理人弁護士

斉藤展夫

仁藤峻一

盛岡暉道

竹中喜一

主文

原判決中被控訴人藤原輝夫、同鈴木志圖男の各申請を認容した部分を取消す。

被控訴人藤原輝夫、同鈴木志圖男の本件申請をいずれも却下する。

控訴人の被控訴人吉田和男、同有坂正一に対する本件各控訴を棄却する。

控訴人と被控訴人藤原輝夫、同鈴木志圖男との間に生じた訴訟費用は第一、二審を通じて右被控訴人らの負担とし、控訴人と被控訴人吉田和男、同有坂正一との間における控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  控訴人は、「原判決中被控訴人らの申請を認容した部分を取消す。被控訴人らの本件申請をいずれも却下する。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めた。

第二  当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決事実摘示中被控訴人ら関係部分のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の付加、訂正、削除

1  原判決五枚目裏末行、六枚目表六行目、七枚目表二行目、六行目、末行、同裏四行目から五行目にかけてそれぞれ「九月」とあるのを「七月」と改める。

2  同八枚目裏二行目、八行目、九枚目表三行目、七行目、同裏二行目から三行目にかけて、一〇行目、一〇枚目表五行目、末行から同裏一行目にかけて、六行目にそれぞれ「卒先」とあるのを「率先」と改める。

3  同一九枚目裏三行目の括弧内を「以下『第二組合』又は『新組合』という」と改める。

4  同二〇枚目裏一行目の「七一春闘」を「昭和四六年春の賃上げ等要求闘争(以下「七一春闘」又は「四六年春闘」という)と改める。

5  同二一枚目裏二行目の「賃上げ」の次に「要求」を加え、同五行目の「推め」を「押し進め」と改める。

6  同二二枚目表七行目の「難行」を「難航」と改め、同裏七行目の「窮之」を「窮乏」と改める。

7  同三二枚目裏一行目の「徹回」を「撤回」と改め、同三行目の「三月二〇日」を「三月三〇日」と改める。

8  同三五枚目裏八行目の「分折」を「分析」と改める。

9  同三六枚目表九行目の「別紙三」(二か所)を「本判決別紙一」と改める。

10  同三七枚目表七行目の「非陸」を「非難」と改める。

11  同四〇枚目裏四行目の「徹去」を「撤去」と改める。

12  同四三枚目表四行目の「徹回」を「撤回」と改める。

13  同五四枚目表四行目の「ビラ貼付はしなかったが」を削る。

14  同六七枚目表一行目の「調布」を「厚木」と改める。

15  同六八枚目裏四行目の「卓救室」を「卓球室」と改める。

16  同七〇枚目表末行の「三〇名」を「約三〇〇名」と改める。

17  同七六枚目表一〇行目の「宛各二名」を「二名宛」と改める。

18  同七九枚目表末行の「組員」を「組合」と改める。

19  同八一枚目裏四行目の「事実⑮」を「事件⑮」と改める。

20  同八六枚目裏八行目の「行違者」を「行為者」と改める。

21  同八七枚目表二行目の「東京都」の次に「地方」を加え、同裏六行目の「自働」を「自動」と改める。

22  同九九枚目表三行目の「ただ」から五行目の「り、」までを削る。

23  同一〇二枚目表三行目の「勤務給」を「職務給」と改める。

24(一)  同一一二枚目表三、四行目を次のとおり改める。

「(一)(1) 申請の理由1(一)の事実は認める。

(2) 同1(二)の内(1)ないし(3)及び(5)の事実は、次の各点を除いて認める。

(イ) 同(1)の内「厚木工場開発本部」とは、正しくは、「厚木工場にある本社機構の開発本部」である。

(ロ) 同(2)の内「組合の結成に参加するとともに組合の調布支部の結成にも参加し」との事実は知らない。

(ハ) 同3の内、被控訴人吉田が本採用となったのは、昭和四四年一〇月ではなく、同年六月であり、「組合の結成に参加し、組合が結成されるや執行委員に選任され」との点及び「調布支部が結成されるや同支部書記長に選任され」との点は知らない。

(二) 同(5)の内、被控訴人有坂が入社したのは昭和四四年一一月一〇日であり、「厚木工場開発本部」との点については右(イ)のとおりであり、「組合の結成に参加し、組合が結成されるや組合に加盟し」との点は知らない。

(3) 同2(一)の事実は認める。

(4) 同2(二)については、被控訴人ら及び原審申請人らに対する懲戒処分の理由たる具体的事実及びそれに対する就業規則の適用関係は本判決別紙二及び三に記載のとおりであり、各責任に関する情状は同四記載のとおりである。」

(二)  同裏五行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「会社は、昭和三六年六月から利益配分金制度を実施し、利益配分金、利益配分調整金という呼称を用いてきたが、それは、『みんなで働き、みんなで稼ぎ出した利益は、みんなで分けよう』という、利益をできるだけ従業員に還元する考え方に立つものであり、従業員の労働条件の可及的向上についての会社の積極的姿勢を示すものであって、被控訴人ら主張のような趣旨で右の呼称を用いていたものではない。また、一時金を年一回にしたのも、年二回支給の賞与の内の一回分を基本給に繰り入れたもので、会社は、従業員の労働条件の維持向上のための一連の積極的施策の一つとしてこれを行ったものである。」

(三)  同裏六行目の「会社」から一〇行目の「受けて」までを「会社に親睦団体であるミツミ会が存在して」と改め、同末行の末尾に続けて「ミツミ会は会社の組織の一つではない。」を加える。

25  同一一三枚目裏三行目から四行目にかけての「昭和四五年九月二六日に」を削り、同行の「こと」の次に「(結成の日は昭和四五年九月二四日である)」を加える。

26  同一一四枚目表五行目の「企てたこと」を「建てたこと(これは業務上の必要に基づく措置である)」と改め、同六行目の、「別紙五」を「原判決別紙五」に改め、同行の「要求項目」の次に「(ただし、字句、表現は正確にそのとおりではない)」を加え、同裏末行の「、会社」から一一五枚目表三行目の「こと」までを削る。

27  同一一五枚目表末行の「、会社」から同裏三行目の「発言し」までを削り、同七行目の「春闘要求に対する回答を拒否し」を削る。

28  同一一六枚目表五行目の「右回答」から同九行目の「回答したこと、」までを「回答できない旨及びその理由を文書をもって告げたことは認めるが、右文書の記載は『(1)同業他社の水準に近づけたいので、他社の状況を参考に決めたい。今春は厳しい状況下で業界の出足が遅れ、四月二四日前後でないと状況判断が困難であること。(2)付帯要求項目については、ベース・アップ総額とのかねあいで考えねばならない項目が多いので、本要求(ベース・アップ)と同時に回答します。以上の理由から、春闘要求に対する回答は四月二四日前後を目途に可能な限り早く回答するように努力します。……鈴木開発部長に対する一切の処分はいたしません。』というものであった。」と改め、同裏六行目の末尾に続けて「右斉藤及び嘉戸は、当時いずれも組合の中央委員であり、右の組合加入の勧誘は、当時の組合の方針に基づく組合活動として、右両名が勤務時間中に無断業務放棄をしてこれを行ったものであり、川村もまた服務中であったものである。」を加える。

29  同一一七枚目.表五行目の「認め」の次に「(ただし、ここにいう、『ピケッティング』とは、『多数の組合員らをもって正門の通路にあたる会社敷地一杯に重厚なスクラムを組んで会社敷地を占拠するとともに、通路を閉塞して非組合員及び外来者の出入り並びに製品、資材、部品等の搬出入を不能ならしめた行為』という趣旨においてこれを認めるものであり、以下においても同様である)」を加え、同九行目の「徹廃」を「撤廃」と改め、同末行の「、(ハ)の各」を削り、同行の「(ニ)」を「(ハ)」と改め、同裏五行目の「徹去」を「撤去」と改める。

30  同一一八枚目表四行目の「行った」の前に「、また新組合が半日ストライキをそぞだれ」を加え、同行の「認め」の次に「(ただし、ここにいう『時差ストライキ』とは『無通告による無差別の各職場におけるリレー式の集団業務放棄』という趣旨においてこれを認めるものであり、以下においても同様である)」を加え、同末行の「認め」の次に「(ただし、被控訴人らのいう『無期限重点部門ストライキ』とは、部門単位の職場をストライキの対象職場としたものではなく、それよりも小さな単位の職場あるいは職場の中の特定の範囲の組合員を対象とした部分的なストライキであるから、むしろ『重点部分ストライキ』というべきものであって、その趣旨においてこれを認めるものであり、以下においても同様である)」を加える。

31  同一一九枚目表四行目から五行目にかけての「週明け始業三〇分」を「調布工場において始業時刻から三〇分間の」と改め、八行目の「認め」の次に「(ただし、ここにいう『指名ストライキ』とは、通常指名ストライキと言われる程度のものではなく、職場の全部門にわたる約一〇〇名に近い者のストライキであって、その趣旨においてこれを認めるものであり、以下の『指名ストライキ』の中にも同様のものが多く存する。また、『時差部門ストライキ』もその実態は『部分スト』ないし『部分ストと称する無断業務放棄』であって、その趣旨においてこれを認めるものであり、以下においても同様である)」を加える。

32  同一二一枚目裏末行の「認め」の次に「(ただし、本社、調布工場においては、右ストライキは正確には『無通告による連続の業務放棄』であって、その趣旨においてこれを認めるものであり、同日以後のストライキには同様のものが多く存する)」を加える。

33  同一二二枚目表四行目の「徹去」を「撤去」と改める。

34  同一二五枚目裏九行目の「なしたこと」の次に「(ただし、回答の内容についての被控訴人らの主張はやや正確を欠き、例えば『争議責任者を処分する』と言ったのではなく、『争議において違法行為のあった者は処分する』と言ったのである)」を加える。

二  控訴人の主張

(原判決事実摘示中の控訴人の反論―原判決一二九枚目裏八行目から同一六二枚目裏五行目まで―の内、この主張と異なる部分は、この主張のとおり訂正されたものとする。)

被控訴人らに対する懲戒解雇処分(以下「本件解雇」という)は、組合が昭和四六年に行った賃上げ等要求闘争(四六年春闘)において、被控訴人らが、本判決別紙一「組合の違法な争議行為ないしは規律紊乱行為」(原判決別紙三をこのとおり改める)記載の各闘争行為(以下「本件闘争」ということがある)を指導、遂行し、あるいは現場において率先指導実行行為を行ったこと等を理由とするものであるところ、本件闘争は、いずれも労働組合の正当な争議行為の範囲をはるかに超える悪質、違法なもので、会社に甚大な損害を与えたものであるから、その指導、実行の中心となってこれに関与した被控訴人らに対し、会社がその規律維持のため懲戒解雇をもって臨んだことは当然のことであり、本件解雇は、正当であって、不当労働行為に当たらず、懲戒権の濫用にも当たらない。

1  本件解雇の正当性

(一) 四六年春闘における組合の違法な争議行為ないし規律紊乱行為

四六年春闘において、組合は、本件闘争(以下、その各行為については、本判決別紙一の各項目に付した①ないしの頭書番号によって「事件①」などという)を含む数々の違法行為ないし規律紊乱行為を多数の組合員をもって行ったが、その中でも本件闘争は、会社の再三にわたる事前又はその都度の口頭又は書面による厳重な抗議、警告、制止を無視し、集団をもって、会社の工場を一〇日間以上にわたり連続して占拠し、その門扉を組合の実力による支配下においてほしいままにこれを閉塞し、更に、門の前後に集団のスクラムを組んでその地域一帯を占拠して、会社の職制や非組合員等が就労のために入構しようとするのをその意に反して不能ならしめるとともに、製品、部品、資材、機械その他の諸物件の入出荷(そのための入構を含む)をも連日不能ならしめ、これらにより前後約一〇日間にわたって組合に属していない従業員による会社の操業そのものをも完全に不能ならしめたものであるのみならず、集団又は単独による暴力ないし暴行(例えば、保安業務を遂行している者に対する暴力)、会社の物件に対する破壊行為(例えば、会社の通勤用バスに対する潜行的な破壊行為)、会社の施設、物件に対する無断ビラ貼付とそれに名をかりた潜行的陰性の破壊行為(鉄製部分の塗装の剥離と鉄の下地の発錆)、会社施設に対する赤旗、プラカードの無断設置及び会社施設内の無断デモ、集会、その他の集団暴力(例えば、朝礼妨害、カメラ奪取による撮影妨害、立入禁止表示看板や張縄等の無断撤去による会社通告の破毀)等とこれらによる会社業務の妨害、ビラによる会社及び会社幹部に対する中傷誹謗等々を含むものであり、会社に対し、業務上重大なる支障と甚大な損害を与え、その名誉、信用をも傷つけたものであるから、それが正当な争議行為の限界を著しく超え、違法な闘争手段として会社の規律を紊乱するものであることは、その手段方法の観点から見ただけでも明らかであった。

(二) 右各行為に対する責任追及の必要性

会社が本件闘争を含む右各行為によって破壊された規律を回復し、その維持確立をはからなければならないことは当然であり、そのためには右各行為についての責任の所在を明らかにせざるを得ないところ、右各行為の悪質、違法の程度がきわめて高いことを考えると、これを指導、遂行し、あるいは現場において率先指導実行行為を行った者の責任はきわめて重大である。特に、組合は、前年の四五年年末賞与に関する闘争においても多くの違法争議行為を行ったが、それについては、労使双方にとって初めての経験でもあり、違法の程度、内容も四六年春闘時のものよりははるかに軽いものであったことから、会社は、今後の猛省に期待して警告のみにとどめ、そのかわり今後重ねてそのようなことがあれば、そのときは責任の所在を明らかにせざるを得ない旨述べておいたところであり、それにもかかわらず前記のような違法な争議行為ないし規律紊乱行為が行われたのであり、かかる面から見ても右各行為の指導、遂行等を行った者の責任は重大であった。したがって、会社としては、これらの者に対しその従業員としての責任を問わなければならなかった。

(三) 責任追及の経緯及び本件解雇

そこで、会社は右の責任を追及することとしたが、それに当たっては、関係者各自の反省を期待して、できるだけ処分の範囲をせばめ、処分の対象者は率先指導実行の衝に当たった者を中心とし、かつ処分の内容もできる限り配慮するとの方針のもとに、調布・厚木両工場から報告された組合の違法行為に関する資料に基づき、主として工場占拠、入構入出荷に対する阻止妨害行為を中心に、その手段方法の観点において違法性のある重要な闘争手段についてその率先指導実行行為を重点的に整理し、四六年春闘における違法争議行為ないし規律紊乱行為のうちから、重大かつ明白なものとして本件闘争を取りあげ、これを指導、遂行し、あるいは現場において率先指導実行行為を行ったことを理由として、被控訴人ら四名を含む一三名を処分対象者とし、その責任に関する情状に応じて、被控訴人ら、原審申請人小川猛夫、申請外小原昇の六名を懲戒解雇、原審申請人小美濃勝、同福島喜勝、同山崎芳広の三名を六か月の減給処分(一か月当たり基本給月額の一〇パーセント減額支給)、原審申請人山口実、申請外池内大明、同森田芳昭の三名を三か月の減給処分(内容は右と同じ)、申請外深井宗吉を一か月の減給処分(内容は右と同じ)とする本件処分をしたもので、被控訴人ら及び原審申請人らに対する懲戒処分の理由たる具体的事実並びにそれに対する就業規則の適用関係は、それぞれ本判決別紙二、三記載のとおりである。

また、被控訴人らに対する処分として懲戒解雇を選択した所以を明らかにする意味で、被控訴人ら及び原審申請人らの各責任に関する情状について述べると、本判決別紙四記載のとおりである。

(四) 以上のとおりであるから、本件解雇は、紊乱された規律の回復とその維持確立の観点において、懲戒の本旨に則した適切公平な正当なものであり、そこには不当労働行為意思を介在せしめ得べき余地も、懲戒権の濫用を云々されるべき余地も全く存しない。

2  被控訴人らの主張に対する反論

被控訴人らは、原審・当審を通じ、本件闘争の事件①ないしについて事実の存否自体を争うとともに、それに係る工場占拠、入出構・入出荷阻止妨害等の行為は正当な組合活動であること、仮に違法であるとしても、それは組合の行為であって従業員個人の行為ではないから、それにつき個々の従業員としての責任はないこと、本件処分は組合つぶしのための処分であって不当労働行為であること等を理由として、本件解雇を含む本件処分はいずれも無効である旨主張しているが、右事件①ないしの行為が行われ、それが違法の闘争手段であることは明らかであるとともに、組合の違法闘争手段、すなわち規律紊乱行為を企画、指導、遂行し、あるいはその実行行為に関与した者が、関与の仕方を通じて右違法闘争手段たる行為を行った者として従業員としての責任を負うべきことは当然であり、本件処分は、前記のとおり、規律の回復と維持確立という懲戒の本旨に則して業務上の必要のみに基づいてなされたもので、他意の介在する余地は存しないから、被控訴人らの右主張はいずれも失当というべきである。右主張は、自らの指導実行した悪質違法な闘争手段なり規律紊乱行為に目を蔽い、これに対する責任を糊塗、回避するための根拠なきいいがかり以外のものではない。

すなわち、被控訴人らは、四六年春闘について、会社がしかけたものであるとか、あるいはそこで会社が組合つぶしをはかったかの如く主張するが、右春闘についての組合の闘争指導とその遂行の実態を子細に見れば、それは、まさに昭和四六年初頭からの組合のきわめて高姿勢かつ実力闘争至上の方針のもとに周到に計画され、計画どおりに遂行された闘争であり、「組合つぶし」などということは、既にスト権確立の前から、組合員を実力闘争へとかりたてるための煽動の手段としていってきていた内容空虚な会社敵視の悪宣伝ないしは予め準備された実力闘争を責任転嫁するための口実にすぎない。

そこで、以下、被控訴人らの主張に対する反論として、四六年春闘における争議行為とその闘争指導の実態を明らかにするために、右争議行為の背景である右春闘に至るまでの会社の状況と右春闘の経過について、その要点を述べると次のとおりである。

(一) 四六年春闘に至るまでの会社の状況

(1) 組合結成前における労働条件及び労使関係

会社は、昭和三〇年一一月に設立されて以来、四五年中頃に至るまでは、拡大成長の経済環境の中で好況に恵まれ、比較的短期間のうちにきわめて急速な拡大発展を遂げてきたものであるが、従業員の労働条件については、経営基盤の許す限りできるだけ利益を従業員に還元することによってその維持向上をはかるという基本的姿勢のもとに、賃金につき、昭和三六年六月から利益配分金制度を実施するとともに、同四一年一月には、それまで年二回であった賞与(利益配分調整金)を年末だけの一回として夏季の賞与分はこれを基本給に組み入れること(これは、業績如何によって変動する賞与から、それの高い時期の確定額を毎月の基本給に組み入れることによって賃金の安定と向上をはかろうとするもので、これにより基本給は三〇パーセントの増額となり、その増額分は年間にして三・六か月分の賞与に当たる)、同四二年二月には「所得倍増五か年計画」(同年三月から毎年一五パーセントずつ増額して五年間で倍にするというもの)を実施する等の施策をとり、その結果、会社の賃金水準は、同四四年頃までは同業他社と比較して月収、年収ともにほぼ最高の水準を維持してきた。また、賃金以外の労働条件についても、労働時間の短縮につき、昭和四〇年から隔週五日制、同四四年からは最終目標を週四〇時間・五日制とする「時間短縮五か年計画」を実施し(ちなみに、電機業界における労働時間短縮は他産業に比べると早い方であり、大手各社は現在四〇時間制を実施しているが、会社も現に週四〇時間であり、遜色のない状態となっている)、更に、福利厚生の面においても、特に地方出身の女子従業員が多いということもあって、その生活環境の整備、充実に配慮するなど、積極的な努力を行ってきた。

一方、会社には昭和四五年七月に組合が結成されるまで労働組合はなく、右結成前においては、同三四年一一月に設立されたミツミ会(同会は、従業員相互間の意思疎通や親睦をはかると同時に、従業員と会社との間のパイプ役として従業員の生活向上をはかることを目的とするいわゆる親睦団体として設立されたものである)が、その発展的過程のなかで会員たる従業員の労働条件に関する意見希望、要求について会社との間のパイプ役をつとめてきた。そして、会社が好況で、従業員への還元源資が十分にあり、これを労働条件の維持向上のために還元するという会社本来の従業員に対する気持の物的実現が現実に可能であり得た当時においては、従業員も、自らの労働条件の維持向上については現状維持の態度に満足し、むしろ会社の方で積極的にその維持向上に取り組み、これを実現させてきたのであったが、その後、競争の激化による利益率の低下、拡大成長路線の我が国経済における需要の増勢に対処するための多額の設備投資とそのための内部蓄積の必要、更にはそれに加えて経済界一般の不況などから、労働条件の維持向上について従来のような状態で推移することが困難となってくるに及んで、従業員の中から労働組合結成の気運が生れ、昭和四五年七月二三日、厚木工場の従業員を主力として組合が結成され、続いて同年九月調布工場の従業員で組合に加入した者をもって組合の調布支部が設置されるに至り、更にその後調布工場の従業員等をもって組合とは別にミツミ電機新労働組合(新組合)が結成された。かくして、右各労働組合の結成に伴い、従業員の労働条件に関する事項についての労使関係は、以後、右各労働組合、特に組合との間で展開されることとなった。

(2) 組合結成後の状況

(イ) 昭和四五年夏季賞与問題

組合結成後、まず、昭和四五年夏季賞与に関する問題が起きた。これは、組合が、結成された直後の昭和四五年七月二九日の団体交渉(以下「団交」という)において、夏季賞与の支給を要求の一つに挙げ、夏休みの小遣いという形でなにがしか出してもらいたいといい出したのに端を発し、途中、会社は、一人一万円を限度として五か月間の均等返済の条件で貸し付けることを提案し、また、組合は、同年九月四日には、「二か月分プラスアルフア」を要求する旨文書で申し入れるなどして、団交、話合いが重ねられ、同年一〇月一九日、電機労連本部が間に入って話し合われた結果、「会社は、年末賞与について妥結額に一律五〇〇〇円を加算する。希望者には一律五〇〇〇円を無利息で貸し付ける(申込期間 一〇月二一日から一二月一五日まで、返済方法 年末賞与から一括控除)」旨の内容で話がまとまったものであるが、組合の右要求はもともと無理なものであった。すなわち、会社では、前述したように、既に昭和四一年以来、賞与一回分の基本給への組入れによる給与の向上と安定化がはかられ、これを前提として賞与は年末についてのみ支給するという給与体系がとられてきていたのであって、急に夏季賞与を要求されても、支給源資は予定されていないし、会社としては、給与体系全体に関する検討のうえに立ってこれを考えざるを得ないところであり、たとえ夏休みの小遣い程度とはいっても、にわかにこれを支給することは困難であった。これは、前記のまとまった内容を見ても、結局、会社が提案していたように貸付という方法で対処するところに落ち着かざるを得なくなっていることからも明らかであった。また、昭和四五年夏当時、会社をとりまく内外の客観的諸情勢なり将来の見とおしがきわめて深刻で厳しい状況にあったことは前に触れたとおりであり、組合も十二分にこれを承知していたのである。

(ロ) 昭和四五年年末賞与闘争

右の夏季賞与問題の決着がつくと、組合は、昭和四五年一〇月二四日、同年の年末賞与として「四・五か月分プラス二万円」を要求する旨申し入れた。当時、会社内外の客観的情勢はきわめて厳しく、現実に会社の業績が著しく低下して、昭和四六年一月の決算期には欠損の出るであろうことがほぼ明らかとなっており、資金繰りも著しく逼迫していた。かかる状況下において年末賞与をめぐる闘争が始まり、昭和四五年一一月六日の第一回から一三回に及ぶ団交を経て、同年一二月四日、「二か月分プラス一律二万円(二・四七か月分に相当)」で妥結をみるに至ったが、その間、組合は種々の争議行為を行った。もっとも、その闘争手段は、主に組合員の志気昂揚のためのハチマキ着用就労の闘争、社内外のデモ行進、構内における集会、会社施設に対する大量のビラの貼付といった方法が中心であり、ストライキも、調布工場で九波・三二時間、厚木工場で一一波・四二時間に及ぶものではあったが、それは、残業拒否や業務拒否を中心とするもので、入構とか入出荷に対する阻止行為は、僅かに一二月二日の厚木工場の正門におけるそれのみであり、右を通じて若干の業務妨害行為や規律紊乱行為はあったものの、それは四六年春闘の場合とは比べものにならない程度のものであった。組合の要求貫徹のための会社に対する圧力は、右のような闘争手段によるよりも、むしろ団交の場における集団暴力をもって会社の交渉員の自由を拘束し、これを通じて会社の交渉における自由意思の抑圧、否定をはかり、もって有利な回答を引き出すということに重点をおいたものであった。

なお、右の闘争における集団暴力などの規律紊乱行為については、組合結成後初めてのことでもあり、会社としては、組合の今後の反省を期待することとし、将来無反省に同様の規律紊乱行為を行えば、そのときには責任の所在を明らかにせざるを得ない旨表明してその反省を促すにとどめ、具体的処分は行わなかった。また、賃上げ等の交渉において、使用者側が回答を小出しにして何回も変えるということは、当時世間一般でよくみられるやり方であり、会社も、不馴れのため右の闘争においてこのやり方を見よう見まねで行ったのであるが、かかる方法は、その結果として、組合にいたずらに企業の実態にそぐわない期待感を助長せしめ、かえって、企業にとっても、ひいては従業員にとってもマイナスの結果を生ぜしめる危険をはらむものであり、将来慎重に検討すべきであるという反省をもたらした。

(二) 四六年春闘の経過

(1) はじめに

(イ) 会社の状況

昭和四六年当時、我が国の経済は、同四一年以来長期にわたって続いてきた好況が急転し、同四五年夏頃から急速に景気の退潮を示してきていた不況期に当たっており、経済成長率や国民経済生産性は急速に鈍化し、賃金コストの高騰、労働分配率の上昇など不況期特有の現象が現われてきた。そして、海外、特に我が国の主要な輸出先である米国の景気も下降しており、それに伴う輸出の鈍化等は、輸出比率の高い電機、自動車、繊維などの産業に大きな打撃を与え、特に、それまで成長産業の代表格であった電機産業は、米国におけるアンチダンピング法牴触問題に加え、国内での二重価格問題が消費者の不買運動に発展するという二重の打撃を受けて、極度の不振に陥った。このような内外の客観情勢と昭和四五年夏頃から急激に深刻化した電機業界の不況は、受注生産方式のパーツ・メーカーである会社に対しきわめて重大な打撃をもたらした。これに加えて、会社には、昭和四四年における売上げの対前年比の伸び率が一七〇パーセント以上という急激な売上げの増加に対処するため、企業規模を拡大したところ、前述のような客観情勢の急変により需要が同四五年よりも一一パーセントも下回る事態となって、右拡大のための設備投資が裏目に出たことや、それまで新製品の開発に約六〇億円の投資をしてきているにもかかわらず、一向に見るべき成果をあげ得ないで推移していること等の事情もあった。このようなことから、会社の業績は低下し、昭和四六年一月期の決算で、会社は、設立以来初めての赤字(それも、売上高が前年度の一七五億円から一五二億円に激減したため、六億九〇〇〇万円を超えるものであった)を余儀なくされるに至った。かくして、会社は、かかる事態に早急に対処し、昭和四六年を経営革新の年として体質の改善強化をはかるべく、年初(一月五日)に、経営陣の強化(メインバンクである三井銀行から二名を役員として招聘すること等)、適正規模への是正策(本社を調布工場へ移転して、本社の土地建物を売却すること等)などの施策を決定し、これを全従業員に発表してその理解と協力を求めた。

(ロ) 賃上げについての会社の態度

右のとおり設立以来初めての欠損を出し、かつ今後の見とおしも必ずしも楽観を許さない困難な状況のもとで会社は春の賃上げ時期を迎えたわけであるが、昭和四六年一月期における付加価値生産性は対前年比二九パーセントの大幅ダウンであり、労働分配率は前年の四四パーセント強から一挙に69.5パーセント膨張して異常な危険数字を示すに至っており(通常、六〇パーセントで既に危険信号といわれている)、企業の業績ないしはその経営基盤のみに則して考えた場合には、賃金増額の余地があり得ないことは明らかであった。しかし、物価の上昇や世間の水準とのバランス、更には従業員の生活の向上ということからすれば、いくら赤字だからといって賃上げをしないというわけにもいかず、会社は、その業績の発展のための従業員の積極的協力により賃上げ分を将来の企業努力によって吸収し得るという前提に立ち、かつそれを期待して、何とか世間の水準に近いものを出したいと考えた。また、賃上げ交渉における回答に当たっては、昭和四五年の年末賞与問題において会社の回答の仕方にまずいところがあり、かえって組合に過大の期待を抱かせ、遂に会社が窮地に追い込まれた、という経験に対する反省もあって、最初からかけひきのない最大限のものを慎重に決めたうえで提示することとし、そのためには、当然、、他社の回答状況をよく見きわめなければならなかった。かかる経緯と事情のもとにおける会社の誠意を示す回答の示し方として会社のいっていたのが、いわゆる「一発回答」であった。

(2) 一月下旬から四月一三日(スト権の確立)まで

組合及びその幹部等は、前述したようなきびしい客観情勢と会社の財政的基盤が窮状にひんしつつあることをよく承知していたが、昭和四五年の年末賞与闘争によって一応の闘争とそれについての指導を経験したこともあって、年が明けるや、一月下旬には、四六年春闘について「ストを含む強力な実力闘争」を進めるという実力闘争至上の高姿勢の方針を決定し、このときから、全面ピケ・ストによる完全封鎖を中核的手段として闘争を推進する意図のもとに、組織をあげて実力闘争への準備を着々と進めるとともに、会社が、経営刷新の方策に基づき、業務上必要な諸施策(本社敷地の売却とそれに伴う調布工場への移転、そのための同工場の余った面積を捻出する必要性とそれに基づく編成替、編成替にあたってのチューナ部門の厚木工場への集中、調布工場のVHFチューナ部門の厚木工場への職場ごとの移動とそれに伴う人事異動、関連会社四国ミツミの不振と同会社の切り離し、それに伴う同会社からの出向者の引きあげ、そのあとの穴埋めのための配置転換等)を実施しようとすることに対しても、その必要性を十分承知していながら、ことごとにこれに対する職場闘争と称する反対闘争、非協力闘争を指導、煽動して春闘への闘争意欲のもり上げをはかった。更には、停滞した研究開発部門の再建のために招聘され、昭和四六年三月に着任した鈴木部長が、職場の従業員との間の意思疎通、意見交換のためのフリートーキングの場で意見を述べると、その中に加わっていた被控訴人有坂がことさらにこれを歪曲して悪宣伝を始め、組合もこれを取りあげて中傷誹謗の内容等をもって大々的に鈴木部長に対する攻撃を続け、春闘の気勢をあおったのである。

そして、組合は、前述のように窮状の極にあって早期回答のきわめて困難な状況におかれている会社の実情をよく承知のうえで、二月二七日には合同執行委員会において春闘要求内容を決定し、三月一二日の団交において要求を提出し、三月二九日を回答日と指定するという、あえて異例の早期要求、早期回答日の指定を行い、これに対して会社が初めから回答期日の見とおしを明らかにしてその事情をもよく説明してきているにもかかわらず、組合員等に対しては、そのような会社の態度を一切伏せたまま、かえって、三月一五日には、会社が回答を出すのが無理な期間に七回もの交渉日を指定し一括して団交の申入れをして、会社の回答拒否の外形をつくり出すことをはかるなどして、あたかも会社が回答期日の目途すら示さずいたずらに回答を引きのばしているかの如く全く事実に反する宣伝を行って、会社に対する反感、不満、反抗心、、不安感をいやがうえにもあおり続け、四月一三日のスト権確立の投票日に向けてたくみな教宣を行い、遂に同日スト権を確立し組合の執行部は、「賃上要求に対する満額回答の獲得」と「鈴木部長解雇の要求」の二つについての闘争の一切の企画、決定、指令、指導、遂行に関する権限を掌握するに至ったのである。

(3) 四月一四日(スト権確立の翌日)から五月一八日(新組合との妥結)まで

組合は、スト権の確立により執行部において闘争手段についての一切の指揮権限を掌握するや、早速、幹部等の就業時間中の組合活動のための時間を確保すべく、連日指名ストライキの名目で無許可業務放棄を行い、まず第一の闘争目標を四月二三日の電機労連の統一闘争日にスケジュール闘争を行うことにおいた。そのため、組合は、会社が四月八日に「回答は四月二四日前後を目途に行いたい」旨などを文書で述べて、回答時期の目途とその理由を明らかにし、その後同月一四日にも右同様回答時期の目途を文書で明らかにしているにもかかわらず、これを組合員一般には一切知らせず、会社は一向に回答しようとしないとか、ただ単に引きのばしを策しているなどと事実に反することを教宣してあおり続け、会社の示した回答日の前日であり、予定したスケジュール闘争の当日である同月二三日の朝になって初めて、会社が同月二四日に回答する旨述べているということを組合員に告げたのである。しかも、組合執行部は、組合内部においても、既に四月五日の時点で、またその後も、実力闘争は会社の回答をまって考えてはどうかという意見・批判があったにもかかわらず、あえてこれを押し切って同月二三日に回答前のストライキを行ったのである。

そして、四月二四日、会社は最大限の誠意ある回答を示したが、組合はこれを不満として、同月二六日全面ストライキを行うとともに、翌二七日までに組合の要求する満額回答のない限りは今後如何なる事態になろうともその責任はあげて会社にある、という脅迫的通告をなし、同日の合同執行委員会においては、「今後の闘争方針として組合員の賃金カットによる打撃を最少にし会社ダメージを大きくして会社に譲歩させるため重点部門ストライキを行う」という強力な闘争方針を決定し、右同日以降、全面ストライキ、全面無断業務放棄、無通告によるリレー式の集団業務放棄、指名ストライキを連日反復して行い、同月二九日以降調布工場においては無期限重点部分ストライキを継続するに至り(これらの闘争手段は、五月二二日、つまり全面ストライキに入る前まで続けられた)、会社の調布、厚木両工場の生産工程を四月二七日以降麻痺混乱の状態におとしいれ、窮状にあった会社に重大な打撃を与えた。

かくして、会社は、四月末頃からその操業態勢における合理性の基調を喪失しつつあり、組合の闘争手段に対処してこれを維持防衛するためにはもはやロックアウトを命ずるほかはない事態となっていたが、息もつかせぬ組合の悪質巧妙な闘争手段と会社の勉強不足のゆえにそれもなし得ないまま推移したところ、組合は、五月六日の合同執行委員会において、「当初の予定を変え、長期決戦でゆく。電機労連が妥結した後も闘い抜くことを職場で確認する」等を決定し、ロックアウトをうたれた場合の対策についても考えるべし、などとして会社のロックアウトを予想した闘争手段をも考慮するとともに、職場における職場団交と称する集団の業務放棄と集団による職制に対する吊し上げ、強要による規律紊乱行為(組合のいわゆる「職場闘争」)を連日にわたって展開し、五月七日には、調布・厚木両工場における会社施設に対する破壊活動を伴う大々的なビラ貼付行為、同月一〇日以降は、厚木工場の加工センターと開発センターに対する重点部分ストライキ、同月一一日からは、右両工場における工場全域を対象とした本格的リレー式ストライキ等を強行し、両工場の操業をいよいよ混乱させ、麻痺させた。

そして、組合は、五月一五日の合同執行委員会において、今後の闘争方針として、「五月一九日の団交において誠意ある回答(組合のいう『誠意ある回答』というのは、『満額回答』のことである)が出されなかった場合には、一九日昼より二四時間、四八時間を辞さない全面ストライキに入る。そして更には生産不可能な徹底した拠点ストライキ、部門ストライキに入る。」というきわめて高姿勢かつ強力な実力闘争の方針を決定した。

なお、右のような組合の闘争経過の中で、五月一八日、新組合とは会社回答の線で妥結した。

(4) 五月一九日から六月四日(集団暴力による工場占拠・阻止闘争の中止)まで

(イ) 五月一九日、組合の同月一七日の申入れによる第一一回団交が行われたところ、会社において、右申入れの際組合が付した条件、すなわち時間の制限なしに団交を行うということについてはこれに応じられない旨を明らかにしていたにもかかわらず、組合は、右団交において、予め周到に準備したところに基づき、前年の年末賞与闘争の場合におけるのと同様、集団暴力をもって会社側交渉員の事由を拘束して交渉継続を強要し、それを通じて自己の要求を達成しようとした。すなわち、組合は、五月一九日、ストライキによって多数の者を業務放棄させたうえ、集団で本社の団交現場へ押しかけさせ、会社の制止を押しきって建物内へなだれ込ませて廊下に集団ですわり込ませるなどして、会社側交渉員の行動の自由を拘束し、もって自己の要求を通そうとはかった。そして、組合は、会社がかかる圧力に屈しないとみるや、前記五月一五日の合同執行委員会の決定(ちなみに、組合の闘争については本部の執行委員会が厚木工場の闘争を、調布支部の執行委員会が調布の闘争をそれぞれ指導するとともに両者が合同執行委員会を構成して、両者の闘争内容を打ち合わせ決定していたものである)に基づき既定の強力な闘争手段に訴えることとし、同月二〇日以降、工場占拠・入構・入出荷阻止という本格的な集団暴力による阻止を闘争手段の中軸として悪質かつ巧妙な闘争へと突入した。

そして、組合は、五月二〇日、調布・厚木両工場で集団スクラムによる入構阻止を行うとともに、同日の合同執行委員会において、二二日以降の闘争方針として二四日、二五日、二七日、二八日に「全面ピケッティングスト」(「集団による完全な阻止闘争」を意味する)を行うことを決定し、二二日には、被控訴人鈴木(調布支部長)において「五月二四日以降本格的に集団のピケッティングによる阻止行為を伴うストライキを行うこと」を執行部方針として組合員に公表したりしたうえ、二三日夜から調布支部執行委員らの指揮のもとに調布工場内への不法侵入や泊込みを行って工場を占拠し、翌二四日早朝以降の阻止態勢の確保に備えた。

かくして、組合は、調布工場においては、二三日夜以降六月四日まで、無通告による無期限の全面業務放棄を続け、昼夜を分かたず集団による工場占拠とそれをベースとしたスクラムやピケッティングによる入構・入出荷阻止ないしは阻止妨害態勢を維持堅持し、厚木工場においては、二四日の夜から連日泊込みをし、同日早朝から無期限全面ストライキに入り、六月四日まで昼夜を分かたず阻止態勢と工場の占拠を続けた。

(ロ) ところで、五月二三日午後九時三〇分頃、既に右のような不法侵入、泊込み、不法占拠の態勢をとり終わった後、被控訴人藤原(執行委員長)は、福島書記長、小美濃調布支部副支部長、荒井調布支部執行委員とともに、何の事前連絡もなしにいきなり、控訴人代表者森部一(以下、単に「社長」という)の自宅を訪れ、事態収拾のためといって面会を求めたので、社長がこれに応じて同人らと会い、会社の実情と賃上げについての考え方をるる説明して理解と協力を求めた。被控訴人らは、右の際、社長が「一〇〇日戦争をしても闘う」とか「組合の無条件降伏あるのみだ」などと述べた旨主張するが、それは事実に反する歪曲であり、社長はそのようには言っていない。すなわち、社長は、その説明と理解・協力方の要請にもかかわらず、被控訴人藤原が「上積みしてもらいたい、そうでないと話にならない、せっかく事態の収拾をはかろうとしてわざわざ話にきたのにこれではどうしようもない、全く不満だ」などと執拗に譲歩を求め、「会社がそのような態度なら闘わざるを得ない」というので「これだけ事情を話しても理解と協力が得られず、あくまでも譲歩せよ、そうでないと闘うというのであれば、会社としても残念だがいたしかたない。受けて立たざるを得ない。」ということを明らかにして話を終えたのである。ちなみに、もし被控訴人らがいうような発言を社長がしたのであれば、組合は早速これをビラで宣伝しているはずであるが、そのような事実を示すものは何一つないのである。

次に、五月二六日、被控訴人藤原は、調布工場の水野副工場長(会社側の団交出席者の一人であるが、もと厚木工場にある本社機構の開発センター長として右藤原の上司であった)に対し、非公式に、「事態収拾のため解決の糸口を見出したいが、何とか骨を折ってもらえないか」との相談をもちかけた。そこで、これに基づき、翌二七日、会社の団交出席メンバーの中の一部の者が組合幹部と会って非公式に話をきく機会をもったが、その際、被控訴人藤原は、「賃上げという名目ではなく食事手当として一〇〇〇円を支給するということにでもしてもらえないか」と述べ、会社側の者は、無理であろうが、社長の意向もきいてよく検討して返事をする旨述べた。

しかし、右要求について、社長、団交委員、人事部長において協議検討したところ、食事手当については、電機労連に加入している同業他社でこれを支給しているのは約半数にすぎず、しかも支給額は平均五〇〇円ないし六〇〇円程度であり、その他は会社と同じように一日当たりの食事補助(三〇円ないし五〇円)の形をとっており、また、会社の給与水準がモデル賃金の比較で、同業他社よりも約一〇パーセントほど高率であるうえ、会社の給与体系との関係からみても、右要求を受け入れるわけにはいかない、という結論となり、翌二八日、被控訴人藤原にその旨を回答した。

更に、同日被控訴人藤原は社長との面談を申入れ、これに応じて、二九日、会社から社長と原口副社長、組合から被控訴人藤原、福島書記長らがそれぞれ出席して話し合われたが、組合側は、具体的な案を示すことなく、会社は譲歩する気持はないのか、譲歩すべきだ、というのみで、これに対し原口副社長において、「会社としては、先の回答で最大限度の回答をしているのであるから、不本意ながら賃上げの上のせをすることはできない状況にあるが、会社としても現在最悪の事態に立ち至っており、このままではつぶれてしまうかもしれないところへきているので、事態の収拾を考えざるを得ないとは考えているが、それにしても、組合の入構阻止、入出荷阻止、工場占拠など悪質違法の闘争手段をバックにした要求に応ずるとすれば、このやり方でよかったのだ、この方法で闘えばとれるのだ、ということになり、それでは、会社の規律維持や今後の労使関係を考えた場合には大きな問題が残るので、組合がそのような闘争のやり方を変えて、まず違法な闘争手段をやめることが先決だ。会社の譲歩はそれから検討すべき問題である。」との考えを明らかにしたところ、組合側は「現在の闘争方針を変更する気持は全くない」ということであったために、この日の話合いは進展をみないまま終わった。なお、社長からは、組合が会社に対して、ただ単に譲歩する気持はないのかとか、譲歩せよ、というような抽象的ないい方で譲歩を迫っても、会社は、譲歩できないというほかないので、組合としても収拾可能の具体策をよく考え直して出てきてもらいたい、そのうえで明日藤原委員長と話し合うことにしたい、旨を述べた。

五月三〇日、社長と被控訴人藤原とが、前日の非公式の話合いの続きとして、二人だけで話合いの機会をもったところ、右藤原は、組合の要求として、「(1)九六〇〇円の一時金を出し、これを毎月給与で八〇〇円ずつ一二か月間支給する。そして、四七年の賃上げに八〇〇円底上げすること。(2)中間採用者の賃金是正をモデル賃金の八五パーセントとすること。(3)一年以上勤務者に対し有給休暇一〇日を付与すること。」を示したので、社長は、検討のうえ団交の席で回答する旨述べた。

翌三一日、団交が行われ、会社側は、前日社長に対して示された組合の要求につき、「(1)三六条協定は、前年どおりむこう一年間の期間について締結すること、及び(2)争議協定について会社提案どおり締結すること、の二点を前提として、中間採用者の賃金をモデル賃金の八〇パーセントまで是正することとするが、他の二つの要求はとても受け入れられない」と回答し、同時に、今回の争議行為において違法行為のあった幹部については規律維持のために処分をせざるを得ない旨を明らかにしたところ(なお、これについては、前日の社長と被控訴人藤原との話合いの際、同人が、今回の責任追及をしない旨の約束をしてほしいといい出したのに対し、社長は、そのような約束はできないと答えていたところであった)、組合側の出席者は、いっせいに席を立ってしまったため、団交は一〇分くらいで決裂した。

(ハ) 会社は、五月二三日の夜以降における組合の昼夜を問わぬ工場占拠と集団の暴力による阻止妨害態勢及び二四日以降連日の入構・入出荷に対する阻止妨害行為による全操業の停止(得意先に対する製品の納入不能を含む)という重大な事態に鑑み、会社の破滅を回避するための企業防衛の観点から、組合の違法な阻止妨害行為と不法占拠については早急に法的救済の措置をとることとする一方、会社の体力を維持し、損害を多少なりともくい止め、かついくらかでもその対外信用の維持回復につとめるための方策として、五月二七日から非組合員のうち工場外で暫定的な操業態勢に組み入れることのできる約四〇〇名をもって、組合の工場占拠と阻止妨害態勢が解かれればいつでも調布工場において操業をなし得るような体制を維持しながら、暫定的に、本社社屋の一部とか、関連会社であるミツミ精工(府中)、九州ミツミ株式会社(福岡)や、外注工場である第一製作所(日野)、あかね通信機(調布)等の工場の一部を借用するなどして仕事をすることとせざるを得なかった。

そして、右のように、会社としては、企業防衛のためには職制以下非組合員等の団結強化のうえに立って会社のなし得る対応策に全力をあげるほかなかったことから、社長は、二七日、そのための職制の団結を確認する趣旨で、各職制に団結を要請し、誓約書に署名を求めたところ、各職制はこれに応じた。

次いで、会社は、五月三一日、組合の工場不法占拠、入構・入出荷阻止妨害行為について、東京地方裁判所に妨害排除仮処分命令を申請した(同裁判所昭和四六年(ヨ)第二二八八号)。

六月一日、会社は、五月二四日以降完全に工場の管理権限を奪われ、入構・入出荷阻止によって企業活動は一切麻痺状態に追い込まれ、長期にわたる納期遅延に対するペナルティー要求、他社購入への切換、二社購買への切換、類似製品の他社への開発依頼、取引継続についての不信増大、注文取消、サンプル提供の遅れによる売買契約不成立、等の問題が累積してきつつあり、この頃には一日でも早く何とかして製品を出荷しなければならない緊迫した事態となっていたので、職制ら約二〇〇名をもって、何とかして製品の搬出を行うべく、裏門のピケの手薄に乗じて門を乗り越え、門扉を内側から開放して入構し、組合が緊急動員をかけて強力な阻止態勢をとるまでの僅かの時間に、組合員等の阻止妨害にあいつつもようやく製品の一部を搬出した。そして、会社は、右の措置について文書をもって全従業員にその事情を明らかにした。

(5) 六月五日から七月二日(組合との春闘の妥結)まで

組合は、五月二四日以降連日工場占拠と入出構・入出荷阻止妨害行為を続けてきたが、前記仮処分申請事件の審尋期日である六月五日、それまでの阻止態勢を急きょ変更して、本社、調布工場における阻止妨害を中止し、同月七日には、それまでの無通告全面業務放棄をもやめて就労する旨を明らかにしたので、会社もこれを認めた。ところが、組合は、一方では、六月五日以降それまで以上の多数の赤旗を調布工場の正門門扉に乱立設置するとともに、同月八日、九日の両日には同工場の重要職場について部分ストを行い、また、七月二日の妥結の日に至るまで、連日指名スト(組合幹部等の就業時間中における組合活動のための業務放棄)を抜き打ち的に行った。

右の間、会社・組合間において団交や事務折衝が重ねられた結果、ようやく七月二日賃金改訂と付帯要求について妥結の運びとなり、協定書の調印が行われ、ここに四六年春闘が終了した。もっとも、右妥結の前提として協定を成立させるべく折衝されてきたもののうち、三六条協定は七月六日に成文化をみたが、争議協定については、組合が争議中の賃金を二〇パーセント保障すべき旨の協定の同時締結を要求し(会社は、争議中の賃金に関しては、争議協定とは別にあとで話し合いたいと主張した)、その点がいれられないのであれば争議協定はしないといい出し、既に合意をみていた予告時間に関する争議協定そのものをも協定できないとしたため、遂に成文化に至らなかった。

二  被控訴人らの主張

被控訴人らに対する懲戒解雇を含む本件処分は、その大部分が組合の四六年春闘における争議行為中の個々の行為を本件闘争として取りあげ、これを違法視してその指導あるいは実行責任を問うものであるが、それは、一貫した労働組合敵視の態度を背景とする会社の反組合的労務政策、組合つぶし政策を直接の動機とし、右政策の重要な一環として、本件闘争に係る事件①ないしの各事実につき、存在しない事実を存在する事実とし、また存在する事実については不当に誇大化した事実としてとらえ、組合を壊滅させる意図のもとにこれを行ったものであり、不当労働行為であるとともに、懲戒権の濫用として無効といわなければならない。

1  組合結成前における会社の労務政策

会社は、組合が結成されるまで完全に会社の組織であるミツミ会をもって、同会が労働組合に代わってその役割を果たすものであり、労働者の権利はこの組織を通して守られると宣伝するなどして、同会を使って労働者を支配するとともに、賃金につき偽瞞に満ちた利益配分金制度なるものをとり、これらによって労働者の不満を抑え、低賃金と劣悪な労働条件とを強制して、驚異的な高度成長を遂げてきた。そして、昭和四四年頃から、会社の意のままに動くミツミ会の体質を改善し、これを労働条件の向上等のために活動する組織に改革しようとする動きが表面化すると、会社は、ことごとくにこれを弾圧、妨害し、また、労働者が、ミツミ会をどのように改善しても労働組合ではないために労働者の利益を守るについて一定の限界があることを自覚し、労働組合を結成する方向に前進すると、今度はその結成を妨害したのである。

2  組合結成後四六年春闘に至るまでの会社の姿勢

会社の妨害にもかかわらず組合が結成され、労働条件等改善のための活動を始め、昭和四五年年末賞与に関する闘争においては、会社をして第五次回答まで出させる成果を挙げ、これを指導した組合の威信が高まると、会社は、かかる事態に対する巻き返しとして、同年一二月一七日、年末賞与の支給日に、厚木工場において全従業員を集め、「来年からは一発回答でいく」という一発回答宣言を行い、組合は成果をもたらさず、組合があってもなくても同じであると従業員に思わせようとするなど、組合破滅、組合つぶしの意図をあらわにした。

3  四六年春闘について

四六年春闘において、会社は、一発回答を軸に組合の活動に対する妨害と挑発を繰り返し、争議をまともに解決しようとせず、長期化させて組合の疲弊をはかり、組織の切崩しを策し、もって、組合結成後最初の春闘で組合を壊滅しようとした。その概要を述べると次のとおりである。

(一) 五月二四日の全面スト・ピケ闘争に至るまでの状況

(1) 組合は、春闘に対する取り組みを早めて、二月一日から春闘要求についての討議を開始したところ、会社は、右の討議の最中である同月二三日、調布工場VHF製造部の配置転換、合理化案(合理的理由を見出し難いものであった)を組合に提案し、組合がこれと取り組んで闘わざるを得なくさせた。かかる事態は、組合が春闘要求討議を進めるについて大きな困難を生じさせた。ところが、会社は、三月一八日にようやく右の問題が解決すると、同日、今度は調布工場バリコン製造部の従業員を同工場抵抗器製造部へ配転すること(これも右同様合理的理由のないものであった)を発表し、組合をしてこれにも取り組ざるを得なくした。

(2) 三月二三日、厚木工場の鈴木章一開発センター企画部長による組合敵視の発言の問題が発生し、組合が右鈴木の責任を明らかにすることを要求したのに対し、会社は、その後の団交において発言の不穏当であることは認めたもの、同人に対する責任追及は行わないと言明し、これを庇護する態度に終始した。

(3) 会社は、組合の賃上げ要求に対する回答を引きのばすとともに、組合が、このような会社の態度に対する抗議と早期に回答を引き出すことを目的として、四月二三日の電機労連の統一ストに合わせて半日ストを行うこととすると、わざわざその前日の二二日に掲示板などに同月二四日最終回答をする旨のポスターを貼り出して大げさな宣伝をした。これは、最初の回答を最終回答としているもので、会社が初めから団交で話合いをしようとする態度を全くもっていなかったことを示していると同時に、前記半日ストの足並みを乱そうとしたものであった。

(4) 四月二四日、会社は回答を示したが、それは組合の要求から大きくかけ離れた挑発的なまでに低額なものであり、しかも、会社は団交で、これが最終回答であって上積み回答は絶対にしない旨表明した。そこで、組合は、ストライキで闘う方針を決定し、新組合とともに、四月二八日及び三〇日の二回、半日ストライキを統一して行った。しかし、会社の態度は全く変わらず、一発回答こそ最も誠意のあるものであると宣伝したり、厚木工場におけるバス送迎協定を一方的に破棄するなどの挑発を重ねた。

(5) 五月に入ると新組合の後退姿勢が明らかとなり、これに合わせて、会社は、同月八日以降連日ロックアウトを行う可能性があることを公然とほのめかした。それまでに組合が行ったストライキは、半日ストライキが四波、三〇分ストライキが二波、その他厚木工場を中心とした全日ないし半日の重点部門ストライキないし時差ストライキが六波、であるにすぎなかったにもかかわらず、会社はロックアウトの宣伝をして組合側を威圧しようとしたのであるが、組合は、会社の首脳陣に三井三池のロックアウト争議を行った三井銀行から派遣された者(篠原副社長、塩田取締役)が加わったことからも、右の宣伝を単なる脅しとは考えず、これに対処する闘争方法の検討を行うこととした。

(6) その後、会社は新組合との間で妥結が成るや、五月一九日、組合との団交が開始されると同時に、職場で職制において一斉に前日新組合と妥結した旨記載したビラを配布するとともに、新組合員らに賃上げ分を支払う旨の社内放送を繰り返し、組合員に対するゆさぶり攻撃を行った。そして会社は、右団交以後五月三一日まで団交を拒否し続けた。

(7) 組合は、五月一九日から三六時間のストライキに入ったが会社は強硬な態度をとり続け、全く第二次回答を出そうとしないばかりか、前記のとおり団交そのものを拒否するに至った。しかも、組合は、新組合の妥結により孤立させられたのである。そこで組合は、かかる追い込まれた状況を打破するために五月二四日以降全面ストライキを行うことを計画した。一方、会社は、同月二二日、社外生産体制をつくることを決定し、同日夕刻から製品類、部品、治工具類等の搬出を開始するとともに、職制にいわゆる連判状に署名させて、会社の統率に従う旨を誓わせた。これらは、会社が自らの強硬方針により組合を全面ストライキを行わざるを得ないように追い込んだうえで、全面ストライキが行われても会社の受ける打撃を最小限に抑え、組合と徹底的に対決する体制をつくるための措置であり、組合にロックアウトが近いものと思わせた。会社がこのような万全の体制を整えたのに対し、組合は、なお全面ストライキを回避するために妥協線を求めるべく、いわゆるトップ交渉を申し入れ、これが実現したが、その際、社長は「歩みよる気持は全くない、一〇〇日戦争をしても闘う、組合の無条件降伏あるのみ」と述べ、全く妥協する姿勢を示さなかった。

(二) 五月二四日以降の全面スト・ピケ闘争

(1) (一)で述べた経過から明らかなとおり、会社は、組合を労使関係上対等に取り扱おうとする姿勢を全くもっておらず、団交における話合いを拒否し、一方的な回答を押しつける組合否認の態度に終始した。組合としては、会社の一発回答に固執する意思がきわめて強く、しかも団交拒否の態度に出ていることから闘争戦術を強める必要があり、そのために全面ストライキを計画したのであるが、既に新組合は妥結しており、右のストライキをただ行っても職制や新組合員、非組合員が就労しようとすることは必至であり、そうなれば事実上スト破りが行われてストライキの効果が滅殺され、一発回答を押しつけようとする会社の方針を打破することができないことは明白であった。殊に会社は、春闘前から一発回答を押しつけるという方針を宣言し、これを貫徹してきたのであり、組合を無視し、会社の意のままに賃金その他の労働条件を決めようとする姿勢が露骨であったから、組合にとって、もし組合がそのまま一発回答に押し切られれば、組合の存在意義が問われ、組織が切り崩され、壊滅に至るという危機的状況であった。しかも、会社は、全面ストライキに先き立って前記のとおり社外生産態勢をつくり始め、今にもロックアウトが行われるという情勢であった。かかる経過と状況のもとにおいては、組合の組織状況(当時、調布工場では、組合員約一一〇〇名、新組合員三〇〇名、非組合員及び職制約六〇〇名であり、厚木工場では、新組合員はなく、組合員約一一〇〇名に対し、非組合員及び職制が約一〇〇名であった)から見て、特に調布工場については、組合が単にストライキを行い、ウォーク・アウトしただけでは、会社は、新組合員、非組合員、職制を就労させて操業を継続することができることは明らかであり、そうなれば、会社が操業低下による打撃を余り受けないというにとどまらず、かえって操業の継続による組合員の動揺と不安は高まり、組織が切り崩される事態となることは明白であった。これに加えて、ストライキによる賃金カットにより組合の受ける経済的打撃は増大し、労使の力の不均衡は拡大してしまう。そこで、組合は、全面ストライキとともに、事実上のスト破りである会社の操業を阻止しなければならず、工場の門でピケットをはり、職制、新組合員、非組合員の就労を阻止し、社外生産体制の確立やロックアウトを阻止し、ストライキの効果を大きく発揮させようとしたのである。それは、賃上げ要求を勝ち取るだけでなく、会社の組合否認とそれに基づく攻撃から自らの組織を防衛するための闘いであった。かくして、組合は、五月二四日以降、特に調布工場において大規模なピケッティングを反復して行ったのである。なお、厚木工場におけるピケッティングは、小規模で時間も短かったが、それは、同工場では前記のとおり組合の組織率が圧倒的で新組合もなかったので、ストライキ自体によって会社の操業を阻止することができ、またその敷地の状態からしてストライキ・ピケッティング中でも職制等が自由に入構することもできた関係上、ピケッティングが操業阻止を目的とするのではなく、会社や部外者に組合の力を誇示し、争議の宣伝をするという目的にとどまったからである。

(2) 五月二四日以降、調布工場では六月四日まで一二回、厚木工場では五月二四日、二五日、二七日、二八日の四回、それぞれピケッティングが行われたが、(1)で述べたような事情から、厚木工場におけるピケッティングは参加人員も少なく、多くても二〇〇名ぐらいであり、時間も長くて四時間足らずであって、それ以外のときは出入り自由、入出荷自由というまことにルーズなものであったから(したがって、ピケッティング自体による会社の打撃は全くなかった)、調布工場正門におけるピケッティングが攻防の焦点であった(なお、同工場裏門は、通常使用されず施錠されているので、同門におけるピケッティングは少人数の者が門の内側で錠を開けられないように監視することを主たる目的としていたにすぎなかった)。そこで、以下、調布工場正門におけるピケッティングの具体的態様等を述べると、次のとおりである。

(イ) 正門門扉内側には女子組合員(調布工場の組合員の多数は女子であった)を配慮して、整然とスクラムを組ませ、人が通ることのできる通路をあけてジクザグに並ばせた。門扉外側には執行委員、中央委員などの男子組合員を説得要員として配置し、門扉は一人通れるだけの間を残して閉めた。このような配置をしたのは、会社側の暴力的な襲撃があった場合にピケッティングを防衛することを配慮したためであった。すなわち、前述のとおり会社の経営陣に新たに三井銀行から派遣された二名が加わったことから、組合は三井三池のロックアウト争議の際、スト対策に雇った警備員が労働組合員のピケッティングを暴力的に突破した事実に鑑み、本件春闘においても会社側がこのような挙に出るおそれがあると判断し、多数の女子を門扉内側に、比較的少数の男子を門扉外側に配置し、門扉を一人通れるだけの間を残して閉じるという態勢をとったのである(現実に五月二〇日には組合のピケッティングに菅原係長の自動車が突込み、組合員にけが人が出ており、ピケッティングを暴力から守る必要性が痛感されていた)。

(ロ) ピケッティングの司令部を正門脇の表面処理工場の屋上に置き、暴力的な襲撃が行われるような気配があったときには、直ちにピケッティングの解除指令を発して通路をあけ、負傷者が出ないよう万全の措置をとった。

(ハ) 就労しようとする者に対しては、スクラムを組み、あるいは立っている者が、一旦立ち止まらせ、待機させ、対話する、という平和的説得の方法をとった。会社は、ピケ隊が説得と称して入構希望者に近づき、罵声をあびせ、殴る蹴るの集団的暴行を加えたなどと主張しているが、そのようなことはなく、説得はあくまでも平和的に行われたのであり、説得を拒否して何が何でも就労しようとする者にとっては、通過に四、五分はかかったものの(途中スクラムを組んでいる者の説得に答えたりしながら通ると三〇分ぐらいかかる者もいた)、通り抜け自由であった。

(ニ) ところが、ピケッティング前に至り入構させるように要求したのは職制であり、一般従業員で自発的に入構させるよう要求した者はほとんどなく、これらの者は、職制の先導(原審における会社側証人は「引率」という言葉を使っている)でピケッティングの前まで来たのであって自主的にはピケッティングに対する共感ないしは精神的圧迫によってピケラインに近づかない者が多数であった。したがって、職制が従業員をピケッティングの隊列に突込ませ、強行突破をはかろうとしたりしたときだけ混乱が生じたのであり、それ以外のときにはピケッティングは平穏で、何らのトラブルも生じていない。会社がこのように職制の指揮のもとに非組合員らを行動させたのは本件春闘が初めてで、かかる方法がとられたのは、四五年年末賞与闘争のときのように非組合員らが個別にピケッティングを通過すれば、組合に説得され、闘争に参加する者が多数発生し、ますます組合を強固にしてしまうことが明らかだったからであり、会社は、職制を先頭にして非組合員らに集団行動をとらせ、ピケッティングの組合員らが直接非組合員らに接触する機会を少なくし、説得されて闘争に加わることのないよう統制したのである。したがって、会社には非組合員らを真実就労させようとする意思はなく、職制を先頭にして非組合員らに集団行動をとらせたのは、ピケッティングに対する挑発を行い、就労しようとしたができなかったという外見を作り出すことを目的としていたことが明らかである。

(ホ) そして、職制らが多数の一般従業員を先導してピケッティング前に来て入構させるよう要求したのは、五月二四日、二五日の両日に限られ、それ以後は社外生産体制が確立していくにつれてこれに一般従業員が就労していったので、比較的少人数の職制が時たま入構を要求するにすぎなくなった。したがって、五〇〇名から七〇〇名が参加したピケッティングが同月二四日以降五回ほど行われたが、後半になるとピケッティングの人員も少なくなり、また時間も短くなり、ピケッティングというよりは、争議の宣伝とピケ破りの監視のため少人数がたむろするといった、ピケッティングの準備段階程度のものが多くなった。

(ヘ) なお、ピケッティングに当たり、組合は調布、厚木両工場で泊込みをしたが、これはピケッティング要員確保のために行われたもので、何ら違法なものではない。すなわち、会社は、組合が五月二四日にピケッティングを伴う全面ストライキに入るのに先き立ち、治工具や製品類の搬出を行い、また、調布工場正門には組合事務所以外への立入りを禁止する立看板を出し、正門から組合事務所に至る通路に白線を引き、この通路以外に立ち入ってはならない旨の事実上のロックアウト通告をしたのであり、このような会社のロックアウト方針と対決するためには、ピケッティングを行うことが必要不可欠で、しかもこれを実効あらしめるには、四六時中警戒体制をとり、ロックアウトが強行される場合には直ちにピケッティングをはることのできる人員を確保することが必要であったところ、夜遅くから朝早くにかけて右の人員を確保するためには、結局会社施設を利用してこれに泊り込み、ピケッティング体制を維持する以外になかったのである。したがって、このような状況下で会社施設を利用することについては会社に受忍義務があるものというべく、しかも右利用によって会社の受けた損失はごく軽微なものであるから、右泊込みは違法でないというべきである。

(3) なお、組合のピケッティングあるいはこれを含む争議行為による会社の損害の点について付言すると、会社は、春闘に入る前から団交による回答の上積みを拒否する方針を決めてこれを実行し、組合をつぶすことに腐心していたのであって、争議を早期に解決しようとする姿勢は全くなかったのであり(その最も端的な例が、社長の一〇〇日戦争宣言であり、「譲歩する気持は全くない、組合をつぶすまでやる」ということを社長自ら宣言してはばからなかったのである)、会社のこのような態度が四六年春闘を長びかせ、争議の規模を大きくした原因であった。したがって、会社は、組合の争議行為による打撃は覚悟していたのであり、むしろ、このような犠牲を払っても組合をつぶさなければならないとの意思のもとに組合攻撃を繰り返したのである。しかも会社は五月二四日以降の全面ストライキ・ピケッティングに先き立って社外生産体制を作り、その損害を最小限に抑える措置をとった。そして、本件春闘のあった昭和四六年度の会社の売上高は一七三億五八〇〇万円で、前年度の一五二億三〇〇〇万円より増大しているのであり、このことは、会社が決して損害を受けていないし、対外的信用も失っていないことを示している。更に、会社は、組合に対しては低額一発回答に固執し、押しきり、組合をねじふせておきながら、他方で、就労感謝金と称して全従業員に二〇〇〇円を支給したり、職制手当を出したりしているのであって、会社の受けた損害はほとんどなかったといっても過言ではない。

(三) ピケッティング解除後の会社の不当な攻撃

組合は、六月四日にストライキ・ピケッティングを解除したのであるが、会社は、これに先き立ち、新組合員、非組合員らを対象に、六月七日に就労感謝金二〇〇〇円を支払う旨発表してスト破りを奨励しただけでなく、右解除後、組合員が就労するとその直後に組合事務所の明渡しを要求した。これは、賃料三か月分の滞納などを理由としたものであったが、賃料の催告などは全く行われておらず、組合攻撃の一環としてなされたものであった。また、会社は春闘の妥結について引きのばしをはかった。すなわち、会社は、組合が申請した東京都地方労働委員会の斡旋を拒否したり、争議協定及び三六協定の締結は、中間採用者の賃金是正についての妥結条件であって賃上げ全体についての妥結条件ではないことが、六月一六日に行われた組合との事務折衝で確認されていたにもかかわらず、同月一八日の事務折衝においてはこれを覆し、右二協定の締結は春闘全体の妥結条件であるといい出すなどして、春闘の妥結を引きのばし、組合を一層弱体化させようとはかった。更に、会社は、春闘妥結後直ちに組合幹部に対する攻撃を開始し、ビラで、「一部共産主義の闘争至上主義者の煽動が春闘混乱の一因であった」などと、自らの態度を棚上げして責任を組合幹部に転嫁する宣伝をした後、懲戒委員会の答申を無視して本件処分を強行した。

(四) 以上のとおりであって、会社は、春闘の始めから終りまで、一貫して組合無視、団交軽視の姿勢(回答引きのばし、一発回答、団交拒否、等々)をとり続け、争議の解決に全く努力しようとしないで、挑発を繰り返し、自らこれを長期化させて組合を切り崩し、その壊滅をはかったのであり、四六年春闘は不当労働行為の展示場といっても過言ではない。

3  四六年春闘後における会社の組合攻撃

会社は、四六年春闘において組合の壊滅をはかったが、その目的を完全に実現することができなかったことから、右春闘後、一層露骨に組合に対する攻撃を強化し、次のような行動に出ているのであって、かかる点から見ても会社の組合敵視の態度は明らかであり、本件処分の不当労働行為性は明白といわなければならない。

(一) 組合事務所への立入禁止、団交拒否

会社は、本件処分を受けた被控訴人らが組合事務所に行くことを妨害し、また同人らの出席する団交に応じないとの態度をとり、同人らの組合活動を妨害するとともに、一般組合員との離間を策した。

(二) 賃金カット協定の破棄

昭和四六年八月二三日、会社は組合に対し、いわゆる賃金カット協定(同四五年一二月四日に組合との間で締結されたもので、ストライキが行われた場合の賃金カットの対象を限定することを内容とするもの)の破棄を通告した。その理由が組合のストライキ闘争を嫌悪したものであることは明白である。

(三) 就業規則の改悪と警告書攻撃

右に続いて同年九月九日、会社は就業規則の改悪を通告した。その内容は、会社の構内においては就業時間の内外を問わず会社の許可なく組合活動をすることを禁止するというもので、会社は、かかる改悪を労働基準監督署の勧告を無視して強行し、改悪された就業規則を盾に組合の行うビラ配布、職場集会を禁止し、更に、不当処分撤回、賃金カット協定破棄及び就業規則改悪反対のためのリボン闘争に対して、組合及び組合員に数万枚にのぼる「警告書」なるものを発し、処分をほのめかして右の活動を妨害した。

(四) 先制的ロックアウト

四六年春闘後、同年夏期賞与、同年末賞与、四七年春闘、同年夏期賞与、同年末賞与、四八年春闘に至る賃上げをめぐる各闘争は、すべて会社の一発回答で押しきられたが、これは四六年春闘における組合つぶしの策謀を引き続き強行したものであり、特に四六年年末賞与に関する闘争からは、組合がストライキを行おうとすると、会社はその都度先制的にロックアウトを行ってストライキ闘争を妨害した。

(五) 一〇八名の不当解雇

(一)ないし(四)のような会社の攻撃により組合員の数は減少していったが、昭和四八年後半から組合の必死の努力により組合員が増加し始めたところ、会社は、組合つぶしを一気に完成しようとし、人員整理を名目として組合活動家多数を指名解雇した。すなわち、会社は、昭和四九年五月二日、突然人員整理を理由に一〇八名の指名解雇を発表したが、そのうち組合員は過半数の五六名であり(当時の組合の組織率は約三〇パーセント)、大部分が活発な活動家であった。右解雇につき会社は経営上の必要ということを主張したが、それ自体全く根拠のないものであったばかりでなく、人員整理であれば、まず希望退職を募るのが通常であるのに、会社は何の予告もなく突如解雇を発表したのであり、しかも、会社は、事前に希望退職を募らなかったことについて、新組合は信頼できるが組合はそうではないので、事前に人員整理を発表すると職場が大混乱に陥る心配があったからであるという弁解をし、組合に対する敵意をむき出しにしたうえ、組合が右の解雇の撤回を要求する闘いを行っている最中には、新組合との間でユニオン・ショップ協定を結び、会社自らいずれにも属していない従業員に対し、新組合に加入しなければ解雇せざるを得ないと脅迫して新組合への加入を強制したのである。このような事実に照らし、右の指名解雇が、組合活動家を追放し、組合つぶしをはかろうとしたものであることは明らかであった(もっとも、右の指名解雇に対しては、会社の内外からきびしい批判が行われ、孤立した会社は組合員全員の解雇を撤回して職場復帰を認めざるを得なくなり、会社の組合つぶしの意図は失敗した)。

(六) ビンタ研修

その後も会社の組合敵視政策は変わることなく続いており、最近では、新入社員に対する気違いじみた反組合教育が行われ、新入社員研修の合宿で旧軍隊式のビンタ研修が行われたことが新聞で問題となり、東京法務局による是正勧告がなされたほどである。

第三  疎明関係〈省略〉

理由

一被控訴人らがいずれも控訴人会社に雇用されていた者であること、会社が昭和四六年七月九日被控訴人らを懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

控訴人は、被控訴人らの解雇事由について、本判決別紙一「組合の違法な争議行為ないしは規律紊乱行為」記載の各事実中における被控訴人らの行為が同二「被控訴人等に対する懲戒処分の理由たる具体的事実」及び同三「就業規則の適用」の各記載のとおり会社就業規則所定の懲戒事由に該当し、かつその情状が同四「責任の情状と処分の内容」記載のとおりであると主張するところ、これら解雇事由は、いずれも四六年春闘における争議行為中又はこれに関連する被控訴人らの行為を問責するものであることが明らかである(なお、被控訴人有坂については右のほか「試練」発行についての責任も問われているが、後記のとおり、これも四六年春闘に関連するものと認められる)。

そして、四六年春闘の主体となったものが組合(ミツミ電機労働組合)であり、同春闘当時、被控訴人藤原は組合の執行委員長、被控訴人鈴木は組合調布支部支部長、被控訴人吉田は同支部書記長であり、被控訴人有坂は組合員であったこと、また、原審申請人小川猛夫、同福島喜勝、同小美濃勝、同山崎芳広及び同山口実も組合役員であったが、同様に本判決別紙一ないし四の理由により、小川については前同日付で懲戒解雇、その余については同月一二日付で減給の各処分がなされたこと、そして、会社の就業規則五九条の定めが原判決別紙四記載のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、まず四六年春闘に至るまでの会社及び組合の概況についてみることとする。

(なお、以下の認定に用いる書証の成立については、本判決別紙六「書証の成立の認定」に掲げる証拠によってこれを認め、成立(写しで提出されたものについては原本の存在及び成立、写真については撮影日時及び被写体)に争いのないものについてはその旨の摘示を省略する。)

1  会社が昭和三〇年一一月に資本金一〇〇万円をもって設立された電気機械器具等の製造・販売を目的とする株式会社であり、昭和四六年当時、資本金一六億一四七二万円、従業員数約三二〇〇名余で、東京都狛江市に本社、同都調布市に調布工場、神奈川県厚木市に厚木工場を有していたこと、会社が賃金、一時金等につき給与、賞与等の一般的呼称に代えて利益配分金、利益配分調整金という名称を用いていたこと、一時金については年二回制であったものを昭和四一年から年一回制とし一回分を給与に繰り込んだことから給与が三〇パーセントの増額となったこと、会社が昭和四二年から所得倍増五か年計画を実施したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  会社は、設立時の従業員が二〇名余でソケット製造を主業務としていたが、やがて、社長の開発したポリエチレン・バリュアブル・コンデンサー(ポリバリコン)の生産によって急速に業績を延ばし、規模を拡大し、昭和四二年に一時不況の影響を受けたほかは、同四四年まで順調な成長を遂げ、この間同四二年一二月に東京証券取引所、大阪証券取引所の各一部に上場し、同四四年度の売上高は約一七〇億円に上るに至った。昭和四六年一月末日現在の従業員数は本社三八九名(同年四月末日には二八二名)、調布工場一九二二名(同一七一八名)、厚木工場一一七四名(同一二一六名)、その他の営業所等四三名合計三五二八名であり、事業所として本社及び右両工場のほか、子会社として国内九社、国外四社を擁し、昭和四五、六年当時、ラジオ、テレビ、テープレコーダー等の部品であるポリバリコン、コイル、チューナーの三種を中心にして、製造加工した物を大手電機メーカーに供給して、業界有数のシェアーを占め、また、カメラの部品である抵抗器の製造についてもかなりのシェアーを有していた。しかるに、昭和四五年中ごろから、米国経済の不況の影響等により国内電機産業全般が不況に陥ったことに加えて、会社の過去の急速な成長に伴う設備投資の肥大や新製品開発の遅れ等があって、収益の状況は悪化し、同年二月一日から昭和四六年一月三一日までの期間に三億一〇〇〇万円余の営業損失を生じたほか、棚卸し資産評価額、繰延資産償却費が大幅に増額し、更に子会社貸倒引当金繰入金を新たに計上した結果、右期間の末日の決算において六億九〇〇〇万円余の損失を計上するに至った。

(二)  会社が従業員に対する給与等につき利益配分金の呼称を用いたのは、会社の生産活動による付加価値(総生産額から諸経費を差引いたもの)を資本に対する配分(株主配当金)、経営に対する配分(役員報酬)、社会に対する配分(公租公課)、経営に対する配分(社内留保金)及び労働に対する配分(給与、諸手当、賞与、福利厚生費等)に分け、会社資金等の前四者を差引いた剰余金は全て労働に対する配分として従業員に還元されるという趣旨によるものであった。しかし、右の利益配分金が実際に会社の損益によって変動するものではなく、実体は一般の給与と異ならないものであり、右の呼称は、経営者側と労働者側との家族的協調を旨とする社長の経営理念の表明というべきものであった。

会社が昭和四一年に一時金の一回分を給与に繰り込むことにより、その当初給与(基本給)が三〇パーセント増額となったことは、前記のとおりであり、また、前記所得倍増五か年計画は賃金を毎年一五パーセントずつ増額することにより、五年間で倍額にすることを宣言したものであった。これらにより会社の賃金水準は、昭和四四年頃まで同業界の他社と比較して格別遜色のないものであったが、その間他社の賃金上昇率が会社のそれを上廻ることもあって、昭和四五年には、会社の賃金水準は同業他社のそれに比してやや劣るようになった。

2  会社には、以前労働組合が存在せず、親睦団体たるミツミ会が存在したこと、組合が昭和四五年七月二三日に、組合調布支部が同年九月一七日にそれぞれ結成され、また新組合が同月中(日については争いがある)に結成されたことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  ミツミ会は、会社の社員及び役員の全員を会員とし、各職域ごとに選出された評議員が構成する評議員総会、会員の直接選挙により評議員中から選出される理事をもって構成される理事会等の決議、執行機関を有し、社長、労務担当役員等とミツミ会理事とをもって経営協議会を構成し、ミツミ会の事務処理機関であるミツミ会係には会社人事部員を充てるものとされ、会として慶弔見舞金の支出や文化体育のサークル活動等を行い、ミツミ会規程上、会社がミツミ会の活動を助成する目的で月額二〇万円以上を補助納入するものと定められていた。また、一面で、ミツミ会は会員の労働条件の維持改善をはかることをも目的とするものとされ、右経営協議会の協議等を通じて、労働条件や賃金に関する従業員の要望、要求がミツミ会理事から会社側に申し入れられ、これについて協議がなされることとされており、その限度で労働組合に代わる組織として性格づけられ、実際に毎年のベースアップの要求等は、ミツミ会理事によって提出されており、時間外労働に関する協定(いわゆる三六協定)も会社とミツミ会理事長との間に締結されていた。しかし、ミツミ会の組織が右のようなものであったことから、労働者の立場を主張し擁護するという面においては、その活動に限界があった。

(二)  このため、ミツミ会の活動にあきたらない従業員の中から、昭和四二年には別に労働組合を結成しようという動きもあったが、昭和四四年九月に被控訴人藤原、原審申請人小川、同山崎が、同年一二月に被控訴人鈴木、同吉田がそれぞれ理事に選任され、被控訴人藤原が理事長に就任するに及んで、ミツミ会を実質的に労働組合化しようとする立場に立って、賃上げ、一時金、その他労働条件の改善等に関する要求を強く行うようになった(ミツミ会を労働組合化しようとする動きが会員中から起きたことは、当事者間に争いがない)。しかし、理事会の方針が評議員会に受け容れられない場合もあって、ミツミ会の労働組合化にはやはり限界が感じられたうえ、会社が昭和四五年六月二三日に被控訴人藤原に対して関西営業所への配転を命ずるに至って(右配転命令に関する事実は当事者間に争いがない。なお、右配転命令は、従業員の阻止闘争によってひとまず同年一二月末日まで延期され、その間に組合が結成され、被控訴人藤原が組合専従となるに及んで自然解消された)、急速に労働組合結成の動きが強まり、同年七月二三日、組合結成大会が開かれ、厚木工場の従業員一〇〇〇名近くの加入を得て、組合が結成され、更に同年九月一七日、本社・調布工場の従業員約一一〇〇名の加入を得て、組合調布支部が結成された。なお、会社は、組合調布支部結成準備の中心となっていた被控訴人鈴木に対し、同年九月一一日から約一か月間の福島県いわき市への出張を命じ、同支部結成大会への出席を不可能にさせた。

(三)  組合の結成に伴いミツミ会は解散することとなったが、当時のミツミ会評議員中には係長クラスの従業員が比較的多数いたのに、組合が組合員資格から係長以上を除いたこともあって、被控訴人藤原、同鈴木らを中心とする組合の過激な主張に危懼を感じた一部評議員が中心となり、組合に対抗する組織として、同年八月三日、ミツミ社員会が結成され、更にこれを母体として、同年九月二四日、新組合(ミツミ電機新労働組合)が結成され、係長クラスを含む本社・調布工場の従業員約三〇〇名がこれに加入した。

(四)  組合は、最初の活動として、昭和四五年度夏期一時金の要求をすることとし、同年九月四日、会社に対し、二か月分プラスアルファの支給を求め、これに対して、前記のとおり年二回の一時金の内一回分を基本給に繰入れた経緯を理由に要求を拒絶する会社との間に折衝を重ね、その間腕章、ハチマキ闘争、厚木工場内及び市内のデモ、時間外労働の拒否等を行ったが、同年一〇月一九日、会社が年末賞与の妥結額に一律五〇〇〇円を加算し、そのほかに希望者には一律五〇〇〇円を年末賞与支給時まで無利子で貸与する旨の協定が成立した(右の日に夏期一時金闘争が五〇〇〇円貸付の定めをもって妥結したことは、当事者間に争いがない)。

(五)  組合は、次いで同年一〇月二〇日、会社に対し年末一時金として4.5か月分プラス一律二万円の支給を要求し、会社は同年一一月一四日の団交において平均1.5か月分の回答をしたが、組合は、これを不満とし、同月一八日頃以降時限ストライキ、指名ストライキを繰り返し、会社は、第六次回答まで出して徐々に譲歩した結果、同年一二月四日、2.0か月分プラス一律二万円(2.47か月分相当)で妥結した。なお、その間新組合も、同年一一月三〇日全面ストライキを行い、同年一二月二日、新組合と会社とは、右と同一条件で妥結した。

三次に四六年春闘について、事件①ないしの具体的事実の存否は暫く措き、その経過の概要をみることとする。

<証拠>を総合し、そのほか以下の各項につき各項の末尾括弧内に付記する証拠を加えて、次の事実を認めることができる。右各証拠中この認定と異なる部分は、爾余の各証拠に照らして採用することができず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

1  社長は、昭和四五年年末一時金の交渉に当たり、組合が過大な要求をするのに対して、会社も、世間一般の例にならって、初めは低額回答をし、以後の交渉により小出しに増額をして行くという経過をたどったことが、かえってストライキ等の争議行為を多発させ混乱を招いたという反省のもとに、翌年以降は、賃上げ等の額について最初から可能な最高限度の回答を呈示し、以後の交渉による上積みをしないという、いわゆる一発回答の方針を決め、昭和四五年一二月一七日、年末賞与支給の際に、厚木工場の従業員に対する訓示でその旨を述べた(社長自身がいつから「一発回答」の語を用いたかは証拠上必ずしも明確でないが、いずれにせよその趣旨とするところは、右の時点で宣言されていたことが明らかである)。そして、それが以下に述べるように四六年春闘に臨んだ会社の基本姿勢となった。

2  組合執行部は、右のような一発回答宣言と会社の不況宣伝とにより、昭和四六年の賃上げについては情勢が厳しく、強力な闘争を実施する必要があると考え、同年二月初め(以下、昭和四六年中の日時については年の表示を省略する)から情宣活動や職場討議を行い、二月二七日に執行部原案を作成し、三月九日、全体投票によりこれを会社に対する要求とすることを決定し、同月一二日の第一回団交において、概ね原判決別紙五記載のとおり、賃上げを定期昇給込みで一五パーセント・プラス五八〇〇円(会社側の計算では実質二七パーセント)とし、その他の付帯要求を加えた内容の要求を呈示し、三月二九日までに回答するように求めた。これに対し、会社側は損失を生じている会社の経営状況からは賃上げは不可能であるが、従業員のためには賃上げをしないわけにはいかず、何とか世間並みの水準に近づけたいので、同業他社の回答の状況を見きわめてから回答したいと述べた(右の日に組合が要求を提出したこと、その内容の概要、三月二九日を回答日と指定したこと、会社が同業他社の回答の状況を見きわめてから回答したいと述べたことは、当事者間に争いがない)。更に、組合は、同月一五日、会社に対し、第二回から第七回までの団交予定日として同月二九日から四月二〇日までの内の六日を特定して申入れた(この事実も当事者間に争いがない)。

なお、新組合も、三月一九日、会社に対し、組合の要求よりやや低額の要求を提出し、同月二六日を回答日と指定した。

(なお、控訴人は、組合の右要求の提出と回答日の指定が、電機労連の要求の出揃うのが三月二九日ごろであるのに比して、異例に早く、これは、組合が回答後にスト権を確立することを初めから予定し、実力闘争を意図していたことを示すものである旨主張するが、組合側としては、前年の賃上げに当たり、ミツミ会理事会が要求を提出する前の昭和四五年三月六日、会社側から17.8パーセント賃上げの提案を出され、しかも利益配分金規程所定の定期昇給日である三月一六日までに決定するよう迫られ、これに押し切られて右提案どおり決定したという経緯があったため、四六年春闘においては、組合側が主導権を失わないよう、より早期に要求と方針を決定する必要があると判断したものである。)

(〈証拠〉)

3(一)  右に先立つ二月二三日、会社は、合理化の一方策として、本社の社屋敷地を処分し、本社を調布工場の敷地内に移転させる必要があり、その場所を作るため、調布工場のVHF製造部門を約二〇〇名の従業員もろとも厚木工場へ移転させる計画を発表した(会社が右のような本社の売却、移転の必要から調布工場のVHF製造部を厚木工場に移転する計画を建てたことは、当事者間に争いがない)。組合はVHF製造部の右従業員中約一五〇名が組合員であり、右移転は組合切くずしの策であると受けとめたが、これについても春闘要求とあわせて交渉し、前記第一回の団交の際、会社との間で、厚木工場へ通勤することの困難な従業員は調布工場内の他の部門へ配属し、厚木工場へ移転するについては赴任休暇、旅費等を認めること等の合意をし、その後一部退職者を生じたものの、三月一八日までに従業員の配属先が決定して、この問題は一応の決着をみた。(〈証拠〉)

(二)  しかるに、会社は、右(一)の件が落着するや直ちに、三月一八日、調布工場内のバリコン製造部の従業員三二名を同工場内の抵抗器製造部へ配置替えする旨を発表し(この事実は当事者間に争いがない)、その理由を、関連会社の四国ミツミでの抵抗器製造中止に伴う設備の引揚げと、四国ミツミから調布工場への出向者の引揚げと説明した。組合は、これも組合切くずし策ではないかと疑い、会社側と交渉して、配置方法につき組合側の要望をある程度受け入れさせることができたが、その間、春闘要求と平行して、この件に対処することを余儀なくされた。(〈証拠〉)

(三)  三月二三日、鈴木部長の発言の問題が生じた。すなわち、鈴木章一は、三月一六日付で、開発センター企画部長に就任した(開発センターは組織上は本社機構に属するが、厚木工場内に置かれていた)。これは、前記のとおり会社の業績悪化の一因に新製品の開発の停滞が考えられたところから、その強化のため、鈴木部長が系列のミツミ電子株式会社から招かれたものである。同部長は、就任早々から、開発業務の取組み方について、開発センター所属の研究員、研究補助員ら十数名ずつと打合せ会を行ったが、三月二三日の打合せ会において、開発・研究の成果を挙げるためには、勤務時間にとらわれず集中的、継続的に研究に専念する必要があるとの考えを述べたうえ、出席者の一人の被控訴人有坂の質問に答えて、就業時間中に組合活動のため頻繁に仕事を中断するということでは研究者としてやって行けないので、そのような者は他の部署へ移った方が良いとの趣旨を述べた。すると、組合は、鈴木部長の右発言を組合敵視、組合に対する支配介入であり、不当労働行為であるとしてこれを非難し、翌二四日、同部長解雇要求をビラ等で宣言した。会社は、四月五日、人事部長名の組合宛文書で、鈴木発言は個人的な考えであるものの、内容には不穏当なものがあり、本人に注意したが、組合を否定、敵視するものではなく、その真意を理解してほしい旨を申し入れ、同月八日、全社員に向け、鈴木部長の真意を理解してほしい旨を表明した。しかし、組合は、これを了承せず、後記の同月一三日の組合大会において賃上げ要求等についてとともに、鈴木部長解雇要求についてもスト件を確立し、後記各ストライキにおいて春闘要求と並んで鈴木部長解雇要求をも標榜したほか、鈴木部長解雇要求のみについて同月二六日、五月六日、同月一〇日、同月一七日にそれぞれ始業時から三〇分間の全面ストライキを行った。会社側は、組合が鈴木部長の発言の真意を曲解しているとして争ったが、結局、不本意ながら、鈴木部長は、六月一八日、不適当な発言をして組合員に精神的ショックを与え、組合、開発を混乱におとし入れたことに対し深く謝罪し、組合活動の自由を認める等の趣旨の組合宛謝罪文に署名した(鈴木部長が三月に開発センター企画部長に就任したこと、同部長が三月二三日研究員らに対し開発業務の取組み方について自己の見解を発表したこと、組合が同部長の解雇を要求し、それについてのスト件を確立し、被控訴人ら主張のようなストライキを行ったことは、当事者間に争いがない)。

(〈証拠〉)

4(一)  組合と会社とは、三月二九日、第二回団交を行い、会社は、前記のような理由で世間相場を考慮しなければならないので、回答は四月中旬以降になる旨を告げ、四月六日の団交において、会社は賃金体系の資料を提出したが、賃上げは電機相場を見てから回答する旨を告げ、これに対し、組合は、四月一四日までに回答することを要求した。会社は、四月八日、組合に対し文書で、同月一四日には回答できないが、同月二四日前後を目途に可能な限り早く回答する旨を通告し、同月九日、人事部長名のビラで全社員に向け、回答を早く出せない前記のような理由と右回答予定時期とを告げ、同月一四日、組合に対し文書で、同日には回答できないが、同月二四日前後を目途に可能な限り早く回答するように努力する旨を通告した。組合は、同月一四日、以後一切の時間外労働を拒否する旨会社に通告した(三月二九日、四月六日に団交が行われたこと、組合が四月一四日に回答するよう要求していたこと、会社が同日文書をもって同日には回答できないが、同月二四日前後を目途に回答する旨を告げたこと、組合が同月一四日以後時間外労働を拒否する旨の通告をしたことは、当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(二)  組合において、四月一三日、スト権投票が行われ、本社、調布工場、厚木工場を通じて、春闘要求につき91.6パーセント、鈴木部長解雇要求につき73.1パーセントの賛成によりスト権が確立され(同日右各要求につきスト権が確立されたことは当事者間に争いがない)、組合規約により、以後の争議行為の開始、打切り、内容・形態の決定は一切が執行委員会に委ねられることとなった。これに基づき、組合執行委員会は、五月中旬を目途に三〇時間前後のストライキをすること、四月二三日の電機労連の統一ストライキに合わせて半日ストライキをすること、そのほか、鈴木部長解雇要求について毎週月曜日の始業時刻から三〇分間のストライキをすることを決定し、同月一九日、中央委員会において右闘争方針が承認された。また、四月一四日から春闘妥結に至るまで全面ストライキ以外の日は連日指名ストライキが行われ、これは、多数の組合員を指名してなされたこともあったが、多くの場合が組合役員を組合活動に従事させるために指名したものであり、これら指名ストライキについては事前の通告がないか、あっても直前になされることが多かった。(〈証拠〉)

(三)  組合は、四月二〇日、会社に対してその旨の通告をしたうえで、同月二三日、半日ストライキを行い、厚木工場においては、ストライキ時間中、職場集会、全体集会、構内デモが行われたほか、午後四時三〇分頃まで約一〇〇名の組合員が正門でピケッティングを行い(本件においてピケッティングとは、その態様として、多数の組合員が門の内外で横列に強固なスクラムを組み、通路の全部又は大部分を閉塞する状態を作出することをいう)、また、調布工場では全体集会が開かれた。一方、会社は、同月二二日、組合に対し、同月二四日に団交を開催することを申し入れ、その団交で春闘要求に対する回答をする旨通告(四月二三日に半日ストライキがなされ、厚木工場正門ではピケッティングが行われたこと、会社が二二日に二四日の団交の申入れと回答予定の通告をしたことは、当事者間に争いがない)。

なお、春闘要求提出以来四月二三日までの間、組合執行部は、組合員に対しビラ等をもって、会社の言う回答予定時期及び回答が遅れている理由等について、その都度ありのままに伝えることをせず、三月二九日までは、同日に実際に回答があるかのごとく宣伝し、四月八日に会社から同月二四日前後を目途に回答したい旨を告げられた後もその旨を組合員に知らせず、同月二二日の会社の通告を受けて初めて、同月二三日付のビラに右通告があった旨を記載した。そして、組合員の中にも、同月二三日のストライキについては、会社の回答を見てからにしてはどうかとの慎重論があったのにかかわらず、組合執行部は、同日のストライキに踏切ったものである(もっとも、前記認定のとおり、会社は、組合執行部を通さず全社員に向けてのビラで、四月二四日前後を目途に回答する旨を予告していたのであり、したがって組合員もそのことは分っていたと推測されるから、組合執行部が四月二二日まで回答予定時期を組合員にことさらに秘匿していたとする控訴人の非難は当たらない)。

(〈証拠〉)

(四)  会社は、四月二四日組合の賃上げ等要求に対して本判決別紙五記載の要旨の回答をした(この事実は、当事者間に争いがない)。これを組合の要求に対比すると、賃金増額を基本給の17.43パーセントとしたほか、附帯要求の内、特殊作業手当の増額、定時社員のベース・アップ係数の上昇、有給休暇の増加、作業衣の無料貸与、利益配分金の名称の変更、女子の日給月給制の月給制への移行等において組合の要求を一部は認めたが、他の項目については拒否する回答であり、しかも女子の月給制については欠勤による控除を八〇パーセントとするうえ、男子についても同様とするというもので、この点は組合にはマイナス回答と受け取られるものであった。そして、会社は、団交の席上、これが最終回答である旨を通告し、同日社長名の社員向けビラで、これが最大、最後の線であり、誠心誠意検討を重ねた結果である旨を告げた。(〈証拠〉)

5  会社の回答以後五月中旬までの経過については、次のとおり認められる。

(一)  組合は、四月二六日、会社に対し、二四日の回答は全く認めることができないものであり、二七日正午までに春闘に対する回答を出すよう要求する、右期限までに回答がないときは、今後いかなる事態になろうとも、その責任はすべて会社側にあるとの趣旨の通告をし、二六日の合同執行委員会において、四月中に一四時間位のストライキ、五月一〇日以後にも一四時間位のストライキを構え、五月中旬には集約する、賃金カットによる打撃を最少にして会社のダメージを大きくし、譲歩させるため、重点部門ストライキを行うという方針を決定した。なお、二六日から、前記の鈴木部長解雇要求の始業時三〇分間のストライキが行われた。(〈証拠〉)

(二)  四月二七日、会社は、組合の右(一)の要求に対し、既にした回答は誠心誠意のものであり、再考の余地はない旨の回答をした。組合は、同日午前中、会社に対し、正午までに満足のゆく回答のない場合には午後一時一〇分から五時二〇分までの間、本社、調布・厚木両工場においてストライキに突入する旨を通告し、また、調布支部としても同日午後一時から全面ストライキに入る旨を通告したうえ、午後各事業所において全面ストライキに入り、厚木工場では職場集会、全体集会、構内デモを行い、正門でピケッティングをし、また、調布工場では全体集会がなされた(同日半日ストライキがなされたこと、厚木工場でデモ、ピケッティングが行われたことは当事者間に争いがない)。なお、厚木工場においては、同月二三日、組合と会社との間に、従業員の送迎用バスの運行について、四時間未満のストライキの場合には、会社はバスを定時又は随時に運行し、この場合に運輸係員は納品業務に従事しないという口頭による協定がなされていたが、二七日、会社は、組合に対し、争議行為中のバス運行は組合に対する便宜供与になるから、右協定を破棄する旨の通告をした。(〈証拠〉)

(三)  四月二八日、組合調布支部においては、当日通告のうえ、午後半日の全面ストライキを行い、職場集会、全体集会を開いた。他方、厚木工場においては、前記バス運行に関する協定の破棄に対する抗議の意味をも含めて、部門別に時刻を違えて行う時限ストライキ(控訴人によれはリレー式集団業務放棄。この形態のストライキを以下「時差部門ストライキ」という)が行われたが、これは、午前一〇時一〇分から一二時までチューナー製造部製造一課、三課、午後一時一〇分から三時まで同部製造二課、チューナー技術部、生産管理課、総務課等、三時一〇分から五時まで加工センター、開発センターにおいてそれぞれ業務を放棄し、職場集会を行い、午後五時から五時二〇分まで全面ストライキを行うというものであった。右ストライキについては書面による通告はなかったが、当日、被控訴人藤原が、鈴木厚木工場長に口頭で右のような方法によるストライキを行う旨を告げた。なお、同日午後四時、同工場長は、組合に対し、バス運行協定の破棄が誤りであったことを認め、バス利用者の遅刻扱いを撤回する旨の「謝辞」と題する書面を公付した。また、同日、新組合も初めて午後半日ストライキを行った(調布支部のストライキ、厚木工場の右の形態の部門別のストライキ、新組合のストライキの各事実は当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(四)  四月二九日の団体交渉においても、あくまで満額回答を要求すると言う組合側と、当初の回答を固持する会社側との間に歩み寄りの兆しはなく(右団交が行われ、会社側が一次回答を固持したことは当事者間に争いがない)、組合は、厚木工場においては午後一時一〇分から、調布工場においては午後三時一〇分からそれぞれ終業時までの全面ストライキを行ったほか、本社、調布工場において、午後一時から重点部門ストライキとして、本社生産性本部中の基本設計グループ、外国部、計算センター、調布工場の抵抗器製造部の吹き付けと蒸着の担当者、加工課成型係が無期限ストライキに入り、加工課のその余と表面処理課が午後半日ストライキを行った。調布工場のこれらのストライキについては、当日組合から会社に通告があったが(厚木工場についてその旨の通告があったことは確認し得ない)、右重点部門ストライキとは、職場離脱の範囲は工場の一部であっても、連続あるいは関連する製造工程の重要な部分に位置する部署を対象とするため、全体の生産活動に大きな影響を与えるものであった。(〈証拠〉)

(五)  四月三〇日、組合は、調布工場において、当日通告のうえ、午後一時から半日の全面ストライキを行い、そのほか前記重点部門ストライキを続け、厚木工場においても午前一一時から一二時までと午後二時一〇分から五時二〇分まで全面ストライキを行った。新組合も同日午後、半日の全面ストライキを行った。五月一日から五日までは休日であった。五月六日、鈴木部長解雇要求の始業時三〇分間のストライキと調布工場における重点部門ストライキがなされた(四月三〇日に調布工場で半日ストライキ、五月六日に始業時三〇分間ストライキが行われたことは、当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(六)  会社は、社内報として月刊「おにぎり」を発行していたが、四月二九日から週刊とし、かつ、グラビアを含め上質紙を使用して発行するようになり、賃上げの源資がないと言いながら、そのようなところに費用を投ずることが組合の反発を買うところとなっていたが、五月六日付週刊おにぎり第二号において、社長名で「かけひきのない『一発回答』こそ最も誠意ある回答である」との見解を発表し、かつ、同号から団交の状況を会社側から知らせる「団交ニュース」を掲載するようになった。(〈証拠〉)

(七)  五月七日の団交において会社は月給制の問題について二項目の提案をしたが、実質的に歩み寄りといえるものではなく、翌八日の団交において中間採用者の賃金是正についての話合が行われたが、進展がなかった(右両日団交が行われたことは当事者間に争いがない)。右両日、本社及び調布工場においては重点部門ストライキか継続され、また、七日、調布工場で半日ストライキがなされた。(〈証拠〉)

(八)  会社は、五月八日、係長以上の職制に対し、組合のストライキに対抗する措置を講じる必要が生じたため、一〇日にロックアウトについての研究会を開催するので、出席を求める旨を書面で通知し、かつ、人事部長名でロックアウトの意義を説明するビラを従業員に配布した。そして、一〇日には朝礼や社内放送でもロックアウトの可能性を告げ、社内放送で出席を督促したうえ、夕刻ロックアウト検討会を行った。また、調布工場においては重点部門ストライキの対象となった分野について工程を外注に出す動きもあったことから、組合は、団結を守るため闘争の強化を検討せざるを得なかった。(〈証拠〉)

(九)  一方、五月一〇日の朝、組合の集会・会議が行われていた調布工場食堂小ホール(これについては、組合の集会の目的で会社から使用許可を得ていた)の社内放送用スピーカーの一つを利用して盗聴器と見られる装置が設けられているのが組合側に発見され、組合は、これについて、その状況から、会社側が組合の情報を得るために設置したものに相違ないとして会社を追及、非難し、会社はこれを否定し、ここにも紛糾の種が生じた。その後、会社、組合及び新組合の三者による調査委員会によって調査がなされたが、遂にこれを誰が設置したかは明らかにされなかった。(〈証拠〉)

(一〇)  五月一〇日、始業時三〇分間のストライキのほか、厚木工場においては、同日、約一〇〇名の大量の指名ストライキが行われ、また、同日の午後と一一日の午前、午後とに時差部門ストライキが行われたが、一〇日の時差部門ストライキについては事前の通告がなく、一一日に、同日分と一〇日の分とを合わせた通告がなされた。

また、調布工場においては、一〇日まで前記のような重点部門ストライキが続いていたが、一一日には、時差部門ストライキとして、午前八時一〇分から一〇時まで本社と抵抗器製造部、一〇時一〇分から一二時までバリコン製造部と加工課、午後一時一〇分から三時までコイル製造部と資材部、三時一〇分から五時までモーター製造部、バリコン・コイル製造部技術課、コイル受入検査係等と順次時限ストライキを行い、各ストライキ時間中職場集会を開いた。これらは、製造工程において相互に関連し合う各部門が時間をずらして順次ストライキに入るもので、当該各部門での能率低下にとどまらず、全工場の作業の停滞をもたらすものであって、その影響は重大であり、最少の犠牲で最大のダメージを与えるという前記組合の方針の現れであった。しかも、右ストライキの通告においては、「午前八時から午後五時までの間部門ストを行う」というのみで、どの部門が何時からストライキに入るのかが全く不明なため、会社の対応を困難にし、事前の通告はなきに等しいものであった(始業時三〇分間のストライキの点は当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(一一)  五月一二日、厚木工場においては、百数十名にのぼる指名ストライキ、午後部分時限ストライキがなされ、本社、調布工場においては、終日、六日以来と同様の(ただし対象が一部入れ替った)重点部門ストライキが行われた。(〈証拠〉)

(一二)  五月一三日、本社、調布工場では、「午前八時から午後五時までの間、部門、部分ストに入る」旨の通告をしたのみで、同月六日以来と同様の重点部門ストライキ、一一日と同様の時差部門ストライキを行い、職場集会をし、厚木工場においても、通告のうえ、前日に引続き時差部門ストライキを行った。

この日には団交が行われ、依然歩み寄りはなかったが、組合は、次回の団交を五月一九日に行うことを会社に申し入れるとともに、それまでは闘争をエスカレートさせないから、会社の前向きの回答を期待する旨の提案をした。なお、この一三日、電機労連の一〇組合は、八〇〇〇ないし九〇〇〇円賃上げの回答を不満として、四八時間のストライキに入った。(〈証拠〉)

(一三)  五月一四日には、厚木工場では一〇〇名余の指名ストライキ、午後三時一〇分以後の全面ストライキがなされ、調布工場では前日同様の無期限の重点部門ストライキを継続した。一五日、組合執行委員会は、一九日の団交で誠意ある回答のない場合には闘争を強化するという方針を決め、一七日に会社に対して改めて一九日の団交の申入れをした。組合は、一七日には、始業時三〇分間のストライキ(これがなされたことは当事者間に争いがない)のほか、調布工場において重点部門ストライキを継続し、一八日にも範囲を縮小したが、同様のストライキを行った。

一方、会社は、一七日、社長名義で「一発回答の意義」と題する書面を従業員に配布し、一次回答が最大限で最後の回答であることについての理解を求めた。(〈証拠〉)

6  五月一九日以後の経過については次のとおり認められる。

(一)(1)  会社は、組合の一九日の団交の申入れに対して、一八日、「賃上げは一次回答のとおりであり、変更の意思がなく、今後団交を重ねても進展がないことを承諾し、かつ、団交時間を午前九時三〇分から正午までに厳守するならば、団交を受ける。」旨の回答をした(時間制限の条件付で団交応諾の回答をしたことは当事者間に争いがない)。右回答の前段は、組合の団交の申入れに「誠意ある回答を期待する」との文言があったので、組合の主張する満額回答でなければ誠意ある回答ではないとして非難されることが予想されたことによるものであり、後段の条件は、昭和四五年年末一時金要求の団交の際、組合員が廊下に坐り込み、会社交渉員の行動を拘束して圧力を加えた経験によって考えられたものであったが、組合側は、これを実質的な団交拒否と受取った。(〈証拠〉)

(2)  他方、会社と新組合との間では、一八日、会社の一次回答と同一の一人平均七一九五円の賃上げ等で交渉が妥結した(この事実は当事者間に争いがない)。しかし、組合執行部は、同日中はその事実を知らなかった。(〈証拠〉)

(3)  一九日、組合は、右実質的団交拒否に抗議するため、急きよ始業時三〇分間の全面ストライキを行ったうえ、午前九時三〇分からの団交に臨んだところ、丁度そのころ、会社は、新組合と妥結した旨の文書を従業員に配布した。団交開始後、会社側団交委員長篠原副社長は、午前一〇時三〇分頃所用のため退席したところ、控訴人はこれについて事前に組合側の了解を得てあったとするのに対し、組合側は、会社側が不当に団交を打切ろうとするものであるとして、これを阻止すべく、調布支部において一〇時四五分から全面ストライキに入ることを急きよ決定し、組合員が多数団交会場の本社内講堂前の廊下につめかけ坐り込む事態となった。そのため会社側も午後四時まで団交を続けることに同意したが、結局団交の内容は進展を見なかった。組合は、本社、調布工場においては前記時刻から引続き、厚木工場においては午後一時からそれぞれ終日全面ストライキを行った(同日団交が行われ、その際組合員が前記廊下につめかけたこと及び組合がストライキをしたことは、当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(二)(1)  五月二〇日、組合は調布、厚木両工場で前日に引続き全面ストライキを行い、調布工場では午前七時頃から八時過ぎまで正門でピケッティングを行い、また厚木工場では午前九時ごろから正門及び北門でピケッティングをした(右各ピケッティングの事実は、当事者間に争いがない)。

(2)  二一日は、厚木工場においてチューナー製造部生産管理課が無期限重点部門ストライキに入り、本社、調布工場においては六日以来と同様の重点部門ストライキを行った。(〈証拠〉)

(3)  二二日も前日と同様のストライキから始まり、厚木工場では午後一時から、本社、調布工場では午前一〇時三〇分からそれぞれ全面ストライキに入った(右各全面ストライキに関する事実は当事者間に争いがない)。

ところで、会社側は、同日夕刻、調布工場から製品、部品、治工具等若干を運び出し、本社や関連会社に運んで、ストライキにより同工場での操業が不能となった場合の社外生産に備えることとした。一方、組合執行部は、同日、以後の闘争方針として、二四日、二五日と二七日、二八日とにそれぞれ四八時間の全面ストライキを行い、非組合員の入構、操業を阻止すべく各部門でピケッティングを行う方針を立て、二二日付のビラで組合員にスクラムの組み方を詳細に説明するとともに、右のストライキ予定日を知らせ、なお、組合組織率の高い厚木工場の組合員が調布工場へ応援に出るように呼び掛け、かつ、二三日夜から泊り込み要員を募った。(〈証拠〉)

(4)  二三日(日曜)、会社は、調布工場から部品等の搬出を続け、調布、厚木両工場において正門から組合事務所まで一メートル巾の通路を示す二本の白線を引き、看板と文書をもって、ストライキ中の組合員がこの通路と組合事務所以外の場所に立ち入ることを禁ずる旨を通告した(白線で右通路を示し、立入り禁止を文書で通告した事実は、当事者間に争いがない)。

(三)  五月二三日夜、被控訴人藤原は、他の組合役員三名とともに森部一社長の自宅を前触れなく訪れ、社長に面会して、事態収拾のため歩み寄りの余地はないかを質したが、社長は、団交で会社側が説明している趣旨を繰り返して、歩み寄りはできない旨を答え、被控訴人藤原がそれでは組合としては闘わざるを得ないと述べたのに対して、社長も、組合の理解が得られずあくまで闘うというのであれば、会社としても受けて立たざるを得ない旨述べて、話合いは物別れに終わった。

(なお、〈証拠〉中の、右会談の際社長が「一〇〇日戦争をしてでも闘う、組合の無条件降伏あるのみだ」と述べたとの部分は、当審における控訴人代表者尋問の結果に対比して直ちに採用しがたいが、右認定のとおり、会社側から妥協に向かう意思が全くないという趣旨を社長が述べたことは明らかである。)

(四)  五月二四日、二五日に、本社、調布及び厚木両工場において四八時間の全面ストライキが行われた事実は、当事者間に争いがない(もっとも、控訴人は、右ストライキにつき、本社・調布工場においては、無通告による連続業務放棄である旨主張し、乙第二四五号証によれば厚木工場については通告があったと認められるのに対し、本社・調布工場については文書による通告がなされたことを確認し得ないが、ストライキがなされた事実そのものについては争いがない)。右両日のピケッティングの状況については後に少し詳しくみることとする。

(五)  五月二六日は給料日のため、組合は予めストライキは予定していなかったが、調布工場においてロックアウトの危険ありと判断した執行部は、同日朝出勤してきた組合員に緊急の指示をして全面ストライキに入り、ピケッティングを行い、更に厚木工場においては男子全員について指名ストライキの通告をして、調布工場への応援に赴かせた(調布工場においてピケッティングを行い、厚木工場勤務の男子組合員のほとんど全員につき指名ストライキを行ったことは、当事者間に争いがない)。そして、組合は給料の支払について会社側と折衝した結果、午後二時頃、支給は午後四時から本社で行うが、非組合員の従業員が工場内に置いてある印章を取りに入る際はピケッティングを解くこととし、相互に挑発行為を行わない旨の協定が成立し、午後三時半ごろ正門のスクラムに通行口を開けて非組合員を通した。しかるに、会社側は、午後四時ごろ、製品搬出のため営業車二台を入構させようとし、組合側は、これを右協定(被控訴人らのいう休戦協定)に違反するものとし、再びピケッティングを強化した。なお、協定違反という組合側の非難に対し、会社の山本覚人事部教育担当課長は、それまで給与支払事務について右協定があることを知らなかったが、協定が存在することを組合側から聞かされ、右製品搬出行為がこれに違反すると軽信して、組合側に対して、悪いことをしたと謝った。

同日、被控訴人藤原は、団交委員でもある水野調布工場副工場長に、「事態収拾のため解決の糸口を見出したいが、骨を折ってもらえないか」との相談をもちかけ、水野は、「やるだけのことはやって見よう」と答えた。

(〈証拠〉)

(六)(1)  五月二七日、二八日には、組合は、通告のうえ、調布、厚木両工場において連続四八時間の全面ストライキに入り、各門でピケッティングを行った(右両日のストライキ及び両工場におけるピケッティングの事実は当事者間に争いがない)。(〈証拠〉)

(2)  会社は、組合のピケッティングによる就業阻止が続くため、社外生産を始めることに決め、二七日から関連工場、外注工場の一部を借り、調布工場の非組合員約四〇〇名をもって、二三日までに搬出していた若干の治工具を用い、一部は借受工場の遊休設備を使用して生産を始めたが、その能率は、本来の生産体制のそれに比して甚だしく劣るものであった。

(3)  二七日、前日の水野副工場長が被控訴人藤原から受けた申入れに基づき、組合側同被控訴人ほか三名、会社側篠原団交委員長ほか三名の間に非公式交渉が行われ、組合側が「賃上げの名目では呑めないのなら、食事手当として一〇〇〇円を上積みしてほしい」と要望し、会社側は「社長の意向を聞いて検討する」旨答えた。しかし、翌二八日、会社側から、水野副工場長を通じて被控訴人藤原に、右の要求にも応じられないとの回答が伝えられた。

(七)  社長は、二四日以来の組合による入構等の阻止により操業停止の状態に至っていることに鑑み、管理職の結束を固める必要があるとの判断から、二七日、本社、調布工場、厚木工場において、それぞれ課長以上の管理職を集めて、その趣旨を説明したうえ、「誓約書」と題し「私はミツミ電機株式会社の役職者として、今回の争議に際し、社長の方針に従って行動を共にし、統率を厳守することを誓います。万一、これに反する言動のあるときは、別紙提出の退職届けを正式に受理されても異存のないことを、ここに連判して誓約致します。」と記載した書面に連署させ、各自から同時に退職届けを提出させ、これを預り置いた。なお、右退職届は、春闘妥結後の七月五日、社長名の感謝文とともに各自に返還された。(〈証拠〉)

(ところで、被控訴人らは、右誓約書が作成されたのは五月二二日であると主張して、組合が二四日以降の全面ストライキに入る前にこのような措置をとったことが会社の組合に対する対決姿勢の現われであるとするものであり、原審における証人小田融及び同河本恭男の各証言中には、誓約書(連判状)に署名したのが二二日であるかのごとく供述する部分があるが、右供述部分は、控訴代理人の作成日を五月二二日とする前提での尋問に触発された結果と解され、作成日が書面上の日付と異なることについての説明もないことに徴し、実際の記憶に基づくものとは認められないところである。また〈証拠〉における被控訴人藤原本人尋問の結果中、二三日の社長宅での会談の際、社長が「職制の身柄を預っている」と述べた旨の部分は、当審における控訴人代表者尋問の結果に対比して採用することができない。他に右誓約書の作成日時が同書記載の日付と異なることを認め得る証拠はない。)

(八)(1)  五月二九日は休日であったが、調布工場においては、組合はロックアウトを警戒して、引続きピケッティングを行った(調布工場においてピケッティングをした事実は当事者間に争いがない)。同日、組合側・被控訴人藤原ほか三名と会社側・社長、原口副社長との間にトップ交渉が行われ、組合側は、会社の譲歩を求め、これに対し社長は、事態を収拾しなければならないとは考えるが、組合の入構阻止等違法な闘争手段を背景として組合の要求に応ずることは、今後の規律保持、労使関係に悪影響を及ぼすので、まず、違法な闘争をやめることが先決である旨述べ、なお、組合側で収拾可能な具体的条件を考えるよう求めて、会談を終えた。同日、組合は、会社に対し、三一日に団交をするよう申入れた。

(2)  五月三〇日も休日であったが、組合は、調布工場においてピケッティングを行った。同日、被控訴人藤原と社長とが会談し、同被控訴人は、前日の執行部委員会の決定に基づき、組合側の妥協案として、(イ)賃上げは月額八〇〇円を上積みし、ただし、本年度は一時金として一年分の九六〇〇円を支給し、翌年以降の賃上げに月八〇〇円を底上げすること、(ロ)有給休暇を若干増加すること、(ハ)中間採用者の賃金是正をモデル賃金の八五パーセントまで行うこととの要求を述べ、社長は検討のうえ、翌日の団交の席で回答する旨述べた(以上の事実は当事者間に争いがない)。

(3)  同日、会社は、翌三一日の団交には、組合が団交時間中入構、搬出入を阻止しないことを条件として応ずる旨の回答をした。

(九)(1)  五月三一日、組合は、全面ストライキを行い、調布工場各門でピケッティングを行った(ピケッティングを行った事実は当事者間に争いがない)。このころには、会社は、取引先から製品納入を厳しく督促され、一部は発注を取消される事態も生じていた。(〈証拠〉)

(2)  組合は、同日の団交について、会社の示した条件につき、交渉のなされている間は製品搬出の妨害をしない旨を約し、会社もこれを了解して、同日団交が行われた。そこで示された前記(八)(2)の要求に対する会社の回答は、「(イ)時間外労働協定(三六協定)は、前年どおり、一年間について締結すること、(ロ)争議協定を会社提案どおり締結すること、(ハ)右の二点を前提として、中間採用者の賃金をモデル賃金の八〇パーセントまで是正すること、(ニ)その余の二項目は受け入れられないこと」というものであった。そして、会社は、回答にあわせて、今回の争議において違法行為のあった幹部は処分せざるを得ない旨を述べた(同日団交が行われ、会社が右のような回答をし、かつ、違法行為者を処分する旨を述べた事実は、当事者間に争いがない)。組合側団交委員は、会社の回答に、これまでになかった新たな条件が付され、しかも処分の予定を告げられたことに憤激して席を蹴って立ち、団交は約一〇分間で決裂した。そして、被控訴人鈴木は直ちに団交会場から電話で調布工場の組合員に製品搬出の阻止を指令した。

(3)  同日、会社は、組合を相手方として、裁判所に妨害排除の仮処分を申請し、翌六月一日、その事実を、放送及びビラをもって「仮処分が裁判所に受理された」という表現で従業員に発表した。右仮処分事件の審尋期日は六月五日に指定された。(〈証拠〉)

(一〇)(1)  六月一日から四日まで、組合は両工場で終日全面ストライキを行い、調布工場では正門、裏門でピケッティングを行った(調布工場でピケッティングをした事実は当事者間に争いがない)。

(2)  同月二日夜、組合の合同執行委員会において今後の闘争方針につき検討した結果、もともと闘争資金のない組合としては、これ以上全面ストライキを継続することは不可能であると判断し、同月四日を最後に連続全面ストライキをやめて就労し、以後は東京都地方労働委員会に斡旋申請をするとの方針を決定した。そして、同月四日、右執行委員会の方針が組合の職場集会、全体集会において承認されるとともに、処分が出ないならば、現段階の会社回答で妥結することもやむを得ないとの結論になり、同日限りをもってストライキを終結した。(〈証拠〉)

(3)  しかるに、会社は、六月四日、新組合員、組合未加入者を対象として、社外の悪条件下での労務に謝する意味で、就労感謝金一人二〇〇〇円を七日に支給する旨を発表した。そして、組合が七日からの就労(五日、六日は休日)を決定すると、組合員にも、七日に就労したことが確認された後に同額を支払う旨を通告した。(〈証拠〉)

7  全面ストライキ解消後本件処分までの経過については、次のとおり認められる。

(一)(1)  組合員は、六月七日朝から就労した(この事実は当事者間に争いがない)が、同日以後も連日組合役員について指名ストライキがなされた。また、八日には、調布工場のコイル製造部製造課、バリコン製造部製造課の多数の者を指名して実質上部分ストライキというべき指名ストライキがなされた。(〈証拠〉)

(2)  九日、組合の斡旋申請による東京都地方労働委員会の事情聴取が行われたが、会社は斡旋を拒否した。(〈証拠〉)

(3)  八日、十日、一五日、二五日にそれぞれ団交が行われ、組合は、賃上げについては会社回答のとおり妥結せざるを得ないとの結論に達していたが、会社側が三六協定及び争議協定の締結を求め、更にはこれを春闘要求に関する協定締結の条件とするに至った(右各団交が行われたこと、会社が三六協定及び争議協定の締結を春闘妥結の条件としたことは、当事者間に争いがない)ため、これについて交渉が重ねられた。そして七月一日の事務折衝で三六協定及び争議協定の内容について一応の合意ができ、これについては春闘妥結とは別個に協定を締結することを会社も承諾したので、七月二日春闘妥結の運びとなった。(〈証拠〉)

(二)  七月二日、組合と会社との間に、昭和四六年度賃金改訂及び付帯要求に関する原判決別紙一三記載の内容の協定が締結された(この事実は当事者間に争いがない)。

(三)  七月六日、三六協定が締結された(この事実は当事者間に争いがない)が、争議協定については、結局内容について完全な合意が得られず、締結に至らなかった。

(四)  会社は、七月八日、就業規則上懲戒処分をなすについての社長の諮問機関とされている懲戒委員会を開催し、四六年春闘における違法行為者に対する処分を検討した。同委員会の構成員は、小池人事部長ら管理職五名と菅原新組合執行委員長、細川総務部員(元ミツミ会理事長)及び被控訴人藤原であったが、同被控訴人は当事者であるので、それに代わって西田モーター技術課員が加わり、被控訴人鈴木、同吉田、原審申請人小美濃から事情を聴取し、弁明を聞いたうえで、被控訴人らについては解雇相当の答申をした。そして、翌九日及び一二日に本件処分がなされた。(〈証拠〉)

四そこで、控訴人主張の本件闘争の各事実について検討する。

1  事件

厚木工場所属組合員である斉藤征吾及び嘉戸正弘が、四月一九日、川村ひろ子に対し「組合に入らないか」と声をかけたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右斉藤及び嘉戸は、同工場のチューナー製造部生産管理課購買係に所属し、組合の中央委員であったが、同日午前一一時三〇分頃、両名が相前後して、同課倉庫係の従業員で作業中の川村ひろ子の傍らへ赴き、調布工場から転属されて来たばかりの同人に対し右のように声をかけて組合への加入を勧誘したが、同人が新組合に入っている旨答えると、「厚木へ来たら組合に入った方が良い」などと言って、それ以上執拗に勧誘することなくその場を離れたことが認められ、右各証拠中この認定に反する部分は爾余の各証拠に対比して採用し得ず、他にこれを左右し得る証拠はない。

しかして、右勧誘が被控訴人らの具体的指示に基づくものであるか又は勤務時間中の組合加入勧誘が組合執行部の方針に基づくものであることを認めるに足る証拠はない。

2  事件

四月二三日、半日ストライキ及び厚木工場正門でピケッティングが行われたことは前記のとおりであり、同日、組合が同工場の一、二号館の窓ガラス、壁面の支柱、鉄柱、窓枠、扉にビラを貼付したことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同日、組合は、午後二時四〇分頃から四時三〇分頃までの間、被控訴人藤原、原審申請人山崎、同福島、同小川の指揮のもとに、約五〇〇名の組合員をもって、厚木工場正門の内側、外側の通路幅一杯に幾列もの横隊でスクラムを組み、北門にも約六〇名の組合員をもって同様のスクラムを組んで、右各門からの入出構、入出荷を不可能とし、午後三時一〇分頃から同五〇分頃まで反復して約四〇〇名の組合員により、同工場構内本館前通路において、笛で音頭をとり、ワッショイ、ワッショイの喚声をあげながらジグザグ型に行進するデモ(以下「ジグザグデモ」という)を繰り返したこと、また、同日午後四時三〇分頃以降、被控訴人藤原の指揮のもと、同有坂を含む多数の組合員が、前記各場所、そのほか階段、廊下の壁等の至る所に「スト決行中」「鈴木解雇」「鈴木帰れ」「中間採用者是正」「要求貫徹」などと記載した数百枚のステッカーないしビラ(以下単に「ビラ」という)を貼付し、またビラを並べて張ることにより「スズキカイコ」などの大文字を作出し、窓ガラスは透視困難なほどになった所もあり、同日中に玄関のガラス扉のビラのみは守衛が剥がしたが、到底短時間に剥がしきれる量ではなく、また剥がした跡も糊が醜く残り、特に鉄製の個所(窓枠、鉄柱、鉄扉等)ではビラを剥がした跡の塗装も剥がれ、その跡は時日の経過とともに錆を生じて醜悪な状態となったこと、以上の事実が認められる。控訴人は、これらのビラの貼付に用いられた糊は通常の糊ではなく、鉄を腐食させる化学薬品を混入したものであると主張するが、普通の澱粉糊であってもビラを剥がす際にある程度塗装も剥がれることは避けがたく、その跡には発錆する場合もあり得ることは容易に推測されるところであり、前掲疎乙号各証中の写真に見られる状況によっては故意に化学薬品を使用したものと直ちに認めることはできず、疎乙第二九四号証の記載及び前掲証人鈴木章一の証言中右主張に沿う部分を以てしては未だ心証を得るに足りず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

3  事件

組合が四月二四日厚木工場正門横の鉄製外柵に赤旗二本を設置したことは、当事者間に争いがなく、疎乙第二九四号証によれば、右設置は、午後〇時二〇分頃、守衛の制止を無視してなされたものであることが認められる。

4  事件

組合が四月二六日厚木工場正門横の鉄製外柵に赤旗七本を設置し、会社側がこれを撤去したところ、組合は再度同所に赤旗一二本を設置したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原審申請人山崎ほか一名が午前八時頃、守衛の制止を無視して、赤旗七本を前記個所の鉄柵に縛りつけて掲げ、その後守衛がこれを取りはずしてその場に置いておくと、再び組合側が設置するということを午前一〇時頃、午後三時三〇分頃及び午後五時頃と三度繰り返し、三時三〇分頃以降は赤旗の数も一二本になったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

5  事件

組合が四月二七日に半日ストライキ行い、厚木工場で集会、デモ、ピケッティングがなされたことは前記のとおりであり、〈証拠〉によれば、同日午後一時一〇分から三時までの間、同工場の正門において約五〇名、北門において約四〇名の組合員をもってピケッティングを行い、入出構を阻止する態勢をとり、午後二時三〇分頃から約三〇分間、正門付近から本館前までの構内通路において、被控訴人藤原、原審申請人山崎、同福島らの指揮のもと、約四〇〇名の組合員が、笛に合わせ、ワッショイ、ワッショイの喚声をあげ、あるいは労働歌を高唱しつつ、ジグザグデモを行ったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

6  事件①②

組合が、五月七日、本社のブロック塀外側に「春闘勝利」「団結」「一五パーセントプラス一律五八〇〇円」等と記載したビラを貼付し、また、調布工場のバリコン工場ロッカー室等の窓ガラス等にビラを貼付したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同日午後一時四〇分頃、被控訴人吉田の引率した約四〇名の組合員が、職制の制止を無視して、本社の塀のほか玄関扉、窓ガラス等に前記のような記載の約二〇〇枚のビラを貼付し、また、午後五時頃から組合員が調布工場内の前記場所のほか食堂の扉等に約八〇枚のビラを貼付したこと、これらのビラを剥がした個所の内鉄製部分については、後日赤錆を生じたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

7  事件

五月一一日、厚木工場の合同朝礼において鈴木美憲同工場長が発言したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、鈴木工場長は、同日午前八時二〇分頃から同工場本館内食堂において行われた製造部門の合同朝礼において、前月の各製造部門別及び同工場全体の生産計画量と実績、達成率を発表した後、組合の春闘要求に触れ、「会社は、誠心誠意できる限りの回答を行ったのであるから、社員の皆さんも会社の現状を認識して妥結に協力し、生産目標の達成に向けて協力してほしい」旨を述べたこと、ところで、会社と組合との間に、前年の夏期一時金要求の際の団交の確認事項として、「朝礼においては組合の批判は行わない」との合意があったところ、被控訴人藤原は、同工場製造部所属ではなく、しかも組合専従で、右朝礼に出席すべき立場にはなかったものではあるが、四六年春闘の長期化に伴い、朝礼等で組合批判の発言がなされるかも知れないと考え、右朝礼に出席しており、工場長の右発言を聞くや直ちに「質問」「質問」と連呼しながら、工場長の方へ歩き出し、これを阻止し場外へ連れ出そうとする職制と右被控訴人及び組合員らとの間に小競り合いとなり、他方鈴木工場長は、直ちに朝礼の終了を宣言して退席しようとし、これを阻止すべく「工場長逃げるのか」と叫んで通路に立ちはだかった組合員らとの間にもみ合いとなり、騒然とした状態を生じたことが認められる。前掲各証拠の内右認定に反する部分は、爾余の各証拠に対比して採用しがたく、他にこれに反する証拠はない。

8  事件

〈証拠〉によれば、厚木工場チューナー製造部生産管理課購買係所属従業員であり組合の執行委員であった伊東明は、指名ストライキ中の五月一七日午前九時ごろ、同工場コック倉庫内で一人で出庫業務に携っていた前記川村ひろ子のところへ赴き、同人に対して約一〇分間にわたり組合への加入を勧誘したことが認められ、これに反する〈証拠〉は信用しがたく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。しかし、右勧誘の際川村ひろ子を恐怖に陥れた旨の控訴人主張事実については、これに沿う疎乙第三九六号証の記載は直ちに採用し得ず、他にこれを認めるに足る証拠はなく、また、前記の事件と同様、右組合加入勧誘行為が被控訴人らの具体的指図に基づくものであるか又は勤務時間中の組合加入勧誘が組合執行部の方針に基づくものであることを認め得る証拠はない。

9  事件③

五月一九日の団交の際、組合員らが団交会場である本社講堂前廊下につめかけたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、前記のとおり、同日午前一〇時三〇分頃、会社側団交委員長の篠原副社長が所用で退席したため、急きよ、被控訴人鈴木、同吉田、原審申請人小美濃らは、同日午後からの予定であった全面ストライキを、調布支部においては午前一〇時四五分からに繰り上げて行うことに決定し、調布工場・本社所属の組合員数百名を招集したが、団交の席から抜け出した被控訴人鈴木において、爾余の団交委員の退去を阻止して団交の継続に圧力をかけるため、組合員約五〇名を会社の制止を無視して社員通用口から社屋内に導き入れ、団交会場である講堂の前の廊下に坐り込ませ、残余の組合員らは、本社中庭で集会を開いて、マイクを用いてシュプレヒコールを続けたうえ、次第に多数の組合員が社屋に入り込み、これらと退去を求める職制との間に激しい非難の応酬があって喧騒を極め、本社内の執務が困難な状況になったこと、しかしその後会社側が団交を午後四時まで行うことに同意したので、組合員らは、午後一時頃まてに順次調布工場へ引揚げて行ったことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

10  事件

五月一九日、組合員らが厚木工場の窓ガラス、壁面の支柱、鉄柱、窓枠、鉄製扉にビラを貼付した事実は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同日午後二時前頃から三時頃までの間、原審申請人山口執行委員の指揮のもと、被控訴人有坂が率先し約四〇名の組合員によって、会社の制止を無視し、同工場本館及び一、二号館の窓ガラス、壁、壁面の支柱、鉄柱、窓枠、扉、階段、廊下の壁等に「鈴木解雇」「鈴木帰れ」「要求貫徹」等と記載した大量のビラを貼付したこと、その結果、窓ガラスを透視困難な状態にし、また鉄製部分のビラを剥がした跡は四月二三日に貼付した跡(事件)とともに、赤錆を吹き出した状態となったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

11  事件④

組合が、五月二〇日午前七時三〇分頃から調布工場正門等でピケッティングを行い、本社前庭で集会を開いてシュプレヒコール等を行い、その後同工場で集会とジグザグデモを行ったこと、また同日同工場のコイル工場屋上時計台に赤旗一本を設置したことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同日午前七時三〇分頃から、被控訴人鈴木、同吉田、原審申請人小美濃の指揮のもとに約一〇〇名の組合員が、先に入構していた職制、警備員らの抗議を無視して、同工場正門の内外に厚くスクラムを組み、出勤してきた職制、新組合員、非組合員らの内十数名を通過入構させたほかは、スクラムを堅くして通路を塞ぎ正常な入構を妨害したこと、また、通常出勤時及び退社時に各三〇分間開門される裏門において、警備員が会社の指示により解錠し開門するや、小美濃が別の南京錠を持って来て封鎖し、会社側がこれを大型カッターで切断すると、正門にいた組合員の一部が駆けつけて裏門にもスクラムを組んで入構阻止の態勢をとったこと、そのため、通常は出勤する従業員の自家用車約五〇台が裏門から入構するはずのところ、同日は出勤時間内には裏門からは車二、三台と徒歩の従業員数名が入構したにすぎなかったこと、しかし、組合は、午前八時すぎには正門、裏門ともピケッティングを打切り、その後は入出構の妨害はなかったこと、右のため、同工場内における非組合員による操業は、通常の始業時刻より二、三〇分遅れて始まったこと、ピケッティング打切後、組合員約一〇〇名は、被控訴人鈴木及び同吉田の指揮のもとに、本社前庭に赴き、同所で約三〇分間集会を行って労働歌を高唱するなどし、その後調布工場に戻って、会社側の制止、警告を顧みず、ワッショイ、ワッショイと喚声をあげつつ、約三〇分間ジグザグデモを行ったこと、また、前記コイル工場屋上に掲げた赤旗については、職制が右被控訴人両名に撤去を求めたが、応じなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

12  事件

組合が、五月二〇日午前九時から厚木工場でピケッティングを行い、同工場正門横の鉄製外柵に赤旗三本を設置し、会社側が右赤旗を取りはずしたところ、組合が再び同所に赤旗一一本を設置したことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同日午前九時頃から正門では小原執行委員指揮のもと約二〇〇名の、北門では山口執行委員指揮のもとに約五〇名の組合員がそれぞれ強固なスクラムを組み、同日正午頃までこれを続け、その間非組合員、外来者の入出構を妨げていたこと、被控訴人有坂は、右正門のスクラム及び前記赤旗設置に加わっていたこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

13  事件

組合が、五月二一日、厚木工場正門両側に赤旗と立看板を設置したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同日午前九時頃、小原執行委員の指揮のもとに一四、五名の組合員らが守衛の制止を無視して、一三本の赤旗を右鉄柵に縛りつけて掲げ、これを会社側に取り払われないように見張りを置き、また、縦約一メートル、横約四メートルの「スト決行中」と記載した立看板を正門脇に立てたこと、同日午後二時四〇分頃から三時頃までの間に、約一〇名の組合員が、職制の制止を振り切って、同工場本館正面玄関ホールのガラスに多数のビラを貼付して、ガラス扉はほとんど全面を覆うばかりにし、窓ガラスにはビラを貼り並べることにより先の五月一九日に貼付(事件)したビラと合わせて「要求貫徹」「春闘勝利」「一〇〇〇〇円カクトク」等の文字を作出したこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

14  事件

厚木工場で五月二二日午後半日の全面ストライキが行われたことは前記のとおりであり、同日組合が同工場正門及び北門でピケッティングを行い、デモをし、赤旗及びプラカードを設置した事実は当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合執行部は、同日ピケッティングに先立ち、組合員にビラを配布し、ピケッティングの態勢について説明するとともに、その注意事項として、「(1)車及び人に対して器物等及び手足を使用しての暴力行為は絶対に避けること、(2)万が一職制と口論になった場合は、腕を組み手を出さない姿勢とすること、(3)車については交通渋滞のないように秩序良く誘導すること、(4)車はピケットラインよりできるだけ遠ざけて停車させピケラインに突込まれないよう注意すること、(5)強行突破の可能性のある際は先頭棒にて阻止し、それ以上強行に及べば全員坐り込みで闘うこと、(6)ボップ(厚木工場構内にある関連会社)及び寮、組合に用事のある人、車は北門より通行させ確認すること、(7)外部車は平和説得により帰ってもらうこと」等を知らせたこと、組合は、同日午後一時一〇分からストライキに入り、被控訴人藤原の指導のもとに三〇〇ないし四〇〇名の組合員が午後五時頃まで正門及び北門で厚くスクラムを組み通路を塞ぎ、残りの五〇〇ないし六〇〇名の組合員らは、午後二時頃まで職場集会を、次いで三時五〇分頃から正面玄関前で決議集会、シュプレヒコールを行った後、原審申請人福島、同山崎の指導のもとに約三〇分間構内でジグザグデモを行ったこと、また小原執行委員ほか一名が同工場正門横の鉄製外柵に赤旗一三本とプラカード五枚を縛りつけて掲げたこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

15  事件⑤

組合員らが、五月二三日夜調布工場食堂に泊り込んだこと、会社が二四日同工場正門から組合事務所までの通路を示す白線の上にロープを張ったところ、組合員がこれを撤去したこと、組合が同日午前六時頃から同工場正門、裏門、コイル北非常門、コイル南門、コイル東非常階段でそれぞれピケッティングを行ったこと、会社が新組合員、非組合員らを集合させ、職制が入構させるよう組合側に要求したこと、組合がバリコン工場で集会を開いたこと、会社側が製品を搬出しようとしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

すなわち、当日より先の二二日被控訴人鈴木は、調布工場での組合員の全体集会の際、二四日からは坐り込んでも入構を阻止せよと指示、演説した。組合調布支部は、二四日のピケッティングにつき予め、正門の門扉は車による突入を防ぐため一人通れるだけの隙間を残して閉め、スクラムをジグザグに組んでピケッティングを行い、裏門は門扉の開閉をさせないように隊列を組み、他の各門には数名ずつの見張り要員を置くこととし、表面処理工場屋上に司令部を置き、当日の総指揮をとる被控訴人吉田のほか一名がその責任をもつこと、その他執行委員の役割分担を決めた。また、同被控訴人と原審申請人小川ら厚木工場からの応援者ら十数名の組合員が、翌朝のピケッティング態勢の確保及び会社側のロックアウト警戒のため、二三日午後一一時頃から調布工場食堂に泊り込み、二四日午前四時三〇分頃構内を巡視する守衛に発見され退去を求められたがこれに応ぜず、更に、被控訴人吉田は、同日午前五時頃、施錠されていた同工場裏門の門扉の脚部を針金で緊縛して開閉を困難にし、次いで、会社が前日裏門内側に設置した「組合事務所及び白線をもって表示した通路以外への立入りを禁ずる」旨の立看板をロッカー室裏側の外壁に裏返しにして立てかけ、目に触れないようにした。そして、被控訴人鈴木、同吉田は、同日午前六時頃から集合して来た組合員を正門に約五〇〇名、裏門に約五〇名、その他のコイル各門に各十数名に分けて配置し、同七時頃からピケッティングを行わせた。その内、正門においては、門の幅が約6.7メートル、門の内側に入った所から構内へは、西側を表面処理工場、東側を守衛室等のある建物によって画された幅員約8.5メートルの通路となっているところ、門扉を約0.5メートルの間隔を残して閉め、その外側に執行委員、中央委員を前面にして約五〇名の組合員らが約四列の横隊のスクラムを組み、門の内側では、その余の組合員が男子を前方にして、通路の幅一杯に奥行約一五メートルにわたり二〇列近い横列のスクラムを組み、裏門においてもその幅一杯に約四列の同様のスクラムを組んだ。右のスクラムは、各列交互に列の一端に人一人が辛うじて通れるだけの幅を開け、入構しようとする者は、門扉の中央から入った後、横へ歩いて内側最前列の一方の端から同列と二列目の間へ入り、その間を横に歩いて他の一端から二列目の後へ入るというようにジグザグに組まれ、しかも列と列との間隔も、人が身体を触れないでは通れない程度の幅を残すのみであって、門の外側から見て、抵抗なく通過できるようには到底見えないものであった。会社側は、午前八時頃から出勤して来た職制、新組合員、非組合員約五〇〇名を正門の斜め向かいの野川対岸空地に集め、午前九時頃、その一部が職制を先頭に縦隊となって正門に至り、入構させるよう要求したが、組合側は全くスクラムを解かず、最前面の組合員らが職制の前に立ちはだかり、更に横から縦隊の間へ割って入るなどしながら、口々に「このようになったのは会社が悪いからだ」「会社が我々の要求を認めるまでは断固闘う」「職制といっても同じ労働者の仲間ではないか。我々の要求を理解し共に闘おう」「ストに協力せよ」などと叫び、スクラムを緩める意思のないことを明らかにし、職制らも「ピケは違法だ」「ピケを解け」「就労する権利があるのだから入構させよ」などと言って、押合いをしていたところ、やがて被控訴人藤原、同鈴木らが「スクラムの間に通路が空いているから通れる」と言うので、職制十数名がスクラムの間へ入って入構しようと試みた。しかし、右職制らが列の間に入ると、組合員らは、口々に大声で闘争に協力するよう求め、胸の前に腕を組んで前面に立ち塞がったり、説得と称して話しかけながら身体を寄せるなどして、スクラムの各列の間はいっそう狭まり、列の両端が前へせり出し門扉中央部分を中心にして円弧を描く形となり、入構しようとする職制は、組合員ともみ合いこれを押しのけながらでなければ進めない状態となり、膝で蹴られる等のこともあって、結局職制四、五名が約三〇分かけて入構しようとしたが、その余の職制らは入構をあきらめ門外へ引返した。また、その間、正門前で、河本工場管理部次長が、以前ミツミ会の所有で当時カメラ同好会が保管していた八ミリカメラを使用してピケッティングの状況を撮影していたところ、小原執行委員が右カメラは組合の所有になっていると主張してその引渡を要求し、吉田治夫係長が辛うじてフィルムを抜き取ったものの、カメラは小原の手に奪い取られてしまい、このような事件もあって、ますます緊迫した空気となった。そのため、会社側は、非組合員を入構させることは不測の事態を生じさせる危険があると判断して、午前一〇時頃引揚げ、帰宅させた。右ピケッティングの間、被控訴人藤原、同鈴木及び同吉田は、表面処理工場の屋上にあって、スピーカーを用いてピケッティングを指揮し、また正門のあたりにあって職制らと押問答したりなどし、被控訴人有坂は、正門外側のスクラムの最前列にあって、入構阻止に率先してあたっていた。組合は、午前一一時頃からピケッティングの人員を減らし、バリコン工場の三階で集会を行った。午後五時頃から、見張りの手薄となった正門から約一〇名の職制及び非組合員が入構し、製品を営業車六台に乗せて搬出しようとしたが、知らせを受けて駆けつけた被控訴人鈴木、同吉田ら十数名の組合員が車の前面に立ちはだかるなどして、その進行を阻止し、激論を交わした末、職制側は搬出をあきらめ、積荷を降ろした。被控訴人鈴木、同吉田を始めとする数十名の組合員は、同日夜、バリコン工場三階に入り、新品の包装用ダンボールを布団代りに使用して、泊り込んだ。同日は同工場では全く生産のための操業ができなかった。

16  事件

組合が、五月二四日、厚木工場正門でピケッティングを行ったこと、鈴木部長が乗用車で正門から入構しようとした際、組合員が動かした門扉が右車に接触したこと、送迎用バスのブレーキ用圧搾空気が抜けていたこと、組合員が同日夜同工場食堂に泊り込んだこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、当日より先の二二日被控訴人藤原は、厚木工場において、前記ストライキ中の組合員に対し、二四日からの闘争について「犬の子一匹通すな。それから得意先も絶対通すな。」などと指示演説したこと、当日同工場において、午前六時頃から正門で約一五〇名、北門で約五〇名の組合員が、原審申請人山崎らの指導のもと、各門の幅一杯に前記調布工場におけると同様のジグザグのスクラムを組んだこと、午前六時すぎ頃、正門から構内に入ろうとした鈴木部長の乗用車の前に組合員が立ちはだかってその進行を妨げ、同部長がなおも入構すべく微速前進し、これを阻止しようとした組合員が開放されていたスライド式の門扉を閉めようとしたが間に合わず、門扉のレールの上に差しかかっていた右乗用車の脇に門扉をぶつけ、ドア把手の下に幅約五ミリメートル、長さ約一〇センチメートルの凹み傷をつけたこと、もっとも、同部長は結局入構したこと、午前七時五〇分頃、伊原課長が乗用車で正門から入構しようとしたが、組合員がその前に立ちはだかり、その進行を妨げ、同課長がなおも車を微速前進させ辛うじて入構し得たが、その際組合員である小峯双美が右乗用車に接触し、両下腿打撲傷の軽傷を負ったとして、組合が後刻伊原課長の責任を追及するに至ったこと、午前八時三〇分頃、会社の送迎用バスが北門前に到着し、下車した数十名の職制、非組合員は、北門でピケッティングをしていた組合員から正門へ廻るようにと言われて正門前へ行き入構させるよう要求したが、組合員は、その行手を阻み、スクラムを解かず、口々にストライキへの協力を求めるなどして職制らと激論を交わし、この間十数名の職制がスクラムの間を通って辛うじて入構し、また数名が横の道路沿いの高さ約一メートルのフェンスを乗り越え入構したが、その余の者は入構をあきらめ引揚げたこと、その間午前七時三〇分頃から午前九時三〇分頃までの間、同工場内食堂の組合側の使用につき、使用時間の制限を主張する鈴木工場長、鈴木部長とこれを拒否する組合側との間で口論があり、会社側はいったん組合員を食堂から退出させたが、その後再び組合側がその使用を始めたこと、組合は、いずれも会社側の制止、警告を無視して、山崎副委員長の率先指導のもと、午前九時三〇分頃、正門横の鉄製外柵に赤旗五本を掲げ、午後一時すぎ頃、高さ約二五メートルのネオン塔の上、次いで本館屋上にそれぞれ侵入して赤旗各一本を掲げたこと、また、同日、送迎用バスのブレーキ用圧搾空気を抜き取る等の走行妨害工作を加えた形跡が見つかり、会社は、これを組合の意図的な破壊工作であるとして非難したが、その犯人は明らかにならなかったこと(これを組合員の仕業と疑うことにはもっともな理由があるが、少なくとも被控訴人らの責に帰すべきものと認めるべき証拠はない)、同日夜被控訴人藤原ら約一〇名の組合員が同工場食堂に泊り込んだこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

17  事件⑥

組合が、五月二五日午前から、調布工場正門、裏門、コイル北側非常門、コイル南門、コイル東非常階段でそれぞれピケッティングを行ったことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、組合は、同日も同工場において前日と同様のピケッティングの態勢をとることとし、午前六時三〇分頃から集合し始めた組合員を前記各門に配置し、午前七時頃には正門で約五〇〇名、裏門で約五〇名の組合員が前日同様にジグザグにスクラムを組み、その他のコイル各門には各数十名の見張りを配置し、その後厚木工場からの応援者が加わり、ピケッティングの人員は、正門では最高時約七〇〇名、裏門では同じく約二〇〇名に達したこと、午前六時五〇分頃から、当日の総指揮を司る被控訴人鈴木のほか同吉田が表面処理工場の屋上からピケッティングの指揮をとり、同七時三〇分頃から被控訴人有坂を含む約四〇名の組合員が構内でジグザグデモを行い、その後、同被控訴人は、正門前のピケッティングの前面に立ち、率先して入構阻止にあたったこと、午前七時五〇分頃、職制数十名がスピーカー車と共に正門前に来て、ピケを解き入構させるよう放送し、写真撮影を始め、これを非難する組合員との間に喧騒な状況となったこと、同八時一〇分頃、十数名の職制と数名の新組合員がスクラムの中に押し入り入構しようとし、スクラムを固めてこれに立向かう組合員との間でもみ合いとなり、水野副工場長のみは、被控訴人鈴木の指示で組合員が先導してスクラムを通過し、そのほかに三、四名の職制が約三〇分を費やして辛うじて入構できたものの、その余の者はスクラムの中へ入ってももまれて押し戻されるような状況で結局入構をあきらめたこと、なお、水野副工場長については、ピケッティングの中を通れることを示すための組合側のジェスチァーとみられること、午前八時三〇分頃、会社側は、出勤して来た約五〇〇名の新組合員、非組合員を野川対岸空地に集合させ、同八時二〇分頃、職制を先頭に非組合員ら約一五〇名が二列縦隊で正門前に至りスクラムの中に押し入ろうとしたが、阻止されて果たさず、更に同九時三〇分頃約二〇名の職制が正門前で入構を要求したが、組合側はこれに応ぜず、結局会社側は、以後の入構をあきらめて引揚げ、同日は同工場では全く操業がなされなかったこと、午後〇時一〇分頃から約一〇分間約三五〇名の組合員が構内でジグザグデモやシュプレヒコールを行ったこと、午後三時頃からはピケッティングの人員を減少したが、同五時以後も終夜正門に見張り要員を配置したこと、同夜十数名の組合員がバリコン工場三階でダンボールを布団代りに使用し泊り込んだこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

18  事件

組合が、五月二五日、厚木工場の正門、北門、南門でピケッティングを行い、組合員が同夜同工場食堂に泊り込んだことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日午前五時三〇分ごろから、同工場正門付近に指揮台を置き、正門門扉を約0.5メートルの幅を残して閉め、正門横の鉄製外柵に赤旗一三本、プラカード五枚を掲げ、被控訴人藤原、原審申請人山崎、同福島、同小川らの指揮のもと、午前六時頃からピケッティングを始め、午前八時頃には正門で約二〇〇名、北門で約一〇〇名の組合員がジグザグにスクラムを組んだこと、午前八時一〇分頃、北門前に会社の送迎用バスが到着し、職制を先頭に約一〇〇名の非組合員が入構させるよう要求したが、正門にいた組合員の一部も駆けつけ入構を阻止して激しい口論となり、川村係長のみがスクラムの間を通過して入構し、他に二、三名の職制が塀を乗り越えて入構しただけで、他の職制、非組合員は入構をあきらめ引揚げたこと、午後三時頃外来者があったが、組合からストライキ中である旨を告げられ帰ったこと、午後三時三〇分頃から、約七〇〇名の組合員が構内で集会を行い、被控訴人藤原が演説をしたほか、調布工場への応援から帰って来た被控訴人有坂が壇上に立って調布工場の状況の報告をし、あわせてピケッティングの態勢について教示し、その後構内でジグザグデモを行い、以後も各門に見張り要員を配置し、同夜も十数名の組合員が工場食堂に泊り込んだこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

19  事件⑦

組合が、五月二六日、調布工場において午前八時頃から前日とほぼ同様の各門でピケッティングを行ったこと、会社は、同日夕方、保安要員を入構させるよう組合に求めたこと、組合員が同夜バリコン工場三階に泊り込んだこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日午前八時頃、被控訴人藤原、同鈴木らの指揮のもと、正門で約五〇〇名、裏門で約一〇〇名の組合員によりピケッティングを行い、前日までと同様のジグザグのスクラムを組み、その他のコイル各門に各十数名の見張要員を配置し、更に九時二〇分頃には、厚木工場で指名ストの対象となった組合員約三〇〇名が応援に加わったこと、職制、新組合員、非組合員らは野川対岸空地に集合し、一部が正門に来て、入構を求めたが、組合はこれを阻止したこと、午後、前記のとおり給料支払事務に関する協定が成立し、午後三時三〇分頃から、非組合員らが順次印章を取りに入構したが、その際も、一人ごとに組合員がついて、私物以外の物を搬出したり、印章を取りに行くこと以外の行為をしないよう監視していたこと、そして、本社で給与支払のなされている間の午後四時半すぎ頃、約四〇名の職制らが四台の営業車で正門前に来て製品搬出のため入構しようとし、なおピケッティングを行っていた数十名の組合員がこれを阻止し、被控訴人吉田において車の前に坐り込み、被控訴人藤原は現場にあってこの状況を放置し、更に被控訴人鈴木の呼びかけで急きよ駆けつけた多数の組合員らが会社を非難し、同鈴木において休戦協定違反の旨抗議し、結局車は入構し得なかったこと、午後六時頃、五名の職制が正門前に来て、保安要員の交代のために入構しようとしたが、なおピケッティングを続けていた組合側は、我々が警備するから保安要員は要らないなどと言って容易に入構を認めず、この間被控訴人鈴木の頑強な拒否と要求もあって、四時間近くも押問答した挙句、保安業務のみに限り、かつ、コイル、バリコン両工場の一階廊下の通行には組合員の付添をつけることを承諾する念書を提出してようやく入構を認められたこと、組合員は、同日夜もバリコン工場三階に泊り込み、約二〇名ずつ交代で各門の見張りを行ったこと、この日も生産のための操業は全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

20  事件

組合が、五月二六日、厚木工場の男子従業員の大部分について指名ストライキを行ったこと、同日夜組合員が同工場食堂に泊り込んだことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、約五〇名の組合員が、同日夜、会社の立入禁止を無視して右の泊り込みをしたこと、また、組合の同日ストライキ指令のビラにおいて、前記事件につき、「二四日朝伊原課長の車が時速三〇ないし四〇キロメートルの速度のままで強引にピケを突破し、女子二名をはねて、手足に傷を負わせ、事故処理もせずに走り去った。また、会社側が同日食堂にいた組合員を排除しようとし、その際、鈴木企画部長は、女子三人を突き飛ばすなどの暴力行為を行った。」との趣旨の記載をしたことが認められる。そして〈証拠〉によれば、小峯双美が伊原課長の車にぶつかり怪我をしたと述べ、打撲傷の診断を得ている事実が認められ、伊原車が組合員に接触したことはあるものと推認されるが、組合員が右伊原車の進行を阻止した際の出来事であり、また右のビラの記載は車の速度の点でも前記認定の事実に反するものと認められ、伊原課長が故意に傷害を負わせたものとみる根拠もないのであって、右ビラの記載は、故なき中傷ということができる。また、疎甲第一〇七号証中には、二四日、女子組合員が食堂から退去を求められた際、鈴木部長が組合員合田憲子の腕をわしづかみにし、頭をげんこつで二回殴ったとの記載があるが、これは、〈証拠〉に対比して直ちに採用しがたく、他に鈴木部長が暴力行為に出た事実を確認するに足る証拠はないから、前記ビラ中この点に関する記載も、理由なき中傷というほかはない。

21  事件⑧

組合が、五月二七日、調布工場において、前日までと同様の各門においてピケッティングを行ったこと、組合員が同日夜バリコン工場三階に泊り込んだことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、組合は、同日午前七時頃から、被控訴人藤原、同鈴木、同吉田の指導のもとに、同工場正門で約二〇〇名、裏門で約一〇〇名の組合員が、前記同様のジグザグ型にスクラムを組んでのピケッティングを行い、他の各門に各数十名の見張り要員を配置したこと、会社は同日から社外生産を始めたため、調布工場に来た職制、非組合員の数は前日までよりは減少したものの、なお、二〇〇名近い職制、非組合員が野川対岸空地に集結し、職制が正門前に来て入構させるよう再三要求したが、スクラムへ割って入ろうとした職制は押し返されて、入構を断念し、僅かに、前日に引続き給料受領のため印章を取りに行く従業員若干名が入構したにすぎなかったこと、組合は、午後三時頃以降は人数を減らしたが、なお、ピケッティングを続け、午後八時頃職制四名が保安業務の交代要員として入構しようとしたが、被控訴人藤原が率先してこれを阻止し、再三の押問答の末、二名のみが入構し得たこと、同日夜も数十名の組合員がバリコン工場三階に泊り込み、夜間も阻止態勢を維持すべく、交代で各門の見張りにあたったこと、同日も操業が全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

22  事件

組合が、五月二七日、厚木工場正門、北門においてピケッティングを行ったこと、組合員が同日夜同工場内に泊り込んだことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同工場において、被控訴人有坂が、同日午前六時頃から約三〇分間、集まって来た組合員らに対し、調布工場で行われたピケッティングの方法を説明し、同七時頃から、同被控訴人、原審申請人小川らが中心となって正門、北門で各二〇〇名の組合員がジグザグにスクラムを組んでピケッティングを行ったこと、被控訴人有坂と善波忠義中央委員は、同七時三〇分頃、会社が閉塞されないように前夜から開放したまま鎖錠をもって固定していた門扉を、右鎖錠をカッターで切断したうえで、約五〇センチメートルの隙間を残して閉め、また、前夜から会社が開放していた北門をも、自動車一台が通れるだけの間隔を残して閉めて、その内側にスクラムを組んだこと、同八時頃会社の送迎用バスが北門前に到着し、約五〇名の職制、非組合員が北門から入構させるよう要求したが、正門から移動した組合員も北門のピケッティングに加わり、入構を阻止し、職制三名のみがスクラムの間を辛うじて通過し、また他の職制数名が塀を乗り越えて入構したのみで、非組合員は入構できず約一時間後に引揚げたこと、同日夜、組合員約七〇名が本館内食堂に泊り込んだこと、また、組合は、同日早朝から、正門横の鉄製外柵に赤旗七本と立看板三枚を、北門門扉に赤旗三本をそれぞれ縛りつけて立てたこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

23  事件⑨

組合が、五月二八日午前八時から調布工場の前記各門でピケッティングを行ったこと、職制が同日午後四時頃と同四時二〇分頃の二回に、車と共に正門から入構しようとしたこと、組合員が同日夜同工場内に泊り込んだこと、以上の事実は当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日、同工場において、被控訴人鈴木、同吉田の指揮のもと、午前八時頃からピケッティングを始め、正門、裏門で各約二〇〇名の組合員が前日までと同様のジグザグのスクラムを組み、正門の扉を約五〇センチメートルの間隔のみを残す状態にし、午前中、正門前に来た職制、非組合員の入構を拒んで激しい言争いをしたこと、その間、被控訴人鈴木は、表面処理工場屋上からスピーカーで、「通路は空いているから、自由に通れる」などと言いながら、実際には、緊密にスクラムを組んで寄せつけない態勢を維持していたが、やがて、同被控訴人は、実際に通れることを示すため職制を先導してスクラムに分け入り、職制の内二名は、右先導に従って、もまれながらも辛うじて通過し入構したが、その余の職制は、スクラムの途中から押し返され、あるいはスクラムの前面で阻まれて、ついに入構し得ずに引揚げたこと、更に午後一時から三時五〇分頃までの間に三回にわたり、職制が、防錆処理の保全業務の必要、あるいは特定の取引先へ納入すべき製品の搬出等の具体的理由を告げて入構を求めたが、組合側はこれにも応じなかったこと、午後四時頃、約三〇名の職制が営業車二台と共に正門前に来て、ポリバリコン、コイル、モーター、抵抗器等の製品や生産器具を搬出するため入構させるよう要求したが、被控訴人吉田ら約二〇〇名の組合員はスクラムを解かず、入構をあきらめさせ、同四時二〇分頃、十数名の職制が再び営業車二台と共に正門前に来たが、被控訴人鈴木において自動車を押し戻そうとさえして、右被控訴人両名が先頭に立って入構を阻止したこと、午後七時頃、青柳課長、八幡課長が正門前に来て、右被控訴人両名に対し、取引先への納品遅滞により巨額のペナルティをとられる事態になっていることを説明して、セラミックフィルター及び抵抗器の製品を搬出するための入構を求め、約四時間にわたる押問答の末、ようやく被控訴人鈴木、同吉田らが「社長に、製品搬出を妨害していない旨を伝えるなら」という条件で右二名のみの入構を認め、組合員がその身辺に付きまといながら、製品搬出をさせたこと、同日夜も、約一〇〇名の組合員がバリコン工場三階に泊り込み、新品のダンボールを使用したこと、この日も操業が全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

24  事件

組合が、五月二八日、厚木工場正門においてピケッティングを行ったこと、職制が北門前に来て入構させるよう要求したこと、組合員が同日夜同工場食堂に泊り込んだこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日、同工場において、午前六時頃から原審申請人小川らの指導のもとにピケッティングを始め、午前八時頃には約二〇〇名の組合員が正門、北門でジグザグにスクラムを組んだこと、同八時一〇分頃、会社の送迎用バスが北門前に到着し、約一〇〇名の職制、非組合員が北門から入構しようとしたが、小川の指揮のもと、正門から廻った者を含む約二〇〇名の組合員が何列にもわたって堅固にスクラムを組み、職制と非難を応酬し合い、数名の職制がスクラムの中へ割って入ろうと試みたが、押し戻され、結局入構をあきらめて同九時二〇分頃引揚げ、同日は終日入構できなかったこと、組合は、前日同様の数の赤旗、立看板を立て、夜は組合員約二〇名が食堂に入って泊り込み、また、駐車中の送迎用バスに入って泊った者もあったこと、この日も、二四日、二五日、二七日と同様、生産のための操業は全く停止の状態であったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

25  事件⑩

組合が、五月二九日、調布工場の正門、裏門、コイル各門でそれぞれピケッティングを行ったこと、職制二〇名が入構させるよう要求したこと、組合員が同日夜バリコン工場三階に泊り込んだこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日六時頃から、被控訴人藤原、同鈴木、同吉田の指揮のもとにピケッティングを始め、正門に約八〇名、裏門に約二〇名の組合員がそれぞれスクラムを組み、その他のコイル各門には五ないし一〇名の見張りを置いたこと、同八時頃、正門前に来た長井係長が、インド・マーフィー社向け金型、測定器の搬出のため入構するので阻止しないよう要請したところ、一時間余の口論の末、組合側は、長井係長に限って入構を認め、小畑支部執行委員の監視のもとで搬出させたこと、その後午前一〇時頃と同一一時ごろにそれぞれ職制約二〇名が正門前に来て入構させるよう要求したが、その都度、被控訴人鈴木において、表面処理工場屋上からマイクで「予定の行動を開始せよ」などと言って号令し、組合員が緊密にスクラムを組んで入構を阻止し続け、右職制はついに入構し得なかったこと、午後一一時頃、被控訴人鈴木、同吉田ら組合員は、資材部応接室に侵入して組合発行ビラを作成し、警備のため巡回中の佐藤工場管理部係長がこれを発見して、退去を求めたが、右被控訴人両名は、これに応ぜず、かえって実力をもって佐藤を同室から押し出し、更にその後被控訴人鈴木は、山口執行委員と共に佐藤の腕をつかんで廊下から屋外まで引きずり出す行為にも及んだこと、同日夜、約五〇名の組合員がバリコン工場三階に泊り込んだこと、同日も全く操業できなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

26  事件⑪

組合が、五月三〇日、調布工場正門、裏門、コイル各門でそれぞれピケッティングを行ったこと、二回にわたり、職制約二〇名が正門前に来たこと、組合員が夜バリコン工場三階に泊り込んだこと、以上の事実は当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、被控訴人鈴木、同吉田の指揮のもと、同日午前七時頃から、同工場正門に約五〇名、裏門に約二〇名の組合員を配してピケッティングを行ったこと、午前中二回と午後四時頃、それぞれ職制約二〇名が月末の請求、支払に必要な検収伝票、製品等を搬出するため正門前に来て入構しようとしたが、組合員はその都度スクラムを緊密にして入構を拒み続け、僅かに青柳実販売担当課長が、いったんスクラムの間を辛うじて通過したものの、直ちにスクラムの中へ押し戻され、もまれて構外へ出されて、目的を果たせず、その余の職制はそれぞれ一時間余にわたって入構を求めて押問答の末、引揚げたこと、同日夜、組合員数十名がバリコン工場三階に侵入し、ダンボールを布団代りに使って泊り込んだこと、この日も操業が全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

27  事件

組合員が五月三〇日夜厚木工場食堂に泊り込んだ事実は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右泊込みをした組合員は尾崎、伊東両執行委員を含む十数名であったことが認められる。

28  事件⑫

五月三一日、組合が調布工場正門、裏門、コイル各門でそれぞれピケッティングを行ったこと、午後五時頃高橋副社長らが正門前に来たこと、組合員が夜バリコン工場三階に泊り込んだこと、以上の事実は当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日、同工場において、被控訴人鈴木、同吉田の指揮のもとに、午前七時頃から約一二〇名の組合員を正門、裏門、その他の各門に配置してピケッティングを行い、表面処理工場二階屋上からマイクによる同鈴木の指示をうけながら、出勤して来る職制、新組合員、非組合員の入構を阻止する態勢を維持し続けたこと、前記のように団交が行われている間は入構を妨害しないという了解のもとに午後五時頃団交が行われたが、その頃高橋副社長以下二〇名余の職制が営業車と共に正門前に至ったところ、団交が短時間で決裂した後直ちに、被控訴人鈴木の指令により、同吉田の指揮のもと約七〇名の組合員がスクラムを強化して、右職制らの入構を拒み続け、この日も結局会社側は入構し得なかったこと、同日夜もバリコン工場三階に最少の時でも約三〇名の組合員が泊り込み、更に、資材部応接室にも、右被控訴人両名を含む約一〇名の組合員が入り込み、守衛の警告を無視して、泊り込んだこと、同日も全く操業できなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

29  事件

五月三一日、組合が厚木工場の構内広場等で集会を行い、夜組合員が同工場食堂に泊り込んだことは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右集会は、被控訴人藤原の指揮のもとに、同日午前中約七〇〇名の組合員によって行われたこと、泊り込んだ組合員は約二〇名であったことが認められる。

30  事件⑬

六月一日、組合が調布工場において正門、裏門、コイル各門でそれぞれピケッティングを行ったこと、職制及び新組合員が裏門の塀を乗り越えて入構し製品を搬出したこと、同日夜組合員がバリコン工場三階に泊り込んだこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合は、同日午前七時三〇分頃から、同工場において、被控訴人鈴木及び同吉田の指揮のもとにピケッティングを始め、同八時頃には正門で約一三〇名の組合員がスクラムを組み、被控訴人鈴木が表面処理工場屋上からマイクで指揮をとり、裏門、コイル各門に各約二〇名が見張りについて、以後出勤して来た職制、非組合員らの入構を妨げる態勢を続けたこと、午後七時頃、職制、非組合員ら約五〇名が正門前に来て入構しようとしたが、組合員が、僅かの隙間を残して閉めたままの門扉を開けることを拒み、入構を阻止したので、更に、ピケッティングが一〇名余と手薄になっていた裏門に至り、職制が塀を乗り越えて入って裏門の門扉を開放し、コイル製品倉庫へ入ってダンボール箱入りの製品を右倉庫から搬出し始めたところ、急きよ駆けつけて来て次第に数を増した組合員が倉庫入口に群がり、搬出を押しとどめようとし、職制らは組合員の頭越しにダンボール箱を手渡すなどしながら裏門近くまで運んだところ、裏門には既に多数の組合員がスクラムを組んで通過させないため、塀越しに塀の外で待機していた者にダンボールを手渡し、こうして、妨害されつつも約一時間を費やして所期の数量の一部の製品を搬出したこと、その際、右倉庫入口付近のもみ合いで女子組合員三名が手足に全治一日程度の挫傷等の軽傷を負ったが、被控訴人吉田は、後刻本社に赴き、職制が組合員に重傷を負わせたと言って会社側を非難したこと、同日夜も、阻止態勢維持のため約一〇〇名の組合員がバリコン工場三階に泊り込んだこと、この日も生産のための操業は全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

31  事件

六月一日、組合が厚木工場構内で集会を行ったことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被控訴人藤原の指揮のもと、約七〇〇名の組合員が、同日午前九時頃から午後五時頃までの間再三、同工場南側広場等で集会を行い、同日夜は、約一〇名の組合員が本館食堂内に立入って泊り込んだことが認められ、この認定を左右する証拠はない。

32  事件⑭

六月二日、組合が調布工場の正門、裏門、コイル各門でそれぞれピケッティングを行ったこと、同日夜組合がバリコン工場に泊り込んだことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同日、同工場において、被控訴人鈴木、同吉田の表面処理工場二階屋上からの指揮のもとに、午前七時頃からピケッティングを開始し、同八時三〇分頃には正門に約四〇〇名、裏門に約三〇名、コイル各門には各約二〇名の組合員がスクラムを組み、出勤して来る職制、新組合員、非組合員の入構を阻止する態勢を続け、また、正門の門扉とその横の鉄柵に約一〇本の赤旗を縛りつけて掲げ、外部支援団体員や弁護士を、守衛の求める入構手続きをとらずに構内へ招じ入れたこと、午後七時頃、約二〇〇名の職制、新組合員、非組合員が正門前に来て入構させるよう要求し、強固なスクラムを組んで入構を阻止する組合員との間に押問答を繰り返したが、結局約三〇分後に入構をあきらめて引揚げたこと、同日夜も約一〇〇名の組合員がバリコン工場三階に泊り込んだこと、この日も操業は全くできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

33  事件⑮⑯

(一)  六月三日、組合が、本社社屋正面の窓ガラス、玄関のガラス、柱等にビラを貼付したこと(事件⑮)、調布工場正門、裏門、コイル各門でピケッティングを行い、組合員及び外部からの応援者らが工場構内でシュプレヒコールやデモ行進を行ったこと、同日夜も、組合員がバリコン工場三階に泊り込んだこと(事件⑯)、以上の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(1) (事件⑮)

同日午前〇時三〇分頃、山崎道代調布支部執行委員の率いる組合員約三〇名が、同四時四〇分頃、再度同委員以下組合員約二〇名が、それぞれ、本社の正面玄関、営業部室、応接室その他の各室の窓ガラス、外壁、玄関前の支柱、床面等に、「出て行け三井」「春闘勝利」「要求貫徹」等と大書したビラ約二五〇枚を貼付した。その内、玄関前の支柱等鉄製部分は、ビラを剥がした跡に赤錆を生じた。

(2) (事件⑯)

同日も、調布工場において、被控訴人鈴木、同吉田指揮のもとに、午前七時三〇分頃から、正門には約一〇〇名の組合員がスクラムを組み、その他の各門にも各十数名の組合員が配置されて、ピケッティングを行い、終日、出入構を阻止する態勢を維持した。そして、組合は、会社が「社員以外の者許可なく構内への出入を禁ずる」旨の工場長名の看板を正門前に立てていたのに、これを無視して、支援団体員約二〇〇名を入構させ、これに、ピケッティングをしていた組合員、外部のビラ配り等から帰って来た組合員とを合わせた約五五〇名をもって、午後六時四〇分頃から、バリコン工場前庭で集会を行い、続いて同七時三〇分頃まで、スクラムを組み、笛を吹き、ワッショイ、ワッショイの喚声をあげて、構内でジグザグデモを行った。同夜被控訴人鈴木、同吉田を含む組合員約八〇名がバリコン工場三階に泊り込んだ。この日も全く操業ができなかった。

34  事件⑰

六月四日、調布工場において、組合が正門、裏門、コイル各門でピケッティングを行い、職場集会等の集会を行ったこと、組合員が同夜バリコン工場三階に泊り込んだことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、同日、同工場においては、組合は、小畑支部執行委員の指揮のもとに、午前七時頃から、正門に約六〇名、その他の各門に約四〇名の組合員を配置してピケッティングを行い、同八時頃から同一〇時三〇分頃までと、午後二時頃から同四時二〇分頃まで食堂ホールに入って中央委員会を開き、午前一〇時四〇分頃から同一一時四〇分頃までバリコン工場三階に入って交代で職場集会を開き、その間、外部支援団体のもの六名を構内に招じ入れ、午後三時頃から組合員約六〇〇名がバリコン工場三階において全体集会を開いたこと、右集会の間も、各門の見張りは続けていたが、原審申請人小美濃は、午後七時三〇分頃、守衛の制止を無視して、正門の門扉を約五〇センチメートル開けた状態で鉄鎖で縛って固定したこと、同日夜も、被控訴人鈴木、同吉田の指揮で、組合員約一二〇名がバリコン工場三階に泊り込んだこと、この日も全く操業はできなかったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

35  事件

組合が、六月四日、厚木工場において集会を行ったことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被控訴人藤原の指揮のもと、約六〇〇名の組合員と若干名の支援団体員とが同工場構内において集会を開いたことが認められる。

36  事件⑱⑲⑳

事件⑱についての控訴人の主張の内、組合が六月五日になおピケッティングを実施し入構を阻止していたとの事実を認めるに足る証拠はない。また〈証拠〉によれば、組合は、六月五日、六日、七日にいずれも調布工場正門鉄製門扉の縦桟に赤旗一八本を縛りつけて掲げていたこと(事件⑱⑲⑳)が認められるが、右の各日ごとに新たに赤旗を立てたことを認めるべき証拠はなく、五日又はそれ以前から七日まで引続き存置されていたもののごとく窺われる。なお右赤旗によって門扉の開閉に支障を生じた事実を認めるに足る証拠はない。

五右に認定した事件①ないしにおける事実が懲戒解雇事由に該当するか否かについて検討する。

1  組合加入勧誘、朝礼妨害、坐り込み、ビラによる中傷等について

(一)  組合加入勧誘(事件、)

右勧誘行為の程度、態様は右に認定したとおりであって、それ自体直ちに懲戒事由とするほどのものとは考えられないばかりでなく、これについて被控訴人らにその責を帰し得ないことも、前記説示のところから明らかである。

(二)  朝礼妨害(事件)

従業員の始業時の朝礼において、工場長の訓示に対して、被控訴人藤原(組合専従であって本来朝礼とは関係のない者)が「質問」「質問」と連呼して訓示を妨げ、それと相応じて組合員が工場長の退出を阻止しようとした行為は、会社の規律を乱すものということができるが、春闘要求の争議中に、工場長が始業時の朝礼の場において従業員(厚木工場における組織率からみてその場に居た過半が組合員であったと推認される)に対して直接に、会社回答の正当性を訴え、妥結を訴えることは、前年の朝礼で組合批判をしない旨の協定がなお効力を有すると否とにかかわりなく、穏当でない行為であり、これに対して質問、抗議することにも理由がないわけではなく、また、これによって会社の業務が阻害されたとしても僅かなものと推測されるから、右行為を懲戒事由としてとり上げることは、相当でない。

(三)  坐り込み(事件③)

事件③は、団交会場の傍らで集団をもって坐り込み、団交委員の退出を困難にし、事実上組合が集団の威力をもって団交の継続を強要するものであって、違法というべきである。もっとも、前日来会社側が団交時間の制限を申し入れていたうえ、篠原団交委員長が早々と退席したため、団交打切の挙に出るものと判断した組合側において、これに抗議対抗すべくにわかに右のような措置に出たものと推測されるのであり、会社側が団交継続を明らかにすると坐り込みをやめたのであるから、このような背景の事情を斟酌することとして、この点を就業規則五九条四号、一三号該当の懲戒事由とするのが相当である。

(四)  ビラによる中傷(事件)

右ビラは、組合執行部の責任において発行されたものと推認され、その記載は、事実に基づかず又は事実を誇張したものであり、争議中に会社の組合に対する姿勢を批判する趣旨でなされたことを考慮しても、許容し得る限度を超えた中傷というべきであり、就業規則五九条五号の懲戒事由にあたることは否めない。

2  集会、デモ、泊り込み、ビラ貼付、赤旗等について

(一) 企業は、その構成員に対し、企業秩序定立、維持のため、企業の所有し管理する物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的な規制をもって定め又は具体的に指示命令することができ、これに違反する行為をする者に対しては、その中止を求め又は規程の定めるところに従って制裁として懲戒権を行使することができるものと解されるところ、企業に雇用されている労働者は、企業の所有し管理する物的施設の利用を予め許容されているとしても、この許容は、特段の合意がない限り、雇用契約の趣旨に従って労務を提供するために必要な範囲において、かつ、定められた企業秩序に服する態様において、利用するという限度にとどまるものであり、また、労働組合又はその組合員であるからといって、使用者の許諾なしに物的施設を利用する権限を有するものとはいえないのであって、ただ、労働組合又は組合員に対し当該物的施設を利用して組合活動を行うことを許容しないことが、当該物的施設につき使用者の有する権利の濫用であると認められるような特段の事由のある場合に限り、許諾なしに物的施設を利用したことを理由に懲戒権を行使することができないものと解するのが相当である(最高裁昭和四九年(オ)第一一八八号同五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁参照)。もっとも、本件のようないわゆる企業内組合は、企業の物的施設を組合活動の主要な場とせざるを得ないことから、争議中においても、もし組合活動に企業の物的施設を利用する必要があるのに(もっとも、単に利用の必要性が大きいということから、たやすく組合側に利用権限が生じたり、企業の側に利用受忍義務が生じたりするわけのものではない)、使用者の許諾がない限りこれを利用し得ないとするときは、組合活動を困難にし、ひいては労働者の団結権、争議権を実質上著しく制限することとなる恐れがあるから、争議中の組合の物的施設利用に対する懲戒権の行使の当否を判断するに当たっては、争議の経過、組合・使用者双方のこれに対する対応、物的施設利用の必要性の程度、現実の利用の態様、それによって使用者の被る損失等を総合して、当該物的施設の無断利用がなお正当な労働組合活動として是認され得る余地がないか、そして、それを禁ずることが使用者の権利の濫用とならないか否かを具体的に判断することを要するものというべきである。

(二)  本件において、会社が組合又は従業員に会社施設の無許可使用を禁じあるいは使用の範囲、態様を予め一般的に定めた就業規則又は労働協約が存するという証拠はないが、組合の集会、構内のデモ、泊り込み、掲示板等所定の場所以外のビラ貼付、門、柵、屋上等の赤旗の設置等は、明文の禁止規程がなくとも、条理上、会社の所有し管理する権限を侵害するものとして、異なる定めのない限り禁じられているところと解されるばかりでなく、〈証拠〉によれば、組合は昭和四五年中から、集会、デモ等を会社施設(庭を含む)内で行うときにはその都度会社の使用許可を得ており、四六年春闘においても争議行為が激化するまではそうしていたのであり、例えば、調布工場食堂については五月六日から二二日まで昼休みを除く就業時間中組合が使用することが許可され、また、本件争議中組合が社屋に懸垂幕を垂らすことについては特別に許可を与えられていたことが認められるので、一般的には、会社の建物、庭等を集会、デモ等の目的に使用することについては会社の許可を要し、前記懸垂幕以外の赤旗等を設置するごとき行為も禁止に触れるものであることは、組合側も知悉していたことが明らかである。そして、疎乙第一三七ないし第一四三号証と前記三、四認定の各事実によれば、ストライキ中、組合事務所以外の会社施設内への立入り、社屋内での泊り込み等についてはしばしば会社の文書による抗議もなされ、ビラ貼り、赤旗掲揚、泊り込み等についてはその場で職制、守衛が制止するのを振り切ってなされたことが認められるので、これらの行為は、会社の意思に反してなされたことが明らかである。

(三)  集会(事件③④⑤⑯⑰)

右各集会は、厚木又は調布工場の組合員の全体集会、職場単位の集会、中央委員会等であり、中央委員会を除いてはかなり大規模なもので、かなり長時間に及んだものもあり、これらが四六年春闘中に、今後の闘争方針を決定するためになされた組合にとっては必要な集会であったことを考慮しても、その規模、態様からしてこれを不問に付すべきものとはなしがたく、就業規則五九条四号、一三号にあたるというべきである。もっとも、調布工場における事件⑤⑯⑰、厚木工場における事件の各集会は、組合が前示のようなピケッティングにより出入構を阻止し、終日全く操業が停止し、いわば、工場施設に対する会社の管理が排除された状態でなされたのであるから、施設の無断使用の問題として独立して取り上げる意味が乏しく、後記ピケッティングの違法と一括して評価されれば足りる。また、事件③の中庭での集会は、団交の継続へ圧力をかけるための団交会場前の廊下の坐り込みに伴うもので、これが前記違法評価の一環としてみれば足りるものであり、厚木工場における事件の各集会は、非組合員の操業中になされたものと推測されるが、厚木工場の組合の組織率からみて、操業中の者はあまり多くはなく、したがって業務阻害の程度が大きなものではなかったことは、考慮されるべきである。

(四)  デモ(事件④⑯)

労働組合が争議中に行うデモは、組合の意思、要求の表現の重要な手段であるから、それが企業の施設内でなされる場合であっても、整然とかつ静穏になされ、業務を阻害する程度が著しくないものであるときには、企業がこれを禁止することが権利濫用とされることもあるというべきであり、本件において、四六年春闘の経過、会社側の対応からすれば、組合において、団結を誇示し、要求を表現する手段としてデモ行進をする必要があり、それを会社構内で行うことも一律一概に禁ずべきことではないと解される。しかし、本件の各デモは、さほど長時間ではないものの、いずれも多数の組合員をもって、笛を吹き、喚声をあげあるいは労働歌を高唱するなどしながらジグザグに行進したもので、喧騒をきわめたものと推認され、ピケッティングによる操業停止中の行為である事件⑯を除いては、非組合員らの業務にも妨害となったものと考えられ、かかる形態のデモまで会社が許容しなければならないものとは解しがたい。これらが就業規則五九条四号、一三号に該当することは明らかである。

(五)  泊り込み(事件⑤ないし⑭⑯⑰ないし)

右泊り込みは、会社の施設を許可なく使用してなされたもので、これを正当視し得る何らの根拠も事由も認め得ないといわなければならない。もっともその内、調布工場における泊り込みの全部(事件⑤ないし⑭⑯⑰)と厚木工場における五月二四日から二八日までの泊り込み(事件ないし)は、ピケッティングによる操業阻止に伴い、これを実効あらしめるために行われたものと認められるから、後記ピケッティングと一体としてその違法性を評価すべきであり、専ら無断物的施設使用の観点から違法とすべきものは、事件ないしの泊り込みである。そしてこれらは明らかに就業規則五九条四号、一三号に該当する。

(六)  ビラ貼付(事件①②⑮)

争議中の組合員が、争議中であることを明示し、自己の要求を訴えるため、ステッカーやビラを企業の施設内に貼ることは、全てが一律一概に禁じられるべきものではないと考えられるが、本件における各ビラの貼付は、枚数も多く、貼付する場所もおよそ適当でない所であり、張り方も異常であって、組合の訴えの必要よりはむしろ会社を困惑させあるいは挑発する意図をもって、場所、態様を選んだものとみられてもやむを得ないところであり、しかも鉄製部分に貼った跡は(糊に化学薬品を混入した事実までは認められないにしても)、赤錆を生ずるなどの物的な損失も現実に存在するのであるから、会社においてこれを許容しなければならないものということはできず、就業規則五九条四号、一三号に該当する。

(七)  赤旗(事件④⑭⑱ないし⑳ないし)

一般に労働組合が赤旗を掲げたり立看板、プラカードを立てるのは、争議中であることを誇示するためであると考えられ、企業の施設を利用してこれがなされるのを禁ずるについては、表現の自由との兼合いを考えるべきであるが、本件の右各事件においては、立看板、プラカードはともかく、門や外柵に結びつけた赤旗の数は、事件を除いては、決して少ないとはいえず、また、建物の塔屋や屋上に掲げたのは、工場全体を組合が支配したかのごとく印象づけるものであって、これらを許容すべきものということは到底できない。従って就業規則五九条四号、一三号に該当する。

(八)  以上によれば、集会の内事件③④ないし、デモの内事件④、泊り込みの内事件ないし、ビラ貼付、赤旗掲揚の内事件を除く事実は、いずれも会社の禁止に反し会社の物的施設を使用してなされた行為であり、会社がこれを許容しなかったからといってその有する権利の濫用であるということはできず、各懲戒事由に該当するというべきである。

3  ピケッティングについて

(一) いわゆるピケッティングは、ストライキを実効あらしめるため、事業所入口等において見張り、説得をする行為であり、それが平和的説得の範囲にとどまる限り違法の問題は生ぜず、他方、暴行、脅迫等をもって使用者の業務遂行、物的施設に対する支配を妨害することが許されないことはいうまでもないが、暴行、脅迫に至らない程度の、人垣や障壁等による物理的な阻止や有形力の示威による心理的抑圧などが許されるか否かは、そのピケッティングの態様、対象、それがなされるまでの争議の経過、現実の影響等の諸般の事情を考慮して、判断されるべきものと解される。

(二)  本件のピケッティングの内事件は非組合員等の出勤就業後になされたもので、実際の出入構阻害の程度はさほど大きくないと推認される。これに反し、事件④のピケッティングは、短時間とはいえ、出勤時間を狙い、その間スクラムを組んで正門のみならず裏門をもほぼ閉塞するという状態を生じさせ、正常な業務の稼働の開始を遅らせたのであり、事件⑤ないし⑭⑯⑰の各ピケッティングは、多数の組合員をもって門の内外に多層のスクラムを組んで通路を閉塞し、入ろうとする者を多数の力でもみ合い押し返すなどの有形力まで用いて、職制、新組合員、非組合員の職務のための出入構をごく少数の例外を除いて阻止、妨害し、その間連日行われた組合員の泊り込み(事件⑤ないし⑭⑯⑰ないし)とあいまって、その実施期間中(調布工場において五月二四日から六月四日まで、厚木工場において同月二四、二五、二七、二八日の各日)、工場の生産のための操業を全く停止させ、工場施設全体を組合が占拠、支配したといっても過言でないような状態を生じさせたのであって、このようなピケッティングの連続は、労働争議の手段としても極めて過激なものであったと評すべきものである。

もっとも、本件春闘を長期化させ、組合をこのような過激な闘争に追い込んだことについては、会社の硬直な態度にも一因があったことが指摘されなければならない。すなわち、会社は、四六年春闘に先立ち、早くから一発回答を宣言し、同業他社なみとの名目で回答を遅らせ、しかも、同業他社の第一次回答はその後の交渉による上積みの余地を残したものであったのにかかわらず、会社は、第一次回答をした後は、同業他社の上積みの結果を顧慮しようともせず、当初の案を固執し、組合のストライキに対してはロックアウトを仄めかすなどして組合と対決する姿勢を示し、膠着状態で約一か月を徒過し、組合が五月二四日からの闘争強化に踏み切る直前に、執行委員長の被控訴人藤原が事態打開の手がかりを求めて社長宅を訪れたのに対しても、森部社長は、和解の手を差し伸べることがなく、更に、その後、被控訴人藤原が、食事手当一〇〇〇円の支給更に八〇〇円の増額と漸次妥協案を呈示し、僅かな譲歩でも得られれば事態を収束したいという意思であったと推測されるのに対しても、会社は、僅少の上積みも顧慮せず(当審において控訴人代表者の供述するところによれば、会社は、一発回答とはいっても、0.5ないし一パーセント程度の僅少な上積みはあり得ると考えていたというのであるから、これが事実であったとすれば、この段階で会社側から右の八〇〇円を更に下廻るにせよ、幾らかの歩み寄りがあってもよかったと思われる)、かえって、三六協定、争議協定の締結を、付帯要求項目の内の一つである中間採用者の賃金是正の実施(それも組合の要求とは隔りのあるもの)の前提条件として持ち出すなど、あくまで会社のペースで押し切ろうとする態度に終始していたものである。このような事態において、組合がピケッティング、泊り込み等により就業を阻止し、ストライキの実効をあげるほかには解決の途なしとして、このような闘争を継続したことにも、無理からぬ点があったといえないではない。

しかしながら、組合は、鈴木部長解雇要求という本来労働条件に関しない事項についてもストライキを行い、春闘要求についても、会社の回答前からストライキ態勢を固めて、回答予定日前日に早くもピケッティングを伴う半日ストライキに踏切り、会社の説明する経営事情をも理解しようとせず、一方的に会社に誠意がないと決めつけて、闘争を強化させて行ったのであり、組合は実力行使を至上としていたものと評されてやむを得ない面がある。そうすると、闘争の激化、長期化については組合にも責任がないとは到底いい得ず、右のような会社の態度を考慮しても、本件闘争のような激しいピケッティングを是認することは無理であり、右(一)のような判断基準に照らしても、これを違法と断ぜざるを得ない。

(三)  なお、右の点に関連して、組合の争議行為の会社に与えた影響についてみるに、〈証拠〉によれば、組合が四六年春闘において行った長期にわたるストライキ、とくに調布工場における重点部門ストライキ、両工場における時差部門ストライキ、五月一九日午後以降六月四日までの間の調布・厚木両工場におけるほとんど連日の全面ストライキ、とりわけ、調布工場においては五月二四日から六月四日まで調布工場における生産操業が全く停止され、それ以前に加工されていた製品等の搬出すらほとんど阻止されていたこと等のため、会社は当該期間内における生産の停止ないし減少のみならず、その後も長期にわたって取引先に対する信用を著しく失墜し、取引の減少を来たしたこと、すなわち、会社の供給するバリコン、コイル、チューナー、抵抗器等の部品を使用する大手電機メーカー、カメラメーカーは、会社からの供給途絶により生産ラインの停止・中断を来たし、生産・販売に大きな打撃を受け、そのため会社にペナルティを請求するばかりでなく、発注を取消し、更には安定供給に対する不安から、それまでの会社に対する専属的発注を他社との複数発注に切替えるなどして、会社の製品の業界におけるシェアーは大幅に低下したこと、具体的には、昭和四五年から同四七年までの間のわが国全体のラジオ、テープレコーダー(とくにラジオ付カセットテープレコーダー)の出荷台数は大幅に増加し、それにつれてバリコンの全生産量も、昭和四五年前半を一として同四七年後半には1.44と急増したにかかわらず、会社のポリバリコンの売上数量は同期間に一から0.96に減少し、業界での会社のシェアーは三二パーセントから二六パーセントに大きく低下し、従前ポリバリコンを一〇〇パーセント会社から買受けていた松下電器、九州松下、ソニー、クラウン、東芝オーデイオ等はいずれも二社購買となって、会社の当該メーカーにおけるシェアーの最も減少したものでは二〇パーセントにまでなったこと、コイルについても、ラジオ、テレビの生産増加に応じて、わが国全体のコイルの生産数量は昭和四五年前半を一として同四七年後半には1.72と急増したにもかかわらず、会社のコイル売上数量は同期間に一から0.96へと減少し、業界に占める控訴人のシェアーも一七パーセントから一二パーセントに低下し、それまで会社に一〇〇パーセントの発注をしていたソニー、新東京無線等も二社発注になって、右各企業における会社のシェアーはそれぞれ二〇パーセント、三〇パーセントと低下し、その他の取引先についても大幅な低下を来たしたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。もっとも、これらの内、組合の正当な争議行為の影響はもとより組合の責に帰し得ないが、組合の違法なピケッティング等による業務妨害が右の取引減少の大きな原因となったことは否定しがたいところである。

4  ビラ「試練」について

四六年春闘の争議行為そのものではないが、控訴人は、被控訴人有坂の懲戒理由につき「試練」の発行を主張しているので、これについて判断する。

被控訴人有坂がビラ「試練」を発行したことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、「試練」は、組合員の一部による組合規約によらない任意団体である学習会において、被控訴人有坂が中心となって作成し、組合員に配布しているものであって、控訴人が本件解雇事由として主張する「試練」は六月一四日から七月六日までの間に発行されたものであること、その内とくに六月一四日号、一六日号、一七日号、二一日号等においては、「会社や会社に取締役二名を送り込んだ三井銀行が組合を潰す攻撃をしかけているものであり、これと対決しなければならないこと、鈴木部長の発言もこのような切崩しの意図の現われであること、資本主義の不況に対しては労働者階級は医師の立場すなわち労使協調の態度に立つべきではなく、その死亡を待つ予定相続人たるべきこと」等を説き、四六年春闘における前記のようなストライキ、ピケッティングにより製品の搬出・入を阻止したことを肯定評価する趣旨を記載していること、しかし、会社及び三井銀行を非難しているのは、組合に対する姿勢、施策についてであり、労使関係以外の事項についてこれらを非難する趣旨ではなく、また、これまでの闘争を是認していても、今後に向かって暴力的闘争を具体的に煽動する趣旨のものでもないこと、そして、そのほかには、主として、労働者の団結と各労働者の自覚を訴える趣旨が盛られていること、以上の事実が認められる。そして、前記のような組合と会社との間に激しい対立・闘争がなされた四六年春闘が未だ妥結していない段階で、組合員が組合内部で作成し配布するビラにおいて、右の程度の会社批判を行い、更に組合の既往の闘争の正当性を主張することは、争議行為の当事者たる組合の構成員が闘争の一環として行う言論活動といい得るものであって、言論、表現の自由が保障されていることに鑑み、これをもって不当な中傷ないし違法行為として懲戒事由とすることは相当でないというべきである。また「予定相続人」云々は、会社に対する批判というよりは、階級的イデオロギーの主張であり、個々の従業員がこのような政治的信条を抱き公表することも、思想、表現の自由に属することであって、もとより会社がこれを禁ずることはできないのであり、そのほか、右「試練」の記事について違法な中傷と解し得るものは見当らない。

六次に被控訴人らに対する本件解雇の当否について判断する。

1  被控訴人藤原、同鈴木及び同吉田は前記一のとおりの組合役員であるところ、疎甲第九七号証の三によれば、本件争議当時組合の執行機関は、厚木・組合本部に被控訴人藤原を長とする執行委員会が、調布に被控訴人鈴木を長とする支部執行委員会がわかれて置かれ、両者は組織上は上下の関係にあるが、実際の運営は合同執行委員会で決定され、実態は調布と厚木の二つの組合が共闘する形態であったことが認められる。その意味で、支部執行委員会の相対的独立性がうかがわれ、調布支部での具体的戦術の決定、指揮における被控訴人鈴木の立場は、事実上同藤原以上に重いといわなければならない。なお、同号証によれば、被控訴人吉田は、調布支部の書記長として前記支部執行委員会の構成員であるが、同時に前記執行委員会の執行委員でもあったかの如くであるが、疎甲第一三五号証にはその旨の記載がなく、にわかにこれを認め難い(かりにこれが認められるとしても、その故に被控訴人吉田の責任を加重すべき具体的事由は見出しえないことを付言する)。

ところで、右五に違法と判断した各行為は、いずれも四六年春闘における争議行為としてなされたものであることが明らかであるが、組合がスト権を確立した後は、ストライキの開始、打切り、態様等を決定する一切の権限が執行委員会及び支部執行委員会、あるいはこれらの合同執行委員会(以下単に「執行委員会」という)に委ねられていたのであり、ストライキに付随してピケッティングはもとよりデモ、集会、泊り込み、ビラ貼付、赤旗掲揚、ビラの配布等の争議行為を決定することも執行委員会の権限に属すると推認され、したがって、右各違法行為も執行委員会の決定に基づく組合の行為としてなされたものと認められる。そして、被控訴人藤原は、執行委員長として本社、厚木工場及び調布工場における組合の全争議行為について、その決定、指揮に当たって最も重い責任を負うべき立場にあるうえ、とりわけ重大な違法行為である調布工場の事件⑤⑦⑧⑩並びに厚木工場の事件のピケッティングを始めとする前記の行為については、現場にあって実行行為に加わり率先指揮に当たったものであり、また、被控訴人鈴木は、調布支部の支部執行委員会の長として、少なくとも調布工場における全ての争議行為については、その決定、指揮に当たり事実上被控訴人藤原以上に重い責任を負うべき立場にあるうえ、調布工場における事件④ないし⑭⑯のピケッティングにあっては常に現場にあって指揮し率先実行行為に当たり、その他の同工場における前記行為及び事件③にも関与しているものであり、被控訴人吉田は、調布支部の支部執行委員会において被控訴人鈴木につぐ立場にあって、右各行為につき自らも現場において指揮し率先実行行為に当たったものである。

そうすると、右被控訴人らの行為が、就業規則五九条四号、一三号に該当するものというべきは明らかである。

2 そして、右違法行為の内でも泊り込みを伴うピケッティングによる業務阻害行為は、極めて悪質、重大なものであって、会社の規律保持上、最も厳しい制裁をもって臨むこともやむを得ないところであり、争議の激化を招いたことについて会社の側にも一半の責があることを考慮しても、右被控訴人ら三名に対して懲戒解雇を選択した会社の判断は、後記権利濫用の法理の適用の有無は別として、不当とすることはできないというべきである。

3 被控訴人有坂は、事件⑤⑥のピケッティングの前面に立ち、また事件のデモ、集会において先頭に立ちあるいはピケッティングの方法を他の組合員に教示するなどし、その他事件等の行為にも加わっていたものであり、形式上就業規則の前記条項に該当するといえるものであるが、控訴人の主張によっても被控訴人有坂は、一組合員であって、役員ではなく、執行委員会による闘争方針等の決定に関与したり他の組合員を指揮指導する立場にはなかったことが明らかであり、執行部の決定に従って行動をするに当たって、比較的活動的で目立つ存在であったにすぎないと考えられる。そして、原審申請人山崎(組合副執行委員長)、同小美濃(調布支部副支部長)ら組合幹部で現場の率先指揮にも当たった者が減給処分にとどまり、一般組合員のほとんどは何ら処分の対象とされていないこととの均衡をも考えると、一般組合員の中からひとり被控訴人有坂のみに最も重い処分を選択すべき理由は到底認められない。なお、「試練」発行が違法とは認められないことは前記のとおりである。そうすると、控訴人が被控訴人有坂に対して懲戒解雇を選択したことには合理的理由がなく、同人に対する本件解雇は無効といわなければならない。

七被控訴人藤原、同鈴木及び同吉田は、いずれも本件解雇が不当労働行為又は懲戒権の濫用として無効である旨主張する。

〈証拠〉によれば、会社は、四六年春闘の終了後も、被控訴人らが不当労働行為として指弾するような種々の行為を行っており、四六年年末一時金闘争、四七年春闘における組合のストライキに対して会社がロックアウトを行いそれに基づく賃金カットをしたこと、並びに四六年八月以後の組合のワッペン着用等に対して会社が抗議警告等を行ったことが不当労働行為に当たるとして、昭和五〇年二月一八日、東京都地方労働委員会において救済命令が発せられたことが認められ、前記認定のような組合設立前の経過、四六年春闘中の会社の基本的姿勢、当審における控訴人代表者尋問の結果に徴しても、会社は、その唱導する労使協調路線に反する組合の姿勢に反発し、四六年春闘において一発回答を行い、これを貫徹したうえで、更に本件処分をもって追い打ちをかけることにより、組合を屈伏せしめようとする一半の意図がなかったとは断言しがたいところである。しかし、そうであったとしても、前記認定の被控訴人藤原、同鈴木、同吉田の関与した各行為は、到底「労働組合の正当な行為」に当たらないものであり、およそ企業の規律保持上容認しがたい事柄であって、かかる行為についての責任のある者を企業から排除する必要があることは、一般的には優に肯認し得るところであるから、本件解雇についても、これを不当労働行為として無効と断ずるに由ないものというべきである。

また、控訴人の本件懲戒権の行使が権利濫用にあたるかについては、労働組合の争議行為であっても、正当な争議行為の範囲を逸脱したものに対しては、職場規律に違反した行為として制裁を課することを妨げられる理由はなく、既に判示した諸般の事情を総合すれば、少なくとも被控訴人藤原、同鈴木については、本件解雇には合理的理由があり、これを懲戒権の濫用と目すべき所以は遂に見出すことができない。しかしながら、本件争議がさきに二及び三で認定したような事情から生じ、かつ深刻化していった客観的経緯に鑑み、あわせて組合にとって、これが組合結成後一年足らずに起こり、賃上げ闘争としては始めての闘争であったことから、組合の存亡にかかわるものとして必要以上に戦術をエスカレートせざるをえなかった主観的事情をも斟酌すれば、前記違法な争議行為の全般的な視点から被控訴人藤原を、また、最も激しい闘争の場であった調布工場における前記違法な争議行為の視点から被控訴人鈴木を、それぞれ懲戒解雇すれば足り、右争議の決定、指揮において右両名の後位に位置し、実行行為においても被控訴人鈴木と形影相伴いながらなお子細にみれば同被控訴人ほどには指導的、行動的でなかった被控訴人吉田についてまで懲戒解雇を以て臨むのは、いささか酷に失し、被控訴人らの主張する組合つぶしのそしりを免れないというべく、控訴人のこの処分は、結局その合理性を逸脱するといわなければならない。したがって、被控訴人吉田についての本件解雇は、懲戒権の濫用として許されないとするのが相当である。

八被控訴人吉田、同有坂に関する賃金請求権の存在及び保全の必要性についての判断は、この点の原判決理由中の説示(原判決三〇九枚目表九行目から三一三枚目裏末行までの内被控訴人吉田、同有坂に関する部分)と同一であるから、これを引用する。

九以上の次第で、被控訴人藤原、同鈴木に対する本件解雇は有効であり、したがって、その余の点について判断するまでもなく、右被控訴人らの本件各申請は理由がなく、原判決中右各申請を認容した部分は失当であるから、これを取消し、右各申請を却下することとし、被控訴人吉田、同有坂の本件各申請は理由があり、原判決中これを認容した部分は正当であって、同被控訴人らに対する本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙野耕一 裁判官野田宏 裁判官川波利明)

別紙一〜六〈省略〉

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