大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(ラ)273号 決定

抗告人

甲野太郎

右代理人

堀越靖司

主文

原審判を取り消す。

抗告人の氏「甲野」を「乙山」と変更することを許可する。

理由

一本件抗告の趣旨は、主文同旨の裁判を求めるというのであり、その理由は別紙即時抗告理由書記載のとおりである。

二当裁判所の判断

本件原・当審記録によれば、原審判二丁表一行目「申立人は」から同七、八行目「変つたこと」までの事実のほか、抗告人が民法七六七条二項に従い離婚当時称していた妻の氏を称することとしたのは、抗告人が両親の意に反して婚姻したため離婚当時も両親と和合を欠く状態であつたこと、抗告人が離婚当時四百万円を超える借財を負つていたので、乙山姓を名乗ることが躊躇されたこと、抗告人が以前勤務した会社に離婚後再就職する希望を持つていたため離婚の事実を会社に知られたくなかつたこと等一時の便宜によるものであつたこと、抗告人は現在肩書住所地で祖母と両親の四人で円満な共同生活をしていること、抗告人の父・一郎は、乙山家累代の墳墓を管理し、祭祀を行つているところ、抗告人がその長男であり、その妹は他家に嫁いでいるので、自分の死亡後は抗告人に乙山家の祭祀を主宰し、右墳墓の管理等を引継いでもらいたいと望んでいること、また、主に原審判後、抗告人宛の手紙が乙山姓で来ていて、抗告人の知人や近隣の人々も日常抗告人を乙山姓を称するものとして意識していることが認められる。

右のように、深い思慮に基づかないで、民法七六七条二項の規定により離婚の際に称していた氏を称することとした者が、いまだその氏が社会的に定着する前に婚姻前の氏への変更を申し立てた場合には、それが恣意的ではなく、また、右変更により社会的弊害を生ずるおそれのない限り、戸籍法一〇七条一項にいう「やむを得ない事由」の存否を判断するに当り、その基準を一般の場合よりもある程度緩和することは許されるものと解する。

本件において、抗告人について前示事実が認められるほか、抗告人が甲野姓を名乗つたのは約二年二か月の比較的短期間にすぎず、その氏がいまだ社会的に完全に定着していたとまではいい難いこと、甲野姓から乙山姓に復氏することによつて第三者が不測の損害を被る等社会的弊害が生ずるおそれを認めるべき資料はないこと、却つて、抗告人が婚氏の甲野姓のままで前記父母らと共同生活をするとすれば社会生活上種々の不便や支障の発生が予想されること等を併せ考えれば、本件氏の変更許可の申立は戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」があるものとして、これを認容するのが相当である。

よつて、本件抗告は理由があるから、原審判を取消した上、抗告人の氏「甲野」を「乙山」と変更することを許可することとし、主文のとおり決定する。

(宍戸清七 安部剛 笹村將文)

(別紙)

即時抗告人が即時抗告をした理由は次のとおりである。

一、即時抗告人の戸籍法による届け出において、充分な説明がなかつたため軽率な誤つた届け出をしたもので本意ではなかつたこと。

即ち、即時抗告人が甲野花子と離婚したとき、台東区役所の担当者は、「離婚後の氏は乙山でも甲野でもどちらでもよいが、どちらを選ぶか」と聞いただけで、婚姻によつて氏を変えた者が離婚に当たつて元の氏に復さないことは社会では例外的であることや、離婚の際に一旦氏を決めてしまうと、後日婚姻前の氏に復しようとしても、それは出来ないことであるから慎重に考えなければならないこと、等の注意は全くなかつた。

そのため即時抗告人は、離婚の際どちらの氏を称しても、後日容易に結婚前の氏に服することができるように軽率に誤解し、軽い気持ちで届け出をしたものである。

このような区役所の担当者の不親切もあつて軽率に届け出をしたものが後日取り返しがつかないと言うのは、あまりに酷である。

二、民法及び戸籍法の主旨

前記のような軽率と無知とによつて、誤つた届け出をした者に対して、前記及び後述のような不便を強いることは、必ずしも戸籍法の主旨ではないと解される。

即ち民法第六八七条二項及び戸籍法第七七条の二は婚姻によつて氏を変更した者が、長い間その氏によつて社会生活を行い、社会において、その氏によつて信用・名声・知己・社会的地位等を得ている者が、離婚によつて婚姻前の氏に復さなければならないという改正前の戸籍法には、不都合な面が多かつたので、このような不都合を避けるため、昭和五一年にこの民法及び戸籍法の改正が行われた筈である。

言い替えれば、社会生活に便利なように民法及び戸籍法が改正されたのである。

しかるに即時抗告人は、婚姻生活は僅か二年であつて、前記のような婚姻中の氏を称さなければならない理由は全くない。それなのに、軽率によつて婚姻中の氏を称する届け出をした以上この氏の変更を認めない原審判はせつかく社会生活に便利な氏の選択を認めようとする民法及び戸籍法改正の精神に反していると言える。

三、即時抗告人の社会生活上数々の不都合が生じていること。

(1) 即時抗告人の父乙山一郎の上申書記載の理由

同上申書において同人が述べているように、乙山家は親類の中心として二十数軒の親類の中心として行動し、且つ祖先代々の墓を守つている。勿論家の制度は新憲法下の改正民法ではなくなつているが、事実上このような親類の集団は存在し、それなりの役割を果たしている。即時抗告人は乙山一郎の長男として、このような乙山家の親類の集団の中心となる者として、甲野の氏を名乗ることは非常に社会生活上不便である。

(2) 即時抗告人甲野太郎の上申書記載の理由

同書面記載のように、即時抗告人は縁談の破綻等の不便を強いられている。また同書面記載のように、即時抗告人は、全く無知によつて、後日旧姓に服することが至難であることを知らずに届け出をした者である。

(3) 即時抗告人は現在乙山として知人等に知られていること。

即ち、甲第一号証ないし甲第一八号証(郵便物)のように知人・友人・親戚等の者はみな、即時抗告人の氏を乙山と信じ、乙山の名前で郵便物が来ている。特に書留郵便等も乙山の名前で配達されているのであつて、千葉家庭裁判所の原審判の郵便送達の場合にも、郵便屋さんは、この地番に乙山太郎さんというのですが、お宅の太郎さんのことですかと、即時抗告人の母に尋ねたほどである。

また甲第一九号証及び二一号証(即時抗告人差し出しの現金書留封筒)に明らかなように即時抗告人自身も、友人・親戚等に出す手紙は乙山太郎と記載している。

このように、即時抗告人は甲野花子と婚姻中は甲野の氏を称していたが離婚後は乙山の氏を現実には称しているのであつて、すでに甲野の氏を称していた期間よりも長い間、乙山の氏を現実に称しているのである。

(4) 隣近所、自治会の会長、役員等もみな即時抗告人の氏を乙山と信じている。

このことは、甲第二一号証ないし甲第四五号証(証明書)に明白である。これら証明書を書いて下さつた人々は即時抗告人の氏が乙山であると信じ交際してきた人々である。

以上により、即時抗告人に甲野の氏を称させることは、なんの利益もなくして即時抗告人に社会生活、家庭生活上の不便を強いるだけであるので、速やかに即時抗告の趣旨記載の旨の裁判をお願いするものであります。

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