大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)3073号 判決

控訴人

大正海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

石川武

右訴訟代理人弁護士

溝呂木商太郎

宮原守男

原田策司

田中清治

被控訴人

甲野春子

被控訴人

甲野正

被控訴人

甲野良子

右法定代理人親権者母

甲野春子

右被控訴人三名訴訟代理人弁護士

古屋俊雄

古屋倍雄

主文

原判決を取り消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、当審における主張及び証拠につき次の一、二を付加するほか、原判決事実摘示(判決書九丁表六行目「重大な過失と」を「重大な過失とは」に改める。)のとおりであるから、これを引用する。

一  当事者の主張

被控訴人ら代理人は、「本件保険約款の免責条項は、確定故意のみを想定して作られたもので、制定当時、未必の故意が免責条項の「故意」に含まれるかどうかについては、全く議論されていない。被害者救済という任意保険制度の目的からすれば、未必の故意は、保険者の有責として取り扱われるべきものである。」と述べ、控訴人の後記主張を争うと陳述し、控訴代理人は、「保険約款において「故意」及び「重大な過失」のどの範囲を有責としあるいは免責とするかは、保険制度の趣旨や公益に反しない限り、約款制定におけるいわゆる政策上の問題であるところ、昭和四〇年一〇月一日の自動車保険の約款改正では、免責条項中の「悪意又は重大な過失」から「重大な過失」を削除し、「悪意」を「故意」に改めることにより、「認識ある過失」までは保険者の有責とし、「未必の故意」は故意に含めて免責とした。そして、右約款の「故意」とは、被保険者又は保険契約者が法律上の損害賠償責任を負担するような事故発生を招来する危険な行為(原因)についての故意を指し、それと相当因果関係の範囲内の損害につき保険者が免責されるのである。本件は、乙山に暴行の確定故意及び傷害についての未必の故意があるから、その相当因果関係の範囲内における結果である一夫の死亡につき控訴人は免責されるものである。」と述べ、被控訴人の前記主張を争うと陳述した。

二  当審における証拠関係〈省略〉

理由

一引用に係る原判決事実摘示中の請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがないところ、次の二以下の判断の前提として、本件事故態様の詳細、特に加害者乙山の故意過失の態様につき検討するに、この点に関する当裁判所の認定は、原判決理由二2(判決書二〇丁裏三行目から二二丁裏末行まで)の説示と同一であるから、これを引用する。

右認定事実によると、本件事故は、亡一夫が加害車両運転席ドアの取つ手をつかみ、窓ガラスを叩きながら執拗に追走してくる状況にあつた際に、乙山が加害車両を急加速させ、その直後に発生したものであり、乙山は、右急加速により一夫をアスファルト舗装道路上に転倒させ負傷させることのあることを認識しながらあえてこれを認容し、急加速して走行したことにより本件事故を発生させたものであつて、乙山には、一夫をして路上に転倒させ、頭蓋冠線状骨折等の傷害を負わせた行為につき、いわゆる未必の故意があつたものと認めることができる。

なお、控訴人が自ら陳述するように、乙山は、一夫の死の結果についてまでは認容していなかつたものであり(証拠上も、死の結果の認識の点は、認められない。)、したがつて、乙山には、未必的にせよ殺意はなかつたものというべきである。そうすると、一夫の死については、乙山は過失があつたにすぎないではないかという疑問が出てくる。しかしながら、一夫の死につき乙山が責任を負うか否かは、その故意による傷害が一夫の死をもたらしたものと評価できるかどうか(右の事実関係の下では、これを肯定し得ることはいうまでもない。)によつて決まるものであるから、一夫の死という後続の重い結果につき改めて乙山の過失を問題にすることは、それ自体誤つている。

要するに、乙山の行為は、刑法の罪名でいえば、傷害致死に該当し(〈証拠〉によれば、乙山は現にその罪名で刑事処分を受けていることが認められる。)、傷害につき未必の故意があつたことになる。これに関連して、控訴人は、乙山には暴行の確定故意があつたと主張し、その趣旨は、乙山の所為は暴行による傷害(致死)であるが、傷害の手段としての暴行の点についてだけは、乙山に確定故意があつたことをいうものと解されるところ、暴行と傷害とを殊更に切り離し、前者につき確定故意・後者につき未必の故意があつたとしなければならない特段の事情は証拠上認めることができず、かえつて、右に検討した事実関係からすると、乙山の暴行というのは、加害車両を急発進させ、そのはずみで一夫をアスファルト路上に転倒させたというに帰着し、その結果としての頭蓋骨骨折という傷害と密接に結び付いており、いわば傷害の実行行為に当たるものと見ることができるから、傷害について論じたのと同様に、暴行についても、未必の故意にとどまるものというべきである。

二本件約款第一章賠償責任条項第七条には、保険会社は、保険契約者、記名被保険者の故意によつて生じた損害をてん補しない旨の本件免責条項が定められていることは、当事者間に争いがない。ところで、この条項の意思解釈として、右の故意は、①未必の故意を含むかどうか、②損害発生(本件では、死亡)に対するものか・その原因行為(本件では、暴行ないし傷害)に対するものかにつき、争いがあるので、まず、控訴会社の意思内容から検討する。

〈証拠〉を総合すると、我が国における損害保険会社の統一自動車保険普通保険約款は昭和二二年に作られたが、当時は、商法第六四一条と同じく悪意及び重大な過失を免責事由とし、その悪意とは故意を意味し未必の故意を含む、というのが損害保険業界において確立された解釈であつたこと、昭和四〇年一〇月の約款改正により免責条項は車両条項と賠償責任条項とに分けて規定し、前者については「故意又は重大な過失」を免責事由とし、後者については「故意」のみを免責事由として「重大な過失」を削除した(これが本件免責条項に踏襲されている。)けれども、その際、「故意」のうち「未必の故意」を特に取り上げてこれは免責としない旨の提案がされたことはないこと、右改正に当たつては、損害保険会社二〇社のうち約半数の会社から選出された委員によつて構成する自動車保険約款小委員会において、昭和二〇年代終わりころから一〇年余にわたり検討が加えられたが、免責事由として残された「故意」は未必の故意をも含むものであることが確認されていること、いま一つの問題、すなわち故意は損害発生の認識まで必要とするかという点については、当時、業界一般において、右の「故意」とは事故発生の原因について存在すれば足り、損害発生についての認識までは要しないという解釈が確立されていたこと、以上のように故意とは未必の故意を含み、また事故原因に対するもので足りるという解釈は、当然のことながら控訴会社もこれを採用し、本件保険契約においてもかかる解釈に従つていたものであること、等の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

次に、相手方当事者たる乙山の意思内容であるが、乙山個人の現実の意思がどうであつたかを認めるべき証拠はなく、また、その現実の意思が本件において争われているものでもない。のみならず、保険約款のごとき最も典型的な普通契約約款について、保険契約者の個別的・具体的意思を詮索することに果たしてどれほどの意義があるのか、そのこと自体疑問である。そうすると、結局のところ、当該条項についての保険会社の解釈をそのまま相手方との間に妥当させてよいかどうかを端的に判断すれば足りることになる。そして、その際には、保険会社の解釈が業界に都合のよい恣意的なものでないか、当該条項に対する顧客一般の合理的期待を裏切るものでないかといつた点を考慮しなければならず、これらの点で問題がないものであれば、保険会社の解釈が相手方との間に妥当し、当事者双方の合意内容になるものと解すべきである。なお、このようにして確定された合意内容については、更にこれを額面どおり有効とすべきかどうかという法的評価の問題が残つていることはいうまでもない。

以上の考え方に立つて本件免責条項を検討するに、同条項の「故意」は未必の故意を含むか・原因行為に対する故意で足りるかという問題は、「故意によつて生じた損害」という不法行為法上の文言を法律的に解釈すれば、控訴会社の解釈と同じく、いずれも積極に解されるのであり、またそれが用語の上でも文理の上でも普通の解釈であつて、そうでない解釈の方が異例に属するところである。したがつて、既にこの点において、控訴会社の解釈が恣意的であるとすることはできないし、法律家でない顧客一般の立場において考えても、およそ損害賠償責任保険に加入するものである以上、不法行為法の分野における一般的解釈とは異なる解釈を期待できる筋合いのものでもない。のみならず、前認定のように、昭和四〇年一〇月の改正は、免責事由から「重大な過失」を削除することにねらいがあつたものであり、したがつて、未必の故意も故意に含まれるという解釈は、免責事由として残る方の「故意」の内容を一般の解釈に従つて再確認したにすぎず、免責事由から外れる方の「重大な過失」の意味内容に変更を加えるものではないから、改正の趣旨に何ら抵触するものではない。また、故意により事故をひき起こしながら、保険契約を援用して保険給付を受けることを是認することは、行為の不法性にかんがみ社会通念上妥当ではなく、その観点からすると、免責事由たる「故意」は原因行為につき存在すれば足り、損害発生までの認識は必要でないという控訴会社の解釈も、極めてもつともというべきである。この点については、更に、前記一で見たように、傷害致死の場合に致死という後続の重い結果につき加害者が責任を負うのは、その結果につき改めて過失が問われることによるものではなく、これをもたらした(と評価できる)当初の傷害行為について故意があつたことによるものであり、当初の原因行為の不法性を介して法的責任に結び付くものであるから、後続の重い結果につき故意免責条項の適用を考えるに際しても、同条項の「故意」とは後続の重い結果に関するものではなく、当初の原因行為に関するものであると解釈すべきである。以上要するに、本件免責条項についての控訴会社の解釈は、業界に都合のよい恣意的なものでもなく、同条項に対する顧客一般の合理的期待を裏切るものでもないとするに十分である。

ところで、強制加入の自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の影響を受けて、任意加入の自動車保険約款においても、対人賠償責任の条項が被害者保護を図る自賠責保険の内容に近付いてきており、このことは、〈証拠〉によつて認められるところである。そして、このことから、故意免責条項の解釈についても、未必の故意は免責されないという自賠責保険における解釈運用(これは、右の各証拠によつて認められる。)と同一であるべきことを期待するのが顧客層に一般化しており、かつこの期待が合理的なものであるならば、右の判断も再検討を迫られることになるはずである。しかしながら、本件契約当時においてかかる期待が一般化していたと認定してしまうのは早計にすぎるのみならず、自賠責保険において右のような解釈運用が可能とされるのは、自動車事故による被害者の保護という政策目的を達成するために、その「手段」として強制加入の責任保険が用いられていることに由来するものと解せられるところ、これとは本質を異にし、責任保険それ自体を「目的」とする任意加入の自動車保険において、その免責条項の解釈を自賠責保険における右の解釈運用に整合させなければならないとすべき理由はない。その上、未必の故意というのは、違法な結果が生じても構わないと認容してあえて行動するのであるから、かかる行動が許されることは法律的にも社会的にもおよそあり得ず、したがつて、これによつて人身被害をひき起こした者(刑法上、殺人又は傷害の故意犯というを妨げない。)が、自己の損害賠償責任につき、自賠責保険の上積み分までも保険で賄つてもらえると期待するのは虫がよすぎる話であり、これを受け入れるほどには、世間の常識は甘くはないのである。右のとおりであるから、未必の故意による場合も故意免責に含まれるとする控訴会社の解釈が、自賠責保険における解釈運用に整合していないからといつて、顧客の合理的期待に反するものではない。

以上の次第で、本件免責条項については、控訴会社の解釈どおりの合意、すなわち未必の故意による場合も免責事由に含まれ、また故意は原因行為について存在すれば足りる、という合意が当事者間に「成立」しているものであり、その「効力」につき法的評価の点で問題がなければ、本件保険契約における有効な合意内容になつているものであるから、この法的評価の問題につき、被控訴人の主張に即して次に検討する。

三被控訴人は、前引用の原判決事実摘示中判決書七丁表三行目から一二丁裏四行目までにおいて、加害者乙山の行為については、本件免責条項を適用すべきでない旨種々主張するが、要するに、「未必の故意は、結果の発生を確定的なものとしては意識していない点で、重大な過失ないし認識ある過失と同等に評価されるべきであり、また、本件において乙山が亡一夫に多少の傷害を負わせてもやむを得ないとして加害車両を急発進させたのは、一夫からの難を逃れるためにしたにほかならず、反社会性は微弱であるから、右乙山の行為については、故意免責の条項は適用されるべきではない。このことは、被害者保護の趣旨からすればなおさらであり、保険金は支払われるべきである。」というものである。

1 そこで、まず、被害者保護という観点を別にして考えるに、未必の故意というのは、違法な結果が生じても構わないと認容してあえて行動するものであり、かかる行動はおよそ許されるはずがなく(前記二参照)、条件いかんによつて許されるという性質のものではない。これに反し、認識ある過失(被控訴人は、これを重大な過失ともいつている。)は、結果発生の可能性をいつたんは認識したものの、自分の技量などからすれば結果は発生しないと考えて行動するものであるから、それが過信ではなく、行動に際しても注意義務を遵守するのであれば、その行動は許されてしかるべきものである。絶対的に許されないのと、軽率でさえなければ許されるのとでは、法的評価の上で決定的な違いがあることはいうまでもなく、未必の故意と認識ある過失との間には、結果の発生それ自体を意欲していないという点で相通ずるものがあるからといつて、この決定的な違いを拭い去ることはできない。また、右両者の間には事実認定の上で判別の難しい境界領域があるにしても、その故をもつて、法的評価の上でも相隣接し、両者は程度の差にすぎないと考えることは、錯覚以外の何ものでもない。

次に、前記一で認定した事実関係からして、乙山が加害車両を急発進させたのは、亡一夫の執拗な追走から逃れるためであつたこと(別段正当防衛ではない。)を認めるにやぶさかではなく、また、〈証拠〉によれば、このことが刑事判決の上で情状酌量の事由とされていることが認められるけれども、保険制度の上で、かかる情状を斟酌して、故意免責にしたりしなかつたりすることは、その適正な運用を妨げるものであつて、これまた到底不可能である。

2  次に、被害者保護という観点から被控訴人の主張につき考えるに、右にも言及したように事実認定の上で未必の故意と認識ある過失との判別が難しく、微妙なところで未必の故意と認定され、故意免責に該当するとして被害者が救済されない場合のあることを、想定できないことではない。そこで、被控訴人は、被害者保護の見地から、未必の故意は認識ある過失と同様免責事由とすべきでなく、このことは、保険約款における免責範囲の改正の経過やこの点についての自賠責保険における解釈運用の趣旨にも合致すると主張する。しかしながら、本件の自家用自動車保険のごとき任意加入の責任保険は、本来被害者のための保険ではないから、被害者保護に徹し切れるものではなく、この点において、既に、被控訴人の主張は、たやすく採用することはできない。

のみならず、私保険としての責任保険である以上、その契約内容は専ら当事者の合意により定まるべきものであり、したがつて、被控訴人の右主張が、被害者保護のため、いわば外側からの法的評価として契約内容ないしその「効力」に規制(コントロール)が加えられるべきであるという趣旨であるならば、それ自体失当というほかはない。「未必の故意による場合には免責されない」ことをいうためには、このような外側からの規制を主張するのではなく、内在的に、保険契約の当事者間の合意内容がそのようになつていることを主張し立証するほかないのである。ところが、この点については、前記二に判示したように、被害者保護という観点から任意保険も自賠責保険に近付いてきていることを考慮に入れても、なお、本件免責条項の解釈としては未必の故意も「故意」に含まれるというのが、当事者間に「成立」している合意内容である。このことは、被害者がいわゆる直接請求をしている場合であるからといつて、別異の解釈ができるという筋合いのものではない。

以上のとおりであるから、被控訴人の主張は、採用することができない。

四以上のほかには、本件免責条項における「故意」とは未必の故意を含み、また事故原因に対するもので足りるという解釈を動かすべき主張立証がないので、かかる解釈を踏まえて同条項を前記一の事実関係に適用すれば、本件事故は保険契約者乙山の未必の故意によつて惹起されたものとして、保険者たる控訴会社は、本件事故につき保険金の支払を免責され、被害者一夫の相続人たる被控訴人らの保険金請求に対しても、これを支払うべきいわれのないものである。

よつて、被控訴人らの請求は理由がないから、右請求を認容した原判決を取り消し、被控訴人らの請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条及び第九三条第一項本文を適用して、主文のように判決する。

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