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横浜地方裁判所 昭和59年(行ウ)3号 判決

原告(選定当事者)

田代袈裟男

原告(選定当事者)

川島信夫

原告(選定当事者)

宇山悦郎

(選定者は別紙選定者目録記載のとおり)

右原告三名訴訟代理人弁護士

小原栄

被告

横浜市

右代表者市長

細郷道一

右訴訟代理人弁護士

横山秀雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告及び選定者目録記載の各選定者に対し、代金各二四万円の支払いを受けるのと引き換えに、横浜市港北区日吉本町一五八二番地所在の別紙一覧表の対応する「住宅番号」欄記載の各建物の所有権移転登記手続をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  (当事者)

原告三名及び別紙選定者目録記載の選定者ら(以下、まとめて「本件居住者ら」、あるいは個別に「本件居住者」という。)は、被告から、横浜市港北区日吉本町一五八二番地に所在する市営住宅のうち別紙一覧表の「原告または選定者」欄に対応する同「住宅番号」欄記載の各建物(以下、まとめて「本件市営住宅」という。)をそれぞれ賃借して、別紙一覧表の「入居年月日」欄記載の各年月日にそれぞれ入居し、現に居住しているものである。

2  (売買予約の成立)

(一) 被告の市長は、本件市営住宅を右のとおり賃貸するに先だち、これを将来入居者に払い下げる旨の決定をした。そして、これに基づいて、被告の住居管理課職員牧元明(以下「被告職員」という。)が、本件居住者らに対し、その入居に際し、本件市営住宅は将来払い下げになるから、入居者は本件市営住宅を大切に使用し、本件市営住宅の付近の道路の整備、整地をしてより良い環境を作るようにしてほしい旨の説明をし、これによつて、本件居住者らが本件市営住宅に入居した昭和二五年一月末ころ、被告と本件居住者らとの間に、本件市営住宅についての売買の予約完結権を本件居住者らに授与する旨の売買予約(以下「本件売買予約」という。)が成立したものである(もつとも、別紙一覧表番号一一ないし一五の本件居住者は後日入居したものではあるが、被告職員の右説明は、当然にその後の本件市営住宅の居住者に対してもその効力を有するものというべきである。)。

そして、右売買予約が成立したことは、次の事情からも明らかである。すなわち、

本件居住者らは、被告職員の右説明を信じたため、本件市営住宅の環境整備に務め、他に持ち家を求めて転出することもしなかつたのである。そして、被告は、他の地区の市営住宅の居住者らに対しても本件居住者らに対すると同様の説明をし、これに基づいて、おおむね昭和二七年ころから同三四年ころまでの間において、同二三年ころ建築された金沢文庫地区の市営住宅などを居住者に払い下げており、また、同三八年ころには、本件居住者らに対しても本件市営住宅の払い下げに応ずるか否かの打診がなされていたのである。

以上の事情からみても、被告と本件居住者らとの間に本件売買予約が成立したことは明らかである。そして、そうでなければ、他の地区の市営住宅の居住者らはその払い下げを受けながら、本件居住者らは払い下げを受けられないことになり、著しく不公平、不平等な結果となる。

(二) 本件売買予約の内容については、他の地区の市営住宅の払い下げの例に準拠すると、次のとおりとなる。

(1) 本件市営住宅は時価をもつて居住者に売り渡す。建物の種別は第一種木造で、一戸当たりの面積は三三平方メートル、建ぺい率は六〇パーセントである。

(2) 本件市営住宅の敷地の大部分は民有地であるから、同住宅の売り渡しの際には、被告は、その売り渡しにつき敷地の所有者の承諾を得た上、居住者から代金の支払いを受けるのと同時に居住者に対し、各市営住宅の所有権移転登記手続きをする。但し、被告は、右土地所有者より土地を買い受けたうえ、その買い取りを居住者に請求することができる。

(3) 被告が右(2)のとおり売り渡す敷地の範囲は、被告が測量のうえ特定する。

3  (予約完結の意思表示)

本件居住者らは、被告に対し、本件訴状をもつて右売買予約を完結する旨の意思表示をなし、本件訴状は昭和五九年二月八日に被告に送達された。

4  (本件市営住宅の時価)

本件市営住宅の時価は、それぞれ二四万円が相当である。

5  よつて、原告らは、被告に対し、予約完結権行使により成立した売買契約に基づき、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

1  請求の原因1項のうち、被告が選定者松浦秀男を除く(許可対象者は同人の母松浦ふくである。)本件居住者らに対して本件市営住宅の使用を許可し、松浦秀男を除く本件居住者らが現在本件市営住宅に居住していることは認め、入居の年月日については不知。なお、被告が本件市営住宅の使用を許可したのは、大野みちのに対しては昭和三七年四月一日、越与三郎に対しては同年七月一日、佐藤フミエに対しては同月一五日、落合隆嘉に対しては昭和四九年六月二一日のことであり、村山賢一については昭和四〇年五月二一日に使用の承継を認め、その余の本件居住者に対しては、昭和二五年一月三一日に使用を許可したものである。

2  同2項のうち、被告の市長が本件居住者らの入居時に本件居住者らと売買予約をなす決定をしたことは否認し、被告職員が入居時に本件市営住営住宅が将来入居者に払い下げになる旨の説明をしたことは不知。これにより本件売買予約が成立したとの主張は争う。

被告は市営住宅の払い下げにおいては一般に予約を経ることなく売買契約を締結しているのであつて、他の市営住宅の払い下げの場合にも、売買予約を締結したことも、予約に基づいて売買契約を締結したこともない。なお、被告は、市営住宅について、公営住宅法に基づき、昭和三四年一〇月ごろまでは、建設大臣の承認を経て、これを払い下げたことはあるが、それ以降は払い下げたことはない。その余の主張は争う。

3  同3項のうち、本件訴状が昭和五九年二月八日に被告に送達されたことは認め、その余は否認する。

4  同4項は争う。

5  同5項は争う。

三  被告の反論

原告らは、本件居住者らに本件市営住宅が払い下げられなければ、著しく不公平、不平等な結果となる旨主張するので、この点について反論する。

本件市営住宅は、いずれも公営住宅法施行前に建設されたものであるが、同法が施行された昭和二六年七月一日の時点で、被告がその住民に賃貸するために管理していた住宅であり、その建設について公共事業費予算により国の補助を受けたものであるから、同法附則三項により、本件市営住宅は同法の適用がある公営住宅であるところ、同法二四条によれば公営住宅の払い下げが認められるのは特別な事由がある場合に限られており(昭和三四年法第一五九号により改正)、その払い下げには建設大臣の承認が必要である。そして、同条についての運用の方針を見ると、三大都市圏にある既設低層公営住宅については、原則として建て替えにより立体高層化し、環境の整備と戸数の増加を図るものとされている。

横浜市では、借家世帯約四〇万世帯のうち約一〇万六〇〇〇世帯が劣悪な条件の中に居住しており、公営住宅の維持及び新築は、低額所得者の最低基準の健康で文化的な生活を営むに必要な住宅を提供するうえで、大きな役割を果たしている。そこで横浜市では市営住宅の建設計画を定め、建て替えを計画しているが、住宅用地の地価の高騰及び払底により新たに市営住宅用地を取得することが困難である今日においては、本件居住者らに平家建ての本件市営住宅を払い下げることは、社会的な公正に反するものである。

よつて、被告が原告ら主張のような売買予約をするはずがないし、また、被告が過去において他の地区の市営住宅を払い下げたことがあつたからといつて、このことから直ちに本件市営住宅を本件居住者らに払い下げなければ不公平になるという筋合いのものでもない。

四  被告の反論に対する原告らの認否及び再反論

本件市営住宅が公営住宅であることは認める。しかしながら、公営住宅法は、民法及び借家法に対し、賃借人の利益になる面においては優先するが、賃借人に不利益をもたらす事項に関しては借家法等が優先するし、また、本件売買予約が締結された時点では、公営住宅法は存在しなかつたのであり、同法の規定の適用が本件居住者らに有利となるときは格別、そうでない場合に同法の規定を適用することは、法律不遡及の原則に反し許されないのであり、本件居住者らは、本件売買予約の効果として本件市営住宅を取得するのである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1項のうち、被告が選定者松浦秀男を除く本件居住者らに対して本件市営住宅の使用を許可し、松浦秀男を除く本件居住者らが現在本件市営住宅に居住していることは当事者間に争いがない。

二原告らは、本件売買予約が成立している旨主張するので、この点について判断する。

まず、被告の市長が、本件居住者らとの間において、本件市営住宅につき売買予約をする旨の決定をした事実は、これを認めるに足りる証拠がない。〈証拠〉によれば、昭和三一年ころ、被告から本件市営住宅の居住者に対し、各戸の本件市営住宅を代金各一九万円ないし二六万円で購入できるかとの打診がなされたが、当時の居住者が経済的理由からこれに応ぜず、右払い下げ打診案は消滅したことが窺われるが、仮にそのような事実があつたとしても、それは、被告の市長が売買予約の締結を内部的に決定したとの事実を推認させるものではなく、かえつて、右払い下げ打診以前の昭和二五年の入居時には本件市営住宅の払い下げにつき何ら確定的な決定がなされていないことを推認せしめるものである。更に、仮に、原告ら主張のとおり被告職員が本件居住者らの入居に際し本件居住者らに払い下げについての説明をしたとしても、右説明は、払い下げの時期あるいは代金等についての確定的または具体的な条件を示してなされたものでないことは、原告らの主張自体からも明らかであり、このことに照らすと、被告職員は、単に、市営住宅の運用に関する一般的な将来の指針を述べたにすぎないものというべきであつて、原告ら主張の事実によつても売買一方の予約が成立したと認めることは到底できないし、他に右売買予約が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、原告らの前記主張は採用することはできない。

三なお、原告らは、売買予約の成否を裏付ける事情に関連して、本件居住者らが本件市営住宅の払い下げを認められないとすると、他の払い下げを受けた市営住宅の居住者らと比較し、著しく不公平な結果になる旨強く主張しているので、念のためこの点について付言する。

本件市営住宅は公有財産であり、被告の市長がこれを適正に管理し、市営住宅として効率的運用を図らなければならない財産であるから(地方財政法八条、地方自治法二三八条の二参照)、単に他の地区の市営住宅が過去において居住者に払い下げられたからといつて、これと同様の措置が講じられなければならない筋合いのものでないことは明らかであるところ、本件市営住宅が公営住宅法の適用を受ける公営住宅であることは当事者間に争いがない。

そうすると、本件市営住宅は、住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸の用に供されるべき公有財産(公営住宅法一条参照)であるから、これが本件居住者らに払い下げられるべきものであるか否かは、それが右のような公有財産の適正な管理または効率的な運用に当たるか否かという観点から決められるべき事柄であるというべきである。したがつて仮に本件居住者らが、前記被告職員の説明を頼りに本件市営住宅の将来における払い下げを期待して、その環境整備等に努め、他に転出せず、また、市営住宅につき、ある時期に、これを居住者に払い下げる方針が採られ、一部ではそれが実施されていたとしても、かかる事実のみから、本件市営住宅が本件居住者らに当然払い下げられるべきものであるとはいえないことが明らかであり、市営住宅が払い下げられるべきものであるか否かは、現時点における住宅事情、住宅政策等を踏まえたうえ、それぞれの市営住宅の規模、構造、建築年度、敷地の所有関係等を考慮して決せられるべき事柄なのである。しかも本件市営住宅については公営住宅法二四条一項の定めにより、建設大臣の承認がなければ被告はこれを本件居住者らに払い下げることができないのである。ところで、〈証拠〉によれば、被告横浜市では昭和五三年一〇月現在における最低居住水準に満たない住宅に居住している借家世帯総数が一〇万世帯以上になつているところから、地価が高騰し、住宅用地の取得が極めて困難になつている状況の下において、住宅に困窮する最低所得者に対して低廉な家賃で健康で文化的な生活を営むことができるような住宅を賃貸するため、同五六年二月二六日付け横浜市営住宅協議会の報告「市営住宅の管理計画の策定について」に基づき、従来の市営住宅敷地をできる限り効率的に利用することとしたうえ、既設の市営住宅を、現状のまま維持するもの、建て替えるもの、払い下げるもの、用途廃止にするものに区分し、もつて、市営住宅利用の高い需要に応じる方針等を明らかにした横浜市営住宅管理基本計画を立てていること、右計画によれば、本件市営住宅は、その敷地が民有地と市有地とから成り、権利関係がそれほど複雑とはいえないために、右住宅敷地としても適地であるところから、払い下げ対象ではなく、建て替え対象に区分されており、その建て替えが急がれることが認められる。

そうすると、たとえ過去に本件市営住宅について払い下げの方針が採られたことがあり、また他の地区において払い下げが実施されたことがあつたとしても、現時点において本件居住者らに対して本件市営住宅の払い下げの措置を講ずることは公有財産の維持管理上妥当な措置とはいい難いことが明らかである。

そして、本件居住者らについては、前記のとおり、かつて、本件市営住宅の払い下げの打診を受けたにもかかわらず、これに応じなかつたことが窺われるのであるから、現時点において、これが払い下げを認められない状態になつたからといつて、これをもつて直ちに本件居住者らに不公平な結果であるともいい難い。

他方、〈証拠〉によれば、本件居住者らとしても、低廉な賃料で長い間本件市営住宅に居住していたのであり、これが建て替えられても、低廉な賃料で右替て替え住宅に居住する立場にあることが認められるから、本件市営住宅が払い下げられないからといつて、直ちに住居に事欠くわけでもない。そうすると、本件居住者らが、現時点において、低廉な価額で本件市営住宅を取得するということは、見方によつては、特に住宅に困窮する多数の低額所得者との関係において、かえつて不公平であるとのそしりを免れえないことにもなろう。

そうすると、本件居住者らにつき本件市営住宅の払い下げが認められないとしても、これをもつて不公平であるともいい難いといわざるをえない。

四よつて、その余について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官古館清吾 裁判官岡光民雄 裁判官竹田光広)

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