大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

津地方裁判所 昭和37年(わ)3号 判決

被告人 桑名節生 外五名

主文

被告人堀口弘、同石上喬生、同藤村進を各懲役三月に、被告人桑名節生、同鈴木一男、同宮本圭造を各懲役二月にそれぞれ処する。

被告人六名に対し、本裁判確定の日より一年間いずれも右各刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中、被告人六名に対する昭和二四年三重県条例第二四号示威行進及び集団示威運動に関する条例違反の点については、被告人らはいずれも無罪。

理由

第一、事実関係

一、全日本自由労働組合(以下全日自労と略称する)の組織と被告人らの地位

全日自労は、主として日雇労務者を中心に構成される全国単一の労働組合であつて、東京に中央本部が、各都道府県ごとに支部が設けられ、さらに支部の下部機関として必要に応じて分会が設けられている。

被告人らはいずれも事件当時、全日自労の組合員であつて、昭和三六年一二月当時、被告人桑名節生、同鈴木一夫は全日自労三重県支部(以下三重県支部または支部と略称する)の副執行委員長、被告人堀口弘は同支部書記長、被告人宮本圭造は同支部執行委員、組織部長、被告人石上喬生は同支部執行委員長をしていたものであり、被告人藤村進は右当時及び昭和四一年一月当時、同支部松阪分会(以下松阪分会または分会と略称する)の執行委員長をしていたものである。

二、住居侵入事件関係

1、(いきさつ)

三重県下における失業対策事業(以下失対事業と略称する)就労者の日額賃金は労働大臣の決定により昭和三六年四月ころから三七一円となつたが、三重県支部からの強い要求があり、事業主体である三重県および三重県内の各市は独自の措置として県においては日額三〇円、各市においては日額一〇〇円を被服手当の名目で上積みしていたため、三重県下の失対就労者が県が実施する事業に就労するときは一日四〇一円、各市が実施する事業に就労するときは一日四七一円の実質賃金をえていた。

三重県支部においては同年九月から秋期越年闘争を開始し、

(一) 政府に対して最低生活保障の立場で一日賃金最低六〇〇円を速かに実現するよう要望すること。政府がこれを実現するまで県、市において独自負担で一日一六六円の賃金引上げを行うこと。

(二) 直営労働者の賃金を日額八一四円にすること。

(三) 直営事業の継続と完全な身分保障をすること。

(四) 失対事業の県市一本化を行わないこと。

(五) 全国一律の最低賃金制の確立に努力すること。現在実施している業者間協定はやめること。

(六) 生活保護者に対して県市の独自措置を行うこと。独自措置については収入認定を行わないこと。

(七) 失業者が誰でもすぐ働ける為に大巾に失対枠の拡大を行うこと。

(八) 誰でも入居できる低家賃住宅の建設を行うこと。

(九) 労働者の基本的権利である団体交渉に対して警察権力による不当介入を行わないこと。

等を要求して三重県当局と交渉を進めてきたが、右(一)の要求について県側では、「失対事業の賃金が一般職種別賃金に比較して低いことは認めるが、これは失対事業の性質上当然といわなければならない。賃上要求についてはその意向を政府に十分伝える考えである。県、市において独自に一六六円の賃上げ措置を行えとの要求に対しては、賃金は緊急失業対策法(昭和三八年法律第一二一号による改正前のもの。以下失対法と略称する)第一〇条第二項により労働大臣の定めるところによるものであるから県が独自に賃金引上げの措置を講じることはできない。県が独自の措置として支給してきた被服手当は、本来違法な措置であり、早晩やめなければならないものである。なお、賃金は労働の対価として支払われるものであるが、県下の失対事業の実績および賃金を民間、公共のそれと対比すると失対就労者の賃金は決して低額とはいえない。」等と回答して、その要求に応じず、いわゆるゼロ回答を続けてきた。

三重県支部は、昭和三六年一二月一八日にも、当時の副知事高谷高一ら県側交渉員と前記(一)の如き賃上げを主たる要求事項として交渉したが、県側は依然ゼロ回答をくり返すのみであつたので、同支部は、副知事との交渉では解決ができないとして、知事が交渉に応じるよう要求し、同副知事は「知事に急用のない限り二〇日の県議会が終了した後、知事が交渉に応じるよう努力する。」旨約した。

三重県支部では、翌一九日、執行委員長である被告人石上、副委員長である被告人桑名、同鈴木、書記長である被告人堀口、執行委員である被告人宮本らが津市相生町の公会堂および同市大谷町の真弓てる子宅に集まり、同支部執行委員会を開催し、翌二〇日に予定されている知事田中覚との交渉の見通し等についての情勢分析およびそれに対処する方策等を検討したが、その結果、賃上げ要求について年内解決をはかるためにはこの交渉が最後の機会であると考え、交渉場所である旧県庁内県民室には組合員約五〇名を交渉に臨ませ、ねばり強く交渉を続けることとし、交渉が長引き、県側から交渉が打切られて退去命令が出された場合にはこれに応じることなくその場に坐り込み、警察官が導入されたら抵抗しないでいわゆるごぼう抜きされることを協議決定した。

右支部執行委員会に出席した支部執行委員らは翌二〇日午後一時すぎころから三重県津市栄町一丁目一七九番地旧三重県庁内県民室で開かれた各分会の役員を主なメンバーとする交渉団会議において、被告人藤村を含む各分会の役員等に前記の如き交渉に臨む組合の態度を伝達した。

被告人石上を責任者とする三重県支部組合員代表約五〇名(被告人桑名、同鈴木、同宮本、同藤村を含む)は、同日午後五時一〇分ころから前記県民室(広さ約四一平方メートル)において、高谷副知事、別所商工労働部長、小林民生部長、長島職業安定課長らを相手に交渉を開始した。なお、前記の如く、当日の交渉には田中知事も出席する旨約束されていたものであるが、同知事が急用で上京したため、高谷副知事が交渉の冒頭にその間の事情を説明し、「知事は今日は出席できないが二二日には支障がない限り交渉に応じるから。」と約束し、組合側はこれを了承した。

当日の組合側の要求事項の第一は県下の生活困窮者に毎年末に県から支給されていた砂糖に代えて現金を支給してもらいたいということ、その第二は、前記(七)の如き失対就労者の枠の拡大、その第三は前記(一)の如き賃金の引上げであつたが、県側は、右第一の要求については「今年度はすでに業者に発注済であるので来年度から検討する。」、右第二の要求については「失対枠は労働大臣が決定することがらなので、失対枠の拡大については、労働大臣にその旨意見を具申し、来年二月中旬ころまでに実施できるよう努力する。」旨回答し、組合側はこれを了承した。

そこで、同日午後六時三〇分ころから、右第三の要求について交渉に入つたが、これについて県側は「賃金額は本来労働大臣の決定するところであるから、労働大臣にその旨具申する。県が独自の措置として賃上げを行うことは違法であり、応じることはできない。被服手当等の独自措置も違法なものであり早晩やめにしたい。」旨回答し、交渉は平行線をたどつた。

そこで、組合側の要求により午後七時三〇分ころから休憩に入り県側の交渉員らは県民室より退出したが、その間被告人堀口は、県民室内の組合員に対し「今日は県側から退去命令が出される見通しだが退去命令が出されても、退出しないで入口を閉して坐り込み警察官に入られないようにしてほしい。けが人が出るといけないから机や椅子は片づけ、警察官が入つてきたら抵抗しないでごぼう抜きされるように。」と発言して、前記の如き支部執行委員会の決定をさらに周知徹底させた。

交渉は午後八時ころ再開され、再開後は被告人堀口も組合側交渉団に加わり交渉が続けられたが、双方とも従来の主張を繰り返すのみで歩みよりは見られなかつた。そこで高谷副知事は同日午後九時五分ころ、立上つて組合員に対し「いくら交渉を続けても進展しないし、これ以上交渉を続けても埓が明かない。二二日には必ず知事に会わせるから、今日のところは静かに帰つてもらいたい。」等と数回にわたつて発言し、組合員全員に対し県民室からの退去を要求した。

2、(罪となるべき事実)

被告人六名は、右県民室内にいた組合員約五〇名と意思相通じ共謀のうえ、昭和三六年一二月二〇日午後九時五分ころ右県民室において、右の如く高谷副知事から退去を要求されたのにかかわらず、被告人石上、同桑名、同鈴木、同宮本、同藤村らにおいて右要求を無視して、なおも同所に踏み止まり、他数名の組合員とともに、席を立上つた高谷副知事、別所商工労働部長、長島職業安定課長らに対し、口々に「坐つてくれ。まだ交渉はできるやないか。」と叫びながら同人らを取りかこみ、その他の組合員らは机、椅子等を右県民室の隅に片付けて同室出入口付近に坐り込み、もつて被告人らは前記約五〇名の組合員とともに右県民室より退去しなかつたものである。

三、暴行事件関係

(罪となるべき事実)

被告人藤村は、昭和四一年一月二九日午前一〇時すぎころ、松阪分会組合員に対し同年二月一日に有給休暇を与えるよう要望するため、三重県松阪市大黒田三重県松阪失業対策事務所に赴いたところ、同事務所所長田中実誠、同庶務係長中島正男(当時四二才)が不在であつたので同所事務室で同人らを待つていたが、右二九日午前一一時三〇分ころ、帰所した右中島に対し「今日来た問題は二月一日の問題や。緊急用務だから所長に会わせてくれ。」「責任者が朝から誰もいないということでは困るではないか。どこへ行つていたんや。」等と申し入れたところ、同人から「そのことについては一月二六日に所長からはつきり回答してある。所長は二月四日でなければ会わない。」「私は松阪市役所と県税事務所へ行つてきたのや。」等と前記申し入れをそつけなく拒否されたため、同人の態度には全く誠意がみられないと憤慨し、やにわに椅子に腰かけていた同人の胸倉を左手でつかみ、右手でその首すじを一回押し、もつて右中島に対し暴行を加えたものである。

第二、証拠関係(略)

第三、法令の適用

被告人六名の判示第一、二、2の各所為はいずれも刑法第六〇条、第一三〇条後段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人藤村の判示第一、三の所為は刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するのでいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人藤村の右各罪は刑法第四五条前段の併合罪なので同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第一、二、2の罪の刑に法定の加重をし、それぞれの所定刑期の範囲内で被告人堀口、同石上、同藤村を各懲役三月に、被告人桑名、同鈴木、同宮本を各懲役二月にそれぞれ処し、諸般の情状に鑑み同法第二五第一項を適用して、被告人六名に対しこの裁判の確定した日から一年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人六名に対し、いずれもこれを負担させないこととする。

第四、被告人らおよび弁護人らの主張に対する判断

一、住居侵入事件関係

1、退去要求の有無について

被告人らおよび弁護人らは、三重県支部と三重県との間の交渉において、県側が交渉を打切り退去を要求する際にはその旨の文書が掲示される等明確な形でなされるのが従来の慣行であり、口頭でなされる「退去してほしい。」旨の発言はその後の組合側の説得により撤回されたこともあり本件の如きは従来の慣行に照らして、刑法第一三〇条にいわゆる退去要求に該らない旨主張するので検討するに、前掲(第二の2掲記)各証拠によると、三重県支部と三重県との交渉において県側から交渉が打ち切られ、退去の要求がなされたことが何回もあり、そのうちには、文書でなされた事例もあるが、昭和三六年四月以降本件に至るまでの二回の退去要求は、いずれも口頭でなされていることが認められ、必ずしも主張の如き慣行ができていたとは窺えず、一方、前記の如く、高谷副知事は席から立上り、「いくら交渉を続けても進展しないし、これ以上交渉を続けても埓が明かない。二二日には必ず知事に会わせるから今日のところは静かに帰つてもらいたい。」旨数回にわたつて発言し、前掲各証拠によると、右副知事の発言に従つて別所商工労働部長、長島職業安定課長ら県側交渉員は、一斉に席から立上り、「着席して交渉を続けてくれ。」との組合員の要求に対しても着席することなく、組合員らに対し、「二二日には知事が交渉に応じるのだから、今日のところは帰つてくれ。」と繰り返し発言していたのであり、その後、県の職員がマイクで「九時五分に退去要求が出ましたから一〇分以内に正門の外へ出て下さい。」と放送していたことが認められ、右一連の経過に照らすと高谷副知事の前記発言が撤回されるような状況は全く窺えず、これが刑法第一三〇条にいわゆる退去の要求に該ることは明らかであるといわざるをえない。

2、賃金引上げないし事業主体の独自措置による実質賃金の上積みを要求事項とする本件交渉が団体交渉といえるか否かについて

失対事業の就労者で組織する労働組合が団体交渉権を有するか否かについては、失対就労者は日々雇い入れられるものであり、今後も雇い入れられるという保障はないとの理由から、あるいは失対事業は公共の負担のもとに実施されるものであり、労働条件の基本的部分は法令に定められており、労使の団体交渉によつて決定する余地はないという理由から、これを否定する見解もあるが、失対事業は、失業が資本主義社会においては労働能力、勤怠の如き個人的な事由を越えた不可避な社会問題であるとの現実のうえに立つて、失対法に基づき、多数の失業者が発生しまたは発生するおそれのある地域において、失業者を吸収するために、できるだけ多くの労働力を使用することを目的として計画実施されるもので、現実には同一就労者が同一失対事業に継続的に就労することがきわめて多くあり、一方、失対就労者が労働組合法第三条にいう「賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」に該ることは明らかであるから、個々の就労者と事業主体との間には形式的には一日限りの雇傭関係があるにすぎないけれども、実質的には当該失対事業が継続する限り、集団的かつ継続的な被使用者対使用者としての関係(労使対向関係)が存するとみるべきである。そして、地方公務員法第三条第三項第六号によると失対就労者で、技術者、技能者、監督者および行政事務を担当する者以外のものの職は、地方公務員特別職であり、これらのものに対しては労働組合法の規定は排除されない(地方公務員法第四条、第五八条)のであるから、失対就労者の団体は労働組合法の規定するところに従つて、その労働条件を改善するため、事業主体との間に団体交渉権を有すると解するのが相当である。

そこで次に、前記(一)の如き賃金引上げないし県の独自措置による実質賃金の上積みを要求事項とする団体交渉が許されるか否かについて検討するに、団体交渉は、労働者の団体が使用者またはその団体と労働協約の締結その他特定の問題についての妥結を目的として行われるものであるから、その内容は使用者に処分する権限のある事項に限られることもとより当然のことであるところ、前記の如く、失対事業は失業に対する社会政策的な手当として失対法に基づき実施されているのであり、このような失対事業の特質から、同法は失対就労者と事業主体間の法律関係につき通常の労働関係とは異なる種々の規定を設け、賃金については、その第一〇条第二項において、労働大臣が定めるところによる旨明記し、事業主体がその額を決定することを許していない。(同条は、失対就労者を保護する目的で、労働大臣が最低基準賃金を定める旨規定しているにすぎず、事業主体はそれを上回る賃金額を自由に決めうるとの見解があるが賛同できない。)従つて、本件の如き、県に対する一日一六六円の賃金の引上げ要求は団体交渉の交渉事項とはなりえないものである。ちなみに、三重県支部の三重県に対するこの点に関する要求は被服手当等の諸手当の要求のようにも受けとれないでもないが、仮にそうだとしても、一日一六六円もの現金の支給は名目はいかにあれ、実質賃金というべきであり、前記の如き、失対法第一〇条第二項の規定が存する以上、県の独自の措置として、労働大臣の同意を得ることなく実質賃金の上積みをなすことは右規定の趣旨に反する違法な措置というべきであるから、三重県支部の県に対する右の如き諸手当名目の現金の支給要求はこれまた団体交渉の交渉事項とはなりえないものである。(なお、当日の交渉事項には賃上げのほかに、前記の如く、県下の生活困窮者に毎年末に県から支給されていた砂糖に代えて現金を支給してもらいたいということおよび失対就労者の枠を拡大してもらいたいということ等の事項が含まれていたが、前者は失対就労者としての労働条件の改善を図るためというものではなく、地方行政機関としての三重県と地域住民(生活が困窮している県民)との間の問題であり、その間には労使対向関係がないのであるから、これは団体交渉の交渉事項となりえないものであり、後者についても失対法第六条、第七条、第八条により、労働大臣がその決定権を有していて、事業主体にはその決定権がないのであるから、これまた団体交渉の交渉事項とはなりえないものである。)

以上の次第で、賃金引上げないし県の独自措置による実質賃金の上積みを要求事項とする本件交渉は団体交渉とはいえないものである。

3、本件退去要求の正当性について

右の如く、本件交渉は団体交渉とはいえず、三重県支部の県に対する陳情と解すべきものといわざるをえないが、陳情についても、県側においていつでも一方的に打切つて退去を要求できうるものではなく、そこには社会的妥当性が要求されることもとより当然であるのでその点について検討する。

前掲各証拠によると、三重県支部は本件以前にも毎年何回となく県との間に賃上げ、被服手当の支給等を要求して本件の如き交渉を繰り返してきたもので、交渉時間は長時間にわたることが多く、県側において深夜に及ぶ交渉に応じたことも度々あり、右のような交渉を通じて、三重県においては、失対就労者は、昭和三四年ごろから被服手当の名目で労働大臣の定めた賃金以上の賃金の支給を受けてきたもので、その額は昭和三六年四月ころに改定されるまでは一日七七円であつたが、右改定後は一日三〇円であつたこと、三重県支部ではこれらの実績のうえにたつて、本件秋期越年闘争においても大幅な賃金引上げないし実質賃金の上積みを要求し、本件当日も、右要求を受け入れさせるべく、ねばり強く深夜にわたつても交渉を続けようと考えていたこと、一方、県側としては、当日午後七時三〇分から午後八時までの休憩時間に対策を検討した結果、このまま交渉を続けると徹夜交渉に持込まれると判断し、午後九時ころになつても何らの進展が見られなかつたら、交渉を打切つて県民室からの退去を要求し、組合員がそれに従つて退出しなかつた場合には警察官を導入してその排除をはかるとの結論に達し、その手はずをととのえて午後八時ころから再度交渉に応じたが、午後九時ころになつても何らの進展が見られなかつたことから高谷副知事は前記の如く交渉を打切り、退去を要求するに至つたものであることが認められ、右によると、本件交渉の打切りおよび退去の要求は、従来からなされていた三重県支部と三重県との間の賃金引上げないしは実質賃金の上積みをめぐる交渉の慣例には沿つていない点がないとはいえないが、前記の如く、本件の如き賃金引上げないし実質賃金の上積み要求は違法な措置を要求するものであるから、県側としては、本来このような違法な措置を要求事項とする交渉に応ずる必要はなく、県側が従来、三重県支部の賃金引上げないし実質賃金の上積み等を要求事項とする交渉に長時間にわたつて応じ、その結果被服手当の名目で実質賃金の上積みに応じてきたことはむしろ、法に基づく行政の見地からみると好ましくないものというべきであり、この点の従来の慣例に従つていないとの理由で本件交渉の打切りおよび退去の要求を非難することはできず、一方、前記の如く高谷副知事ら県側代表は約二時間にわたつて右交渉に応じてきたもので、交渉を打切つて退去を要求するに際して副知事は二日後に知事が交渉に応じる旨をも約束したのであつて、これらの諸事情に本件交渉が打切られ、退去要求がなされた時刻が午後九時を過ぎていることを考慮すると本件退去要求が妥当性を欠くものとはいえない。

4、警察官導入の正当性について

被告人らおよび弁護人らは、労働組合活動は本来的に不可罰かつ正当なるものであり、このように第一次的、基本的に労働法原理の支配する領域の問題に対し、刑罰の適用を目的に警察権力が軽々しく介入することは許されず、本件警察官の導入も不当な介入である旨主張するところ、前掲各証拠によると、全日自労三重県支部は全日自労各支部の中では最も尖鋭的、先進的な存在で福岡県支部等とともに激しい闘争をする支部として自他ともに認めていたところであり、従来から賃金引上げないし実質賃金の上積み、失対枠の拡大等種々の要求事項を掲げて事業主体である三重県と何回も交渉を重ねてきたものであるが、従来の交渉の過程においても、三重県支部の幹部組合員らは、自己らの要求が受け入れられないとき等には、県側交渉員の机の上に土足で上つたり、机に湯のみ茶碗を投げつけたり、机をひつくりかえしたり、県側交渉員の衣服を引つぱつたり、その身体を足蹴りにする等の乱暴な行為に出たこともあり、時には泥酔した組合員が交渉の場に臨んで不穏な言動に出ることもあつたこと、そこで、県側では、三重県支部との間に混乱が予想されるような大規模な交渉を行なうときは、万一の事態に備え、警察官出動要請の手はず等をととのえたうえで交渉に臨むことが多く、本件の交渉に際しても、右のような見地から交渉に先立ち、その手はずをととのえ、交渉に臨んだが、前記の如く交渉は平行線をたどり、進展が見られなかつたことから、高谷副知事が午後九時五分ころ交渉の打切りを宣言し、県民室からの退去を要求し、県側交渉員らは席から立上り、室外へ出ようとしたところ、組合員らは一斉に立上り、津分会の幹部組合員である三宅政治が「我々は退去命令が出るんだということはよく知つていた。こちらも対抗手段を講ずる。」等と発言し、前記の如く、被告人石上、同桑名、同鈴木、同宮本、同藤村らは他数名の組合員とともに、高谷副知事、別所商工労働部長、長島職安課長らを取り囲み、その腕を引つぱつたり、肘で突いたりして口々に「坐つてくれ。まだ交渉はできるやないか。」等と叫んで強硬に交渉の継続を要求し、右県側交渉員らがそれぞれ「二二日には知事が交渉に応じるのだから今日のところは帰つてくれ。」と繰り返し退去を要求したのにかかわらず、これを聞き入れないで、県民室外で待機していた二〇ないし三〇名の組合員をも室内に導入し、室内の机、椅子を隅に片付けさせて、組合員らを同室内の三ヶ所の出入口付近に坐り込ませ、そのため県側交渉員が右室より退出することは不可能になつたこと、そこで同副知事は同日午後九時一五分ころ、かねての手はずに従つて、待機していた県の職員に警察官出動要請の合図をし、その後約一〇分位して警察官が右室内に入つたことが認められるところ、本件退去要求が出された後の右の如き組合側の態度に前記の如く従来の交渉においても組合員の中に種々の不穏な言動が見られたことを考え合わせると、県側の本件警察官導入の措置はまことにやむをえないものといわざるをえない。

二、暴行事件関係

1、被告人藤村およびその弁護人らは、同被告人の中島正男に対する本件所為は刑法第二〇八条のいわゆる暴行に該当するか否か疑わしいものである旨主張するが、同条にいう暴行とは人の身体に対する有形力の不法な行使を指すものと解されるところ、判示の如く、同被告人は椅子に腰かけている右中島に対し、左手でその胸倉をつかみ、右手をその首すじにあてて一回押したものであり、その程度も前掲(第二の3掲記)各証拠によると、右中島が椅子からすべり落ちそうになるほどのものであつたと認められ、右所為が人の身体に対する有形力の不法な行使であることは明らかであるからこの点に関する主張は理由がない。

2、被告人藤村およびその弁護人らは、同被告人は全日自労三重県支部松阪分会の執行委員長として三重県松阪失業対策事務所長と団体交渉をするため同事務所に赴いた際、同事務所庶務係長である中島正男に対して本件所為に及んだものであるから、右所為は、労働組合法第一条第二項にいう正当行為というべきであると主張する。しかしながら、(証拠略)によると、右松阪分会は、昭和四一年一月一七日ころから右失業対策事務所長田中実誠に対し、同年二月一日を旧正月として同分会の組合員に対し有給休暇を与えてほしい旨申し入れ、同分会の執行委員長であつた被告人藤村と右田中はその後数回にわたつてこれに関して話し合つたが、右田中は一貫して右要求には応じられないとの態度をとり、同年一月二四日ごろ、同被告人に対し、最終的に「右要求には応じられない。この件に関しては今後交渉にも応じられない。」旨返答したところ、同分会ではこれを不満とし、同月二八日右田中に対し翌二九日に右の件につき交渉に応じてほしい旨を申し入れたが同人はこれを断つたこと、それにもかかわらず、同被告人は判示の如く同事務所に赴いて右の件につき交渉に応じるよう要求したものであることが認められる。(この点について被告人藤村は当公判廷において「一月二八日には私が所長に電話をして、所長との間に二月一日を有給休暇の扱いにするか否かについて団体交渉に応じてほしい旨申し入れ、所長は二九日の午前九時三〇分から交渉に応じると約束した」旨供述し、第五〇回公判調書中の証人石上喬生の供述部分には「四一年の一月二八日の日に電話で二九日の日に団体交渉をやるようにと申込をしまして二八日の日に二九日の日に交渉をやることになつていたのです。」「二八日の日に私が電話連絡をしまして二九日の日に九時から県失対事務所で所長以下会うという話ができたと思います。」との記載があり、所長田中実誠は松阪分会に対し、一月二九日午前九時ないし九時半ごろから、二月一日を有給休暇扱いにする件に関して交渉に応じる旨返答したことを一応窺知しえないでもないが、右の如く、被告人藤村および証人石上は、それぞれ自分が右田中から、交渉に応じるとの承諾を取りつけた旨述べているのであつて、この点にくいちがいがあり、前掲田中証言および中島正男の司法警察員に対する供述調書の記載に照らして考えると右各証拠は措信しえない。)

以上のようなわけで、右田中が松阪分会に対し、交渉に応じる旨約した事実は認めえず、従つて、被告人藤村の本件所為は、団体交渉に際してなされた行為とみることはできないものであり(なお、交渉事項が有給休暇に関するものであること、交渉相手が三重県松阪失業対策事務所長であること等からみて、右がいわゆる団体交渉といいうるものかきわめて疑問であるがこの点はさておく)、仮に団体交渉に際して、または労働組合の行為としてなされた行為であるとしても、被告人藤村の本件所為は、判示の如く暴力の行使であるから同条項但書にてらして、正当な行為として評価することはできないものといわざるをえない。よつて右主張は採用できない。

三、その他

以上判断した以外にも被告人らおよび弁護人らは縷々主張しているが、それらは全て当裁判所の採用しないところである。

第五、公訴事実中、犯罪の成立を認めない部分(被告人桑名に対する昭和三七年一月一一日付起訴状第二、第三、第四の(二)ならびに同年三月一九日付起訴状一、二、四の(イ)、七の(イ)、一一の各事実、被告人鈴木に対する同年一月一一日付起訴状第二、第三、第四の(一)ならびに同年三月一九日付起訴状二、四の(ロ)の各事実、被告人堀口に対する同年一月一一日付起訴状第二、第三、第四の(二)ならびに同年三月一九日付起訴状一、二、三、四の(ハ)、五、六、八、九、一〇、一二の各事実、被告人宮本に対する同日付起訴状二、一三の各事実、被告人石上に対する同日付起訴状二、一一、一三、一四の各事実、被告人藤村に対する同日付起訴状一、四の二、七の(ロ)の各事実)についての説明

一、公訴事実の要旨

被告人石上は全日自労三重県支部執行委員長、被告人桑名、同鈴木はいずれも同副委員長、被告人堀口は同書記長、被告人宮本は同執行委員、被告人藤村は同支部松阪分会執行委員長であつたが

1、被告人桑名、同堀口、同藤村は、昭和三六年一二月二〇日午前一一時ころから同日午前一一時一〇分ころまで、三重県津市栄町一丁目一七九番地旧三重県庁正面玄関前広場において、全日自労三重県支部傘下の組合員約一、二〇〇名が三重県公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を行つた際、右示威行進の隊列の列外にあつて右示威行進の指導をし

2、被告人石上、同桑名、同鈴木、同堀口、同宮本はほか数名と意思相通じ共謀のうえ、同日午前一一時一五分ころから同日午前一一時三五分ころまでの間、同広場において、同支部傘下の組合員等約一、二〇〇名が同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威運動である全日自労三重県支部、失業者同盟生活と健康を守る会の要求貫徹総決起大会を行つた際、右大会を指導し

3、被告人堀口は、同日午後一時一五分ころ、同広場において、同支部傘下の組合員等約一、〇〇〇名を集め、同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を計画し

4、(一) 被告人桑名は右3記載の計画に基づき、同日午後一時一八分ころから同日午後一時三七分ころまで同広場で行われた右約一、〇〇〇名による無許可の集団示威行進の隊列の先頭に立つてこれを指導し

(二) 被告人鈴木は、右集団示威行進の隊列の列外にあつてこれを指導し

(三) 被告人堀口は、右集団示威行進の先頭或いは隊列の列外にあつてこれを指導し

(四) 被告人藤村は、右集団示威行進の先頭に立つてこれを指導し

5、被告人堀口は、同日午後二時四五分ころ、同広場において、同支部傘下の組合員等約八〇〇名を集め、同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を計画し

6、被告人堀口は、右5記載の計画に基づき同日午後二時五七分ころから同日午後三時過ぎまで同広場で行なわれた無許可集団示威行進の隊列の列外にあつてこれを指導し

7、被告人桑名、同藤村は、同日午後四時三五分ころから同日午後四時四〇分ころまで、同広場において、同支部傘下の組合員約八〇〇名が同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を行なつた際

(一) 被告人桑名は、右集団示威行進の隊列の列外にあつてこれを指導し

(二) 被告人藤村は、右集団示威行進の隊列の先頭に立つてこれを指導し

8、被告人堀口は、同年一二月二一日午後一時三五分ころ、同広場において、同支部傘下の組合員約五〇〇名を集め、同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を計画し

9、被告人堀口は右8記載の計画に基づき、同日午後二時ころから同日午後二時二〇分ころまで、同場所で行われた無許可の集団示威行進を行つた際、右集団示威行進の隊列の列外にあつてこれを指導し

10、被告人堀口は、同日午後三時五分ころ、同広場において、同支部傘下の組合員約五〇〇名を集め、同広場および同所から国道二三号線交差点に通ずる約一五〇メートルの道路を同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を計画し

11、被告人石上、同桑名は右10記載の計画に基づき同日午後三時一〇分ころから同日午後三時二〇分ころまで、同広場および同所から国道二三号線交差点に通ずる約一五〇メートルの道路で行われた無許可の集団示威行進に参加し

12、被告人堀口は、右11記載の集団示威行進を行つた際その発進を命じ、あるいは列外にあつてこれを指導し

13、被告人石上、同桑名、同鈴木、同堀口、同宮本は、ほか数名と意思相通じ共謀のうえ、同年一二月二二日午前一〇時三〇分ころ、同広場において、同支部傘下の組合員等約一、〇〇〇名を集め、同公安委員会の許可を受けないで参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威運動である「警察に対する抗議ならびに秋越総決起集会」を計画し、同計画に基づき同日午前一〇時三〇分ころから同日午前一一時三〇分ころまでの間、同広場で行われた同集会を指導し

14、被告人桑名、同鈴木、同堀口は他数名と共謀のうえ、右13記載の集会の終了後、同日午前一一時三〇分ころ、同公安委員会の許可を受けないで同広場および同広場東口より三重県議会議事堂前に通ずる約一〇〇メートルの道路上を参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき示威行進を行うことを計画し

15、被告人石上、同桑名、同鈴木、同堀口は、右14記載の集会終了後同日午前一一時三〇分ころより同日午前一一時四〇分ころまでの間、同公安委員会の許可を受けないで同広場および同広場東口より三重県議会議事堂前に通ずる約一〇〇メートルの道路上を参加者以外のものの通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべき集団示威行進を行つた約一、〇〇〇名による示威行進に参加し、その際

(一) 被告人石上、同鈴木は、右隊列の先頭に立つて、それぞれこれを誘導して指導し

(二) 被告人桑名、同堀口は、右隊列の列外にあつてそれぞれこれを指導し

たものである。

二、当裁判所の判断

1、旧三重県庁正面玄関前広場および前記正門から旧国道に至る通路の法的性格

(一) 旧三重県庁正面玄関前広場について

前記(第五の一)の1ないし9、13の各犯行場所ならびに10ないし12、14、15の各前段の犯行場所はいずれも旧三重県庁正面玄関前広場となつており、検察官は同所(以下本件広場と略称する)が昭和二四年三重県条例第二四号示威行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に三重県公安条例と略称する)第二条にいう「広場」に該る旨主張し、被告人らおよび弁護人らは右「広場」に該らない旨主張するのでこの点について検討する。

三重県公安条例は、その第二条において、「示威行進または集団示威運動であつて、それが道路、公園もしくは広場を行進しまたは占拠することによりそれに参加した者以外のもののその道路、公園もしくは広場の通行または使用を排除し、もしくは妨害するに至るべきものは予め三重県公安委員会の許可を受けなければこれを行つてはならない」と規定して、規制の対象とする場所について「道路、公園もしくは広場」と限定しているところ、「広場」については同条例では特に定義がなされていず、わが国の法制上、一般的にその定義をした規定は見当らないが、国有財産法第一三条、地方自治法第二条、道路法第二〇条等にその用語例が見られること、右の如く、本条例では「広場」は「道路」「公園」と並べて掲記されていること、ならびに本条例の趣旨、目的等を併せ考えてその概念を明らかにしなければならない。そこで先ず本条例の趣旨、目的について検討するに、集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は憲法第二一条により基本的人権として保障され、示威行進または集団示威運動が右表現方法の一態様として、その自由が尊重されなければならないのはもとより当然であるが、示威行進または集団示威運動は、本来、共同の意思、主張を有する多数の者が集団の気勢を示して集団外の一般不特定多数の公衆に集団の意思、主張を訴えるために行われるものであるから、事柄の性質上、一般公衆の耳目に触れるところで行われるものであり、これを無制限に放置すると一般公衆の権利、自由等と衝突することが予測されることから憲法第一二条等の趣旨に則り、多くの地方公共団体が一定の規模の示威行進または集団示威運動を一定の場所で行おうとするときは、許可または届出をしなければならない旨の条例(いわゆる公安条例)を制定しており、三重県においても昭和二四年七月二九日に条例第二四号をもつて本条例が制定されたのであり、本条例は、その第一条において、その趣旨目的を「この条例は、日本国憲法において、国民の自由権は、国民がこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のために利用する責任を負うと規定するところに従い、示威行進および集団示威運動が、道路、公園もしくは広場を行進し、または占拠することにより、それを通行し、または使用する他人の権利を侵すことのないようにし、公共の安全および福祉を保持することを目的とする。」と明記している。そこで、次に、本条例にいう「道路」「公園」の意義について考えるに、同条例にいう「道路」とは道路交通法第二条第一号に規定するいわゆる道路の意味ではなく(同条の道路には現に公衆の交通の用に供されている場所が広く含まれるから公園、遊園地、空地、広場等も右道路に該ることになり、本条例が「道路」のほかに「公園」「広場」と掲記した意味がなくなる)、道路法第二条第一項にいわゆる道路の意味であると解され、「公園」については、わが国の法制上、一般的にその定義をした規定は見当らないが、自然公園法、都市公園法、国有財産法第一三条、地方自治法第二条等にその用語が見られ、それらを参考にして、前記の如き本条例の趣旨、目的に照らして考えると、本条例にいう「公園」とは、主として、屋外における休息、観賞、散歩、遊戯、運動、その他のレクリエーシヨンの用に供して住民の情操の純化、健康の増進および教養の向上を図るため、行政主体の設置した修景施設、休養施設、遊戯施設、運動施設、教養施設、便益施設等の諸施設のある園地をいうものと解される。

そこで続いて、本条例にいう「広場」の意義について考えるに右「広場」と並記されている「道路」、「公園」が右の如く解されること、国有財産法第一三条、地方自治法第二条等では「公園または広場」と「公園」と「広場」とは並列して用いられていることに前記の如き本条例の趣旨、目的を考え合わせると、本条例にいう「広場」とは公園ほどその設置の目的は明確ではないにしろ、主として屋外における休息、散歩、運動、その他レクリエーシヨン等の用に供し、住民の情操の純化、健康の増進等を計り、あるいはその他の便益に供するため、行政主体の設置した場所で、公園とは異なり修景施設、教養施設、便益施設等の諸施設がないものと解され、それは直接に一般公衆の共同使用に供せられるいわゆる公共用物の一種であると解される。

次に、本件広場について検討するに、(証拠略)によると、本件広場は、三重県津市栄町一丁目一七九番地に所在した旧三重県庁の構内であることが認められ、これは行政主体の用に供することを本来の目的とする公用物であるというべきである。以上のようなわけで、公用物である本件広場は、公共用物である本条例にいわゆる「広場」には該らず、「道路」、「公園」にも該らないものというべきである。

(二) 前記正門から旧国道に至る通路について

前記(第五の一)の10ないし12、14、15の各犯行の場所には、前記正門から旧国道に至る通路(以下本件通路と略称する)が含まれているので、これについて検討するに、(証拠略)によると、本件通路は前記旧三重県庁の敷地の一部であることが認められ、これは行政主体の用に供することを本来の目的とする公用物であると解すべきである。従つて、公用物である本件通路は、本条例にいわゆる「道路」「公園」「広場」のいずれにも該らないといわなければならない。

(三) ちなみに、行政財産としての本来の性格が公用物である本件広場および本件通路でも、その現実の利用の状況が、県庁敷地としての公用的性格を失い、もつぱら一般公衆の自由な使用に委されているような場合には本条例にいう「道路」「公園」「広場」に該るとも考えられるので、この点について検討するに、右(一)、(二)記載の各証拠によると、本件広場については、その位置形状等は別紙第一図面赤斜線部分の如くであり、その北側、西側、南側の一部を旧県庁庁舎、三重県警察本部等の建物に囲まれており、右県庁庁舎の中には建築士会、都市計画協会、農業会等約三〇の公共団体等の諸施設のほか、郵便局、銀行等の施設が存在したこと、本件広場は、その中央部では東西約六〇メートル、南北約三〇メートルの広さであつて、西方から東方に向けて緩い傾斜をなしており、そのほぼ中央には東西約一一・三〇メートル、南北約一一・三三メートルの築山が存在していたこと、外部から本件広場に出入りするためには、その北側に設けられた幅約七・〇五メートルの通路(右通路は約五〇メートル先において一般道路に接している)、もしくはその東側に設けられた正門(大小四本の石の門柱があり、両外側には小さい門柱がありその間隔は約九メートルで双方二・四メートル内側に大きい門柱があり、大きい門柱の間隔は三・七メートルである。なお両側の小さい門柱と大きい門柱の間には門扉が閉したままの状態にあつた。右門の約六〇メートル先で一般道路に接している。)を経なければならず、他に出入口はないこと、本件広場の東北隅付近には守衛室があり、昼間は守衛がいて庁舎内外の管理をしていたこと、本件広場は付近住民の通り抜け等に使われてはいなかつたことが認められ、本件通路については、その位置、形状等は別紙第二図面赤斜線部分の如くであり、巾が約九・二メートル、西に高く約五度傾斜していて、正門より旧国道までの距離は約六四メートルであり、その両側には車庫が設置せられていたことが認められる。かように本件広場および本件通路は、旧県庁、県警本部等前記の如き諸施設に勤務する職員ならびに右の利用者等の通行等の用に供されていたもので、公用物としての性格を失つていたとは到底いえないから、この点からも、本件広場および本件通路は三重県公安条例にいう「道路」、「公園」、「広場」のいずれにも該らないというべきである。

(四) 以上の点について、検察官は、広島県庁敷地内で行われた示威行進について広島県公安条例の適用の有無について判断した最高裁判所判決(昭和四五年七月一六日)を引用し、「その場所が官公庁の公用の場所であつて公共用の場所でなくても、公用に供すると同時に現実に不特定多数の人の自由な出入りを許し、一般公衆の利用するにまかせているという状況が存在するかぎりは、その場所における集団示威運動等は公共の安全と秩序に対し危険を及ぼすおそれがあるから、これを取締まる必要があり、したがつてこのような場所は公安条例適用の対象となる」旨主張し、さらに国鉄駅構内での集団示威運動に東京都公安条例を適用した東京高等裁判所判決(昭和四三年八月一九日)、川口市役所二階議事堂前および同議事堂における示威運動に埼玉県公安条例を適用した最高裁判所判決(昭和三〇年三月三〇日)を引用しているので検討するに、広島県公安条例はその第四条において、規制の対象とする場所を「道路、公園、広場、その他屋外の公共の場所において」と定めており、東京都公安条例および埼玉県公安条例はいずれもその第一条において、規制の対象とする場所につき「道路その他公共の場所で」と定めているのであつて、前記最高裁判所判決(昭和四五年七月一六日)は広島県庁正面玄関前構内の性質に関し、広島県公安条例第四条にいう「屋外の公共の場所」の意義について判示したものであり、前記高等裁判所判決ならびに最高裁判所判決(昭和三〇年三月三〇日)は、国鉄駅構内、川口市役所二階議事堂前廊下および右議事堂が右各「公共の場所」に該ると判断したものであつて、いずれも本件場所が「広場」に該るか否かを判断する参考にはならないといわざるをえない。(しかも、広島県公安条例の右の如き規定の仕方からみると、広島県庁敷地が右公安条例の規制の対象となる場所に該当するか否かを判断するについては、論理的には右敷地が「道路、公園、広場」のいずれかに該るか否かが先ず判断され、そのいずれにも該らない場合に、「その他屋外の公共の場所」に該るか否かが検討されるべきところ、前記最高裁判所判決ならびにその第一、第二審判決はいずれも広島県庁敷地が「その他屋外の公共の場所」に該るか否かを判断したものであるから、右場所が「道路、公園、広場」のいずれにも該らないことを論理的な前提としているものと見られ、当裁判所の前記の如き判断は、何等右最高裁判所判決と矛盾しないのみならず、むしろその趣旨に沿うものと考える。)

2、前記(第五の一)の10ないし12、14、15の各事実中道路部分における所為について

(一) 右10ないし12の所為について

(証拠略)によると、前記の如く、全日自労三重県支部においては、昭和三六年一二月二〇日、旧三重県庁県民室で、高谷副知事らと賃金引上げ等について交渉したが、同副知事が同日午後九時五分ころ、一方的に右交渉を打ち切り、組合員に退去を要求し、これに応じないからといつて警察官を導入したことに対して、副知事ら県側交渉員に抗議し、一方、右警察官が組合員を右県民室から排除するに際して組合員島岡こてるに対し暴行を加え、これに重傷を負わせたとして三重県警察本部に抗議するため、翌二一日午前中から本件広場に約五〇〇名の組合員を動員し、同所で右各抗議の集会ならびに示威行進等を行つたこと、右集会、示威行進等は午後二時三〇分ころ一旦終り、組合員らは同所等で休憩していたが午後三時ころ、同所西側付近(旧県庁正面玄関前)に右組合員らを集合させ、四列縦隊に並ばせてスクラムを組ませたこと、右隊列は午後三時一〇分ころから午後三時二〇分ころまでの間、ほぼ別紙第三図面の如く本件広場中央部付近の築山の南側を通り、正門を経て国道二三号線まで行進したこと、旧県庁正門坂下から国道二三号線に至る道路は別紙第二図面青斜線部分の如くであること、被告人石上、同桑名は右隊列内にあり右行進に参加しており、被告人堀口は右隊列の列外にあり、その発進を命じあるいは列外にあつてこれを指導したこと、右行進については、県公安委員会に対し許可申請はなされていないこと、右行進はそれに参加した者以外のものの通行を妨害するに至るべきものであつたことが認められる。

ところで、検察官は、右行進は、三重県公安条例第二条に規定する示威行進に該る旨主張し、被告人桑名、同堀口同石上ならびにその弁護人らは、当日の抗議の行動は、午後二時三〇分ころ終つたもので、一旦休憩の後本件広場で解散したものであり、ただ国道二三号線方面に帰る組合員が五〇〇名近くあつたため、通行の邪魔になることを慮つて、統制ある行動でかたまつて帰ることになつたにすぎない旨主張するので考えるに、右各証拠によると、右隊列は本件広場内ではスクラムを組んで「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけながらほぼ別紙第三図面の如く蛇行進をしていたこと、被告人堀口は、右隊列外にあつて、マイクで「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と音頭をとつていたこと、右隊列は、旧三重県庁の敷地外の道路においても、スクラムを組んだまま歩道が設けられているにかかわらず車道上を、しかも一部では蛇行して進行していること、国道二三号線の交差点では被告人石上が「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけていることが認められ、右のような行進の態様に本件の四〇分位前まで組合員らが前記の如き抗議の行動を行つていたことを考え合わせると本件行進は示威性を帯びるものといわざるをえない。

(二) 前記14、15の所為について

(証拠略)によると、全日自労三重県支部においては、前記の如く昭和三六年一二月二〇日に組合員が警察官から暴行を受けて重傷を負つたとして三重県警察本部に抗議し、かつ、前記の如く右同日に高谷副知事らと賃金引上げ等について交渉した際、同副知事から「二二日には田中知事が交渉に応ずる」旨約束されていたので、右交渉に臨む組合側の態度を打合わせ、右交渉において組合側に有利な妥結をはかるために、同月二二日午前中から本件広場に約一、〇〇〇名の組合員を動員し、午前一〇時三〇分ころから午前一一時三〇分ころまで「警察に対する抗議ならびに秋越斗争総決起集会」と称する集会を行つたこと、右組合員ら約一、〇〇〇名は、午前一一時三〇分ころから午前一一時四〇分ころまでの間、四列縦隊にスクラムを組み、そのままの隊形でほぼ別紙第四図面の如く県議会議事堂前まで行進したこと、旧県庁正門坂下から議事堂前に至る道路は別紙第二図面青斜線部分の如くであること、被告人石上は右隊列の最前列にあり、スクラムを組み、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけ、最前列にある他の組合員とともに隊列を誘導していたこと、被告人桑名は隊列外(隊列前部の右横方)にあつて、隊列の進行に伴つて行進し、写真撮影をしながら右行進を指導していたが、正門を五ないし六メートル位外に出た地点で三重県公安条例違反の現行犯人として逮捕されたこと、被告人鈴木は隊列外(隊列の最前部左側等)にあつて隊列とともに行進して右行進を指導していたが、正門付近で同条例違反の現行犯人として逮捕されたこと、被告人堀口は隊列外で手を振る等して右行進を指導していたが、本件広場中央部付近にある築山の南側付近で同条例違反の現行犯人として逮捕されたこと、右行進については三重県公安委員会に対し、許可申請はなされていないこと、右行進は、それに参加した者以外のものの通行を妨害するに至るべきものであつたことが認められる。

ところで、検察官は、右行進は示威行進に該る旨主張し、被告人桑名、同鈴木、同堀口、同石上ならびにその弁護人らは、組合員約一、〇〇〇名は県議会議事堂前広場で昼食をとるため、隊列を組んで移動したにすぎず、示威行進ではない旨主張するので考えるに、当時組合の役員であつた柏木延麿が「集会終りましてその日は丁度県会が行われておりまして県会へ知事が出席しておりましたし、それから知事と交渉の約束ができておりましたので、議事堂前へ一応集結して、そしてそこで正午何でも確かに集会が終つてそれからそこで解散するのか、それとも一応議事堂前へ行くのかという相談をした記憶があるんですが。一応議事堂前まで行つてそこで昼食解散をしようそういうふうな相談をした記憶あります。だから集会が終りまして県議事堂前へ移動するというふうなことになりました。」と述べており(第二〇回公判調書の記載)、右供述記載に前記各証拠を総合すると、被告人桑名、同鈴木、同堀口、柏木延麿らその場にいた組合役員は、前記集会を本件広場で解散することなく、当日交渉に応ずることになつていた県知事が、そのころ県議会に出席していたことから、前記組合員約一、〇〇〇名に隊列を組ませたうえ、県議会議事堂まで行進させ、同所で解散する旨相談し、被告人堀口がマイクで「不当弾圧に対する抗議のデモを行う。」旨演説し、組合員らはそれに呼応して、四列縦隊にスクラムを組み、労働歌を合唱し、一斉に「ガンバロウ」と声を合わせて拳を突き上げる等して気勢をあげ、スクラムを組み「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけ、時にはかけ足をしながら行進したもので先頭の方にいた組合員の中には笛を吹いていたものもあつたことが認められ、右のような行進の態様ならびに当日の組合員動員の目的が前記の如くであることを考え合わせると、右行進は、三重県警察本部に対する組合の抗議の姿勢ならびに当日予定されていた知事交渉に臨む組合側の決意態度等を示すことをも目的の一つにしていたことは十分に窺われ、右行進は示威性を帯びているというべきである。

(三) 可罰的違法性について

以上の如く、右(一)、(二)の各行進は示威行進に該るものであり、道路上でなされた部分について被告人らの各行為は、形のうえでは三重県公安条例第二条、第七条の構成要件に該当するものであるところ、前記の如く、右(一)、(二)の示威行進の時間はいずれも本件広場、本件通路および道路を含めて約一〇分間であり、また前記の如く、本件広場および本件通路における行進距離の方が道路における行進距離より数倍長いから、右各隊列が前記各道路を行進した時間は僅々二、三分以内であると推認されること、右各隊列が行進した道路の距離は右(一)の行進が約七〇メートル、右(二)の行進が約三〇メートルであること、前記各写真等によると、本件当時における右各道路上の人および自動車等の交通量はそれほど多くなく、右各示威行進によつて、せいぜい数名の通行人および数台の自動車の交通が僅か数分間妨害されたにすぎなかつたことが窺われる。

そして、右の如き、示威行進の態様、時間、距離、道路の状況、一般通行人等に対する交通妨害の程度等を考慮すると、本件道路上における各示威行進は、それのみでは、きわめて犯情の軽微なものとして、同条例第七条所定の構成要件が予想する可罰的程度の実質的違法性を欠くものといわざるをえない。

3、以上のとおりであつて、前記一記載の公訴事実中、旧三重県庁敷地内(本件広場および本件通路)におけるものについては、これが三重県公安条例第二条に規定する「道路、公園もしくは広場」のいずれにも該らず、また右(一)、(二)の各示威行進のうち、道路におけるものについては可罰的違法性を欠くものであつて、右各行為は三重県公安条例第二条、第七条の構成要件を欠き、結局前掲一、記載の公訴事実はすべて罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条を適用して、被告人らに対しこの点につきいずれも無罪の言渡をする。

(なお、既に説示したとおり、被告人らの本件三重県公安条例違反として公訴を提起された各所為については、いずれも同条例第二条、第七条所定の構成要件に該当しないとの結論に達したのであるから、被告人らおよび弁護人らの同条例が憲法に違反するとの主張についての判断はこれを示さないこととする。)

よつて主文のとおり判決する。

(図面略)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com