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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)777号 判決

原告

栗原千恵子

右訴訟代理人弁護士

城口順二

右訴訟復代理人弁護士

城口美恵子

被告

埼玉県

右代表者知事

畑和

右訴訟代理人弁護士

鍛治勉

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

「1 被告は原告に対し、二〇〇〇万円およびこれに対する昭和四三年三月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。2 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  原告と故今井貞次の関係

原告は、故今井貞次(以下「今井」という。)の妻であり、昭和四三年三月二六日今井が死亡したため相続によりその地位を承継したものである。

(二)  事故の発生

今井は、昭和四三年三月二五日当時埼玉県秩父郡小鹿野町立長若小学校に教諭として勤務していたところ、同日午後執務中脳内出血またはくも膜下出血のため担当教室内でたおれ、翌二六日午前二時四五分同校医務室で死亡した。

(三)  事故の原因

今井死亡の原因としては、次の点が挙げられる。

1 まず、(1)授業、課外指導、校務その他教育労働の負担が今井を極度に疲労させたこと (2)発症日気象が激変したが、今井の健康を保持するには小学校の担当教室があまりに劣悪なことが脳の出血またはくも膜下出血の発症を惹起したとみられることである。

すなわち、

a 今井は正規の授業のほか、指導要録作成、各担当教科補助教材作成、テストプリント作成など授業に欠かせない仕事に加え、校内の理科研究主任、視聴覚研究主任、交通安全指導主任、科学クラブ指導主任、園芸奉仕部主任を担当していたうえ、営繕係、物品管理係等もつとめ、一日平均四時間四四分もの超過勤務を必要とし心身の疲労が蓄積し、昭和四二年二月二四日の時点で最高血圧が一三八に過ぎなかったのに死亡時には二三八と異常な高血圧になっていた。

b ところが、本件事故当日は、降雨後みぞれ雪に変わり、気温も前日までは日中の最高気温が摂氏一五度を上まわっていたのに気温が下がり事故発見時においては摂氏五度を割っていた。

c しかるに、学校建物は明治四五年建築の木造の建物であって県下でも最も古いものに属し、床のふし穴、窓の隙間などより容赦なく寒気が教室内に侵入してきた。

右に述べたようなことが、今井に脳内出血またはくも膜下出血の発症を惹起させた原因であることは明らかである。

2 また、今井が執務する教室内には同人ただ一人しかいなかったため、今井が転倒したことの発見がおくれ、寒気が激しい中に嘔吐、失禁などで体が冷えるにまかせるなど危険な状況のまま放置され、加えて学校内に救急措置を施すに必要な設備が存在せず、医師の早期の適正な診断治療等がなされないなど極めて不備不完全な医療看護体制の下にあったため適切な時期に適切な措置がとれなかったことが今井の死亡という結果を齎したものである。

(四)  被告の責任

A(1) 原告のような市町村立の小学校の教員は法律上は市町村の公務員であるとはいえ、その任命権は県教育委員会(以下「県教委」という。)に属し、教員の給与は県が負担する。県教委は同一県内であれば一市町村の職員を免職し、引き続いて他の市町村の職員として採用することもできる。

しかも、教員定数、給与などの勤務条件、任免、分限、懲戒等は、ことごとく県の条例でこれを実施しているばかりか、県教委は、市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)に前記条例実施の指示権を有している。

(2) このような点を考えると、県教委を設置している県は市町村とともに県費負担教員に対する使用者としての地位を併有するものであり、信義則上教員の生命身体の安全を保護すべき法律上の義務(安全配慮義務)を負担するのは当然である。

B ところが、本件の場合、被告は、次の点で今井に対する安全配慮義務に違反した。

(1)(Ⅰ) まず、被告は、校舎等の物的環境、衛生医療環境等をととのえ、教員の公務中の災害が発生しないよう万全の措置をとり、今井ら個々の教員に万一基礎疾病等の素因があったとしても、公務がこの素因等に何らかの影響を与えて疾病を発症させ、疾病を増悪させることがないよう配慮すべき義務がある。

(Ⅱ) しかるに、被告は右義務に違反し、今井を前記(三)1記載のような状況におき、脳内出血またはくも膜下出血の発症を惹起させた。

(2)(Ⅰ) また、被告には、教師が疾病におそわれた際は早期から適切な医療看護をなし、もって生命を保持するための万全の措置をとるべき義務がある。

(Ⅱ) しかるに、被告は右義務に違反し、前記(三)2のように今井を危険な状況のまま放置し、適切な医療看護措置がとれないような状況において同人の死亡という結果を齎した。

C よって、被告は、今井の死亡により今井と原告に生じた損害について賠償の責任を負わなければならない。

(五)  損害

1 今井は、その死亡により別紙(略)No1~No8記載のとおりの逸失利益相当の財産上の損害を蒙ったほか、五〇〇万円相当の精神的損害を蒙った。

2 原告は今井の被告に対する損害賠償請求権を今井の三人の子とともに相続したが、今井の死亡当時妻の法定相続分は三分の一であったので、原告は今井の取得した損害賠償請求権一億六五〇二万六三六八円の三分の一に原告固有の慰藉料二〇〇万円を加えた合計額の損害賠償請求権を取得した。

(六)  よって、原告は被告に対し、右のうち二〇〇〇万円とこれに対する昭和四三年三月二六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

(一)  請求の原因(一)は認める。

(二)  請求の原因(二)は今井の死亡時刻の点を除き認める。今井の死亡時刻は不知。

(三)  請求の原因(三)について

1について

冒頭の主張は争う。

aのうち、今井の職務には、授業のほか、指導要録の作成も含まれていたこと、校務分掌として理科研究主任、視聴覚研究主任であったこと、物品管理のうち窓ガラス部門を担当していたこと、特別教育活動のクラブのうちの科学部、児童会のうちの園芸部の指導を担当していたことは認めるが、仕事の内容、量が一日平均四時間四四分もの超過勤務を必要としていたこと、そのため心身の疲労が蓄積したこと、また死亡当時の今井が過労状態であったことは否認する。その他のことは不知。

今井は、授業のほか、学級担任、校務分掌としての職務、特別教育活動の指導およびこれらの職務に付随する職務を行っていたものであり、退校時間も午後五時から六時ころであった。卒業式をひかえて、三月二一日からは授業は午前中のみで終わり、本件事故当日の授業時間中の一部を使って卓球室で卒業式の「五年生の卒業生に対する呼びかけ」練習の指導を行い、放課後担任クラスの教室で執務中、午後三時ころに倒れたものである。今井が過重な職務を負担していたとはいえない。

bのうち、今井が倒れた当日の気温が摂氏五度強であったことは認めるが、その余は争う。当日の気温は前日から徐々に低下してきていて、激変したということはない。なお、右五度強という温度も教室内の温度ではない。

本件の教室は、明治時代に建築したものとはいえ、児童を教育する現場として欠陥があるというものではなく、寒気が直接教室内に侵入してきてしまい、室温が外気温と等しいものとなってしまうというようなものではない。

2の主張は争う。

(四)  請求の原因(四)について

Aについて

(1)は認める。ただし、市町村立小学校教員の任免その他の進退を行う権限は県教委に属する(地方教育行政の組織及び運営に関する法律((以下「地教行法」という。))三七条、三八条)が、これは県単位での人事交流をはかり、教育水準の統一を確保し、給与負担主体と任命主体を一致させるという理由から、本来の学校の設置管理者である市町村の固有の事務を県教委が委任されたものであり、したがって、市町村が本来持っている任免等の人事行政権を認めないというものではなく、県教委が任命権を行使し、任免その他の進退を行うときは市町村教委の内申をまって行うものとされている(地教行法三八条)。転任、転補の場合、市町村教委が市町村の特定の学校へ転任転補すべきことについての内申を県教委にして、県教委はその市町村教委の内申によって、その内申による市町村の教員に任命し(ただし、転補の場合には任命行為はない)内申にある特定の学校に補する旨の辞令を交付し、教員はその学校に赴任することになる。したがって、ある教員をどこの学校に勤務させるべきかは市町村教委の意思にかかわることになる。教員は赴任先の市町村の地方公務員となり、市町村教委が服務上の監督権者になる(地教行法四三条一項)。服務については、県教委は市町村教委について一般的な指示しかできず、個々の教員に対し具体的な監督はできない(同法四三条四項)。給与号俸等の決定は県条例に基づくものであるが、これは本来市町村で負担すべき給与等について、市町村の財政上の負担を考慮し、市町村立学校職員給与負担法が制定され、それに基づき県が給与等の費用を負担することになっていることから学校職員の給与に関する条例を制定していることによるものである。また、市町村立の学校を設置し管理する者は市町村である(学校教育法二条、五条、二九条、四〇条、地方自治法二条三項五号、同条九項、同法別表二の二七等)からその学校の設備条件等を整える責任は市町村である。市町村立の学校がいかなる条件下にあるかについて、県教委が具体的に指示し、変更等をして整えることはできない。

(2)は争う。市町村立学校の教員はその市町村の地方公務員であり(教育公務員特例法三条)、市町村立学校の使用者ともいうべきものは、市町村であって県ではない。本件では、小鹿野町が使用者となるものである。県も市町村立学校の教職員の使用者になるというのは誤りである。

かりに、今井が職務を行うについての設備条件、医療看護設備等を整え、過重な労働をさせない義務なるものがあるとしても、この義務を負うのは、長若小学校の設置管理者で使用者であり、服務監督権者である小鹿野町あるいは小鹿野町教育委員会であって、これらに関し具体的な権限のない被告埼玉県あるいは県教委ではない。

Bについて

(1)(2)とも争う。Aについて述べた理由により原告が主張する事項に関し具体的な権限のない被告埼玉県あるいは県教委は原告主張のような義務を負わない。したがって義務違反ということもない。

Cについて

争う。

(五)  請求の原因(五)について

争う。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録および証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  原告と今井の関係

請求の原因(一)は当事者間に争いがない。

二  今井の死亡

請求の原因(二)は今井の死亡時刻の点を除き当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、今井が死亡したのは昭和四三年三月二六日午前二時四五分であることが認められる。

三  被告の責任の有無

ところで、原告は、今井の死亡により生じた損害につき、被告には安全配慮義務不履行の賠償責任があるという。

そこで、今井に脳内出血またはくも膜下出血の発症を惹起させた原因ないし死亡という結果を齎した原因についてはしばらくおき、まず被告には原告が主張するような今井に対する安全配慮義務があるかどうかの点から検討する。

(一)1  いわゆる安全配慮義務は、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」(最高裁判所昭和五〇年二月二五日判決参照)である。

2  そこで、今井と被告とはいかなる関係に立っていたのかについて調べてみることにする。

(1) 今井は、前記認定のとおり死亡当時埼玉県秩父郡小鹿野町立長若小学校に教諭として勤務していたことは当事者間に争いがない。

(2) ところで、市町村立小中学校を設置し管理するものは市町村であり((学校教育法二九条、四〇条、五条、地方自治法二条二項、三項、五号、九項、別表第二(二十七)))、右市町村立小中学校の人的構成要素たる市町村立小・中学校の教員の身分は当該市町村の地方公務員である(なお、教育公務員特例法三条、学校教育法二条参照。)。

しかしながら、市町村立小・中学校の教諭等については、市町村立学校職員給与負担法によりその給料等を都道府県が全額負担することとされている(同法一条)ことなどから、本来市町村に属すべき市町村立小学校教諭等(以下「県費負担教職員」という)の人事権のうち、その任免その他の進退を行う権限は県教委に属している(地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という)三七条、三八条)。

すなわち、県教委は、地教行法二三条にいう「法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務」の一つとして、本来市町村に属すべき県費負担教職員の任免その他の進退を行う権限を有するのである。

もっとも、県教委が県費負担教職員の任免その他の進退を行うに当っては、市町村教委の内申をまって行うものとされ(地教行法三八条一項)、また市町村教委が県費負担教職員の服務を監督するものとされる(同法四三条一項)。県教委は、県費負担教職員の任免その他の進退を適切に行うため、市町村教委の行う県費負担教職員の服務の監督又は県費負担教職員の任免、分限又は懲戒、給与、勤務条件について定めた条例の実施について、市町村教委に対し、一般的指示を行うことができる(同法四三条四項、三項、四二条)が、個別的指示権はない。

(3) そうすると、今井と被告埼玉県の機関である埼玉県教委(地方自治法一八〇条の五、地教行法二条参照)は、右に認定したような県費負担教職員と県教委という関係があり、したがって今井と被告との間にも右の関係から生ずる法律関係があったということができる。

(二)  とはいえ、安全配慮義務は具体的状況下において問題となる信義則上の義務であるから、以下具体的状況等に照らし、被告は、今井に対し原告が主張するような具体的内容の安全配慮義務を負うていたかどうかについて検討する。

1  ところで、被告が今井に対し具体的内容の安全配慮義務を負うていたといえるかどうかは、県教委が今井の発症ないし死亡のおそれを予見しうべき具体的状況にあり、しかも県教委は右発症ないし死亡を回避しうる立場にあったかどうかによってきまるといわなければならない。

2(1)  そこで、まず今井の死亡当時におけるその職場の具体的状況を調べてみるのに、(証拠略)ならびに弁論の全趣旨をあわせると、今井の勤務していた長若小学校の概要は別紙「学校の概要」のとおりであって、同校は小規模の小学校であり、一学年から六学年まで計七クラス(五学年を除く各学年各一クラス、五学年のみ二クラス)編成で、教職員も校長と教頭のほかは、教諭七名、保母、事務員、給食婦各一名しかおらず、教諭はクラス担任のほか幾つかの校務を担当しなければならないような状況であったこと、校舎は明治四五年に建築された古い木造校舎で秩父地方の小学校の校舎の中でも古いものの一つであったが、頑丈な建物で日当りがよいという面もあったこと、長若小学校のすぐ近くにある町立の診療所の医師が校医をしていたが、医務室(保健室)にはベッドが置いてあるものの医務用品等は貧弱であったことが認められる。

(2)  (証拠略)、原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨をあわせれば、今井は死亡当時長若小学校五年一組の担任をしていたほか、校務分掌として理科研究主任、視聴覚研究主任をつとめるなど同校内の中堅教諭として熱心にその職務を行っていたが、昭和四三年三月二五日放課後担任クラスの教室内で執務中昏倒しているのを職員に発見され、学校よりの通報で駆けつけた校医の宮入医師の診断を受け、「脳内出血だから絶対安静が必要。しばらく様子をみよう。」との同医師の判断でしばらく同教室内で応急の手当を受けていたが、同教室には暖房設備もなかったこと等から夕方になってベッド等の設備のある校内の医務室に移され、同医師をはじめ家族、同僚らの看護を受けたが、翌朝死亡したこと、宮入医師の所見は、直接の死因は脳出血であるが、「昏睡ヲ以テ発病シタ起始状況、又、現病ヨリシテ、既往歴ニハナキモ、茲数日来、過労、感冒、罹患加ウルニ気温ノ激変ニヨリ、脳ノ血管障害ガ考エラレル」というものであること、発病一三日前になされた健康診断の結果によれば、その際の今井の血圧は最高血圧が一三八、最低血圧が八〇であったこと、前記三月二五日はその前日までは日中の最高気温が摂氏一五度を上まわるほどであったのに摂氏五度程度で、気温が下がっていたことがそれぞれ認められる。

3  ところで、右認定のような具体的状況に照らし、県教委は、今井の発病、死亡というような結果発生の危険を予見しえたであろうか、また結果回避の措置をとりえたであろうか、について考えてみよう。

おもうに、前に認定したように、県教委は県費負担教職員の任命権者とされてはいるが、県教委の県費負担教職員に対する人事に関する権限が前に述べたようなものに留まる以上、特段の事情がない限り、県教委が個々の市町村立小中学校の個々の教員の病気の発症ないし死亡のおそれを予見しうるとみることは相当でないところ、前記認定の今井に関する具体的状況には県教委が今井の発症ないし死亡のおそれについて予見しえたとみるべき特段の事情があったとみることは困難であり、また県教委の人事に関する権限が前に述べたようなものであるのみならず、校舎その他の施設の整備に関することおよび教員等の保健、安全、厚生等に関することはいずれも学校設置者たる市町村教委の権限に属する(地教行法二三条七号、九号参照)のであるから、前記認定の今井がおかれた具体的状況のもとでは県教委が今井の発症ないし死亡を回避しうる立場にあったとみることもできない。

4  そうすると、県教委に原告主張のような安全配慮義務があったということはできない。

(三)  したがって、被告には原告主張のような安全配慮義務不履行による損害賠償責任があるとはいえない。

四  結論

そうすると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことになるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小笠原昭夫 裁判官 野崎惟子 裁判官 樋口裕晃)

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