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神戸地方裁判所 昭和32年(ヌ)18号 決定

債権者 阪神商事株式会社

債務者 織田敏夫

主文

本件強制競売の申立を却下する。

申立費用は、債権者の負担とする。

理由

本件の事案は、債権者において、神戸地方法務局所属公証人渡辺{雨鶴}衛作成第五二、七一七号金銭貸借契約証書の正本に執行文の付与を受けた上、別紙(一)記載の債務者に対する債権が右証書表示の請求権に属すると主張し、その支払に充てるため別紙(二)記載にかかる債務者所有不動産の強制競売を申し立てたものであつて、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

民事訴訟法第五五九条第三号には、公証人の作成した証書が強制執行の基本となるのは、「一定ノ金額ノ支払又ハ他ノ代替物若クハ有価証券ノ一定ノ数量ノ給付ヲ以テ目的トスル請求ニ付キ作リタル証書ニシテ直チニ強制執行ヲ受ク可キ旨ヲ記載シタルモノニ限ル」と規定されている。すなわちこの規定によると、金銭債権について作成された公正証書でも、その債権額が証書上明記されているか、又は少くとも証書自体から算出し得るものであり、かつ、債務者が右一定額の債権につき直ちに強制執行を受けても異議がないという意思を表示し、その旨の記載(執行受諾文言)を具えているのでなければ、法律上有効な債務名義とはならないのである。

本件において債権者が強制執行申立の基本として援用している前掲公正証書の記載内容は、別紙(三)記載のとおりであることが記録上明らかであるが、これによると、債務者外三名は連帯して、債権者から昭和三〇年四月一八日借り受けた金六五、〇〇〇円を、同日以降同年八月二五日まで毎日金五〇〇円ずつ一三〇回に分割して弁済せねばならぬことになつており(第一条)、遅延損害金の元本に対する約定率も年四割と定められているし(第二条)、借主等がこの金銭消費貸借契約上の債務を履行しないときは催告を要せず直ちに強制執行を受けること受諾しているのである(第五条)から、一見確かに同証書は、債務名義として必要な金額の一定性の要件と執行受諾文言記載の要件とを兼ね具えているかのようである。しかし、右公正証書の記載内容について注意しなければならないのは、公証人が前記分割弁済の最後の期日をわずか二日先に控えた昭和三〇年八月二三日に嘱託を受け、即日この証書を作成したことになつている点と、債務者等が分割弁済を一〇回以上遅滞すれば、未払額につき期限の利益を失うとされている点(第三条第一項第一号)であつて、このため右公正証書に表示された請求金額が甚だ不明確なものとなつているのである。すなわち、債務者等において同証書作成嘱託の時まで約定の分割弁済を一回も怠つていなかつたと仮定すると、昭和三〇年八月二三日から同月二五日までの三回分の分割弁済金一、五〇〇円だけが未払元本額として残るわけであるが、かような僅少の金額についてわざわざ面倒で費用も掛る公正証書の作成手続がなされたと考えることは、それ自体非常識のそしりを免れないし、またそのように解すると、もはや債権者において絶対に援用する余地のない失権約款が証書上明記されていることになつて、甚だ不合理であるといわなければならない。それ故、やはり債務者等が既に相当回数分の分割弁済を怠つていたということで、未払借受金とこれに対する遅延損害金につき右証書が作成されたと認めるの外はない。しかしながら、本件公正証書作成嘱託の時まで当初の元本金六五、〇〇〇円の全額が未払のままで残つていたのかどうか、一部弁済がなされていたとしても何時いかほどの金額が支払われたのかについては、同証書自体に全く記載を欠いており、結局これを確知するには他の資料にまたなければならないのである。したがつて、本件の公正証書には一応一定の金額が表示されているといつても、ひつきようそれは、債権者、債務者等間に金銭消費貸借契約が締結された昭和三〇年四月一八日現在における請求金額の記載があるというにすぎず、同年八月二三日本件公正証書作成嘱託当時における請求金額は、同証書上明記されていないし、また、その記載自体から算出することもできないのである。

してみると、債務者等において本件公正証書作成嘱託当時の残債務につき執行受諾の意思を表示し、これが右証書に記載されていると解するにおいては、同証書記載の債務者等において執行を受諾した金額は、一定性の要件を欠くものと断ぜざるを得ないのである。

もつとも、本件の公正証書には、債務者等において右金銭消費貸借契約締結の際その借受金全額及びこれに対する遅延損害金について強制執行を受けても異議のないことを債権者に約した事実が記載されていると解し、これにより証書上債務者等において執行受諾の意思を表示した請求金額が一定性の要件を具えているとして、本件公正証書の債務名義性を肯定する立場も考えられる。しかしながら元来民事訴訟法第五五九条第三号により強制執行の基本となる公正証書に記載すべき執行受諾の意思表示は、何等私法上の法律行為を構成するものでなく、もつぱら債務名義の完成を目的に公証人に対してなされる訴訟法上の意思表示と解されている。それ故本件の公正証書に記載された執行受諾文言が、前述のような当事者間の過去における合意の内容を表示したものにすぎないとすれば、それは、もはや前示規定が予想している執行受諾文言には当らないから、本件の証書に債務名義性を付与する何物でもあり得ないのである。

また、本件公正証書に記載された債務者等の執行受諾の意思表示は、やはり同証書作成の嘱託に当り公証人に対してなされたものであると認めながら、その受諾した請求金額は、既に借受金の全部又は一部の弁済がなされたかどうかにかかわらず、当初の元本金六五、〇〇〇円の全額及びこれに対する遅延損害金額であると考える立場も予想されないではない。しかし、およそ意思表示の解釈は、取引の慣行を顧慮し、信義誠実の原則が要求するところにしたがつてこれをしなければならないのであるから、右の見解のように、債務者等が少くとも一旦は過払をして債権者に不当利得を得させることを容認したと考えることには、本件の証書上特にその趣旨が明示されていない限り賛成することができない。

これを要するに本件公正証書は、民事訴訟法第五五九条第三号所定の債務名義としての要件を具備しないものと断ずべきである。よつて、同証書に基く本件強制執行の申立を不適法として却下することとし、なお、申立費用の負担につき同法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 戸根住夫)

別紙(一)

競売の原因たる債権の表示

(1)  金三三、一一五円

ただし、貸付元本残額

(2)  金二一、〇二一円

ただし、右元本金額に対する昭和三〇年七月一日から同三二年二月二八日までの年四割の率による遅延損害金二二、〇七六円からさきに動産執行事件で配当を受けた金一、〇五五円を差し引いた残額

合計金五四、一三六円

別紙(二)

不動産の表示

神戸市葺合区日暮通三丁目三の三

家屋番号 三六番

木造柿板葺平家建店舗兼居宅

九坪三合七勺

別紙(三)

〈収入印紙〉

第五弐七壱七号

金銭貸借契約証書 正本

本職は昭和参拾年八月弐拾参日当役場において末記当事者間の契約につき証書作成の嘱託を受け其の陳述の要旨を左に記載する

第壱条 債権者阪神商事株式会社は昭和参拾年四月拾八日債務者高谷てる子、高谷守典・倉島義孝、織田敏夫に対し左記の通り弁済期利息並利息支払期を定めて左記金額を貸渡し債務者は相連帯して之を借受け金員を受領した

一金 六万五千円也

一弁済方法 無利息日掛弁済とし債務者は昭和参拾年四月拾八日を始めとし爾後同年八月弐拾五日まで壱回金五百円宛百参拾回に支払うこと

一弁済の場所

債権者の営業所

第弐条 債務者は本債務の弁済を遅滞したときは弁済期日の翌日から完済に至るまで遅滞金に対し年四割の損害金を債権者に支払わねばならない

第参条 債務者に於て左記各号の壱に該当する事由があるときは別に催告の手続を要せず当然期限の利益を失い即時未済債務全額を一時に皆済しなければならない

一分割弁済金の支払を拾回以上遅滞したとき

一他の債務の為め強制執行仮差押仮処分を受け又は競売破産の申立を受けたとき

一債権者に無断で住所を変更したり現在の職業を廃めたとき

一其他本契約に違反するか或は本債権の侵害と認められるような行為があつたとき

前項の場合債務者は前記事実のあつた日の翌日から完済に至るまで未済債務全額に対し前条に定める損害金を附加支払うこと

第四条 債務者全員は此の契約に付き相連帯して義務を履行すること

第五条 債務者は本契約上の債務を履行しないときは催告を要せず直に強制執行を受けても異議ないことを認諾する

第六条 当事者は本契約に関し訴訟を提起する場合は債権者の営業所を管轄する裁判所を其の管轄裁判所とすることを合意する

当事者の表示

西宮市六湛寺町拾四番地

債権者 阪神商事株式会社

西宮市前浜町拾八番地

代表取締役 中井重雄

明治参拾五年六月生

大阪市東住吉区大塚町百拾八番地

会社員

右代理人 佐久間孝

大正九年参月生

神戸市葺合区東雲通壱丁目四番地の壱 美容業

連帯債務者 高谷てる子

大正八年参月生

同所四番地の壱 無職

連帯債務者 高谷守典

大正拾四年弐月生

神戸市灘区城ノ内通六丁目拾弐番地の参 パーマ材料商

連帯債務者 倉島義孝

大正参年拾弐月生

同市葺合区日暮通参丁目七番地の六 文具商

連帯債務者 織田敏夫

大正弐年壱月生

神戸市灘区下河原通五丁目壱番地

会社員

右四名代理人 黒田徳蔵

明治弐拾参年拾月生

一佐久間孝、黒田徳蔵は

本職其の氏名を知り且面識がある

一佐久間孝は阪神商事株式会社代表取締役中井重雄の委任状を提出して代理権限を証明した此の委任状は本職役場第五弐五〇四号証書原本附属印鑑証明書により真正な事を認めた

一黒田徳蔵は債務者全員の委任状及び委任者の適法な印鑑証明書を提出して代理権限及び委任状の真正なことを証明した

一佐久間孝は所轄登記官吏の認証した登記簿記載事項証明書を提出し中井重雄の代表資格を証明した

右列席者に読聞せた処一同之を承認し各自左に署名捺印する

佐久間孝

黒田徳蔵

本証書は昭和参拾年八月弐拾参日法定の方式に従ひ作成した依て左に署名捺印する

尼崎市昭和南通四丁目九拾五番地

神戸地方法務局所属

公証人 渡辺{雨鶴}衛〈公証人印〉

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