大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

神戸地方裁判所 昭和36年(ヨ)656号 判決

申請人 岸野正博

被申請人 大窪精機工業株式会社

主文

申請人の本件仮処分命令の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は「被申請人が昭和三六年一二月一一日申請人に対してなした解雇の意思表示は本案判決確定に至るまでその効力を停止する。被申請人は申請人に対し昭和三七年一月一〇日から本案判決確定に至るまで一ケ月金一八、〇八四円をその月の一〇日に支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は主文同旨の裁判を求めた。

第二、申請人の主張

一、被申請人は油圧ポンプの部品の製造加工等を営む株式会社であり、申請人は昭和二九年三月右会社に入社しターレット工として勤務していた工員であつて、昭和三六年一二月一〇日当時、毎月一〇日に被申請人から一ケ月金一八、〇八四円の平均賃金の支払を受けていたところ、被申請人は昭和三六年一二月一一日申請人に対し「種々会社の都合により解雇する」旨の通知書を交付して解雇の意思表示をなした。

二、しかし右解雇は次に述べるような理由で無効である。

(一)  本件解雇事由の不存在

(1) 被申請人主張の本件解雇事由の要旨は「申請人が上司の指導命令に従わず反抗的態度をとり、且つ技術修得の進歩意欲に欠け、仕事上の失敗も多く、職場における協力性に乏しいことならびに昭和三六年一一月頃からの勤務状況が特に悪いから、被申請会社就業規則第五三条第三項及び第七項に該当する」というにあるが、斯る事実は存在しない。因に申請人は被申請会社入社以来一度も懲戒処分を受けたこともなく、また残業も相当やつているのであるから、被申請人主張のような評価は当を得ないものである。

(2) 尤も、被申請人主張のとおり、切換弁の弁棒の製作においてペケ(失敗)を出したことは認めるが、これは七つの段階の工程を経て製作されるものであるから、最終段階に至るまで不良箇所を発見できなかつた監督者にも過失があるし、またこれが再製作を急ぐ事由もなかつたのである。更に申請人が残業を拒否したのは当時健康を害し一一月二八日から一二月五日迄医者に通つていたからであり、昭和三六年一二月一〇日に無届で休んだのは同日が休日であつたからである(同日は日曜日であつたのを一二月二日の運動会の日と振替で出勤日とされたのであるが、振替はその週にすべきであり、また振替については協定書を作成し届出をすべきであるに拘らず、これをなさないのは労働基準法第三五条に違反するから休日と考えるべきである)。

要するに、本件解雇は被申請人の主張する就業規則所定の解雇事由のいずれにも該当しないのになされたものであるから無効である。

(二)  不当労働行為

申請人は、被申請会社には肩書地の本社工場(脇浜工場)のほか灘工場、住吉工場があり、一三〇名余の従業員が就業しているのに、労働組合がなく労働条件が不安定であるのを痛感し、昭和三六年九月中旬頃から有志の者と謀つて組合結成を企図し、先ず同年九月一八日数名の者と共に全国金属労働組合(以下全金という)に個人加入し、次いで同年一〇月五日神戸市灘区公会堂で右三工場から従業員六〇名の参加を得て、全金大窪精機支部(以下単に組合という)の結成大会を開き、右大会で執行委員長森水正克、副執行委員長田明男、同大野好秋、書記長申請人、会計名古一三ほか執行委員六名、会計監査二名を選任すると共に、被申請会社に対し、「組合活動を保障し組合活動による差別待遇を行わないこと、組合事務所及び掲示板を提供すること、今後従業員の労働条件等のとりきめは組合を通じて行うこと」を要求し、次いで同年一〇月一四日「一律基本給の時給六円の賃金を引き上げること」等一三項目に亘る要求をなし、更に同年一一月三日「年末一時金一人当り平均三五、〇〇〇円の支給」を要求した。他方、被申請会社は右組合結成を知るや直ちにこれが破壊工作を始め、組合をして同年一〇月九日には抗議文(甲第七号証)を出さざるを得ない状態ならしめ、しかも組合の右各要求に対しては言を左右にして引きのばしを策して解決せしめず、年末一時金の要求に対しても零回答を出す有様で、これがため組合員も漸次切りくずされて減少し、組合内部にも全金を脱退し企業内組合に改組する意見が起り、同年一月二六日の臨時大会で全金を脱退する旨の決議をなし、同月二八日会社に対し、改めて企業内組合の設立の承認と全金当時の責任を問わないことを要求するに至つた。

しかして本件解雇は組合結成以来組合活動の中心をなしていた申請人に対する被申請人の追い打ち的な懲罰に他ならず、しかも右解雇通告に際しては納得のいく具体的な説明がなされていない。

これは要するに不当労働行為であり解雇権の濫用でもあつて右解雇は無効である。

三、保全の必要

従つて申請人はなお被申請人の従業員たる地位を有し、被申請人に対し賃金請求権を有するものであるから、近く解雇無効確認等の訴を起すべく準備中であるが、申請人には老父母がありその扶養義務があるので本案判決の確定をまつていては回復することのできない損害を蒙るおそれがある。

そこで本件解雇の意思表示の効力を仮に停止し、且つ被申請人に対し昭和三七年一月一〇日以降毎月一〇日に平均賃金額である金一八、〇八四円の割合による賃金の仮の支払を求める。

第三、被申請人の答弁ならびに主張

一、申請人主張の一の事実は認める。

二、本件解雇は次に述べるとおり有効なものである。

(一)  解雇の事由

(1) 申請人は被申請会社入社以来終始職場の上司たる職長、班長等の指導命令に従わず、反抗的態度に出ることが多く、技術修得の意欲に欠け、仕事上の失敗も多く、職場における協力性も乏しかつた。即ち例えば申請人は

(イ) 入社当初脇浜工場に配属されたが、同工場においてミーリング工として作業中にバイス台というミーリングに付いている道具(価格約二〇、〇〇〇円)を壊した。

(ロ) そのため、指導員の要請により入社後四、五ケ月ばかりで旋盤に配置換となり、そこで五三型ギヤポンプのシャフトを削る作業をした際、失敗して製品を無駄にする等のことがあつた。

(ハ) 昭和三四年八月灘工場に配置換になつたが、同年暮頃ターレット旋盤工として作業中、チップブレーカーが故障したので、班長の畠保次郎がグラインダーを使うよう指示したところ、申請人はこれに従わず、作業(残業)を中止して帰宅した。

(ニ) やはりその頃、灘工場において就業時間中ストーブにあたつているので、右畠保次郎が仕事をするよう注意したところ、「おつさんストーブはあたるためにあるんや」と高言をはいて仕事にかからなかつた。

(ホ) 昭和三五年一一月頃、右灘工場のブローチバンのピットを製作した際コンクリートを塗つた箇所に「コンクリート塗りたてにつき外わくを歩け」という注意書がしてあつたのを、申請人は「歩け」という言葉は人を罪人扱いしているものだと公然とどなり、上司から注意を受けた。

(ヘ) その頃、被申請会社社長が兵庫県から産業功労章を授与されたので、従業員一同にお祝いとして紅白の饅頭を分配した時は、申請人は「こんなものでごまかす気か」と右畠保次郎に言つた。

(ト) 昭和三六年二月本社工場ターレット工に復帰したが、依然として勤務態度は悪く、特に就業時間中勝手に持場を離れ雑談をすることが多かつた。

(2) 殊に申請人の昭和三六年一一月以降の勤務状況は不良であつた。即ち

申請人は同年一〇月中、CU切替弁の弁棒の製作にあたつた際、これ迄に作つたことがあるのに不注意により、二四〇本のペケを出し、これがため資材及び労力の消耗、得意先に対する信用失墜等による多大の損害を被申請人に与え、しかもそのやり直しの製作においては、申請人としては自己の失策のため斯る手違いを招いているのであるから一層その製作の進行に努力し、製品の納期の遅延をできるだけ避けるべく努力する責任があるに拘らず、申請人は何等その責任を感ずることなく、被申請人の要求する時間外勤務を極力避けたのである。即ち同年一一月中は出勤日数二四日のうち残業日数六日、時間にして僅かに七時間に過ぎず、その他の日は定時退出しており、一二月になつてからは解雇の日たる一一日迄に出勤日数七日で残業四日、時間にして七時間である。なお申請人は残業拒否の理由を健康を害していたということにしているが、その頃行われた運動会に出場して優秀な成績を収めている事実に徴しても時間外勤務に耐えられないということはない。

申請人の時間外勤務拒否のため、他の作業部門が手持ちのまま無駄になることもあり、作業の進捗は著しく妨げられ、右やり直し製品の製作は予定の半分も進まず焦慮している折に、更に申請人は有給休暇を請求したり、一二月一〇日(同日は日曜日であるが就業規則第二五条に基き、あらかじめ従業員に告知して一二月二日の運動会の日と振替て、出勤日としたものである)には無届欠勤をもなしたのである。

以上のような申請人の勤務態度は被申請人との間の労働契約上の義務に著しく違反したものというべきであるから、被申請人は職場秩序維持と生産の合理的管理の上から、従業員の解雇事由を定めた被申請人会社就業規則(昭和三二年三月一日発効)第五三条第三項(勤務に誠意なく技倆能率不良で配置転換しても見込のない時)及び第七項(その他必要を認めた時)により申請人に対し、本件解雇の通告をしたのである。

(二)  不当労働行為の主張に対して

昭和三六年一〇月五日に申請人主張の組合が結成され、申請人がその書記長となつたこと、右組合が被申請会社に対し申請人主張のような要求をなしたことは認めるが、その余の事実は争う。

被申請会社は右組合が結成されたので、昭和三六年一〇月一一日から同年一一月二五日迄数回に亘り団体交渉の方式及び組合活動の保障に関する交渉を続けていたところ、右組合は突如一一月二六日に至り自発的に全金を脱退し解散するようになつたもので、被申請会社としてはその間組合の内部状況については一切無関係であつて、切り崩し等の挙に出たことはない。また組合解散に当つて全金脱退者の責任を問わないことを求められたが、会社としては斯る要求がなくとも組合員を処分する意思はなく、殊に申請人が組合の中心人物であつたか否かは全く知らなかつたのである。

要するに、申請人に対する解雇は前述のような解雇事由に基くものであつて、申請人が組合活動をしたことを理由とするものではないから不当労働行為の主張は理由がない。

三、申請人主張の保全の必要は争う。

第四、当事者双方の疏明ならびにその認否〈省略〉

理由

第一、被申請人が油圧ポンプの部品の製造加工等を営む株式会社であり、申請人が昭和二九年三月右会社に入社しターレツト工として勤務していたこと、被申請人が昭和三六年一二月一一日申請人に対し、種々会社の都合により解雇する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。

第二、本件解雇の効力についての検討

一、先ず被申請人主張の解雇事由の有無について考える。

(一)  証人渡辺三男、同畠保次郎、同青柳武雄、同片岡軍治の各証言に申請人本人尋問の結果を綜合すると、申請人は入社して本社工場に配属せられミーリング工として勤務し四、五ケ月して旋盤の方へ配置換となり、昭和二九年暮頃ターレット旋盤へ移り、昭和三四年八月ターレット旋盤の移転と共に灘工場に配転となり、一時指導員見習をしていたがこれを解かれ、昭和三六年二月再び本社工場に配置換となり、本件解雇に至る迄ターレット工として勤務していたものであるが、その間の勤務態度は上司に対し従順性に欠け、また反抗的なところもあつてその指導命令には率直に従わなかつたり、また従つたとしても不承不承で応ずるような態度が多かつたので、申請人を直接監督する指導員や班長等はいずれも申請人を「扱いにくい人間」とみていたことが疏明され、更に証人青柳武雄の証言によれば被申請人主張の解雇事由(1)の(イ)及び(ロ)の事実が、証人畠保次郎の証言によれば同じく(ハ)乃至(ヘ)の事実が、証人渡辺三男の証言によれば同じく(ト)の事実がそれぞれ疏明され、右各疏明を覆すに足る証拠はない。

(二)  成立に争のない乙第四号証の二、三、同第一一号証の一、二、証人苗村澄夫の証言によつて成立の認められる乙第一二号証の一、二、同第一三号証、証人渡辺三男、同青柳武雄、同苗村澄夫、同阪本勇次郎(第一回)の各証言に申請人本人尋問の結果を綜合すると、

申請人は昭和三六年九月から一〇月にかけて申請外日本輸送機株式会社より注文のあつたC・U切替弁の弁棒の製作の第一工程にあつたところ、それ以前にも一、二回これをなしたことがあつて、よく知つているにも拘らず、面のとり方を誤つたため、出来上つた製品全部約二四〇本(一本の価格約四〇〇円)にペケを出した。ところで右弁棒を部品とする切替弁を注文者に納品する納期が同年一一月及び一二月になつていたため、右弁棒を急ぎ再製作する必要があり、申請人は被申請人よりこれが再製作を命ぜられると共に、これがため一日約二時間残業することをも求められたが、申請人は残業を毎日することを拒み、定時退出することが多く、一一月及び一二月(一一日迄)中にそれぞれ残業七時間をしたのみで尚且、一一月二五日には同月二八、九両日有給休暇の申請をなし結局一二月八日には有給休暇をとり、同月一〇日には無届欠勤をしたこと。そして結局右切替弁の製作が遅れ、右日本輸送機株式会社への納品が予定数に足らず、(一一月予定数五〇台で納品三一台、一二月予定数四〇台で納品二三台)右会社からの爾後の注文が打切られたことが疏明され、右疏明を覆すに足る資料は存しない。

(三)  ところで被申請会社就業規則(昭和三二年三月一日発効)第五三条第三項、第七項は解雇事由として、「勤務に誠意なく技倆能率不良で配置転換しても見込のない時」「その他必要を認めた時」とそれぞれ規定していることは当事者間に争がない。

しかして右第七項の「必要を認めた時」とは解雇の必要性に関する使用者側のみの事由に限らず、労働者側に存する事由をも含むものであつて、しかもそのような事由が存在することによつて、職場の秩序が乱され、健全な事業の経営に支障をきたす場合に、使用者が職場秩序の確保と健全経営の維持のため、当該労働者を解雇することが社会通念上無理ではないと考えられる場合を指すものと解するのが相当で、右第三項などはその例示的なものと考えられるから、申請人の前記認定にかかる(一)、(二)の各所為が斯る程度の事由に該当するか否かについて検討する。

前記(一)において認定した申請人の各行為は、上司に従順でない(ハ乃至ヘ)という点で非協調性がみられ、器物損壊(イ)、作業の失敗(ロ)、職場離脱(ト)については技倆能率不良の事実が窺へる。

次に、一般に企業においては、企業施設と労働力とが有機的に結合されていて、労働者は企業の効率的運営に寄与すべく労働者において労働力の提供に瑕疵があつて、使用者がその追完を求めたとき、労働者としては、その要求が違法又は社会通念上不当な範囲にわたらぬ限り、何らかの形でこれが追完の義務を負うのは信義則上当然のことといわなければならない。

そうすれば、前記(二)において認定したように、申請人に製品の製作につき過失があつたため、その製品全部が規格に合わなくなつたので(不良箇所を早期発見ができなかつたのは監督者にも過失があるというべきであるがこのことを以て申請人の過失が滅殺されるものではない)、その製品を納期に間に合わすよう作りなおすため、被申請人が申請人に対し毎日二時間程度の時間外勤務を求めたことは、前記認定のような当時の事情からすれば不当ということができないから、申請人としては、これに応じて協力すべきであるのに、時間外勤務の多くを拒否し、無届欠勤をしたことは、右信義則上の義務違反ありとせねばならず、(申請人が昭和三六年一二月八日有給休暇をとつたことについては、成立に争のない乙第四号証の三によれば、申請人の休暇願に対し会社がこれを許可したことが認められるから、この点について申請人に義務違反があつたとすることはできない。)右義務違反の程度は、被申請会社の企業の規模、申請人の失策の程度及びその影響、事後の勤務態度からみて、極めて大きいものというべきである。

尤も、申請人は時間外勤務を拒否したのは当時体の工合が悪かつたからであると主張し、申請人本人尋問の結果により成立の認められる甲第八号証の記載内容もこれに副うものであるが、反面当時申請人は会社に対し医師の診断書等を提出して了解を求めたことはなく単に口頭で述べたに過ぎないことは申請人の認めるところであり、しかも成立に争のない乙第九号証の一乃至五、同第一〇号証の一、二によれば申請人は昭和三六年一二月二日の運動会において長距離レースに出場して一等になつたことが疏明されるから、当時時間外勤務に耐えられない健康状態であつたとは考えられず、右甲第八号証の記載はそのまま信用することができないから右主張は理由がない。

また申請人は無届欠勤をした同年一二月一〇日が同月二日の運動会の日と振替られ出勤日とされたのは労働基準法第三五条に違反していると主張するが、同条は別の週にわたる振替を全く禁止しているものではないから、この主張も理由がない。(同条第二項参照)

以上要するに、前記(一)(二)において認定した事実を綜合して考察すれば、申請人を解雇することは、被申請人の職場秩序の確保と健全強営の維持のため、社会的通念上無理からぬことと考えられるから、右就業規則第五三条第七項にいう「その他必要を認めたとき」に該当するものというべきである。

二、次に本件解雇が不当労働行為になるかについて判断する。

昭和三六年一〇月五日申請人を含む被申請会社の従業員が組合を結成し、申請人がその書記長となつたこと、右組合が被申請会社に対し申請人主張のような要求をなしたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三号証の一、二、同第七号証、乙第七号証の三乃至七、九、一〇、一六乃至一八、二三乃至二五、二七、三六乃至三九、四三乃至五〇、五二乃至五五、五七、申請人本人尋問の結果によつて成立の認められる甲第四号証、証人青柳武雄、同阪本勇次郎(第一、二回)、同森水正克の各証言、申請人本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)に右争のない事実を綜合すると、

申請人は昭和三六年四月頃から被申請会社従業員で構成されている親睦会の運営について、会長である青柳武雄に種々申入をしたり、工員間でグループを作り学習会を開いたりしていたが、やがて有志の者と謀つて労働組合結成を具体的に計画し、先ず同年八月一五日申請人等八名の者が全金に個人加盟をなし同年九月に組合結成準備会を開き、前述のように組合結成の運びに至つたこと。右組合結成直後、被申請会社労務課長阪本勇次郎において組合側の不評を買うような言動があつたので、組合は会社に対し抗議したことがあつたこと(甲第七号証の抗議文の中で組合員使用の社内電話盗聴の事実のあつたことを指摘しているが、右事実を認めるに足る証拠はない。)そして組合は昭和三六年一〇月一三日頃会社に対し、組合側の団体交渉の方式についての案を示して交渉の申入れをなしたが、会社と右案について折合いができなかつたので、改めて右方式についての審議と組合の出した要求事項についての部分的審議とを進めることを申入れ、会社の承諾を得て交渉に入り、交渉は一〇月二三日、二八日、一一月三日と行われたが容易に妥協点を見出すに至らず、一一月三日に会社より組合の出した組合活動の保障についての要求事項(同年一〇月三〇日付のもの)に対する回答を受けたが、組合としては満足のできるものではなく、交渉は更に一一月一〇日、一三日、二〇日、二五日と続けられたが進捗せず、他方組合員の中で組合を脱退するものが続出し、遂に一一月二六日組合は解散決議をなし同月二八日会社に対し、あらためて企業内組合の設立の承認と全金脱退者の責任を問わないことを求めるに至つたこと。その間申請人は組合の書記長として外部団体との折衝等の任に当つていたこと。

以上の事実が疏明されるが、申請人本人尋問の結果中、申請人が組合結成の計画をしたことを以て昭和三六年二月灘工場より本社工場に配転されたとの部分及び組合解散の原因は会社が工場閉鎖を通告したことにあるとの部分はいずれも前記認定事実に徴し措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

してみると申請人が組合結成の準備段階から解散に至る迄幹部として活動し、被申請会社はこれを認識していたこと、また被申請会社としては組合の団体交渉申入れに応じたものの、要求事項には受入れるところが少かつたことが認められるが、被申請会社が組合破壊を画策してこれが解散に導き、更に申請人をその組合活動に対する懲罰の意味で解雇したということについては、これを認めるに足る資料なく、却つて前記一の(二)において認定した本件解雇の事由と証人青柳武雄、同阪本勇次郎(第一、二回)の各証言により疏明される次の事実、即ち右組合解散後、申請人を除く組合幹部で会社より何らかの形でも処分を受けたものはないこと、昭和三二年八月頃申請人の職場に於ける態度に関し班長や上司の苦情に基き、常務取締役大窪譲より解雇の通告を為したが、申請人の中学時代の先生の陳謝により右通告を撤回したこと、又三六年八月頃右常務が欧米出張前申請人に対し特に勤務態度につき注意を与えたこと等を綜合して考えれば、本件解雇は申請人の組合活動に対する懲罰の目的を以てなされたものではなかつたということができるから、不当労働行為の主張は採ることができない。

第三、結論

してみれば、本件解雇は理由があり有効なものというべきであつて、これが無効を前提とする申請人の本件仮処分申請はその余の点について判断するまでもなく、失当として却下すべきものであるから、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田常雄 上田次郎 芥川具正)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com