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福岡地方裁判所小倉支部 昭和29年(ワ)591号 判決

原告 株式会社小倉玉屋

被告 国

訴訟代理人 小林定人 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人の陳述

一、請求の趣旨

被告は原告に対して金九百三十九万三千四百一円及びこれに対する昭和二十九年五月十一日以降右完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との旨の判決を求める。

二、請求の原因

(一)  原告の損害の発生

原告は、別紙物件目録記載の宅地及び同地上にある同記載の建物(以下、本件宅地建物という。)を所有し、これにおいて昭和十三年以来百貨店営業を営んできたが、昭和二十年十月占領軍の進駐に際し、被告は原告から本件宅地建物の使用収益権を得て、爾来被告においてこれを占領軍の使用にゆだね、昭和二十七年三月三十一日に至り被告はこれを原告に返還した。ところで、右占領軍の使用期間中、右建物について諸種の改造改装が行われ、かつ、建物の管理が不充分であつため、右返還に際し右建物には次の如き損傷が加えられていた。

1、地下室に暖房用蒸気汽罐を設置し、その配管を埋めるため、床を四、五寸の深さに掘さくしたため、床のタイル張下の防水モルタルを破壊し、甚しい浸水を生ずるに至つていた。

2、地下室にバンブーハウス(亭)を作る際、電車道路側壁面に直経約二寸、深さ約三、四寸に達する数十個の穴を穿つたため、防水モルタルを損壊し、これらの穴から相当の出水を見るに至つていた。

3、その他地下室及び一階のタイル張床は、無数に破壊され地下室の破損個所からは夥しい浸水が流出していた。

4、浄水装置用下水溝を損傷のまま放置し、毎日三、四十瓲に達する汚水を建物周辺の砂層に流し込んでいたため、地下室の壁面から汚水が浸出するに至つていた。

5、汽罐を地下室に入れるため、一階の床を各約四坪、二個所打抜いていたが、その修理が不完全なため、その部分の床が陥落していたので、これを全部修理しなおさなければならなかつた。

6、荷重の大きい柱及び梁に大きな穴を明け、その中の重要な鉄筋を多数切断してあつた。

7、二階及び三階のウツドブロック(板張床)は暖房のための極度の過熱によつて、損傷し、雨期には所により二尺位も盛り上る状態であつた。

8、その他到る所に破損個所があつた。

返還を受けた原告は、営業再開を急ぐため、開店を同年十月一日と予定し、その旨公表し、これが修理復旧に当ることになつた。もつとも、原告が建物の返還を受けてから、修理そのものに着手するまでには少数の日時が経過したが右は厖大な屋内設置物の除去作業及び調達局が補償決定のための損傷個所調査をなすため要した日数であるから、いずれも結局は復旧のため要した日時ということができる。かくして、原告は、最善の努力を傾注すべく昼夜兼行で工事を促進したが、遂に予定日までに完成せず、その後六日間を経過し、なお所々に未復旧の個所を残したまま、同年十月七日開店を強行し、その後も夜間、休日を利用して残工事を施行した。かかる工事はいずれも修復に必要な限度を越えていないものであつたのみならず、接収当時にはなんら損傷のなかつた本件建物は、右の修復工事によつても漸く外形のみ旧態に復した程度に過ぎず、今日なお地下室の浸水その他完全復旧不能の個所を数多く残している現状である。

以上の如くして、最少限度昭和二十七年四月一日以降同年十月六日まで六ケ月六日間は本件建物の修理復旧に要した日時で、この間全く本件宅地建物を利用することができなかつた。右利用不能による損害額は後述(二)のとおりであり、右は後述(三)の根拠により被告に賠償義務があるものである。

(二)  原告の蒙つた損害額

本件建物修理に要した前記六ケ月六日間は、前記のように原告が最善の努力をなしたに拘らず、要した期間であり、即ち、通常人誰が行つても最少限度右日時を要したと思料される。ところで、本件宅地建物は通常のいわゆる借家として賃貸借契約の目的に供せられるものではなくて、百貨店の店舗であるから、これをその間店舗として利用し得たならば、相当の利益を挙げ得たのであるが、一般に家屋の賃貸借契約においては契約終了後賃借人の家屋の明渡が遅延したときは、賃貸人に賃料相当額の損害ありとせられるのが通例であつて、右宅地建物もまた過去六年有余の間被告との間に賃貸借関係が継続していたのであるから、原告が本件において前記期間本件宅地建物を利用し得なかつたことは、右の賃貸借終了後家屋の明渡が遅延した場合と択ぶところはないので、原告は少くとも当時の賃料相当額の得べかりし利益を喪失したというべきであるところ(前記百貨店営業の店舗として利用し得なかつたことによる利益の喪失は右を超過すること勿論である。)、原被告間の賃貸借契約における最終時の賃料月額は、金百五十一万六千六百四十三円であつたので、これによつて右期間の賃料相当額を計算すれば、金九百三十九万三千四百一円となるが、少くも右金額は原告の喪失した得べかりし利益として通常生ずべき損害であり、仮に、しからずとするも、後記のとおり損害賠償義務を負う被告が当然予見し、または、予見し得べかりし損害である。

(三)  被告の賠償義務の根拠

原告は被告の賠償義務の根拠として左記を順次主張する。

1、債務不履行(その一、原状回復義務の不履行)

(1)  原被告間の賃貸借契約

被告は、本件宅地建物を占領軍の使用にゆだねるに際し、原告との間に昭和二十年十月二十二日大要左の如き賃貸借契約を締結した。

イ、被告は占領軍の使用に供するため、本件宅地建物を賃借する。

ロ、賃料は月額金九万二千八百六十二円二十銭(家具什器の賃料を含む。)とする。

ハ、建物の改造、補修などに関しては占領軍の指令により被告においてこれをなす。

ニ、占領軍の要求によつて建物の改増築をなす場合及び附帯設備に変更を加える場合の工事費及び物品購入費は被告の負担とする。

ホ、建物が占領軍の使用によつて原形を変じ、利用価値を著しく減じていると認められる場合は、接収解除後復旧に要する費用の一部を被告が負担することがある。

ヘ、契約の有効期間は、昭和二十年十月二十二日から将来接収解除するときまでとする。

その後昭和二十四年二月一日右契約は大要左のとおりに改訂せられた。

イ、被告は占領軍の使用に供するため、本件宅地建物を賃借する。

ロ、賃料は月額金十六万八千四百八十二円六十一銭(但し、火災保険料金六万二千八百二十円四十五銭を含む)とする。

ハ、被告は占領軍の要求によつて原告の同意を得ることなく本件建物工作物及びその附帯設備につき増築、改築、改造)補修または改装などをなすことができる。

ニ、右の増築、改築、改造、補修及び改装などに要した経費は国費を以つて支弁するが、本契約終了の際またはその後日本政府の方針に基いて原被告協議の上これが負担区分を定めるものとする。

ホ、被告が右の増築、改築、改造、補修及び改装などをなした場合においては本契約終了の際その現状の侭これが明渡をなすものとする。但し、原形を変じ利用価値著しく減じていると認められる場合は、原状回復に要する経費につき日本政府の方針に基いて原被告協議の上決定する。

へ、本契約は昭和二十三年十月一日より本件賃貸借目的終了までとする。

なお、賃貸料はその後固定資産の評価額を基準として改訂増額された。

(2)  右契約内容によれば、被告は賃借物に変更を加え得るが、変更を加えたことにより原形を変じまたは利用価値を著しく減じているものは、契約終了の際原状回復の義務を負い、原状回復の履行方法として事実上の回復行為は、被告が行わず、賃貸人たる原告がこれを行い、被告はその要する費用を負担することが約されているというべきで、右は契約終了に際し被告に原状回復義務の存することを前提とするものである。而して、被告は本件賃借物に前記のとおり変更ないし損傷を加え、右にいわゆる原形を変じまたは利用価値を著しく減じた場合に該当するものであるから、被告は、賃借物返還時を履行期とする原状回復義務が存じた理であつて、被告が右原状回複を行わずして賃借物を返還したのは債務不履行といわねばならず、被告はこれにより原告の蒙つた損害を賠償する義務がある。

2、債務不履行(その二、善管注意義務違反)

本件建物の毀損の一部は建物の改装に際して生じた損傷であり、一部は管理の失当によつて生じたものであるが、賃借人が賃借物の改造、改装をなす場合も賃借物の構造性状その他用法などを考慮し、これに不要不当の損傷を与えないよう一般に要求せられる常識的な注意をなすことは、善良なる管理者の注意を以つてする賃借物の保管義務の範囲に属するものであるところ、本件における前記の改装などは、建物の性状用途を無視した方法による不要不当のものであり、その他の改装に際して生じた損傷も、その工事自体には不要でありかつ十分避け得らるべき損傷であつたから、改装などによる損傷もまた管理の失当によるものであつて、結局前記損傷はすべて民法第四百条により賃借人が賃借物について義務づけられている善良なる管理者の注意を以つてなすべき保管義務に違背したことにより生じたというべきで、賃借人たる被告は、右損傷の結果本件建物返還後も使用不能であつたことによる損害を賠償する義務がある。

もつとも本件建物を直接使用していたのは占領軍であるが、右は被告が占領軍に対しその必要とする施設を供与する義務を負つていたことから、軍に提供使用させたのであり、従つて、右は国自体がその建物を行政目的遂行の為に使用したに外ならず、この関係は、国その他の公共団体が個人所有の物件を賃借し、これを公物として公共の用に供し、または、庁舎などその行政主体自身の公用に供する関係と同様である。その故、本件建物を占領軍が直接支配または使用していたとしても、占領軍の右使用そのものが、国の行政目的遂行のための国自体の直接使用であり、国が直接の管理責任者として、前記善管注意義務違反の責任を負わねばならないのである。

3、不法行為

原告は本訴において債務不履行による被告の責任を問う

ものであること叙上のとおりであるが、仮に右主張が理由のないときは、不法行為による損害賠償を請求する。蓋し、本件建物の前記毀損は不法行為にも該当し、これが仮に占領軍によつてなされたとしても、占領軍の使用自体が国の責任においてなされたもので、国がその責任を負うべきこと叙上のとおりであるからである。

(四)  よつて、原告は、被告に対して前記損害額金九百三十九万三千四百一円及びこれに対する昭和二十九年五月十一日(原告は本件に関しさきに小倉簡易裁判所に民事調停を申立て不調となつたが、右はその調停申立書送達の翌日である。)以降右完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、被告の抗弁に対する答弁

被告の弁済の事実、原告の請求権放棄の事実はいずれも否認する。

(一)  接収解除に際し被告から支給された金員について

接収解除に際し、被告主張の各金員をその名下に受領したことは認める。但し、被告が損失補償金としているのは、不動産復旧補償費金三千四百五十七万五千九百九十六円、動産復旧補償費金二百九十九万四千八百九十九円の合計であり、これが受領は昭和二十七年十二月三十日、営業見舞金の受領は昭和二十八年五月二十二日、管理費の受領は同月二十一日、復帰移転費の受領は同月二十二日である。

而して、右各金員のうち、営業見舞金、損失補償金復帰移転費はいずれも被告主張の如き費用ないし損失の補償の性質をもつものとして支給されたのであるが、管理費は被告の主張と異り、本件宅地建物及び動産類の接収解除に当り、これが修理復旧に要する期間中における特別調達庁関係に要する調査費並びにこれら不動産及び動産類の保存、維持、管理のために現実に必要とした経費の補償として支給されたものである。そして、右支給額はいずれも原告の現実に支出した費用ないし蒙つた損失には遠く及ばないものであつたし、また、被告の述べるように必ずしも原告の同意を得たものではなく、被告においてその支給額を容易に決定せず、その間折衝数十回を重ねたことから、既にして、復旧工事に着手し、同時に開店準備のため多額の経費を支出して、その支払に迫られていた原告としては、やむをえず、被告主張の各金額の金員を受領するに至つたものである。

(二)  原被告間における調停の成立について

昭和二十八年四月二十一日原告が小倉簡易裁判所に被告を相手方として調停を申立て、原告主張の日時その主張の条項にて調停が成立し、その主張の日時その主張の金員を各受領したことは認めるが、右調停申立は純然たる賃貸料の請求で、営業見舞金及び管理費の増額は一般接収家屋に対するこれらの補償費が一率に借上料を基準にして算定支給されている当然の結果として増額されたに過ぎない。

即ち、元来本件宅地建物の賃貸料は、門司、大阪、東京などにおける同種の接収ビルの賃貸料に比し著しく低廉であつため、昭和二十一年九月一日福岡県知事にこれが増額の申請をなし、翌年特別調達庁発足後も福岡及び東京の同庁に数十回に及ぶ陳情をなし、その結果同庁においても昭和二十五年八月一日以降の賃貸料増額の要望を容れ、その手続をとつたのであるが、同年度もその実現を見ず、昭和二十六年十月に至り漸く同庁においてこれを承認、増額の確約を得ていたところ、突然昭和二十七年三月末日を以つて接収解除となつたもので、原告は当然遡及的に増額支給されるものと信じていたところ、被告は約旨に反しこれを増額しなかつたので、その約束の履行を求めるため、右調停を申立てることとなつたのである。賃貸料のみの増額を求めたものなること右によつても明らかである。

(三)  管理費の性質について

管理費の性質については前述のとおりである。被告の主張する「駐留軍の用に供する土地等の損失補償等の要綱」なるものは全然公表されず、原告も知らず、仮に右要綱が存したとしても、右は平和条約発効後新に契約を締結する場合の被告としての内部的な方針を定めたものに過ぎない。従つて、仮に、右要綱において前記管理費なるものが、被告主張の如き損失補償をいうとされていたとしても、右は被告の内部的な解釈に過ぎない。原告を含む一般被接収者に対しては右解釈はなんら表明されず、却つて、被告が管理費の支払をなすに当つても、通常管理費なる文字が意味するところの維持管理の費用として支払い、原告もその趣旨の費用として受領したものである。

(四)  調停条項中の「本件に関し爾余の請求を一切放棄する」旨の条項について

右条項は、調停申立が専ら賃貸料の増額請求であつて、本訴請求にかかる損害賠償請求権とは全く無関係であつたとの前述の事情からも明らかな如く、右調停において支払われることになつた費目については爾後これ以上に請求しないとの趣旨に過ぎず、被告の主張するように本訴請求にかかる損害賠償請求権まで放棄したものではない。このことは調停成立の席上において、原告を代理する柴田一美が本訴請求にかかる損害賠償請求権については他の被接収者とともに調達庁に対して折衝中であるから、右請求権についてはここに成立する調停とは無関係にその請求権を留保する旨申述べたところ、被告の係官もこれを了承したので、条項中に「本件に関し」なる文言を挿入して、放棄するは賃料増額の件に関してのみなることを明らかにして条項が作成され、調停成立のはこびとなつた事実があることからも裏付けられる。

従つて、右条項と右調停において増額支給されることになつた管理費なるものは、本件建物の維持管理のための費用に過ぎないとの前述の事実とを併せ考えれば、賃貸料、営業見舞金及び管理費なる費目に関してのみ成立した右調停の調停条項において、原告によつて放棄された請求権には、本訴請求にかかる損害賠償請求権は含まれていないことは明瞭である。

第二、被告指定代理人の陳述

一、請求棄却の判決を求める。

二、請求原因に対する答弁

(一)  原告が本件宅地建物を所有し、これにおいて昭和十三年以来百貨店営業を営んできたこと、占領軍が昭和二十年十月以降昭和二十七年三月三十一日まで本件宅地建物を使用していたこと(但し、当初使用したのは本件建物については一階及び地階を除く部分であり、この部分を使用するに至つたのは、昭和二十一年五月十七日以降である。)及び占領軍の使用期間中、本件建物について改造または改装が行われたことは認めるが、管理が不充分であつたとの事実は否認する。

原告の主張する返還時の損傷状況はいずれも認める。但し、4に主張の地下室の壁面から汚水が浸出するに至つた原因は、地下室の防水壁の施行が元来不完全であつたからと思われる。本件建物の修理復旧工事に六ケ月六日間を必要とし、その間本件宅地建物を利用できなかつたとの点は否認する。即ち、原告は本件建物の接収解除に伴い返還を受けた日の翌日から工事完成までの期間が復旧工事に必要であつた期間として主張しているが、原告が復旧工事に現実に着手したのは右返還後相当期間を経てからであり、しかも、その工事は復旧工事の域を越え、あまつさえ、工事計画の不備、作業の進捗方法の拙劣などにより、通常の同種工事に要する工事期間を超える期間を費している。

従つて、その損害額も争う。

(二)  被告に損害賠償義務あることは争う。

1、原状回復義務不履行の主張について

(1)  原被告間の賃貸借契約

原被告間において原告主張の日時その主張の条項の各賃貸借契約がそれぞれ締結され、賃借料が順次改訂増額されて接収解除に至うたことは認める。但し、当初賃借したのは、本件建物については地階及び二階を除いた部分であり、この部分まで賃借するに至つたのは昭和二十一年五月十七日以降である。なお、当初の本件建物賃借料は月額金四万五千四百九十二円十五銭であつた。

(2)  而して、右賃貸借契約によれば、被告が本件建物について、増築、改築、補修及び改装をなした場合は、契約終了の際その現状のまま明渡せば足るとされ、ただ、原状を変じ利用価値が著しく減じていると認められる場合は、原状回復に要する経費について被告の方針に基いて原被告協議の上決定するとされているのであつて、かく約定した趣旨は、接収物件は、その解除とともに速かに所有者に返還することを要し、多種多様また多数にわたる接収物件について被告において直接原状回復工事をほどこすことは事実上不可能であつたので、現状の侭返還し、ただ、現状回復に要する経費を負担することとしたのである。而して、右にいう「原状回復に要する経費」とは直接原状回復工事費を意味し、これには右工事期間の賃料その他の費目が含まれないことは極めて明らかで、従つて、被告としては、接収物件の返還に際しては、原状回復工事費を負担して現状のまま明渡せば、賃貸借上の義務は履行しているのであつて、それ以上に原告の主張するような原状回復義務の存するものではない。

2、善管注意義務違反の主張について

(1)  本件建物の毀損は管理の失当によつて生じたものではない。占領軍は本件建物を米国の生活様式や好尚に適した事務所などに使用するため、改造または改装したが、原告が本件建物に加えられたと主張する損傷は、すべて右改造、改装または接収中に占領軍が施設した物件を接収解除時に取り外したために生じたものであつて、管理自体の失当に基くものではないし、原被告間の賃貸借契約においては改造または改装の合意がなされていたことは前記のとおりである。

(2)  本件建物について被告は管理の権限がなく、従つて、その責任がない。本件建物は、被告が原告から賃借したことになつているが、右はいわゆる接収建物に関する法律関係をととのえるため、単に手続上原告に対する借主となつているにとどまる。即ち、昭和二十年十月二十七日本件建物の二階以上について、占領軍最高司令官から調達要求が発せられ、更に、翌昭和二十一年五月十七日地階及び一階にも調達要求が発せられたのであるが、かかる調達要求が発せられた場合は、日本国政府は、迅速にこの要求に応ずる義務を占領軍に対して負担していたため、日本国政府は所有者などの同意を得てこれが使用権を取得して占領軍に提供するか、これが得られない場合は、行政権に基いて強制力の発動による収用をなすほかなかつたのである。而して、日本政府は、右の強制的収用はつとめてこれを避け、所有権者などとの私法上の契約によつてその使用権などを得て占領軍に提供するのを常としていたのであり、本件においても、原告と被告とは本件宅地建物についてその法律関係をととのえるため、昭和二十年十月原告主張の条項による賃貸借契約を締結し、更に、昭和二十二年十二月特別調達局福岡支局(後の福岡調達局)が発足し、本件宅地建物に関する調達事務も、昭和二十三年五月十日同局に引継がれるに及び、昭和二十四年二月一日付をもつて同支局長と原告との間にあらためて原告主張の条項による賃貸借契約を締結したに過ぎない。従つて、本件建物は直ちに占領軍に引渡され、引渡後は専ら占領軍が建物を占有して管理及び増改築などをなしたのであつて、調達庁職員すら建物内に立入つたり、管理状況を点検したりすることは許されず、増改築、補修などについても直接占領軍が工事請負人を選定し、具体的な工事の施行方法、使用材料など細部に至るまで占領軍の指令によつて行われ、被告としては、占領軍の要求によりその経費の負担をなしたのみで、右工事についてなんら関与する余地がなかつた。

従つて、接収解除時において本件建物が原告主張のような状況にあつたのは、専ら占領軍の管理または増改築などの所為に基くもので、責任ありとせば、占領軍の責任に帰せらるべきものといわねばならず、被告が責任を負うべきいわれはない。

3、不法行為の主張について

原告が本件建物に加えられたと主張する損傷は、すべて改造、改装または接収中に占領軍が施設した物件を接収解除時に取り外したがために生じたものであり、かつ、原被告間の賃貸借契約においては改造または改装の合意がなされていたこと前述のとおりであるので、右毀損は不法行為を構成しないし、仮に、構成するとしても、右改造改装などはすべて占領軍の責任においてなされたこと前述のと君りであり、占領期間中の不法行為について被告が責任を負うべきなんらの法律上の根拠はないから、被告にこれが責を問うことは失当である。

(三)  原告が本件に関し被告を相手方として小倉簡易裁判所に民事調停を申立て、その調停申立書が、昭和二十九年五月十日被告に送達されたことは認める。

三、抗弁

仮に、被告に損害賠償の責任ありとしても、原告の請求する賠償の一部は、被告において支払済であり、爾余の請求はすべて原告においてこれを放棄している。

(一)  接収解除に際し被告の支払つた金員

被告としては接収解除時の現状において本件建物を引渡せば、原告に対する賃貸借契約上の義務不履行はないこと前述のとおりであるが、政府は、昭和二十七年七月四日閣議了解「駐留軍の用に供する土地等の損失補償等の要綱」を定め、行政協定の実施に伴い駐留軍の用に供することにより生ずる賃借料、買収価格及び損失の補償額などの算定基準を定め、平和条約の効力発生後に賃貸借契約を締結したものについては、その旨約定したので、公平の見地から、その旨約定のないところのそれ以前の契約に基くものについても昭和二十六年九月八日以降昭和二十七年四月二十八日までに返還された不動産については同様の補償をなす旨の通達を発し、これに基いて本件宅地建物についても原被告間で協議の上、原告の同意を得て、原告に対して左記の金員を支払つた。

1、営業見舞金名義で、接収中原告の百貨店営業が本件建物でできなかつたことに対する補償として、金三百八十九万四百七十五円、

2、損失補償金名義で、本件接収中の建物及び建物内の動産が、改造、毀損または減失されたため、接収前どおりの百貨店として再開するために必要な復旧費用として、金三千七百五十七万八百九十五円、

3、管理費名義で、接収中に建物を改装したために、修復期間中収益ができなかつたための補償として、金九十二万五千四百九十七円、

4、復帰移転費名義で、原告が接収時に他に移転した建物内の物件を復帰させるための費用として、金四十四万五千百十八円以上合計金四千二百八十三万千九百八十五円である。

(二)  原被告間における調停の成立

しかるところ、原告は本件建物の賃借料が低額に過ぎたことを理由に、昭和二十八年四月、賃借料のほか、前記営業見舞金及び管理費の増額、追加支払、右増額分に対する遅延損害金の支払、並びに右増額交渉のため原告において支出した諸経費の支払を求めて、小倉簡易裁判所に被告を相手方とする調停を申立てたので、被告は、調停委員会の勧告に従い、あらためて本件建物の賃借料を検討した結果、原告の主張の一部を容れ、昭和二十五年八月一日以降接収解除時までの賃借料の坪当り単価を再評価して、これを基礎として右期間の賃借料を算定し、右期間中の増額分として合計金八百四十六万百四十四円を、更に、右賃借料の増額に伴い、賃借料に所定の倍率を乗じて算出して支払うところの営業見舞金及び管理費をそれぞれ増額して、営業見舞金の増額分金二百二十四万五千六百十一円、管理費の増額分金百三十四万九千四百六十七円をそれぞれ支払う用意ある旨を明らかにしたところ、原告もこれに同意し、本件に関しては爾余の請求を一切放棄する旨申し述べたので、同年六月二十五日右条項のもとに調停が成立し、被告は右調停条項に基いて、同年七月二十九日右金員をすべて支払つた。

(三)  本訴請求の損害賠償は、右管理費名下に一部支払済であり、原告は爾余を放棄した。

右の如くして、被告は原告に対して管理費名下に合計金二百二十七万四千九百六十四円を支払つたが、前記「駐留軍の用に供する土地等の損失補償等の要綱」第三十七条及びこれを昭和二十七年四月二十八日以前に遡及して適用する旨の通達によれば、右管理費につき、駐留軍が使用した土地等(建物を含む)の返還に当り、当該土地等の原状回復、または補修をしなければ、所有者等が従前の用途に利用できない場合には、その原状回復及び補修の程度に応じて当該土地等の三ケ月分の五十パーセント以内の賃借料に相当する額を損失補償額とする旨が明らかにされているので、被告が原告に支払つた右管理費は、原告が本訴において訴求しているところの本件建物修復期間中これを使用収益できなかつたための損害を填補するものなること明らかであり、原告もそれなることを知つて、管理費受領の際及び右調停成立の際にそれぞれ管理費名下の支払金額を右金額とすることに同意し、爾余の請求をなさない旨約しているので、原告の本訴請求は失当である。

(四)  原告は本件宅地建物に関する一切の請求権を放棄している。更に、原告が前述調停において前述のように「本件に関し爾余の請求を一切放棄する」旨約した条項の趣旨は、右調停申立は単に賃貸料についてのみなされたのではながつたこと前述のとおりであることからして、右「本件に関し」は本件宅地建物に関する原被告間の権利義務関係一切を含むこと明らかであるので、原告の本訴において訴求する損害賠償請求権も、仮に存したとするならば、右条項により放棄されているものといわねばならず、この点からも原告の本訴請求は失当である。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、本件建物の損傷

原告が別紙物件目録記載の宅地及び同地上にある同記載の建物(以下、本件宅地建物という。)を所有し、これにおいて昭和十三年以来百貨店営業を営んできたこと、昭和二十年十月占領軍の進駐に際し、占領軍が本件宅地建物を使用するに至り(但し、本件建物のうち一階及び地階の使用開始時期を除く。)、昭和二十七年三月三十一日原告はこれが返還を受けたこと、右占領軍の使用期間中右建物について諸種の改造改装が行われ、かつ、前記返還に際し、右建物には次の如き損傷が加えられていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

1、地下室に暖房用蒸気汽罐を設置し、その配管を埋めるため、床を四、五寸の深さに掘鑿したため、床のタイル張下の防水モルタルを破壊し、甚しい浸水を生ずるに至つていた。

2、地下室にバンブーハウス(亭)を作る際、電車道路側壁面に直経約二寸、深さ約三、四寸に達する数十個の穴を穿つたため、防水モルタルを損壊し、これらの穴から相当の出水を見るに至つていた。

3、その他地下室及び一階のタイル張床は、無数に破壊され、地下室の破損個所からは夥しい浸水が流出していた。

4、浄化装置用下水溝を損傷のまま放置し、毎日三、四十瓲に達する汚水を建物周辺の砂層に流し込んでいたため、地下室の壁面から汚水が浸出するに至つていた。

5、汽罐を地下室に入れるため、一階の床を各約四坪、二個所打抜いていたが、その修理が不完全なため、その部分の床が陥落していたので、これを全部修理しなおさなければならなかつた。

6、荷重の大きい柱及び梁に大きな穴を明け、その中の重要な鉄筋を多数切断してあつた。

7、二階及び三階のウツドブロツク(板張床)は暖房のための極度の過熱によつて損傷し、雨期には所により二尺位も盛り上る状態であつた。

8、その他到る所に破損個所があつた。

而して、証人宮部輝の証言によれば、当初占領軍が使用したのは、本件建物については、その一階及び地階を除く部分であり、その後昭和二十一年五月に至り、右一階及び地階も使用するに至つたのであるが(この点は成立に争いのない甲第八号証の一、三、五、乙第十五号証の一、証人柴田一美の証言(第二回)によつて成立の真正が認められる甲第八号証の四によつても窺える)、占領軍の右使用に至る以前にはかかる損傷はなかつたことが認められるので、右各損傷は右使用期間中に生起したものと推認できる。

二、右損傷に関する被告の責任

そこで、原告主張の順序に従つて、被告の責任の有無を検討してみる。

(一)債務不履行(その一、原状回復義務の不履行)

占領軍による前記使用を開始するに当り、昭和二十年十月被告は、原告との間において、本件宅地建物について、被告が占領軍の使用に供することを目的とし、賃貸期間を占領軍において接収を解除するまでとする賃貸借契約を締結し、これが使用権を得て占領軍に提供し、更に昭和二十四年二日一日あらためて右同旨の賃貸借契約を締結したこと(但し、本件建物のうち一階及び地階についての賃貸借開始時期については、当事者間に争いがあるところ、証人宮部輝の証言、成立に争いのない甲第八号証の一、三、五、乙第十五号証の一、証人柴田一美の証言(第二回)によつて成立の真正が認められる甲第八号証の四によれば、当初賃貸借契約を締結したのは、一階及び地階を除く部分であり、この部分は昭和二十一年五月に至り賃貸借することとなつたものであることが窺える。)、及び、右当初の賃貸借契約には、建物の改造、補修などに関しては占領軍の指令により被告においてこれをなし、占領軍の要求によつて建物の改増築をなす場合及び附帯設備に変更を加える場合の工事費及び物品購入費は被告の負担とし、建物が占領軍の使用によつて原形を変じ、利用価値を著しく減じていると認められる場合は、接収解除後復旧に要する費用の一部を被告が負担することがあるとの旨の条項が存し、また、昭和二十四年二月一日付の賃貸借契約にも、被告は占領軍の要求によつて原告の同意を得ることなく本件建物工作物及びその附帯設備につき増築、改築、改造、補修または改装などをなすことができ、これに要した経費は国費を以つて支弁するが、本契約終了の際またはその後日本政府の方針に基いて原被告協議の上これが負担区分を定めるものとする、被告が右の増築、改築、改造、補修及び改装などをなした場合においては本契約終了の際その現状の侭これが明渡をなすものとし、但し、原形を変じ利用価値を著しく減じていると認められる場合は、原状回復に要する経費につき日本政府の方針に基いて原被告協議の上決定するとあることは当事者間に争いがない。

右契約からすれば、賃借人たる被告は、本件建物について増築、改築、改造、補修及び改装などをなすことができる上、かかる変更を加えた場合も、被告には原則的には原状回復義務はなく、現状のまま本件建物を明渡せば足り、ただ、原形を変じまたは利用価値を著しく減じていると認められる場合のみは、本件建物を現状のまま明渡すとともに、その復旧に要する費用の一部を被告において負担することを契約しているに過ぎないこと明らかであつて、右約旨を以つて原告の主張するように賃貸借契約終了の際を履行期とする原状回復義務が存することを前提とするとは到底解し難く、これを前提とする原告の主張は失当である。

(二)  債務不履行(その二、善管注意義務違反)

前記認定の本件建物の各損傷について検討すると、1、及び2、はいずれも人為的工事に基因するものであるが、証人岡四郎吉の証言によれば、地下室の側壁、床を掘つて何らかの設備をなすということは防水モルタルを損壊する危険あるため通常は行わないところであること、3、は証人柴田一美の証言(第一回)によれば重量物の投擲に基因すると推認されること、4、は右証言によれば、浄化装置用のヒユーム管の掃除を怠り、ヒユーム管が不通となつたため、これを破壊して汚水を砂層に流出させたものであること、5、は、右証言及び証人大井守恪の証言によれば、かかる打抜をなし、これ修復する場合は、本来下部に多量の鉄筋を用うべきにかかわらず、これをなさず、従前の鉄筋との継ぎ目はつないでないのみか、充分に重ね合わすこともなさないである状態で、素人工事と変らぬものであつたこと、6、は、証人大井守恪の証言によれば、かかる切断は地震の際など極めて危険であるので、建築の知識の少しでもある者なら絶対になさない工事であること、7、は、右証言並びに証人岡四郎吉及び証人柴田一美(第一回)の各証言によれば、ウッドブロック(板張床)は、本来油拭きをなすべきにかかわらず、水拭きをなしていたがため発生した損傷であることをそれぞれ認めることができ、これを要するに、右各損傷は本件建物の構造性状を無視していちじるしく粗暴な改造改装工事をなし、粗暴な使用をなしたことに基因するといわねばならない。

而して、本件賃貸借契約においては、賃借人たる被告において本件建物に変更を加えることが許容されていたことは前記認定のとおりであるが、右契約条項といえども、本件建物自体を毀損してその効用を減少せしめることまでも許容したものとは認め難いので、本件賃貸借契約においても、通常の賃貸借契約におけると同様に、賃借人たる被告は、賃借物を賃貸人たる原告に引渡すまで善良なる管理者の注意を以つて保管する義務を負い、右義務に違反しない限度内において、本件建物の増築、改築、改造、補修及び改装をなすことが許容されていたに過ぎないというべきところ、右の如く粗暴なる改造改装工事ないし粗暴なる使用によつて本件建物を毀損したことは、正に被告においてその善良なる管理者の注意義務に違背したものと断ぜざるを得ず、被告は原告に対してその責を負わねばならないと解せられる。

もつとも、本件建物はその返還に至るまで、これを使用したのは占領軍であることは当事者間に争いのないこと前記のとおりであるから、右各損傷はいずれも占領軍がその使用中に建物の構造性状を無視してなした過失ある工事ないし使用方法によつて発生したものと推認される一方、原被告間の本件賃貸借契約もその条項において占領軍に本件宅地建物を使用せしめることを目的とする旨約していたことも前記のとおりであるので、かかる場合、果して被告が右義務違背の責を負うべきであるか否かが当然問題となるのであるが、一般に、賃借人が、その賃借物の転貸をなした場合、右転貸について賃貸人の承諾を得てこれをなしたとしても、賃借人が賃貸人に対して負担する善良なる管理者の注意をもつて賃借物を保管する義務は依然存続すべきであり、転借人の過失に基因して、賃借物が毀損した場合でも、履行補助者の過失について本人がその責を負わねばならないのと同様の一法理を以つて、賃貸人に対する関係においては、賃借人は右転借人の過失に基因する毀損について保管義務不履行の責を免れ得ないと解すべきところ、本件においても、被告の主張するように、原被告間の賃貸借契約は単に形式的なものに過ぎず、実体は占領軍と原告との直接の法律関係であると断ずべき根拠は、被告の主張事実自体を以つてしても、これを見出し得ないので、被告が本件建物を占領軍の使用にゆだねたことは正に右転貸借の場合と同様に論ぜらるべきである。蓋し、被告の主張する事実関係からしても原告に対して賃借人としての保管義務を負う被告が、右義務を尽すべく占領軍の使用を監督することは、因難であつたことが窺えるにしても、なお、法律上不可能であつたとはいい得ないからであり、また、もしもこれを不可能ならしめるような方法において占領軍に提供したとするならば、原被告間の賃貸借契約の前記内容からしても、右契約はかかる方法を以つて占領軍に提供することまでも許容しているとは認め難いので、被告は既にこの点において管理義務違反があるといわねばならないのであつて、従つて、いずれにせよ、前記各損傷が本件建物を使用した占領軍構成員の過失に基因すること前記のとおりであるとしても、被告は原告に対してこれが責を負わねばならないのである。

そこで、右各損傷を復旧するについて原告において日時を要し、その間原告において本件宅地建物を使用することができなかつたとするならば、その通常要すべき復旧期間中のこれが使用の対価と認められるべき賃料相当額によつて計算される損害は、前記保管義務不履行に基因して通常生ずべき損害といわねばならないのであるが、右復旧に通常どの程度の日時を要するか、従つて、その損害額は何程になるかの認定は、暫らく措き、ここで被告の抗弁について検討することとする。

三、被告の抗弁に対する判断

被告は、管理費名下に右損害賠償の一部は支払済であり、その余は原告において放棄していると抗弁する。

本件宅地建物の接収が解除せられて原告に返還された際、被告は原告に対して管理費名下に金九十二万五千四百九十七円を支払つたこと、昭和二十八年四月原告は、本件宅地建物の賃借料が低額に過ぎたことを理由に、被告を相手方として小倉簡易裁判所に調停を申立てた結果、同年六月二十五日被告は原告に対し賃貸料の増額分合計金八百四十六万百四十四円、営業見舞金の増額分金二百二十四万五千六百十一円、管理費増額分金百三十四万九千四百六十七円を支払うこと、原告は、本件に関し爾余の請求一切を放棄することとの条項にて調停が成立し、被告は右調停条項に則つて同年七月二十九日原告に対して右金員を支払つたことは当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない乙第十三号証の二によれば、前記管理費金九十二万五千四百九十七円の支払を受けるに際しても、原告は被告に対して、借上料月額六十一万六千九百九十八円に対する管理費としては右金員で異議がない旨の同意書を差入れていることが認められる。

而して、証人角倉博明及び同海磯秋雄の各証言並びに右証人海磯秋雄の証言によつて成立の真正が認められる乙第十六号証の一、二を綜合すれば、被告から原告に対して支払われた前記管理費名下の金員の支払の根拠となつたのは、昭和二十七年七月四日閣議了解「駐留軍の用に供する土地等の損失補償等要綱」第三十七条であるが、これによれば、管理費について、駐留軍が使用した土地等(建物をも含む)返還に当り、当該土地等の原状回復または補修をしなければ、所有者等が従前の用途に利用できない場合に、原状回復及び補修の程度に応じて、当該土地等の賃借料の割合において損失補償するものなる旨の規定があること、右要綱は本来講和条約発効後日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障約条第三条に基く行政協定の実施に伴いアメリカ合衆国軍隊の用に供するため被告が土地等の賃借または買収などをなした場合になすべき損失補償に関して定めた要綱であるが、被告の方針により、それ似前に占領軍の用に供するため賃借し、講和条約発効前に返還された土地等にも準用されることとなつたものであること、及び本件において、被告が支払つた管理費名下の金員は、被告としては、本件建物復旧工事期間中、原告において本件宅地建物を使用できないことに基因する原告の損失を補償する趣旨の金員として支払つたものであることをそれぞれ認めることができるし、一方、証人柴田一美の証言(第一回及び第二回)によれば、原告の従業員にして渉外関係の事務を担当し、前記調停においては原告を代理した柴田一美も、当初は右管理費名下の金員は復旧工事期間中の宿日直など建物管理費用として支払われるものと思料していたが、被告に対する前記調停申立の以前たる昭和二十七年夏ないしその年末頃には、公式に見解の表明を受けたのではないにしても、調達庁事務官から被告が支払う管理費名下の金員は前記の如き損失を補償する趣旨の金員なることを聞知し、これを知了したことが認められるし、更に、証人角倉博明及び同柴田一美(第二回)の各証言によれば、前記調停条項において原告は本件に関し爾余の請求一切を放棄する旨約した趣旨は、右調停において被告が原告に対して追加支払うこととなつた本件宅地建物の賃借料、営業見舞金、管理費に関しては今後一切請求しないとの趣旨に双方了解の上、挿入した条項なることが認定できる。

以上の事実を綜合すると、前記調停に際しては、その当事者たる原被告双方とも、右管理費は前記の如き損失補償の性質を有する金員であることを知了しながら、これが支払について合意し、更に、同様の損失補償については今後これが請求をなさないとの趣旨を約した上、その後これが授受を了したものと解せられるところ、原告が本訴において主張している損害賠償請求権は、まさに右損失補償と同性質のものと解せられるので、原告はこのとき本訴主張の損害について被告から一部賠償を受けることを約した上、爾余の請求権についてはこれを放棄し、後右約定の金員を受領したものといわねばならず、被告の抗弁は理由がある。

もつとも、証人柴田一美の証言(第二回)によれば、右調停当時原告側としては、管理費に関する被告側の右見解によらず、復旧工事期間中の宿日直などいわゆる建物管理費用であるとの立場に立つて話合を進め、本訴請求にかかる損害賠償については原告のほか多数の被接収者とともに別個に被告と折衝し、請求する積りであつたというのであるが、このように、前記調停条項に用いる管理費なる文言を、原被告双方が従来から了解していたところと異つた意味において用いんとするならば、原告においてその際積極的にこれを明らかにしておかねばならず、然らざるかぎり、客観的な意思の合致たる契約としては、前記認定のように復旧工事期間中本件宅地建物使用不能による損害賠償の請求権を放棄した趣旨と解せざるを得ない。而して、前記調停の際被告の代理人たる吉谷川において前記条項にも拘らず、原告が本訴主張の損害賠償請求権を別訴で行使することは妨げない旨了解していたとの証人柴田一美の証言(第二回)は、証人角倉博明の証言に照らし措信し難く、他に前記の点を明らかにしたと認むべき証拠はないので、前記原告側の内心の意思は右認定を左右し得ない。

四、被告の右抗弁が理由あること右の如くである以上、前記認定の善管注意義務不履行を原因とする原告の請求は失当である。

而して、更に原告が予備的に主張する不法行為を原因とする請求について考えてみても、前記認定の本件建物に関する各損傷を生ぜしむるについて具体的な不法行為が何人によつてなされたかについては、これを窺うべき証拠がなく、更にまた、右不法行為者と被告との関係から被告がその責を負うべきであるとなすに足る事実関係については、首肯すべき主張も立証もないから、被告に対して不法行為を原因としてその責を問うことは、失当であるのみならず、仮に、これを問い得るとしても、被告の抗弁に関する前記認定事実からすれば、原告は、本訴主張の損害について、一部はこれが賠償を受け、その余の請求権はこれを放棄しているのであるから、右損害については、不法行為を原因としてもこれを請求し得ない理であつて、この主張も失当である。

五、よつて原告の本訴請求を失当として、棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安東勝 柳川俊一 三好達)

(別紙)物件目録〈省略〉

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