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福岡高等裁判所 昭和28年(う)2605号 判決

控訴人 被告人 鍋田政治

弁護人 鶴和夫

検察官 佐藤麻男

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人鶴和夫が陳述した控訴趣意は、記録に編綴されている同弁護人及び被告人提出の各控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

弁護人の控訴趣意第一点の(一)について

所論松尾武次の司法警察員に対する供述調書の末尾に松尾武次の記名押印があり更にその次に「右の通り録取し読み聞かせた処誤りなき旨申立てたが本人重傷であつたので立会人実父松尾仁三郎が記名し押印した」旨の記載があること、所論のとおりである。従つて右松尾武次の司法警察員に対する供述調書は右武次自ら署名若しくは押印したものでないことが明らかである。ところで刑事訴訟法第三百二十一条第一項には「被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは左の場合に限り、これを証拠とすることができる」旨規定しているので、右のごとく被告人以外の者の供述を録取した書面に当該供述者の署名若しくは押印がない場合該書面が同条第一項第一号乃至第三号所定の条件を具備していても同条項所定の証拠能力がないものであるか否かにつき考察するに、同条第一項が供述者の署名若しくは押印の存することを条件としているのはこれにより該調書の正確性を保障するにあるものと解すべきであるから供述調書に当該供述者において署名若しくは押印(指印を含む)することのできないことにつき正当の事由があるときはたとい該書面に供述者の署名若しくは押印がなくても同条第一項第一号乃至第三号所定の爾余の条件を具備するときは同条項所定の条件を具備するものと同一視し、同条項により証拠能力を有するものと解するのを相当とする。しかして記録及び原裁判所において取り調べた証拠によれば右松尾武次は昭和二十七年五月五日司法警察員より取調を受けた際は瀕死の重傷のため警察員がその供述を録取した後自ら署名若しくは押印することができない為該供述録取の際立会つていたその父松尾仁三郎において代署の上押印したものであること、並びにその後右武次は右の重傷に因り同月八日死亡したこと及び同供述調書中の供述が本件犯罪事実の存否の証明に欠くことができないもので且つ同供述が特に信用すべき情況の下にされたものであることも明らかであるから右供述調書は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号による書面として証拠能力を有するものといわなければならない。のみならず仮りに同書面が右法条所定の条件を具備するものでないとしても原審第二回公判調書によれば被告人側において同書面を証拠とすることに同意しているのであるから同書面は刑事訴訟法第三百二十六条によりこれが作成されたときの情況を考慮し相当と認めるときは同法第三百二十一条の規定にかかわらず証拠とすることができるのであるが、原審において取り調べた証拠に現われた事実によると右書面はこれが作成されたときの情況を考慮するときはまことに相当と認められるので原審が右供述調書につき証拠調をし、且つ原判決がこれを証拠として採用したことにつき何等違法があるものということはできない。

論旨は右書面は元来検察官において刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号による書面として証拠調の請求をしたのであるのに同書面にはその供述者の署名若しくは押印を欠如しているのでこれを被告人側において証拠とすることに同意したとしてもそれは同意と見るべきではなく単に証拠調の請求に対し異議がない旨陳述したものと解すべきであると主張するのであるが、右供述調書が刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号に該当する書面であることは前掲説示のとおりであるのみならず、検察官において同条項該当の書面として証拠調の請求をなした場合被告人側において証拠とすることに同意したときは該書面が同条所定の要件を具備しなくてもその同意の効果に何等の影響をおよぼすものでなく、同書面が作成されたときの情況を考慮し相当と認めるときはこれを証拠とすることのできることは同法第三百二十六条第一項の規定自体に徴し極めて明瞭である。

結局原判決には所論のごとき違法があるものということはできないので論旨は理由がない。

同控訴趣意第一点の(二)について。

原審第五回公判調書によれば検察官は検第四十四号乃至第五十一号(被告人の司法警察員に対する第三回乃至第八回供述調書及び被告人の検察官に対する第一回第二回供述調書)の証拠調の請求をし、被告人側において検第四四号第四五号(被告人の司法警察員に対する第三回、第四回供述調書)を証拠とすることに同意しており、爾余の各供述調書すなわち検第四六号乃至第五一号については任意性がないものとして不同意の意見を述べ原審においてその取調につき決定を留保していることが明らかである。論旨は検第四六号乃至第五一号につき任意性がないものとして証拠調に同意していない以上検第四四号及び同第四五号について同意したとあるのは検察官において同各号の書面は刑事訴訟法第三百二十二条所定の書面として証拠調の請求をしたものと思料するのが相当であるから証拠調の請求に異議がない旨陳述したものと解すべきものである旨主張するが、右検第四四号同第四五号の書面を証拠とすることに同意したことを所論のごとく異議なき旨陳述したものと解すべき何等正当の根拠を発見し得ない。

又原審第十回公判調書によれば検第四六号乃至第五一号につき証拠調をしており又原判決によれば同書面中検第四八号乃至同第五一号を証拠として採用していること並びに記録上原審において検第四六号乃至同第五一号の各供述調書の任意性及び同各調書の末尾の被告人の署名、指印につき調査をしたことの記載の存しないことはいずれも所論のとおりである。しかし被告人が所論のごとく司法警察員の取調に際し暴行を受けた旨陳述したからといい、これのみにより直ちに該陳述を措信すべきものとする謂れがなく、これが真実であるか否かは偏えに事実審裁判所の自由なる判断に委ねられているところであるのみならず、供述調書の任意性の調査は必ずしも常にこれを調書上明らかにするの要がなく、同供述調書又は供述自体、その内容、形式その他諸般の情況によりその任意性を認むべきときはこれを証拠として取り調べ且つこれを罪証に供し得べきことは多言を要しないところであり、かかる措置を目して刑事訴訟法第三百十九条乃至は憲法第三十八条第二項の精神を没却するものとすることは当らない。

記録上被告人が司法警察員より所論のごとき暴行、抑制を受けたことは措信しがたい。被告人の弁解を除いてはこれを認むべき資料は全く存しないし、被告人の司法警察員に対する第三回乃至第八回、同検察官に対する第一回、第二回各供述調書を遂次仔細に検討するとその各署名は被告人の自署であることに一点の疑義を狭む余地なく、又その供述は当初から原判示罪となるべき事実を自白したものでなく或はその一部につき、或は他の一部につき迂余曲節を経て検察官に対する第二回供述調書において原判示第一、第二事実とも稍原判示事実に近似符合する自白をしたものであることが認められるのであつて該取調の経過、供述の態様、内容、該供述調書の形式等に徴すれば前掲各供述調書の供述はいずれも被告人が他よりの圧力によることなく任意になされたものであることを充分に推認し得られる。従つて原審において検第四四号乃至第五一号の各供述調書につき証拠調をなし、且つ原判決がそのうち検第四八号乃至第五一号の各供述調書を証拠として採用したことに何等違法があるものということはできない。その他記録を精査しても原判決には所論のごとき違法は全くないのでこの点の論旨も理由がない。

同控訴趣意第二点の甲について

しかし、原判決の挙示した証拠を検討すると、被告人の司法警察員に対する第七回、第八回各供述調書、被告人の検察官に対する第一回、第二回各供述調書を通じ殺意の点を除き被告人は原判示第一の松尾武次、同第二の松尾二男殺害の各事実を自白しているのであるが、該自白の外、

一、原審受命裁判官の証人堺サヱ子に対する尋問調書中同証人の供述として、しばらくして便所で殴られていた三峰の人が腹をおさえてかがんだ様な恰好で小走りに便所から一間半位のところを場内に来るのを見たがその後から一間位離れて殴つた鍋田が追つかけて来た旨の記載

一、原審受命裁判官の証人松尾峰男に対する尋問調書中同証人の供述として私は劇場内で松尾武次が突かれたことを部落のエイ子から聞き勇、健二、孝、忠年、次男(二男の誤記と認む以下同じ)等と共に医者に連れて行く様になり入口の上り口のところまで武次の横について行つた。そこに三人の青年が居て、行くと同時に武次が殴られたので私は中に逃げ込んだ。殴つた男は宮本一次(一二の誤記と認める)で手で二、三回殴つたと思う、その時鍋田は次男の前におり、次男は上り口の下に居た。武次も中に逃げ込んだがその際二男は上り口の西方の柱の所に道の方を向き鍋田は南向きに向い合い一、二尺離れて立つていた。そして次男のジヤンバーの中に鍋田の手が入りつついている様でジヤンバーの裾(左側裾)がゆれるのが見えた。それから武次は花道を通り前の桝を横切り母の所で倒れたので私も見に行つた。そして次男の所に出て見たら誰か入口のとこで、次男がやられていると申しており、出て見ると次男の弟と逢い、次男にふれて見たら、おかしいので「次男」と呼んで見たが返事がなく死んでいることが判つた。私が次男がおどされているのを見て中に入り、又出て来るまでの時間は武次の所に暫く立つていたのであるが余り長くはなかつた。私は次男は鍋田からやられたと思つた。それはつつく様な恰好をしていたのでその時ではなかつたかと思つた。それから武次はその母の所に倒れたので戸板にのせて出ていつたので私は前を荷い、小田病院に連れて行き次男のところに引返えし同人の姉の嫁入先に知らせに行つたが途中警察から来ているのと逢つた旨の記載

一、原審受命裁判官の証人松尾正二に対する尋問調書中同証人の供述として、武次が当夜刺されたことは樺島栄子から「松尾健二等が武次が刺されたので医者に連れて行かねばならんというて峰雄等も一緒に連れて行つたからあんたも行きなさい」といわれたので知つた。そして私は出入口の札取りの所まで行つた時武次が劇場上り口の中央辺で殴られていた。殴つた者は名は後で知つたが宮本一二ともう一人の者である。それから武次は再び場内に逃げ出し、今度は二男が差向いて何か脅されていた。その場所は入口から既に降りて武次が殴られていた所から一間位離れており、二男が「勘忍してくれ」と謝つているのを聞いた。それは武次が既に逃げ込んだ後である。

二男は相手から掴まれている様であつたが、私の位置からは二人が重なつて見えていたので詳しくは分らなかつた。それから二男はサツト走つて外に逃げたので私は無事に逃げたと思つて場内に武次の様子を見に引返えした。場内では役者が邪魔されたといい舞台から下りて外に出たので私も出たところ、二男が飯食店の前で倒れていたので家に知らせねばと思い中継所に自転車を借りに行つた旨並びに武次が場内に逃込んだ時宮本が追掛けて入り、二男を脅したのは頭髪を五分刈り風にし、セーターを着た背の高い男であつたが、後日写真により鍋田ということを知つた。二男と向合つて脅していた者はその時は後姿だけであつたが武次が逃げた時こちらを振り返えつたので見た。その時何を持つていたか分らぬが鍋田の手が二男を小突く恰好に動いており、武次が既に何者かに刺されており、怖ろしく思つた旨の記載

一、原審受命裁判官の酒井孝に対する尋問調書中、同証人の供述として、私が武次が怪我をしたのを知つたのは中狂言の後頃で私の直ぐ右傍に武次が腹をおさえ真青になつて走り込み倒れた。それで私は「どげんしたか」と尋ねると「突かれた」というので医者に連れて行かねばと二男、健二、私等部落の者皆で入口まで連れて行つた。私は皆に一寸遅れて木戸口に出たら武次が殴られており、二男は鍋田と差向ひで何か因縁をつけられていた。武次を殴つたのは後日写真を見て宮本だと知つた。二男が北東の方を向き鍋田がその直ぐ前に相対していたのを私は札取り場の直ぐ外の所から見ていた。鍋田は小豆色の丸首セーターを着、頭髪を角刈りにしていたが、鍋田ということは後日写真を見て名を知つた。私は二男が掴れて小突かれていたかは分らぬが、怖ろしかつた(私も殴られたりしてはと思つたのです)ので武次が再び場内に逃げ込んだ時私も中に這入つたが場内で武次は舞台の直ぐ前の武次の母の側に行つていたので安心していると健二が来て「前の飲屋で二男が終いよる」というので直ぐ出て見ると表の飲食店の側で二男が倒れており既に冷くなつているので二男の家に知らせる為そこを立ち去つた旨の記載。

一、原審受命裁判官の証人堺重行に対する尋問調書中、同証人の供述として、武次が三峰の青年から連れ出され又逃げ込んで来てから鍋田が木戸から入つて来て私の横に「済みません」と申して坐つたその時鍋田が左の方で匕首をジヤケツでふいているのを見た旨の記載。

一、松尾武次の司法警察員に対する第一回供述調書には同人の供述として、実は本日(昭和二十七年五月五日の意)午後八時頃高田村舞鶴劇場に同部落の松尾峰男、松尾正治の二人と共に芝居を見に行つた。午後十時十分頃入口の右側の便所に小便しに一人で行つた。便所には何処の人か二人居つた。便所を出て四、五歩前にいたところへ戻ろうとして歩いたら何処の者か判らない年令二十七才位の五尺六寸位の大きな男が来て(私の前に)私に「お前は誰か」というので「自分は松尾」というと「松尾ちや何んか」と云うので松尾武次と云うと「松尾とは何んか」といい、その男はズボンのところから右手で匕首の柄迄一尺位あるのを抜いてすぐ私の腹をそれで刺した。刃は五寸位であつた。私は棒で打たれた様な気がしたので逃げ様として中央の方に行こうとしたらその後の方でその男が私の襟を引張つた。それを振離して中の方に人を押し分けて入つたがまた追つて来るので舞台近くの方に逃げた。そこに同部落の松尾次男、松尾健次、酒井孝、椛島勇の四人がいたのでやられたというとそんなら医者に行こうといい一緒に行こうとして劇場の入口の階段の所に来て私が降りようとすると先の男の連れの男が来てお前先つきは逃げたなといい手で私の頭を叩いた。私はそれで何んにも判らなくなつた旨の記載。

一、宮本一二の検察官に対する第一回供述調書謄本中の同人の松尾武次に対し暴行した顛末の供述記載

一、及び右各供述記載を包含する前掲各調書中の各供述記載

一、爾余の原判決挙示の各証拠

を綜合するときは被告人が原判示第一の松尾武次、同第二の松尾二男をそれぞれ殺害したことを認めるに充分であり、これに前掲被告人の各供述調書により認め得べき被告人の自白を綜合すれば、原判示犯行は被告人の所為によるもので被告人以外の者により敢行されたことを疑うべき余地は全く存しない。尤も原審公判調書中の被告人及び証人大津義人の各供述の一部並びに当審受命裁判官の証人大津義人に対する尋問調書中の同証人の供述によれば原判示第二の松尾二男殺害の所為は宮本一二の犯行ではないかを思わしめる節がないではないが、これ等の各供述は前掲原判決の挙示した証拠と対比すればにわかに措信しがたく、その他論旨摘録の各供述乃至はその他の証拠は勿論当審における証拠調の結果によるも前記認定を左右するに由なく、更に論旨採用の大津義人に対する傷害致死被告事件の記録中の第一審判決書謄本に現われた同人の傷害致死事件の手口と本件殺人事件の手口に類似の点が存するの一事により本件殺人被告事件の犯人が被告人にあらずして右大津義人であると断定し得ないのは勿論該事実により本件犯人が被告人でないと疑わしめる心証すら惹起しない。なお記録を精査しても原判決の右事実認定に誤のあることを発見することができない。結局原判決には所論のような違法がないのでこの点の論旨も理由がない。

同控訴趣意第二点の乙について

しかし、原判決の挙示した証拠により認められる本件犯行の態様、経緯、その兇器各被害者の創傷の部位、程度により被告人が殺意を以て原判示各犯行に及んだことを認定するにかたくはない。所論被告人の被害者に対する傷害の部位に対する認識についての所論供述調書中の被告人の供述部分は、原判決の挙示した証拠により認め得られる殺意存在の点に徴するときはにわかに措信しがたく、又原判決の挙示した各関係人の供述調書中本件犯行の経過、態様につき多少矛盾する部分の存することは論旨指摘のとおりであるが、しかしこれを仔細に検討すれば右各供述は全然相互に相容れないものではなく各その原判示に吻合乃至は照応する部分のみを採るにおいては被告人が殺意を以て原判示各犯行に出たものであることを容易に認定することができる。従つて原判示事実の成立を認めこれに各刑法第百九十九条を問擬した原判決は正当であり、原判決には所論のような違法がないのでこの点の論旨も理由がない。

同控訴趣意第二点の丙について

しかし、記録を精査すると、原判示犯行当時被告人が飲酒のため正常健全な精神状態になかつたことはこれを認めることができるが、被告人が該飲酒その他精神障碍のため事物の理非善悪を弁識する能力を欠如し、若しくはその能力著しく低減していたこと、すなわちいわゆる心神喪失又は心神耗弱の状態にあつたことは全くこれを認めることができない。尤も記録によれば被告人は本件犯行につき記憶がない旨供述する部分があるけれども仮りに被告人が本件犯行につき記憶のない部分があつたとしてもこれにより、直ちに被告人が本件犯行当時心神喪失乃至は心神耗弱の状態にあつたものと是認することはできない。けだし殺人行為は至極特殊稀有の場合を除いては全く正常健全な精神状態において敢行し得ない事象であるから特に犯行当時一時的たると、はた持続的たるとを問わず、真に心神喪失乃至は心神耗弱の状態にあつたことの認め得られない限り、犯人が犯行につき記憶しない部分があつたからといい、直ちに犯人を心神喪失乃至は心神耗弱者と断ずることは当を得たものとはいいがたい。

更に被告人が司法警察員乃至は検察官に対し本件犯罪の客観的事実、経過と異る陳述をしている部分の存することも所論のとおりであるが、該供述部分は原判決の挙示した証拠に照らすと或は被告人がことさらに作為して供述したものと認められるのみならず、仮りに然らずとするも右のごとき一事により心神喪失乃至は心神耗弱の状態にあるものと断ずるに由なく、又犯人が右のごとき精神状態にあるか否かを断定するには所論のごとき常に必らずしも専門家の検討を受くべきものとする法上の根拠もない。然らば原判決が原判示事実の成立を認めた上原審弁護人の心神喪失乃至は耗弱の主張を排斥したのは相当であり、原判決には所論のごとき違法がないのでこの点の論旨も理由がない。

被告人の控訴趣意について

被告人の控訴趣意は縷々陳述しているが、これを要約すれば被告人は本件の犯人ではなく、原判示第二の松尾二男殺害の所為は宮本一二の犯行であるかのごとく主張し、又被告人は司法警察員の暴行、脅迫により犯行を自白したものであり、且つ松尾武次は舞鶴劇場便所附近にあつた匕首により殺害されたものであると思料されるので原判決の事実認定には誤があるものであるというに帰するのであるが、原判決の挙示した証拠を綜合すれば原判示第一、第二の松尾武次、松尾二男殺害の犯人が被告人であることを認定するに充分であることは弁護人の論旨に対する前示判断により了解することができるであろう。なお記録を精査しても原判決の事実認定に誤のあることを発見し得ないし、又被告人が司法警察員の暴行、脅迫乃至は強要により原判示犯行を自白したものであることを窺うべき資料は当裁判所の措信しない被告人の弁解を措いては全く存しない。更に所論の舞鶴劇場の便所附近に存した匕首の存在は前掲認定を左右するに足りない。結局原判決には所論のごとき違法がないので論旨は採用することはできない。

弁護人の控訴趣意第三点について。

しかし、記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われた所論その他主観客観諸般の情状に照らすと、原判決が被告人の原判示第一松尾武次殺害の所為につき有期懲役刑を選択し、又同第二の松尾二男殺害の所為につき無期懲役刑を選択し、結局刑法第四十五条前段第四十六条第二項により被告人を無期懲役に処したのは量刑重きに失することなくまことに相当であると思料されるのでこの点の論旨も理由がない。

弁護人の控訴趣意書追加申立書は、所定の控訴趣意書提出期間経過後に提出されたものであるから、同書中の趣意については判断を須いないこととする。

以上の理由により本件控訴は理由がないので刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法第百八十一条第一項本文を適用し被告人に負担させることとし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 谷本寛 判事 藤井亮 判事 吉田信孝)

弁護人の控訴趣意

第一点原審には判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の違背、並にこれによる違法の証拠を綜合判断に供した違法がある。

(一) (1) 原審第二回公判調書の記載によれば、検察官は刑事訴訟法(以下単に法と称する)第三二一条第一項第三号による証拠として、(三二)松尾武次の司法警察員に対する供述調書として証拠書類を提出し、裁判所はこれを証拠として採用して取調をして居る(一三四丁)。該証拠書類は昭和二十七年五月五日付司法警察員前田正利作成松尾武次名義の供述調書(一九三-五丁)と思料する。

(2)  該調書には松尾武次名義の署名捺印はあるが、更に「右の通り読み聞かせた処誤りなき旨申立たが本人重傷であつたので立会人松尾仁三郎が記名し押印した」との記載があつて、該署名捺印は松尾武次本人のものでないことを瞭らかにして居る。松尾仁三郎は武次が署名捺印しなかつたことを証言して居る(二一二丁)。

(3)  法第三二一条の証拠書類は「供述者の署名若しくは押印のあるもの」たることを要し、他の要件を具備しても供述者の署印押印がなければ法第三二一条の書類に該当しないと謂はねばならず、且供述者自身の署名押印でなければならないことはまた瞭らかであると謂はねばならない。従つて右の書面は法第三二一条第一項第三号の書面として証拠調をすることは出来ない書面である。

(4)  尚、公判調書の記載には同意との記載があり宛も弁護人、被告人が該書面の証拠調に「同意」したかの如き観を疑はすけれども「同意」は法第三二六条によつて提出さるる証拠書類に関するものであつて、法第三二一条による書面との記載がある以上は、公判調書に「同意」との記載があつても、これによつて該書面が法第三二六条の書面となると解すべきではなく、この場合「同意」とは証拠調に異議がない旨の陳述があつたものと解すべきことは調書作成の熟練途上にある現在における慣例と解するが相当である。

(5)  然るに原審が漫然これを採つて法第三二一条に該当する書面として証拠調をなし、これを判決に綜合証拠として標目したのは手続に違背があり、不法の証拠を断罪の資に供した違法があると謂はねばならない。

(二) (1) 原審第五回公判調書の記載によれば、検察官は被告人の供述調書八通を証拠として提出し、弁護人等は内二通(四四、四五)については証拠調に異議を陳べた形跡はないが、その司法警察員に対する第五、六、七、八回、検察官に対する第一、二回供述調書についてはその証拠調に異議を述べ、その理由を任意性がない供述調書であるからと主張したことが窺はれる(二六四丁)。

(2)  公判調書の記載に四四、四五、については同意との記載があつて、法第三二六条の書面であるかの如くも窺はれるが、四六-五一の書面については「不同意(任意性なし)」との記載から見れば、(一)に記載したと同旨により四四-五一は何れも検察官は法第三二二条の書面として証拠調を請求したものと思料するが相当であり、従つて四四、四五の書面については被告人等が証拠調に異議がない旨を陳述し四六-五一の書面については「不同意(任意性なし)」との記載に徴し、法第三一九条に準じて証拠として適法なものでないからその証拠調に異議がある旨の陳述をしたものであると解するが相当である。

(3)  更に四六-五一の書面に関する任意性の調査としては、第十回公判調書に被告人の供述として「警察官から殴られたり首を締められたりして強制されたので意にない事を述べたのです」(検察官調書については)「一応弁解しましたが「警察では自白したではないか男らしく認めろ」と云はれ供述しました」「石井警部補が襟首を掴んで首を締めつけ、前田部長が頭を叩きました」との供述記載があつて、その任意性のないことを明瞭にした供述記載があるに過ぎず、その任意性があることを窺はしめる調査の結果の記載がない。

(4)  該調書についてはその署名押印が被告人自身のものであるか、署名押印が被告人の任意によるものであるか否かの調査さへも行はれた事跡がない。

(5)  法第三二五条の調査の方法には制限はないけれども、尠くとも被告人の(2) 記載のような供述がある場合には、その供述の真否を確かむる程度のことはしなければ、調査をしたとは謂ふことは出来ない。単に自由心証に委すべきではないと思ふ。尠くとも法に条文を設けて調査を要件とする以上は、調査したことが窺はれなければ法第三一九条の精神が没却される虞れが甚だしく、憲法第三八条第二項の精神に違反する結果となると謂はねばならない。

(6)  然るに原審は叙上の調査をした形跡を存せず第十回公判に於いてこれを証拠として採用し而もその中四八-五一の証拠を有罪への綜合証拠として標目したことは、違法の証拠を有罪の証拠に供したことに帰着する。

(三) 叙上の理由によつて、原審には判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の違背、違法の証拠をもつて有罪と判断した違法があり、理由不備の判決をしたものであつて、原判決は破棄を免れない。

第二点原判決には事実の誤認があつて破棄さるべきである。

(甲)の一、松尾武次に対する傷害行為の犯人は被告人以外の者である可能性が甚だしく、審理不十分乃至事実誤認であると思料される。

(一) 被告人は武次に対する傷害は第三-五回警察、第一回検察調書、冒頭陳述に否認し、又は記憶しないと主張する。而も爾余の供述調書は総て供述に任意性がないとて争ふところである。

(二) 原判決に標目する証拠を検するに、(1) 被告人の供述としては、「大津と連れ小便をして観覧席の方に来る途中北の便所から通路に出た処で用便して帰る青年と遭つた。この青年と問答一、二言ののち行成り右手で相手の左頬を二、三回殴り青年が観覧席の方に二、三歩逃げたのにあとを追ひ前に廻つて刺し、逃げる青年を追つて行き桝席の最後部あたりで後首襟を掴んで小突いた。そして宮本に引渡した」(三六五-六丁)。「通路から南の中央位の処に小便をし、通路に出る角で青年に遭ひ、一、二問答の上顔を殴り、青年が二、三歩歩いて行つたので通路の相手の東側を一歩位先に行つて西向いて青年に相対し左手でその服を掴んで右手で刺した(三七〇丁)。「平手で一、二顔を叩いて居る中私の気持が昂ぶつて来て最初脅かすつもりのが遂ひ力が入つて刺した」(三七七丁)「…………小便をして踏段を下りた時私より手前で小便をして下りた青年に問答し拳で二、三回殴つたところ、同人は逃げたので後桝の中程で襟首を掴んで小突き宮本に渡した(然し同人を刺したことはどうしても思出せぬ)(三九一-二丁-三九六丁)。「大津と共に小便をした上、入口の処に来た時その傍の小便所から出て来たので問答の上顔を叩き、匕首で刺したら無言の儘出て行きそのあとを追つた」(三九九丁)となつて居る。即ちその供述として「一、二問答の上顔を二、三回叩きその直後に刺した」点が挙げられる。(2) この場合の状況を証明するものとしての証拠を検するに、(イ)武次は刺した男から叩かれたことの記憶を存して居ない(一九四丁)。(ロ)堺サエ子の証言からは、被告人が便所の中で顔を叩いたのは便所の中で見たが怖かつたので輝夫と別れて便所から左後の桝の中程の席に戻り、しばらくして殴られた人が腹をおさえた姿で小走りに便所から一間半の位置を場内に来て居るのを見た。――(同証人の五月十三日付第三回供述調書(未提出)第十二項に「私達が元の席に帰つて来てから五分位も過ぎたと思ふ頃先程便所で殴られていた人が走つた様にして右手を腹に当てて私たちの後ろの方にしやがんでいたらその時先程便所の処で殴つていた人が走つて追つて来られて足でその人の背中をけつて居られました」との供述記載があつて、時間経過を推知さす根拠がある)――即ち同人の証言からは、顔を叩いた後、証人が相当の距離を歩行して、人をわけて自分の席に戻り、暫くした時間がそれ丈の暇が武次が刺されて便所外一間半の処に来るまでの時間があつたことになり、被告人の供述と経過時間が矛盾し、加害者が被告人以外でもあり得ることを暗示する。(ハ)被告人が武次を刺した現場を目撃したとする者は独りも居ない。只被告人は武次を便所の中で殴り、更に暫くして同人を追ひ、座席辺で暴行して居たことの目撃者はある。然し乍ら便所の中では被告人以上の凶暴歴を持つ大津義人が所在して居たことや、左に述ぶる諸点を綜合すれば、武次を刺した者は、上述の点があつたとしても必ずしも被告人が刺したと断定するわけにはいかない。(3) 右目撃者の言ふことを実行した記憶が些かでも存して居ることは、被告人の第一回検事調書の記載に瞭らかである。而も被告人は武次への凶行を記憶しないことを同調書に供述して居る。即ち前後の行動と武次への凶行とは関聯はするだらうけれども、必ずしも同一の行為と断定するわけにはいかない。被告人の武次への凶行供述は司法警察員の暴行脅迫による不実の供述である旨を主張するところである(第一点)が更にこれを裏付するものとしては、武次に凶行した者は二男を刺した者であるとの予断(仁三郎証言)と義人の凶器に最初人血の発見が出来なかつたことから衂れて発見された匕首は被告人所持のもの一本との誤断と被害者はその匕首血と同血液型の二人であることから全く誤つた判断を前提とするに至り、その前提下に被告人に自首を強要したものであることを容易に推測することが出来る。(4)  (イ)大津は当夜の凶行を極力否定するけれども然らばその所持の匕首の人血の由来を知ることを得ない(中村鑑定書)。(為念便所から発見された匕首は被害者の創口から判断してその峰幅が本件に関係なきを説明して居るやうでもある)。(ロ)同人は被告人にその匕首を預けた場所と時刻について種々異なる供述をして居るが、一面それは劇場到着後一時間目から二時間目(即ち八時半頃から九時半頃まで――凶行は十時過)までの間であつたことを示して居り、被告人の供述からは、被告人が飲食店で預り、これを同じ場所で大津に取戻された経過を説明して居る(三五七丁)。即ち武次負傷の時刻には大津はその匕首を所持して居たと考へねばならない。又その旨の同人の供述も存在する(六月十一日付同人供述調書第二項)。而もその匕首は所持の直前に磨いたものである(二六〇丁)。(ハ)大津は武次負傷の直前に便所内に所在した(二五六、二五九、四三五、三六五丁)がその所在中に於ける行動について、その見聞と共に素直に説明するところがない。(ニ)同人の昭和二十七年三月言渡刑は、三池郡高田村に於ける酩酊時の無辜者に対する傷害致死の趣で、手口が本件の場合に甚だしく類似する。而も当時から匕首にメンソレターム等を塗布して所持し、血痕を容易に払拭し得る術を心得て居た由(被告人義兄の弁護人への説明)である。本件の場合磨いて持出した匕首に最初は血痕を発見されず、精密な検査の結果人血を発見され、事実は便所内での行動の説明の瞹味なると共に、何事かを暗示して居ると謂はねばならない――(宮本は被告人義兄に、大津は花道を舞台の方から来て武次を挾む位置になつた由の説明したとのことである)。(5) 大津所持、被告人所持の匕首(三三七、三三九丁)は、共に両被害者の創傷(一五八、一五七、一六三、一六五、一六七丁)を生じ得ると思はれる。即ち武次の創は被告人の匕首でも、大津の匕首でも生じ得る筋合である。鑑定書に記載はないが、創縁が角棟(三四〇丁、鍋田のもの)か峰棟(三三七丁大津所持のもの)の何れに由つて生じたものかについて或は注意深い鑑定人には記憶があるかも判らない。又着衣(現物)から鑑定し得らるるかも判らない。後記の証拠調を御願する所以である。

(三) 叙上の理由により、本件犯人を被告人として断定するには、余りに他にその可能性のある者が居るので、此点を十分に究明しなければ、早々に被告人の行為と断定するわけには行かない。叙上の理由によつても本件は破棄さるべきである。

(甲)の二(二男負傷について)

(一) 被告人が所持して居た匕首にはA型血痕が胎つて居たことは瞭らかであるから被告人はこの場合、二被害者の何れかを刺したことは瞭らかであると謂はねばならない。

(二) 而してこの場合宮本が匕首等を所持、使用しなかつたことが瞭らかになれば、二男に対する犯人は被告人であつたと判断することが妥当であろう。

(三) 然し乍ら、その態様は判示の如きものではなかつたと思料すべき証拠がある。即ち、(1) 被告人の供述としては判示の如く、出会頭に突刺したと思はれる点も存在するけれども、他の証拠特に松尾峰雄証人の供述としては、最初、一、二回を隔てて佇立し(多分次で)二男が手で小突かれて居たとの状況、樺島勇、松尾忠年、松尾正二、酒井孝諸証人の証言によれば、被告人が出会頭に体当りに二男を突刺したのではなく、酩酊し覚醒した被告人が二男に因縁を吹きかけて居て、暫時なりとも二男に対処する余地があり得た(二男を非難するのではなく、被告人の責任の限界を瞭らかならしむる趣旨のみである)ことを推測せしむる経過になつて居る。(2) 原審量刑が寔に重大であるから、特に挙げて、この点も事実誤認と主張せざるを得ない。

(乙)(殺意について) 仮に二男、武次共に被告人が傷害した結果死亡したものであるとしても、原判決が共にこれに殺意を認定したのは、何れも事実の認定を誤り又は証拠に基かずして事実認定したものと謂はねばならない。

(一) (1) 被告人の供述調書の記載によれば、武次を刺したのは「……相手の青年の右横を少し前の方に廻つて私の左手で相手の右方を掴んで右ズボンのポケツトより右手で匕首を取り出して相手の股附近を刺しました(三六六丁)……相手が横着かと思つたので刺しました腹部附近とは思ひませんでしたが手応えはありました。私は青年を刺した後匕首の刃は下向で突いたことを知りましたが刺して死なうとは思つて居りませんでした」(三六七丁)「……私は左手で相手の右方を服の上より掴んで右ズボンのポケツトより匕首を取り出して相手の珍宝の附近か股のつけね附近を……ボスと突きました。相当の手応えがありました。……陰部附近は下腹で腸等があり刺し方が深ければ死ぬこともあると知つて居りました。私は脅す積りで浅く刺す気持で刺しましたが少し刺すはずみに力が入つたものであります」(三七〇-一丁)「……此の便所で刺した男の人に対しては殺して仕舞ふ程の気持はありませんでしたが幾分酒には醉つて居ましたし……私の気持が昂ぶつて来て最初脅す積りのが遂ひ力が入つて刺したのでありますきんたまか或は股の附近の処めがけて突いた気持をして居りますが良くその時の状況を冷静になつた現在考えますとその人の下腹附近を突いた様であります。その様な処をつけば人は死んで仕舞ふかも知れないといふことは常識でわかるのでありますが今申上げて居ますやうに洒の勢をかりて居りますので思ひ切つて突刺したと思ひます……この人を突刺す前か劇場内の長腰掛の処で……一寸脅すつもりで突いて居ります……便所で下腹附近を突刺した青年の時は手応えのあるほど強く突いて居ります」(三七七-九丁)「……右ポケツトに入れて居つた匕首をぬいてボスと同人のモモのつけ根か下腹あたりを一回刺しました」(三九九丁)となつている。(2) 右の供述は、要するに冷静になつて考へる時と異なり、また実際の結果として相当深く刺入されて、生命に危険のある事になつたにも拘らず、犯行当時の認識としては、現実は酒の醉もあつて不測の深手を与ふることになつたが、下腹以外の陰部股附近を目掛けて浅く刺すつもりで刺したものであつたし、被害者が死なうとは全く考へなかつたとのことに帰着する。(3) 被告人の身長と武次の身長とを比較し、犯行時の酩酊と、不確かな目図とが陰部股等を目指したのが、その意図乃至認識に反して下腹部に当り、脅すつもりで浅く刺した心持なのに、酩酊の結果思はず力が入り過ぎて意外の深手を与ふる結果になつたことは容易く首肯出来ることであつて、従つて負傷の部位、程度、結果等からその殺意を認定することは事実の真相を誤り断ずることになり、また供述調書の記載、負傷の部位程度等何れの証拠からも、殺意を未必にても認定し得る点は存在しないと謂はねばならない。

(二) (1) 被告人の二男に対する凶行としての供述は「……右手に持つていた抜身の匕首の刃を上にして腰の附近に持ち相手の陰部の上附近を目差してその儘突さ刺しました、その時は相当の手ごたえがあつた様な気がしました……勿論腹部には大事な内臓器管がありますのでそれを突き刺せば死ぬ事があるといふ事は充分知つていました」(三五三-四丁)「……私の方に来て居りましたので喧嘩すると思つて匕首で何も言はずに刺したものであります」(三七三丁)「……その男が私の前に立つた瞬間私の匕首を抜身で右手に持つてゐましたので「ええやつて仕舞え」と思ひ右手を少し上にあげ体ごと体当りの様にしてその男の人にぶつつかつて行き胸附近を目がけて突き刺しました」(三八三丁)「……上り口から二、三歩外の処で私に復讐に来たと思ひお前やるかと云ひ乍ら右ポケツトの匕首を抜いて体当りに同人の腹を刺しますと少し手応えがあつた……」(三九四丁)「……一人が前庭に出て来たので私はお前もするのかと云ひ乍ら体当りに同人に突当つた際右ポケツトに入れていた匕首を出して相手の腹を刺した処相当の手ゴクエがあつて……」(四〇〇丁)となつて居る。(2) 右の供述が客観的事実の経過としてその供述以外の証拠と吻合するならば、或は殺意を認定し得る根拠たり得るかも知れない。然し乍ら右の供述相互の関係に於いて(1) 言葉をかけた上で刺したか否か、(2) 下腹部以下を目掛けて刺したか、腹を又は胸部を目掛けたか、(3) 匕首を腰に構へたか、右手を少し上に上げて刺したか等の点に矛盾してその何れの供述も俄に信じ難く、これを客観的事実に根拠を求めることになれば「刃を上にして」との供述は屍の傷あと(一六六-七丁)と矛盾する。(3) また言葉をかけたにしろ、かけぬにしろ、出遭がしらに刺したとは松尾峰雄(七七-八丁)、樺島勇(八八丁)、松尾忠年(九六丁)、松尾正二(一〇二、一〇四丁)、酒井孝(一〇八丁)の証言に示さるる鍋田と思はれる男と二男とが相対して佇立し、二男が詫言を云つて居りこれを相手が小突いて居る状況と全く矛盾する。即ち右証言と被告人の供述とは、その経過態様が概ね矛盾する経過を示すのであつてその証言からは直ちに被害の態様を推測することは出来ないと謂はねばならない。(4)  叙上の理由によつて被告人の供述は、何れも客観的事実と目すべき経過と矛盾し、その供述から直ちに真相を把握することは出来ないと謂はねばならず、従つて被告人の犯行であるか否かと共に、直ちに殺意を認定することは出来ないと謂はねばならない。然るに原審がたやすくこれを被告人の犯行とし、その殺意まで認定したことは、事実誤認のあやまりを敢へてしたものと謂はねばならない。

(三) 叙上の理由により被告人に殺意を認め、刑法第一九九条を擬律したのは事実を誤認したものと謂はねばならない。

(丙)(被告人の精神能力の判断について)

(一) 原審は犯行時に於ける等の被告人の精神能力の鑑定申請を却下し、判決に於いて心神喪失又は耗弱の状況にはなかつたと判断して、その理由に、(1) 被告人の追憶の程度、(2) 匕首取扱に関する犯行後の被告人の判断と行為、(3) 被告人の供述調書の記載が詳細であつて、且「略々参考人、証人等のそれと合致しているやうに思われる」ことを以て是非の弁識力の喪失乃至著しい減退はなかつたと判断して居る。

(二) 刑法第三九条の適用が原審に主張されたことは、冒頭陳述、証拠申請、判決書の記載によつて瞭らかである。

(三) (1) 酩酊時に於ける追憶が存することは、病的酩酊等によつて精神分裂症が心神喪失の一態様として存在したことはないとの証明にはなる。然し乍らこれは行為の評価方を喪失又は著減して居ないことの証明にはならない。縷説するまでもなく、経験則上瞭らかである。(2) 「すみません」と挨拶して匕首を拭ひ、又は鞘に収め、これを他に隠すことの有利を判断して行為したことは、或程度の弁識力を示すものと謂ふことは出来るけれども、これは犯行ののちのことに属し、また心神喪失、耗弱中にも些かの判断を示すことは日常の経験に瞭らかなことである。他の事実(後述)と比較し検討し、出来得れば専門的立場からの検討を加へて判断することが必要なことである。即ち要するに原判決に被告人が正常に近い精神能力を有して居た理由として示さるるところは必ずしも肯綮に当るものと謂ふことは出来ない。

(四) (1) 被告人の酒量は普通四合(三八九丁)五合(三七七丁)程度(七合との供述記載もあるが、この程度は精神状態が変ることが瞭らかな量であると被告人の説明である)であるが、かねてその酒量を過せば乱暴になりあやまちを犯すことが甚だしい(三七七丁)。然るに当日は約一升三合を酒、焼酎に混飲して甚だしく酩酊し、最後には嘔吐の上遂に吐血する程度に達し、犯行ののち自失して逮捕されるまで傍眠するに至つて居る(三七八、三七二、三八九、二四九、二五九丁)。即ちその酒量、飲酒量、犯行に関係のない当夜行動の概要は、被告人が甚だしく酩酊して甚だしく常規の行動は全く出来なかつたことを示して居る。(2) 犯行時の行為の記憶が全くないこと(武次の場合-検察官第一回調書)、或は客観的事実の経過と異なること(乙(二)(2) 参照)、知覚異常を来して居たこと(人の顔が判らぬ位目がちらつく-三九二丁)、劇場内での他の行動の記憶が甚だ不確かであることと、その前後の関係の矛盾、犯行後の不躾な寝込方などは、被告人が心神喪失又は甚だしい耗弱の程度に達して居たことを優に示して居る。(3)  特に附言せねばならぬことは、便所内での行動に記憶を残さないほどの酩酊に達し、爾後若干荒々しく且迅速に行為し、その後再び甚だしい酩酊を示して居るのは、飲食店でヒロポン三本を注射したことに原因すると思料され、従つてこの間の覚醒中の行為は、酩酊による意識喪失から薬中毒によつて覚醒させられた異常精神状態であらうと思料される点である。

(五) 叙上の点から判断すれば、被告人の精神状態は喪失又は甚だしい耗弱の程度に達して居たと思料されるのであつて、これを否定するには特に専門的検討の結論を須たねばならないと謂はねばならない。然るに原審が全般的状況に眼を覆ふて片々の事実の意義をのみ強調して正常精神状態と判断したのは、事実誤認乃至審理不尽と謂はねばならない。

第三点原判決は量刑不当に重く破毀されねばならない。

(一) 原判決は被告人に二個の殺人罪を認定し、正常なる精神状態であつたと判断して無期懲役に処したけれども、左の点を併せ考ふる時は懲役六-八年程度が至当であると思料する。

(二) 被告人は中等専門教育を受け、爾来父の土木請負業を助けて来た者であり、幼時母を失ひ乍ら父兄、姉の扶育を楽しんで成長した者である。然るに酒を嗜み乍ら酒に弱く、四、五合程度で既に気分が昂ぶり暴行する癖を有し、その為に他人に傷害を加へ、その為に罰金、懲役各一回に処せられる前科を累ねるに至つた様子である(三八八、三七七丁)。被告人は本件に至るまでに血気未だ定まらず、交友必ずしも良好と目すべきではなく、一日も早く改悛して責任ある社会生活を営むべきであつたことは相違ないけれども、その同輩の甚だしい凶暴の傾向を示して居たのに比すれば、その程度は寧ろ軽かつたと目すべき点が存在する。その家庭は土木請負業、農業として割合に多くの人を使役する立場であつたけれども、温良篤実な肉親に囲繞されて、その改悛をまつて更生の生活を営むに些かの障碍もない家庭環境であり、父兄またいまだ被告人に絶望して居ない。

(三) 被告人は五月五日に最初から七人の組を作つて動作したものではない。最初は大津等と水天宮祭礼に参詣したのであるが、その間に知人の歓待に会つて不測の間に酒量を超え、黒田飲食店に到着する頃は一升を超ゆる酒を飲み甚だしく酩酊して居たのである。好ましいことではないが、新しく友人も獲て酩酊の上に気分高揚し、血気の赴く儘に偶々所持した匕首や、友人等との徒党的行動によつて徒らな勢威を誇らうとしたのである。一面から考ふれば何の理由もない徒らな不良少年的行動であつて、一日も早く悔悟改過すべき行動ではあるが、他面血気の赴くに任せた放縦な暴力行為的行動であつて、且その程度のものであつた。これによつて他人を脅迫して金品を得ようと考へたり、善良な青年を徒輩に入るるやうに強制しようとしたりなどの巧利打算の考は全くなく、言ひ得べくんば単純な子供らしい威張りかたに過ぎなかつた。即ち行為自体が何れはその血気が定まり社会と家庭に対する責任の自覚に自覚むると共に雲消霧散する底の悪性の表現であつたのである。

善良な社会生活を営み、民主的自覚を本筋とする立場から考ふれば甚だ嫌悪すべきものであるには相違ないが、その嫌悪の情に支配されて、その一般的傾向に見込を捨つべきではなく、やがての正常復帰への導誘に思を致し、その品性と性格と傾向の反社会性の深浅、堅脆、改非の見込について冷静な判断をもつて臨まねばならないと思料する。原審量刑がこの点について嫌悪の情感に些か支配された点があるのではあるまいかと思料する。

(四) (両凶行が被告人の行為であると仮定すれば)右のやうな気分の放肆にあつた被告人は、同輩の暴力的傾向に助長されて劇場内に入つて、隣席の海治、寛治等に匕首を示したりして嫌悪され、寛治の逃げるを追ふて便所内に入つた。

この間の行動は酩酊して判断力も著しく減退して居たので、或は記憶が大部分失はれ、その言動も前後に一貫するところが殆んどない。即ち或は大津に暴力を振ふことなきやう訓戒するかと思へば、又直ちに武次に暴行しその殴打に対する記憶も刺傷への記憶も喪失して居る程の酩酊下に、何のいはれもなく只無意味に刺したのであるが、如斯酩酊下であつたので手許が狂つて意外の創傷を蒙らしめ、而もその直後これを忘却したが更に同人を追及して、宛かも武次に暴行せねばならない理由でもあるかの如く振舞つたのである。全く狂ひ水たる酒に支配され、性格上酒乱に及ぶことの結果であつて、これを正気に於いて判断すれば一言の弁解も出来ない行為である。而もその直後以後、武次に刺傷を与へたことを全く忘却して行動して居る。酩酊による心神喪失でなければ狂気である。二男の場合も殆んど同様であるが、武次の場合と異なるのは、酩酊の上に更にヒロポン三本を注射して(三七三丁)薬物による無理な覚醒興奮を惹起して居たので、些か記憶を存して居る。即ち二男が独り逃げないで居たのに同人に対する脅迫等の言動の記憶はないが、自己に攻撃を加ふるものと徒らに思考してこれを刺傷し、而もその直後これを忘却して、或は役者を制止などし、或は宮本が傷害を与へたのであらうと思考し、或は他に傷害事件が発生したと思ひ込んで巻添へを怖れて所持の匕首を隠したり等して居り、ヒロポンによる一時的昂奮の減退と泥醉の自然的経過を辿つて吐血までした上熱睡に陥つて居る。

(五) 被告人の資性と右の態様、酩酊の状況から観察すれば、被告人は反省し矯正しなければならない多くの点を有し、その為には結果の重大であつたことと相俟つて相当長期に渉つて強制修養しなければならないことは瞭らかではあるけれども、被告人の資性と行為の社会的影響とはその生存を社会から永久に隔てなければならないほどであるとはどうしても首肯しかねる。司法資料(昭和二十六年一月第五六号下)によつて裁判例を見るも、無期刑を以て臨まねばならない殺人は、犯人としては冷静に且社会的に認容し難い深い決意の下に謀殺的行為に出たものであつて、その性格、傾向、経歴に於いて殆んど反省改悛を期待し難い場合に限るやうであつて、本件の如く殺意に於いても必ずしも明確ではなく、精神状態に於いても、青年客気に馳られた酩酊、中毒等によつて一時的にもせよ心神の正鵠を失ひ、その判断力がその者の本来のそれとは異なる状況に陥つて、而も行為の認識と結果とが必ずしも吻合せず、結果の重大は寧ろ手許が狂つた為に生じたやうな場合には適用された例を見ず、而もその動機に何等の不法利得の意企がなく、その方法に於て必ずしも惨虐とは謂ひ難い本件の場合に、これを無期懲役刑を以て量刑することは量刑に関する経験則に違反して居るとも謂ひ得るものと思料する。

(六) 被告人が相当期間刑務所内で修養し、三十才を超えて相当の分別を持つて帰宅するに於いてはその更生と責任ある社会生活を営ましむるに準備ある家庭に一層更生の誓を堅からしめて、兎に角社会生活を営み得る期待を持たせることは殆んど永久に社会生活への期待なき強制修養の期間を過させるよりも、その改過遷善の上に適切であると謂はねばならない。諸般の事情と各被害者に対する行為と犯意、犯行時の精神状態、家庭、社会への影響を考案すれば、弁護人としては六年乃至八年の範囲にその刑期を定むるが最も適切であると思料する。

(七) 第二点に記載した諸点についての御検討の結果は別として、その量刑のみの点から見ても、叙上の理由によつて量刑不当に重いと謂はねばならず、此の点に於いても破毀を免れないと確信する。

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