大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

福島地方裁判所 昭和27年(ワ)163号 判決

原告 武田正雄

被告 国

訴訟代理人 堀内恒雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は、原告に対し金五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和二七年九月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

昭和二六年一二月一三日夜、原告の肩書住所地に隣接する本多義春かたにおいて同人が同村内の武藤浦枝から借り受けて飼育していた武藤所有のめん羊の毛が何者かにより刈り取られ、同所を管轄する国家地方警察福島県本宮地区署和木沢村糠沢駐在所勤務の司法巡査高橋伝十、同本宮地区警察署勤務の巡査部長紺野和美等において捜査が進められたが、右高橋巡査、紺野巡査部長等は当初から原告に右窃盗犯人の疑いをかけ、呼出、取調を行い、ついで二本松区検察庁に原告に対する窃盗被疑事件を送致した。ところで、原告は、同区検察庁においてその申し開きが認められて、昭和二七年五月三〇日附で犯罪のけん疑がないとの理由により不起訴処分の裁定を受けたのであるが、これによつても明らかなように、高橋巡査、紺野巡査部長等が原告に右窃盗犯人の疑いをかけて呼出、取調を行つたこと自体不法であり、また、同人等は原告に対する取調を進めるにあたつて違法な行為をあえてしたのであり、更にまた、原告に対する被疑事件を二本松区検察庁に送致した措置も違法である。以下に、これを詳述する。

(一)  右窃盗事件の被害者である武藤浦枝若しくは本多義春は原告が犯人である旨を高橋巡査に申告したのであつたが、同巡査はこの申告と、当時、原告の居住部落内に行われていた、右窃盗事件と別個の木材窃盗事件の犯人は原告であるとする風聞を採つて原告に犯罪のけん疑をかけたのである。他方、同巡査は昭和二七年二月七日ころ原告かたに来て、原告が所持し、使用していた羊毛の刈取に用いるはさみ一ちようの提出を求め、それを借り受けた後、はさみに油が附着しているかどうかの鑑定を国家地方警察福島県本部に依頼したのであるが、その鑑定の結果は「判定しがたい。」とするのであつて、右のはさみの存在は勿論、その鑑定の結果は、原告は犯人でないと認定すべき資料にはなつても、原告が犯罪を行つたものと推測せしめるに足りる証拠としての価値はないから、かような事情のもとでは、原告に犯罪のけん疑をかける理由はないわけである。およそ、司法警察職員は或る者に犯罪のけん疑があるかどうかを認定するにあたり、その集めた資料を顧慮し、検討を加え、事実の誤認を避けるべき義務があるのであるから、高橋巡査は右鑑定の結果を参照し、前述の被害者の申告、部落内の風聞に検討を加えて原告にけん疑があるかどうかを判定しなければならないところであり、かような検討を経れば、原告にけん疑をかけるべきものでないことが認識できたはずであるのに、同巡査はこの注意を払わず、被害者の一片の申告を採用して、それに心証の基礎を置いた。右窃盗事件のような場合においては、まず、その被害者の家庭内部の事情を捜査すべきが当然であるが同巡査はこの面の捜査を全然していないのであつて、このことは、同巡査がいかに被害者の申告を信用したかの事情を物語つている。紺野巡査部長も、高橋巡査の報告を受けて右の資料に基き同巡査と同様の心証を形成し、原告に犯罪のけん疑があるものと認めた。かようなわけであるから、高橋巡査、紺野巡査部長等の原告に対する呼出、取調は違法のもので、その呼出、取調は同人等の心証形成上の過失によるものであり、これにより原告は少なからず精神上の苦痛を被つた。

(二)  高橋巡査、紺野巡査部長の取調は次のようなものである。原告は、昭和二七年四月一七日高橋巡査に呼び出されて糠沢駐在所に出頭したのであつたが、その際、同巡査は、「原告かたから提出を受けたはさみを、仙台の国警本部の鑑識課の検査官が鑑定したところ羊毛窃盗事件の証拠であることが明白になつたから被疑者として取り調べるが、何か心当りはないか。」と質問したので原告は事件に関係がない旨を申し述べたところ同巡査は原告にその旨を記載した書面を作成することを求め、原告に指示して、「お尋ね書。」と題せしめ、右の趣旨を記載せしめ、末尾に署名、押印せしめたうえ、翌一八日再度駐在所に出頭すべき旨を命じた。同月一八日原告が駐在所に出頭したところ、同巡査は、「はさみは仙台の検査官が調べたもので、これを認めないと金もかゝるし、法律と戦つてもかなわない。事件も大したことがないのだし、内密にしてやる。」と述べて、原告に右窃盗犯人である旨を認めることを求め、原告が否認すれば、更に同様の言葉をくり返すのであつて、この問答が長時間にわたつて続けられたので、原告は、とうてい真実は認められないのであるから致しかたがないとあきらめて、同巡査に「自分が盗んだことにしよう。」と答えたのであつた。ついで、同巡査は翌日も出頭するようにと命じたので、原告は翌一九日三たび駐在所に赴いたところ同巡査から同月二二日午前九時本宮地区警察署に出頭すべき旨を命ぜられた。

そこで、原告は、四月二二日指定時刻に本宮地区警察署に出頭したのであつたが、紺野巡査部長が同署刑事室に原告を導き入れ、同室でただちに取調にかかり、原告に向かつて大声を発して「これ位のものは駐在所で解決できると思つていたが、おまえがなんだ、かんだ、と言うものだから署まで呼んだのだ。きようは、よけいなことは言わないで、はつきりしろよ。」と申し渡し、語を継いで、「はさみがま違いないのだし、世けんのうわさもだいぶん入つているから、おまえがこれを争えば金もかゝる。認めないのなら一〇日も留めて置いてやる。そのあとは、刑務所勤めをしろ。」と大声で述べ立て、その後の取調はかような暴言の連続で、長時間原告に帰宅を許さなかつた。紺野巡査部長の言うように留置されることは起りうることであつて、若しかような事態になれば、時たまたま稲苗の植付けの時期にあたつており、かつ、原告の父は既に老令の身であるので、老父に心労を煩わすのみでなく、原告の一家全部が悲惨な境遇に追いやられることは明らかで、原告は苦慮したすえ、やむをえず、窃取した旨を述べて自認したのであつた。

およそ、司法警察職員が刑事々件の被疑者を取り調べるにあたり、拷問、すなわち、肉体に対して有形、無形の暴力を用い、若しくは、精神に圧迫を加える等の方法により被疑者の供述を求めることは、自白の強要であつて、あえて、憲法、刑事訴訟法上の基本的人権の保障に関する諸規定を援用するまでもなく、違法なことは明白なことがらであり、虚構の事実を告知して被疑者を錯誤に陥し入れ、その他被疑者の心理を動揺せしめて自白を求めることもまた法の禁止するところであると信ずる。従つて、被疑者の取調の衝に当る者はその言動を慎み、いやしくもその取調が右のような方法にわたることのないよう細心の注意を払うべき義務があるわけである。ところで、高橋巡査の、四月一七日、一八日両日にわたる連続的、かつ、長時間の取調はあまりにも執ようで、原告をして遂にその主張を曲げることを余儀なくせしめたものであり、紺野巡査部長の取調も、この点で同様の汚点があるものであるが、ことに、同巡査部長の四月二二日における取調冒頭の言葉、留置うんぬん、刑務所勤めうんぬんの言葉は、原告をして恐怖せしめるにまつたく十分であつたのであり、いずれも自白強要の禁止を破つたもので、また、はさみとその鑑定について、高橋巡査が述べた、「はさみは仙台の国警本部の鑑識課の検査官が鑑定したところ羊毛窃盗事件の証拠であることが明白になつた。」旨、「はさみは仙台の検査官が調べたものである。」旨の言葉、紺野巡査部長の述べた、「はさみがま違のない証拠である。」旨の言葉は、その真実は、国家地方警察福島県本部において鑑定が行われたのであり、その鑑定の結果は、「判定しがたい。」旨を結論するものであるので、前段で述べたように、はさみの存在は勿論、その鑑定の結果も、原告が犯罪を行つたものと推測せしめるに価する証拠としての価値を持たないものであるから、第一には、鑑定の場所に関し、第二には、はさみの証拠資料としての価値に関し、虚構の事実を原告に告知したものであり、右両名の、その余の、原告を疑うに十分な証拠を取得したが、「何か心当りはないか。」「認めないと金もかゝる。」「法律と戦つてもかなわない。」とか、「事件も大したことがないし、内密にしてやる。」などの発言、原告に、お尋ね書と題して、否認の弁解を記載させ、書面を作成せしめたことは被疑者であつた原告に心理的動揺を与える効果があるもので、そのことごとくが違法のものである。そうして、以上の種々の手段により、原告は窃盗の事実を認めさせられたのであつたが、高橋巡査、紺野巡査部長らの取調行為は同人らの故意によるものであるか、若しくは少くとも、同人らが前述した注意を払わず、司法警察職員として当然順守すべき職務上の義務に背反したことによるものであつて、すなわち、同人らの過失によるものである。

(三)  被疑者を取り調べ、捜査を進めたうえは、終始、集めた資料を検討し、けん疑が解消されるべきものであれば、これを早期に解消して被疑者としての処遇を中絶すべき義務がある。原告は前述のように紺野巡査部長らの圧迫に抗しえず自白せしめられた関係上、犯行は武藤浦枝かたで行つた旨を述べて、事実に反した内容の供述をしたのであつたし、窃取した羊毛の提出を同巡査部長から求められた際辻つまを合わすため、前述の事件発生をさかのぼる数年前に原告かたで採取して供出し、当時一般に行われていた供出者還元の配給を受けて、保存していた羊毛を右事件の賍物であるとして同巡査部長に提出したのであつたが、かような供述や羊毛は、同巡査部長において少しく注意を用いて検討すれば矛盾を含み、事実に反するものであることに気付くことができるもので、従つて、原告に対するけん疑は解消せしめるべきものであることを容易に認識しえたはずであるのに、同巡査部長は右の注意義務に違反して資料の検討をせず、若しくは、そもそも自己の行為が義務違反のものであることを知悉しながら、あえて、原告の自白を採用し、原告の提出した古羊毛を任意領置して、これらを原告に対する犯罪のけん疑十分な理由に数え、原告に対する被疑事件を二本松区検察庁に送致した。かように、紺野巡査部長の違法な事件送致は、同人の故意または過失により生じたものである。

(四)  昭和二七年二月二七日附、新聞、「福島民報。」紙上に、原告に対する右窃盗被疑事件に関連して、「めん羊の毛盗み刈り。」という見だしで、「昨年一二月一四日夜武田正雄は安達郡和木沢村字原電気工事請負業武藤浦枝かたのめん羊小屋に忍び込みめん羊の毛一貫目一、八〇〇円相当のものを盗み刈りして売却したことが判明し、同月二四日本宮地区署から送検された。」旨、同日附、新聞、「福島中央新報。」紙上に、「めん羊の敵送検。」という見だしで、「既報、武田正雄は羊毛窃取容疑で本宮地区署の取調を受けていたが、二六日犯行を自供した。同人は、二六年一二月中旬和木沢村糠沢字原二二六電気工事請負業武藤浦枝氏の牡めん羊の毛約一貰目(当時四、〇〇〇円相当)をめん羊毛刈りはさみで刈り落して窃取したもの。」という新聞記事が掲載され、世上に報道されたので、原告はその名誉をいたく傷つけられた。この種の記事は犯罪捜査官が記事の素材を提供するか、素材の取得の機会を与えるのでなければ、入手し、掲載しえない類のものである。紺野巡査部長、または、本宮地区警察署次席、または、同署捜査主任のうち、なにびとかが原告の名誉を傷つけることのあるべきことを認識しながら取材に赴いた右各新聞の記者に記事の素材を提供したから右記事の掲載に至つたのであり、これによる原告の名誉に対する侵害は右の者の故意によるものである。仮に、同人に故意がなかつたものとしても、同人において不用意に捜査の結果を洩らしたものであるか、若しくは、原告に対する被疑事件記録の保管を怠つたことに原因したものであつて、犯罪捜査官は捜査上知得した知識、経験、その集めた資料を外部から秘匿して、能う限り被疑者の名誉を保護すべき義務をおうものであるから右三名の者のうちのなびとかの過失によるものである。

原告は、武田雅治(当時六三才)の長男で、原告かたには、以上の者のほか継母コウ、妻イト、長男正信の家族がおり、田畑合計二町一反歩の農業並びに養蚕業を営む、居村中位の農家であるが、高橋巡査、紺野巡査部長及びその余の者((四)において述べた。)の、(一)ないし(四)の各不法行為により、原告は、直接、間接に精神上の苦痛を被つたのであり、この苦痛を慰藉するためには、金五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。そうして、以上の不法行為は、高橋巡査ら、各関係部分において述べた者が国家地方警察の公権力を行使するにあたり原告に加えたものであるから、被告は原告の被つた右損害を賠償すべき義務があるわけで、被告に対して、金五〇、〇〇〇円及び本件訴状送達の日の翌日である、昭和二七年九月五日から完済まで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。以上のように述べた。〈立証省略〉

被告は、主文同旨の判決を求め、原告の主張事実に対し、

冒頭の事実のうち、昭和二六年一二月一三日夜、原告主張の場所で、その主張のような被害が発生したこと、同所を管轄する国家地方警察本宮地区警察署和木沢村糠沢駐在所勤務司法巡査高橋伝十、同署勤務司法巡査紺野和美等が捜査を進め、原告に右窃盗犯人の疑いをかけて呼出、取調を行い、その結果原告に対する窃盗被疑事件を二本松区検察庁に送致したこと、原告が同区検察庁において昭和二七年五月三〇日附で不起訴処分の裁定を受けたことは認めるが、その余の点は否認する。

(一)  について。高橋巡査が昭和二七年二月七日原告かたで原告が所持し、使用していた羊毛の刈取に用いるはさみ一ちようの提出を求め、これを借り受けたこと、同巡査は右はさみに油が附着しているかどうかの鑑定を国家地方警察福島県本部に依頼し、同所で鑑定が行われたこと、同巡査並びに紺野巡査部長が原告に犯罪のけん疑をかけて取り調べるに至つたことは認めるが、その余の事実は、被害者である武藤若しくは本多が原告が犯人である旨を高橋巡査に申告したこと、原告主張のような風聞が部落内に存在したこと、高橋巡査が武藤、本多等の家庭事情を捜査しなかつたことを除いて、すべて争う。高橋巡査、紺野巡査部長は原告の主張するような心証形成の過程を経て、原告に対してけん疑を抱いたものではない。右事件の被害者である本多かたの居宅並びに羊小屋は傾斜上に存在し、そのため、公路からは見とおしがたいものであり、高橋巡査はこの状況を実況見分により認めたので、右被害は部落内の地理に明るい者の犯行によるものとの一応の見込を立てたが、ついで、めん羊の毛は普通の刃物では刈り取るに困難なもので、それ専用のはさみがあることを知つたので、部落内にあるはさみを検討することとして、原告かたを訪れ、また、他にも七名の者かたに至り、合計九ちようのはさみを借り受けたのであつた。そうして、同巡査は、はさみ九ちよう全部に番号を施し、他と識別しうるようにしたうえ、めん羊の毛の刈取の経験者に示して意見を徴したところ同人は原告かたで提出したはさみには黄色味がかつた油のような物が附着しており、その物は植物性のものと異なるように思われる、はさみを使用しない以上かような物が附着しているはずがない旨を述べたのであり、他方、鑑定の結果には、「原告が提出したはさみには種類は不明であるが、けん化可能な油脂が附着している」とあつて、資料上、植物性のものでない油脂が原告かたで提出したはさみに附着しているものと認めしめるものがあつたのである。同巡査は更に捜査を進めたところ、めん羊の毛を刈り取る時期は通常四月中旬から五月末ころまでの間で、一二月、一月ころに刈り取る場合はないこと、めん羊の毛を刈り取れば、毛に含まれる油がはさみに附着するものであり、ほかの動物の毛を刈り取つてもかようなことが起らないことが順次判明し、また、原告かたではさみの提出を求めた際、原告の父雅治は最近原告かたでそのはさみを使用したことはなく、他人に貸与したこともない旨を申し述べていたのであつた。高橋巡査は、以上の資料を全部総合判断して原告に犯罪のけん疑をかけたのであつて、原告主張のような被害者の申告、村内の風聞などに心証の基礎を置いたわけではない。紺野巡査部長も、高橋巡査の報告により以上の資料に基いて原告に犯罪のけん疑があるものと認定したのであり、かような資料によれば原告には取調を受けるべき犯罪のけん疑が十分に存在するものと認めるべきものであるから、高橋巡査、紺野巡査部長の心証形成、取調は違法のものではない。

(二)  について。高橋巡査が原告に対して昭和二七年四月一七日に駐在所に出頭することを求め、同日、同所で原告を取り調べ、その取調中、「何か心当りはないか。」という言葉を使用したことがあつたこと、同月一八日にも取り調を行い、翌一九日に、同月二二日午前九時、本宮地区警察署と指定して原告に出頭を命じたこと、紺野巡査部長が右指定の日時、場所で原告を取調べたこと、原告が四月一八日の取調において高橋巡査に「自分が盗んだことにしよう。」と申し述べ、同月二二日の取調において紺野巡査部長に対して窃盗の事実を自認したことを認めるが、その余の事実はすべて争う。(たゞし、はさみの鑑定の点については前述のとおりである。)高橋巡査、紺野巡査部長は取調中、原告を脅迫したこともないし、また、原告主張のような不当な言辞を用い、虚構の事実を告知したりなどして原告に自白を求めたことはない。高橋巡査は四月一七日取調を始めるにあたり、「はさみの件で尋ねるのだが、何か心当りはないか。」と述べて、原告に質問したところ、原告は「心当りなどない。」と答えたので、同巡査は、続けて、原告かたから提出を受けたはさみを最近原告かたで使用したことがあつたかどうか、他人にそれを貸与したことがあつたかどうかの点を質問したが、これについて、原告は自分の家の者が使用したこともなく、他人に貸したこともない旨を答えた。そこで、同巡査は、さきに依頼した鑑定の結果が、「原告かたで提出したはさみには、種類は不明であるが、けん化可能な油脂が附着している。」旨を明らかにしたものであつたから、その旨を原告に告げるとともに、「はさみに油が附着しているのはどうしたわけか。」と質問したところ原告は「自分が盗んだのではないが、はさみに油があるというのでは仕かたがない。はさみにあやまつて自分が盗んだことにしよう。」と述べた。同巡査は、なお「とつたことがないものなら、とつたことにしようなどと言わないで、はつきりしたことを話して欲しい。」と述べたが、原告は、任意に、「盗んだめん羊の毛は本宮町に住む、親類の遠藤に売つたことにしてもらいたい。」「以前めん羊を飼育していたころ刈り取つた毛が自分の家にあるから、それを盗んだ毛ということにしよう。」などと話していた。以上のことに尽きたのであり、同月一八日の取調も同様の質問、弁解で経過したのであつた。同月二二日、本宮地区警察署における紺野巡査部長の取調は、まず、同巡査部長が「駐在所から報告があつたが、おまえはめん羊の毛を刈り取つたようにするとか、刈り取つた毛を他に売つたようにしようとか話したそうだが、はつきりしたことを話してもらいたい。」とまえ置きして、原告かたでめん羊を飼育したことがあつたかどうか、原告がめん羊の毛を刈り取つた経験を持つかどうか、原告かたが提出したはさみで最近めん羊の毛を刈り取つたことがあつたかどうか、めん羊の毛を刈り取つた後は、はさみをどのように処置するものであるのか等の諸点を質問し、前述した鑑定の結果の内容である、はさみには油が附着しているという事実を告知したのであり、また、「はさみを使用したことがないとすれば、はさみに油が附着しているのはおかしいが、隠さずにはつきりしたことを話した方がよいではないか。隠しだてすると取調が長びく。」と述べた。原告は、同巡査部長に対して当初は事実否認の旨を述べていたが、後には、「昭和二六年一二月中、日の点は、はつきりしないけれども午前一時ごろ本多かた裏手にあるめん羊小屋において所持していたはさみでめん羊の毛を刈り取つた。」旨を任意に供述して、自白したのであつた。高橋巡査はその取調中、お尋ね書と題する原告主張のような書面を原告に作成せしめたことはなく、また、同巡査並びに紺野巡査部長ともにはさみの鑑定は仙台の国警本部の鑑識課でなされた旨を述べたことはない。右両名の取調の大要は、以上のとおりであつたのであり、脅迫による自白の強要、被疑者の心理的動揺を利用して自白を求めた等の事跡はまつたく存在しないし、「原告かたから提出を受けたはさみに油が附着している。」との言葉は、鑑定の結果が、種類が不明にしても、油脂が附着しているというのであるから事実をそのまゝ述べたもので、虚構のことを述べたわけではないのであり、油脂の種類は不明である旨を告知しなかつたことは前述のとおりであるけれども、捜査官が入手した資料に基き被疑者に質問をするにあたり、その質問の内容の前提である事実若しくはその内容に関連する事実を逐一被疑者に告知する義務があるわけはないのであるから油脂の種類不明の事実を告知しなかつた不作為に義務違反はない。高橋巡査が、仮に、はさみの鑑定の場所として国家地方警察宮城県本部鑑識課を挙げたものとしても、その発言自体適当はなかつたといゝえても、違法なものというべきものでない。

(三)  について。原告が紺野巡査部長に対して窃盗の事実を自白し、同巡査部長が原告に対する窃盗被疑事件を二本松区検察庁に送致したことは前述のとおりであり、同巡査部長が原告から原告かたで保管していた羊毛の提出を受けこれを任意領置したことを認めるが、その余の点を争う。原告の供述は前述したようなものであつて、武藤かたで窃取した旨を述べたものではなく、右の羊毛を領置したのは、同巡査部長が賍物の処分について質問したところ原告は、一たん、おいに売却した旨を述べ、同巡査部長からおいの家に赴き調査を行う旨を告げられて、再転し、「洗つたうえ袋に入れ、自宅のなやに保管してある。」旨を述べ、同巡査部長と同道して原告かたでなやの二階入口附近に掛けてあつたもめん袋在中のめん羊の毛を提出したので、同巡査部長は以上の経緯に照らして措信しうべきものと信じ証拠として採用したものである。これらの事実並びにこれまで述べた全部の資料に基き同巡査部長は犯罪のけん疑十分なものがあると認めて二本松区検察庁に事件を送致したのであり、その措置に違法の点はない。

(四)  原告主張の日附の各新聞紙上にその主張するような内容の新聞記事が掲載されたことは認めるが、紺野巡査部長、本宮地区警察署次席、同署捜査主任等が右記事の素材である事実を外部に発表し、または、原告に対する被疑事件について作成された記録の保管を怠つた等秘匿義務に反した行為をしたことはない。

原告の身分関係、その家族、職業、地位に関する主張事実は認める。しかし、原告に対する取調の発端から事件の検察庁送致に至るまで高橋巡査、紺野巡査部長らに違法な行為はなく、新聞紙上に発表された点も前述した者らの責に帰すべき行為によるものではないのであるから被告は原告の被つた損害を賠償すべき義務をおうものでない。以上のように述べた。〈立証省略〉

理由

昭和二六年一二月一三日夜、原告の肩書住所地に隣接する本多義春かたにおいて同人が同村内の武藤浦枝から借り受けて飼育していた武藤所有のめん羊の毛が何者かにより刈り取られたこと、同所を管轄する国家地方警察福島県本宮地区警察署和木沢村糠沢駐在所勤務の司法巡査高橋伝十、同署巡査部長紺野和美が原告に右窃盗犯人のけん疑をかけ、高橋巡査が昭和二七年四月一七日、翌一八日右駐在所で原告を取り調べ、同巡査部長が同月二二日本宮地区警察署で原告を取り調べ、同巡査部長が原告に対する窃盗被疑事件を二本松区検察庁に送致したことは、当事者間に争がない。以下、原告主張の(一)ないし(四)点について、順次判断する。

(一)について。

(1)  成立に争のない甲第二号証の五、一二、証人古宮重雄、高橋伝十の各証言を総合すれば、次の事実を認定することができる。高橋巡査は、昭和二六年一二月一四日武藤浦枝から前述の窃盗被害届を受けたので、検証のため本多義春かたに赴いたが、本多かた裏側には公路が通つており、同人かたの、前述の窃盗被害にかゝつためん羊小屋は公路の上方にあつて、同道路上からは見とおしえない位置にあり、また、被害にかゝつためん羊は首部に軽傷をおつたにとゞまつて、その余の部位に外傷はなかつた。右検証に立ち会つた武藤浦枝、本多かた家人らは同巡査に対して、「被害にかゝつためん羊は気性が荒いから、その毛を刈り取るには毛を刈り取つた経験のあることが必要である。犯人が経験者であることはめん羊の被つた外傷が右の程度にとゞまつていることによつてもわかる。通常、めん羊の毛を刈り取るのは、それに専用するために作られたはさみを使用するもので、はさみを使用すれば、めん羊の毛から出る油が附着する。めん羊の毛の刈り取りは毎年四月か五月ころされるのが普通で、使用後は油をぬぐい、手入れしておくものであるから、はさみを調べれば犯人がわかる。」旨を申し述べ、被害届には、被害日時は昭和二六年一二月一三日午後一一時ころから翌一四日午前六時ころまでの間とあつたので、高橋巡査は、右検証の結果と右申告を併わせ考えて、前述の窃盗事件は、本多かた附近の地理に通じた者で、めん羊の毛を刈り取つた経験を有する者の計画的な犯行であると一応の見込を立てるとゝもに、この見込により村内にあるめん羊の毛刈りに専用するはさみを鑑識することとし、昭和二七年二月七日ころ原告かたで原告の父武田雅治から原告が日ごろ所持し、使用していためん羊の毛刈り専用のはさみ一ちようの提出を受けて、これを領置したのであるが、このほかにも同日同種のはさみ約五ちようを借り受け、なお同様の目的で同村内の古宮重雄かたに至つた際、同人に借り集めたはさみ全部を示して、意見を求めたところ、古宮は原告かたで提出したはさみを選び出し、「このはさみにはめん羊の毛から出た油が附着している、昨年四月か五月ごろ毛の採取のためはさみを使用した後、手入れしないで放置したものとすれば、附着した油は固まつて容易に落ちないはずであるのに、爪でこき落せば落ちる。近々に使用したものと思う。」旨を申し述べ、同人が右のはさみの刃を爪で強く磨擦したところ附着していた物が取れた。ついで、同巡査は、新たに別人に対して右と同様の方法で意見を求めたところ同人もまた右、古宮重雄と同様の申述をしたのであつた。同巡査が原告かたではさみの提出を求めた際、雅治は「昨年の春、使用したかも知れないが、その後は原告かた家人において使用したこともなく、他人に貸したこともない。」旨を述べてはさみを差し出したのであり、原告かたではさみを蔵置してあつたのは、外来の者がその存在を知つて、原告かたの家人に無断で持ち出しえない場所であつたのであり、同巡査は、その後の捜査により、原告がめん羊の毛を刈り取り技術にすぐれていることも知つた。更に、同巡査は、原告かたで提出したはさみに油が附着しているかどうかの鑑定を国家地方警察福島県本部鑑識課に依頼したところその鑑定の結果には油脂が附着している旨が述べられていた。(この鑑定の結果については、後に詳述する。)高橋巡査は、以上の事実申告、検証並びに鑑定の各結果を資料として、原告に前示窃盗犯人のけん疑をかけたのであつた。

以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。証人紺野和美の証言、被告弁論の全趣旨によれば、紺野巡査部長は高橋巡査から以上の捜査の経緯の報告を受けて、これに基き原告に犯罪のけん疑をかけたことが認められる。

(2)  証人高橋伝十の証言によれば、原告の居住部落内において、原告には盗癖がある旨のうわさがあり、同巡査は右のようなうわさを聞き込んでいたことが認められ、成立に争のない甲第二号証の二、証人紺野和美の証言によれば、同巡査部長も同種のうわさを聞き込んで、原告が前示窃盗犯人であると認めるべき資料の一としたことが認められ、証人武田正美の証言のうち、原告につき、盗癖があるなどのうわさはない旨の部分は、右各証言に照らして採用しない。

原告は、被害者である武藤若しくは本多らが原告が犯人である旨を高橋巡査に申告したと主張するけれども、成立に争のない甲第二号証の一〇の記載のうち、右主張にそう部分は採用できないし、他に右事実を認めしめるべき確証がない。

右(1) 、(2) の事実を総合するに、紺野巡査部長はもとより、高橋巡査もまた(2) に述べた原告の居住部落内のうわさを採用して、これをもつて、原告に犯罪のけん疑があるものと認める資料としたものと認めるほかはないが、かようなうわさのみに依拠して、たゞちに原告がけん疑者であるものと認めたわけではなく、右両名はその心証形成の基礎の大半を(1) に述べた事実申告、検証、鑑定の結果に置いたものと認定することができる。

さて、刑訴法第一九九条の規定は、司法警察職員等の捜査官は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき裁判官が発する逮捕状により被疑者を逮捕することができる旨を定めるのであるが、およそ、なにびとも事実無根の犯罪のけん疑をかけられない自由、身体の拘束を受けない自由を有するのであり、それゆえに、逮捕状が発付されるには、犯罪のけん疑があるとするにつき相当な理由があることを要するものとされるのであるから、司法警察職員が刑訴法第一八九条の規定に基き、国の公権力の行使として捜査活動を行ううえで、特定の者を被疑者と定めて犯罪のけん疑をかけるには、客観的事実に基き、かつ、罪を犯したものと疑うべき理由がなければならないものであり、更に、同法第一九八条の規定によれば、その者に任意出頭を求めて、取調べるには、その必要がある場合でなければならないことは明らかである。

(3)  証人古宮重雄、松尾久延の各証言を総合すれば、原告の居村、和木沢村地方においては、めん羊の毛の採取は毎年四月ないし五月ごろ行われるのが通常で、そのほかの時期に刈り取るのは異例に属するものであること、めん羊の毛を刈り取るのはそれに専用するために作られたはさみを使用するのが一般であること、はさみをそれに使用すれば、めん羊の毛から出る油が附着するので、使用後その油を洗い落とすものであることが認められ、また、成立に争のない甲第二号証の七、同号証の一〇によれば、原告はめん羊の毛を刈り取るのに多年の経験を有するものであることが認められる。

(4)  成立に争のない甲第二号証の六によれば、高橋巡査の依頼でなされた鑑定の結果は、「原告かたで提出したはさみにはけん化可能な油脂が附着しているが、分量が少いため、その種類は判定しえなかつた。」というのであるから、これをもつて原告が罪を犯したものと認めるべき十分な資料とすることのできないのは明らかであるけれども、他方、消極的に、原告は罪を犯したものではないと推測せしめるに価する資料とすることも、またできない。しかし、右鑑定の結果に証人古宮重雄、松尾久延、蓬田三郎の各証言を総合すれば、原告かたで提出したはさみに、めん羊の毛から出た油脂が附着していたかどうかはさておき、少くとも動物性の油脂が附着していたものと認定することができる。

右(3) 、(4) の事実と(1) に述べた事実申告、高橋巡査の検証の結果、同巡査並びに紺野巡査部長の心証形成の過程を対比してみれば、右両名の心証形成は、ほゞ真実に符合した事実に立脚しており、右鑑定の結果を消極的な事実認定の資料として原告に対するけん疑を解消せしめなかつたことは事実の誤認を犯したものではなく、右両名の措信した、古宮の、「原告かたで提出したはさみにめん羊の毛から出た油が附着しており、しかも、その油は、はさみを近々に使用したことによるものである。」旨の申述が、果して、同人の言うとおりのものであるかどうかの点は別論にしても、その余の事実により原告が前示窃盗犯人であるものと疑うべき理由があり、かつ、これにより原告にけん疑の解明を求めるため被疑者として取り調べるべき必要が生じたものと認めるのが相当であるから、原告の(一)の主張は採用できない。

(二)について。

(1)  高橋巡査の取り調について。

前段(1) において述べた高橋巡査の心証に証人高橋伝十の証言、原告本人尋問の結果(たゞし、原告本人尋問の結果のうち、後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認定することができる。原告は、高橋巡査の任意出頭の求めに応じて、昭和二七年四月一七日午前七時ごろ和木沢村糖沢駐在所に出頭したが、同巡査は原告を駐在所の一室に導き入れ、「さきに原告かたで提出したはさみのことについて尋ねる。」旨を告げ、「何か心当りはないか。」と原告の答を促したところ、原告は、別段思い当る点はないと答えた。そこで、同巡査は、原告かたから提出を受けて領置しておいたはさみを示し、「これはおまえのものか。」とたゞしたうえ、「これを最近使用したことがないかどうか、他人に貸したことがないかどうか。」と質問したところ原告はこれを否定したので、原告かたでめん羊を飼育したことがあるかどうか、原告はめん羊の毛を刈り取るのにいかほどの経験があるか、原告が右はさみを使用したのはいつごろか等を順次質問し、「このはさみには油が着いているが、どういうわけか。油も新しい。」旨を述べた。原告はこれらの質問に対して、「昭和二六年四月か五月ごろ居村内渡辺与一から依頼され、同人かたのめん羊の毛を刈り取つたことはあるが、その後ははさみを使用していない。」「その際、はさみを手入れしないまゝでおいたが、新しい油が着いているわけはわからない。」と答えた。同巡査は、「国警本部ではさみの鑑定がなされたが、おまえのはさみに油が着いているという鑑定だ。」「この鑑定の結果によつても、はさみに新しい油が着いていることがわかる。」と述べて、鑑定書(甲第二号証の六)のうち、第四項、鑑定の経過及び方法第五項、鑑定の結果の各記載部分を原告に展示し、「はさみについては科学的な検査をしたのだから、いま自分の述べたことはま違いがない。」「はさみが証拠だ。」とも述べた。そうして、同巡査は、「油のついているわけが聞きたい。」と、原告の答を促したが、原告は、「はさみに油が着いているわけがわかればよいのか。」と質問し、ついで、「自分がとつたのではないけれども、はさみに油が着いているなら、はさみにあやまつてとつたことにする。」と答えたので、同巡査は、更に、「それでは職務上困る。もつと神士的に解決する方法がないのか。」と言つた。そのうち昼食時になつたので、同巡査は暫時原告を帰宅せしめた。同日午後、同巡査再び取調を始めたが、原告は午前の取調の際と同様、「渡辺かたで毛を刈つたほか、はさみを用いたことはないから、油が着いているわけはわからない。」旨をくり返し述べ、同巡査も右同様の発問をしていたが、その後、原告は飜つて、再び「自分がとつたことにする。とつた毛はおいの遠藤に売つたことにする。」といつたので、同巡査は、「それでは、そのおいのところへ行つて尋ねるが、よいか。」と言つたところ「それでは困る。話は自分が行つてする。」と答えた。そこで、同巡査は、「とりもしないのにとつたことにすると言い、売りもしないのに、売つたことにすると言うのでは、おかしい。それでは、ますます疑が濃くなるばかりではないか。何かもつとよい解決方法はないか。」と述べた。右両名の間の発問、応答は右の趣旨のほかには出ず、その取調は、同日午後四時ごろに終つた。翌一八日、右駐在所における右両名の発問、応答も右の趣旨のものであつたが、その間に、同巡査は、「おまえが羊毛をとらないということになると、鑑識課と争うことになるが、そうなると、金もかゝるし、勝つこともできない。自分の方は、旅費、日当が出るから、さしつかえはない。」旨を述べた。同巡査は、右取調の際、お尋ね書と題して、原告にその陳述を書面に作成せしめて、署名、押印を求めたことはなく、また、「事件も大したことがないから、内密にしてやる。」ともいわなかつた。以上の事実が認められる。原告本人尋問の結果のうち、「四月一七日の高橋巡査の取調は、同日午前で終つた。その間に、同巡査から、お尋ね書と題して、はさみは使用したことがない旨の陳述を書面に作成するよう命ぜられ、これに署名、押印を求められた。」とか、「高橋巡査は取調中、大目に見るといつた。」とかの供述部分は、証人高橋伝十の証言と対比して採用しないし、その他に右認定を動かすに足りる証拠はない。ところで、右問答のうち、高橋巡査は、はさみの鑑定の場所として「国警本部。」を挙げたのであるが、かような発言に引き続いて同巡査が原告に展示した鑑定書(甲第二号証の六)第五項に接続して、鑑定の日時並びに同鑑定は国家地方警察福島県本部刑事部鑑識課法理医化学室において行われた旨の記載があり、その記載は、一見してこれを読み取ることができるものであるから、これらの事実によれば、同巡査は、国家地方警察福島県本部を指して、単に「国警本部。」と呼んだのであり、かつ、その場合、「国警本部。」とは、右福島県本部を指すものと解すべきものと認定する。原告は、同巡査は、はさみの鑑定の場所として、国家地方警察宮城県本部を挙げた旨を主張するが、証人佐藤善夫の証言、原告本人尋問の結果のうち、右主張にそう部分は、以上の認定に照らして真実を物語るものとは認められないし、その他に右認定をくつがえし、原告の主張を認めしめるに足りる証拠はない。

つぎに、同巡査の、「はさみに油が着いている。」「新しい油が着いている。」という言葉の趣旨について考えるに、前示認定の同巡査が、右のような言葉を述べた前後の事情、とりわけ、原告が本件取調を受けたのは、冒頭に認定したように、原告が、めん羊の毛を刈り取つた犯人であるものと疑われたことによるのであり、前述のように、はさみで、めん羊の毛を刈り取れば、めん羊の毛から出る油脂が附着するものとの経験則が存し、右認定の問答自体に徴すれば、同巡査、原告ともにかような経験則が存在することを前提として発言、応答していることを看取することができるから、右の「油」という語は、「めん羊の毛から出る油脂」という意味を表示したものであり、「新しい油。」とは、「近々に、はさみを使用したことにより附着した、めん羊の毛から出た油脂。」という意味のものと解すべきことは明らかである。ところで、同巡査が原告に展示した右甲第二号証の六には、「原告かたで提出したはさみに、けん化可能な油脂が附着していることが認められるが、資料が少いため、その種類は不明である。」旨の記載があるだけであつて、これだけでは、めん羊の毛の油であるか、新しい油であるかは、わからないわけである。従つて、同巡査が、述べた、「はさみに油が着いているとの鑑定だ。」「この鑑定によつても、はさみに新しい油が着いていることがわかる。」旨の言葉は、前者は鑑定の結果の内容につき、後者は鑑定の結果の評価につき、虚偽の事項を告知したものと認めるのが相当である。また、「もつとよい解決方法はないか。」「もつと紳士的に解決する方法はないか。」との言葉は、その前後にくり返された問答からみれば、原告がみずから窃取した旨を自認することを暗示するものと解釈すべきものであり、「否認すれば、鑑識課と争うことになり、金もかゝる。勝つこともできない。」とか、「はさみが証拠だ。」などの発言は、原告に否認の態度を放棄せしめて、自白を求める趣旨で述べられたものであることはそれ自体に徴して明らかである。

もつとも、原告は、「はさみが証拠だ。」との発言は、はさみの証拠資料としての価値に関して虚構の事実を告知したものであると主張するが、当該はさみには、少くとも動物性の油脂が附着していたものであることは(一)の(4) で述べたとおりであるから、はさみの存在は原告が犯罪を行つたものと推測せしめる証拠資料としての価値がないわけではないから、これを内容とする右の発言は、虚偽の事項を告知したものではないわけである。

(2)  紺野巡査部長の取調について。

前段(一)の(1) 、(2) に述べた同巡査部長の心証に証人紺野和美の証言、原告本人尋問の結果(右証言並びに原告本人尋問の結果のうち、後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認定することができる。同巡査部長は高橋巡査からその捜査の結果の報告を受けたので、原告に対して、四月二二日午前九時に本宮地区警察署へ出頭すべき旨の呼出をし、原告は指定日時に同署へ出頭したが、同巡査部長は、同署内取調室に原告を導き入れ「だいたいは駐在所から話を聞いて知つているが、おまえが、駐在所でいろいろなことを言うから署で調べることになつたのだ。」「おまえは盗んだことにするとか、おいに毛を売つたことにするとか言つているが、きようは、よけいなことを言わずに、ほんとうのことを言つてもらいたい。」と述べ、ついで、めん羊を飼育したことがあるかどうか、めん羊の毛を刈り取るのに経験があるかどうかの点を尋ね、さきに原告かたで高橋巡査に提出したはさみを示し、「これには油が着いている。」旨を述べ、最近に、はさみを使用したことがあるか、他人に貸したことがあるかと問いたゞした。これに対して、原告は、高橋巡査に対した場合と同様な答をし、身に覚えがない旨を述べたところ、同巡査部長は、「全然、はさみを使つたこともなく、また、貸したこともないのに、油が着いているとはおかしい。」「隠しだてしないではつきりした方がよい。ぐずぐずしていると、取調が長びくばかりでないか。」「本宮附近でもおまえのことは評判になつている。」「とらないと言うのなら、一〇日も留めておく。刑務所で三〇日も泊められることになる。」旨を順次述べて、原告の返答を求めたところ、原告は、めん羊の毛は自分が刈り取つた旨を述べて自認し、「毛は本宮町に住む、おいに売却した。」旨を述べたので、更に同巡査部長が、その売却先について調べる旨を述べたところ「洗つたうえ、家に置いてある。」旨を答えた。右取調は同日、午前中に終了した。以上の事実が認められる。証人紺野和美の証言のうち、「原告に対し一〇日間留置され、三〇日ほど刑務所で泊められるなどといつたことはなかつた。」旨の供述部分は容易に信用しがたいし、原告本人尋問の結果のうち、「紺野巡査部長は、はさみの鑑定は国家地方警察宮城県本部でなされた旨を述べた。」という趣旨に帰着する部分は採用しない。他に、右認定に反する証拠はない。

右認定の、同巡査部長が原告を取調べるに至つた経緯、取調の経過、取調の際に初めて原告が自白した事実に原告本人尋問の結果を併わせ考えると、同巡査部長の右発問、発言はすべて語気を荒めて用いられたものであることがうかゞわれる。また、「はさみに油が着いている。」旨の言葉が、「めん羊の毛から出た油脂が着いている。」旨に解釈すべきものであることは前段に説示したところと同様である。

そこで、高橋巡査、紺野巡査部長の(1) 、(2) に述べた取調が違法のものであるかどうかにつき考えるに、およそ、司法警察職員等の犯罪捜査官は、探知しうる情況証拠、その他参考人の供述により被疑事実を認定し、被疑者の陳述、弁解はこれを聴従するにとゞめて、被疑者に不快の念を抱かせてまで尋問し、取調を行うことを避けるのが望ましいものであることは疑をいれないところであるが、被疑者の供述も一個の証拠であり、これが取調の客体となるものであることは明らかである。思うに、憲法第三八条は、その第一項において自白の強要を禁止し、第二項において、証拠法の面から、強制、拷問若しくは脅迫による自白等に採証上の制限を設け、これを受けて、刑訴法第三一九条第一項は、自白の証拠能力の制限につき同趣旨の法意を明らかにしており、右自白の強要とは拷問若しくは脅迫等の方法により被疑者の自由な意思決定を抑圧する行為をいうものであることは、文理解釈上明白である。取調を受ける被疑者が黙秘するのは、刑訴法第一九八条第二項の規定により権利として保護されており、また、被疑者が黙秘し、虚偽の事実を語ることは自然の数であるが、他面、犯罪捜査官は事案の真相を明らかにし刑事司法をまつたからしめることがその職責である以上、被疑者の黙秘を解き、任意に真実を供述せしめるよう努めなければならないのはいうまでもないことであつて、その強要にわたらない限り、よく理非曲直を説き、是非善悪をさとして、自白をすすめても一向差支えない。問題は、右の法意に照らして、取調に際し自白せしめるために用いられた方法がいかなるものであつたか、すなわち、被疑者の自由な意思決定を抑圧するに十分なものであつたかどうかである。等しく、害悪を告知して被疑者を恐怖せしめるものといつても、その害悪の告知が客観的に意思決定の自由を奪うに値するものであるときは、まさに、違法なものといわなければならないけれども、その程度に至らないものは、多少不当であつても、それは犯罪捜査官の前示職責に照らし、やむをえないものとして法の放任するところといわなければならない。また、捜査官が虚言を交えることなく、誠実に行動するのが好ましいことは、いうまでもないところであるが、捜査官、被疑者が右のような立場にあるものである限り、捜査官において、事実を曲げて述べ、その発言が虚偽にわたるものであつても、その取調を違法視することはできない。もつとも、その虚言というものも、被疑者を錯誤に陥入れることによりその抗争若しくは否認の態度を奪うに等しいほど重大なものまでも容認すべきものというのでは決してなく、前同様、その態様が問題なのである。本件において、高橋巡査がその取調中に述べた、「はさみについては科学的な検査をしたのだから、ま違いがない。」「はさみが証拠だ。」「おまえが羊毛をとらないということになると、鑑識課と争うことになるが、そうなると金もかゝるし、勝つこともできまい。自分の方は、旅費、日当が出るから、さしつかえはない。」「紳士的に解決する方法はないか。」「よい解決方法はないか。」等の発言、発問はいずれも、原告をして否認の態度を放棄せしめて自白を求めることを目的として述べられたものであり、そのような趣旨を言外に含んでいるものであるし、また、紺野巡査部長の、「隠しだてしないで、はつきりした方がよい。ぐずぐずしていると、取調が長びくばかりでないか。」との発言も同様趣旨のものと解すべきであるけれども、これらが、被疑者であつた原告の心理に影響して、自白するかどうかにつき、その決定の自由を奪うものであるとするに足りない。また、同巡査部長が述べた、「本宮附近でもおまえのことは評判になつている。」旨、あるいは、留置する、刑務所うんぬんの発言は、原告をして、多少の恐怖の念を生ぜしめたであろうとうかゞうことができるが、他方、本件捜査は、いわゆる任意捜査の方法によるものであり、かような事実に、右発言がなされた前後の事情を併わせ考えれば、右発言も、未だ原告の意思決定を左右するには足りないと認定する。その他、右両名の取調全般を通じてみても、その質問の進展も所要時間も相当であつて、右に述べた限度を超えて違法にわたつた事跡は存しない。

つぎに、高橋巡査の、「はさみに油が着いているとの鑑定だ。」「この鑑定によつても、はさみに新しい油が着いていることがわかる。」旨の言葉は虚偽の事項を告知したものであるが、本件取調の経緯によれば、原告が右鑑定の結果を争い、その主張を貫く余地は十分にあるものと認められるから右発言が原告の黙秘を解くに足りるものであるけれども、進んで、その黙秘を破り、原告をして、その意に反して同巡査の取調に迎合せしめるには足りないと認めるのが相当であり、従つて、同巡査の右発言を違法のものということはできない。また、同巡査及び紺野巡査部長の、「はさみに油が着いている。」旨の、高橋巡査の、「はさみに着いている油は新しい。」旨の発言が、仮に、虚構の事実を内容とするものであつても、(右の油が動物性のものであると認定することができることは、(一)の(4) に述べたとおりであるが、これが、めん羊の毛から出たものでなく、本件取調当時に接着して採取されたことによるものでもないと仮定しても。)右と同様のわけであるから、これを違法のものというべきでない。

かようなわけで、高橋巡査、紺野巡査部長の取調は違法のものではないから、原告の(二)の主張も、その余の点につき、判断するまでもなく、その理由がない。

(三)について。

紺野巡査部長は、原告を取り調べた後、原告に対する右窃盗被疑事件を二本松区検察庁に送致したことは当事者間に争がない。そこで、同巡査部長の右行為が違法のものであるかどうかにつき、考えるに、成立に争のない甲第二号証の九、同号証の一一に、証人紺野和美の証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、同巡査部長は四月二二日の取調において原告が「盗んだ毛は家に置いてある。」旨を述べたので、同日午後原告と同道して原告宅に赴いたが、原告が同所二階の上り口附近に置かれていたもめん袋在中のめん羊の毛を同巡査部長に任意提出し、「これが窃取しためん羊の毛である。」旨を述べた。同巡査部長は、原告の供述を信じて、これを領置したが、右羊毛には、繊度において強いものと弱いものとが混合されており、一頭のめん羊から採取されたものでなく、かつ、相当古いものもあつて、右領置物を前述の被害にかゝつためん羊の毛であると認定することができないもので、従つて、右めん羊の毛の存在は、ほとんど、原告に対する窃盗被疑事件の証拠資料としての価値がない。

かような事実が認められる。ところで、捜査官のした、犯罪のけん疑があるとの認定が適法かどうかは、その捜査の発展の段階と関連していうべきもので、検察官が起訴、不起訴を決定するにつき認定すべき犯罪のけん疑と、司法警察官が事件を検察庁に送致するにつき認定すべき犯罪のけん疑とはその濃度において異なるものがあり、前者は後者に比して加重された事実の認定が行われるべきであるけれども、後者、すなわち、司法警察官は被疑者に犯罪を犯したものと疑うべき一応のけん疑がある限り、当該事件を検察官に送致すべきである。検察官はみずからも犯罪の捜査をし、必要があるときは、刑訴法第一九三条の規定により、司法警察職員を指揮し、または、協力せしめることができ、起訴、不起訴の決定はその専権に属するのであり、司法警察職員のする犯罪捜査は検察官の捜査の準備的な先行々為である。紺野巡査部長の領置しためん羊の毛は、ほとんど、証拠資料としての価値がないものであり、従つて、原告がさきに同巡査部長に対して述べた供述と符合しなかつたわけであるが、かような事実が(一)に述べた原告に対するけん疑をくつがえしてこれを全部解消せしめるに足りると認めるべきものでなく、むしろ、これらの事実が存在するにしても、なお、原告に対するけん疑は残るものと認めるのが相当である。従つて、紺野巡査部長が原告に対する窃盗のけん疑を解かず、事件を二本松区検察庁に送致した行為に違法の点はない。もつとも、原告が、二本松区検察庁において、昭和二七年五月三〇日附で不起訴処分の裁定を受けたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証の一によれば、その処分が犯罪のけん疑がないことを理由とするものであることが認められるが、この事実が右の結論を妨げるものでないことは前に述べたとおりである。それのみではなく、甲第二号証の一一に徴すれば、同巡査部長が領置しためん羊の毛に古いものが混在していることは一見して看取しうるものでなく、めん羊の毛を取り扱つた経験がある者でなければ、鑑別しがたいことが認められ、他方、原告は、右めん羊の毛を同巡査部長に提出するに際して自分が窃取したものにかゝる旨を述べたのである。もとより、犯罪の捜査を進めるにあたり、事実認定上、捜査官は終始その集めた資料を検討して事実の誤認を避けるべき義務があるわけであるが、同巡査部長に、右のようにして提出されためん羊の毛に古い毛が混在することを鑑別して認識することを求めることはかたきをしいるものであり、同人が原告の供述をそのまゝ措信したことに過失はない。

なお、原告は、紺野巡査部長に対する供述として、本件窃盗は武藤浦枝かたで行つた旨を述べたのであり、その自白は事実と反するものであるから、事実の認定に、この点を無視した違法がある旨を主張する。なるほど、甲第二号証の二、には、原告の右主張にそう記載があるが、本件被害は本多義春かたで発生し、武藤浦枝は被害にかゝつためん羊の所有者であり、甲第二号証の一二により、紺野巡査部長はその事実を熟知していたものと認められるから、右の記載は同巡査部長の誤記であると認める。その他に、右主張事実を認めしめるに足りる証拠はない。かようなわけであるから、原告の(三)の主張もその理由がない。

(四)について。

昭和二七年二月二七日原告主張の新聞にその主張のような記事が掲載されたことは当事者間に争がなく、証人塩川朝夫、紺野和美の各証言を総合すれば、右記事のうち、昭和二七年二月二七日附福島民報紙上に掲載された分は、本宮地区警察署次席、若しくは捜査主任が右記事の素材である事実を取材記者に発表したことによることが認められ、同日附福島中央新報に掲載された記事も、右福島民報紙上のものとほゞ同一である事実に右各証言を総合すれば、右の者らがその記事の素材である事実を取材記者に発表したことによるものと認めることができ、右認定に反する証拠はない。およそ、国家賠償法第一条の規定により国が損害賠償責任を負担すべきものは、国の公権力の行使にあたつた公務員の不法行為が、少くとも、外形上その者の職務範囲に属し、または、その職務遂行に必要な事務上のものに限定されるのであり、もともと当該公務員の職務にかような関連がない不法行為についてまでも国がその損害賠償責任をおうべきいわれはない。本件において、捜査の結果を発表して、取材記者に新聞記事の素材を提供するかどうかは、司法警察職員である右、本宮地区警察署次席、同署捜査主任の職務範囲に属しないものであることは明らかであり、右の者らがその職務を遂行するに必要な事務でもないことはいうまでもないところである。従つて、原告が前示の新聞記事の掲載により損害を被つたものとして、国にその賠償を求めるのは、その前提において失当であるから、原告の(四)の主張も採用できない。

以上説明したとおり、原告の本訴請求は、その理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 西川正世 間中彦次)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com