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金沢地方裁判所 昭和35年(タ)6号 判決

原告 近岡俊夫

被告 近岡千秋

主文

原告と被告とを離婚する。

原、被告間の長男正樹の親権者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告と被告とは昭和十八年四月二十日婚姻の届出をした夫婦で、その間に長男正樹(昭和十八年九月二十一日生)が出生した。

(二)  被告は生来神経質であつたが、次第にその性癖が極端となり、昭和二十七年頃から、意味のないことを口走つたり茶椀を割る、障子、襖を破る、更に手当り次第に物を投げつけるなどの異常な行動をするようになり、その精神に異常をきたしていることが明らかとなつた。このため原告は被告を、昭和三十一年五月に金沢市内の松原病院に、昭和三十二年二月には国立金沢病院精神科に、同年夏からは同市内の常盤園にそれぞれ入院させて治療を受けさせたが、診断の結果、被告は精神分裂症で到底回復の見込のないことが判明した。

(三)  原告は、被告が発病した昭和二十七年頃から今日まで約十年間一貫して、被告の入院治療、自宅療養の看護をし、かつ月額約六千円の入院費用を負担してきたのであるが、原告自身は訴外石川交通株式会社に勤務する一会社員で月額約二万円の給料の外には何らの収入も資産もなく、その上、高等学校在学中の長男正樹を扶養しなければならない立場にある。原告は最初のうちはいささかの貯えもあつたが、それも間もなくなくなり、その後は労働金庫や県の医療保険からの借金会社からの給料の前借等で被告の入院費用を支出している実状であつて、このまま進むならば、原告の経済的窮乏はますますつのり、遂には親子三人共倒れになる危険が多大であるが、反面被告は、原告と離婚しても社会保護施設を利用してその費用は国の負担によつて引続き入院加療を受けられる状況にある。

(四)  被告は、右のとおり、強度の精神病にかかり回復の見込がないから、民法第七百七十条第一項第四号に該当し、離婚の原因となる(なお同条項の「強度の精神病」とは、精神的共同が完全に失われていることを要するものではなく、愛情及び生活共同体としての婚姻を維持していくことのできないこと即ち精神病の配偶者の精神的生活に対する協力及び子供の肉体的精神的道徳的発育に対処できる能力を有しているか否かによつて判断すべきものである)。仮に右主張が理由ないとしても、原、被告間の婚姻生活は、被告の長期にわたる病気のためすでに客観的に破綻をきたし、その婚姻を継続し難い重大な事由があるものというべく、同項第五号により離婚の原因となるものである。

(五)  よつて、原告は、ここに原告と被告とを離婚し、かつ前記正樹の親権者を原告と定める旨の裁判を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、

立証として、甲第一、二号証を提出し、証人桑原貞雄、同昇塚清民の証言及び原告本人の尋問の結果を援用した。

被告は請求棄却の判決を求め、答弁として、

原告主張事実中、(一)、(二)の事実(但し被告が精神分裂症で回復の見込のないことを除く)及び(三)のうち、原告が訴外石川交通株式会社に勤務する一会社員で、僅かな給料のなかから長男正樹の養育と被告の治療、看護に当つてきたことは認めるが、その余は争う。

と述べ、甲第一号証の成立を認める、甲第二号証は不知、と述べた。

当裁判所は、職権で被告本人を尋問した。

理由

その方式及び趣旨により真正に成立したものと認めることのできる甲第一号証(戸籍謄本)によれば、原告と被告とは昭和十八年四月二十日婚姻の届出をした夫婦で、その間に長男正樹(昭和十八年九月二十一日生)が出生した事実を認めることができる。

よつて、原告主張の離婚原因の有無について判断するに、証人昇塚清民の証言により真正に成立したものと認めることのできる甲第二号証(精神鑑定書)並びに証人桑原貞雄、同昇塚清民の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告は原告と婚姻後約十年間は格別異常な点はなかつたが、昭和二十七年頃から被害妄想、関係妄想が認められるようになり、近所の者が自分の噂をしているとか、悪口を言つているなどと言つて落ち着かず、夜間の睡眠障碍も現われるなど精神分裂病の症状を呈してきたので、その頃金沢市内の松原病院に約二ケ月間入院して治療を受けたところ、当時一応寛解状態となつて退院したが、昭和三十年頃再び右と同様の状態になり、その後は、昭和三十年に約二ケ月間、昭和三十一年に約三ケ月間、それぞれ国立金沢病院に入院し、更に昭和三十二年に約二ケ月間、同年十二月から昭和三十三年六月にかけて約六ケ月間、昭和三十三年九月から昭和三十四年一月にかけて約四ケ月間、昭和三十四年中に約四ケ月間それぞれ金沢市内の常盤園に入院して治療を受けたこと、そして、被告の病状は、入院治療を受けると、比較的短期間に寛解状態になるが、退院すると間もなく再発し、爾来数年間再発、退院を繰り返していたところ、昭和三十五年一月頃には、意味のないことを口走つたり、水道の蛇口を開き放しにしたり電燈を点滅しながら床を踏み鳴らしたり、時には急に刺激的となつて原告や長男正樹に反抗したりするなどの言動が認められたので、原告がその頃再び常盤園に入院させ、爾来現在に至るまで右常盤園において治療を受けさせているが、現在の症状は姿態、表情、態度などには異常がなく、病院職員に対しても従順でよくその指示に従い、入院時に認められた被害妄想、刺激的言動及び異常行動等の陽性症状は認められないが、反面その言動は積極性に乏しく、病識を欠き、又感情障碍殊に喜怒哀楽の感情表現の鈍麻並びに他人に対する思いやり、社会生活における道徳感情などを含めた感情の鈍麻が著しく、陰性症状を主とした状態に至つており、治療により一時は寛解状態になるけれども、全休として観察するならば、漸次精神分裂病の人格荒廃の過程をたどりつつあつて、将来の社会復帰は至難であると認められる状況にあり、昭和三十五年十二月には金沢家庭裁判所において準禁治産宣告を受けるに至つたことを認めることができる。

そこで、本件の場合、民法第七百七十条第一項第四号所定の離婚原因に該当するか否かについて考えるに、右法条の「強度の精神病」とは、必ずしもその夫婦間の精神的共同が完全に失われていること、あるいは精神病の配偶者が心神喪失の常況にあることを意味するものではなく、その精神障碍の程度が婚姻の本質ともいうべき夫婦の相互協力義務殊に他方の配偶者の精神的生活に対する協力義務を十分に果し得ない程度に達しているか否かによつて決すべきものと解されるところ、前段認定の事実によれば、被告の現在の症状は、被害妄想、刺激的言動及び異常行動等の陽性症状は消失しているけれども、その言動は積極性に乏しく、病識を欠き、又感情障碍も著しく、漸次精神分裂病の人格荒廃過程をたどりつつあるというのであつて、現状においては、その意思能力を全く欠くとはいえないとしても一般社会人としての能力はもとより、家庭内の主婦としての日常生活の能力すら持ち合わせていないことが窺われるから、右はまさに前記の「強度の精神病」にあたるものというべく、又被告がすでに八回の再発を繰り返し、治療により一時寛解状態になつても、又再発することが予想され、将来の社会復帰は至難であると認められる状況にあること前記のとおりであるから被告の右精神病については、「回復の見込がない」ということができる。

以上のとおりであつて、本件は民法第七百七十条第一項第四号所定の離婚事由に該当するものというべきである。そこで、右事由のみを以て直ちに原告と被告との離婚を認めてしかるべきかどうかについて案ずるに、証人桑原貞雄の証言及び原告本人の尋問の結果によれば、原告は、被告が発病した昭和二十七年頃から今日に至るまで約十年間、独力で長男正樹(現在高等学校在学中)を養育するかたわら、被告の自宅療養の看護をし、又入院費用(前記松原病院は月額約五、六千円、国立金沢病院は月額約七千円、常盤園は月額約六千円)をも負担してきたが原告自身は、金沢市内の訴外石川交通株式会社に現場事務員として勤務している者で、現在月額約二万円の給料を支給される以外には何らの収入も資産もなく、最初のうちは若干の貯金があつたが、それも間もなくなくなり、その後は労働金庫からの借金や会社から給料の前借などによつて、辛じて被告の入院費用を調達してきたが、被告の入院期間が長期にわたるに及び、その生活は次第に窮迫してきて、この上なお長期にわたつて多額の入院費用を負担することは到底不可能な状態に立ち至つたこと、ところで、被告の近親としては実兄桑原貞雄の外、他に嫁いだ姉二人があるが、右桑原貞雄は昭和三十五年頃事業に失敗して現在無資力であり、又他の二人の姉からもその経済的援助を期待できない実状にあるため、原告は、前記常盤園の医師や民生委員に右の事情を訴えて、今後の方策を相談したところ、「被告が原告と離婚し、扶養義務者がないことになれば、国の負担において入院加療を受けられる見込があり、現にそのような実例もある、」旨教えられたので、遂に被告との離婚を決意して、被告の近親者とも相談の上本訴を提起するに至つたものであることが認められるのであつて、これを被告の立場からみれば、人生のなかばにして不治の精神病におかされた不幸はまことに同情に堪えないものがある。しかし、他方被告の右病因については原告の責に帰すべき事由の存在する事実は認められないのみならず、原告は薄給の一会社員で何ら資産もないのに、独力で未成年の長男正樹の養育にあたりつつ、すでに約十年の長きにわたつて被告の入院費用の負担やその療養看護にできる限りの力を尽くし、将来に対する何らの希望も持てず、現在とても入院費用のための借金の返済に追われながら、辛じてその生計を維持しているのであつて、この上更に夫婦なるが故に回復の見込のない精神病の配偶者の終生の看護を原告に要求することは酷にすぎるものといわなければならない。しかも本件においては、前認定のとおり、被告が離婚後も社会保護施設を利用してその費用は国の負担で引続き入院加療を受けられる見込があり、かくては原告自身も道義上の責任を以つて被告の今後の生活の維持に尽力すべく決意していることが窺われるのであつて、かような諸事情を考慮するならば、民法第七百七十条第二項を適用することなく、原告の本訴請求を正当としてこれを認容するのが相当である。

なお本件離婚については、原、被告間の長男正樹の親権者を原告とすることの相当であることは明らかであるから、同人の親権者を原告と定め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松岡登)

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