大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

長野地方裁判所 昭和62年(ワ)86号 判決

原告

矢川三男

外三四名

原告ら訴訟代理人弁護士

中山修

中村隆次

武田芳彦

木下哲雄

川上眞足

松本信一

高井新太郎

大門嗣二

戸崎悦夫

佐藤豊

田中善助

和田清二

池田豊

栗林正清

中村田鶴子

上條剛

武田芳彦訴訟復代理人弁護士

内村修

中山修訴訟復代理人弁護士

酒井宏幸

被告

長野県

右代表者知事

吉村午良

同公営企業管理者

市川衛

被告訴訟代理人弁護士

宮澤増三郎

宮澤建治

石津廣司

竹内喜宜

宮澤建治訴訟復代理人弁護士

小林正

田下佳代

中嶌知文

被告指定代理人

久保田俊一

外三名

主文

一  被告は、原告らに対し、別紙(二)認容金額一覧表①欄記載の各金員及び内同表②欄記載の各金員に対する昭和六〇年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、別紙(三)請求金額一覧表(イ)欄記載の各金員及び内同表(ロ)欄記載の各金員に対する昭和六〇年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、長野市郊外の市街地に接して所在する地附山の南東斜面において大規模な地すべりが発生し、流下した土砂がその麓近くの下部山腹に造成された湯谷団地にまで押し寄せ、土地が埋没したり多数の家屋が全半壊するなどの被害が生じたことから、同団地内に土地・家屋・家財等を所有していた者ないしその承継人らが、①右地滑りは被告によって地附山に開設された有料道路の設置又は管理に瑕疵があったために生じたとして国家賠償法二条一項に基づき、②被告は普通地方公共団体として右のような災害の発生を未然に防止すべき義務があるのにその公権力の行使に当たる公務員が過失により右義務を怠ったとして同法一条一項に基づき、③右災害は被告が同団地を造成・分譲するに際し、(ⅰ)後背斜面の危険性についての調査を怠り安全確認義務に違反したとして民法七〇九条(不法行為責任=製造物責任)に基づき、(ⅱ)売買契約の履行として災害のない安全な住宅地を給付すべき義務があるのにこれを怠ったとして同法四一五条(債務不履行責任)に基づき(被告から直接土地を買い受けた者ないしその承継人についてのみ)、(ⅲ)売買契約により給付した土地の後背斜面が崩壊する危険性があったことは住宅地として通常備えるべき安全性を欠いた瑕疵があるとして同法五七〇条(瑕疵担保責任)に基づき(右同様の原告についてのみ)、それぞれ原告との関係において右のような立場にある被告に対し、土地・家屋・家財等の滅失・毀損・価値低下による損害及び逸失利益並びに慰謝料の賠償を請求する事案である。

一  判断の前提となる事実

(証拠を摘示した事項以外は当事者間に争いがない。)

1  本件災害の発生

(一) 昭和六〇年七月二六日午後五時ころ、長野市郊外(同市上松地籍)に所在する地附山(標高七三三メートル)の南東斜面において、最大流出幅が約五〇〇メートル、流出土砂末端までの長さが約七〇〇メートル、面積が約二五ヘクタール、滑動土塊量が少なくとも約三六〇万立方メートルに及ぶ大規模な地すべりが発生した(以下「本件地すべり」といい、地附山南東斜面のうち地すべりが発生した部分を「本件地すべり地」という。なお、これを図示すると、別紙(四)において太線で囲んだ部分である。)。

(二) 本件地すべりにより流出した土砂は、地附山の下部山腹(標高約五一〇メートル地点)にあった「長寿荘」(長野地域広域行政事務組合の設立に係る老人ホームで、昭和二八年設立当初の名称は「長水養老院」。以下「長寿荘」という。)に押し寄せ、死者二六名及び重軽傷者三名の被害を生じさせ、また、湯谷団地に流下した土砂により、一部の土地が埋没したほか、住家の被害が全壊家屋五〇棟(四七世帯、一五七名)、半壊家屋五棟(四世帯、一四名)、一部損壊家屋九棟(九世帯、三二名)に及び、更に、同団地住民に対し本件地すべり直前及びその後三回にわたって長野市長から立退指示が発せられたため長期間の避難生活を余儀なくされたばかりでなく、本件地すべり発生直後に応急対策として同団地の上部(西側)にH型鋼の杭が連続して打ち込まれるなどしたため家屋への出入りができなくなった住民が多数出現した(以下、本件地すべり及びこれによって生じた右のような被害を総称して「本件災害」ということがある。)。

2  当事者の地位等

(一) 被告は、普通地方公共団体たる県であって、その知事の事務部局に土木部を置き、地すべり対策等の防災に関する事務を処理し、また、地方公営企業法に基づく公営企業としてその管理者の権限に属する事務を処理するために長野県企業局(以下「企業局」という。)を置き、県営戸隠一般自動車道(以下、その通称に従い「バードライン」又は「戸隠有料道路」という。)を開設・経営し、湯谷団地を造成・分譲したものである。

(二) 原告ら(ただし、番号12の(1)ないし(4)、番号31、番号33ないし35の各原告を除く。)は、本件災害当時、湯谷団地内に土地・建物・家財等を所有していたものである。

番号33ないし35の各原告は、本件災害当時、番号32の原告和田要子とともに同団地内に土地・建物等を所有していた和田光太郎の子であって、同人が昭和六〇年八月一二日死亡したことによりそれぞれ六分の一ずつ同人の権利を承継した。なお、右原告和田要子は、亡光太郎の妻であって、右同様相続により同人の権利の二分の一を承継した。(右相続による権利の承継につき損甲第二八号証の一二)

番号12の(1)ないし(4)の各原告(亡飯嶋敬紀訴訟承継人)は、本件災害当時、番号13の原告(本人兼亡飯嶋敬紀訴訟承継人)飯嶋俊枝とともに同団地内に土地・建物等を所有していた訴訟承継前の原告飯嶋敬紀の子であって、同人が平成四年一月二日死亡したことによりそれぞれ八分の一ずつ同人の権利を承継した。なお、右原告飯嶋俊枝は、亡敬紀の妻であって、右同様相続により同人の権利の二分の一を承継した。(右相続による権利の承継につき損甲第二三号証の一及び弁論の全趣旨)

番号31の原告は、本件災害当時、同団地内に土地を所有していた岩崎則男が平成三年一二月二四日長野地方裁判所において破産宣告を受けた際、その破産管財人に選任された者である。

3  地すべりの意義・特質等

(一) 地すべり等防止法(昭和三三年法律第三〇号)においては、「地すべり」とは「土地の一部が地下水等に起因してすべる現象又はこれに伴って移動する現象をいう」(同法二条一項)と規定して、崩壊現象をも含んで広義の意味に用いているが、地質学・土質力学等の学説においては、必ずしも定説により厳密に区分されているわけではないものの、一般に、地すべりとは相当広い範囲の地域の土地が重力の作用を受けて徐々に下方に移動する現象をいい、崩壊(山崩れ)が山腹の急斜面にある岩石又は土壌層が種々の原因によって安定を失い重力によって急激に崩れ落ちる現象であるのと区別されている。そして、地すべりは、斜面勾配が緩い部分において、地表面下深い部分に生じたすべり面を滑動し、規模が比較的大きいのに対し、崩壊は、急斜面において、事前に地表面で変状が見られないのに突発的に起きる表層部分の崩れであって、規模はさほど大きくないというように対比することができる。なお、近時では、両者を含めて斜面の地塊が一団となって自重により下方へ移動する運動を包括してマスムーブメントあるいはマスウェスティングということもある。

(二) 地すべりは、現象的には、緩慢な地塊の移動から始まり、次第にその速度を増して、最後には破壊的なすべりに移行して土塊が崩落するというタイプのものであり、多くは継続的ないし再発的な運動形態を取るものと理解されている。

(三) 地すべりの原因としては、岩質、地質構造、地形及び風化状態等の素因と、降雨及び融雪等の気象条件ないしこれによる地下水の状況並びに切土・盛土による応力変化等の誘因が考えられる。そのうち最も大きい誘因である降雨や融雪による浸透水の作用は、浸透水が土中の間隙に侵入して土の剪断強さを低下させる場合と浸透水が地下水に加わって地下水位又は地下水圧を増加させた結果剪断抵抗の低下を生ずる場合とがあり、一般に、地下水の影響が極めて大きいことが知られており、人為的誘因としては、道路建設に伴う斜面の切取りや盛土を行うと、斜面内の応力を変化させ、切土による剪断抵抗の低下あるいは盛土の荷重の増加によるすべり出す力の増大によって地すべりが発生することがあるとされている。

(四) 地すべりは、本州の中央部を南北に横断するフォッサマグナを中心として日本海に沿って東西に分布する新第三紀層(グリーンタフ地帯)に群発しており、本件地すべりの生起した長野県北部も、この第三紀層地すべり地帯に入っており、国内でも有数の多発地域である。

(五) かつて崩壊又は地すべりによってできた地形の場所が再び移動を開始して地すべりとなることが大部分であるが、旧地すべり地形は、貝殼を伏せたような形態を呈していることが多く、頭部に馬蹄形の急斜面又は断崖(滑落崖)があって、その直下に凹地又は平坦地があり、それに続いて緩斜面があり、その下方にやや急な斜面が続くというような特徴ある地形をなしている。このような地形は、現地踏査や空中写真により判定できるほか、等高線の乱れから地図上で判読できることもある。

(六) なお、地すべりに対する防止工としては、大きく分けて、地形・土質・地下水等の自然条件を変化させることによって地すべり運動を停止させ又は緩和させることを目的として行われる抑制工と、抑止構造によって地すべり運動の一部又は全部を抑止してその付近の施設や民家等を防災することを目的とする抑止工とに分けられるが、抑制工のうちの地下水対策(地下水排除工)には、浅層地下水排除工としての暗渠工・明暗渠工及び横孔ボーリング工と、深層地下水排除工としての長い横孔ボーリング工及び集水井工等がある。

(以上につき、甲第四ないし第六号証、第九ないし第一三号証、第一四号証の一、第一五ないし第一九号証、第二二ないし第二五号証、第三二ないし第四二号証、乙第二〇号証及び第九六号証並びに弁論の全趣旨)

4  地附山の本件地すべり以前の形状及び地質等

(一) 長野市の中心部が所在する長野盆地(善光寺平)は、北東―南西方向の約四〇キロメートルに及ぶ長軸を持ち、最大幅が約九キロメートルのほぼ紡錘形をした盆地であり、周辺山地からの流入河川の扇状堆積物に覆われた平坦な地形を呈し、周辺の山地との境界は明瞭である。(甲第一号証、乙第二〇号証)

長野盆地の北西には標高約七〇〇ないし九〇〇メートルの山々が存するが、これらの山と盆地平坦部との境界は直線的で明瞭であり、その縁部には急崖が連続し、山地斜面は急傾斜を示しており、また、その山頂部は大峯面群と呼ばれる侵食平坦面をなしている。

この盆地北西縁部の山地には、新第三紀層の浅川泥岩層や裾花凝灰岩層が分布しているが、そのうち裾花凝灰岩層は、厳しい火山活動に伴う噴出物により構成された地層であり、岩層によって大きく下部層・中部層・上部層に区分され、主として中部層の中に水を含むと体積が膨張してグリース状になるモンモリロナイトが含まれている。(裾花凝灰岩層の特質につき甲第一、第二号証、乙第二〇号証)

(二) 地附山は、長野駅の北方約三キロメートル、同市郊外の上松地籍に所在し、市街地とは近接した場所にあり、前記の長野盆地北西縁部の山地に属し、東―南東斜面において長野盆地と接している(その位置関係は別紙(四)地附山地すべりの位置記載のとおりである。)。

その山体は、南北約二キロメートル、東西約1.3キロメートルの楕円形状をなしており、標高は七三三メートルである。

(三) 地附山の地質層序は、前記の浅川泥岩層の上位に裾花凝灰岩層があり、その上に過去の崩積土が堆積して厚い層をなしている。

(四) 地附山の南東斜面は、山麓線が平均標高四二〇メートルの長野盆地の平野部と接し、その上に標高四四〇メートルから四六〇メートルにかけての段丘(湯谷段丘下位面)と同四七〇メートルから四八〇メートルにかけての段丘(湯谷段丘上位面)が存在し、更に、標高五一〇ないし五三〇メートル、同六〇〇メートル、同七〇〇ないし七三〇メートルの位置にそれぞれ緩やかな台地があり、その間に急な斜面が発達するなど、多段状の地形を呈している。

そして、標高五六〇メートルより上部はおおむね針葉樹(天然アカマツ)を主体としてその間に広葉樹(ミズナラ等)が混在する複相林で占められ、その下から湯谷段丘下位面までは果樹園として利用されてきており、後に湯谷団地が造成された湯谷段丘の低湿地には水田も存在していた。

なお、地附山の山頂部は、大峯面群を構成する緩やかな平坦地形であり、昭和三六年四月から同四八年八月までの間、長野市によって観光開発され、遊園地やスキー場が設置されたことがあったものの、その後は利用されないまま放置されてきた。

(五) そして、後記のとおり地附山南東斜面にはバードラインが建設され、更にその下の麓近くの山腹に湯谷団地が造成されたが、本件災害に至る前の各種施設の状況及び位置関係は別紙(五)に表示されたとおりである(以下の判示において同所における各地点及び施設を表示するときは、同図面に掲記された名称を用いることとする。したがって、地点を表示する際に用いる数字は、料金所の手前(南)約二〇メートルのバードラインの起点から路面に沿って計測した距離を意味する。)。

5  バードライン建設の経緯及び状況

(一) 被告においては、昭和三五年ころから土木部が観光開発及び過疎地振興を主眼とする有料道路建設を計画し、その中に飯鋼及び戸隠方面への路線も含まれていたが、昭和三七年には企業局が右有料道路の建設を行うこととなり、翌三八年三月の県議会においてその実施が承認され、同年五月六日付けで自動車道事業経営の免許を受けた上、道路運送法に基づく一般自動車道として建設されることとなった。その際、起点は長野市大字上松字駒形東平一九八六番地とされ、長寿荘(当時は長水養老院)脇の料金所から地附山南東斜面を屈曲して上る路線が選択され、その名称は戸隠有料道路(バードライン)とされた。

(二) 被告(企業局)は、右の免許取得に先立ち、同年四月一〇日に長野市大座法師池から戸隠村男鹿沢まで(約7.3キロメートル)の第一期工事に着手し、更に、同年九月一九日には長野市桜坂から同市大座法師池まで(約9.6キロメートル)の第二期工事(地附山南東斜面部分は第一工区としてその中に含まれている。)に着手し、翌三九年八月までに完工した上、同年九月一六日全線について供用を開始した。

(三) なお、地附山における道路建設に際しては、全幅員6.5メートル(車道幅員5.5メートル)の道路面、側溝、擁壁その他の構造物、法面に当たる部分の木を伐採し、表土を削って整地するなどの工事を行い、随所において山体に対する切土及び盛土の工事を行った。そのうち主要な切土箇所は0.8キロメートル付近、1.07キロメートル付近、1.74キロメートル付近及び1.9キロメートル付近、主要な盛土箇所は1.52キロメートル付近及び1.8キロメートル付近である(これを図示すると、別紙(六)のとおりである。)。

(四) そして、被告(企業局)は、昭和四〇年四月から同年一〇月までの間に全区間の舗装工事を行い、また、当初谷側に展望台だけが設置されていた1.5キロメートル地点の山側の凹地に残土を埋めて広場とした上、その後駐車場を設置した。

6  湯谷団地造成・分譲の経緯及び状況

(一) 被告(企業局)は、昭和四一年ころ長野県第一期住宅建設五カ年計画を定め、同計画の一環として前記の湯谷段丘上位面及び下位面を宅地開発する計画を策定し、昭和四三年から同四六年にかけて用地を買収した上、昭和四三年一〇月から宅地造成工事に着手し、翌一一月に第一次分譲を開始し、昭和五三年までに二四六区画を販売した。(造成・分譲の詳細につき乙第八〇号証及び弁論の全趣旨)

(二) 右のようにして地附山麓の台地に造成された団地は、南北に最長六〇〇メートル、東西に最長三〇〇メートル、面積一二万三五九一平方メートルの規模を有し、湯谷団地と呼ばれる県下最大の分譲団地となった。

なお、同団地は、前記の段丘面を利用して造成した結果、その西側に地附山の南東斜面を控えることになったが、その斜度は、測定個所・方角・水平距離の取り方にもよるが、標高五二六ないし五三六メートルの山腹から同団地方向に向けて、水平距離一五二ないし二〇四メートルで約一五ないし一六度、同七六ないし一一三メートルで約二四ないし二六度であり(部分的にみれば、三〇度以上の勾配となることもあり得る。)、かなり急な後背斜面を間近に抱えることとなった。(乙第一〇一号証及び弁論の全趣旨)

7  本件地すべり発生に至るまでの経緯

(一) 地附山南東斜面のバードラインの路面及び擁壁等には、遅くとも昭和四八年以降、次に掲記するような変状が発生しているのが確認され、その都度、被告(企業局)により補修措置が講じられた。

(1) 昭和四八年

・ 0.8キロメートル付近の石積擁壁に亀裂

(2) 昭和五二年

・ 1.07キロメートル付近の石積擁壁に亀裂

(3) 昭和五三年

・ 0.8キロメートル付近の法留石積に亀裂

・ 1.5キロメートル付近の路面の沈下

(4) 昭和五五年

・ 0.8キロメートル付近の法留に沈下・亀裂

(5) 昭和五六年

・ 0.8キロメートル付近の路面の沈下(段差)、法留擁壁にずれ

・ 1.07キロメートル付近の石積擁壁に亀裂・路面の陥没

・ 1.5キロメートル付近の路面に亀裂・陥没

・ 1.7キロメートル付近の石積擁壁に亀裂

・ 1.8キロメートル付近の上部(北東)の山腹に段差を伴うアーチ状の亀裂

・ 1.9キロメートル付近の石積擁壁に亀裂、路面の陥没

(6) 昭和五八年

・ 1.07キロメートル付近の路面の陥没・開口亀裂(乙第四号証、第二〇号証、証人西澤和夫)

・ 1.5キロメートル付近の路面の陥没・開口亀裂(右同)

(7) 昭和五九年

・ 1.07キロメートル付近の路面の陥没・開口亀裂(乙第五号証、証人西澤和夫)

・ 1.5キロメートル付近の路面の陥没・開口亀裂(右同)

(二) 被告(企業局)は、前記のようなバードラインの変状について、その原因を究明して対策を立てるために民間の地質調査コンサルタント会社に調査を委託し、次のとおり報告書の提出を受けた。

(1) 「戸隠有料道路地質調査報告書」

(乙第一号証。以下「五六年報告書」という。)

・ 調査会社=株式会社中部地質(以下「中部地質」という。)

・ 調査期間=昭和五六年七月ないし八月

・ 報告書提出=同年八月

・ なお、同社は、同年九月に「地質調査報告書(追補)」(乙第二号証。以下「五六年報告書追補1」という。)、同年一一月に「地質調査報告書」(乙第三号証。以下「五六年報告書追補2」という。)をそれぞれ提出して、その調査結果を補充した。

(2) 「昭和五八年度戸隠有料道路地すべり対策調査委託報告書」

(乙第四号証。以下「五八年報告書」という。)

・ 調査会社=明治コンサルタント株式会社(以下「明治コンサルタント」という。)

・ 調査期間=昭和五八年一二月ないし昭和五九年三月

・ 報告書提出=昭和五九年三月

(3) 「昭和五九年度戸隠有料道路地すべり対策調査委託工事中間報告書」

(乙第五号証。以下「五九年中間報告書」という。)

・ 調査会社=明治コンサルタント

・ 調査期間=昭和五九年四月ないし同年九月

・ 報告書提出=昭和六〇年一月

(4) 「昭和五九年度戸隠有料道路地すべり対策調査委託(上松二工区)報告書」

(乙第六号証。以下「五九年第二報告書」という。)

・ 調査会社=明治コンサルタント

・ 調査期間=昭和五九年一一月ないし昭和六〇年一月

・ 報告書提出=昭和六〇年一月

(5) 「昭和五九年度戸隠有料道路地すべり対策調査報告書」

(乙第七号証。以下「五九年最終報告書」という。)

・ 調査会社=明治コンサルタント

・ 調査期間=昭和五九年一一月ないし昭和六〇年一月

・ 報告書提出=昭和六〇年三月

(三) 昭和六〇年に入ると、三月以降の融雪期に前記のようなバードラインの変状が拡大したが、同年六、七月の梅雨期には長野地方気象台の観測史上第二位という多雨を記録し(第一位の昭和三八年の梅雨期(五月六日から七月二四日まで)が七三日間の降雨で合計五二一ミリメートル(一日当たり7.1ミリメートル)であるのに対し、昭和六〇年の梅雨期(六月八日から七月一五日まで)は三七日間の降雨で合計449.5ミリメートル(一日当たり12.1ミリメートル)であり、日平均降雨量では最も多かったことになる。なお、梅雨期の日平均降雨量は五ないし六ミリメートル程度であり、その約二倍に当たる多量の雨が本件地すべり前に降ったことになる。)、その間、同年六月下旬には0.8キロメートル付近で弧状ないし馬蹄形状の段差が発生し、1.07キロメートル付近で弧状の段差が数多く発生するなどしたため、被告(企業局)は、同年七月一二日、バードラインの一般通行を禁止した。その後、同月二〇日深夜、1.07キロメートル付近の斜面から幅約二〇メートルにわたり約一万立方メートルの土砂が崩落し、泥流化して流下したためその一部が湯谷団地北部の最上部にある運動場に達し、住民に対して団地自治会長からするように指示が出されるなどした。(降雨状況につき甲第一、第二号証、第七六号証、乙第二〇号証、第四九ないし第五一号証)

そして、同月二六日午前八時二七分ころ、0.8キロメートル地点(山側)のコンクリート擁壁の上部が土の押出しにより倒壊し、同日午後三時一四分にも擁壁が倒壊するなどの変状が著しくなったことから、午後四時三〇分に湯谷団地上部の三八戸に対して長野市長から立退指示が出された後、本件地すべりが発生した。

二  争点に関する当事者の主張

1  責任原因について

(以下、本件地すべり発生当日の事項については年月日の表示を省略して時刻のみ掲記することがある。)

(一) 本件地すべり発生の機序

(1) 原告ら

① 本件地すべりの発生状況は別紙(七)の(1)記載のとおりである。

すなわち、午後五時前(最初に確認されたのは午後四時五八分)、同図表示①の部分(いわゆる「初期移動域」)の土塊ないしはそれに押し出された土塊が湯谷団地北部グラウンド方向に向かって滑動を開始し、次いで、五時ころから五時一〇分ころ、初期移動域の動きに引きずられて、同図表示②の1.5キロ付近の下部斜面が崩落し、更に、五時一〇分から五時一五分ころ、同図表示③の0.9キロから1.0キロの間の斜面が崩落し、五時一五分ころから、同図表示④の1.65キロ付近の斜面が崩落、五時二〇分ころから、同図表示⑤の1.8キロないし1.9キロ付近の斜面が崩落、五時三〇分ころ、右③ないし⑤の崩落土塊が標高五六〇メートル付近より下の緩斜面(同図表示⑥の付近)をブルドーザーが土砂を押すようにしてゆっくりと流下し、その末端が湯谷団地南部に流入するとともに、そのころ、0.8キロ付近の上部斜面が右と同様の状態で流下し、五時三五分ころ、松寿荘に流入したものである。

② 本件地すべりは、その当日に突然発生したものではなく、バードライン建設後、遅くとも昭和四八年ころから徐々に滑動を開始し(潜在すべり)、昭和五六年ころからは亀裂・陥没等の地すべり性変状を顕著に伴いつつ緩慢に移動し(確定変動)、その後、滑動の度を強めて行き、昭和六〇年七月一二日以降急激な滑動を始め、同月二六日午後五時前にいわゆる初期移動域が湯谷団地北部グラウンド方向に流下し、その後、前記①の経過をたどって、押し出された土塊の末端が湯谷団地南部へ押し寄せたものである。

その滑動部分を大きく見ると、標高五六〇メートル(配水池の裏)より上の「発生域」(その中には、崩落の原因となった部分及びこれに引っ張られて落ちた部分(頭部)とがある。)と、それより下の「押出域」に分けられるが、地すべりを起こす原因となった場所は、右の発生域の中にあったトラックカーブ内の斜流谷を頭部とし、標高五六〇メートル付近(配水池の裏)を脚部とする範囲にしぼられることが明らかである。

そして、右の発生域である標高五六〇メートルより上の斜面(バードライン0.8キロから1.9キロ地点までの山腹斜面)には、昭和四八年以降各所に地すべり性の変状が繰り返し発生してきたのであり、特にトラックカーブ内の斜流谷部を滑落崖とする古い地すべりの跡地は、地すべりの前駆現象が集中して発生しており、前記の初期移動域が形成された場所と裏腹の関係に当たっている。

右の初期移動域並びに発生域及び押出域の位置関係は、別紙(七)の(2)のとおりである。

③ 地すべりが地下水によって誘発され、地すべり滑動と地下水が重要な関係を持っていることは、学問的に常識というべきであるから、本件地すべりの原因は、初期移動域の地下底部に地下水が過剰に供給され、それが貯留されたことにあり、その過剰供給は、右トラックカーブ内の斜流谷がバードライン建設後、自然状態に比して過剰に降雨・融雪水を集め、これを地下深部に供給したことによると考える以外には合理的な説明ができない。

④ 本件地すべりの発生状況が原告ら主張のとおりであることは、空中写真(甲第一〇四号証)に現れた崩落直後の地形、地すべり地内の各種構造物の移動方向及び移動量、本件地すべりの状況を撮影したビデオテープ及びその他の写真、これを目撃した関係者らの供述、昭和四八年以降に前駆現象として現れたバードライン各所における変状との対応関係、右変状と地下水との相関関係、右の初期移動域が地下水谷の存する鬼沢水系の源頭部に当たるトラックカーブ内の斜流谷に位置していること等に照らして、明らかである。

(2) 被告

① 本件地すべりの際に発生した現象を時間的経過に従ってまとめると、次のとおりである。

まず午後五時前後に1.78キロメートルの法面が崩壊するとともに、樹木の根切れの音がし、五時二〇分に1.07キロメートル地点の小崩落が始まり、五時二四分ないし二八分に0.8キロメートル地点の石積が崩落し、五時二六分に1.9キロメートル地点の木が倒れて崩壊が始まり、五時二七分ないし二八分に1.5キロメートル付近の長野放送(NBS)のアンテナが倒れ、その数分後(五時三〇分ないし三五分)に横山宅付近(標高約五四五メートル)のNHK・FMのアンテナや近傍の電柱が傾動し、更に、五時三〇分に松寿荘裏あたりで砂煙が上がり、その後、五時三五分に料金所前の畑が持ち上がるなどしたが、横山宅を載せる緩斜面は滑落直前においても変状が見られなかった。

② 右のような地すべり現象の経過、滑落前後の斜面の状況について空中写真・ビデオテープや目撃者の供述等により把握した結果により作成された本件地すべり地のブロック分け、土塊の移動方向及び移動量、地すべり発生前に測定された水平移動量のデータによる各地点間の比較等によれば、本件地すべり地においては、別紙(八)のとおり四つの滑動塊と三つの流動塊が存在したものと考えられる。

すなわち、標高五六〇メートル付近より上部ですべった土塊は、中央部の「主滑動塊」(MB)及び「上部従属滑動塊」(SBU)並びに西側側面に位置する「西部従属滑動塊」(SBW)に分けられ、その全域がほぼ同時に滑動した。

また、それより下方の斜面においては、主滑動塊がこの上を滑るように流下して表層を削り落としたものではなく、それ自体で独自のすべり面をもつ地すべりブロックである「下部従属滑動塊」(SBL)が主滑動塊によって押出され、これとほぼ一体となって滑動したものである。

そして、下部従属滑動塊の末端の遷急線付近(標高五一〇メートル)ですべり面が地表に現れたため、この滑動地塊の先端部の「中央流動塊」(FC)が湯谷団地の背後の急斜面を流下して同団地にまで押し寄せ、主滑動塊の東側においては、末端部の「東部流動塊」(FE)が最大傾斜方向の斜面である湯谷団地グラウンド上方部の斜面を流下して、団地内の家屋や道路を破壊したほか、その一部が団地内で移動方向を変えて停止し、更に、西側では、主滑動塊のすべり面がバードライン0.8キロメートル付近で地表に現れ、「西部流動塊」(FW)として下方の急斜面を削りながら流下し、下部従属滑動塊の一部とともに松寿荘に押し寄せた。

以上の各滑動塊及び流動塊の移動状況は、別紙(八)の(1)ないし(3)記載のとおりである。

③ 右の主滑動塊は、降雨水の浸透による土塊の飽和度増加に伴う強度低下及び地下水位の上昇に伴う間隙水圧の増加による強度低下に基づくクリープ現象で経年的に斜面の不安定化を生じ、本件地すべり直前にはすべり面の土塊強度が裾花凝灰岩中部層で残留強度とピーク強度の混在状態であったか、あるいは両強度の中間状態に落ち、また旧崩積土層では、飽和度増加による強度低下を来していたとみられ、直接的には、昭和六〇年六月から七月の異常降雨が大きく作用して、上方土塊の不安定化及び下部従属滑動塊の急激な不安定化が進んだことにより滑動を開始し、これに引き続き、すべり面のうち上方部については同年七月二〇日以前に既に潜在すべり面として形成されており、七月一五日ないし二〇日の降雨によって短期間に形成された旧崩積土層内を貫く比較的深い位置での下方部すべり面を有する下部従属滑動塊が押し出されるように従属的に滑動したものである。

④ ところで、ヤンブ法による安定解析の結果によれば、バードライン建設の昭和三八年以前で、かつ降雨がないとした場合の本来の斜面の安全率(FS)は1.49であったが、降雨による間隙水圧の上昇、降雨により地盤の飽和度が上昇し土塊の強度が低下する影響、バードライン建設時の切盛土の影響などの安全率を低下させるすべての事由を考慮しても安全率は1.12であり、これは、昭和四八年以前に多量の降雨があったり、道路建設が行われたにもかかわらず地すべりが発生しなかったことと符合し、前記のような事由だけでは地すべりが発生するとの結論は導き出せない。

そして、下部従属滑動塊は、粘土化した中部層領域に沿って、従前から上方部に潜在すべり面が形成され、主滑動塊の安定度が経年的に低下するのに応じて発達していき、残留強度を呈するほどのレベルに発達していたものの、下方部のすべり面が形成されていなかったために土塊としての滑動がなく、地すべりの前兆挙動が皆無であったが、主滑動塊が活動し始めた時点で力学的影響が極値に達し、極めて短時間にすべり面が形成されたことにより大規模な地すべりとなったものであり、また、下部従属塊が存在し、これが大きく移動したため主滑動塊も引き落とされるように移動したことから、土塊到達距離が大きくなり、湯谷団地にまで達した。

(二) 公の営造物の設置又は管理に関する責任(国家賠償法二条一項)

(1) 原告ら

① 「公の営造物」の設置又は管理の「瑕疵」の意義

イ 国家賠償法二条一項所定の公の営造物の設置又は管理の「瑕疵」は、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうが、これを道路についてみると、単に当該道路における交通の安全性の確保のみではなく、道路の崩壊等により当該道路の近くに居住する国民の生命・身体・財産を侵害しないようにその安全性をも確保するものでなければならないと解すべきである。

ロ そこで、道路管理者は、地形、地質、気象等を考慮し、当該道路の崩壊等により他人の生命・身体・財産に対して危害を及ぼす災害が発生する危険があり、その災害の発生を通常事前に予測することが可能であって、かつ、道路管理者において右危害の発生を未然に防止するために必要な措置を講ずることができたと考えられる場合には、その設置又は管理の瑕疵による賠償責任を免れない。

ハ 右災害の発生を予測することが可能であったか否かの判断は、道路の設置・管理上必要とされる科学の災害発生時における一般的水準によって判断すべきである。その際、自然現象のもたらす災害については、営造物の管理が防災科学の見地を取り入れて検討されるべきものである以上、その発生の危険を定量的に表現して、時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することが困難であっても、当時の科学的調査・研究の成果として、当該自然現象発生の危険があるとされる定性的要因が一応判明していて、右の要因を満たしており、諸般の状況から判断してその発生の危険が蓋然的に認められる場合であれば、これを通常予測し得るものということができる。

ニ なお、被告は本件地すべり地が「公の営造物」に当たらない旨主張するけれども、原告らは、本件地すべり地の全体が「公の営造物」であるとしているのではなく、「公の営造物」であるバードラインの設置・管理の瑕疵が本件地すべりの原因であると主張しているのである。

② バードラインの設置に関する瑕疵

イ 一般に地すべり跡地に切土や盛土をして道路を建設することは、土塊のバランスを崩し、地下水を増加させたり流れを変えることによって、地すべりの再滑動を促す危険性が高いので、できるだけ差し控えるべきであり、仮にやむを得ず建設するにしても、地形・地質・水系を十分に調査した上で万全の防災措置(地すべり対策)を講ずべきであるから、これを欠いて道路を建設した場合には、公の営造物として通常具有すべき安全性を備えていないことになる。

しかるに、バードラインは、次のとおり、古い地すべり跡地に大規模な切土・盛土をし、十分な排水設備を備えずに建設したものであるから、山岳道路として有すべき安全性を欠き、その設置に瑕疵があるというべきである。

ロ バードラインは、別紙(五)記載のとおり、地附山南東斜面において五か所のヘアピン状のカーブにより高度を上げて山頂付近を大きく取り巻いて大峰山方向へと続いているが、その建設場所は、地形的にも地質的にも地すべりの素因を多く備えている旧地すべり跡地であって、保水性の高い崩積土が一面に分布しているばかりでなく、基盤である新第三紀後期中新世の小川層に属する裾花凝灰岩層は、斜面とほぼ平行な流れ盤構造をなし、また、水を含むと膨潤する性質のモンモリロナイトが多量に含まれている。

したがって、道路の建設によって地附山南東斜面の崩積土を切土したり、沢を埋め、水系を変更・破壊して雨水を山体に過剰に供給し、それが浸透し続けると、崩積土及びその基盤の風化を助長し、地すべりを誘発する危険が大きかったものである。

地附山南東斜面の前記のような性状は、バードラインの設計又は建設の段階において、その当時における専門的見地から検討し、空中写真による判読やボーリング調査を行っていれば、容易に判明し得たのに、被告は、これを行わなかったために古い地すべり跡地であることの認識を欠き、右のような場所に道路を建設し、かつ、地すべりに対する配慮や対策を全くしなかった。

ハ 本件地すべり地における切土箇所のうち斜面安定上特に問題があるのは、0.8キロメートル付近(長さ約一〇〇メートルの区間に最大高さ9.2メートル。推定土量一万七〇〇〇立方メートル)及び1.0キロメートル付近(長さ約一〇〇メートルの区間に最大高さ5.4メートル。推定土量五二〇〇立方メートル)であるが、いずれの箇所においても斜面下部の押出しにより石積擁壁に亀裂が生じたものであり、特に0.8キロメートル地点の擁壁部分は、古い地すべり地形の末端の一部をなし、最初に変状が発生した場所であって、この部分の切土が地すべりに対して多大な影響を及ぼしたものと考えられる。

ニ 主要な盛土箇所は、1.8キロメートル付近(長さ約八〇メートルの区間に最大厚さ4.8メートル。推定土量一万立方メートル)及び1.5キロメートル付近(長さ約三〇メートルの区間に最大厚さ6.6メートル。推定土量三一〇〇立方メートル)であるが、そのうち1.8キロメートル地点においては、盛土の下に路盤改良工として布団籠及び粗朶を敷き、布団籠で集めた水を有孔管による暗渠排水でトラックカーブ内の集水枡に引いたものの、その先には排水施設が用意されていなかったため、地下底部に地下水を過剰に供給し、初期移動域の形成及び活動に大きく寄与した。

また、被告は、バードラインの建設に当たり、1.5キロメートル地点の道路に盛土をし、その内側の沢に埋め土をして広場(後に駐車場)としたが、同所の横断暗渠としては、当初設計に係る直径八〇センチメートルのヒューム管でなく、直径三〇センチメートルの有孔管(スピンパイプ)を設置し、規模を縮小させたばかりでなく、右の有孔管は広場の排水を目的としたもので、トラックカーブ内を1.8キロメートル付近から1.5キロメートル付近に向かって流れていた斜流谷に繋がっておらず、その排水を目的としたものではなかったから、結局、斜流谷の出口が塞がれた状態となった。そして、バードラインの2.0キロメートル以上の道路及び側溝は、地附山南東斜面の雨水をも集めてこれをトラックカーブ内の斜流谷へ溢水させていたので、同所における地下水の貯留が促進された。

③ バードラインの管理に関する瑕疵

イ 地附山南東斜面は、切土部分を中心に経年的に安定性を欠いていき、また、トラックカーブで囲まれた斜流谷部を介してその地中である初期移動域に降雨及び融雪による地下水を過剰に供給してこれを同所に貯留させるに至り、その部分の土塊強度を低下させ、その影響で昭和四八年ころから初期移動域が徐々に動き始め、地表部にその影響による変状が現れるようになった。そして、昭和五六年になると、バードライン0.8キロメートル地点から1.9キロメートル地点のほぼ全域にわたって地表構造物の変状が顕著となってきたことから、被告は、中部地質に調査を委託し、五六年報告書の提出を受け、この時点で、地附山南東斜面で広い範囲にわたる地すべりが発生していること、バードライン建設が地すべりの誘因となっていること、右斜面は湯谷団地に向かって急傾斜になっていることから、同報告書添付の地すべりブロック推定平面図(別紙(九)の図面)によれば、地すべりが最終段階に至った場合には、土砂が湯谷団地に至ることが容易に予測されること、地すべり推定範囲全体についての抜本的対策工事が必要であるが、そのためには引き続き調査が必要であること、以上の諸点を認識するに至ったのであるから、この時点において、バードラインが設置され、地すべりを起こしている斜面全体について、瑕疵を補うべき道路管理上の責任を負うに至った。

ロ その後、中部地質は、五六年報告書追補1を被告に提出して、トラックカーブの地表水・浅層地下水・深層地下水を排除するため、明暗渠工及び集水井を含む横孔ボーリング工を提案したが、被告は、右の防止工法のうちトラックカーブ内の表面排水工(明暗渠工)のみを極めて簡略化した方法で行っただけで、地下水排除工は行わず、また、同社が計画した地すべり推定全域にわたる各種の地すべり調査(すべり面調査・地下水検層・地下水位測定・土質試験等)を実施せず、更に、昭和五六年から昭和五九年五月まで極めて容易にできる伸縮計や傾斜計による地すべり観測さえも行わず、そのため昭和五七年ころから本件地すべりが既に確定変動の動きをしていたことを見逃してしまい、その間に行うことができた地すべり調査及びこれに基づく防止工法を行わなかった。

ハ 被告は、山岳道路で管理が重要とされている側溝等についても十分な管理をせず、ゴミが詰まるなどして、側溝の通水が阻害されて溢水し、それが地下に浸透するに任せたばかりでなく、山腹や側溝の亀裂等についても長期間放置し、そこからも雨水の地下浸透が進んだ。

ニ 被告が右のように対策を講ぜずに放置したことにより昭和五七年以降地すべりの移動速度は徐々に加速し、昭和五八年一〇月ころには上部滑落崖の長さが一六〇メートル、その幅が二ないし三メートルに拡大し、地すべり変状も更に進行したのに、被告は、昭和五八年一二月以降も明治コンサルタントに部分的な調査を委託しただけで、いっこうに全域の調査と本格的な地すべり対策工事を行わず、地下水の存在が明らかなトラックカーブ内の台地の地下水排除工も行わなかったところ、昭和五七ないし五九年の確定変動の段階で典型的な地すべり調査と対策(横孔ボーリング工等)を行うことによって本件地すべりは十分回避することができた。

ホ 湯谷団地の鬼沢沿いの住宅は、山際の急崖の下に位置しており、地すべり崩土により被害を受ける可能性が極めて高かったのであるから、災害発生防止のための措置を講ずべきことが強く要請されていたというべきである。

ヘ なお、被告が地すべり防止対策を行う場合には、相当の費用を要し、独立採算性の企業局の運営に困難を来すことが予測されるが、右のような財政的な理由により被告の道路の設置・管理の瑕疵によって生じつつある災害を防止する責任を免れるものではない。

被告は、昭和六〇年度から約一〇億円の予算で防止工事を始めようとしていたのであり、また、本件災害後に約一五〇億円の費用を投じて恒久対策工事を行ったのであり、これに照らしても、本件災害が不可抗力に基づくものであったとか、結果の発生を回避することができなかったなどということができないことは明らかである。

④ バードラインの設置・管理の瑕疵と本件地すべりとの因果関係

イ 本件地すべりは、古い地すべり跡地に切土・盛土をして十分な配水設備を備えないままバードラインを建設したことに基づき水みちの変化による初期移動域への地下水の貯留と斜面の不安定化をもたらしたという道路設置の瑕疵に起因し、右道路建設の数年後から地すべり性の変状が徐々に進行・拡大し、更に、その後、地すべりの前兆が顕著に現れた昭和五六年以降も、バードラインの各所に生じた変状等から湯谷団地への被害が十分予想できたのに、危険箇所に集水井やボーリング等を施工するなどの有効かつ本格的な地すべり防止措置を何ら行わなかったという道路管理の瑕疵も相まって、最終的に昭和六〇年七月二六日に至って発生したものであり、これらのバードラインの設置・管理の瑕疵と本件地すべりの発生との間に因果関係があることは明らかである。

ロ 被告は、本件地すべりが昭和六〇年の梅雨期における予測不可能な多量の豪雨によってもたらされたものである旨主張するけれども、梅雨期に多量の降雨があることは一般経験上明らかであり、地すべりの発生に降雨(むしろこれによる地下水)が関係すること、融雪期や多雨期に地すべりが発生する危険があることは、被告(企業局)に対し予め指摘されていたことであって、未曾有の降雨というほどではない右梅雨期における雨量程度では通常予測可能な範囲内にあるというべきであり、道路の設置及びその後の維持管理の瑕疵をさておいて、これと本件地すべりの発生との因果関係を否定することはできないものというべきである。

(2) 被告

① 「公の営造物」の設置又は管理の「瑕疵」の意義

イ 国家賠償法二条一項所定の公の営造物の設置又は管理の「瑕疵」について問題となる安全性の欠如は、当該営造物を構成する物的施設自体に存する物理的・外形的な欠陥ないし不備によって他人に危害を生ぜしめる危険性がある場合(物理的瑕疵がある場合)のみならず、その営造物が供用目的に沿って利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合(機能的瑕疵がある場合)をも含み、その危害は、営造物の利用者に対するもののみならず、利用者以外の第三者に対するそれをも含むと解される。

ロ しかしながら、本件地すべりは、バードラインそのものの崩壊によって惹起されたものではなく、バードラインがたまたま開設された地附山南東斜面の山体自体の崩壊により発生したものであり、本件地すべり地の面積が全体で約二五ヘクタール(二五万平方メートル)であるのに対し、バードラインのうち崩壊した路面は約一ヘクタール(一万平方メートル)にすぎず、しかも本件地すべり地のうちバードライン建設用地を除くその余の土地は民有地であったのであるから、本件地すべり地をもって国家賠償法二条一項所定の「公の営造物」ということはできない。

② バードラインの設置に関する瑕疵の不存在

イ 被告(企業局)は、バードラインの建設に当たり、長野市の協力を得て現地踏査を行い、既存文献を参考にしたものと思われる地質調査書を利用しただけで、地附山南東斜面においてはボーリングによる地質調査を実施していないが、当時の道路建設の手法としては現地踏査が主体であって、専門家による地質調査やボーリングの実施などは例外であり、これを行わなかったからといって不備ということにはならない。そして、企業局職員が山林所有者らに対して行った用地買収のための地元説明会の際も、バードラインの開設による地すべりを危惧する声は全く聞かれなかったし、企業局職員による現地踏査においても、地すべりが危惧される状況は見当たらなかった。

ロ 地附山の山体の基盤岩を構成する裾花凝灰岩層は、酸性凝灰岩を主体とする地層であり、泥岩を伴う地層を鍵層にして下・中・上の三層に大別されるが、本件地すべりのすべり面は、主滑動域においては中部層の中に形成され、下部従属滑動域では一部旧崩積土中に形成されているところ、その中部層は、泥岩や凝灰岩、礫岩等が乱堆積状に堆積したものであり、固結度が比較的高く硬質であるが、一部の変質帯では細粒の凝灰岩などが部分的にモンモリロナイト化して脆弱化しているとともに、中部層に含まれる泥岩層は、難透水性であるため地下深部から上昇した熱水が泥岩に遮られてその下面を粘土化させ、同時に地表から浸透した地下水も泥岩の上面に沿って移動するため上面を粘土化させた可能性があり、この中部層全体に分布した脆弱部のうちの構造ひずみの集中した部分に発生した亀裂(剪断)が次第に連続していくことによってすべり面が形成されたものと考えられ、中部層内に分布する断層や変質帯が地すべりの素因として重要な役割を担っていたものと考えられる。しかしながら、右のような地附山山体の地質と地質構造は、本件地すべり発生後、細密な調査をした結果判明したことであって、本件地すべり発生までは、裾花凝灰岩層には地すべりが発生しにくいとの見解が支配的であった(現に本件地すべり発生までは裾花凝灰岩層からなる山地について地すべり防止区域に指定されていたのは、長野市篠ノ井小松原地籍のみであり、しかも、同所は地すべりではなく崩壊であり、従来裾花凝灰岩層で占められる山体では小崩落が発生しやすく、モンモリロナイトを多く含有するにもかかわらず地すべりが発生しないのは何故かが研究課題となっていたほどである。)。したがって、裾花凝灰岩層は単純に脆弱な地層であるなどと断定はできないというべきである。

ハ 本件地すべり地の地形は、南西側面に沿う範囲と中央部から北東側面にかけての範囲との二つの地域に分けることができるが、そのうち南西側面は、上部に不明瞭ながら馬蹄形の山腹急斜面が存し、下方にはバードライン0.8キロメートル地点を中心として松寿荘の真上に至る細長い凸状の斜面が分布しており、過去に崩壊の発生した斜面とみることができるが、他方、中央部から北東側面にかけての地形はより複雑で、北東から南西方向の急斜面に挾まれた狭い棚状の緩斜面には沢や湿地が形成されていて、地すべり頭部の地形とも類似しているものの、明瞭な馬蹄形の滑落崖などの地形は認められず、直ちに地すべりと断定することはできない。本件地すべり地は、その沼沢性堆積物や炭質物のカーボン年代測定値から推測すれば、過去三回(六四〇〇年前以前、一万六〇〇〇年前以降、四万年前以前)にわたり何らかのマスムーブメントが発生したことが識別されるが、これらは道路建設に際して注意すべき過去の変状としては余りにも古く、かつ、前記の地形的特性も一見して明らかな地すべり地形とはいえないから、バードライン建設の際に過去のマスムーブメントに注意を払わなかったことをもって不備があったということはできない。

なお、原告らは、空中写真により容易に地すべり跡地であったことが判明した旨主張するけれども、地すべり地を判読する場合の主要な特徴は、地すべり地をかぎる崖又は割目、それに囲まれたハンモック状の地形、その地域にみられる異常な水系、周辺と著しく異なる色調やハダ目、植生などであり、これらの諸特徴は、地すべりが古くなるにしたがって不明瞭になり、判読しにくくなるのであり、本件地すべり発生前の地附山の地形の外貌は甚だ複雑で、写真からは本件のような大地すべりの輪郭を示す地形はまだ示されておらず、それを予想し得る地形の特定は困難である。

ニ 本件地すべり地内の切土の影響は、切土背面地盤で切土部相当領域程度の範囲で現れるにとどまり、深部にはほとんど影響せず、また、盛土による影響は、すべり面のうちのほぼ盛土幅に相当する領域のみであり、これによる剪断応力の増加量は、一般的な交通荷重で生ずる増加量の四倍程度であって、微々たるものである。したがって、切土及び盛土とともに、すべり面が地下約六〇メートルに形成された本件地すべりの発生又はその成長に影響を及ぼしたものではない。

ホ バードライン1.8キロメートル地点の湧水処理については、暗渠排水施設の末端にコンクリート製の集水枡を設けていたものの、中部地質の提言により昭和五七年四月に表面排水と浅層地下水の排除を目的として明暗渠排水工(二階建排水工)を行ったものであり、これによって斜流谷内の湿地帯の水は排除され、地中に貯留されることはなかった。

ヘ トラックカーブ内の斜流谷は、同カーブの内側から長野放送(NBS)のテレビ中継所に至る稜線の北側に平行して存在し、その出口は、1.5キロメートル地点ではなく、1.4キロメートル地点に向かっていたのであって、斜流谷の表流水は側溝等により処理されていたのであり、1.5キロメートル地点の谷側に盛土をし、広場(後に駐車場)を造成したことにより、仮に斜流谷から地中の水みちを通って地附山南東斜面を流下していた水に影響を与えることがあったとしても、土盛りによる表流水の堰止めの量は微々たるものであり、地すべりの原因となるような地下への浸透量の増加をもたらすことは考える余地がない。

ト なお、バードラインの舗装化により、道路建設前より地盤の降雨浸透能が大きく低下し、側溝や暗渠により地附山南東斜面に対する集水面積が増大(1.8キロメートル付近を基準とすれば、2.6ヘクタール増加)したが、これに伴う流出量増加対策として、南東斜面下流の鬼沢、洪沢及び掘切沢で約1.3キロメートルの水路の改善を行い、側溝等で受けた雨水等は、これらの沢へ放流して処理されることになっており、また、側溝の流下能力も、洪水流量を上回っており、流下能力は確保されていた。

③ バードラインの管理に関する瑕疵の不存在

イ 昭和四八年七月ころバードラインの0.8キロメートル地点の石積擁壁に亀裂が発生しているのが発見されたが、局部的変状にすぎず、本件地すべりの兆候と評価されるものではなかったし、その後昭和五〇年から五五年ころまでに生じた道路構造物の変状も同様であった。

被告(企業局)は、昭和五六年の融雪期以降に生じた1.1キロメートル、1.5キロメートル及び0.8キロメートル付近の各所における変状については、盛土の沈下あるいは小規模な土砂崩壊であると認識し、補修工事を実施するとともに、1.1キロメートル及び1.5キロメートル付近は道路形状の上から位置的に近く、変状の原因とその対策に関する基礎資料を得る必要があると判断し、中部地質に調査を委託したが、その結果提出された五六年報告書においても、地すべりの可能性を示唆したとはいえ、小規模な斜面崩壊であるとしているにすぎず、推定地すべり区域全体が一度に滑動して湯谷団地にまで被害が及ぶとは到底認識できなかったものであり、同社から五六年報告書及び同追補1により提言された表面排水工及び浅層地下水排除工としてのトラックカーブ内の二階建明暗渠排水工、変状が顕著で斜面崩壊が予知される部分についての抑止工、暗渠工で排水できない浅層地下水を排除する場合及び深層地下水を排除する場合の横孔ボーリング工のうち、横孔ボーリング工を実施する状況にはなかった。

ロ 被告(企業局)は、五六年報告書の提出を受け、慎重を期して土木部と地すべり等防止法に基づく地すべり防止区域の指定について協議したものの、協議の結果、主務大臣に対して意見を述べるに至らなかったが、昭和五六年に策定された計画に基づき翌五七年四月から0.8キロメートル付近におけるアースアンカー工とトラックカーブ内における二階建排水工及び排水暗渠工を行い、後者の工事により湿地部分の表面水及び浅層地下水が排除されて乾燥化し、その後、昭和五八年一〇月までバードラインに変状の拡大が見られなかったものである。

なお、昭和五七年以降においては、移動量が確定変動(日変位量が一ミリメートル以上で、かつ、月変位量が一センチメートル以上の場合)に達していたことはなく、昭和五九年までの間は準確定変動でしかなかったものであり、大規模かつ急激な地すべりの発生が切迫していることを示すものではなかった。

ハ 被告(企業局)は、昭和五八年九月末の台風襲来後、一〇月に入り1.07キロメートル及び1.5キロメートル付近の路面に亀裂・段差等が生じ、いったん収まっていたバードラインの変状が再び発生してきたことから、その原因の究明と対策工事を検討するための基礎資料を収集する目的で明治コンサルタントに調査を委託し、翌五九年三月に五八年報告書の提出を受けたが、各所の変状のうちには、岩盤すべり型のすべり形態(崩壊型)、旧地すべりによって生じた亀裂の再滑動、斜面崩壊とみられるものもあり、また、特に変状の著しい場所における移動ブロック表層部に生じた地すべりについても、その移動形態は非常に緩慢な継続型又は断続型であるとされていたので、地すべりが切迫しているとの認識を有する状況にはなく、同報告書に記載された地すべりブロック推定図(別紙(一〇))における地すべりブロックの推定線も湯谷団地から離れた位置に引かれていたので、推定地すべり区域全体が一度に滑動して、同団地にまで被害が及ぶと認識できるものではなかった。

ニ そして、被告(企業局)は、その後も明治コンサルタントに調査を委託するとともに、バードラインの全域について監視を行っていたが、昭和五九年七月の豪雨後の1.07キロメートル及び1.5キロメートル付近の変状拡大、地下水上昇と伸縮計の動きに相関関係があることが確認されたこと等によりバードラインの変状が地すべりによるものであることが判明した。そこで、企業局は、土木部との間で地すべり等防止法に基づく地すべり防止区域指定の可否について検討したものの、指定要件を満たさないとの結論が出されたことから、独自に対策工事を実施するために、明治コンサルタントに対し、五九年中間報告書の提出を求め、予算措置の準備をし、応急対策を兼ねて横孔ボーリング四本を実施するなどしたものであるが、右中間報告書においても、緩慢な継続型とされていたので、地すべりの発生が切迫しているとの認識を有する状況にはなく、かつ、本件地すべりのごとく六〇メートルものすべり面深度は推定しておらず、これを認識することはできなかった。更に、その後、昭和六〇年になってから明治コンサルタントから提出された五九年中間報告書及び同最終報告書においても、地すべりブロックの移動形態は緩慢な継続型とされており、前同様の認識でいたものである。

したがって、被告においては、バードラインについて具体的な防災工事を行うための予見可能性を欠いていたものであり、また、地すべり防止対策工法を具体的に決定して措置を講ずることもできなかった。

ホ 側溝の日常管理については、道路の設置管理者である企業局が長野市大座法師池所在の管理事務所に職員を常駐させ、パトロール車によって毎日バードラインを見回り、側溝が目詰まりしているときは落葉や土砂等を取り除き、そのほか臨時の清掃要員を雇って、定期的に側溝や暗渠の清掃を実施していたのであって、全面的に又は恒常的に目詰まりが継続することはあり得なかった。また、仮に目詰まりが除去されないうちに降雨があり、側溝から雨水が溢水することがあったとしても、その雨水は、路面を流下し、下方の側溝により処理される上、その回数はわずかであり、本件地すべりの誘因となることは考えられない。

④ バードラインの設置・管理と本件地すべりとの因果関係の不存在

イ 本件地すべりは、地附山南東斜面の地山が有する素因としての地質・地形・地下水の賦存状態に対して、地山の風化と剪断応力の長期にわたる負荷が作用して経年変化を生じ、クリープ現象が発生し、これに一般的誘因である降雨・降雪の繰り返しや地震による揺れなどが加わって間隙水圧及び飽和度が上昇して発生したものと考えられ、昭和六〇年六月ないし七月の異常降雨(量とパターン)が引き金となったものと推測されるのであり、バードラインの設置はもとより、開設後の管理の瑕疵によって発生したものではないから、バードラインの設置・管理と本件地すべりとの間に因果関係は認められない。

ロ 被告は、バードラインの建設に際し、沢地形を埋める盛土については常識的な排水工事を行い、沢をせき止めた形跡はなく、また、一般に道路建設が地すべりに影響を及ぼす場合、その切土・盛土が原因となるときには、その切土・盛土の近傍に崩落が発生し、工事完成後二、三年のうちに変状が生じるものであるのに、本件の場合、最初の兆候が見られた昭和四八年を考えてみても、道路完成後一〇年を経過しているのであって、常識的には道路の影響とは考え難いのであって、バードラインの建設と本件地すべりとの間に因果関係は存しない。

(三) 災害予防義務違反に関する責任(国家賠償法一条一項)

(1) 原告ら

① 自然災害予防行政における被告の災害予防義務

イ 国又は地方公共団体等は自然災害から国民ないし住民を守るべき本質的義務を負っているのであって、その実定法上の根拠は、憲法一三条、地方自治法二条三項、災害対策基本法三条・四条その他災害予防関係法規に求められ、したがって、国又は地方公共団体に属する公務員が公権力を行使するに当たり右の災害予防義務に違背して災害の発生を防止しなかったため国民・住民に損害が発生した場合には、国家賠償法一条一項に基づき国又は地方公共団体がその損害を賠償すべき責任を負うことになる。

これを本件についてみると、被告は、普通地方公共団体として、地方自治の本旨に基づき、住民の安全・健康・福祉を広く保持し、災害を防止することをその固有事務としており、したがって、これらの義務を全うすべき義務を本来的に負っており、特に本件のような地すべり災害については、日常的・一般的に災害を防ぎ、あるいは万一の災害の発生に備えるべき義務を負っているのである。

ロ 公務員の不作為が作為義務に違反する違法性があるとして国家賠償法一条一項の責任が生ずるための要件としては、従来の裁判例においては、(ⅰ)国民(住民)の生命・身体・財産に対し具体的危険が切迫していること、(ⅱ)行政庁が右具体的危険の切迫を知り又は容易に予見し得る状況にあること、(ⅲ)行政庁が権限を行使することにより容易に結果の発生を防止することができたこと、(ⅳ)行政庁が右権限を行使しなければ結果発生を回避することができないこと、以上の四要件を具備することが必要とされている旨指摘されることがある。

しかしながら、右の裁判例は、いわゆる規制行政の分野において行政庁に与えられた規制権限を行使しなかった場合に関するものであって、被規制者の自由との関係が問題となるのに対し、本件は、災害予防行政という本来的に権限行使の直接の名宛人を予定せず、不断に国民(住民)を災害から守るために積極的に権限の行使が要求される分野に関するものであるから、右の四要件をそのまま本件の事案に適用することは相当でない。

そこで、まず前記(ⅰ)の「具体的危険」「切迫」等の要件は、結果回避に要する時間との関係において判断されなければならないのであり、殊に本件のように被害法益が土地・建物等の財産である場合には、それに侵害が及ぶのを回避するためには、防止工事等一定の作業を行う時間を当然に要するのであるから、「具体的危険の切迫」時期は、生命・身体に対する危険の場合よりはるかに時間的に遡らざるを得ない。

次に、本件のような災害予防行政の場面では、規制行政におけるように私権に対する謙仰性の要請は本質的に考慮する必要はないから、危険の「具体性」が厳密に判定されるべき理由はない。危険が具体的か抽象的かは、発生している現象が、その当時の科学的・技術的水準から見て、特定の法益に対する侵害を回避するための作業に着手する端緒として一般的に承認される程度に至っていたか否かによって判定されるべきである。

また、前記(ⅱ)及び(ⅲ)の結果の予見及び回避の「容易性」は、独自の要件とすべきでない。右の「容易性」を要件として掲げる裁判例でも、「容易であったか否か」を、予見及び回避の可能性の判断要素の加重的要件としてこれらと別個に判断してはおらず、「予見可能」「回避可能」の言い換えとして用いているにすぎないからである。

更に、行政の裁量を尊重すべき理由はない。災害予防行政は、規制行政と異なり、行政作用の本来的な内容の面で私権の制限を予定しておらず、そこで考慮されるべきは、災害の予防によって果たされる国民(住民)の利益のみであるから、災害による危険が認められる限り、行政作用が発動されなければならないのであり、本来、そこに裁量の余地はないというべきである。

② 本件の経過と被告の取った対応策

イ 被告(企業局)は、バードライン建設後、約一〇年ほど経過した昭和四八年ころから特定の場所の道路施設に亀裂が入るなどの変状が発生し始め、昭和五〇年前後からは0.8キロメートル付近と1.5キロメートル付近(1.0ないし1.5キロメートル)の二か所に集中して、法留石積に亀裂が入ったり、路面に段差が生じるなどの変状が繰り返し発生し続けたことから、道路管理のために石積にコンクリートを張ったり、路面にアスファルトをオーバー・レイするなどしてこれを補修するとともに、この現象が地山そのものの変動を意味することが明らかになったため、昭和五六年七月に至って中部地質に調査を委託した。

ロ 被告(企業局)は、右のような変状の発生により地すべりの発生を認識し、それが契機となって中部地質に調査を委託したところ、同年九月に同社から提出された五六年報告書は、地附山南東斜面で地すべりが発生しており、右斜面は湯谷団地に向かって急傾斜になっていることから、地すべりが最終段階に至った場合には、土砂が湯谷団地に至ることが容易に予測されること、調査データから見て、1.0ないし1.5キロメートル付近の動きを止めるためには、トラックカーブ内の地表水・浅層地下水排除のための二階建明暗渠工及び主としてトラックカーブ内の深層地下水排除のための集水井を含む横孔ボーリング工の二種類の工事を緊急に施工する必要があり、更に、この工事とは別に地すべり範囲全体についての抜本的対策工事が必要になるが、そのためにはデータが不足しているので、引き続き調査が必要であることを指摘した。

ハ しかるに、被告(企業局)が地附山南東斜面の地すべり対策として昭和五六年九月から明治コンサルタントが調査を開始した昭和五八年一二月までの約二年三か月間に具体的に実施した事柄は、(ⅰ)0.8キロ付近擁壁の法面保護工、(ⅱ)トラックカーブ内の二階建明暗渠工、(ⅲ)1.9キロ先擁壁の法面保護工、(ⅳ)側溝の目地開き・亀裂等の補修(ただし、南東斜面に限らない。)であるが、その中で本来の意味で地すべり活動を抑止・抑制することを目的とした工事は(ⅱ)のみであり、しかも、中部地質が提案した計画のうち、表面水・浅層地下水排除工の方だけ(その工事規模も、五六年報告書追補1の設計から著しく縮小されている。)を実施し、土塊の滑動抑制に最も直接的効果が期待される深層地下水排除工は行われなかった(なお、前記(ⅰ)(ⅲ)の工事は擁壁の倒壊等防止のための文字どおりの対症療法にすぎない。)。そして、昭和五六年九月段階で、被告が着手すべきであった地すべり地全域に対する観測・調査は、全く実施されなかった。

そして、その間にも、上部山腹の亀裂(本件地すべりの滑落崖そのものである。)が著しく大きくなり、1.63キロメートル付近の路面に亀裂が生じ、1.5キロメートル地点駐車場東側側溝の目地のズレが発生するなど、変状が拡大した。

ニ その後、被告(企業局)は、昭和五八年末に明治コンサルタントに調査を委託したが(なお、被告が地元コンサルタント会社の中部地質から全国的規模の明治コンサルタントに委託先を代えたのは、地附山南東斜面に規模の大きな地すべりが発生していることを被告も把握しており、それだけの規模の現象を調査させるためには、技術者も多く実績のある大きなコンサルタント会社に委託すべきだと判断したためであると推測される。)、翌五九年三月に同社から提出を受けた「戸隠有料道路地すべり対策調査」と題する五八年報告書により、(ⅰ)地附山南東斜面で長さ約四五〇メートル幅約三五〇メートルの非常に規模の大きな地すべりが発生しており、そのすべり面の深度は五〇メートル以上になると考えられること、(ⅱ)調査当時変状が見られる箇所は大きく四地区に分けられ、中でも、脚部の0.8キロ付近と1.0ないし1.5キロメートル付近は動きがやや顕著で、特に後者は非常に不安定な地区であること、(ⅲ)地すべりの範囲は五六年報告書に示されたそれと基本的に変わりはなく、更にその滑動の度を強めていることが判明した。

ホ 被告は、五八年報告書に接しながら、依然として具体的な調査・工事に着手せず、昭和五九年四月、明治コンサルタントに対し、主として1.0ないし1.5キロメートル付近に重点を置いて、五八年度調査の継続調査としての五九年度調査を委託、同年九月に予算付けのために五九年中間報告書を提出させたが、これには集水井を含む排水計画や地すべり地全域を対象とする調査計画が具体的に提案されていたにもかかわらず、これらを実施せず、本件地すべり発生の一〇か月前の最後の機会を逸してしまい、同年七月、八月三日、同月二五日の三回にわたり、その内部で企業局と土木部等の間において地すべり防止区域指定に関する協議を行ったものの、結局、土木部側から地すべり対策を実施することを拒絶され、最終的に、企業局が独自の予算で地すべり対策(総事業費約一〇億円、六〇年度から六五年度にわたる調査・対策工事)の計画(以下「年次別防災計画」という。)を策定した。被告(企業局)が変状の著しい部分だけではなく、広範囲にわたるこのような対策を取らざるを得なかったのは、五六年報告書とそのダメ押しともいうべき五八年報告書において「地附山南東斜面の広い範囲にわたって大規模な地すべりが発生している」との指摘を受け、これを十分に認識していたからにほかならない。しかるに、それまでに被告が実施した対策工事は、地すべりの進行によって次々に変状が発生する道路構造物の補修ばかりを繰り返すのみで、最も必要とされる地下水を抜くことについては、ただ一つ、トラックカーブ内地表水・浅層地下水排除工としての二階建排水工(昭和五七年四月施工開始。地表近くの水を抜くだけの工事であり、肝心の深層地下水に対する工事ではない。)のみであり、昭和五八年、五九年ともに、水抜きを目的とする工事は皆無であった。なお、被告は、五九年中間報告書の指摘を受けて同年一一月から実施した1.1キロメートル付近における四本の横孔ボーリングについて、「対策工事」としての排水工であると主張するけれども、これが調査を目的として実施されたものであることは明らかであり、結果として水が出れば水抜きになるという程度のものにすぎない。

ヘ 被告は、昭和六〇年度に入ってからは、年次別防災計画を実施することになっていたが、少なくとも時期の点で遅きに失し、ほとんど評価すべき意味を有しない。

③ 結果の予見可能性と回避可能性

イ 被告(企業局)は、昭和五〇年ころ以降、バードラインの特定の場所に連続して発生する変状に対し、地すべりによるものではないかと考え、昭和五六年七月までに中部地質に地すべり調査を委託したところ、同年九月に五六年報告書により地附山南東斜面の広い範囲を地すべり範囲とする地すべりが発生していることを指摘され、しかも、その範囲は本件地すべりの範囲とほぼ一致するものであるばかりでなく、湯谷団地にまで及んでいたことから、地すべり活動が更に活発化した場合には同団地に被害が発生することが具体的かつ容易に予測可能であった。

ロ 昭和五九年三月に被告の委託により明治コンサルタントが提出した五八年報告書は、地すべり範囲ばかりか、地すべりの規模、移動形態等、もともと予測が不可能な最終的な崩落発生の時期の点を除くすべての要素を更に具体的かつ確認的に指摘する内容であり、かつ、この地すべりが昭和五六年九月時点よりも更に滑動の度を進めてきている事実も指摘していたことから、被告は、前記イの地すべりが更に活動を活発にしながら進行していることを、いわばダメ押し的に認識することになり、また、地すべり範囲のうち湯谷団地直上の部分の動きが著しいことから、仮にこの部分だけが激しく滑動した場合に、湯谷団地に被害が及ぶことも容易に予測することができた。

ハ なお、被告は、結果の予見可能性及び回避可能性が肯定されるための要因として地すべり発生の場所、規模、時期、類型、危険性の有無等の諸点を指摘するけれども、まず地すべり発生の「場所」については、五六年報告書により具体的な位置と範囲が予測され、五八年報告書によってその予測が更に補強されている。次に、「規模」については、五八年報告書では具体的に「すべり面深度五〇メートル以上」という非常に大きな規模の地すべりであることが明らかにされている。また、「類型」については、五六年報告書でも一定の指摘はされていたが、五八年報告書では「非常に緩慢な継続型か断続型」とされているところ、一般に、地すべりの発生はきわめて緩慢な地塊の移動から始まり、次第にその速度を増して最後には破壊的なすべりに移行していくということが常識的な事柄であり、五八年報告書では五六年より変状が進み、地すべりの滑動の度合いが強くなって来ている事実が具体的に明記されており、いずれ最後の「破壊的なすべり」が起きることを容易に認識できるものというべきである。更に、「危険性の有無」については、これが「災害発生の危険性の有無」という問題であるならば、五六年報告書の地すべり範囲に湯谷団地上部が含まれていたのであって、このことから既にして災害発生の危険性は具体的に指摘されていたというべきである。

④ 被告の作為義務とその違反

イ 中部地質から提出された五六年報告書に接した被告職員は、前記のような災害予防義務を負う地方公共団体所属の公務員として、(ⅰ)地すべり範囲全域についての抜本的対策工事を検討するために全域について調査を行う義務、(ⅱ)既に得られたデータをもとに具体的に設計・計画された活動が活発な部分に対する応急の対策工事として二階建排水工及び集水井を含む横孔排水工の二通りの排水工を直ちに施工すべき義務、(ⅲ)被告の組織内部においてこのような情報を地すべり対策に対応すべき部門(土木部)に伝達し、それを受けた土木部において企業局を補完し、あるいは企業局に代わって的確な地すべり対策を実施する義務を負うに至った。

なお、右のような被告の内部での協力義務が生ずるのは、企業局が人員の面でも、組織・技術・予算の面でも、本来地すべり対策等を所管する部署ではないからであり、昭和五六年九月に地すべりの発生を確認した段階で、直ちにその情報を地すべり対策の専門家ともいうべき土木部に伝達し、その保管・応援を求め、あるいは地すべりの対策部門については土木部への所管換えをする必要があったからであり、土木部がこれに応じなければならなかったこともまた明らかである。要するに、住民に対して災害予防義務を負う被告としては、内部での情報伝達と発生している課題に対する専門・能力に応じた内部調整が行われなければならなかったものである。

ロ しかるに、被告においては、前記のとおり、昭和五六年九月以降、企業局が独自の予算で年次別防災計画を実施せざるを得なくなった昭和六〇年四月までの間、地すべり範囲全体を対象とする調査、対策工法を実施せず、また、内部で情報伝達するなどして協力して地すべり対策に当たることがなかったものである。

⑤ 被告の不作為と本件災害との因果関係

イ もし被告において前記のような地すべり災害防止に必要な作為義務を果たしていれば、以下の述べるとおり、昭和五六年九月に指摘された地すべりが、四年の間に序々に滑動の度を強めて行き、そのまま地すべりの最終段階としての大崩落に至るようなことにはならず、途中で地すべりとしての動きを停止していたか、仮に地すべりとしての動きの一部が残存しても、それが湯谷団地にまで及んで被害をもたらすような規模のものにはならなかったであろうことは明白である。

ロ まず、被告において前記のような地すべり災害防止に必要な調査計画を実施していれば、本件地すべりの真の原因である初期移動域の滑動、その主たる原因である斜流谷部分からの地下水の過剰供給による初期移動域内での地下水の貯留という事態が究明され、斜流谷部の水抜き工事によって初期移動域への地下水の供給にブレーキがかけられ、その結果初期移動域の滑動が抑制される(したがって、地すべり全体の動きが抑制される。)ことが十分に期待できた。

ハ 次に、五六年報告書追補1により提案された集水井を含む横孔ボーリング工が実施されていれば、(地表水・浅層地下水の排除工としての二階建排水工による効果と相まって)初期移動域への地下水の過剰供給は断ち切られ、同域の動きは終息に向かったであろうと推測される。

(2) 被告

① 自然災害予防行政における被告の災害予防義務

イ 斜面災害に係る国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟には、行政主体の活動それ自体に内在する危険に関する責任(いわゆる「危険責任」)に属するものと行政主体の活動の対象たる社会に内在する危険に関する責任(いわゆる「危険管理責任」)に属するものとがあるが、後者においては、損害の直接の原因は自然現象や第三者の作為等にあり、行政主体が損害の発生を防止すべきであったと考えられる場合に問題とされるものであることから、前者のような作為による損害の賠償責任の理論をそのまま持ち込むことはできず、その責任の根拠、責任要件等について独自の理論構成を検討する必要がある。

本件地すべりは、バードラインの建設・管理によって発生したものではなく、本件地すべり地の自然的条件によって発生した自然現象であり、被告の法的責任が問題となるとすれば、前記の危険管理責任としての災害防止義務違反の存否の点に限られるものである。

ロ 国家賠償法一条一項の責任は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに成立するものであるが、危険管理責任としての災害防止義務違反による損害賠償責任についても、国・公共団体の公務員が被害を受けたという個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反したことを要するものであり、国民全体に対して負う一般的義務に違反したというだけでは足りないというべきである。これを斜面災害についてみると、現行法制上、国・公共団体に個別の国民に対する関係で当該斜面災害を防止すべきことを義務付けた規定は存せず、地すべり等防止法などに国土の保全・民生の安定という一般公益の実現を目的として(地すべり等防止法一条)斜面災害防止のための国・公共団体の権限が規定されているにすぎない。しかも、右の地すべり等防止法などの規定も、国・公共団体にその権限行使を義務付ける内容とはなっておらず、権限を行使するか否かを裁量に委ねるものとなっている。

ハ このような一般公益の実現を目的として国・公共団体に権限が認められているにすぎない場合において、危険管理責任としての損害賠償責任が発生するには、従来の裁判例は、(ⅰ)被侵害法益が重大(生命・身体の安全及び健康等)であること(法益条件)、(ⅱ)法益侵害の危険が切迫していることを現に予見したか又は容易に予見することが可能であったこと(予見条件ないし予見可能性)、(ⅲ)行政権限を行使すれば容易に結果の発生を防止することができたはずであること(回避条件ないし結果回避可能性)、(ⅳ)被害者たる私人の側において社会通念上行政権限の行使を期待・信頼することがもっともだと思われる事情が存在すること、以上の四要件を判断基準としており、この理は、斜面災害についても同様に当てはまるものである。

なお、右の要件のうち予見可能性の程度については、法令上権限の行使が裁量に委ねられ、当然には義務付けられていない災害防止のための作為に関し、作為義務を導き出すための要件として設定されているものであるから、作為義務の内容として主張されている具体的災害回避措置を明白に必要と判断するに足るだけの具体的危険の予測可能性が必要であり、その予測の内容については、国・公共団体は、種々の財政的・技術的・社会的制約の中でいつの時点でどの地域に具体的災害回避措置を講ずべきかの判断(優先順位の判断)をした上で特定の被害者に対する関係で防止対策工法を決定するものであるから、その判断に資するように、当該災害の発生時期、場所・規模、発生の機構についての予測が必要である。また、結果回避の可能性については、自然斜面に関しても、それが元来地すべり等の自然的原因による災害をもたらす危険を内包している場合には、その安全性確保は治山治水事業を行うことによって達成することが予定されているものであり、しかも、この治山治水事業は一朝一夕にして成るものではなく、諸種の財政的、技術的及び社会的制約が存するものであることからすれば、当然に大東水害訴訟最高裁判決定の法理が適用されるべきものである。原告らは、予見や結果回避の「容易性」を独自の要件とすべきではない旨主張しているが、危険管理責任としての損害賠償責任は本来例外的なものであり、行政庁にとって予見及び結果回避が「容易」であるにもかかわらず権限を行使しなかった場合に初めてその裁量権を濫用するものとして著しく合理性を欠くと認められると解されるから、予見や結果回避の「容易性」が独自の要件として必要とされることは明らかである。

ニ 危険管理責任としての損害賠償責任が成立するためには、その前提として、被告とされた国又は公共団体に当該危険を防止するための法令上の権限が存することが必要であるところ、原告らが被告の作為義務の内容と主張するものは、本件地すべりを防止するための調査及び防止工事の実施であるが、被告には、これに関する法令上の権限は存しない。すなわち、地すべりに関しては、地すべり防止施設を設置するための手続等を規定した地すべり等防止法が存するが、同法は、主務大臣が関係都道府県知事の意見を聴いて地すべり防止区域を指定し、その指定がなされて初めて都道府県知事が当該地すべり防止区域における防止工事を施行するものとしているところ、本件地すべり地は地すべり防止区域に指定されていなかったものであって、長野県知事には本件地すべりの崩壊区域について地すべり防止工事(及びその前提となる調査)をなす同法上の権限がなかったことは明らかである。なお、都道府県知事は、指定に際して意見を述べることができるにとどまり、主務大臣の諮問がないのに積極的に指定を促す申請(意見具申)をなす権限ないし義務があるわけではないばかりでなく、本件地すべり地は右指定の基準すら満たしていなかったものである。また、地方自治法二条三項一二号は、地方公共団体の事務を例示しているにすぎず、右規定から被告に本件地すべりの崩壊区域の調査や防災工事をなす法令上の権限や責務があるとすることはできない。更に、災害対策基本法については、同法四六条一項が災害予防としてなすべき事項を規定し、その中には「防災に関する施設及び設備の整備及び点検に関する事項」が含まれてはいるけれども、同条二項は具体的な災害予防の実施権者を個別の法令によって定めることとしているのであって、同条一項の規定から直ちに関係地方公共団体の長に、個別的な災害予防の実施権限が導かれるものではなく、地すべりに関しては前記のとおり法令上国(主務大臣)の権限とされており、地すべり防止区域に指定されていない区域について、都道府県知事に防災工事等をなす権限はないのである。そして、災害対策基本法四条一項及び八条一項は行政としての一般的な責務を規定しているものにすぎず、具体的な権限を規定したものではなく、これを根拠に危険管理責任としての損害賠償責任を基礎付ける作為義務を導き出すことはできない。なお、企業局はバードラインの設置管理者として、同道路の設置・管理に起因する危険を防止する権限を有しているが、これを超えてバードラインの存する斜面自体の危険を防止することまで含むものではない。

② 本件の経過と被告の予見可能性

イ バードライン建設後にその道路構造物等に現れた変状、被告(企業局)が中部地質及び明治コンサルタントに調査を委託した経緯、右両社から提出された報告書、特に五六年報告書及び五八年報告書の記載に基づく被告の認識は、前記(二)の(2)の③のとおりであり、これによれば、本件地すべりについては、昭和六〇年七月二六日の災害発生前にはバードラインに大規模な地すべりの発生する危険性が切迫していること自体、予測できる状況にはなく、また、バードラインに地すべりが発生することにより、その被害が湯谷団地にまで及ぶと予測できる状況にもなく、更には、バードラインに発生する地すべりがすべり面深度六〇メートル以上であって、複数に分かれる地すべりブロックが一度に全体として滑動する急激かつ大規模なものになるとは全く予想できなかったものであり、前記の予見条件を欠くものであったことは明らかである。その理由を原告らの主張中の主要な点に即して摘記すれば、次のとおりである。

ロ 原告らは、明治コンサルタントから五八年報告書が提出された昭和五九年三月時点において、被告としては発生時期の点を除き、地附山南東斜面において大規模な地すべりが発生することを予見できたと主張するけれども、大規模かつ急激な地すべり発生の時期については、原告ら自身が、昭和五九年三月時点においても予測不可能であったと認めていると理解せざるを得ないのであって、地すべり発生の時期の予測可能性は、地すべり対策実施の優先順位の判断に当たって必要不可欠であり、地附山南東斜面における大規模かつ急激な地すべり発生が切迫していることを予測できなかった以上、被告が災害防止義務違反による損害賠償責任を負う余地はない。

ハ 次に、地すべりの規模については、「すべり面深度五〇メートル以上」との五八年報告書の記述は、具体的調査データに基づくものではなく、かえって具体的データに基づくすべり面深度の検討においては、その深度は一九メートルにすぎなかったものである。原告らは、五六年報告書では地すべりブロックの範囲に松寿荘や湯谷団地上部が含まれていることから、災害発生の危険性は具体的に指摘されていたし、五八年報告書において「非常に不安定な地区」と指摘されたブロックは湯谷団地の直上に当たり、仮にこのブロックだけが滑動しても、土塊は容易に団地に及ぶことが予測されると主張するが、五六年報告書の地すべりブロックの推定は「参考」として示された調査計画上の作業仮説にすぎないものであり、現に五八年報告書では地すべりブロックの推定は湯谷団地からも松寿荘からも離れた位置になされている。また、右の非常に不安定な地区と指摘されたブロックについても、その規模等に照らし、かつ、斜面の傾斜方向が湯谷団地方向には向いていない上、緩斜面であることに徴すると、そのブロックだけの滑動により被害が湯谷団地にまで及ぶことなど予測すること自体困難である。

ニ また、原告らは、被告(企業局)が昭和五九年九月から一二月にかけて大規模な年次別防災計画の策定を行ったことを根拠に、遡って昭和五九年三月までに被告が地附山南東斜面の広い範囲にわたって大規模な地すべりが発生していると認識していたと主張しているが、企業局が昭和五九年九月から年次別防災計画の策定に着手することになったのは、同年七月の豪雨後、バードラインの変状拡大が確認され、しかも、同年六月から七月の降雨による地下水上昇と伸縮計の動きに相関関係のあることが確認され、バードラインの変状が地すべりによることが明確になったからであり、また、年次別防災計画の内容も五九年中間報告書を踏まえて検討されたものであって、同年三月までに地すべり発生を明確に認識するには至っていなかったものである。同年三月当時の被告の認識は、バードラインの変状原因は必ずしも明らかでなく、斜面崩壊・地すべりのいずれの可能性もあるというものにとどまっていたものである。明治コンサルタントの五九年最終報告書ですら、バードラインにおける地すべりを「緩慢な継続型」であるとしていたものであり、大規模かつ急激な地すべり発生が切迫しているとの報告はしていなかったものである。

ホ 更に、地すべりの規模と被害域との関係については、被告が地附山南東斜面に発生する地すべりにより湯谷団地等にまで被害が及ぶとは認識していなかったことは、前記年次別防災計画が企業局の予算で実施するものとして策定されたことが明確に示している。すなわち、地附山南東斜面に発生する地すべりによって、その被害が湯谷団地にまで及ぶと予測できたのであれば、同斜面は国により地すべり防止区域として指定され、その対策工事も国庫補助事業によって実施することができるものであり、企業局はもとより土木部においてもこれを避けなければならない理由はなく、地附山南東斜面に発生する地すべりの規模・被害域が企業局の設置するバードラインの範囲に限定されると判断されたからこそ、企業局のみでその対策を立てたのである。

③ 結果回避可能性と作為義務の内容

イ 原告らは、被告の作為義務の内容として、(ⅰ)地すべり範囲全域についての抜本的対策工事を検討するために全域について調査を行う義務、(ⅱ)活動が活発な部分に対する応急の対策工事として中部地質がワンセットとして設計・計画した二階建排水工と集水井を含む横孔ボーリング工を直ちに実施する義務、(ⅲ)被告の内部組織でこのような情報を土木部に伝達し、それを受けた土木部において企業局を補完し、あるいはこれに代わって的確な地すべり対策を実施するという被告内部での情報伝達・協力義務を主張しており、被告が右作為義務を履行していれば本件地すべりの発生を回避することが可能であったとしているが、危険管理責任としての損害賠償責任の成否を論ずるに当たっての回避可能性の判断は、作為義務の内容とされる具体的災害回避措置をとれば当該災害を防止し得たか否かといういわば事実的回避可能性だけでなく、種々の財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでなされる以上、当該具体的災害回避措置をとらなかったことが斜面災害に関する一般的水準及び社会通念に照らして是認し得ないものであったか否かといういわば社会的回避可能性についても必要となるというべきである。そして、本件地すべりについては右に述べた事実的回避可能性も、また社会的回避可能性も存しなかったものである。

ロ 事実的回避可能性については、原告らは、前記各作為義務を主張する一方、本件地すべりを絶対確実に止めることのできた対策工事は何かという意味で「具体的回避義務」を特定することは不可能であることを自認している。原告らは、このように特定できないのは被告が地すべり地全体の調査を実施してこなかったことによるものであるなどと主張するが、企業局において本件地すべり発生前に地附山南東斜面について調査してきたことは五六年報告書及び五八年報告書等の存在により明らかである。そもそも損害賠償請求訴訟においては、結果回避可能性の存在の主張・立証責任は原告側にあるのであって、原告ら主張のような理由によってその主張・立証責任が免除されるものではない。

ハ また、原告ら主張の前記作為義務について個別にみても、以下のとおり、その前提としての結果回避可能性の存在は何ら具体的に主張・立証されていない。

まず、前記(ⅰ)の作為義務については、地すべり地全体の調査によって本件地すべり発生前に具体的に何が明らかにされ、どのように本件地すべり防止が可能となったのか、いっこうに明らかでない。むしろ、原告らは、五六年報告書の提案した調査計画を実施したとしても、それだけで直ちに初期移動域の存在その他地すべり全体の対策工事に必要とされる十分なデータが得られたか否かまでは断定し難い、すなわち、被告が前記(ⅰ)の作為義務を履行したとしても本件地すべり発生が防止できたか否かは不明であるとまで述べているのである。もっとも、原告らは、五六年報告書の調査計画に基づく調査によって得られたデータを基にして更に調査・対策工事を深化させていくことが可能であるとも主張しているが、これは結局、本件地すべり発生を防止することができたかもしれないとの抽象的・一般的可能性を指摘するものにすぎず、損害賠償責任発生要件としての結果回避可能性の存在とは無縁のものである。

次に、前記(ⅱ)の作為義務については、そもそも中部地質は、五六年報告書において集水井を含む横孔ボーリング工を二階建排水工とワンセットで設計・計画していたものではなく、排水工関係では表面排水工及び浅層地下水排除工のみであり、五六年報告書追補1で具体的に設計して提言したのも表面排水工及び浅層地下水排除工としての二階建排水工であり、原告らが主張するように集水井を含む横孔ボーリング工と二階建排水工とがワンセットで提言されてはいないものである。そして、集水井を含む横孔排水工については、原告らの主張によっても右排水工の実施によって具体的にいかなる効果があり、それによってどのように本件地すべりが防止できたというのか明確になってはいない。損害賠償責任発生要件としての結果回避可能性としては、横孔ボーリング工の実施によって結果的にみて本件地すべり発生を防止できたか否かという客観的事実こそが問題となるものである。なお、右の横孔ボーリング工は、深度一三メートルの集水井を設置し、集水ボーリングを深度一〇メートル付近から掘進するというものであり、浅いすべり面深度を前提とするものであったところ、本件地すべりは、すべり面深度六〇メートルというものであって、到底右対策工事によって防止できるようなものではなかったのである。また、中部地質が五六年報告書において「参考」として示した調査については、そもそも右調査によって具体的に何が明らかにされ、どのように本件地すべり防止が可能となったのか、原告らの主張は明確でない。被告(企業局)は、昭和五八年以降、明治コンサルタントに委託して調査を行っているが、仮に五六年報告書提出直後から調査を開始したとしても、その調査結果が昭和六〇年三月の明治コンサルタントの五九年最終報告書以上のものでなかったことは明らかであるし、対策工事としても同最終報告書で提言されたもの以上にならなかったこともまた明らかである。そして、右最終報告書ではすべり面深度が一九ないし三七メートルと想定され、対策工事の内容も集水井の深さが三〇メートルとされていることからも明らかなとおり、六〇メートルのすべり面深度を有する本件地すべりには不十分なものであり、結局、本件地すべりの発生を回避することはできなかったものである。

前記(ⅲ)の作為義務については、被告が内部的な情報伝達・協力義務を履行すれば具体的に本件地すべり発生前の被告の対応にどのように影響し、また、それにより本件地すべり発生がどのように防止できたとするのか何ら具体的に主張されていない。結局、右作為義務については原告らは結果回避可能性の存在を主張していないといわざるを得ない。

ニ 社会的回避可能性については、一般に地すべり対策は、ステップ・バイ・ステップで進められるものであり、地すべり性の変状が認められた場合に直ちに対策工事が実施されるわけではなく、調査を行い、その結果を踏まえて一定の対策工事を実施し、更に、これを繰り返して進めていくものである。現実の地すべり対策は、決して短期間に着手され、完了するというものではなく、長年の調査と試行錯誤的な対策工事として行われるのである。また、地すべり対策は、その滑動原因を特定することが困難である上、原因等が推定されても、これを安定化させる対策工法が直ちに考え出されるものではないという技術的困難があるばかりか、その調査・対策には多大の経費が必要となるという財政的な困難性があり、当該地が民有地であることが多いことから、調査・対策工事を実施するに当たって、私人の権利関係との調整も必要になるなど社会的困難性があるため、地すべり性変状が認められる場合に直ちに本格的な調査や対策工事に着手されるわけでもない。このような事情に照らせば、バードラインの変状に対する被告の対応は決して非難されるべきものではない。被告は、企業局を通してバードラインすなわち地附山南東斜面に現れた変状について、的確に対応してきたものであり、地すべり防止に関する一般的水準に決して劣る対応をしてきたものでないことが明らかである。殊に、地附山南東斜面が地すべり防止区域にも指定されていなかったことを考えれば、被告が企業局を通して取った対応は、一般的水準を超えているとも評価されるべきものである。

したがって、結果的には本件地すべりが防止できなかったとはいえ、財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでなされる以上、やむを得ない結果であり、結局、社会的回避可能性はなかったものといわざるを得ない。

(四) 湯谷団地の造成及び分譲に関する責任

(1) 団地の造成・分譲に当たっての被告の義務違反

① 原告ら

イ 湯谷団地は地附山南東斜面の山腹又は山麓の台地に切土・盛土をして造成された団地であり、地附山南東斜面は過去に地すべりの経歴を持つ斜面であった。

また、同団地は、古崩積土の堆積地の上、過去の地すべり地の末端部に開発されたのであり、その後背面には急傾斜地が存在し、団地山側の住宅は斜度三〇度以上の傾斜地と接している上、同じく地すべり地内に建設されたバードラインの直下に立地していた。

したがって、客観的に地すべりや崩壊等の斜面災害の危険を内包する立地環境にあった。

ロ 一般的に団地を造成するには地形や地質等を調査して宅地としての安全性を確認すべき義務があるが、湯谷団地は、前記のような立地環境の下にあったから、被告(企業局)としては、造成計画の策定に当たり、その地形・地質等に関し大規模住宅地として安全・適切であるか否かについて万全の調査を尽くすべき義務があり、また、造成計画の実施に当たり、昭和四三年六月実施したボーリング調査の結果を詳細に分析し、右分譲予定地の後背斜面について過去に地すべりのあったことを認識すべきことはもとより、その地形・地質・過去の地すべりの規模・バードラインの影響・長野盆地北西縁部の周辺地域の状況・分譲予定地の歴史等につき、自ら又は専門家に委託して造成予定地のみならず地附山南東斜面全体を地形図・地質図・空中写真・文献・聞き取り・現場踏査等によって精査すべき義務があった。

しかしながら、被告(企業局)は、これを怠り、せいぜいボーリングによる地耐力の安全性の確認のための地質調査のみ行い、その余の調査・確認を怠ったため、造成すべきでない土地を造成して団地の立地を誤った。

更に、被告(企業局)は、湯谷団地を造成するに当たり、山麓台地を西北から東南へ取り巻くようにして流下している鬼沢右岸を切土し、沢自体を埋め立て、この鬼沢より山側については、傾斜三〇度を超える斜面を後背面に抱える地を造成し(この部分については、急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律(以下「急傾斜地法」という。)に違反することになる。)、これを安全・快適な恒久住宅地として原告らに分譲した。

② 被告

イ 本件災害は、湯谷団地の地盤自体が崩壊したのでも、その後背地が急傾斜地なるが故に崩壊したのでもなく、団地から水平距離にして五〇〇メートル以上離れた所に滑落崖を生じ、地附山南東斜面自体が地すべりにより崩落して、湯谷団地にまで土塊が流下したものである。

そして、そもそも本件造成当時、その地質に疑問を持つに足る特段の事情も認められなかったのであるから、被告が地すべりの発生を危惧するような意識で地質調査をしなかったのは当然である。原告らは、地すべり跡地を疑った精密な調査をすれば地附山南東斜面が旧地すべり地であることの認識は可能であると主張するけれども、地附山南東斜面が旧地すべり地であることを看取すること自体が不可能であったものである。

ロ 湯谷団地の造成前の用地の平均斜度は六度五〇分から八度〇九分、湯谷団地後背面の地附山南東斜面の平均斜度は一七度から一八度であり、バードライン1.07キロメートル付近では二八度であるにしても、特に急傾斜地を背後に背負う立地ではなかったが、被告は、後背斜面の安全性について地元住民からの聞き取り及び現地踏査をなし、その安全性を確認した。

そして、湯谷団地造成においては、自然傾斜地をできるだけ生かし、等高線に沿った造成を行い、切盛を最小限に止めた造成をしている。

また、被告は、団地の造成に当たり、昭和四三年六月ころ造成用地内で合計七本のボーリングをなし、地質を調査し、構造物の支持基盤として耐え得るかを調査し、その宅地としての安全性を確認している。

更に、鬼沢は晴天時には表面水を認めることができず、降雨時のみの流水であったことから、地元区長や地権者から過去の出水事例等の聞き取り調査等を基に流量流水処理をしている。なお、急傾斜地法は、昭和四四年八月一日から施行されたものであるが、当時既に湯谷団地の造成工事に着手しており、本件造成工事に当たり同法が適用される余地はなかったものである。湯谷団地の後背地に一部急傾斜地と言える土地があるとしても、右後背地自体に崩落する危険の兆候が具体的に存在していた訳ではないし、陳情等がなされた経緯もない。謙抑的に運用すべきとする同法の趣旨からして、同法が施行になったからといって、湯谷団地が不適格団地となった旨の指摘は当たらない。

(2) 不法行為責任(民法七〇九条)

① 原告ら

被告は、湯谷団地を造成するに当たって、前記の各調査を尽くすことによって地附山南東斜面が過去の地すべり地であり、開発予定地がその末端部に位置していたことを認識し得たものであり、したがって、地附山南東斜面に地すべりが発生する可能性を予見し得たものである。

ところが、被告は、この後背斜面についての安全確認義務を怠り、地耐力の安全性を確認しただけで湯谷団地の造成をなし、原告らに分譲したものであり、明らかに団地の立地を誤ったもので、被告から分譲地を買い受けた者、その転買者、賃借して居住する者など、全原告との関係において不法行為責任(製造物責任)を免れない。

② 被告

原告らは、造成された土地が製造物であることを前提とし、被告に対し製造物責任による不法行為を主張しているが、不動産が製造物であるか否かは争いのあったところ、製造物責任法(平成六年法律第八五号)において、製造物とは動産に限られ、不動産は除かれることとなった。すなわち、右争いは立法的に解決され、製造物責任論自体の要件効果を論ずる意味はなくなった。

また、不法行為責任が認められるためには故意・過失の前提として結果に対する予見可能性が必要であるところ、被告において地附山南東斜面が将来大規模地すべりを起こし、その結果として湯谷団地に土砂が崩落してくることを予見することは到底不可能であった。

(3) 債務不履行責任(民法四一五条)

① 原告ら

(本訴でこの請求をするのは、番号5、9、14ないし17、20、22、23、25、26及び31の各原告を除くその余の原告らである。)

原告らのうち被告から直接宅地を買い受けた原告ら(承継が生じた原告らについては、その被承継人。以下、同じ。)は、その土地取得年月日ころの売買契約により被告から右宅地を取得したものである。被告は売主として右原告らに対し、その宅地自体が安全であることはもちろん、宅地外の地すべり、崩壊、土石流等に対して安全な宅地を引き渡すべき義務があった。

ところが、被告は後背斜面に地すべりが発生する宅地を引き渡したのであって、これは不完全な履行に該当するものである。

② 被告

債務不履行責任を負う前提としては、不履行についての帰責性が要件とされているところ、この帰責性は、故意・過失及びこれと同視できる事由とされており、不法行為責任と同様に結果発生に対する予見可能性が必要であるが、この予見可能性のないことは、先の不法行為について主張したところと同様である。

(4) 瑕疵担保責任(民法五七〇条)

① 原告ら

(本訴でこの請求をするのは、番号5、9、14ないし17、20、22、23、25、26及び31の各原告を除くその余の原告らである。)

原告らのうち被告から直接宅地を買い受けた原告らは、被告から右宅地を住宅を建築する合意のもとに前項の売買契約により買い受けた。

ところが、右宅地は後背斜面に地すべりが発生し、宅地として通常備えるべき安全性を欠如していた瑕疵があった。被告は右原告らに対し、売買契約に際し、安全・快適な宅地として買い受けを勧誘したのであって、右原告らは右瑕疵を知ることはできなかったものである。

② 被告

瑕疵担保責任は、売買の目的物に隠れた瑕疵があった場合に認められる法定責任であり、目的物自体に含まれない後背地自体の瑕疵は、瑕疵担保責任にいう瑕疵とはいえない。なぜなら、瑕疵担保責任は売買の合意に基づく責任であり、特定物売買における売主の責任は目的物の引渡義務に尽きるからである。自らが売買の目的物としなかった部分の性状を暗黙の内に債務の内容とすることはあり得るが、右暗黙の合意部分につき売買の法定責任であり無過失責任とされている担保責任を当然には負わせることはできないものである。

(5) 消滅時効の主張について

① 原告ら

債務不履行による損害賠償請求権の時効の起算点は「権利を行使することを得るとき」である。それは、本件地すべりの発生した昭和六〇年七月二六日である。

また、瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求権の時効の起算点は、「事実を知りたる時」であり、これについても前記と同様である。

② 被告

被告と一部原告らとの間の土地売買契約は、最も遅いものでも昭和四七年九月一日であり、この時点から既に一〇年を経過しているので、債務不履行に基づく損害賠償請求権は、時効により消滅した。

また、瑕疵担保責任については、民法上の債権の消滅時効の一般原則により、引渡の日から一〇年を経過することによって消滅時効が完成すると解すべきである。本件においては、前記の売買契約の締結日からすれば、既に全員について引渡の日から一〇年を経過した。

被告は、本訴において右の各消滅時効を援用する。

2  損害について

(一) 損害の認定に関する基本的見解

(1) 原告ら

① 土地について

次のイないしハにより算出した地価低落額(被告が本件災害後埋没地の一部を買い上げたので、買上該当者についてはその買上実額を更に控除した額)をもって損害額とした。

イ 本件災害前の時価は3.3平方メートル(1坪)当たり三〇万八五五〇円を下らない。すなわち、湯谷団地内の昭和六〇年度の地価公示価格は一平方メートル当たり七万四八〇〇円であり、これを一坪当たりに換算し直す(1坪を3.3平方メートルとし、小数点第三位以下を切り捨て)と、一坪当たり二四万六八四〇円である。そして、公示価格は時価の八割を上回ることはないので、右価格を0.8で除した額である三〇万八五五〇円をもって本件災害前の時価とした。

当時の湯谷団地住民の時価に関する認識、同団地の南に隣接する上松台分譲地の売出価格、湯谷団地と価格的にほぼ均衡する若槻団地の時価は、いずれも一坪当たり三〇万円程度であり、更に、これらと比して条件の劣る若槻団地の売出価格も一坪当たり二八万円ないし二九万円であったから、湯谷団地の本件災害前の時価が一坪当たり三〇万八五五〇円を下回ることはない。

ロ 原告らは、その受けた被害の態様によって、地すべり土塊によって土地と建物が完全に埋没したグループ、土地は残ったが建物は全半壊したグループ、H鋼内にあって地すべり土塊の直接の被害を免れたグループ、H鋼外にあって地すべり土塊の直接の被害を免れたグループ、以上の四つに分けることができる。そこで、これらのグループごとに本件災害後の土地の価額(一坪当たり)を次のとおりとした。

a方式 埋没地 零円

b方式 全半壊建物の敷地 五万円

c方式 H鋼内の敷地(建物健全)

一〇万円

d方式 H鋼外の敷地(建物健全)

一五万円

埋没地は、住宅敷地としての効用がなくなった以上、下落率を一〇〇パーセントとすることは当然である。全半壊建物の敷地についても、不動産鑑定士の評定によると、本件災害後の地価下落率は七〇パーセント以上とされており、また、埋没地に隣接していることを考慮すれば、原告らが主張する下落率(83.8パーセント)は妥当である。H鋼内の敷地についても同様であって、物理的な直接の被害を免れたのは間一髪の差であり、原告らが主張する下落率(67.6パーセント)は控えめなものといえる。H鋼外の敷地に関しても、不動産鑑定士が地価下落率を五二パーセントと査定している土地や、一坪当たり一〇万円と評価されている土地があることに照らせば、原告らの請求は妥当なものである。

ハ 地価低落額は、イの本件災害前の時価からロの本件災害後の価額をそれぞれ差し引いて算出した。

なお、被告は、総額一五一億円を要した災害復旧工事により被災した土地の時価は少なくとも本件災害前の水準に回復していると主張するけれども、原告らは、本件災害によって居住又は所有していた土地の宅地としての価格を著しく下落させられたものであり、被告による右災害復旧工事にもかかわらず安全性に対する住民及び一般人の不安は除去されていない。湯谷団地は、長野県下における代表的な住宅地の一つとして本件災害前までは公示価格の基準地の一つに指定されていたのに、本件災害後はこれから除外されてしまったのであるが、これは宅地としての商品性を喪失した結果である。被告が主張するところは物理的な安全性であるが、これとても万全ではなく、そのため湯谷団地に対する地すべり防止区域の指定は未だ解除されていない。

被告の主張は、本件災害後一〇年以上経過した口頭弁論終結時の地価を基準として損害を算定すべきであるとするものであるが、本件災害に基づく被害は、本来訴訟において可及的速やかに(遅くとも二、三年以内に)救済されるべきものであるのに、被告が訴訟を引き延ばせば引き延ばすほど賠償額が少なくなるような損害論が不当であることはいうまでもない。特に、本件災害後口頭弁論終結時までの間には、いわゆるバブル景気や平成一〇年の冬季オリンピック開催地に決定したこと(昭和六三年)による地価の高騰が介在しており、このような本件災害と全く関係がない地価の動向は考慮すべきではない。土地の値上がりは、国土の狭い我が国においてはごく普通のことであり(ただし、バブル景気崩壊後の数年間は例外である。)、右のような議論は損害論において不要かつ不当な議論である。仮に、口頭弁論終結時の時価との差額をいうのであれば、湯谷団地の地価は、本件災害がなかったとすれば、周囲の住宅地の地価と比較しても、相当高額になっていたはずであり、したがって、その損害は、原告らの主張額よりも大きくなる。

② その他の物損について

イ 概要

本件災害によって原告らが被った損害の額は、次のAないしDのいずれかの方法を右の順序で算出可能なものから採用し、その基準に基づいて算出した。

A方式 災害発生時の時価が判明している場合に、その価格をもって損害額とする方法

B方式 災害発生時の時価は判明しないが、各財産の取得時の価格が判明している場合に、取得価格に取得時から災害発生時までの物価上昇率を乗じ、更に、取得時から災害発生時までの経年減価を施して算出した額をもって損害額とする方法

C方式 災害発生時の時価及び取得価格がいずれも判明しない場合に、災害発生時の同種、同程度の財産の再取得価格に取得時から災害発生時までの経年減価を施して算出した額をもって損害額とする方法

D方式 一定額に限って損害額を推定する方法

ロ 建物について

修復費用の実額又は次のB若しくはCのいずれかの方法によって算出した。

B方式 建築時の新築価額に、社団法人日本損害保険協会(以下「損保協会」という。)が昭和六〇年一〇月一日付けで発行した「専用住宅建物・併用住宅建物・専用店舗建物・家財簡易評価基準」(以下「簡易評価基準」という。)所載の建築費倍率表中の該当数値を乗じて評価時の新築価額を算出し、これに簡易評価基準所載の残価率表中の木造専用住宅に係る該当数値を乗じて損害額を算出した。計算式は次のとおりである。

建築時の新築価額×建築費倍率×残価率

C方式 簡易評価基準所載の木造専用住宅新築費単価表により一平方メートル当たりの新築費を求め、所在地による単価調整(長野市の場合は0.9倍)及び基礎率加算(木造建物の場合は0.05)の修正をし、これに延床面積を乗じ、集中冷暖房設備のあった建物についてはその実額加算を行い、更にB方式と同じ方法で経年減価を行った。計算式は次のとおりである。

[新築費単価×0.9×1.05×延床面積+集中冷暖房実額]×残価率

ハ 門・塀について

前記イのB又はC方式によって算定したが、C方式を採用した場合は、簡易評価基準及び損保協会発行の「保険価額評価の手引き(昭和六〇年八月増補改訂版)」(以下「手引き」という。)所載の門・塀の価額表によった(経年減価をしないのが習わしであるため、いずれの場合も経年減価は行っていない。)。

ニ 庭・植木について

前記イのB又はD方式によって算定したが、B方式の場合は取得価額をもって損害額とし(財の性格上経年減価するものではないので、経年減価は行っていない)、D方式の場合は個々の見積を行わず一律五〇万円をもって損害額と推定した。

ホ 一般家財について

後記の特別家財以外の家財についてはすべて一般家財とし、前記イのB又はC方式によったが(いずれの場合も経年減価は行っていない。)、C方式によった場合は、被災当時の世帯主の年齢及び家族構成の別により簡易評価基準記載の家財簡易評価表によって標準時価額を算出し、これをもって損害額とした。

ヘ 特別家財について

機械器具、商品、自動車等を特別家財として把握し、B方式によった。決算書により減価償却後の価額が認識できる物を除いて、取得費をそのまま計上し経年減価はしていない。

ト 雑損について

原告らは、本件災害により、引越費用、転居先の家賃・権利金、手伝いの人に対する食事代・謝礼、被災時の混乱による一時的な収入の減少、医療費、薬品の購入、交通費、通信費等々種々の出費を余儀なくされた。また、避難先での不自由な生活のために、本来ならば買う必要のない最少限の道具を買いそろえざるを得なかったものである。

これらを雑損とし、建物埋没・全壊の原告らについては一律五〇万円、半壊の原告らについては一律三〇万円、その他の原告らについては個別立証による実額をもって損害額とした。

③ 逸失利益について

原告らの中には、埋没地において仕事を営み又はH鋼内の建物を他に賃貸していた者がいるが、これらの者は本件災害によって、仕事ができなくなり極端に収入が減ったり、借家人からの家賃収入がなくなったりしたので、災害前の収入について蓋然性の高い資料をもとにして、本件災害がなければ得られたであろう収入を計算し、年五分の割合による中間利息を月別新ホフマン係数により控除した。なお、右の状態が継続している者については、昭和六二年四月三〇日までの逸失利益を内金として請求する。

④ 慰謝料について

原告ら及びその家族は、目の前で愛着の深い土地・建物・家財等が夥しい土砂に次々と押し潰されていくのを恐怖と不安におののきながら無念の思いでなすすべもなく茫然と見守らざるを得なかった。

そして、原告らは、本件災害直後、着の身着のままの状態で住み慣れた我が家から避難し、暫時緊急避難場所である小学校体育館で不安な日々を過ごした後も、長期間にわたり家族全員をかかえて狭い仮住まいで不自由な生活を余儀なくされた。

また、埋没又は損壊によって自宅を喪失した原告らにおいては、苦労の末に生活の本拠として築き上げてきた住宅を瞬時に奪われたばかりでなく、多額の借入金が未返済のまま残存していることで途方に暮れた者もおり、埋没した住居とともにかけがえのない愛蔵の品々を一挙に失ったことにより回復不能の被害を受け、その精神的苦痛には計り知れないものがある。

これに対し、被告は、埋没地域の土地の一部を買い上げたものの、それ以外の原告らの損害については一切の補償を行おうとせず、いたずらに自らの責任回避に奔走して不誠実な態度に終始しており、そのため原告らの精神的苦痛は倍加している。被告のこうした一連の態度も慰謝料算定において斟酌されるべきである。

更に、本訴訟により原告らの財産的被害についての賠償が得られたとしても、賠償までに費やした時間・労力・不便さなどは財産類型別の積算によっては計算することができず、これら財産的被害として見積もり切れない被害も慰謝料によって補完されるべきである。

以上の諸事情を基礎にして、原告らの財産上の損害の程度、住宅の被災地内における位置関係、家族構成等の別に従って、次表のとおりの基準で右精神的損害についての賠償を求める。

家族構成

夫婦及び子供

若しくは老人

夫婦のみ又は

独身者

被害の程度等

H鋼内

1 埋没

① 被告の買上あり

六〇〇万円

五〇〇万円

② 被告の買上なし

八〇〇万円

七〇〇万円

2 全壊

七〇〇万円

六〇〇万円

3 半壊

五〇〇万~

四〇〇万~

七〇〇万円

六〇〇万円

4 建物健全

四〇〇万円

三〇〇万円

H鋼外

5 昭和六〇年一一月及び一二月に

避難命令が解除された地区

二〇〇万円

一六〇万円

6 昭和六〇年八月一二日までに

避難命令が解除された地区

一〇〇万円

八〇万円

H鋼内健全建物の賃貸人の慰謝料は、一〇〇万円とした。

⑤ 損害保険について

原告らのうち一部の者は、建物又は家財の損害の全部又は一部につき損害保険契約に基づいて保険会社より保険金を受領したので、該当者についてはこれらの金額を損害額から控除した。

⑥ 弁護士費用について

原告らの損害賠償請求に対し被告に全く誠意がなく、任意に賠償に応じようとしないので、原告らは、やむなく原告ら訴訟代理人に本訴の提起及び追行を委任し、第一審判決言渡後遅滞なく手数料及び報酬を支払う旨を約した。したがって、原告らが被った既述の損害合計の各一割相当額(一〇〇〇円未満切り捨て)を、本件災害と相当因果関係にある損害として被告に負担させるべきである。

(2) 被告

① 土地について

原告らは、地価公示価格の八割程度が時価であると主張するが、一つの目安にすぎず、近隣土地との比準もなされていない。不動産鑑定士の鑑定によれば、一平方メートル当たり七万七〇〇〇円ないし八万三〇〇〇万円であり、坪当たり単価に換算すると二五万四一〇〇円ないし二七万三九〇〇円であるとされており、地価公示価格の一平方メートル当たり七万四八〇〇円より若干高い程度である。番号5の原告野々村邦夫は、土地(約一〇〇坪)及び建物を昭和五七年一一月二日に二四五〇万円で購入しており、建物の価値を零とみても右売買における土地の価格は一坪当たり二四万五〇〇〇円であるところ、昭和五八年昭和六〇年までの長野県内における住宅地の地価の平均上昇率の単純合計は6.6パーセントであるから、右の価格は昭和六〇年の水準では一坪当たり約二六万円に相当し、右不動産鑑定士の評価額と符号する。

また、右鑑定地点及び地価公示地点は、団地中央部に位置し、原告らの主張に係る宅地より条件が良い。すなわち、昭和六〇年相続税財産基準路線価図によれば、右鑑定地点及び地価公示地点は一平方メートル当たり四万七〇〇〇円であるのに対し、原告らの主張に係る宅地付近の一平方メートル当たり単価は、四万五〇〇〇円であり、約4.3パーセント低くなっている。

なお、路線価は時価の七割から八割が目安になるといわれることがあるが、右路線価を前提とすると本件土地の時価は一坪当たり二一万円程度になる。番号9の原告永野つねは、土地(約一〇三坪)及び建物を昭和五八年一一月一五日に約二〇〇〇万円で購入しており、建物の価値を零とみても右売買における土地の価格は一坪当たり二〇万円足らずであるから、昭和六〇年の水準でも一坪当たり二二万円を超えることはない。また、番号22の原告野口茂は、土地(約一四四坪)及び建物を昭和五三年九月五日に三五〇〇万円で購入しており、同時期に建築された建物の建築費及び経年による減価を考慮すると右建物の購入当時の価格は五〇〇万円程度と推測されるから、右売買における土地の価格は一坪当たり約二〇万円程度である。更に、番号25の原告中村善信及び同26の原告中村寛は、土地(約一四〇坪)及び建物を本件災害の約一年前である昭和五九年六月一二日に約二八〇〇万円で購入しており、建物の価値を零とみても右売買における土地の価格は一坪当たり二〇万円である。これらの取引事例は、原告ら主張の価格がいかに過大であるかを裏付けるものであるとともに、昭和六〇年当時の路線価を前提として時価を一坪当たり二一万円程度とする見方にも根拠があることを示すものである。

原告らは、埋没地について、本件地すべり直後の価値は零であるとし、当時の時価を損害として主張するが、右土地は物理的に滅失してしまったわけではなく、湯谷団地内に流入した土砂等の下になりながらも存在していたのであるから、全くの零であるとの主張は到底とり得ない。また、土地の価格評価をするについては、被災したままの状態ではなく、右被災地に対する災害復旧工事の実施により安全性が回復する蓋然性を含んだものとして評価されるべきである。すなわち、物の評価は、評価後に通常発生する事象をも考慮してなされるべきであり、殊に、大規模災害に対しては、必ず行政による災害対策工事が実施される結果、宅地としての安全性が回復することが容易に推認されることから、右事情が土地の価格評価をする際に反映されなければならない。

ところで、本件地すべりのように、必ずしも災害発生機構の十分な解明の行われていなかった段階においては、災害復旧工事が行われることが予想されても、少なくとも災害復旧工事完了までは従前の水準まで回復されていなかったであろうが、その後、災害復旧工事の完了及び本件地すべり発生機構の解明により、現在においては、原告ら所有地の地価は回復しており(このことは相続税評価額の回復によって裏付けられる。)、原告らの受けた損害も補填されている。すなわち、被告は、本件地すべり直後から、直ちに応急対策に着手するとともに、平成元年までに約一五一億円余をかけて災害復旧のための恒久対策工事として、集水井二三基、排水トンネル三本(全長一六三〇メートル)、横孔ボーリング(全長六四二〇メートル)、深礎杭二九本、アンカー工八一八本、鋼管杭等を配置し、更に滑落崖の安定等のため上部法面工三八三、八〇〇立方メートル、敷地工事二〇七、九七〇平方メートルの大規模な法面対策工事を実施した。その結果、湯谷団地住民の不安感も災害当初に比べ質的に緩和されており、湯谷団地の安全性に対する団地住民のみならず市民県民の信頼性も回復し、それが地価回復に結び付いたものである。被告による右災害復旧工事は、本件宅地の毀損(宅地の物理的毀損のみならず、宅地としての安全性に対する信頼感の毀損を含む。)に対する修復と同視できる工事であり、被告の右工事により、原告らの主張する損害のうち、土地については損害は填補され回復されたものである。

仮に、本件土地の地価回復に地価の一般的上昇分の要因が含まれているとしても、原告らは本件土地を永住目的で購入しているのであるから、自己所有宅地を売却しなかった原告らにおいて損害は現実化していないと解する余地も十分ある。また、原告らは、地附山南東斜面はそもそも地すべり地であり、湯谷団地についても地すべり防止区域の指定がなされるべきであったと主張するのであるから、この主張を前提とすれば、原告らには、その主張に係る各土地が地すべり防止区域にあるものとしての保護が与えられれば十分である。なぜなら、原告らには本来その価値しか与えられていなかったといえるのであるし、また、仮に本件地すべりを防止し得たとしても、右各土地が地すべり防止区域内にあることまでを避けることはできず、地すべり発生のおそれによる地価の低落まで防ぐことはできないからである。被告には原告らに対し右各土地の価値を地すべりの危険のないことを前提とする価値にまで回復させなければならない義務はない。不動産鑑定士の鑑定によると、地すべり防止区域に指定されたことにより土地の価値が一〇パーセントから一五パーセント低落したとされているから、右各土地の被災当時の時価は少なくとも一〇パーセントは低くみてもよいことになり、仮に一般的値上がりを考慮したとしても原告らの損害はほとんど回復しているというべきである。

② その他の物損について

イ 序論

原告らは、立証の困難性を理由として、合理的と思われる資料を用いて損害を推計することもそれが控えめである限り正当とみなされるべきであると主張し、土地以外の損害額の算定についてAないしDの各方式を採ることを明らかにしている。しかし、火災や水害等で家屋や家財等が焼失したり、流失することは多々あるのであり、立証の困難性は本件訴訟特有の問題とはいえない。個々具体的な損害をできる限り個別に主張立証することに努力し、その上で万一やむを得ない場合に初めて合理的資料に基づき推計することが許されるのである。その意味において、右各方式を相互に比較検討してみた場合、損害額の算出方法としてはA方式が原則であり、B方式がそれに次ぎ、C及びDの各方式は全くの例外であるといわざるを得ない。そして、原告らは、B方式を採るについては災害発生時の時価が判明しないことを、また、C方式を採るについては災害発生時の時価及び各財産の取得価格がいずれも判明しないことを、それぞれ主張立証しなければならないものと解すべきである。

ロ 建物について

建物の時価が建物の取得価格に建築費倍率と残価率とを乗ずることによって算出されることは争わないが、建築費倍率は財団法人日本不動産研究所発表の全国木造建築費指数(以下「全国木造建築費指数」という。)を用いて算出すべきであり、また、残価率は減価償却資産の耐用年数等に関する大蔵省令(以下「大蔵省令」という。)所定の耐用年数(木造専用住宅は二四年)をもとに算出すべきである。すなわち、全国木造建築費指数によると本件災害時の直近である昭和六〇年九月の指数は848.7であるから、次の計算式のとおり右指数を建物建築時の直近の指数(以下「建築時指数」という。)で除した値が建築費倍率となる。

計算式 建築費倍率=848.7/建築時指数

また、減価償却後の残存割合を一〇パーセント、耐用年数を二四年とすると、一年当たりの減価率は3.75パーセントとなるので、残価率は次の計算式によって算出される。なお、鑑定理論に忠実に従えば、耐用年数経過後の価額は零と解する余地もあるが、一〇パーセント程度の価値は残っているものと解する課税上の取扱いが社会通念に合致する面もあることを考慮し、右のとおり算定するものとした。

計算式 残価率=1−0.0375×経過年数

原告らが使用する簡易評価基準は、建築費倍率を全国木造建築費指数から算出される数値よりも高く設定し、かつ、残価率を大蔵省令所定の耐用年数をもとに算出される数値よりも低く設定しているが、これは、損害保険に特有の事情に基づく算定方法を損害賠償論にまで持ち込むものであり、不当である。すなわち、保険会社は保険額に応じて保険料収入が入ることから、保険目的建物をその裁量の範囲でできる限り高い価格とすることが営業上の利益に直結し、また、長年のインフレ傾向を考慮してできるだけ保険金額を高くしておかないと、保険事故発生時に実質的な救済を図れない恐れがあることから、高めの設定が容認されてきた事情があるものと推測されるのであり、このような評価基準は、原告らが述べるように控えめなものではない。

ハ 門・塀について

原告らは、門・塀についてはいずれも経年減価は行わないとするが、新品の交換価値が中古品のそれを上回ることは明らかである上、建物について経年減価を施す以上、これとの均衡からも門・塀についても同様に解すべきである。

ニ 家財について

原告らが使用する家財簡易評価表は、家財の時価を過大に評価している。家財の時価が市場性が乏しいことから極めて低廉であることは、家財等の動産執行における配当金が極めて僅少であることからも裏付けられており、経験則ともいうべきものである。

また、同じ家族構成であっても、年収によりその保有家財の額に影響を来すことは明らかである。原告らが年収による差異をあえて無視し、直ちに家財簡易評価法によったことには疑問がある。C方式が損害賠償認定方法としてはやむを得ない場合にのみ許容される例外的手法であるとすれば、金額に消長をきたす蓋然性が高い具体的事情については、できるだけこれを勘案すべきである。

更に、原告らの主張によれば、家財簡易評価表による標準時価額の全額が損害であるとし、これには家族全員の家財が含まれているところ、原告ら所有の家財に限り損害として請求し得るものと解すべきである。そして、手引きによれば、夫婦のみの家財に占める世帯主に属する共通家財と個人家財の割合は約七〇パーセントである。

ホ 雑損について

原告らの主張する出費のうち、見舞に対する謝礼は、受け取った見舞金を上回るとは考えられず、かつ、相当因果関係にある損害とはいい難い。また、買い入れた生活用品が消耗品であれば、これまた本件災害との因果関係は認め難いし、家財として残るものであれば、その後も使用可能であるし、金銭が家財に変わっただけであるから、財産状態が悪化したとはいえず、損害が生じたとはいえない。仮に、本件災害がなければ購入する必要のないものを購入するために金員を支出したこと自体が損害であるとしても、その支出に対応する財産を取得している以上、損益相殺の理念に照らしても、その取得した財産を利得として控除すべきである。また、この点が慰謝料の対象になるとしても、その金額は大きいものではあり得ない。

③ 慰謝料について

原告らの請求は、埋没世帯に対し八〇〇万円ないし六〇〇万円と高額であるが、埋没等による財産的損害については、もし本請求が認容されるならば回復されるのであり、財産的損害が治癒されたときは右損失を被ったことにより感じた精神的苦痛も治癒されると考えられるのであるから、あまりに過大な請求である。

埋没地につき買上げがなされたか否かによる慰謝料額の区別については、買上げを受けた原告らはその時に損害が現実化してしまったといえるのに対し、買上げを受けなかった原告らはその後本件団地の地価が災害当時の価格以上に回復し損害が現実化しなかったといえることからすると、両者の間に慰謝料額として二〇〇万円もの違いを設けることに合理性はない。

原告らが主張する賠償までに費やした時間・労力・不便さについては、これが本件裁判をするに要した時間・労力をいうのであれば、裁判制度一般の問題であって本件固有の問題とはいえず、右事情を慰謝料として請求できないことはいうまでもない。また、原告らの本件訴訟における財産的被害に関する請求は、土地、建物、家財、門・塀、庭・植木及び逸失利益に加え雑損をそれぞれ独立項目として請求しているのであって、これは本件地すべりにより被ったと思われる財産的損害をほとんど網羅するものであることを考慮すると、本件における原告らの財産的損害について慰謝料をもって補完すべき必要性はない。

④ 損益相殺について

被告は、昭和六一年六月三〇日原告らを含む住民により設立された湯谷団地地すべり被災者の会(以下「被災者の会」という。)との間で本件災害の復旧対策について合意し、この合意に基づいて、本件地すべり地の一部を一平方メートル当たり五万三六三七円(3.3平方メートル当たり一七万七〇〇〇円)で買い上げたほか、原告らに対し、後記のとおり、右合意に基づく住宅建設の補助金として総額八〇五万三四四六円を、災害復興住宅建設事業補助金として総額一一九四万五七九一円を、災害見舞金として総額四三三万円をそれぞれ交付した。

また、原告らは、長野市から、後記のとおり、本件被災の見舞金として総額一〇五万円を受領している。

更に、建物が埋没した原告らに対しては、日本赤十字社から、損害の補填を目的として一人当たり三四〇万円が支払われている。

仮に、右の補助金ないし見舞金の一部が損益相殺として認められないとしても、原告らの精神的苦痛を慰謝する効果があったことは十分推認できる。

(二) 各原告の損害

(1) 原告ら

① 番号1の原告矢川三男

同原告(大正一〇年二月一四日生)は、妻(大正一五年九月二〇日生)及び母(明治二六年一二月一日生)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二一〇の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「矢川三男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一二六三万一〇一五円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地316.87平方メートル(96.02坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一六九九万五九五六円は被告による買上額である。

計算式 308,550×96.02−16,995,956=12,631,015

ロ 建物の埋没(B方式)

七七九万〇五七五円

同原告所有の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積81.13平方メートル。昭和四七年三月一〇日建築。)が埋没し、その損害額をB方式により算出すると右金額になる。

計算式 3,236,700×2.99×0.805=7,790,575

ハ 門・塀の埋没(C方式)

五六万三〇〇〇円

同原告所有の鉄製門扉及びスチールパイプ製フェンス(全長七二メートル)が埋没し、その損害額をC方式により各算出すると合計で右金額になる(内訳は次のとおり)。

鉄製門扉 五万九〇〇〇円

スチールパイプフェンス

五〇万四〇〇〇円

計算式 7,000×72=504,000

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

九五〇万円

ヘ 雑損 五〇万円

ト 慰謝料 六〇〇万円

チ 損害保険による填補額

△三五〇万円

リ 弁護士費用を除く合計

三三九八万四五九〇円

ヌ 弁護士費用

三三九万八〇〇〇円

ル 請求総額

三七三八万二五九〇円

② 番号2の原告北島善宏

同原告(昭和一〇年二月二五日生)は、妻(昭和八年一〇月二〇日生)及び長女(昭和四一年八月一九日生)とともに同所一六〇五番二七一の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「北島善宏」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一一六一万四二〇三円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地291.36平方メートル(88.29坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一五六二万七六七六円は被告による買上額である。

計算式 308,550×88.29−15,627,676=11,614,203

ロ 建物の埋没(C方式)

一一四七万八八九四円

同原告所有の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計119.24平方メートル。昭和四九年三月二〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×119.24×0.835=11,478,894

ハ 門・塀の埋没(C方式)

二一万一三〇〇円

同原告所有の鉄製門扉(高さ一メートル足らず)及びブロック塀(全長二〇メートル。設置費用は隣人と折半で負担。)が埋没し、その損害額をC方式により各算出すると合計で右金額になる(内訳は次のとおり)。

鉄製門扉 四万一三〇〇円

計算式 59,000×0.7=41,300

ブロック塀 一七万円

計算式 17,000×20×1/2=170,000

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

九五〇万円

ヘ 雑損 五〇万円

ト 慰謝料 六〇〇万円

チ 損害保険による填補額

△五八〇万円

リ 弁護士費用を除く合計

三四〇二万二〇九七円

ヌ 弁護士費用

三四〇万二〇〇〇円

ル 請求総額

三七四二万四〇九七円

③ 番号3の原告新名よしえ

同原告(大正一四年一〇月二日生)は、同所一六〇五番一七五の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「新名良枝」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

八四九万九〇一四円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地345.46平方メートル(104.68坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の二三八〇万円は野村眞造に対する右宅地の売却代金額である。

計算式 308,550×104.68−23,800,000=8,499,014

ロ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ハ 一般家財の埋没(C方式)

四二五万円

右は夫婦世帯の半分として算出したものである。

ニ 雑損 五〇万円

ホ 慰謝料 七〇〇万円

ヘ 弁護士費用を除く合計

二〇七四万九〇一四円

ト 弁護士費用

二〇七万四〇〇〇円

チ 請求総額

二二八二万三〇一四円

④ 番号4の原告松枝一幸

同原告(昭和一七年五月一日生)は、母(大正四年三月八日生)を同所一六〇五番二一九の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「松枝一幸」と記載されている場所)に居住させていたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一三三二万五二六六円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地334.30平方メートル(101.30坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一七九三万〇八四九円は被告による買上額である。

計算式 308,550×101.30−

17,930,849=13,325,266

ロ 建物の埋没(C方式)

一六〇〇万二四六〇円

同原告所有の木造瓦葺二階建居宅一棟(床面積合計112.62平方メートル。昭和四七年一二月二〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。計算式中の一九四万円は集中暖房設備の価額である。

計算式 (155,000×0.9×1.05×112.62+1,940,000)×0.868=16,002,460

ハ 門・塀の埋没(C方式)

三九万六六六六円

同原告所有のブロック塀(全長三五メートル、高さ1.2メートル)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 17,000×35×120/180=396,666

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

四七〇万円

右は夫婦と小人一人大人一人の場合の半分として算出したものである。

ヘ 特別家財の埋没(B方式)

四〇万円

同原告所有の仏壇が埋没し、その損害額をB方式により算出すると右金額になる。

ト 雑損 五〇万円

チ 慰謝料 六〇〇万円

リ 弁護士費用を除く合計

四一八二万四三九二円

ヌ 弁護士費用

四一八万二〇〇〇円

ル 請求総額

四六〇〇万六三九二円

⑤ 番号5の原告野々村邦夫

同原告(昭和二七年五月四日生)は、妻(昭和三一年一二月二二日生)、長男(昭和五五年一一月七日生)及び長女(昭和五八年五月一三日生)とともに同所一六〇五番二一八の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「野々村邦夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一三二七万九三六〇円

同原告所有の右宅地333.20平方メートル(100.96坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一七八七万一八四八円は被告による買上額である。

計算式 308,550×100.96−17,871,848=13,279,360

ロ 建物の埋没(C方式)

一二九三万八九九一円

同原告所有の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計117.58平方メートル。昭和四九年三月三〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。計算式中の一九四万円は集中暖房設備の価額である。

計算式 (122,000×0.9×1.05×117.58+1,940,000)×0.835=12,938,991

ハ 庭・植木の埋没(B方式)

一五八万五〇〇〇円

同原告所有の庭木(ツゲ・カキ根一〇本、ヤツデ一本、松三本、貝塚イブキ三〇本、キャラ一本、白カバ三本、梅一本、サツキ三〇本、ツツジ一〇本)及び庭石(八トン)が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ニ 一般家財の埋没(C方式)

七一〇万円

ホ 雑損 五〇万円

ヘ 慰謝料 六〇〇万円

ト 損害保険による填補額

△九八〇万円

チ 弁護士費用を除く合計

三一六〇万三三五一円

リ 弁護士費用 三一六万円

ヌ 請求総額

三四七六万三三五一円

⑥ 番号6の原告西澤政二

同原告(昭和七年六月一日生)は、妻(昭和九年八月一八日生)とともに同所一六〇五番一七六の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「西沢政二」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一三六六万〇九七一円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地349.89平方メートル(106.02坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一九〇五万一五〇〇円は三ツ喜合資会社に対する右宅地の売却代金額である。

計算式 308,550×106.02−19,051,500=13,660,971

ロ 建物の埋没(C方式)

六二五万九八六六円

同原告所有の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積68.73平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×

68.73×0.790=6.259.866

ハ 庭・植木の埋没(B及びD方式)

二五〇万円

右は一律分五〇万円に敷地回りの石組みと車庫の実額二〇〇万円を加えて算出したものである。

ニ 一般家財の埋没(C方式)

八五〇万円

ホ 雑損 五〇万円

ヘ 慰謝料 七〇〇万円

ト 損害保険による填補額

△一三三万円

チ 弁護士費用を除く合計

三七〇九万〇八三七円

リ 弁護士費用

三七〇万九〇〇〇円

ヌ 請求総額

四〇七九万九八三七円

⑦ 番号7の原告小松次郎

同原告(昭和一五年一月一六日生)は、同所一六〇五番二一二の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「小松次郎」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

三一九四万四一八一円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地341.65平方メートル(103.53坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。

計算式 308,550×103.53=31,944,181

ロ 建物の埋没(C方式)

九六八万二七〇五円

同原告所有の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計104.33平方メートル。昭和四七年一月二〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×104.33×0.805=9,682,705

ハ 門・塀の埋没(C方式)

四六万二〇〇〇円

同原告所有の鋳物製門扉及びアルミ製塀(全長三六メートル)が埋没し、その損害額をC方式により各算出すると合計で右金額になる(内訳は次のとおり)。

鋳物製門扉 一三万八〇〇〇円

アルミ製塀 三二万四〇〇〇円

計算式 9,000×36=324,000

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

三九〇万円

右は、母の家財も置いてあったことから、夫婦の場合の半分として算出したものである。

ヘ 雑損 五〇万円

ト 慰謝料 七〇〇万円

チ 損害保険による填補額

△二〇〇万円

リ 弁護士費用を除く合計

五一九八万八八八六円

ヌ 弁護士費用

五一九万八〇〇〇円

ル 請求総額

五七一八万六八八六円

⑧ 番号8の原告丸山隆志

同原告(昭和一三年一〇月二日生)は、妻(昭和一九年一二月二日生)、長女(昭和四三年四月二日生)、長男(昭和四五年八月二日生)及び二男(昭和五一年三月二日生)とともに同所一六〇五番二七〇の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「丸山隆志」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

三九三七万四〇六五円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地421.12平方メートル(127.61坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。

計算式 308,550×127.61=39,374,065

ロ 建物の埋没(C方式)

一四七三万一七六一円

同原告所有の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計153.03平方メートル。昭和四九年三月二〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×

153.03×0.835=14,731,761

ハ 門・塀の埋没(C方式)

一五万円

同原告所有のネットフェンス(全長三〇メートル、高さ1.2メートル)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 5,000×30=150,000

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

九六〇万円

ヘ 特別家財の埋没(B方式)

七五三万円

同原告所有のオートバイ一一台、ヘルメット一一個、マイクロバス一台、絨毯クリーニング機二台、プール(横二メートル、縦五メートル)及び除雪機一台が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ト 雑損 五〇万円

チ 慰謝料 八〇〇万円

リ 損害保険による填補額

△七七〇万円

ヌ 弁護士費用を除く合計

七二六八万五八二六円

ル 弁護士費用

七二六万八〇〇〇円

ヲ 請求総額

七九九五万三八二六円

⑨ 番号9の原告永野つね

同原告(大正四年九月二四日生)は、夫(明治四四年八月五日生)とともに同所一六〇五番二一一の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「永野道人」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

九〇四万七五四二円

同原告所有(持分三分の二)の右宅地340.47平方メートル(103.17坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一二一七万四五二六円は被告による土地買上額のうち持分三分の二に相当する額である。

計算式 308,550×103.17×2/3−12,174,526=9,047,542

ロ 建物の埋没(C方式)

六九四万八二五八円

同原告所有(持分三分の二)の軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅一棟(床面積合計112.30平方メートル。昭和四七年三月一〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×

112.30×0.805×2/3=6,948,258

ハ 門・塀の埋没(C方式)

四六万六二〇〇円

同原告所有の木造塀(全長66.6メートル、高さ1.2メートル)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 7,000×66.6=466,200

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

八五〇万円

ヘ 雑損 五〇万円

ト 慰謝料 五〇〇万円

チ 弁護士費用を除く合計

三〇九六万二〇〇〇円

リ 弁護士費用

三〇九万六〇〇〇円

ヌ 請求総額

三四〇五万八〇〇〇円

⑩ 番号10の原告上原栄

同原告(昭和三年一月一日生)は、妻(昭和六年三月一三日生)とともに同所一六〇五番一七七の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「上原栄」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一三二二万八二一七円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地331.91平方メートル(100.57坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一七八〇万二六五六円は被告による土地買上額である。

計算式 308,550×100.57−17,802,656=13,228,217

ロ 建物の埋没(C方式)

七二八万六三九一円

同原告所有の軽量鉄骨造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積78.51平方メートル。昭和四七年三月一〇日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×

78.51×0.805=7,286,391

ハ 門・塀の埋没(C方式)

七〇万二〇〇〇円

同原告所有の大谷石製塀(全長11.7メートル、高さ1.2メートル)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 60,000×11.7=702,000

ニ 庭・植木の埋没(D方式)

五〇万円

ホ 一般家財の埋没(C方式)

八五〇万円

ヘ 雑損 五〇万円

ト 慰謝料 五〇〇万円

チ 損害保険による填補額

△七一五万円

リ 弁護士費用を除く合計

二八五六万六六〇八円

ヌ 弁護士費用

二八五万六〇〇〇円

ル 請求総額

三一四二万二六〇八円

⑪ 番号11の原告萩本親治

同原告(大正一五年一〇月一八日生)は、妻(大正一四年一二月一五日生)とともに同所一六〇五番二六九の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「萩本親治」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

二〇一一万六〇九一円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地504.64平方メートル(152.92坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の二七〇六万七三七五円は被告による土地買上額である。

計算式 308,550×152.92−27,067,375=20,116,091

ロ 建物の埋没(C方式)

一三六一万四六五三円

同原告所有の木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟(床面積138.93平方メートル。昭和四九年一〇月五日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 122,000×0.9×1.05×

138.93×0.850=13,614,653

ハ 門・塀の埋没(C方式)

二〇九万一五五五円

同原告所有の大谷石製塀等が埋没し、その損害額をC方式により各算出すると合計で右金額になる(内訳は次のとおり)。

大谷石製塀(全長二一メートル、高さ1.6メートル) 一六八万円

計算式 60,000×21×160/120=1,680,000

コンクリート製ブロック塀(全長一四メートル、高さ1.6メートル)

二一万一五五五円

計算式 17,000×14×160/180=211,555

金網フェンス(全長三〇メートル、高さ1.6メートル) 二〇万円

計算式 5,000×30×160/120=200,000

ニ 庭・植木の埋没(B方式)

一一一万八八〇〇円

埋没した庭園の損害額をB方式により算出すると右金額になる。

ホ 一般家財の埋没(C方式)

八五〇万円

ヘ 特別家財の埋没(B方式)

四三万二〇〇〇円

同原告所有のサファイアの指輪が埋没し、その損害額をB方式により算出すると右金額になる。

ト 雑損 五〇万円

チ 逸失利益 一三二万七六八八円

同原告は、妻とともに貸清掃具業を営んでいたが、本件災害により、約一か月半の間営業の中断を余儀なくされ、一三二万七六八八円の売上げを喪失した。

リ 慰謝料 五〇〇万円

ヌ 弁護士費用を除く合計

五二七〇万〇七八七円

ル 弁護士費用 五二七万円

ヲ 請求総額

五七九七万〇七八七円

⑫ 番号12の(1)の原告飯嶋晃、同(2)の原告飯嶋純子、同(3)の原告石澤妙子及び同(4)の原告竹田幸子

訴訟承継前の原告飯嶋敬紀(昭和二年九月一〇日生)は、妻(番号13の原告飯嶋俊枝。昭和五年七月一四日生。)及び長女(番号12の(2)の原告飯嶋純子。昭和三二年六月九日生。)とともに同所一六〇五番一九五の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「(株)経済情報センター飯島敬紀」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一〇五一万八四六三円

被告から買い受け飯嶋敬紀が所有(持分二分の一)していた右宅地527.74平方メートル(159.92坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一四一五万三一九五円は被告による土地買上額のうち持分二分の一に相当する金額である。

計算式 308,550×159.92×1/2−14,153,195=10,518,463

ロ 建物の埋没(B方式)

二一五一万四四〇六円

同人が所有(持分二分の一)していた木造銅板葺二階建居宅一棟(床面積合計172.03平方メートル。昭和五三年七月一日建築。)が埋没し、この損害額をB方式により算出すると右金額になる。

計算式 36,420,650×1.28×0.923×1/2=21,514,406

ハ 門・塀の埋没(B方式)

二六万円

同人が所有していた門柱が埋没し、その損害額をB方式により算出すると右金額になる。

ニ 庭・植木の埋没(B方式)

二八七万円

埋没した庭園の損害額をB方式により算出すると右金額になる。

ホ 一般家財の埋没(C方式)

九五〇万円

ヘ 特別家財の埋没(B方式)

三三八万円

同人が所有していた腕時計二個、PTダイヤリング、ホールクロック、金庫、メキシコオパール指輪、家庭用サウナ風呂及び婚礼家具セットが埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ト 雑損 五〇万円

チ 逸失利益 九八二万〇六二七円

同人は番号14の原告株式会社経済情報センターから役員報酬及び給与を得ていたところ、本件災害により一か月当たり四八万八〇〇〇円の減収となり、昭和六〇年八月から昭和六二年四月までの二一か月分の逸失利益を新ホフマン方式により算出すると右金額になる。

計算式 488,000×20.0913=9,820,627

リ 慰謝料 六〇〇万円

ヌ 損害保険による填補額

△二〇〇〇万円

ル 弁護士費用を除く合計

四四三六万三四九六円

ヲ 弁護士費用

四四三万六〇〇〇円

ワ 総額 四八七九万九四九六円

そして、番号12の(1)ないし(4)の各原告は、飯嶋敬紀の死亡により同人の右損害賠償請求権のうち法定相続分八分の一に相当する六〇九万九九三七円(このうち弁護士費用相当額は五五万四五〇〇円)についての請求権をそれぞれ取得した。

⑬ 番号13の原告飯嶋俊枝

同原告は、前記⑫のとおり居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

一〇五一万八四六三円

被告から買い受けた同原告所有(持分二分の一)の前記⑫のイの土地が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一四一五万三一九五円は被告による土地買上額のうち持分二分の一に相当する金額である。

計算式 308,550×159.92×1/2−14,153,195=10,518,463

ロ 建物の埋没(B方式)

二五七四万九四四九円

同原告所有の前記(12)のロの建物(持分二分の一)及び木造瓦・亜鉛メッキ鋼板葺二階建事務所物置一棟(床面積合計109.16平方メートル。昭和五五年一一月二日建築。)が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる(内訳は次のとおり)。

前記⑫のロの建物(持分二分の一)

二一五一万四四〇六円

計算式 36,420,650×1.28×0.923×1/2=21,514,406

事務所物置 四二三万五〇四三円

計算式 4,538,000×1.01×0.924=4,235,043

ハ 逸失利益 一五〇万四八三八円

同原告は番号14の原告株式会社経済情報センターから役員報酬及び給与を得ていたところ、本件災害により一か月当たり七万四九〇〇円の減収となり、昭和六〇年八月から昭和六二年四月までの二一か月分の逸失利益を新ホフマン方式により算出すると右金額になる。

計算式 74,900×20.0913=1,504,838

ニ 弁護士費用を除く合計

三七七七万二七五〇円

ホ 弁護士費用

三七七万七〇〇〇円

ヘ 総額 四一五四万九七五〇円

そして、同原告は、飯嶋敬紀の死亡により同人の前記⑫の損害賠償請求権のうち法定相続分二分の一に相当する二四三九万九七四八円についての請求権を取得した。したがって、請求総額は合計六五九四万九四九八円(このうち弁護士費用相当額は五九九万五〇〇〇円)になる。

⑭ 番号14の原告株式会社経済情報センター

同原告は、本件災害により次のとおり損害を被った。

イ 建物の埋没

一六七万七七八四円

同原告は、昭和五八年一〇月二六日前記⑬のロの事務所物置が増築された際にその費用を支出し、以後これを同原告の資産として減価償却してきたところ、本件災害によって右建物が埋没したことにより、当時の簿価に相当する一六七万七七八四円の損害を被った。

ロ 特別家財の埋没

一五九七万五五六二円

同原告所有の在庫商品(輪島塗の飾棚、コタツ盆九、蒔絵付お椀二〇、雑煮椀五、炉縁二、六五重、花びん三、下駄、日の出額、座卓二、えもん掛三〇、弁当箱五及び屠蘇器二)並びに機械装置、車両運搬具及び工具器具・備品が埋没し、その損害額を仕入値及び決算書により各算出すると合計で右金額になる。

ハ 雑損 一八万円

右は本件災害後湯谷団地内の高野方空き家を賃料月額一万円で一年半賃借したことにより支払った賃料の合計額である。

ニ 弁護士費用を除く合計

一七八三万三三四六円

ホ 弁護士費用

一七八万三〇〇〇円

ヘ 請求総額

一九六一万六三四六円

⑮ 番号15の原告株式会社飯島源左衛門正行商店

同原告は、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 特別家財の埋没(B方式)

一〇三八万四〇〇〇円

同原告所有の在庫商品(玉露茶、やぶきた茶、抹茶椀一一、水指、花びん二、つぼ二、なつめ一七、茶せん一〇、茶器セット三、名入の茶缶茶袋、ビニール袋、テープ及びシール、葛布の床掛五五、茶掛三〇、色紙掛一〇〇、短冊三〇〇、ミニ短冊三〇、バック一五、パラソル二、帯一三、ぼうし八、財布一〇、ぞうり一〇及び座布団地等)、冷蔵庫三台及び金庫が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ロ 弁護士費用

一〇三万八〇〇〇円

ハ 請求総額

一一四二万二〇〇〇円

⑯ 番号16の原告株式会社リンホフ・フォト

同原告は、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 特別家財の埋没(B方式)

九一四万六二〇〇円

同原告所有のカメラ(六×一七センチメートル)本体、同センターフィルター、同ケース、色温度メーター、ストロボメーター、フィルムホルダー(四×五インチ)五〇枚、同(五×七インチ)五〇枚、ルーペ(四倍ピント)、同(八倍ピント)、三脚(四×五インチカメラ用)、カメラ(三五m/m判)本体、同レンズ、同ケース、顕微鏡撮影システム(四×五インチ)、カメラ用交換レンズ、カメラ(五×七インチ判)本体、同広角ベローズ、同ケース、シャッターレリーズ(三四センチメートル)、同(五三センチメートル)、大型カメラ用レンズ四、大型カメラ用スタジオスタンド及び写真スタジオ用設備機材一式が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ロ 弁護士費用 九一万四〇〇〇円

ハ 請求総額

一〇〇六万〇二〇〇円

⑰ 番号17の原告西脇博

同原告(昭和二四年四月一六日生)は、妻(昭和二五年九月二四日生)、父(大正六年七月二七日生)、母(大正一〇年一〇月三日生)、長女(昭和五〇年一二月六日生)及び長男(昭和五六年一二月一九日生)とともに同所一六〇五番二七二の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「西脇健作」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 一般家財の埋没(C方式)

九一〇万円

ロ 特別家財の埋没(B方式)

九七万円

同原告所有のパソコン及び家庭用サウナ風呂が埋没し、その損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ハ 雑損 五〇万円

ニ 逸失利益 一一万円

同原告は、本件災害当時、株式会社育英システムという学習教材の訪問販売会社で歩合制のセールスの仕事をしており、一か月当たり一一万円の給与収入が保証されていたが、昭和六〇年八月分については災害直後でほとんど出勤できず、同月分の給与一一万円を得ることができなかった。

ホ 慰謝料 四〇〇万円

右は埋没した土地・建物が同原告の所有でないことを考慮して算出したものである。

ヘ 弁護士費用を除く合計

一四六八万円

ト 弁護士費用

一四六万八〇〇〇円

チ 請求総額

一六一四万八〇〇〇円

⑱ 番号18の原告筒井健雄

同原告(昭和一〇年一〇月一三日生)は、妻(昭和一二年八月二五日生)及び長女(昭和四二年六月一一日生)とともに同所一六〇五番一九九の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「筒井健雄」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおり損害を被った。

イ 土地(b方式)

二三九四万九四八六円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地305.70平方メートル(92.63坪)についての損害額をb方式により算出すると右金額になる。

計算式 258,550×92.63=23,949,486

ロ 建物の全壊(B方式)

一〇二八万二〇五六円

同原告所有の木軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟(床面積106.61平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。昭和五一年一一月二〇日増築。)が全壊し、その損害額をB方式により算出すると右金額になる。

計算式 (3,557,030×2.38×0.790)+(3,335,000×1.3×0.829)=10,282,056

ハ 庭・植木(D方式) 五〇万円

ニ 雑損 五〇万円

ホ 慰謝料 七〇〇万円

ヘ 損害保険による填補額

△二九〇万円

ト 弁護士費用を除く合計

三九三三万一五四二円

チ 弁護士費用

三九三万三〇〇〇円

リ 請求総額

四三二六万四五四二円

⑲ 番号19の原告五味照夫

同原告(昭和一九年一二月二三日生)は、妻(昭和二五年九月六日生)、長女(昭和五〇年一〇月四日生)及び長男(昭和五五年八月二五日生)とともに同所一六〇五番一六八の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「五味照夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(b方式)

二六七一万八五五七円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地341.05平方メートル(103.34坪)についての損害額をb方式により算出すると右金額になる。

計算式 258,550×103.34=26,718,557

ロ 建物の半壊

四〇六万〇一六〇円

同原告所有の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積85.25平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。昭和五九年八月増築。)が半壊し、その修復のため四〇六万〇一六〇円を要した。

ハ 門・塀(C方式)

五万一〇〇〇円

同原告所有の塀(損壊部分の長さ三メートル)についての損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 17,000×3=51,000

ニ 雑損 三〇万円

ホ 慰謝料 五〇〇万円

ヘ 弁護士費用を除く合計

三六一二万九七一七円

ト 弁護士費用

三六一万二〇〇〇円

チ 請求総額

三九七四万一七一七円

⑳ 番号20の原告荒井伊佐男

同原告(昭和七年三月一三日生)は、妻(昭和一二年五月六日生)、長女(昭和三七年一二月二一日生)、二女(昭和三九年六月二四日生)及び母(明治三八年七月一六日生)とともに同所一六〇五番二二一の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「荒井伊佐男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(b方式)

二四二八万三〇一六円

同原告所有の右宅地309.95平方メートル(93.92坪)についての損害額をb方式により算出すると右金額になる。

計算式 258,550×93.92=

24,283,016

ロ 建物の半壊 五二五万円

同原告所有の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積85.28平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。)が半壊し、その修復のため五二五万円を要した。

ハ 一般家財(B方式)二二二万円

同原告所有の一般家財(洋だんす二本、和だんす二本、ベビーだんす、サイドボード、冷蔵庫、電子レンジ、ガス湯沸器、ミシン、ベッド、ふとん類七組、応接セット、本箱二個、シャンデリア、衣類・下着類・ワイシャツ等、食器類及び書籍約一二〇冊)についての損害額をB方式により各算出すると合計で右金額になる。

ニ 雑損 三〇万円

ホ 慰謝料 五〇〇万円

ヘ 弁護士費用を除く合計

三七〇五万三〇一六円

ト 弁護士費用

三七〇万五〇〇〇円

チ 請求総額

四〇七五万八〇一六円

番号21の原告森川猛夫

同原告(昭和一一年八月一八日生)は、妻(昭和一五年一一月三日生)、長男(昭和四〇年五月八日生)及び長女(昭和四六年六月二四日生)とともに同所一六〇五番一七〇の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「森川猛夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

二〇〇五万八三三九円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地317.41平方メートル(96.18坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×96.18=

20,058,339

ロ 建物 一〇〇万円

同原告所有の木造瓦葺地下一階付平家建居宅一棟(床面積合計137.97平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。)の修復のため一〇八万円を要した(このうち八万円については請求しない)。

ハ 雑損 八〇万五一七七円

本件災害後、三回の移転のため台所廻りの必要な道具をそのたびに購入して整え、又その他小道具など細かい物の購入のため合計九二万九八七七円の出費があり、これから長野市の家賃補助分四万円を控除すると、八八万九八七七円になる(このうち八万四七〇〇円については請求しない)。

ニ 慰謝料 四〇〇万円

ホ 弁護士費用を除く合計

二五八六万三五一六円

ヘ 弁護士費用

二五八万六〇〇〇円

ト 請求総額

二八四四万九五一六円

番号22の原告野口茂

同原告は、同所一六〇五番二三五の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「新名敏雄 野口茂」と記載されている場所)及び同所所在の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積140.10平方メートル。昭和四八年一〇月二〇日建築。)を所有し、右居宅を新名敏雄に賃貸していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

二九九九万三六六一円

同原告所有の右宅地474.61平方メートル(143.82坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる、右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×143.82=

29,993,661

ロ 逸失利益 一三六万円

同原告は、新名敏雄に対する右家屋の賃貸により一か月当たり八万円の賃料収入を得ていたが、本件災害により昭和六〇年八月から避難解除になった昭和六一年一二月までの一七か月分の右賃料収入を失い、合計一三六万円の損害を被った。

ハ 慰謝料 一〇〇万円

ニ 弁護士費用を除く合計

三二三五万三六六一円

ホ 弁護士費用

三二三万五〇〇〇円

ヘ 請求総額

三五五八万八六六一円

番号23の原告内山卓郎

同原告(昭和一〇年四月一八日生)は、妻(昭和一〇年五月九日生)、長女(昭和四三年四月一日生)及び二女(昭和四五年八月七日生)とともに同所一六〇五番二七四の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「内山卓郎」等と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

二四六七万九八〇七円

同原告所有の右宅地390.55平方メートル(118.34坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×118.34=

24,679,807

ロ 雑損 七三万円

本件災害により次のとおりの各出費を余儀なくされ、これを合算すると右金額になる。

ホテル宿泊費(一泊四人分)二万円

借家賃料(月額四万円の一三か月分から長野市による月額一万円の家賃補助分を控除) 三九万円

引越費用(四回分) 三二万円

ハ 慰謝料 四〇〇万円

ニ 弁護士費用を除く合計

二九四〇万九八〇七円

ホ 弁護士費用 二九四万円

ヘ 請求総額

三二三四万九八〇七円

番号24の原告竹内邦臣

同原告(大正九年三月三一日生)は、妻(明治四一年九月二五日生)、長男(昭和三〇年三月一四日生)、長男の妻(昭和三二年五月一三日生)及びその長女(昭和五九年八月二二日生)とともに同所一六〇五番二二三の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「竹内邦臣」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

二四七〇万六九一八円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地390.98平方メートル(118.47坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×118.47=

24,706,918

ロ 雑損 一三六万七七八〇円

本件災害により次のとおりの各出費を余儀なくされ、これを合算すると右金額になる。

引越費用(三回分) 二三万円

借家に関する費用

不動産業者に対する仲介手数料

二万七〇〇〇円

家主に対する権利金 一一万円

賃料(長野市による合計一八万円の家賃補助分を控除)八七万三〇〇〇円

借家の修繕費用 八万一七八〇円

自宅再入居の際の修繕費用

四万六〇〇〇円

ハ 逸失利益 六〇万円

同原告の長男の妻は、本件災害当時、中央児童相談所心理判定員として被告に勤務し、一か月当たり一〇万円を超える給与収入を得ていたが、避難生活にあって同女の長女を養育するために退職を余儀なくされ、少なくとも六か月分の給与収入合計六〇万円を得ることができなかった。

ニ 慰謝料 五〇〇万円

右は、同原告所有の木造スレート葺平家建居宅一棟(床面積141.60平方メートル。昭和五九年一〇月九日建築。)が、新築後一年を経ずして被災し、長期にわたって居住できなかったことを増額の要素とした。

ホ 弁護士費用を除く合計

三一六七万四六九八円

ヘ 弁護士費用

三一六万七〇〇〇円

ト 請求総額

三四八四万一六九八円

番号25の原告中村善信

同原告(昭和二八年一一月一一日生)は、妻(昭和二三年二月一九日生)、長男(昭和五二年六月三日生)及び二男(昭和五五年四月二三日生。昭和六〇年一〇月二一日死亡。)とともに同所一六〇五番二三六の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「中村善信」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

五八四万三九八八円

同原告所有(持分五分の一)の右宅地462.37平方メートル(140.11坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×140.11×1/5=5,843,988

ロ 建物 八三万七一八〇円

同原告所有の木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟(床面積115.10平方メートル。昭和五三年一一月二八日建築。)の修復のため八三万七一八〇円を要した。

ハ 慰謝料 四〇〇万円

ニ 弁護士費用を除く合計

一〇六八万一一六八円

ホ 弁護士費用

一〇六万八〇〇〇円

ヘ 請求総額

一一七四万九一六八円

番号26の原告中村寛

同原告は、番号25の原告中村善信の父であり、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(c方式)

二三三七万五九五二円

番号26の原告中村寛所有(持分五分の四)の前記のイの宅地についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼内にあった。

計算式 208,550×140.11×4/5=23,375,952

ロ 弁護士費用

二三三万七〇〇〇円

ハ 請求総額

二五七一万二九五二円

番号27の原告腰野よしえ

同原告(昭和六年一月二日生)は、夫(昭和八年一月一日生)及び義母(明治三九年一月二日生)とともに同所一六〇五番二〇一の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「腰野武夫」等と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

なお、右宅地は、H鋼外に位置していたが、その場所は他のH鋼内の宅地よりも地すべり末端部に近く、その意味ではより危険な位置にあったといえる。したがって、同原告についての各損害項目を算出するに当たっては、H鋼内の被災者として扱うべきである。

イ 土地(c方式)

二一一七万六一六七円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地335.11平方メートル(101.54坪)についての損害額をc方式により算出すると右金額になる。

計算式 208,550×101.54=21,176,167

ロ 雑損 九万五〇〇〇円

本件災害により、避難先から自宅に戻る引越費用として九万五〇〇〇円の出費を余儀なくされた。

ハ 慰謝料 四〇〇万円

ニ 弁護士費用を除く合計

二五二七万一一六七円

ホ 弁護士費用

二五二万七〇〇〇円

ヘ 請求総額

二七七九万八一六七円

番号28の原告中沢尤

同原告(昭和一七年八月一二日生)は、妻(昭和二〇年一一月二日生)とともに同所一六〇五番二及び同番二八五の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「中沢充」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(d方式)

二二一〇万六六二六円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地合計460.13平方メートル(139.43坪)についての損害額をd方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼外にあった。

計算式 158,550×139.43=22,106,626

ロ 慰謝料 一〇〇万円

ハ 弁護士費用を除く合計

二三一〇万六六二六円

ニ 弁護士費用 二三一万円

ホ 請求総額

二五四一万六六二六円

番号29の原告小山菊彦

同原告(昭和五年一一月三日生)は、妻(昭和六年八月二〇日生)とともに同所一六〇五番一四三の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「小山菊彦」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(d方式)

一四七三万二四六六円

被告から買い受けた同原告所有の右宅地306.64平方メートル(92.92坪)についての損害額をd方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼外にあった。

計算式 158,550×92.92=14,732,466

ロ 雑損 一一四万九五四五円

本件災害により次のとおりの各出費を余儀なくされた。これを合算し、これから長野市による家賃補助分合計四万円を控除すると、右金額になる。

旅館宿泊費(二泊二名)

二万七八〇〇円

家財運搬費(二回分)

五万七〇〇〇円

緊急搬出時手伝い謝礼(延べ三名)

三万円

外食費(五回分) 一万五七七〇円

借家に関する費用

家賃(四か月分)二七万二〇〇〇円

権利金 一三万六〇〇〇円

礼金 三万四〇〇〇円

駐車場 二万二〇〇〇円

湯谷団地住宅管理費(水道不凍用の電気代) 一万二六一五円

自宅補修費 五二万九三六〇円

引越費 五万三〇〇〇円

ハ 慰謝料 一六〇万円

ニ 弁護士費用を除く合計

一七四八万二〇一一円

ホ 弁護士費用

一七四万八〇〇〇円

へ 請求総額

一九二三万〇〇一一円

番号30の原告中村もと子

同原告の夫中村元芳(昭和一三年一〇月一二日生)は、同原告(昭和一九年二月四日生)、長女(昭和四四年一一月二二日生)及び二女(昭和五三年一二月二六日生)とともに同所一六〇五番一〇六の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「中村元芳」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(d方式)

一六九六万一六七九円

被告から買い受けた元芳所有の右宅地353.05平方メートル(106.98坪)についての損害額をd方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼外にあった。

計算式 158,550×106.98=16,961,679

ロ 慰謝料 二〇〇万円

ハ 弁護士費用を除く合計

一八九六万一六七九円

ニ 弁護士費用

一八九万六〇〇〇円

ホ 総額 二〇八五万七六七九円

そして、同原告は、昭和六二年五月九日、夫元芳から同人の右損害賠償請求権を譲り受けた。

番号31の原告破産者岩崎則男破産管財人高井正直

岩崎則男(昭和一九年一一月二一日生)は、妻(昭和二〇年一月一一日生)、長女(昭和四八年一一月一九日生)、二女(昭和五二年三月一五日生)及び義母(明治四三年一月一一日生)とともに同所一六〇五番四の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「岩崎則男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地(d方式)

一八五〇万二七八五円

岩崎則男が所有していた右宅地385.13平方メートル(116.70坪)についての損害額をd方式により算出すると右金額になる。右宅地はH鋼外にあった。

計算式 158,550×116.70=18,502,785

ロ 慰謝料 一〇〇万円

ハ 弁護士費用を除く合計

一九五〇万二七八五円

ニ 弁護士費用 一九五万円

ホ 請求総額

二一四五万二七八五円

番号32の原告和田要子

同原告は、同所一六〇五番一九二の宅地(別紙(一二)湯谷団地位置図に「和田」等と記載されている場所)を所有(持分二分の一)していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

七八五万〇四五七円

被告から買い受けた右宅地393.90平方メートル(119.36坪)が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一〇五六万三八〇七円は被告による土地買上額のうち持分二分の一に相当する金額である。

計算式 308,550×119.36×1/2−10,563,807=7,850,457

ロ 弁護士費用 七八万五〇〇〇円

ハ 総額 八六三万五四五七円

そして、同原告は、和田光太郎の死亡により同人の後記の損害賠償請求権のうち法定相続分二分の一に相当する請求権を取得した。したがって、請求総額は合計二二〇六万〇五九四円(このうち弁護士費用相当額は二〇〇万五〇〇〇円)になる。

番号33ないし35の原告和田美範、同和田ユリ及び同和田康二朗

和田光太郎は、前記の宅地(持分二分の一)及び同所所在の木造瓦葺平家建居宅一棟を所有していたところ、本件災害により次のとおりの損害を被った。

イ 土地の埋没(a方式)

七八五万〇四五七円

被告から買い受けた右宅地が埋没し、その損害額をa方式により算出すると右金額になる。計算式中の一〇五六万三八〇七円は被告による土地買上額のうち持分二分の一に相当する金額である。

計算式 308,550×119.36×1/2−10,563,807=7,850,457

ロ 建物の埋没(C方式)

六一五万九八二〇円

右居宅(床面積52.17平方メートル。昭和五二年一一月一七日建築。)が埋没し、その損害額をC方式により算出すると右金額になる。

計算式 137,000×0.9×1.05×52.17×0.912=6,159,820

ハ 一般家財の埋没(C方式)

六〇〇万円

右は三五歳前後・夫婦のみの場合に準じて算出したものである。

ニ 雑損 五〇万円

ホ 慰謝料 六〇〇万円

ヘ 損害保険による填補額

△二一〇万円

ト 弁護士費用を除く合計

二四四一万〇二七七円

チ 弁護士費用

二四四万一〇〇〇円

リ 総額 二六八五万一二七七円

そして、同原告らは、和田光太郎の死亡により同人の右損害賠償請求権のうち法定相続分六分の一に相当する四四七万四三七九円(このうち弁護士費用相当額は四〇万六〇〇〇円)についての請求権をそれぞれ取得した。

(2) 被告

① 番号1の原告矢川三男について

イ 建物

建築年月日は昭和四七年三月一〇日であるから、建築費倍率は2.37(建築時指数357.9)、残価率は0.5125(経過年数一三年)を適用すべきである。

ロ 門・塀

スチールパイプフェンスは、敷地の四方を合わせても約六八メートルにしかならず、しかも北側の約19.5メートルについては隣地の所有者と費用を折半にしている。また、少なくとも建物と同様に残価率0.5125を乗じて経年減価を施すべきである。

ハ 家財

同原告の家財の取得価格は合計で五〇〇万円程度であるから、その損害額はこれに「手引き」記載の平均的減価(減価率二〇ないし三〇パーセント)を施した額(約四〇〇万円)を超えることはない。

仮に家財簡易評価表を適用するとしても、同原告については、夫婦と大人一人の欄の九五〇万円をそのまま適用するのではなく、これから大人一人分及び妻の固有財産分を除いて計算されるべきであり、更に、同原告の可処分所得が通常の水準よりかなり低いことが考慮されるべきである。すなわち、同表は大人一人の固有財産が一〇〇万円であることを前提としており、また夫婦の財産のうち妻の固有財産は三〇パーセント程度と考えられる。また、同原告は、硫黄鉱山の事業閉鎖により解雇されたことから転職を余儀なくされ、転職後は会社の嘱託として給料が正社員の七〇ないし八〇パーセント、賞与も僅かであり、昭和六〇年ころの月収にして妻と併せても三〇万円に満たないという状況にあり、その中で住宅金融公庫からの借入金一四〇万円及び銀行からの借入金二〇〇万円を返済し(一月と七月には各金二四万円を返済している。)、育ち盛りの子供三人を育てたのであるから、可処分所得に乏しく、家財に回った金員は水準よりもかなり低いことが推測され、少なくとも二〇パーセント程度の減額がされるべきである。

ニ 損益相殺

同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円、日本赤十字社から三四〇万円をそれぞれ受領している。

② 番号2の原告北島善宏について

イ 建物

同原告の建物の取得価格は四八六万一六〇〇円であることが判明しているから、B方式によるべきである。また、建築年月日は昭和四九年三月二〇日であるから、建築費倍率は1.43(建築時指数591.9)、残価率は0.5875(経過年数一一年)を適用すべきである。

ロ 家財

家財簡易評価表を適用する場合には、夫婦と大人一人の欄の九五〇万円をそのまま適用するのではなく、これから大人一人分及び妻の固有財産分を除いて計算されるべきである。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二三九万六二五三円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

③ 番号3の原告新名よしえについて

イ 家財

同原告の夫は昭和五二年に死亡しているから、家財簡易評価表を適用する場合には、同表中の独身世帯の欄の一七〇万円を適用すべきである。

ロ 慰謝料

同原告は、被告による買上げとほぼ同時期に土地を転売しており、被告による買上げのなされた者と区別して取り扱う理由はないから、原告らの基準表を適用する場合には、慰謝料の額を五〇〇万円とすべきである。

ハ 損益相殺

同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領しているほか、長男の新名敏雄が、災害復興住宅建設事業補助金として、被告から一三五万九五七六円を受領している。

④ 番号4の原告松枝一幸について

イ 建物

同原告の建物の取得価格は四七〇万円であることが判明しているから、B方式によるべきである。また、建築年月日は昭和四七年一二月二〇日であるから、建築費倍率は2.28(建築時指数372.5)、残価率は0.55(経過年数一二年)を適用すべきである。

ロ 門・塀

同原告の塀の取得価格は約四〇万円であることが判明しているから、B方式によるべきである。

ハ 家財

同原告について夫婦と大人一人小人一人の基準(九四〇万円)の半分とする根拠はない上、そもそも、同原告は、昭和五五年二月から新潟県に転居しており、主要家財は転居先に運ばれているものと思われ、仮に一部の家財が残されていたとしても、基本的には不要家財であり価値に乏しく、日常生活が営まれていることを前提とする家財簡易評価表が適用される余地はない。

ニ 慰謝料

同原告は湯谷団地に居住していたわけではないから、慰謝料請求の前提を欠くか、少なくとも過大な請求である。建物に母親が住んでいたことは同原告の慰謝料請求の根拠にはならない。

ホ 損益相殺

同原告については、母の松枝コエが、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑤ 番号5の原告野々村邦夫について

イ 建物

同原告は、前記のとおり、昭和五七年一一月二日に建物を土地とともに二四五〇万円で購入しているが、当時の地価の水準に照らすと、右売買において建物の価値は零と査定されたものと考えられるから、その取得価格は零円であり、同原告に損害は生じていない。

ロ 庭・植木

同原告は、右イの売買において、庭にある植木を含めて土地を購入しているが、右売買価格には土地の価値だけしか入っておらず、庭木を価値あるものとして売買契約が結ばれていたとは考え難いから、同原告の主張額は過大である。

ハ 家財

家財簡易評価表を適用する場合には、妻の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ニ 慰謝料

同原告については居住年数が短いことが慰謝料算定において考慮されるべきであり、また、本来は購入価格に含まれていなかった建物について九八〇万円もの保険金を受領している事実は慰謝料の滅額事由である。

ホ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として一四三万七七九六円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一三三万三二八二円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑥ 番号6の原告西澤政二について

イ 建物

同原告は、昭和四六年三月三〇日新築に係る建物を二七五万五〇一〇円で購入し、更に七〇万円の増加工事をしているから、同原告の建物の取得価格は三四五万五〇一〇円であることが判明している。したがって、B方式による算定がされるべきであり、また、建築費倍率は2.54(建築時指数334.7)、残価率0.475(経過年数一四年)が適用されるべきである。

ロ 家財

家財簡易評価表を適用する場合には、妻の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ハ 慰謝料

同原告は、被告の斡旋により三ツ喜合資会社に土地を売却しており、被告による買上げのなされた者より多額の慰謝料を請求する根拠はない。

ニ 損益相殺

同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑦ 番号7の原告小松次郎について

イ 建物

同原告は、昭和四七年一月二〇日新築に係る建物を四一〇万円で購入しており、取得価格が判明しているから、B方式によるべきである。また、建築費倍率は2.37(建築時指数357.9)、残価率は0.5125パーセント(経過年数一三年)を適用すべきである。

ロ 家財

同原告宅にあった家財の所得価格の合計は五〇六万二四〇〇円であるが、この中には母親及び姉の衣類七〇万円が入っており、また台所用品・食器の中には母親の所有物が入っていることが推測されるから、同原告の固有財産の取得価格は四〇〇万円程度である。そして、前記のとおり、家財の平均的減価率は二〇ないし三〇パーセントであるから、その中間の二五パーセントを控除すると、家財についての損害額は三〇〇万円ということになる。

仮に家財簡易評価表を適用するとしても、同原告は独身であるから、独身世帯の金額が適用されるべきである。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として九二万九四八四円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑧ 番号8の原告丸山隆志について

イ 建物

建築年月日は昭和四九年三月二〇日であるから、残価率は0.5875(経過年数一一年)が適用されるべきである。

ロ 家財

家財簡易評価表を適用する場合には、妻の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ハ 慰謝料

同原告は、昭和六三年六月一日に建物請負契約を結び、被災した土地上に建物を新築しているが、これは同原告が土地の安全性に対する信頼感を回復したからにほかならない。

ニ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として九八万五八一六円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑨ 番号9の原告永野つねについて

イ 建物

同原告は、前記のとおり、昭和五八年一一月一五日に建物を土地とともに約二〇〇〇万円で購入しているが、地価の水準に照らすと、右売買において建物の価値は零と査定されたものと考えられるから、その取得価格は零円であり、同原告に損害は生じていない。

ロ 庭・植木

同原告は、庭の整備代金として一〇万円を支出したほか、苗木を少し購入した程度であるから、過大請求であることは明らかである。

ハ 家財

家財は世帯主である同原告の夫に基本的に帰属していると解すべきであるから、家財簡易評価表を適用する場合には、妻の固有財産分として同表所定の金額の三〇パーセントを限度に認められるに過ぎない。

ニ 慰謝料

同原告については居住年数が短いことが慰謝料算定において考慮されるべきである。

ホ 損益相殺

同原告については、夫の永野道夫が、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として一六〇万一六七九円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一〇六万六六二六円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑩ 番号10の原告上原栄について

イ 建物

同原告は、昭和四七年三月一〇日新築に係る建物を三五〇万円で購入しており、取得価格が判明しているから、B方式によるべきである。また、建築費倍率は2.37(建築時指数357.9)、残価率は0.5125(経過年数一三年)が適用されるべきである。

ロ 門・塀

同原告は、昭和五〇年に二五万円で塀を造っており、取得価格が判明しているから、B方式で損害額が算定されるべきである。

ハ 家財

家財簡易評価表を適用する場合には、妻の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ニ 損益相殺

同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑪ 番号11の原告萩本親治

イ 建物

同原告は、建物を昭和四九年一〇月五日に一三六〇万二〇〇〇円で新築しており、取得価格が判明しているから、B方式によるべきである。また、建築費倍率は1.38(建築時指数615.4)、残価率は0.625パーセント(経過年数一〇年)が適用されるべきである。

ロ 家財

同原告宅にあった家財の取得価格の合計は七五三万六五〇〇円であるが、この中には妻及び娘の所有であることが明らかな着物・帯・礼服等衣類が少なくとも一三九万八〇〇〇円あり、同原告の固有財産の取得価格は六〇〇万円程度である。そして、前記のとおり、家財の平均的減価率は二〇ないし三〇パーセントであるから、その中間の二五パーセントを控除すると、家財についての損害額は四五〇万円ということになる。

仮に家財簡易評価表を適用するとしても、妻の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二二〇万九三一一円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一一三万四九九九円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑫ 番号12の(1)の原告飯嶋晃、同(2)の原告飯嶋純子、同(3)の原告石澤妙子及び同(4)の原告竹田幸子について

イ 建物

建築年月日は昭和五三年七月一日であるから、建築費倍率は1.27(建築時指数667.9)、残価率は0.7375(経過年数七年)が適用されるべきである。

ロ 一般家財

家財簡易評価表を適用する場合には、妻である番号13の原告飯嶋俊枝の固有財産分として三〇パーセント程度を控除すべきである。

ハ 特別家財

PTダイヤリング及びメキシコオパール指輪は妻である番号13の原告飯嶋俊枝の、婚礼家具セットは長女である番号12の(2)の原告飯嶋純子のそれぞれ固有財産であり、いずれも飯嶋敬紀について生じた損害ではない。

ニ 逸失利益

飯嶋敬紀が代表者を務めていた番号14の原告株式会社経済情報センターは、同人が昭和五八年に体を壊して以来規模の縮小を余儀なくされ、同年の決算時には二七八万円余の繰越欠損を抱え、昭和五九年の決算時には八六八万円余の不渡手形を抱えるに至っていたのであるから、同人の収入も以後減少することが予想でき、現に同年の給与収入は二六四万八〇〇〇円、昭和六〇年の収入は七〇万円に過ぎない。この昭和六〇年の収入が同年七月の本件災害までのものだとしても、同人は同年からは毎月一〇万円の給与収入しかなかったことがうかがわれる。そして、同人は被災後も実際に毎月一〇万円の収入を得ていたのであるから、結局同人には逸失利益はないものといわざるを得ない。

ホ 損益相殺

飯嶋敬紀は、損害保険金二〇〇〇万円のほか、臨時費用保険金等として六〇万円を受領している。また、同人は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑬ 番号13の原告飯嶋俊枝について

イ 建物

前記⑫のイと同様である。

ロ 逸失利益

同原告の昭和五九年の給与収入は一一二万五〇〇〇円(一か月当たり九万三七五〇円)であり、昭和六〇年の給与収入は五七万円(七月までの分と考えても一か月当たり八万一四二八円)である。同原告はその後も毎月八万円の給与収入があったのであるから、逸失利益はない。

⑭ 番号14の原告株式会社経済情報センターについて

同原告の主張する建物は、番号13の原告飯嶋俊枝名義の建物を昭和五八年一〇月二六日に増築したものであるから、建物の所有権は同原告に帰属しているものと解さざるを得ず、番号14の原告には損害が発生していない。

⑮ 番号15の原告株式会社飯島源左衛門正行商店について

同原告はお茶類として八二五万円を請求しているが、伊藤茶店からの昭和六〇年四月一五日から同年七月二五日までの仕入金額は三三万円余に過ぎず、また、吉田商店からの仕入れは年間七三万円程度、静岡製缶からの仕入れは五八万円余であり、八二五万円もの在庫を有していたとは考えられない。また、同原告の本店所在地は長野市上松五丁目三番二七号であり、同所で営業活動を行っていたと思われるから、右お茶類等が湯谷団地内の建物にあったかどうかは疑わしい。

⑯ 番号16の原告株式会社リンホフ・フォトについて

写真機の耐用年数は大蔵省令により五年とされているから、かなり経年減価していたものと思われる。

⑰ 番号17の原告西脇博について

イ 家財

同原告は当時三六歳であり、家財簡易評価表の三五歳の夫婦の欄記載の五九〇万円から妻の固有財産分として三〇パーセントを控除して算出した四一三万円を超えることはない。なお、当時子供二人は幼少であり、特に加算する必要はない。

ロ 特別家財

パソコンの耐用年数は大蔵省令により六年とされているものの、機能的耐用年数は極めて短く、本件では残価率を約五〇パーセントと考えて、経年減価を施すべきである。

ハ 雑損

同原告の主たる出費は借家関係の費用であるが、同原告は、居住建物の所有者である会社が昭和六〇年五月に破産宣告を受けていたことから、右建物を無償で利用する権原を破産管財人に対する関係において失っており、事実上無償で使用していたとしてもそれは法律的に保護されるべき利益とはいえず、賃料を損害として請求することは許されない。

ニ 慰謝料

同原告は、自己所有建物でなかったことから長期間避難しなければならない事情はなく、また、建物所有会社が右ハのとおり破産宣告を受けていたことから、右建物からの退去を迫られていたはずであり、心の準備もある程度できていたものと思われるから、立ち退かざるを得なかったことによる心の痛みは少ないものといえる。

ホ 損益相殺

同原告については、父の西脇健作が、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑱ 番号18の原告筒井健雄について

イ 建物

新築年月日は昭和四六年三月三〇日、増築年月日は昭和五一年一一月二〇日であるから、新築時建築部分については建築費倍率2.54(建築時指数334.7)、残価率0.475(経過年数一四年)、増築分については建築費倍率1.34(建築時指数634.1)、残価率0.7(経過年数八年)を適用すべきである。

ロ 庭・植木

同原告は、建物が倒壊したのみで、土地は一部しか埋没しなかったのであるから、土地が全て埋没したことを前提とする五〇万円の一律請求は許されない。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として七四万〇九七七円を、被災者の会との合意に基づく補助金として六六万六六四一円をそれぞれ受領しているほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領している。

⑲ 番号19の原告五味照夫について

イ 慰謝料

同原告は、建物が一部倒壊したのみで、家財に被害はないから、五〇〇万円の請求は余りにも多額である。

ロ 損益相殺

同原告は、災害見舞金として、被告から三万円、長野市から二万円をそれぞれ受領している。

⑳ 番号20の原告荒井伊佐男について

イ 家財

家財の平均的減価率を考慮して、少なくとも二五パーセントの減価がなされるべきである。

ロ 慰謝料

同原告は、建物が一部倒壊したのみで、家財の被害も大きなものとはいえないから、五〇〇万円の請求は余りにも多額である。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二八万四八九九円を受領しているほか、災害見舞金として、被告から一〇万円、長野市から五万円をそれぞれ受領している。

番号21の原告森川猛夫について

イ 雑損

同原告の出費のうち、長男の下宿代は、本件災害との間に因果関係がない上、下宿期間は昭和六一年四月から昭和六二年三月であるから、二六か月分三一万二〇〇〇円(一か月一万二〇〇〇円)を損害として請求しているのは明らかな過大請求である。

ロ 慰謝料

同原告は、建物が一部倒壊したのみであるから、五〇〇万円の請求は余りにも多額である。

ハ 損益相殺

同原告は、被告から、被災者の会との合意に基づく補助金として一五万九七三二円を受領している。

番号22の原告野口茂について

同原告は、湯谷団地で生活していたわけではないから、物的損害しかなく、慰謝料を請求できる余地はない。

番号23の原告内山卓郎について

イ 雑損

同原告は、長野市松代町馬喰町三六〇番地所在の建物を賃借したが、賃貸人である内山宏二は同原告の実兄である上、右建物は当時空き家であって、同人は同原告に対し賃料は不要である旨を述べていたのであるから、実際に賃料が支払われたか否かは疑問であるし、仮に支払われたとしても支払う必要のある費用(損害)とはいえない。また、同原告が経営するレストランの出入業者に依頼したという引越については、費用支出の有無及び金額の点で疑問がある。更に、長野市伺去から被災建物への転居についても、同原告が長野市伺去に自宅を新築していることに加え、現在は同所に住居を正式に移していることからして、実際に転居費用を支出しているか疑問である。

ロ 慰謝料

同原告は、土地の購入資格がないにもかかわらず、名義借りという手段で主張に係る土地を購入し、建物を建築している。すなわち、右土地購入の資格者は、昭和五一年三月一日現在長野県に居住しかつ持家のない者とされていたが、同原告は、同月一八日まで東京都内で勤務し川崎市内にマンションを所有しており、右の要件を満たさない者であった。ところが、同原告は、中澤忠なる人物の名義を借用して、あたかも被告をして資格のある同人が購入したものと信じせしめ、右土地を購入しているのである。このように、同原告が名義借りという手段で土地を購入し建物を建築したものであることは、慰謝料算定に当たって斟酌されるべき事由である。

番号27の原告腰野よしえについて

同原告宅はH鋼の外にあった上、原告らが建物がH鋼の内にあるか外にあるかで慰謝料額を区別する理由はその避難期間の長短にあると見られるところ、同原告については居宅がH鋼の外にあるとして昭和六〇年一二月二〇日に避難が解除されている(なお、H鋼内の住民に対する避難命令が解除されたのは昭和六一年一二月二三日である。)から、居宅がH鋼の内にあったことを前提とする四〇〇万円の慰謝料の請求は過大請求である。

番号28の原告中沢尤について

同原告宅は地すべり地(流出土塊)からはかなり離れており、避難の解除も昭和六〇年八月になされており、同原告が直ぐに自宅に戻らなかったとしても、その受けた精神的損害はそう大きなものとは思われない。

番号29の原告小山菊彦について

同原告は、家賃の安い県営住宅から家賃の高いマンションに引っ越しているが、県営住宅の家賃を超える部分は相当因果関係のある損害とはいえない。

番号30の原告中村もと子について

同原告の夫中村元芳は、同人が原告になることには差支えがあるとの気持ちから、形式上同人に生じた損害賠償請求権を提訴に当たって同原告に譲渡したものである。しかし、信託法一一条は「信託ハ訴訟行為ヲ為サシムルコトヲ主タル目的トシテ之ヲ為スコトヲ得ス」と定めており、その効果は強行法規違反として無効とされている。そして、訴訟を目的として信託したと認められるときは、たとえ、受託者が自ら訴訟を追行せず弁護士に委託した場合でも、右法条の適用があると解すべきである。中村元芳が同原告に対し信託的に本件の損害賠償請求権を譲渡したことは明らかであり、右譲渡は無効であるから、同原告は損害賠償請求権を有するのではない。

番号31の原告破産者岩崎則男破産管財人高井正直について

岩崎則男宅は、地すべり地(流出土塊)からかなり離れており、避難の解除も昭和六〇年八月になされており、その受けた精神的損害はそう大きなものとは認められない。

番号32の原告和田要子、同33の原告和田美範、同34の原告和田ユリ及び同35の原告和田康二朗について

イ 建物

建物の損害に対し二一〇万円程度の損害保険金が支払われていることなどからすると、建物の取得価格は約二一〇万円とみることができる。したがって、B方式による算定がされるべきであり、また、建築年月日は昭和五二年一一月一七日であるから、建築費倍率は1.30(建築時指数650.6)、残価率は0.7375(経過年数七年)が適用されるべきである。

ロ 家財

別荘にある家財の量と日常の家庭生活が営まれる家財の量とでは違いがあるから、同原告らについては、家財簡易評価表を適用する前提を欠いている。

ハ 雑損

居住していない者に定型的に雑費がかかるとはいえず、一律請求は妥当でない上、本件災害直後の昭和六〇年八月一二日に死亡した和田光太郎に雑損が五〇万円も発生したかは疑わしい。

ニ 慰謝料

和田光太郎は、本件の建物を別荘として使っていただけであり、生活の本拠としていたわけではないから、物的損害が回復されれば精神的苦痛は治癒されるものといえ、同原告らが同人についての慰謝料を請求できる余地はない。

第三  当裁判所の判断

一  責任原因について

1  本件地すべり発生の機序

(一) 本件地すべりの特徴

(1) 前判示第二の一の1のとおり、本件地すべりは、最大流出幅約五〇〇メートル、流出土砂の末端までの長さ約七〇〇メートル、面積約二五ヘクタールにも及び、一般的に斜面崩壊に比して滑動土塊量が多いとされる地すべりの中でも極めて大規模なものであり、これによりもたらされた災害が重大であることも相まって、国内でも最大級の地すべりに位置付けられているところである。

しかしながら、本件地すべりを特徴付けているのは、規模が大きいことだけでなく、最後の破壊的滑動(昭和六〇年七月二六日夕刻の崩落現象。以下、それ以前に生起した諸現象と区別して「大崩落」ということがある。)がごく短時間のうちに発生したこと、地上の構造物等の移動により徴表される土塊の滑動状況が時間的にも場所的にも複雑であること、本件地すべり地の中央部には自然斜面に対する人為的工作物の典型ともいうべき道路(バードライン)が走っており、しかも、建設時に随所において切土・盛土をし、五重のカーブを縫って高度を上げるという方法によって建設されていることから、斜面の人為的改変と地すべりとの関係が問題とならざるを得ないこと、これまで第三紀層地すべり地帯の中でも泥岩層より発生の頻度が少ないとされてきた裾花凝灰岩層において発生したこと等の諸事情であり、これらによって本件地すべりの発生の機序(メカニズム)が分かりにくくなっており、地質学、土質工学、土質力学等の関連諸科学の専門家による幾多の研究が重ねられても、完全に解明され尽くしたとはいい難い状況にある。これが本件の審理、殊に、当事者双方の立証活動に重大な影響を及ぼしていることはいうまでもない。

(2) 他方、本件では遅くとも昭和四八年以降最後の大崩落に至るまでの間にバードラインの各所に変状が生じ、被告(企業局)がその原因を究明して対応策を立てるために民間の地質調査コンサルタント会社に調査を委託し、その報告書が数次にわたって提出されていることは前判示第二の一の7のとおりであって、少なくとも本件地すべり地のうち道路構造物に生じた変状の経緯に関しては比較的豊富に資料が残されている。そして、これらの資料は、それが作成された目的及び経緯に照らして作為の入る余地が少なく、推測事項や意見にわたる部分は別として、事実関係に関する限りその信用性は高いと考えられることから、本件地すべり現象の推移及びその原因を知る上で有用なものとなっている。

(3) そこで、本件においては、被告の法的責任の存否を判断する上で必要な限度において地すべりの発生の機序につき、当事者双方が援用する各見解を検討することとする。

(二) 本件地すべりの発生状況及びその機序に関する諸見解

(1) 本件地すべり発生後比較的早い時期から主として信州大学に所属する一三名の研究者からなる自然災害科学総合研究班(その他三名の研究協力者も含む。)により各専門分野ごとに分担して調査研究した結果をまとめたものが「一九八五年長野市地附山地すべりの災害調査研究」(研究代表者=川上浩信州大学工学部教授)であり、昭和六一年三月に発表されている(甲第二号証。以下「信大報告書」という。)。ただし、各研究者が自己の分担課題を責任執筆するという形態を取っているため、本件地すべりの原因について統一的な見解がまとめられているわけではない。また、証人川上浩の証言(以下「川上証言」という。)によると、同報告書の執筆者は、概ね同年一月ころまでに入手し得た資料に基づいて考察しているものと認められ、これが後記の地附山地すべり機構解析検討委員会の報告書と見解が分かれる理由の一つとなっている。

信大報告書によると、本件地すべり(大崩落)における土塊及び地上構造物の移動状況は、別紙(二)地すべり地平面図記載のとおりであり、当日午後五時頃、同図表示のⅡブロックから崩壊が始まり、1.07キロメートル地点から展望台までのⅡブロック上部が大きく陥没し始め、このとき1.8ないし1.9キロメートル付近の陥没も著しく、これにより既に滑落崖の北端が形成され、五時一三分ころにはⅡブロック崩壊の上端が展望台より上にまで波及し、この付近の道路が崩落し、これより上の最上部滑落崖に至る間にも変状が連続し、Ⅱブロックより上の部分の全体の土塊が動き始めており、五時二〇分過ぎにこれらの土塊が一体となって流下し、続いて、五時三〇分ころには0.8キロメートル地点の擁壁上部のⅢブロックの崩壊が始まり、その滑落崖が急速に上方に移動して崩壊の規模が拡大し、この部分の土砂が斜面を流下し、高さ五メートルほどの壁を作ってゆっくりと松寿荘に向かって押し出し始め、更に、五時三五分ころ、本件地すべり地中央部のⅣブロックが崩落を始めて、引き続き崩落が上部に波及して地すべりの押し出しが本格化し、崩壊した土砂が地表面下数メートルをえぐり取りながら湯谷団地南部に流下したとされている(右の部分の執筆者は前記の川上教授。なお、同教授は、証人尋問において、このブロック分けは明治コンサルタントの五九年最終報告書添付の調査地平面図に記載された推定地すべりブロックを参考にしたもので、適切ではなかった旨証言している。)。

そして、本件地すべりは、過去に生じた地すべりによる崩積土が堆積した斜面で再発したものであり、新第三紀中期中新世の海底噴出物が堆積した裾花凝灰岩層の中部層が主要なすべり面をなし、その中に分布する軽石凝灰岩が著しい変質を受けてモンモリロナイト化し、白色・ピンク色・褐色等を呈して粘土化しており、しかも、この裾花凝灰岩層がいわゆる流れ盤(地層の傾斜が地形の斜面の方向とほぼ一致する構造)をなしていることとも相まって、地すべりの主要な素因をなし、大崩落直前の六、七月の約五〇〇ミリメートルに達する長雨及びこれによる地下水谷部(特に旧鬼沢上流部)における地下水位の上昇が誘因(直接の引き金)となったとの見解を述べている。

ただし、バードラインの建設が地すべりの誘因となったか否かについては、肯定及び否定の両説が存するものとして併記されている。そのうち肯定説は、バードライン建設時の主要な切土部分である0.8キロメートル地点及び1.08キロメートル地点で最初の変状が発生したこと、1.8キロメートル地点の谷筋の沼地であった箇所に一八メートル×一八メートルの範囲に布団籠を敷いて排水を取った後に盛土を行い、1.5キロメートル地点の展望台及び駐車場の斜流谷の出口に当たる部分に排水暗渠を施したものの、これらは目詰まりが生じたり、破損した可能性があり、地下の排水機構に変化が生じたこと、集水面積が約二倍に拡大し、側溝の破損が加わって地すべり地に雨水を導入する結果となっていることなどの諸点を理由に挙げ、否定説は、1.8キロメートル地点や1.5キロメートル地点においては常識的な工事が行われていること、最大の切土部分である0.8キロメートル地点の擁壁工事は地すべりに悪い影響を与えているものの、地すべり全体の規模を考えると、この部分のみに原因を求めることはできないこと、地すべり全体の断面図からみて、道路の切土・盛土による断面変化は小さいこと、道路が原因となって地すべりが発生する場合には、通常、建設後二、三年のうちに変状が発生するものであるのに、本件では、最初の変状の発生が道路建設から一〇年を経ていること、道路の建設はむしろ斜面を切って排水路を設けたことにより雨水の浸透を減じていることなどの諸点を理由に挙げているが、結局は、そのいずれが正当と結論付けることは困難であるとしている。

なお、右研究者の一部がそのころ執筆した論文を掲載した地附山滑り災害記録刊行会編集「長野市地附山地滑り・災害報告」(甲第一号証。以下「災害報告」という。)、中部地質調査業協会誌「土と岩」三五号所収「長野市地附山地すべりの発生経過と変状記録」(甲第七一号証)、土質工学会誌「土と基礎」三三巻九号所収「長野市地附山で地すべり発生」(甲第一三六号証)及び土木学会誌一九八五年一一月号所収「昭和六〇年長野市地附山地辷り報告」(甲第一三七号証)や、これらとほぼ同時期に発表された建設省土木研究所資料第二二九六号「昭和六〇年地附山地すべり災害(長野県)現地調査報告書」(甲第七六号証)も、地すべりの発生経過については信大報告書とほぼ同一の見解を採っている。

(2) 次に、右の信大報告書執筆者の中心的立場にいた川上浩教授及び斎藤豊助教授を含む七名(うち一名はその後死亡)の研究者らが長野県知事からの委嘱に基づき地すべり機構の解明及び爾後の対策の検討を行うことを目的に設置された地附山地すべり機構解析検討委員会(委員長は福岡正巳東京理科大学教授。以下「機構解析検討委員会」という。)において調査・研究した結果をまとめた「地附山地すべり機構解析報告書」(乙第二〇号証。以下「機構解析報告書」という。)が本件訴訟係属中の平成元年五月に発表された。なお、甲第六五号証、第六六ないし第六九号証の各一、二、乙第二〇号証、第二三号証、第四三号証の一ないし五、第八三号証、証人福岡正巳の証言(以下「福岡証言」という。)及び川上証言によると、右機構解析検討委員会においては、被告職員による事務局のみならず、被告から地附山地すべり対策(調査解析)の委託を受けた民間地質調査コンサルタント会社である日本工営株式会社が基礎資料の収集及び解析並びに報告書の原案作成に深く関与したことが認められる。

被告は、この機構解析報告書に全面的に依拠して主張・立証をしており、更に、これを補充するものとして、福岡証言及び川上証言、右福岡証人の作成に係る意見書(乙第四一号証、第八一号証、第八六号証)、右機構解析検討委員会に事務局の一員として参加した被告の職員(当時)望月巧一の意見書(乙第八三号証)等をも援用する。

機構解析検討委員会の見解(機構解析報告書、福岡証言、川上証言、前掲各意見書)によれば、大崩落時に発生した諸現象の時間的経過は、まず、午後五時前後に1.78キロメートル地点の法面が崩壊するとともに、樹木の根切れの音がし、五時二〇分に1.07キロメートル地点の小崩落が始まり、五時二四分ないし二八分に0.8キロメートル地点の石積が崩壊し、五時二六分に1.9キロメートル地点の木が倒れて崩壊が始まり、五時二七分ないし二八分に1.5キロメートル付近の長野放送(NBS)のアンテナが倒れ、その数分後(五時三〇分ないし三五分)に横山宅付近(標高約五四五メートル)のNHK・FMのアンテナや近傍の電柱が傾動し、更に、五時三〇分に松寿荘裏あたりで砂煙が上がり、その後、五時三五分に料金所前の畑が持ち上がるなどしたが、横山宅を載せる緩斜面は滑落直前においても変状が見られなかったというのであり、これに、大崩落前に現れた予兆、崩落時及びその直後の植生及びその他の地上構造物の移動状況、滑落前後の斜面の状況について空中写真・ビデオテープや目撃者の供述等により把握した結果により作成された本件地すべり地のブロック分け、土塊の移動方向及び移動量、地すべり発生前に測定された水平移動量のデータによる各地点間の比較等の諸点を合わせ検討すれば、信大報告書の提示する前記ⅡないしⅣのブロック分け(Ⅱブロックの崩壊から始まり、Ⅲブロック、更にはⅣブロックへと波及して地すべりの押し出しが本格化したとする点)は、前記のような経過をたどった諸現象を合理的に説明できないので適切とはいえず、むしろ右のⅡないしⅣブロックの全体に相当する主滑動塊(MB)が一体となって最初に滑動を開始し、これに付随してほとんど同時に上部従属滑動塊(SBU)が滑動を始め、更に、その動きにやや遅れて西部従属滑動塊(SBW)が追随して滑動し、それとともに、主滑動塊の圧力を受けて押されるように下部従属滑動塊(SBL)が動き始め、一部は流動塊となり、その末端部のうちの東側の山腹斜面に押し出された部分は、東部流動塊(FE)及び中央流動塊(FC)となって湯谷団地に向って流下し、西側の一部が西部流動塊(FW)となって松寿荘に向かって押し出されたというのであり、下部従属滑動塊が滑動したことにより地すべり被害が際だって大きくなったものとしている。

右の各滑動塊及び流動塊を整理し、その滑動・流下の状況を図示すれば、別紙(八)の地すべりブロック・同移動経過図に記載のとおりであり、そのうち標高五六〇メートル付近より上部においては、中央部の主滑動塊及び上部従属滑動塊並びに西側側面に位置する西部従属滑動塊がその全域においてほぼ同時に滑動したが、それより下方の斜面においては、主滑動塊がこの上を滑るように流下して表層を削り落としたものではなく、それ自体で独自のすべり面をもつ地すべりブロックである下部従属滑動塊が形成され、主滑動塊によって押し出され、これとほぼ一体となって滑動し、この下部従属滑動塊の末端の遷急線付近(標高五一〇メートル)ですべり面が地表に現れたため、その滑動地塊の先端部に当たる中央流動塊が湯谷団地の背後の急斜面を流下して同団地にまで押し寄せ、また、主滑動塊の東側においては、その末端部に当たる東部流動塊が最大傾斜方向の斜面である湯谷団地グランド上方部の斜面を流下して団地内の家屋や道路を破壊したほか、その一部が団地内で移動方向を変えて停止し、更に、西側では、主滑動塊のすべり面がバードライン0.8キロメートル付近で地表に現れ、西部流動塊として下方の急斜面を削りながら流下し、下部従属滑動塊の一部とともに松寿荘に押し寄せたと説明する。

そして、本件地すべりの素因としては、モンモリロナイトを多量に含有する裾花凝灰岩の中部層の存在とそれが流れ盤をなしているという地層構造、その上に堆積している過去のマスムーブメントによる旧崩積土の存在、地すべり地上方部の岩盤に地塊の大規模なクリープに起因する亀裂があり、これが地表水を地下深部に導入していることが挙げられ、誘因としては、山腹地塊の不安定化がかなり以前から進行していたところへ、昭和六〇年以前においては多量の降雨・融雪に基づく浸透水及び地震の影響により主滑動塊に相当する上部土塊が不安定化し、更に、同年六、七月における異常降雨により主滑動塊及び下部従属滑動塊に相当する部分が急激に不安定化したことが考えられるのであり、斜面の安定解析の結果によると、主滑動塊は、降雨水の浸透による土塊の飽和度増加に伴う強度低下及び地下水位の上昇に伴う間隙水圧の増加による強度低下に基づくクリープ現象で経年的に斜面の不安定化を生じ、大崩落の直前にはすべり面の土塊強度が裾花凝灰岩中部層で残留強度とピーク強度の混在状態であったか、あるいは両強度の中間状態に落ち、また旧崩積土層では飽和度増加による強度低下を来していたとみられ、直接的には、同年六、七月の異常降雨が大きく作用して、上方土塊の不安定化及び下部従属滑動塊の急激な不安定化が進んだことにより滑動を開始し、これに引き続き、すべり面のうち上方部については同年七月二〇日以前に既に潜在すべり面として形成されており、七月一五日ないし二〇日の降雨によって短期間に形成された旧崩積土層内を貫く比較的深い位置での下方部すべり面を有する下部従属滑動塊が押し出されるように従属的に滑動したというのである。

なお、本件地すべりの発生に対するバードラインの影響については、滑動した地塊の規模からみると、地形変化の影響は少なく、表層部の局所的なものであり、地形及び道路構造物の状況からみて、トラックカーブ周辺の湧水の流下を妨げたり、深部の地下水量を増加させたとは考え難いばかりでなく、道路建設による地表付近の状況変化が降雨の浸透を促したことはなく、むしろ側溝の働きにより地下水のうちの表層水及び浅層水の一部の速やかな排出が行われ、その面では山体の安定化を進める作用を果たしていることなどから、表層部の局部的な影響は多少あるものの、主滑動塊及び下部従属滑動塊に対する影響は極めて小さいと評価されるとしている。

(3) 右の各報告書に遅れ平成五年一二月になって、国土問題研究会・地附山地すべり調査団(団長は京都教育大学木村春彦名誉教授)による共同研究の成果として「地附山地すべりの発生機構と災害原因・調査報告書」(甲第八一号証。以下「国土研報告書」という。)が発表された。同書では、執筆者名及び分担が明らかにされていないが、証人中川鮮の証言(以下「中川証言」という。)によれば、京都大学防災研究所教官である同証人は、同研究会の会員ではないが、右木村団長の依頼により六名の研究者とともに現地調査及び前掲各報告書等を資料として調査・研究したものであり、直接的には同報告書のうち第七章の「地附山地すべりの挙動現象と発生機構」を分担執筆したものと認められる。

原告らは、基本的に国土研報告書に依拠し、前掲大報告書をも援用して主張・立証をしており、更に、これを補充するものとして、中川証言及び同証人作成に係る意見書(甲第九四ないし第九六号証、第一〇七号証、第一一四ないし第一一七号証、第一二〇号証、第一二二号証、第一四〇号証、第一五七号証)を援用する。

原告らの主張する大崩落時の経過は、ほぼ信大報告書と同様であるが、これに明治コンサルタント作成に係る「昭和六〇年度地附山地すべり調査報告書(総括編)」(以下「総括報告書」という。)、空中写真に現れた崩落直後の地形、地すべり地内の各種構造物の移動方向及び移動量、本件地すべりの状況を撮影したビデオテープ及びその他の写真、関係者らの供述等を合わせ考慮した結果、滑動経過の一部において右信大報告書と異なる見解を採り、ⅢブロックよりⅣブロックの方が先に流下したものとしている。

そして、具体的な滑動状況は別紙(七)の(1)崩落発生状況図に記載のとおりであり、中川証人の指摘する初期移動域の概念に基づき、午後五時前(最初に確認されたのは午後四時五八分)、同図表示①の初期移動域の土塊ないしはそれに押し出された土塊が湯谷団地北部グランド方向に向かって滑動を開始し、次いで、五時ころから五時一〇分ころ、初期移動域の動きに引きずられて、同図表示②の1.5キロメートル付近の下部斜面が崩落し、更に、五時一〇分から五時一五分ころ、同図表示③の0.9キロメートルから1.0キロメートルの間の斜面が崩落し、五時一五分ころから、同図表示④の1.65キロメートル付近の斜面が崩落、五時二〇分ころから、同図表示⑤の1.8キロメートルないし1.9キロメートル付近の斜面が崩落、五時三〇分ころ、右③ないし⑤の崩落土塊が標高五六〇メートル付近より下の緩斜面(同図表示⑥の付近)をブルドーザーが土砂を押すようにしてゆっくりと流下し、その末端が湯谷団地南部に流入するとともに、そのころ、0.8キロメートル付近の上部斜面が右と同様の状態で流下し、五時三五分ころ、松寿荘に流入したものとしている。

なお、国土研報告書及び中川証言によれば、地附山の山頂から南東斜面にかけては、地溝状の亀裂が発達しているほか、風化が進んだ旧崩積土が分布し、その基盤にモンモリロナイトにより粘土化した裾花凝灰岩層が存し、これが地すべりの素因をなしているが、そもそも本件地すべりは、その当日に突然発生したものではなく、バードライン建設後、遅くとも昭和四八年ころから徐々に滑動を開始し、昭和五六年ころからは地すべり性変状を顕著に伴いつつ緩慢に移動し、その後漸次滑動の度を強めていき、遂に大崩落に至ったのであるが、このような経過をたどったのは、初期移動域となった場合には地下帯水域があり、同所に降雨や融雪による地下水の供給があり、その貯水能力を上回ったときに地すべりの前駆現象としての変状が発生し、遂には大崩落時に初期移動域を構成していた土塊が動き、上部土塊が脚部を失って崩落したとしている。

そして、その原因は、初期移動域の地下底部に地下水が過剰に供給され、それが貯留されたことにあり、その過剰供給は、右トラックカーブ内の斜流谷がバードライン建設後、自然状態に比して過剰に降雨・融雪水を集め、これを地下深部に供給したことによると考えるべきであるとして、バードラインの開設による地下水の状況の変化と本件地すべりの発生との間には因果関係があるとの見解を採っている。

(三) 本件地すべりの発生状況

(1) 前項においてみたとおり、本件地すべり発生の機序については、地質学及び土質工学等の関連諸科学の専門家の間においても見解が分かれており、その理論的当否を判断するには困難が伴うところである。

(2) そこで、まず本件地すべりの経緯について検討するに、バードライン開設後大崩落までの経過は、先に第二の一の7において判示したとおりである。そして、甲第一、第二号証、第八一号証、第一一〇号証、乙第一ないし第七号証、第二〇号証、福岡証言、川上証言及び中川証言によると、昭和四八年以降バードラインの各所において発生した道路構造物を中心とする変状は、客観的にみれば、道路が建設された地附山南東斜面の土塊の動きに基づいて発生したものであって、地すべり性の変状と考えるのが相当であり、右変状の発生場所と後に大崩落が発生した際の土塊の滑動状況との場所的近似性によってもこれが裏付けられている。

また、大崩落の状況については、甲第一、第二号証、第七二号証の一ないし四、第七七号証、第一〇四号証、第一一〇号証、第一二一号証、第一二四、第一二五号証、乙第二〇号証、第三四号証、第三五号証、第七二号証、第七三号証の一、二、第九五号証、検甲第一号証、川上証言及び弁論の全趣旨によると、その経過のすべてをつまびらかにし得るわけではないが、本件地すべり地のうちの各ブロックごとの移動順序及びその方向自体は、ほぼ原告ら主張のとおりの経過をたどったものと認めることができる。

すなわち、前掲各証拠によれば、大崩落の際の本件地すべり地の滑動は、午後五地ころから既に始まっており(機構解析検討委員会による大崩落現場に居合わせた関係者らに対する聞き取り結果を記載した甲第七七号証によれば、時刻の記憶が誤っているのではないかと思われる者がいないわけではないが、午後五時ころに滑動が開始したことを窺わせる供述が多い。)、そのころ1.78キロメートル付近の法面が崩壊し、五時一〇分ころまでの間に1.0ないし1.07キロメートル付近の山側斜面の崩壊が開始し、五時一〇分ないし一五分ころに0.85ないし0.97キロメートル付近の道路及び1.0キロメートル付近の山側が崩壊し、五時一五分ころに1.5キロメートル付近が崩落し、五時二〇分ころに0.94キロメートル付近の変状が拡大し、五時三〇分ころに0.8キロメートル付近の山側の変状が拡大し、そのころに流下土塊が湯谷団地に押し寄せ、五時三五分ころに流下土塊が松寿荘に流入したという経過をたどったことが認められ、これによると、前記信大報告書のブロック分けが正鵠を得ているか否かはともかくとして、別紙(二)の図面で表示すれば、まず五時過ぎころにⅡブロックに相当する部分、次いで五時二〇分ころにⅣブロックに相当する部分、更に五時三〇分ころにⅢブロックに相当する部分が順次滑落し、そのころ流下した土砂が湯谷団地にまで到達したと認めるのが相当である。

(3) 前掲各証拠ないしその根拠となった各種資料は、大崩落の状況を部分的に示すものが大部分であり、全体の動きを鳥瞰した証拠が提出されていない以上、崩落状況の確定に限界があることはやむを得ないが、少なくとも、機構解析検討委員会の見解、したがって、被告の主張は、五時過ぎから五時二〇分までの間における主としてⅡブロックに相当する部分ないしその上部の滑落状況を軽視していること、関係各証拠によって認められる各地点の動きの前後関係からみて、ⅡないしⅣブロックに相当するかなり広い部分がほぼ同時に滑動したとするのは無理があることなどの点で採用し難いものといわなければならない。

そうすると、右の広い範囲に相当する主滑動塊の存在やこれを前提とする下部従属滑動塊のとらえ方については疑問が残り、ひいては移動土塊を四つの滑動塊と三つの流動塊に分析する考え方を採用すること自体についても躊躇せざるを得ないものと考えられる。乙第四一号証及び第八三号証並びに福岡証言及び川上証言によれば、主滑動塊及び下部従属滑動塊の存在が判明する契機となったのは、NHKがその社屋の屋上に備え付けられた固定カメラにより撮影したビデオテープの解析と大崩落当時現場にいた関係者からの聞き取り調査の結果だというのであるが、右ビデオテープそのものは証拠として提出されておらず、その一部を編集したり写真化した証拠(前掲検甲第一号証、甲第一二四号証、乙第三四号証、第三五号証)によっても、かなり広い範囲にわたる主滑動塊が一時に滑動を開始したとのみ理解しなければならないものではなく、また、聞き取り調査の結果を記載した機構解析検討委員会の資料(前掲甲第七七号証)により各人が断片的に目撃した状況を総合しても、その供述は時間的及び場所的に体系付けられているわけではなく(むしろ全体的には、同委員会の見解とは異なり、午後五時ころに滑動が開始したことを窺わせる供述が多いことは前判示のとおりである。)、これらの証拠により主滑動塊と下部従属滑動塊の動きを知り得るものではない。なお、機構解析報告書によれば、下部従属滑動塊が独自のすべり面を有するブロックとして動かず、主滑動塊のみであったとすれば、土塊の到達距離はせいぜい主滑動塊の末端から一〇〇メートル程度であり、湯谷団地にまでは到達しなかったというのであるが、その到達距離の試算をする際に用いた動摩擦係数0.4ないし0.5がはたして本件のような地すべりにも妥当するものであるか否か、必ずしもその根拠が明確でないので、右の到達距離の解析をそのまま採用して、下部従属滑動塊の存在を措定することは困難である。

もっとも、国土研報告書及び中川証言が提唱する初期移動域の概念についても、最初に崩壊したブロックと従前生じていた変状との場所的対応関係を指摘する点においては肯認できる面があるにせよ、初期移動域の存在を認識し得るとする根拠が必ずしも納得し得るものではなく、空中写真による判読を主体とする手法についても、これを否定する乙第七七号証(古屋尊彦千葉大学教授の意見書)、第八一号証(福岡証人作成に係る意見書)及び第八三号証(前記望月巧一作成に係る意見書)を排斥するに足りるだけの論拠を見い出し難く、結局、これを地すべり現象のメカニズムを解析するための理論的根拠として独自の存在を持つ概念として採用することは困難である。

そうすると、本件地すべり地の滑動状況を統一的な概念で説明することは困難であるというほかなく、個々的な事実認定により主としてバードラインに生じた変状と本件地すべりとの関係(道路の設置または管理の瑕疵の存否及びこれと地すべり発生との因果関係並びに災害発生の予見可能性及び回避可能性を判断するための前提となる事実関係)を検討せざるを得ないことになる。

(四) 本件地すべりの素因と誘因

(1) 地附山の形状及び地質は先に第二の一の4において判示したとおりであり、新第三紀層の浅川泥岩層の上に裾花凝灰岩層が、更に、その上に過去の崩積土が堆積して厚い層をなしている。

ところで、本件地すべり地が古い地すべりの跡であるか否かについては、被告は、何らかのマスムーブメントの生起した場所であること及びその際の崩積土が堆積していること自体は認めつつも、旧地すべり地であると断定することはできない旨主張する。

しかしながら、甲第一、第二号証、乙第一号証、第四ないし第七号証等の調査報告書においては、すべて右の地附山の崩積土を過去の地すべりによるものとしている。甲第四八号証及び福岡証言によれば、機構解析検討委員会においても、当初は山腹斜面が古い地すべりによって形成されたとの記載のある事務局資料により検討されていたところ、その後、地すべりがマスムーブメントの概念に置き換えられたと認められるのであるが、福岡証言によっても、地すべりと断定できないマスムーブメントの概念を用いるべきだとする論拠が必ずしも明確ではない。崩積土はかなり広い範囲にわたって分布しているのであって、その規模からみて、地すべりによる崩積土と認めても差し支えないと考えられる。

次に、甲第一、第二号証、第八一号証、第一一〇号証及び乙第二〇号証並びに福岡証言、川上証言及び中川証言によれば、地附山の南東斜面のうち本件地すべり地となった部分は、正断層二本及び逆断層二本に囲まれている上、地層の傾斜が地形の最大傾斜と平行となる流れ盤となっており、極めて不安定であったこと、山体の基盤を構成している裾花凝灰岩層の中部層(厚さは三〇ないし五〇メートル)においては、軽石凝灰岩が全体的に著しい変質を受けてモンモリロナイト化していること、このモンモリロナイトは、吸水すると膨潤して柔弱(グリース状)になる特性を持ち、これにより粘土化した部分が難透水性の面を作り、脆弱部のうち構造ひずみが集中した部分に発生した亀裂が次第に連続していくことによりすべり面が形成されることがあること(現に本件の大崩落時におけるすべり面もこの裾花凝灰岩層の中部層に形成されている。)、これらのことから、本件地すべり地はもともと地すべりが発生しやすい箇所であったこと、同所における地下水の賦存形態は、裾花凝灰岩層の下部層の中に深層水、中部層のうち難透水層となった部分に支えられた部分に浅層水、その上部の沼沢性堆積物等に存在する部分的な宙水としての表層水があり、これらのうち浅層水と表層水が地すべり土塊の地下水位面を形成したり、土の飽和度を増加させたり、土塊の滑動に影響を及ぼすことが認められる。

以上によると、これらの地形、地質、地下水の賦存状態が本件地すべりの素因となっていることは明らかである。

(2) 大崩落の直前である昭和六〇年六月から七月にかけての梅雨期に記録的な降雨があったことは、先に第二の一の7(三)において判示したとおりであり、更に、甲第一、第二号証、第八一号証、第一一〇号証及び乙第二〇号証によると、斜面を不安定化させる要因の中でも降雨は重要であり、雨水が地下に浸透することによって前記の裾花凝灰岩層の中部層内に存在する潜在すべり面の間隙水圧を上昇させるような地下水上昇を招き、すべり面の形成を促進させ、また、その上にある旧崩積土の飽和度を増加させて強度の低下を招くとともに、すべり土塊の力の釣り合い形態が変化して剪断応力が他の部分に配分され、右の潜在すべり面を発達させるという機構が働くことが認められ、このような大崩壊前の降雨及びこれによる地下水の作用に基づく潜在すべり面の発達が本件地すべりの誘因の一つとなったことは疑いない。

(3) 機構解析報告書では、地震、殊に、昭和四〇年八月から四二年九月までの松代群発地震を取り上げ、地震がしばしば地すべりの原因となることは一般に知られており、地附山南東斜面における変状の発生が松代群発地震の数年後であることを根拠にその影響も軽視できないとしているが、右の時間的関係のほかに関連性を示す具体的根拠が存せず(地附山東方山麓に地盤の異常隆起が観測されたとするが、本件地すべり地との場所的関係が明らかでない。)、推測の域を出ないと考えられるばかりでなく、変状の拡大が著しくなった昭和五六年以降との関連が明らかでないので、これを本件地すべりの誘因の一つとして重視するのは相当でない。

(4) 問題は、前記の誘因のほかに、バードラインが本件地すべり発生の誘因となったか否かであるが、この点に関しては、原告らは、道路建設時における切土・盛土による土塊の不安定化と水みちの変化による地下水の貯留を挙げる。

① そこで、まず切土・盛土による斜面の不安定化について検討する。

本件地すべり地における主要な切土・盛土箇所については前判示第二の一の5(三)のとおり(別紙(六)記載の切土・盛土箇所参照)であるが、乙第二〇号証、第二六号証の一ないし一四、第二八号証の一ないし六によると、切土箇所の工事規模は、0.8キロメートル付近において、長さ約一〇〇メートルの区間に最大高さ9.2メートルで推定土量一万七〇〇〇立方メートル、1.0キロメートル付近において、長さ約一〇〇メートルの区間に最大高さ5.4メートルで推定土量五二〇〇立方メートルであり、盛土箇所の工事規模は、1.8キロメートル付近において、長さ約八〇メートルの区間に最大厚さ4.8メートルで推定土量一万立方メートル、1.5キロメートル付近において、長さ約三〇メートルの区間に最大厚さ6.6メートルで推定土量三一〇〇立方メートルであると認められる。

ところで、切土及び盛土によって山体に人為的工作を加えて道路を建設すると、自然状態のままでは安定を保っていた斜面が不安定化することがあることは一般に知られていることである。

もっとも機構解析報告書によれば、盛土の影響は、すべり面のうち盛土幅に相当する領域のみであり、その量は、前記の1.8キロメートル付近の最大盛土部の直下のすべり面位置でも一般的な交通荷重で生じる剪断応力の約四倍であり、この程度では大崩落のすべり面の発生ないしその成長にはほとんど影響せず、また、切土の影響は、その背面地盤で切土部相当領域の範囲で現われるのであり、深部にはほとんど影響しないとされている。これは、有限要素法による地盤応力解析の結果に基づく推論であるが、地形改変前の初期地山応力が把握されていないので、はたしてどれほど厳密な検討ができるのか疑問が残る上、川上証人も信大報告書及び災害報告における執筆部分で0.8キロメートルが最初の変状発生箇所となっていることから、同所における切土が地すべりに悪い影響を及ぼしたことは否定できない旨明らかにしており、また、福岡証人も証人尋問において、同所における変状の発生が深い所での土塊のすべりの影響として生じたものであることを認める旨の証言をしているところである。そして、甲第一、第二号証、第八一号証、乙第一、第二号証、第四、第五号証、第七号証、第二〇号証によれば、バードラインの0.8キロメートル付近においては、昭和四八年以降度々石積擁壁に亀裂が入るなどの変状が生じた上、昭和五九年には車の通行に支障が生ずるほど路面が盛り上がり、翌六〇年六月下旬には切土法面を取り囲む形で弧状ないし馬蹄形状の段差が発生し、同年七月二四日には擁壁が回転するような形態を取り、路面アスファルトが巻き上がり、更に、大崩落の当日には二回にわたり擁壁の上部斜面が崩壊するなど、著しい変状が生じたことが認められる。

したがって、0.8キロメートル地点における最大の切土は、その影響を定量的に把握することが困難であるとしても、自然斜面の人為的改変により地すべりの影響が顕著に生じたという意味では無視し得ないものであり、経年的な地すべりの発達過程では一つの誘因となっていたといって差し支えないものと考えられる。

なお、1.07キロメートル付近においても、昭和五二年以降しばしば石積擁壁及び路面に変状が現われており、切土の影響により道路構造物を支える斜面が不安定化していたことが窺われる。

② 次に、地下水の流れの改変で問題となるのは、主としてトラックカーブ内における斜流谷の排水の点である。

甲第一、第二号証、第四七号証の一、第八〇号証の一、二、第八一号証、第一一七号証、乙第一、第二号証、第五号証、第七号証、第二〇号証、第二六号証の一ないし一四、第二八号証の一ないし六、第三〇号証、第四七号証の一ないし四、第六七、第六八号証、証人齊藤忠二の証言(以下「齊藤証言」という。)、福岡証言、川上証言及び中川証言によると、本件地すべり地においては、北端部から東縁にかけて数か所の湧泉と湿地があり、旧鬼沢の上流部に地下水の地表への湧出が集中しており、旧鬼沢の上流部に地下水谷が存在していたほか、地すべり地の全域にわたって地下水が流動していたこと、トラックカーブ内には1.8キロメートル付近から下方(東)に向かって流れる斜流谷(山地においてその最大傾斜方向に流下せず、それと直交するほうな方向に流れる谷)が存したこと、もともとバードライン建設当時、1.8キロメートル付近は湿地であり、被告は、同所において道路建設のために盛土をする際、その下に路盤改良工として一八メートル×一八メートルの範囲に布団籠を敷き、その上に一〇センチメートルの厚さで粗朶を敷いた上で、最大厚さ4.8メートルの盛土工事を行ったこと、その際、布団籠で集めた水を有孔管による暗渠排水でトラックカーブ内の集水桝に引くという仕組みにしたこと、このように集水桝を設置したのは、従前から同所において農業用水を利用していた地権者からの要望に基づくもので、集水桝の先には排水施設を設けなかったこと、他方、1.5キロメートル地点の道路建設に際しても、同所に最大厚さ6.6メートルの盛土をし、更に、付近地権者からの要望により、山側(トラックカーブ内側)の沢に埋土をして広場(後に駐車場)としたが、同所の横断暗渠としては、当初設計に係る直径八〇センチメートルのヒューム管でなく、直径三〇センチメートルの有孔管(スピンパイプ)を設置したこと、ただし、右の有孔管は広場の排水を目的としたもので、トラックカーブ内を流れていた前記の斜流谷に繋がっておらず、その排水を目的としたものではなかったこと、昭和五六年の中部地質による調査で右トラックカーブ内の台地の中央が湿地化していることが判明し、同社から五六年報告書及び同追補1の提出を受け、表面排水工及び浅層地下水排除工としてのトラックカーブ内の二階建明暗渠排水工並びに横孔ボーリング工が提案されたことから、被告は、翌五七年四月からそのうち二階建排水工を一部規模を縮小して施工したこと、昭和五九年になってから旧鬼沢上流部に設置した調査ボーリング孔(企五九―三)における地下水位の測定によれば、地上構造物に変状の発生した同年七月に地下水位がマイナス三〇メートルからマイナス六メートルまで上昇し、翌六〇年四月の融雪期にはマイナス二三メートルまで、前判示のとおり極めて降雨量の多かった梅雨期に当たる同年六月にはマイナス七メートルまで上昇し、多量の降雨があった後には地下水位が上昇して地上構造物に変状が発生するという相関関係がみられたこと、以上の各事実が認められる。

ところで、右斜流谷の出口について、原告らは、1.5キロメートル地点であり、同所における埋土及び有孔管を斜流谷に繋げなかったことにより斜流谷の出口が塞がれた状態となったため、同所に地下水が貯留されるような状態になった旨主張するのに対し、被告は、斜流谷の出口はもともと1.4キロメートル地点にあり、同所の開口部又は1.5キロメートル地点の地中の水みちから排水されていたので、トラックカーブ内の湿地帯の地下に貯留されることはなかった旨主張する。そして、この斜流谷の出口を認定する証拠として、原告らは、長野市作成に係る地形図(甲第四七号証の一。大正一五年測図・昭和二七年修正測図。これには、斜流谷と見られる谷筋は、バードライン設置後の1.5キロメートル地点に相当する部分に流れている。)を援用し、かつ、甲第二号証、第九四、第九五号証、第九八号証の一ないし一一、第九九号証の一ないし一〇、第一〇〇号証の一ないし五、第一〇一号証の二ないし五、第一一四号証、第一一七号証、第一四一号証の一、二、中川証言(同証人は、昭和二二年一一月六日米国極東空軍撮影に係る四万分の一の空中写真(甲第二号証の番号六〇の写真)を立体視すれば、1.5キロメートル地点に相当する部分に斜流谷が流れていることが判読できる旨証言する。)によりこれを補強する。これに対し、被告は、昭和二二年九月二四日米国極東空軍の撮影に係る一万分の一の空中写真(乙第七八号証の別添一の写真)を測量会社において図化した地形図(乙第七七号証の添付図面。機構解析報告書の前図3とは等高線間隔が異なるが、同一の技法により作成したもの。同図面に記載の等高線によれば、斜流谷と見られる谷筋はバードライン設置後の1.4キロメートル地点に相当する部分に流れているように見られる。)を援用し、かつ、乙第三八号証、第五二号証、第五四号証の一、二、第七四号証、第七八号証、齊藤証言(同証人は、バードライン建設当時の企業局職員であり、現地を踏査した際、谷地形の出口は南東(1.4キロメートル方向)を向いているのを現認した旨証言する。)により補強する。右の各証拠のうち、中川証人が四万分の一の空中写真を判読することにより斜流谷の出口がわかるとする点は、同証人以外の者が判読の可否及びその正確性を客観的に確認することができないので措くとしても、前掲甲第九九号証の一、八、第一〇〇号証の七、第一〇一号証の三の各写真によって認められる1.4キロメートル地点の尾根(長野放送(NBS)のテレビ中継所が建てられている小尾根)の北端は、いかにも急峻であり、自然の水流による洗掘に基づいて形成された切り通しであれば、長期間にわたってかなりの水量の谷水が流れていなければならないと考えられるが、同所の斜流谷が地表水としてそれほど多量の水を流していた形跡はなく、人為的に割って作った開口部のように見るのが自然である。そうすると、これと相反する供述をする齊藤証言及び同人作成の陳述書(乙第七四号証)をそのまま採用することは困難である。同様の指摘は極東米軍の空中写真を図化したという図面についても当てはまる。すなわち、仮に自然の水流によって形成された切り通しが1.4キロメートル地点に存在していたのであれば、このような地形は一朝一夕になるものではないので、右の小尾根とその北端の切り通しは昭和二二年撮影の空中写真(したがって、それを図化した地形図)に現れてもいいはずであるが、右地形図には、特徴的な切り通しのような部分が明確には表示されていない。そして、もし1.4キロメートル地点が斜流谷の自然な出口であれば、バードライン建設に際して1.5キロメートル地点に大規模な暗渠排水を施工する必要はないと考えられるのに、乙第二六号証の二、五、一二及び齊藤証言によれば、実際には長野市が行った当初設計においては直径八〇センチメートルのヒューム管が敷設されることになっていたと認められるのであって、このことは、1.5キロメートル地点において何らかの排水措置を必要とする事情があったことを窺わせるものというべきである。また、乙第一号証(五六年報告書)添付の「現地踏査結果平面図」に記載された湿地帯は、トラックカーブ内において西側から南東方向の1.5キロメートル地点に向かっているように見られるのであり、かつ、これに沿うかのように乙第二号証(同報告書追補1)により中部地質から提案された明暗渠工及び横孔ボーリング工の設計図に係る配水管は1.5キロメートル地点に向いているのである。そうすると、斜流谷の出口は、1.4キロメートル地点ではなく、1.5キロメートル地点であると認めるのが相当である。

そして、甲第一、二号証、第八一号証、乙第二〇号証並びに福岡証言、川上証言及び中川証言を総合すると、中部地質の五六年報告書によって指摘されたトラックカーブ内の湿地化は、同所に地下水が貯留されたために生じた変状であり、その原因は同所における排水設備の不良によるものと認めることができる。

以上によると、本件地すべりの誘因の一つとして、主としてバードラインのトラックカーブ内の斜流谷に係る排水設備の不良による地下水の状況の変化を挙げることができる。

なお、原告らは、バードラインの2.0キロメートル以上の道路及び側溝が地附山南東斜面の雨水をも集めてこれをトラックカーブ内の斜流谷に溢水させていたことをも地下水貯留の原因として挙げ、これに関連して、被告(企業局)が側溝の管理を怠って、ゴミが詰まるなどして側溝の通水が阻害されて溢水した旨主張する。

確かに、自然斜面に道路を建設すること自体は集水面積の増大をもたらすものの(乙第二〇号証によれば、バードラインの設置により2.6ヘクタール集水面積が増えたと認められる。)、他方では、信大報告書や機構解析報告書が指摘するように、道路の建設は斜面を横切って排水路を設けた効果があり、雨水の浸透を減ずる効果があり、殊に、全部舗装された後には道路建設前より地盤の降雨浸透能が大きく低下したと解する余地も十分あり、側溝等から山体に侵入させることなく排出する構造であれば、道路の設置ということだけで地下水の増大を招くことはないと考えられる。問題は、側溝の管理が適切になされていたか否かであるが、本件地すべり後の追跡調査に関する甲第一一八、第一一九号証によれば、その管理が必ずしも十分になされておらず、問題がないわけではないが、本件地すべり発生前に本件地すべり発生地付近(その情報を含む。)において右証拠によって窺われるような管理状態と同じような状態にあったと推認することは無理があり、また、検甲第一号証におけるタクシー運転手の供述も、溢水が常態であったと認めるに足りるものではないので、乙第六五ないし第六八号証及び証人西澤和夫の証言(以下「西澤証言」という。)を排斥してまで、側溝からの溢水により雨水が地下に浸透していたとの主張をみとめることは相当でない。

2  公の営造物の設置又は管理に関する責任(国家賠償法二条一項)

(一) 「公の営造物」の設置又は管理の「瑕疵」の意義

(1) 国家賠償法二条一項所定の「公の営造物」とは、国又は公共団体により公の目的に供される有体物及び物的設備をいい、地方公共団体の管理する道路はその典型である。したがって、本件におけるバードラインのように普通地方公共団体たる県によって開設されている道路運送法上の有料道路がこれに該当することはいうまでもない。

なお、被告は、本件地すべりは、バードラインそのものの崩壊によって惹き起こされたものではなく、たまたまバードラインが開設された斜面が山体自体の崩壊により発生したものであり、しかも、本件地すべり地の中で崩壊した道路の占める部分はごく一部にすぎず、その余は民有地であることを主張して、公の営造物への該当性を否定するけれども、前判示のとおり、バードラインの0.8キロメートル地点における切土が自然斜面への人為的改変として地すべりの発生に影響を与え、かつ、主としてトラックカーブ内の斜流谷部分の排水設備の不良により地下水の状況に変化が生じたという意味で、バードラインの存在自体が地すべりの誘因の一つとなっているのであるから(地すべり発生の原因としては、他にも素因及び誘因が存するので、これらを総合して判断した結果、バードラインの右のような性状が「瑕疵」に当たるか否かという問題は別論である。)、少なくとも右地すべりにより被害を受けたことに基づく損害賠償責任の存否を検討するに際して、瑕疵の存否の判断の対象となる営造物がバードラインであることは当然のことというべきであり、被告の主張は当を得たものではない。

(2) ところで、公の営造物に「瑕疵」があるとは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることを意味し、(最判昭和四五年八月二〇日・民集二四巻九号一二六八頁)、その安全性の有無は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用方法等の諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである(最判昭和五三年七月四日・民集三二巻五号八〇九頁)。

この点について道路の安全性の見地から検討すると、道路は、人や車の交通の用に供される施設として利用者に対する関係で安全性が確保されていなければならないことはいうまでもないが、他方、人の生活空間を結ぶ手段として社会生活と身近に接した場所に存在する施設であり、しかも、多かれ少なかれ自然状態にあった土地等に対し人為的に手を加えて設置されるものであるから、その存在により施設周辺の住民等に対して生命・身体・財産等に危害を及ぼすような危険性のないものでなければならず、そのような面での安全性をも備えていなければならないと考えられる。

そして、道路は、それのみで単独に存在することは少なく、その周囲の物に支えられ、あるいはそれらの物と構造的に組み合わされた形態で存在するのが通常であるから、安全性の存否についても、道路だけを取り出してそれ自体の性状を検討の対象とするのではなく、周囲の物との関連において全体として危険性が無いか否かを考えるべきである。ただし、周囲の物の管理者が異なるような場合には、直ちに危険性を除去するための措置が取れないこともあるけれども、それは結果回避可能性の有無を判断する際に問題となることであって、安全性の存否について周囲の物との関係で全体的に考察する必要があることと矛盾するわけではない。

これを本件のバードラインについてみるに、それが湯谷団地の住民との関係で安全な営造物であるか否かは、道路の設置場所である地附山の斜面と構造的に組み合わされた形態で存在することを前提として、全体的な性状が地すべり等により下部山腹に所在する同団地の住民に危害を及ぼす危険性がないか否かを判断すべきこととなる。

(二) バードラインの建設と営造物の設置の瑕疵

(1) 原告らは、旧地すべり地である地附山南東斜面に調査・確認を経ずに、かつ、地すべりに対する配慮を欠いたままバードラインを建設したこと自体が営造物の設置の瑕疵に当たる旨主張する。

確かに、前判示第二の一の3の地すべりの特質にかんがみれば、地すべりの跡地は、その再発を招きやすく、しかも、崩積土に覆われている上、地質及び地形の点で地すべりの素因となるべき要素を多く抱えているところ、道路建設は、自然斜面に人為的な改変を加えて行うため地盤の不安定化を来たしやすいと考えられるので、注意を要するところである。そして、地すべりが破壊的に進行して広範囲にわたり土塊が滑落するような状態になると、道路構造物だけではなく、その周囲の物についても被害が及ぶ結果、交通利用者はもとより、付近住民の生命・身体・財産にまで危害が及ぶことが考えられるので、一般的には、道路を建設するに際しては、旧地すべり地を避けるか、あるいは建設するにしても地すべりに対する配慮を十分にするなどして慎重に対処しなければならないというべきである。

(2) しかるところ、乙第二四号証及び齊藤証言並びに弁論の全趣旨によると、バードライン建設時においては、企業局が独自に行ったものではない簡単な地質調査書があったほか、長野市大座法師池付近でボーリング調査を行ったことがあるだけで、地附山南東斜面に関しては、職員による現地踏査を行ったことがあるものの、それ以上詳細に地形及び地質について調査をした形跡はない。したがって、被告(企業局)は同所が旧地すべり地であることの認識を有しておらず、したがって、地すべり地であるがゆえの配慮は一切なされていないものと認められる。

(3) しかしながら、乙第一一、第一二号証、第一六号証、第二〇号証並びに福岡証言及び齊藤証言によると、地附山南東斜面において地すべり(福岡証人は、過去に同所で地すべりがあったとは断定できないといして、過去の斜面変動をより包括的にマスムーブメントと呼ぶ。)があったのは、最も新しいもので六四〇〇年前以前であり、道路建設に際して考慮すべき変状としては古く、地形的に必ずしも地すべり地としての特徴が明確でなく、地すべり地形と断定するに必用な微地形に乏しいこと、昭和三五年発表の信州大学教育学部研究論集所載の論文及び昭和三〇年代後半ないし四〇年ころの地すべり地分布図においても地附山は旧地すべり地として取り上げられていないこと、バードライン建設当時の実情からすれば、調査方法としては現地踏査が主体であり、一般的には専門家による地形・地質調査やボーリング調査までは行われていなかったことが認められ、これらに照らせば、被告(企業局)において、地附山南東斜面が旧地すべり地であることの認識を欠き、地すべり地に建設する道路としての特別の対策を取らなかったとしてもやむを得ないものというべきである。

したがって、地附山南東斜面にバードラインを建設したこと及びその際に地すべり地における道路としての特別の配慮をしなかったことが直ちに公の営造物の「設置の瑕疵」に該当するものではない。

(4) 問題は、本件地すべりとの関係では誘因となった0.8キロメートル地点における切土(代表的には同地点であるが、1.07キロメートル地点も無視し得ないことは前判示のとおりである。以下、同じ。)及びトラックカーブ内の斜流谷部分に対する排水設備である。

右の二点は、道路開設の段階で行われた工事に起因することであり、将来いつかの時点で地すべりを起こすための原因となり得る要因であるからという意味で欠陥を抱えていたことにはなるが、それだけで直ちに道路の「設置の瑕疵」が存することにはならない。なぜなら、地すべり等の斜面変動を誘発する原因力には程度があり、しかも、その程度は、当初から確定不動のものではなく、当該道路を取り巻く周囲の状況、自然環境の変動(降水量の多寡及びこれによる地下水の腑存状況の変化はこれに含まれる。)、開設後の使用状況等の諸要因によって変動を生じ得るのであり、当初はさほどでなかった欠陥がその後の環境の変化等によって重大なものに変わることも考えられるからである。

そこで、右の二点の欠陥を抱えていたことによりバードラインが開設時から既に道路として通常具有すべき安全性を欠いていたのかについて検討する。

甲第一、第二号証及び乙第二〇号証並びに福岡証言及び川上証言によると、道路の設置により斜面に人為的な改変を加えたこと自体が道路の構造上問題があるのであれば、設置後ある程度早い時期に変状が現われるのが通常であると認められるところ(信大報告書及び災害報告における川上教授執筆部分によると、道路が原因で地すべりが発生する場合は、通常、道路建設後二、三年のうちに変状が発生するという。)、前判示第二の一の7のとおり、本件において道路構造物に変状が現われたのは、バードライン開設から九年(工事開始の時期からみても一〇年)が経過した後であるから、道路開設当時から右の二点が道路崩落の原因となるほどの欠陥として存在していたものと認めることはできない。

もっとも、信大報告書中には、前記の1.8キロメートル付近における布団籠・粗朶・排水管による排水設備について、必従谷や平地部における沼沢地を横断するような場合には十分といえるかもしれないが、地すべり地内に存在する斜流谷部に対しては必ずしも適切な工事とはいえないかもしれないと指摘する部分(吉澤孝和信州大学助教授執筆)もあるが、そもそも被告(企業局)において地附山南東斜面が旧地すべり地であることの認識を持たなくともやむを得ないこと及び地すべり地であることを前提とする配慮がなくとも、そのことだけから直ちに瑕疵があるとはいえないことは前判示のとおりである上、同助教授が挙げる欠陥はいずれも開設後に生じた要因に基づく事柄であるから、前記の判示と必ずしも矛盾しないと考えられる。

(三) バードラインの維持・管理と営造物の管理の瑕疵

(1) バードラインに現われた変状と被告の対応

① 地附山南東斜面におけるバードラインの路面及び擁壁等に遅くとも昭和四八年以降次々と変状が生じたことは前判示第二の一の7(一)のとおりであるが、そのうち主要なものについて発生箇所ごとにまとめると、次のとおりである。

・ 0.8キロメートル付近

昭和四八年=石積擁壁に亀裂

昭和五三年=法留石積に亀裂

昭和五五年=法留石積に沈下・亀裂

昭和五六年=路面の沈下(段差)、法留擁壁にずれ

・ 1.07キロメートル付近

昭和五二年=石積擁壁に亀裂

昭和五六年=石積擁壁に亀裂、路面の陥没

昭和五八年=路面の陥没・開口亀裂

昭和五九年=路面の陥没・開口亀裂

・ 1.5キロメートル付近

昭和五三年=路面の沈下

昭和五六年=路面に亀裂・陥没

昭和五八年=路面の陥没・開口亀裂

昭和五九年=路面の陥没・開口亀裂

・ 1.7ないし1.9キロメートル付近

昭和五六年=1.7キロメートル付近の石積擁壁に亀裂

昭和五六年=1.8キロメートル付近の上部(北東)の山腹に段差を伴うアーチ状の亀裂

昭和五六年=1.9キロメートル付近の石積擁壁に亀裂、路面の陥没

② 乙第二〇号証、西澤証言及び証人松尾旻の証言(以下「松尾証言」という。)並びに弁論の全趣旨によると、被告(企業局)は、前記のようなバードラインの変状について、その都度補修工事(擁壁の亀裂)に対しては張コンクリート、路面の段差に対してはアスファルトのオーバーレイを施すなど)を行い、道路施設の維持に努めてきたが、過去一七年間における六〇日間最大累積降雪量を記録した昭和五六年春の融雪期に、それまでほぼ0.8キロメートル付近と1.07キロメートル付近に生じていた変状がそれより上部にまで拡大したことから、その原因を究明して対策を立てるために民間の地質調査コンサルタント会社に調査を委託することとしたことが認められる。

同年以降の中部地質及び明治コンサルタントに対する調査委託及びこれに対する各社からの報告書の提出の状況は前判示第二の一の7(二)のとおりである。

③ ところで、乙第一号証によれば、中部地質から被告(企業局)に提出された五六年報告書の第一章「調査概要」においては、調査の目的は、1.0キロメートル地点に発生した地すべり現象と見られる石積ブロック擁壁の亀裂等の変状について地質の状況を確認するとともに、その素因と誘因を解明し、地すべり発生の機構を考察・把握して、適切な防止対策を検討し、対策実施に関する基礎資料を得ることであること、第三章「調査結果」においては、地形的特徴は、地すべり地形によく似ており、過去に地すべりが発生している可能性があること(なお、現地踏査結果についてはバードラインの起点から2.2キロメートル地点までの路面及びその周囲に生じた変状を図面に逐一・具体的に書き表している。)、第四章「機構解析」においては、地すべり(斜面崩壊を含む。)の発生要因としては、地形的に地すべり地形をなしていること、地質的に崖錐堆積層が広範囲に分布し、切土や洗掘によって大きく崩壊することがあること、誘因としては、融雪水・多雨期に地下水位が上昇して地中の有効応力を低下させるとともに、浸透力による崩壊の引金となること、崩積土を切土したことにより安定性を低下させていること、地すべりの頭部となり得る箇所(例えば、トラックカーブ内)に盛土や構造物を建設したことなどが挙げられること、発生の状況としては、現在の現象は地すべり頭部としての引張亀裂及び陥没しか現われておらず、むしろ小規模な斜面崩壊の徴候が広範囲に存在しているが、規模が大きな場合や運動速度が緩慢な場合は地すべり現象としてとらえることが可能であること、現地踏査や空中写真により総合的に判断すると、地すべりとしてとらえることが可能な範囲や移動ブロックをほぼ推定することができること、今後地すべりが発生する可能性があると考えられる範囲を図示すると別紙(九)のとおりになること、ただし、これは現段階での調査結果により推定したものであり、これをより明確にし断定するためには今後の調査を待たねばならないこと、防止工法としては、抑制工により運動の軽減を図るのが妥当であり、地下水の排除のために、表面排水工(暗渠工と併用が望ましい。)及び浅層地下水排除工(トラックカーブ内の湿地帯から東方へ続く谷地形部に明暗渠を設け、更に水位が高い場合には二階建暗渠とし、これで排水できない場合には滞水層を確認した上で横孔ボーリング工を行う。なお、他の地域からの浅層地下水に対しては地下水遮断工を行う。)が適切であること、第七章「結論および今後の問題」においては、今後の問題としては、推定地すべり範囲内で各種の調査を実施し、明確な移動ブロック、すべり面位置等を把握して、必要な対策工法を検討する必要があることがそれぞれ記載されていることが認められる。

④ 乙第二、第三号証によれば、その後、中部地質は、五六年報告書を補充するものとして、同報告書追補1及び同報告書追補2を提出したが、前者においては、現段階の調査結果内で地下水脈や帯水層を推定した上で、抑制工法としての排水工について具体的に検討を加え、トラックカーブ内の地表水・浅層地下水・深層地下水を排除するために明暗渠工と集水井を含む横孔ボーリング工を設計して、被告(企業局)に提示したことが認められる。

⑤ 甲第八〇号証の一、二、第一二八号証、乙第二号証、第二〇号証、第六八号証、第八七号証及び弁論の全趣旨によると、被告(企業局)は、昭和五六年度に策定された計画により翌五七年四月から0.8キロメートル付近の擁壁についての覆擁壁工及びアースアンカーによる法留保護工を行い、更に、中部地質の提案に基づき、トラックカーブ内において湿地の表面水及び浅層地下水の排除を目的とする二階建排水工と排水暗渠工等を行ったこと、ただし、その規模が五六年報告書追補1による設計の半分程度のものであったばかりでなく、深層地下水に対する排除工は行っていないこと、被告(企業局)が工事の実施に際して作成した工事実施設計書には、いずれも工事名欄に「地すべり対策工事」と、起工理由欄に「地すべり現象が見られ」などと記載されていることが認められる。

⑥ 乙第四ないし第七号証、第二〇号証、第五五号証、西澤証言及び松尾証言並びに弁論の全趣旨によれば、トラックカーブ内の湿地は前記の対策工事を行った後にいったん乾燥化したものの、昭和五八年九月下旬の台風によりバードラインにおいて土砂崩落が生じ、その後においても、1.07キロメートル付近及び1.5キロメートル付近において再び路面に亀裂や段差が生じるなどの変状が発生したことから、被告(企業局)は、明治コンサルタントに調査を依頼したこと、同社から提出された五八年報告書の第一章「はじめに」においては、調査の目的は戸隠有料道路のいたる所に亀裂及び段差が生じ斜面自体も不安定になっていると推定されるため地すべりの解析と今後の対策工を検討するための基礎資料を得ることであること、第二章「地形・地質概要」においては、有料道路区間は空中写真の判読でも明瞭な地すべり地形が認められること、第三章「地表踏査の結果」においては、地すべりの状況として地表踏査及び空中写真の判読によると別紙(一〇)の地すべりブロック推定図に記載されたような非常に大きな地すべりブロックが推定され、そのうち変状の認められる部分は同図面表示の①地区ないし④地区であるが、中でも③地区が変状の大きな場所で、道路の陥没、斜面に生じた開講亀裂及び段差、石積工の亀裂等の変状が目立っていること、地すべり地の断面図に示したように中部から頭部にかけてのすべり面深度は五〇メートル以上になること、第六章「地すべり機構」においては、本地すべりは比較的規模の大きな地すべりが推定され、地すべり地の頭部及び中部には地すべり滑動により形成されたと考えられる古い凹地があり、過去に大規模な一次地すべりが発生したことを物語っていること、素因としては、地質的には裾花凝灰岩が変質を受けて地層自体が弱体質になっており、モンモリロナイトを含んで膨潤性を有していること、地形的には地すべりブロック内では中部の平坦地を除いて三〇ないし三五度であり、かなり急な勾配となっていること、誘因としては、豊富な地下水の存在(ただし、現時点では地下水の状況が明確でないため地下水の地すべりに対する影響について言及しないが、四〇メートル位のかなりの深部まで地下水の作用を受けている。)と有料道路建設による切土の影響(切土した場所に顕著な変状が認められる。)が挙げられること、地すべりの移動形態は現時点では不明であるが、変状が顕著に現れ、時期が豪雨の後であることから、非常に緩慢な継続型と考えられること、第七章「問題点と今後の調査方針」において、地すべりブロックのうちでは特に③地区は有料道路を二か所でまたいでおり、非常に不安定であり、今後もすべり面深度を把握する必要があり、更にボーリング調査を行って、地すべりブロックの地下構造、地下水状況及び正確なすべり面深度を把握し、全域の地表探査により変状の拡大を監視する必要があること、以上の諸点が記載されていること、更に、その後の五九年中間報告書においては、変状の具体的な態様等について、五九年第二報告書においては、主としてボーリング調査の結果について、五九年最終報告書においては、地すべり状況並びに垂直及び横孔ボーリング調査の結果についてそれぞれ報告されたこと、その間、企業局においては、本件地すべり地内に伸縮計を設置し、また、主として調査目的のため横孔ボーリングを行うなどする一方、昭和五九年七月の豪雨後に変状の拡大が著しかったことなどから、そのころ土木部等の関係各部署と本件地すべり地について地すべり等防止法に基づく地すべり防止区域への指定の意見具申の可否について協議するなどしたものの、指定の要件を満たさないとの判断から見送られ、企業局の独自の予算で地すべり対策工事を行うことになり同年九月には六か年にわたる年次別防災計画を策定するに至ったこと、右年次別防災計画の前には、前記の二階建排水工等のほかには、本格的な地すべり抑制のための工事は行わなかったこと、以上の各事実が認められる。

⑦ その後、大崩落の発生までの経緯は、前判示第二の一の7(三)のとおりである。

(2) バードラインの欠陥と管理の瑕疵

① 本件地すべり発生の誘因の中にはトラックカーブ内の斜流谷部分に対する排水設備による同所での地下水の貯留と切土による斜面の不安定化という二点が含まれることは前判示のとおりであるところ、先に(1)でみたバードラインにおける変状の発生から大崩落に至るまでの経緯にかんがみると、バードラインは、そもそもその建設時からトラックカーブ内の排水設備と大規模な切土部分とに欠陥があったものの、開設当初はそれが顕在化することなく、地すべりによる崩落の危険性等もなかったのであるから、道路として通常有すべき安全性を欠いた状態ではなかったのであるが、建設後一〇年を経過したころから、右の欠陥等に基づいて斜面が不安定化し、地中の土塊に地すべり性の滑動が進行し(潜在すべり)、それが地表の道路構造物やその周辺の山腹に滑動の徴憑として現われるようになって、外形的にも前記欠陥が顕在化し、それが道路管理者の手で改善又は除去されないまま推移したことによって遂に破壊的な滑動にまで至り大崩落となったものとみることができる。

② 被告は、本件地すべりの発生にとって昭和六〇年の六、七月の異常降雨が引金となった旨指摘し、これが重要な誘因となった旨主張する。確かに、前判示のとおり同年の梅雨期は、日平均降雨量で平年の約二倍に相当する多量の雨が降り、梅雨期としては昭和三八年に次いで観測史上第二位の雨量を記録したこと、地すべりの発生にとって地下水が大きく影響し、かつ、地下水の賦存状況は降雨によって規定される面が大きいことにかんがみれば、本件地すべりに関しても雨量が他の誘因に勝って重大な影響を与えたであろうことは推測するに難くない。このこと自体は、何人も否定し得ないと考えられる。しかしながら、降雨量だけを考えると、気象台の観測史上というような短い期間でなく、より長い期間をとらえれば、もっと多量の雨が降ったこともあるであろうし、少なくとも六四〇〇年もの間地すべりを起こさなかった斜面が滑動したのであるから、もっと長い期間を措定して降雨量の多寡ないしその影響を考えるべきであるとの指摘も一理あるというべきである。そして、本件においては、斜流谷の流れていたトラックカーブの排水設備の不備が問題とされているのであるが、排水設備が不十分であったため降雨量が地下水の賦存状況により直接的に作用したとみられることを考慮すれば、降雨量の多さゆえに排水設備の不備という欠陥を軽視することは不合理であるというべきである。

③ 次に、排水設備の不備といい、切土の影響といい、それがどの程度土塊の滑動に影響を与えたかを定量的に把握することは困難であり、本件においてもその影響の程度を正確な数値をもって示す証拠はない。

しかしながら、右の二点の欠陥は、主として道路構造物への変状の発生という徴憑によって認識できるのであるし、右欠陥が本件地すべりに影響を及ぼしたこと(すなわち、これらが本件地すべりの誘因となったこと)自体は、変状の発生箇所と大崩落における場所的関連性によって認めることができる。そして、営造物が通常有すべき性質・状態を備えていないことにより損害を生ぜしめれば、(後に検討する予見可能性と結果回避可能性が存する限り)営造物の管理者は責任を負うべきであって、その因果関係の認定が定量的になされなければならない理由はない。

④  以上によると、バードラインの切土による斜面の不安定化とトラックカーブ内の斜流谷部分に対する排水設備による同所での地下水の貯留は、開設当初は瑕疵があるというほどではなかったけれど、その後、その欠陥が顕在化した段階で管理者により改善又は除去されないまま放置され、その結果、右の誘因により地すべりを惹起し、それによって道路を含む斜面を崩壊させ、周辺住民の生命・身体・財産に対して危害を及ぼす危険性を生ずるに至ったのであるから、バードラインの管理には瑕疵があったというべきである。なお、瑕疵の内容をなす二点は、前判示のとおり本件地すべりの誘因となったものであり、具体的に発生した結果との間で事実的因果関係があることはいうまでもなく、また、地すべりが地下水に影響されることが多いことは先に地すべり発生の機序に関し判示したところであり、また、切土が斜面の不安定を招くことが多いこともまた先に説明したとおりであるから、いずれについても相当因果関係の存在を肯認することができる。

(3) 本件地すべりの予見可能性

① 被告は、本件地すべりにより原告ら湯谷団地の住民にまで被害が及ぶことを予見することはできなかった旨主張する。

ところで、公の営造物責任が成立するためには、その営造物に客観的な瑕疵があっただけでは足りず、その管理者にとって結果発生の予見可能性がなければならないことはいうまでもない。そして、右の予見可能性は、ただ単に何らかの被害が発生するか否かということの予見を問題にするのではなく、具体的に発生した事故の態様との関係で予見可能であったことを要すると考えられる。この点に関し、予見可能性が定量的であることを要するか、定性的なもので足りるか問題にされることがあるけれども、問題は客観的な瑕疵から現実化した危険性について管理者に責任を負わせるための要件としてどの程度の具体性を要求するかということであるから、瑕疵の存在から結果の発生までその因果の経過を逐一定量的に把握できなければならないというわけではない。定性的な予見可能性で足りるけれども、具体的な因果の経過に即した予見可能性が必要であり、かつ、それで足りるというべきである。

② そこで、この見地から本件の予見可能性について検討するに、前判示のとおり、バードライン建設の約一〇年後である昭和四八年から道路構造物を中心として変状が発生し、その変状は昭和五六年から著しくなったことから、被告(企業局)は、民間地質調査コンサルタント会社である中部地質に調査を依頼し、五六年報告書の提出を受けたのであるが、同報告書は、その全体をみれば、バードラインに現われた各種変状を地すべり性のものとみていると解されるのであり、それは同報告書の提出を受けた被告(企業局)の側でも十分理解し得たはずである。なぜなら、甲第一二七号証の一ないし六によれば、被告(企業局)が中部地質に調査を依頼した際の関係書類(地質調査委託設計書、調査ボーリング特記仕様書等)には、バードラインに「地すべり現象」が見られるとか、「地すべり面」と対策工事を実施するための基礎資料を得ることを目的とするというような記載が存し、中部地質においても、調査の目的として「地すべり発生の機構」を考察することを挙げているのである。もとよりこのような記載であるからといって、企業局側でも中部地質の側でも、確定的に地すべりの発生ないし進行を認識していたことにならないのはいうまでもないが、道路管理者として到底看過できないような変状が生じたから調査を委託したのであり、その変状の原因として地すべりを疑っていたことは容易に窺われることである。そして、調査を委託する者も委託される者も、このような意識でいたことを前提として考えると、同報告書の記載は地すべり現象の有無を考察するという立場から書かれていること、したがって、報告を受ける側でも同じような問題意識でいることは明瞭であるといわなければならない。その上、同報告書には、別紙(九)のように「地すべりブロック推定平面図」と題した図面が添付されており、変状が生じた場所との関連で、斜面の土塊の動きをブロックに分けて推定しているのであるからなおさらである。被告は、同報告書は地すべりの可能性を示唆したとはいえ、むしろ小規模な斜面崩壊であると結論付けていた旨主張するけれども、前記のような諸事情を考慮すれば、被告においても、相当強く地すべりの可能性を疑うに至ったことは否定できないと思われる。そして、同報告書の現地踏査結果の項には、地附山の斜面が湯谷団地のある南東方向に急傾斜していることが記載されていることをかんがみれば、バードラインの設置されている箇所と湯谷団地との位置関係からみて、ひとたび地附山の南東斜面において地すべりが発生すれば、その土塊は下部山腹に所在する湯谷団地にまで及ぶことがあり得ることは十分に予測し得ることである。

もっとも被告は、ただ単に地すべりの可能性があるというだけで、いつ、どのようにして発生するのか分からないのでは結果回避措置を取ることもできないから、ここで要求される予見可能性は発生の時期、場所、規模、災害発生の機構について具体的に予測が可能でなければならない旨主張する。もとより、災害の発生の危険性がある程度具体的に明らかとなっていなければ、財政的な制約の下で各般の需要に応じながら優先順位を決定しつつ災害対策を取る立場にいる被告にとって施策を決定できないから、この災害発生の具体的な危険性の存在及びその予見可能性は重要な問題であるが、本件のような場合、被告の開設した道路が地すべり発生の誘因となり得る欠陥を有していて、しかも、その下部山腹に多数の住民が生活していたのであるから、地すべり発生の可能性を指摘されただけでも、更に十分な調査をして、その指摘が正しいものであるのか否か検討し、調査の結果、その危険性が否定できなければ、その危険を除去する必要があるというべきであり、本件においては、それにとどまらず、具体的に地すべりブロックまで推定して問題点を指摘されていたことを考えると、直ちに中部地質が指摘した抑制工法を検討し、地すべりの危険性を抑制し得る工法を選択して実施し、かつ、更に十分な調査を遂げる必要があったものというべきである。なお、被告は、機構解析報告書による分析を援用して、下部従属滑動塊が独自のすべり面を持つ滑動塊として存在しなければ、湯谷団地にまで到達することはあり得なかった旨主張するけれども、その前提とする土塊の到達距離に関する解析について疑問があることは前判示のとおりであるばかりでなく、昭和五六年の段階で右のような詳細な地すべりの発生機構の検討ないし土塊の到達距離の予測もしていなかったのであるから、後に判明したという発生機構の複雑さを取り出して予見可能性の不存在を主張するのは背理であるというべきである。また、被告は、裾花凝灰岩層では従前地すべりの発生の頻度が必ずしも高くなかった旨主張し、予見可能性の不存在の理由とするけれども、本件においては、五六年報告書で地附山南東斜面が旧地すべり地である可能性が高いと指摘されていたのであるから、右の点は何ら予見可能性を否定する理由にはならない。そして、湯谷団地に対する被害の発生との関係では、地すべりが発生した場合に土塊が湯谷団地にまで及ぶ具体的危険性があれば十分であって、それ以上に高度の蓋然性まで必要とされるものではない。この点、五六年報告書においては、前記のとおり地附山の南東斜面と湯谷団地との地理的関係についてまで指摘しているのであり、この記載を読めば、定性的には、いったん調査地において地すべりが発生した場合には、湯谷団地にまで土塊が及ぶこともあり得ることを認識し得たというべきである。また、時期の点については、地すべりの性質上、降雨やこれに基づく地下水の賦存状況等の自然的な条件に左右されることが多いので、これを厳密に要求するのは相当でなく、近い将来発生するおそれがあると予見できれば、これを肯定すべきであり、具体的な年月日まで特定するとか、間近に迫っていることを認識し得たことを要するものではないというべきである。

③ 以上によれば、原告らに対する被害発生の具体的予見可能性は、優に肯認し得るというべきである。

(4) 本件地すべりの結果回避可能性

① 被告は、地質調査会社からの調査報告書のみでは、結果回避措置を取り得なかったし、これを取っても結果の発生を阻止し得たか否か、疑問がある旨主張する。

しかしながら、地すべりの発生が地下水の状況と密接に関連していることは、前判示のところから明らかであり、地すべり対策が地下水の制御に主眼があることはいうまでもない。

ところで、本件におけるバードラインの欠陥はトラックカーブ内の斜流谷部分に対する排水設備の不備による同所での地下水の貯留と切土による斜面の不安定化にあることは前判示のとおりであるが、この中でもトラックカーブ内の地下水対策が重要であることはいうまでもないところ、中部地質が五六年報告書追補1により提案した排水工はまさしくこの点を問題にしたものであり、特に問題となる深層地下水排除工を実施していれば、この部分の水抜きが実現されたものと考えられる。もっとも、被告は、中部地質の設計に係る深層地下水排除工は浅すぎてその効果がない旨指摘する。確かに、福岡証人が述べるように中部地質の当初設計は深層地下水対策としては浅すぎるといい得るかもしれないが、この種の抑制工は、当初の設計に固定されるものではなく、排水の効果を確認しつつ調整しながら施工すべきものであるから、当初の計画を不当として、結果回避がそもそも不能であったとすることはできない。そして、甲第一、第二号証、甲第八一号証及び中川証言を総合すれば、地下水排除の措置をとれば、特に、その措置を昭和五六年時点で開始していれば、昭和六〇年の大崩落が生起しなかったであろうと推認し得るのであって、このことは被告(企業局)にとっても、五六年報告書及び同追補1の指摘及び対策工の提案を受けとめて直ちに地すべり対策の措置をとっていれば結果回避の可能性があったことを意味するものである。

② 被告は、斜面災害の危険管理責任に関連して、結果回避可能性の判断に当たっては、財政的、技術的及び社会的諸制約を考慮して、予測される同種・同規模の斜面災害に関する一般的水準及び社会通念に照らして是認される措置がいかなるものであるかを問題にしなければならない旨主張する。

しかしながら、このような考え方は、治山・治水の一般論として妥当するものであり、本件のような場合にこれを当てはめるのは相当でない。なぜなら、本件は、被告の建設した有料道路が有する欠陥に起因して、その道路が設置された自然斜面に経年的に変化が生じ、これにより付近住民に被害を及ぼす危険性が生じたという事案であり、被告がいうように危険管理責任の範疇にある問題ではなく、むしろ危険責任の分野の問題である。自然斜面に人為的に手を加え、その結果他に危険を及ぼすような状況を作ったのであれば、自ら欠陥を是正して、瑕疵のない状態にし、その危険を除去すべきことは当然であって、そこに右のような制約を持ち出すことは、許されないというべきである。

また、乙第五三号証及び齊藤証言によれば、本件地すべり地の中には民有地が多く含まれていることが認められるが、前記対策を行うのに一般私人に対してさほど負担をかけるとは思われず、支障が生ずることは考え難いというべきである。

③ 以上によると、結果回避可能性も肯定できる。

二  損害について

1  損害の認定に関する当裁判所の見解

(一) 土地について

(1) 原告らは、本件災害による土地の損害額は被災前後の土地の価格差であると主張するのに対し、被告は、本件災害後の復旧工事によって土地の価格は回復しており損害はない旨主張する。

ところで、本件のような地すべり災害が発生した場合、土砂の流入によって現に通常の使用・収益に支障を生ずることとなった土地についてはもちろん、土砂の流入による直接の被害は免れたもののその危険性のあった周辺の土地についても、不動産取引市場において一般土地需要者が地すべり再発への危惧感を抱くなどの理由によって、相当程度の価格の下落が生じるであろうことは、経験則上容易に推認されるところであり、このような地価の下落が地すべり災害と相当因果関係にある損害であることは明らかである。そして、右損害は地すべり災害の発生と同時に発生し、これに基づく損害賠償債務も直ちに遅滞に陥るものと考えられるから、右損害の額は地すべり災害発生当時の土地の時価を基準とし、被災によってどれほど地価が下落したかによって算定されるべきである。

しかしながら、土地は、建物や家財道具等とは異なり、地すべりの土砂に覆われても滅失してしまうことはなく、整地することによって再び通常の使用・収益が可能になるものであり、また、地すべり防止のための工事が施されたり、時の経過とともに地すべり災害の記憶が薄れていくことによって、地すべり再発への危惧感も徐々に緩和されていくと考えられるから、被災直後に大幅な地価の下落があったとしても、その下落幅は確定的なものではなく、右のような事情にある地価の回復の可能性を内包したものとしてとらえる必要がある。このような考え方を採らずに、事後的な地価の回復を無視し、被災直後の下落額をそのまま損害額と認めるとすると、その後の地価の動向によっては、被害がなかった状態を回復させる以上の利益を被害者らに与えることもあり得るのであって、公平な損害の分担という不法行為法の理念に反する事態が生ずることも考えられるから、相当でない。本件においても、損乙第一、第二号証及び弁論の全趣旨によれば、被告が本件災害後平成元年までの間に災害の復旧及び滑落崖の安定等のための工事(以下「本件復旧工事」という。)を施し、これに伴って地すべりの土砂が流入した湯谷団地内の土地も整地がされほぼ通常の使用・収益が可能な状態に復していることが認められるから、本件災害による地価の下落率の具体的な確定は、右工事等による地価回復の度合を斟酌して行うべきである。

(2) そこでまず、本件災害当時の地価について検討すると、損甲第二号証の二及び三によれば、不動産鑑定士渡邉武久(以下「渡邉不動産鑑定士」という。)は、湯谷団地における代表標準宅地につき本件災害直前の昭和六〇年七月一日を価格時点としてその価格を一平方メートル当たり八万三〇〇〇円と評価した上で、具体的な価格評定の対象地である長野市上松三丁目一六〇五番一二四の宅地(別紙(一二)に「丸山敦」と記載されている場所。以下「評定地1」という。)及び同所一六〇五番八九の宅地(別紙(一二)に「倉石和子」と記載されている場所。以下「評定地2」という。)については、右代表標準宅地の価格に交通接近条件及び環境条件(地勢)による修正を施して得られた一平方メートル当たり七万七〇〇〇円をもって、また、同所一六〇五番一二の宅地(別紙(一二)に「松木忠雄」と記載されている場所。以下「評定地3」という。)については、右代表標準宅地の価格と同じ一平方メートル当たり八万三〇〇〇円をもって、それぞれ右同日現在の価格と評価したことが認められ、これらの評価額は、同年二月から七月までの客観的な取引事例価格に所要の補正及び修正を施した推定標準価格をもとに算出されたものであり、信用性の高い数値であるということができる(なお、右価格時点は本件災害の発生と極めて近接しているから、これをもって本件災害当時の時価を算定することに不合理な点はない。)。そして、損甲第一号証及び弁論の全趣旨によれば、番号28の原告中沢尤及び同31の原告破産者岩崎則男破産管財人高井正直の各主張に係る土地(別紙(一二)に「中沢充」「岩崎則男」と記載されている各場所)は、その位置が評定地3に近く、交通接近条件や環境条件等の点からみても右評定地と同等の価格を有するものと認められるから、右各土地の本件災害当時の時価は一平方メートル当たり八万三〇〇〇円、一坪(3.3平方メートル。以下同じ。)当たり二七万三九〇〇円と評価するのが相当であり、また、番号30の原告中村もと子の主張に係る土地(別紙(一二)に「中村元芳」と記載されている場所)は、その位置が評定地1及び2に近く、交通接近条件や環境条件等の点からみても右各評定地と同等の価値を有するものと認められるから、右土地の本件災害当時の時価は一平方メートル当たり七万七〇〇〇円、一坪当たり二五万四一〇〇円と評価するのが相当である。これに対し、右各原告以外の原告らの主張に係る土地は、前掲各証拠によると、評定地1及び2と比べても更に交通接近条件等の点で劣ると認められる上、損乙第三号証によれば、右各土地に対応する昭和六〇年の路線価は、一平方メートル当たり四万五〇〇〇円であり、右各評定地に対応する路線価が一平方メートル当たり四万七〇〇〇円であることと比べてやや低いものと認められる。一般に、路線価は、同一基準時における二地点間の価格の比率については比較的よく地価の実勢を表していると評価することができるから、右各土地については、評価地1及び2の前記評価額に右の路線価の比率を乗ずることにより得られる一平方メートル当たり七万四〇〇〇円、一坪当たり二四万四二〇〇円をもって本件災害当時の地価と評価するのが相当である。

この点、原告らは、湯谷団地内の土地の昭和六〇年一月一日現在における公示価格が一平方メートル当たり七万四八〇〇円であった(損甲第三号証の三)ことから、公示価格はおよそ時価の八割程度であるとの経験則に照らし、同団地の本件災害発生時直前の時価は一坪当たり三〇万八五五〇円を下らないと主張し、その裏付けとして、被災者の会が認識していた本件災害前の湯谷団地の実勢価格が一坪当たり二九万円から三〇万円であったこと(損甲第二号証の一)、湯谷団地の南に隣接する上松台分譲地が一坪当たり三〇万円前後で、また長野市上野所在の若槻台団地が一坪当たり二九万円程度でそれぞれ売り出されていたこと(損甲第三号証の一、二及び第四二号証の一、三、四)、本件災害前後の若槻団地の実勢価格が一坪当たり三〇万円程度であったこと(損甲第八号証、第二九号証の九、第三七号証の三七及び第四二号証の一、二)を指摘するが、まず、若槻団地との比較でみると、損甲第三号証の三によれば、昭和六〇年一月一日現在の同団地内の土地の公示価格は一平方メートル当たり八万二〇〇〇円であって、公示価格では湯谷団地内の土地は概ね若槻団地内の土地の九一パーセント程度であったことが認められるところ、公示価格も路線価と同様に同一基準時における二地点間の価格の実勢比率を比較的よく表わしているといえるから、湯谷団地の地価を若槻団地のそれと同額程度とみることはできないし、また、上松台分譲地及び若槻台団地との比較でみると、原告ら主張に係る一坪当たり三〇万円あるいは二九万円程度という数値はいずれも売出価格又は予定価額であって実際の取引価格ではない上、これらの分譲地又は団地と湯谷団地との地価の比率を的確に示した証拠がないから、右数値を前提に湯谷団地の地価を推定することは相当でないといわざるを得ず、結局、原告らの主張する時価にしても、被災者の会が認識していたという実勢価格にしても、客観的な裏付けを欠くものであって、これを採用することはできない。

他方、被告は、路線価が時価の七ないし八割程度であるとの一般的な見解によれば昭和六〇年当時の湯谷団地の地価は一坪当たり二一万円程度と推定され、番号9の原告とその息子が昭和五八年一一月一五日に同団地内の宅地340.47平方メートル(103.17坪)を地上建物とともに二〇〇〇万円を若干超える価格で購入したこと(損甲第三九号証の一ないし三)、番号22の原告が昭和五三年九月五日に同団地内の宅地474.61平方メートル(143.82坪)を地上建物とともに三五〇〇万円で購入したこと(損甲第一七号証の一ないし四)、番号25及び26の原告らが昭和五九年六月一二日に同団地内の宅地462.37平方メートル(140.11坪)を地上建物とともに二八〇〇万円で購入したこと(損甲第二三号証の一ないし三)は、いずれも同団地内の土地が一坪当たり二〇万円程度で売買されていたことを示すものであり、本件災害当時の湯谷団地の地価を一坪当たり二一万円程度と推定する考え方にも根拠があると主張するが、被告が指摘する右の各取引事例は本件災害発生時から一年ないし七年前のものであり、これらよりも本件災害発生時に近い時点での取引事例をもとにした渡邉不動産鑑定士の前記評価額を否定するに十分とはいえず、被告の右主張もまた合理的な根拠を欠くものといわざるを得ない。また、被告は、湯谷団地内の土地はもともと地すべりの危険のある土地であるから、地価もその分を割り引いて評価してよい旨を主張するが、客観的に地すべりの危険のある土地であっても、その危険が顕在化している場合としていない場合とでは価格に差があることは明らかであり、少なくとも本件災害の発生前において土地取引に関与する者の間で地すべりの危険が顕在化していたことを認めるに足りる証拠はないので、本件災害当時の地価の評価において被告主張のような減価要因を考慮するのは相当でない。

(3) さて、本件災害当時の地価が以上のとおりであるとすると、次に本件災害によってどの程度地価が下落したと評価すべきかが問題となるが、後記認定のとおり、原告らの主張に係る各土地は、(ⅰ)昭和六一年七月二四日付けの売買契約によって被告が買い上げたもの(番号1、2、4、5及び9ないし13の各原告の主張に係る土地)、(ⅱ)本件災害当時の所有者が現在も所有しているもの(番号7、8及び18ないし30の各原告の主張に係る土地)及び(ⅲ)その他のもの(番号3、6及び31ないし35の各原告の主張に係る土地)の三類型に分けることができるので、以下それぞれの類型について各別に検討することにする。

① 昭和六一年七月二四日付けの売買契約によって被告が買い上げた土地について

この類型に含まれる土地は、いずれも地すべりの土砂に埋没した土地であり、しかも、前判示のとおり、本件災害当時の時価が一平方メートル当たり七万四〇〇〇円と評価される土地である。これらの土地の買上げは、本件災害の発生からわずか一年後になされており、そのころには被告による本件復旧工事もいまだ緒に付いたばかりの状態であったと思われる上、損甲第二号証の一ないし三によれば、渡邉不動産鑑定士は、被害が直接及んだ状況類似地域(地すべりの土砂に埋没した土地はこれに含まれると解される。)の昭和六〇年七月一日現在の時価に対する昭和六一年七月一日現在の地価下落率を七〇パーセント以上と評価している(なお、この数値が不合理であるとする証拠は存しない。)ことが認められ、これらのことからすると、右買上げの時点においては、本件災害当時の地価のうち少なくとも七〇パーセントが失われたままであったといえる。しかしながら、他方、後記認定のとおり、右買上げの代金は一平方メートル当たり五万三六三七円であり、これは本件災害当時の地価の七〇パーセント強に相当する金額であるから、右の失われた地価のうち半分以上は右買上げによって既に填補されているということができる。したがって、この類型に属する土地について損害として賠償を請求し得るのは、右買上げによっても填補されない差額分ということになり、その金額は、本件災害当時の地価から買上代金の総額を控除することによって算出することができる。

② 本件災害当時の所有者が現在も所有している土地について

前判示のとおり、現在においては、被告による本件復旧工事が既に完了し、被災地も整地し直され、ほぼ通常の使用・収益が可能となったのであるから、これによってある程度地価の回復があったものと推認される。しかしながら、前判示のとおり、本件災害前の昭和六〇年一月一日現在の公示価格の比較では湯谷団地内の土地は若槻団地内の土地の九一パーセント程度であったものが、損甲第一号証、第三号証の三及び第四四ないし第四七号証によると、右の湯谷団地と若槻団地の各地価公示地点に対応する路線価の比較では、平成二年の時点で五四パーセント程度、平成四年の時点で五七パーセント程度、平成六年の時点でも六二パーセント程度にとどまっていることが認められる。湯谷団地と若槻団地とで本件災害以外の価格変動要因に顕著な違いがあることを窺わせる証拠はないから、両団地内の土地の本件災害後の価格差のうち、本件災害前からの価格差に相当する部分を除いたその余の部分は、被災地の復旧によってもいまだ回復されていない地価下落分と解することができる。そして、損甲第二号証の一において、渡邉不動産鑑定士が、被告による本件復旧工事の科学技術的な効果は別として、一般土地購入者の脳裏から本件災害の生々しい記憶が消えるには一〇年以上、世代交代年数に相当する二〇年程度の期間が必要であると指摘していることに照らすと、右の地価下落分の残存は、いまだ一般土地需要者の間で地すべりに対する不安感が消失していないことを表しているものと考えられる。もちろん、このような不安感は時の経過によって徐々に薄れていき、これに伴って地価も回復していくことが予想されるが、渡邉不動産鑑定士が指摘する不安感消滅までの期間の長さや、右の路線価の変遷の経緯に照らせば、本件訴訟の口頭弁論終結時においてもなお、右のような心理的影響の結果と目される地価の未回復部分が残存しており、その比率は本件災害当時の時価に対し三〇パーセントと認めるのが相当である。したがって、この類型に属する土地についての損害額は、本件災害当時の地価に0.3を乗じて算出される金額ということになる。

③ その他の土地について

イ 番号3の原告新名よしえの主張に係る土地について

後記認定のとおり、この土地は、面積が345.46平方メートルで、地すべりの土砂に埋没したものの、その後昭和六三年一二月二六日に代金二三八〇万円(一平方メートル当たり約六万八九〇〇円)で他に売却された土地である。また、前判示のとおり、本件災害当時の時価が一平方メートル当たり七万四〇〇〇円と評価される土地である。右売却は、本件災害発生からようやく三年余りを経過したものの、被告による本件復旧工事がまだ完了していない時期になされたものであり、その当時においては、本件訴訟の口頭弁論終結時よりも地価の回復の度合が小さかったと考えられるから、本件災害当時の地価のうち三〇パーセントを超える部分が失われたままであったことは明らかである。しかしながら、右売却代金は、本件災害当時の地価の九〇パーセント強に相当する金額であり、右の失われた地価のうち大部分は右売却によって既に填補されているということができる。したがって、右土地の場合も、前記①の土地と同様、本件災害当時の地価から売却代金を控除することによって算出される金額が損害額ということになる。

ロ 番号6の原告西澤政二の主張に係る土地について

後記認定のとおり、この土地は、面積が349.89平方メートルで、地すべりの土砂に埋没したものの、その後昭和六二年五月二五日に代金一九〇五万一五〇〇円(一平方メートル当たり約五万四四五〇円)で他に売却された土地である。また、前判示のとおり、本件災害当時の時価が一平方メートル当たり七万四〇〇〇円と評価される土地である。前判示のとおり、昭和六一年七月一日現在の直接被災地の地価下落率については渡邉不動産鑑定士によって七〇パーセント以上と評価されているが、昭和六二年における地価の水準に関しては、損甲第一号証及び第六号証によると、不動産鑑定士清水洋一(以下「清水不動産鑑定士」という。)が、長野市上松三丁目一六〇五番一三〇の宅地(別紙(一二)に「宮沢房子」と記載されている場所)及び同番一三一の宅地(別紙(一二)に「宮沢二三四」と記載されている場所)の昭和六二年七月一日現在における価格を評価するに当たり、右各土地に適用されるべき標準的画地の更地価格を一平方メートル当たり三万六五〇〇円と評価していることが認められる。そして、損乙第三号証によれば、右各土地は、本件災害当時の時価を一平方メートル当たり七万四〇〇〇円とするのを相当とする区域に含まれていることが認められるから、昭和六二年七月一日現在における右各土地の地価下落率は約五〇パーセントと評価できる。他方、損甲第二号証の一ないし三によれば、渡邉不動産鑑定士によって、直接被害を受けていないが避難等間接的被害が長期に及んだ状況類似地域の昭和六一年七月一日現在の地価下落率が三五ないし五〇パーセントと評価され、更に、個別の評定地の右同日現在の地価下落率が、評定地1については約五二パーセント、評定地2及び評定地3についてはいずれも約三五パーセントとされていることが認められる上、損甲第一号証、損乙第七号証及び弁論の全趣旨によれば、清水不動産鑑定士の評価に係る右各土地は評定地1と状況の類似した土地であることが認められるから、右各土地の昭和六一年七月一日現在の地価下落率もまた五〇パーセント程度と評価することができる。そうすると、右各土地については、昭和六一年七月一日現在と昭和六二年七月一日現在とで、地価下落率はほとんど変化がなかったということになるから、同原告の主張に係る土地についても、その売却された昭和六二年五月二五日時点において依然七〇パーセント程度の地価の下落があるものと認めるのが相当である。しかしながら、右土地の売却代金は、本件災害当時の地価の七〇パーセント強に相当する金額であり、右の失われた地価のうち半分以上は右売却によって既に填補されているということができる。したがって、右土地の場合も、前記①の土地と同様、本件災害当時の地価から売却代金を控除することによって算出される金額が損害額ということになる。

ハ 番号31の原告破産者岩崎則男破産管財人高井正直の主張に係る土地について

後記認定のとおり、この土地は、面積が385.13平方メートルで、立退指示の対象となり、その後昭和六三年七月二五日に地上建物とともに代金二一〇〇万円で売却された土地である。また、前判示のとおり、本件災害当時の時価が一平方メートル当たり八万三〇〇〇円と評価される土地である。そして、損甲第一号証及び弁論の全趣旨により右土地と被災状況の最も類似すると認められる評定値3の地価下落率及び湯谷団地と岩槻団地との路線価の比率の推移に照らすと、右土地の売却時における地価下落率は三五パーセントと評価するのが相当である。ところで、右売却代金二一〇〇万円の中には建物の代金に相当する価額が含まれており、土地と建物との価格割合は明らかでないが、仮に建物の代金が零円であったとしても、土地の代金は一平方メートル当たり約五万四五〇〇円となり、これは本件災害当時の地価の約六五パーセントに相当する金額であるから、右土地については、右売却によっても失われた地価は填補されておらず、したがって、本件災害当時の地価の三五パーセントに相当する金額がそのまま損害額ということになる。なお、この場合、建物の代金が零円でなかったとすると、右土地は、下落した地価を更に下回る金額で売却されたことになるが、損甲第四〇号証の一によると、右土地は、建物とともに競売を申し立てられたためやむなく他に売却されたものであることが認められ、地価と売買代金との差額はこのような事情の下に生じたものであって、本件災害と相当因果関係にある損害とは認め難い。

ニ 番号32の原告和田要子、同33の原告和田美範、同34の原告和田ユリ及び同35の原告和田康二朗の主張に係る土地について

後記認定のとおり、この土地は、面積が393.90平方メートルで、地すべりの土砂に埋没したものの、その後昭和六二年一月一六日に代金二一一二万七六一四円(一平方メートル当たり約五万三六三七円)で被告が買い上げた土地である。また、前判示のとおり、本件災害当時の時価が一平方メートル当たり七万四〇〇〇円と評価される土地である。右買上げがされた昭和六二年当時の地価の水準は、前記ロに判示したとおりであり、右土地についても依然七〇パーセント程度の地価の下落があったものと評価するのが相当であるところ、右買上げの代金は、本件災害当時の地価の七〇パーセント強に相当する金額であるから、前記①の土地と同様、本件災害当時の地価から買上代金額を控除することによって算出される金額が損害額ということになる。

(二) 建物について

(1) 原告らは、土砂に埋没し又は全壊した建物の損害額を算定する方法としてB方式又はC方式を主張するので、まずその当否について検討する。

一般に、滅失した物についての損害額はその物の滅失時における時価と解すべきであるから、本件においても可能な限りA方式によるべきことはいうまでもないが、本件のような場合に現存しない建物についてその個性に応じた適正な時価を立証することは極めて困難であると考えられるから、B方式又はC方式によって滅失時の時価を推計することも、その方法に合理性が認められる限り許されると解すべきである。ただし、B方式が個々の建物についての現実の取得価格を推計の資料とするのに対し、C方式は同種・同程度の建物の再取得価格を推計の資料とする、より類型的・定型的な推計方法であるから、取得価格が判明している以上はB方式によるべきであり、これが判明しない場合に初めてC方式を採ることができるというべきである。

(2) そこで次に、原告らの主張する各方式の合理性について検討する。

① 建築費倍率について

原告らは、B方式における建築費倍率は損保協会発行の簡易評価基準に記載された数値を採用すべきである旨を主張するのに対し、被告は、日本不動産研究所発表の全国木造建築費指数を用いて建築費倍率を算出すべきである旨を主張する。

損乙第一〇号証によれば、被告主張の全国木造建築費指数は、日本不動産研究所が毎年三月末及び九月末時点の各都道府県庁所在都市(那覇市を除く四五都市)における木造建物の建築費を調査し、その結果をもとに右各時点の建築費指数(昭和三〇年三月末の値を一〇〇とするものと、昭和五五年三月末の値を一〇〇とするもの)を発表しているものであることが認められ、その数値の信用性に疑いを差しはさむべき事情は存しない。これに対し、前掲証拠及び損甲第四号証の一、二によれば、簡易評価基準所載の木造住宅の建築費倍率は、全国木造建築費指数を参考にしたとの説明がされていながら、同指数を用いた場合に算出される数値とは異なった数値になっているばかりでなく、同じ損保協会発行の手引きに記載された建築費倍率の数値とも異なっていることが認められ、その数値の客観性ないし信用性には疑問がある。したがって、簡易評価基準所載の建築費倍率を用いることに合理性があるとはいえず、B方式を採用する場合の建築費倍率は、全国木造建築費指数によって算出される数値を用いるのが相当である。すなわち、本件災害時の直近である昭和六〇年九月末の指数を建物建築時の直近の指数で除した値が建築費倍率として相当な数値であると解する。

② 残価率について

原告らは、B方式及びC方式における残価率は簡易評価基準に記載された数値を採用すべきである旨を主張するのに対し、被告は、大蔵省所定の耐用年数によって残価率を算出すべきである旨を主張する。

損甲第四号証の一、二によれば、簡易評価基準所載の木造専用住宅の残価率は、標準建物の推定耐用年数が四二年ないし七〇年であるとの評価を前提に算出された数値であることが認められるが、物理的な老朽化のみならず、機能面における陳腐化等の減価要因をも考慮するならば、右の推定耐用年数はやや長きにすぎるきらいがある。他方、大蔵省令一条別表第一所定の耐用年数は、木造の住宅用建物について二四年となっており、これは課税上の要請から定められたものではあるが、物理的及び機能的な減価要因を考慮した場合に著しく不合理な数値であるとはいえず、また、損乙第一一号証及び第一四号証によれば、不動産鑑定士による鑑定の実務においても大蔵省令所定の耐用年数が一般に用いられていることが認められる。以上に加えて、推計による損害額の算定は控えめに、かつ、確実な限度において行うべきであることをも併せ考慮するならば、BないしC方式を適用する場合の残価率は、大蔵省令所定の耐用年数によって算出するのがより合理的であると解する。なお、この場合、耐用年数を経過した建物の価格については、社会通念に照らし、再調達価格の一〇パーセントとするのが相当であるから、残価率の計算式は被告主張のとおりとなる。

③ C方式における再調達価格算出の方法について

原告らは、C方式によって建物の再調達価格を算出する場合には、簡易評価基準所載の木造専用住宅新築費単価表によって新築費を求め、これに所要の調整を施して算出すべきである旨を主張する。

ある基準時における建物の新築費は、耐用年数の評価と比べ、実証的な見積りが比較的容易であるため、その数値の決定の過程に価値判断的な要素が介入する余地は少ないものと考えられる上、損甲第四号証の一、二によれば、一一種類の具体的な木造専用住宅の単位面積当たりの新築費が手引きに掲載されており、簡易評価基準の木造専用住宅新築費単価表に記載された新築費もこれに近似した数値になっていることが認められ、同表記載の数値には実証的な根拠があるということができるから、建物の新築費を求める資料として同表を用いることには合理性があるというべきである。また、所在地及び基礎の有無による調整並びに集中冷暖房設備費の加算という計算の手法にも合理性が認められる。そして、建物の取得単価が判明しない場合には、簡易評価基準所載の右同表以外に的確な資料が存しないから、このような場合には、原告らの主張するC方式によって建物の再調達価格を推計するのが相当である。

(三) 門・塀について

(1) 原告らは、門・塀についても建物と同様B方式又はC方式による損害額の算定を主張するが、建物について前記(二)の(1)で述べたことはこの場合にも当てはまるから、B方式又はC方式によって時価を推計することもその方法に合理性が認められる限り許されるが、取得価格が判明している場合はB方式によるべきであり、これが判明しない場合に限りC方式によるべきである。

(2) そこで次に、原告らの主張する各方式の合理性について検討する。

① B方式における価格変動率について

B方式により門・塀の再調達価格を算出する場合においても、C方式を採用する原告らとの均衡上、取得価格に本件災害発生時までの価格変動率を乗ずる必要があるが、門・塀の価格変動率を個別に示す証拠はなく、建物の建築費倍率に準じて考える以外に相当な算出方法はないから、前記の全国木造建築費指数によって算出される数値を用いることとする。

② C方式における再調達価格算出の方法について

原告らは、C方式によって門・塀の再調達価格を算出する場合には、簡易評価基準及び手引き所載の門・塀の価額表によるべきである旨を主張する。

再調達価格決定の過程に価値判断的な要素の介入する余地が少ないと考えられることは建物の場合と同様であること、損甲第四号証の一、二により認められる右同表記載の数値には格別不合理な点がないこと、C方式による場合には右同表以外に的確な資料が存しないことから、C方式によって門・塀の再調達価格を算出する場合には右同表によるのが相当である。

③ 経年減価について

原告らの主張する門・塀についての損害額は、B方式及びC方式を通じて経年減価を考慮しない数値となっている。

しかしながら、門・塀の場合も、中古品の交換価値が新品のそれを下回ることは明らかである上、建物について経年減価を施すべきものとする以上、これとの均衡からいっても同様に経年減価を施すべきものと解すべきであり、その場合の残価率は、建物の場合と同様、大蔵省令所定の耐用年数(コンクリートブロック造のものについては四〇年、石造のものについては五〇年、金属造のものについては四五年、木造のものについては一五年)により、耐用年数経過後の残存価格を再調達価格の一〇パーセントとして、算出するのが相当である。

(四) 庭・植木について

原告らが庭・植木について主張する損害額の算定方式は、B方式又はD方式である。

(1) B方式について

原告ら主張のB方式は、取得価格を損害額とするものであり、取得時から本件災害発生時までの価格変動及び経年減価を考慮していないが、価格変動については、これに関する具体的な主張・立証がない以上、価格変動がないことを前提にせざるを得ず(全国木造建築費指数による建築費倍率を庭・植木に適用するのは相当でない。)、また経年減価については、庭・植木の性質上これを考慮する必要がないと解されるから、右方式も本件における庭・植木の損害額算定方法として相当なものということができる。

(2) D方式について

原告らは、庭・植木についてC方式を適用できるだけの的確な資料がないためにD方式を採用し、個々の見積りをせず、一律に五〇万円をもって損害額と推定すべき旨を主張するものと解されるが、これらの各原告についても、本件災害によって被った庭・植木に関する損害の状況が認定できる限り、他の原告らの例と比較し、また経験則に照らすことにより、右主張額五〇万円を限度として相当な損害額を認定することが可能であるから、個々の見積りがされていないことから直ちに損害額が不明とすべきではない。

(五) 家財について

原告らが家財について主張する損害額の算定方式は、B方式又はC方式である。

(1) B方式について

B方式による損害額は取得価格そのものであり、取得時から本件災害発生時までの価格変動及び経年減価を考慮しない数値となっている。このうち、価格変動については、これに関する具体的な主張・立証がない以上、価格変動がないことを前提にせざるを得ない(全国木造建築費指数による建築費倍率を家財に適用するのは相当でない。)が、経年減価については、当該家財の再調達価格(価格変動がなければ取得価格と同じ額になる。)に対し取得時からの経過年数に応じた経年減価を施すのが相当である。

(2) C方式について

原告らは、C方式として簡易評価基準所載の家財簡易評価表による定型的な損害額算定方法を主張する。

本件災害によって建物が埋没し又は全壊した被災者は、これによって建物内に収蔵されていた多種多様の家財を一挙に失ったものであり、その損害賠償を請求するに際し、滅失した家財を漏れなく列挙した上で、その個々の減価の程度に応じた適正な評価額を立証することは極めて困難であるといわざるを得ないから、A方式又はB方式によって損害額を算定することのできる家財が一部存在する場合であっても、これらの方法によることなく、包括して右C方式による損害額を主張することも、それが合理的な方法である限り許されるものと解すべきである。

そこで、右家財簡易評価表による算定方法の合理性について検討すると、損甲第四号証の一、二によれば、モデル家庭(夫婦と小人二人)及び独身男性世帯における全家財の標準的な再調達価格がその明細とともに手引きに掲載されており、これと簡易評価基準所載の家財簡易評価表中の標準時価額とを対比すると、同表中の標準時価額は、手引き記載の右再調達価格に、同書において一般的に妥当するとされている二〇ないし三〇パーセントの経年減価を施した程度の数値になっていることが認められ、同表記載の数値には実証的な根拠があるということができるから、家財の損害額を求める資料として同表を用いることには合理性があるというべきである。

ただし、前掲各証拠によると、手引き所載のモデル家庭における家財の再調達価格には世帯主の年収の違いによる格差があり、また簡易評価基準所載の家財簡易評価表中の時価額は標準的なものであって、実態に即し必要に応じて上下二〇パーセントの範囲内で調整する仕組みになっていることが認められるから、本件の各原告に右同表を適用する場合においても、世帯主の年収の額に応じて適宜右の調整を行うべきであり、年収の額が不明の場合には、控えめな推計の趣旨から、最下限である二〇パーセントを減じた額を適用するのが相当である。

また、前掲各証拠によれば、右同表中の標準時価額は、家庭の各構成員の所有に属する家財をすべて含んだ価額であることが認められ、他の構成員の所有に属する家財についての損害は自らが被った損害とはいえないから、その分の価額は右標準時価額から控除する必要があるというべきである。すなわち、損甲第四号証の一によれば、右同表の数値は、夫婦以外の大人一名につき一〇〇万円を加算した値になっていることが認められるが、当該大人が独自の収入により相当程度の固有の家財を有するに至っていると認められる場合には、その者の固有財産分として右一〇〇万円を控除すべきであり、更に、損甲第四号証の二によれば、前記モデル家庭の全家財に占める非世帯主たる妻の固有財産の価格の割合は三〇パーセント程度であることが認められるから、原告本人が世帯主である場合には、右三〇パーセント分を控除するのが相当である。

(六) 雑損について

原告らは、引越費用、転居先の家賃・権利金、手伝いの人への食事代・謝礼等、本件災害により支出を余儀なくされた雑多な費用を雑損とし、建物が埋没又は全壊した被災者については一律五〇万円、建物が半壊した原告らについては一律三〇万円をもって損害額とすべき旨を主張する。

本件災害により居住建物の埋没又は全半壊という被害を受けた被災者が、家庭生活及び社会生活の全般にわたって右に掲記したような種々雑多の出費を余儀なくされたであろうことは容易に推察できるところであり、費目の網羅的列挙の困難性はこのような雑損においてまさに極まるということができるから、その損害額の算定においてなお個々具体的な出費の積算という方法に固執することは、適正な被害の填補に資するゆえんではない。したがって、本件における雑損について損害額の算定は、個々の被害者の具体的な事情をある程度捨象した類型的・定型的な算定方法によるのが合理的であり、各原告が雑損として請求する損害額の総額が、被害の類型及び社会通念に照らし支出を余儀なくされたであろうことが首肯される金額の範囲内にある限り、個々の出費の内容を一々詮索することなく包括的に請求することも許されると解すべきである。そして、損甲第一一ないし第一四号証の各一、第一五号証の一、一七、一八、第一六号証の一、第二四号証の一、第二五号証の一、一八ないし二二、第二七号証の一、二五、二六、第二九号証の一、二一、第三一、第三二号証の各一、第三三号証の一、三五、三六、第三七号証の一、二七、二八、第三八号証の一、一六ないし一九及び第三九号証の一を総合し、かつ、社会通念に照らせば、本件災害により居住建物の埋没又は全壊という被害を受けた被災者については五〇万円、居住建物の一部損壊という被害を受けた被災者については三〇万円をそれぞれ下らない出費を余儀なくされたであろうと認められるから、これらの者については雑損の損害額をそれぞれ五〇万円及び三〇万円と認定するのが相当である。なお、これ以外の実額をもって損害額と主張する原告らについては、その個別の出費ごとに相当性を判断すべきであることはいうまでもない。

(七) 損益相殺について

被告は、災害復興住宅建設事業補助金若しくは被災者の会との合意に基づく補助金を被告から受領し又は見舞金を被告、長野市若しくは日本赤十字社から受け取っている原告らについて、右各金員は本件災害により利得したものとして、当該原告の損害額から控除すべきであると主張する。しかしながら、損乙第五号証の二ないし四、第六号証及び弁論の全趣旨によれば、右の各補助金は、被災者が住宅の新規建設又は補修のための資金として住宅金融公庫又は民間金融機関から融資を受けた借入金につき、その支払利息の一部を補助するために交付されたものであり、見舞金ともども、本件災害による損害を填補すべき性質のものではなく、本件災害と相当因果関係の範囲内にある利得とはいえないから、被告の右主張は理由がない。

なお、原告らが自ら控除を主張する損害保険金については、建物又は家財の損害の填補を直接目的とするものであり、本件災害と相当因果関係の範囲内にある利得といえるから、これを損害額から控除すべきは当然である。

(八) 慰謝料について

(1) 前判示第二の一の1掲記の本件災害の態様に徴すれば、被災者の多くが生活の基盤であった土地・建物・家財等を一挙に失い、また長期間にわたる避難生活の不便を強いられたことにより、多大の精神的苦痛を受けたであろうことが推察され、右精神的苦痛が、単に財産的損害の填補によって当然に慰謝される性質のものにとどまらず、右財産的損害とは別途に賠償されるに値する非財産的損害といい得るものであることは明らかである。したがって、本件災害の被災者に対しては、財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌し、相当と認められる金額の慰謝料が支払われるべきである。

(2) なお、当事者双方は、それぞれ慰謝料算定に当たって特に斟酌すべき事由としていくつかの点を指摘するので、以下に順次検討する。

① 原告らは、埋没土地の買上げ以外の補償をしない被告の不誠実な態度を挙げ、これを慰謝料の斟酌事由とすべき旨を主張するが、右のような被告の態度に対して原告らが不快感を覚えたとしても、それは本件災害により被った損害とは別個のものであるから、右主張は採用できない。

② 原告らは、損害賠償の実現までに費やした時間・労力・不便さなど財産的被害の費目別の積算では見積もり切れない損害も慰謝料によって補完されるべき旨を主張するが、損害賠償請求の相手方が任意に支払に応じないため裁判等に時間や労力を費やすというのは一般的なことであり、本件の原告らに限って特にこれを考慮するのは相当でない上、本件における原告らの財産的損害に関する請求は、土地、建物、門・塀、庭・植木及び家財についての損害のほか、逸失利益及び雑損をそれぞれ独立費目として請求するものであって、これは地すべり災害に遭った場合に通常被ることが予想される財産的損害をほとんど網羅するものであることを考慮すれば、本件における原告らの財産的損害について慰謝料をもって補完すべき必要性はないものというべきであるから、右主張も採用できない。

③ 被告は、前記(七)の補助金及び見舞金の受領の事実を慰謝料減額要因として斟酌すべき旨を主張する。確かに、右の事実が精神的苦痛を慰謝する効果を全く有しないとはいえないが、右補助金及び見舞金の性質及び支払われた金額の大きさ(具体的な金額は後記認定のとおりである。)に照らし、その効果はさほど大きくなかったと考えられるから、このことにあまり重きを置くことは相当でない。

2  各原告の損害

(一) 番号1の原告矢川三男について

損甲第一号証、第一一号証の一、五、八及び同原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、同原告(本件災害当時六四歳。以下、年齢はいずれも本件災害当時の年齢である。)は、妻(五九歳)及び母(九一歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二一〇の宅地(別紙(一二)に「矢川三男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一一号証の一二によれば、本件災害により同原告所有の右宅地316.87平方メートル(96.02坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一六九九万五九五六円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六四五万二一二八円になる。

計算式 244,200×96.02−16,995,956=6,452,128

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第一一号証の三、四、六、七によれば、同原告は昭和四七年三月一〇日建築の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積81.13平方メートル)を同月二一日売買(代金三二三万六七〇〇円)により取得し、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められる。そこで右認定事実を基礎にして、B方式(ただし、計算に用いる建築費倍率及び残価率は先に説示したとおりであり、以下、B方式によって建物の損害額を算出する場合について同様である。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると三九三万一三七六円になる。

計算式 (建築費倍率) 848.7/357.9=2.37

(残価率) 1−(0.0375×13)=0.5125

(損害額) 3,236,700×2.37×0.5125=3,931,376

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五〇年に設置し所有していた鉄製門扉及びスチールパイプフェンス(全長七二メートル。このうち北側部分約19.5メートルについては隣地の所有者と設置費用を折半で負担。)が本件災害により埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(ただし、経年減価を施すべきであることは先に説示したとおりであり、以下、C方式によって門・塀の損害額を算出する場合について同様である。)により右門扉及びフェンスについての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計三九万五八〇〇円になる。

鉄製門扉 四万七二〇〇円

計算式(残価率) 1−(0.02×10)=0.8

(損害額) 59,000×0.8=47,200

スチールパイプフェンス

三四万八六〇〇円

計算式(残価率) 1−(0.02×10)=0.8

(損害額) 7,000×(72−19.5×1/2)×0.8=348,600

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、昭和五一年に二〇万円を費やして庭土を入れ庭を整備したが、本件災害により、同原告所有の松、梅、桜、杏、柿、しゃくなげ、どうだんつつじ等一五ないし一六種の庭木二五ないし二六本とともに右庭が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号1の原告の庭・植木についての損害額は四〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告の昭和六〇年ころの月収は妻と併せて三〇万円に満たない程度であったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(ただし、年収による調整及び他の家族構成員の固有財産分の控除を施すべきであることは先に説示したとおりであり、以下、C方式によって一般家財の損害額を算出する場合について同様である。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると四七六万円になる。

計算式 (9,500,000−1,000,000)×0.8×0.7=4,760,000

(6) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(7) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第一一号証の一三ないし二三によれば、同原告は、本件災害発生の当日夜から昭和六〇年七月三一日まで湯谷小学校で避難生活を送り、その後現住所地に新居を構えてこれに入居した昭和六二年三月ころまでの間は借家住まいを余儀なくされたこと、同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円、日本赤十字社から三四〇万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(8) 損害保険による填補額について

前掲各証拠及び損甲第一一号証の一一によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について三五〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一六九三万九三〇四円になる。

(二) 番号2の原告北島善宏について

損甲第一号証、第二九号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五〇歳)は、妻(五一歳)及び長女(一八歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二七一の宅地(別紙(一二)に「北島善宏」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第二九号証の七、一〇によれば、本件災害により同原告所有の右宅地291.36平方メートル(88.29坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一五六二万七六七六円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると五九三万二七四二円になる。

計算式 244,200×88.29−15,627,676=5,932,742

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二九号証の三、五によれば、同原告は昭和四九年三月二〇日建築の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計119.24平方メートル)を同年五月二一日売買(代金予定額四八六万一六〇〇円)により取得し、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(右建物の確定的な売買代金額は明らかでないものの、右予定額と大きく異なることを窺わせる証拠はなく、右予定額をもって取得価格と認定して差し支えないので、C方式は相当でない。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると四〇八万四三五一円になる。

計算式 (建築費倍率) 848.7/591.9=1.43

(残価率) 1−(0.375×11)=0.5875

(損害額) 4,861,600×

1.43×0.5875=4,084,351

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五四年ころに設置し所有していた鉄製門扉(高さ一メートル足らず)及び昭和五一年春に設置し所有していたコンクリートブロック塀(全長約二〇メートル。設置費用は隣人と折半で負担。)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式により右門扉及びブロック塀についての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計一七万一九一九円になる。

鉄製門扉 三万六三四四円

計算式(残価率) 1−(0.02×6)=0.88

(損害額) 59,000×0.7×0.88=36,344

コンクリートブロック塀

一三万五五七五円

計算式(残価率) 1−(0.0225×9)=0.7975

(損害額) 17,000×20×1/2×0.7975=135,575

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告が贈与を受けて所有していた何本かの植木が本件災害により埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実では埋没した植木の種類及び正確な本数が明らかでないが、他の原告らの被害状況及び損害額に照らし合わせて考えれば、番号2の原告の庭・植木についての損害額は一万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第二九号証の六によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(被告は、長女の固有財産分として一〇〇万円を控除すべき旨を主張するが、前掲各証拠によれば、同原告の長女は、本件災害発生当時は短期大学の学生であり、独自の収入はなかったものと認められるから、同女の固有財産分としてことさらいくらかの控除を施すことは相当でなく、被告の右主張は採用できない)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると、五三二万円になる。

計算式 9,500,000×0.8×0.7=5,320,000

(6) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(7) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第二九号証の九、一一ないし二一によれば、同原告は、本件災害発生当日の夜は義弟宅に避難し、その後現住所地に新居を構えてこれに入居した昭和六二年五月ころまでの間はアパート暮らしを余儀なくされたこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二三九万六二五三円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(8) 損害保険による填補額について

前掲各証拠及び損甲第二九号証の八によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物又は家財について五八〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。なお、右各証拠によれば、同原告は臨時費用保険金等として六〇万円を受領したことも認められるが、これは一種の見舞金と解され、これを損害額から控除するのは相当でない。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一四二一万九〇一二円になる。

(三) 番号3の原告新名よしえについて

損甲第一号証、第一二号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五九歳)は、長野市上松三丁目一六〇五番一七五の宅地(別紙(一二)に「新名良枝」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一二号証の七によれば、本件災害により同原告所有の右宅地345.46平方メートル(104.68坪)が埋没し、その後同原告は昭和六三年一二月二六日野村眞造に対し右宅地(ただし、分筆して二筆になったもの)を代金二三八〇万円で売却したことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると一七六万二八五六円になる。

計算式 244,200×104.68−23,800,000=1,762,856

(2) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、昭和五五年ころに一五〇万円を費やしてコンクリート土留工事を行い、庭を造ったが、本件災害により、同原告所有の柿、リンゴ、梨、ブドウ、クリ、桃等の木とともに右庭が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号3の原告の庭・植木についての損害額は五〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(3) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第一二号証の三によれば、本件災害により同原告が居住していた平家建居宅(床面積117.40平方メートル)とともにこれに収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告の夫は、昭和五二年四月二日に死亡するまで、右居宅に同原告とともに居住していたことが認められ、右認定事実を左右するに足りる証拠はない。また、同原告及びその夫の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(被告は、独身世帯の一七〇万円を適用すべき旨を主張するが、損甲第四号証の一、二によれば、簡易評価基準所載の家財簡易評価表にいう独身世帯は、主として独身男性世帯を念頭においたものであることが認められるから、その数値を同原告に適用するのは合理的とはいえず、同原告については、世帯主五〇歳以上の夫婦のみの家庭の半分程度の家財が存したとみるのが相当である。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると、三四〇万円になる。

計算式 8,500,000×0.8×0.5=3,400,000

(4) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(5) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害発生後、同原告の長男が新たに構えた住居に同居するまでの間、約一か月間は湯谷小学校体育館で、またその後約一か月間は簡易プレハブ住宅で避難生活を送ったこと、同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したほか、長男が、災害復興住宅建設事業補助金として被告から一三五万九五七六円を受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、九一六万二八五六円になる。

(四) 番号4の原告松枝一幸について

損甲第一号証、第一三号証の一、二、四及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四三歳)は、母(七〇歳)を長野市上松三丁目一六〇五番二一九の宅地(別紙(一二)に「松枝一幸」と記載されている場所)に居住させていたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一三号証の八によれば、本件災害により同原告所有の右宅地334.30平方メートル(101.30坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一七九三万〇八四九円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六八〇万六六一一円になる。

計算式 244,200×101.30−17,930,849=6,806,611

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第一三号証の三によれば、同原告は昭和四七年一二月二〇日建築の木造瓦葺二階建居宅一棟(床面積合計112.62平方メートル)を昭和四八年一月二九日売買(代金約四七〇万円)により取得し、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたこと、同原告は昭和五三年右建物に集中暖房設備を設置し、同設備の本件災害発生時における再調達価格が一九四万円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。また、集中暖房設備は建物と一体のものであるから、建物本体と同じ残価率を乗ずるのが相当である。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると六九六万〇八〇〇円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/372.5=2.28

(残価率) 1−(0.0375×12)=0.55

(損害額) (4,700,000×2.28+1,940,000)×0.55=6,960,800

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五〇年ころに約四〇万円を掛けて設置し所有していたコンクリートブロック塀(全長約三五メートル、高さ約1.2メートル)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右ブロック塀についての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計三九万六六六六円を下らない。

計算式(価格変動率) 848.7/617.7=1.37

(残価率) 1−(0.0225×10)=0.775

(損害額) 400,000×1.37×0.775=396,666

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、昭和五〇年ころに、宅地の周囲をコンクリート壁で囲い、庭土を入れ、瓦で塀を構築し、ガレージも造ったが(以上、費用総額約二五〇万円)、本件災害により、同原告所有の桜、梅、松、樅、雲龍、さつき、八ツ手、柊、紅葉、リラ等の植木とともに右庭及びガレージ等が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号4の原告の庭・植木についての損害額は五〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告は、昭和五五年二月に転勤のため妻及び長女(一三歳)とともに新潟県に転居した後も、帰省又は来客のための家財道具を右建物内に置いていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(右認定事実に照らすと、右建物内には同原告所有の家財が少なくとも夫婦と小人一名大人一名の世帯の場合の半分程度はあったものということができる。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると二〇七万二〇〇〇円になる。

計算式 (9,400,000×0.5−

1,000,000)×0.8×0.7=2,072,000

(6) 特別家財について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五一年に四〇万円余で購入した仏壇が本件災害により埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基盤にして、B方式(再調達価格を取得価格と同額とみなして経年減価を施すべきであることは先に説示したとおりであり、以下、B方式によって特別家財の損害額を算出する場合について同様である。右仏壇については、購入時から本件災害発生時までの間に九年を経過しており、残価率は0.1が相当である。)により右仏壇についての同原告の損害額を算出すると四万円になる。

計算式 400,000×0.1=40,000

(7) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(8) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告の母が、昭和六一年暮れまで避難小屋での生活を強いられ、その後市営住宅での暮らしを余儀なくされたものの、同原告自身は、新潟市に居て難を逃れたこと、同原告については、母が、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一八二七万六〇七七円になる。

(五) 番号5の原告野々村邦夫について

損甲第一号証、第一四号証の一ないし三及び弁論の全趣旨によれば、同原告(三三歳)は、妻(二八歳)、長男(四歳)及び長女(二歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二一八の宅地(別紙(一二)に「野々村邦夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一四号証の一六によれば、本件災害により同原告所有の右宅地333.20平方メートル(100.96坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一七八七万一八四八円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六七八万二五八四円になる。

計算式 244,200×100.96−17,871,848=6,782,584

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第一四号証の四及び第四九号証によれば、同原告所有の木造鉄板葺モルタル壁二階建居宅一棟(床面積合計117.58平方メートル。昭和四九年三月三〇日建築。)が埋没したこと、右建物には集中暖房設備があり、同設備の本件災害発生時における再調達価格が一九四万円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(ただし、計算に用いる残価率は先に説示したとおりであり、以下、C方式によって建物の損害額を算出する場合について同様である。なお、前掲各証拠によれば、同原告は昭和五七年一一月に右建物を前記(1)の土地とともに二四五〇万円で購入したことが認められ、被告は、右売買において建物の価値は零と査定されたものと考えられるので、その取得価格は零円であると主張するが、右売買当時の土地の価格を的確に示す証拠がない以上、右売買における土地と建物の価格割合は不明というほかなく、他にも右建物の新築時の建築費用等取得価格の認定に資する証拠はないから、同原告についてはC方式による損害額の算出が許されるというべきである。また、集中暖房設備は建物と一体のものであるから、建物本体と同じ残価率を乗ずるのが相当である。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると九一〇万三七八一円になる。

計算式(残価率) 1−(0.0375×11)=0.5875

(損害額) (122,000×0.9×1.05×117.58+1,940,000)×0.5875=9,103,781

(3) 庭・植木について

前掲各証拠及び損甲第一四号証の八によれば、同原告が一五八万五〇〇〇円で取得した庭木(ツゲ・カキ根一〇本、ヤツデ一本、松三本、貝塚イブキ三〇本、キャラ一本、白カバ三本、梅一本、サツキ三〇本、ツツジ一〇本)及び庭石(八トン)が本件災害により埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(前掲各証拠によれば、前記(2)の土地・建物売買の目的物の中に庭木・庭石も含まれていたことが認められ、被告は、右売買代金には土地の価値だけしか入っておらず、庭木を価値あるものとして右契約が結ばれたとは考え難いので、同原告の請求額は過大である旨主張するが、前記説示のとおり、右売買代金額の内訳は不明であるから、被告の右主張は採用できない。)。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により庭・植木についての同原告の損害額を算出すると一五八万五〇〇〇円になる。

(4) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式により一般家財についての同原告の損害額を算出すると、三九七万六〇〇〇円になる。

計算式 7,100,000×0.8×0.7=3,976,000

(5) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(6) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第一四号証の一六によれば、同原告は、本件災害後、子供を妻の実家に預け、自らは妻とともに知人宅に泊まり、また昭和六〇年八月上旬から平成元年四月に現住所地に新居を構えて入居するまでの間は借家住まいとなったこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として一四三万七七九六円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一三三万三二八二円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(7) 損害保険による填補額について

前掲各証拠によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について九八〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一六一四万七三六五円になる。

(六) 番号6の原告西澤政二について

損甲第一号証、第一五号証の一、五、一〇及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五三歳)は、妻(五〇歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一七六の宅地(別紙(一二)に「西沢政二」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一五号証の一六によれば、本件災害により同原告所有の右宅地349.89平方メートル(106.02坪)が埋没し、その後同原告は昭和六二年五月二五日三ッ喜合資会社に対し右宅地を代金一九〇五万一五〇〇円で売却したことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六八三万八五八四円になる。

計算式 244,200×106.02−19,051,500=6,838,584

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第一五号証の三、四、六によれば、同原告は昭和四六年三月三〇日建築の木造鉄板葺平家建居宅一棟(床面積68.73平方メートル)を同年四月一五日売買(代金二七五万五〇一〇円)により取得し、更に約七〇万円を費やして増加工事等を施したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると四一六万八四六九円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/334.7=2.54

(残価率) 1−(0.0375×14)=0.475

(損害額) (2,755,010+700,000)×2.54×0.475=4,168,469

(3) 庭・植木について

前掲各証拠及び損甲第一五号証の一三、一五によれば、同原告は、昭和四九年ころに二〇〇万円を費やして庭石の石組みと鉄筋コンクリートの車庫を造り、また庭土を入れて庭を整備したが、本件災害により、同原告所有のかいずか(約六〇本)とさざんか(約二〇本)の生垣や、もみじ、いちい、ライラック、梅、柿、赤松、黒松、椿、白樺、桜等の植木、ビニールハウス内にあった松、さつき、山野草の盆栽約五〇〇鉢とともに右庭及び車庫等が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号6の原告の庭・植木についての損害額は二五〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(4) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告の昭和四六年当時の給与所得が一か月当たり四万円程度であったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の本件災害当時の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式により一般家財についての同原告の損害額を算出すると四七六万円になる。

計算式 8,500,000×0.8×0.7=4,760,000

(5) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(6) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第一五号証の一九ないし三〇によれば、同原告は、本件災害後、昭和六〇年七月二九日まで妻の姉宅で生活し、同月三〇日から現住所地に新居を構えた昭和六二年七月までの間は市営住宅での暮らしとなったこと、同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当とする。

(7) 損害保険による填補額について

前掲各証拠によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について一三三万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、二〇九三万七〇五三円になる。

(七) 番号7の原告小松次郎について

損甲第一号証、第一六号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四五歳)は、長野市上松三丁目一六〇五番二一二の宅地(別紙(一二)に、「小松次郎」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第一六号証の七、八によれば、本件災害により同原告所有の右宅地341.65平方メートル(103.53坪)が埋没したこと、同原告は、その後整地された右宅地上に居宅を新築し、現在もなお右宅地を所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると七五八万四六〇七円になる

計算式 244,200×103.53×0.3=7,584,607

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第一六号証の三によれば、同原告は昭和四七年一月二〇日建築の木造鉄板葺二階建居宅一棟(床面積合計104.33平方メートル)を同年二月一八日売買(代金約四一〇万円)により取得したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると四九七万九九六二円になる

計算式(建築費倍率) 848.7/357.9=2.37

(残価率) 1−(0.0375×13)=0.5125

(損害額) 4,100,000×2.37×0.5125=4,979,962

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五五年ころに設置し所有していた鋳物製門扉及びアルミ製塀(全長約三六メートル)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式により右門扉及び塀についての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計四一万五八〇〇円になる。

鋳物製門扉 一二万四二〇〇円

計算式(残価率) 1−(0.02×5)=0.9

(損害額) 138,000×0.9=124,200

アルミ製塀 二九万一六〇〇円

計算式(残価率) 1−(0.02×5)=0.9

(損害額) 9,000×36×0.9=291,600

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、昭和四九年ころと昭和五五年ころに庭土を入れて庭を整備したが、本件災害により、同原告所有の松、梅、杏、ボタン、しゃくなげ、つつじ等の植木とともに右庭が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号7の原告の庭・植木についての損害額は三〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲一六号証の六によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(損甲第一六号証の六に同原告が列挙する埋没家財の種類及び数と、損甲第四号証の二に記載された独身男性世帯モデル例の家財明細とを対比すると、同原告については二〇パーセントの加算が相当である。なおこの点、同原告は、母の家財も置いてあったことから夫婦世帯の場合の半分程度の家財が存したものとみるべき旨を主張するが、母の家財については同原告に生じた損害とはいえないから、これを損害額の加算事由とすべきではなく、独身世帯として計算すべきである。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると二〇四万円になる。

計算式 1,700,000×1.2=2,040,000

(6) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(7) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害後、昭和六〇年八月一七日まで姉のアパートで生活し、その後新築の現住居に入居した平成元年四月までの間は県営住宅での暮らしとなったこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として九二万九四八四円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

(8) 損害保険による填補額について

前掲各証拠によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について二〇〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一六八二万〇三六九円になる。

(八) 番号8の原告丸山隆志について

損甲第一号証、第三二号証の一、三及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四六歳)は、妻(四〇歳)、長女(一七歳)、長男(一四歳)及び二男(九歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二七〇の宅地(別紙(一二)に「丸山隆志」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前項各証拠及び損甲第三二号証の二、九ないし一七によれば、本件災害により同原告所有の右宅地421.12平方メートル(127.61坪)が埋没したこと、同原告は、その後整地された右宅地上に居宅を新築し、現在もなお右宅地を所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると九三四万八七〇八円になる。

計算式 244,200×127.61×0.3=9,348,708

(2) 建物について

前掲各証拠並びに損甲第三二号証の四及び第四九号証によれば、同原告所有の木造鉄板葺モルタル壁二階建居宅一棟(床面積合計153.03平方メートル。昭和四九年三月二〇日建築。)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式により右建物についての同原告の損害額を算出すると一〇三六万五一六一円になる。

計算式(残価率) 1−(0.0375×11)=0.5875

(損害額) 122,000×0.9×1.05×

153.03×0.5875=10,365,161

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告所有のネットフェンス(全長約三〇メートル、高さ約1.2メートル)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(右フェンスの設置時期は証拠上明らかでないので、前記(2)の建物建築時から存在するものとして計算するのが相当である。)により右フェンスについての同原告の損害額を算出すると一一万七〇〇〇円になる。

計算式(残価率) 1-(0.02×11)=0.78

(損害額) 5,000×30×0.78=117,000

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、庭全体に芝を植え、居宅の回りに木を巡らせたが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実からでは埋没した木の種類、本数等が明らかでないが、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号8の原告の庭・植木についての損害額は一〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかではない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式により一般家財についての同原告の損害額を算出すると五三七万六〇〇〇円になる。

計算式 9,600,000×0.8×0.7=5,376,000

(6) 特別家財について

前掲各証拠及び損甲第三二号証の七、八によれば、同原告所有のオートバイ一一台、ヘルメット一一個、マイクロバス一台、絨毯クリーニング機二台、プール(横二メートル、縦五メートル)及び除雪機一台が本件災害により埋没したことが認められるが、これらの取得時期については証拠上明らかではない。また、損甲第三二号証の一には右オートバイ等の価格に関する同原告の供述記載があるが、その供述するところの価格を合計すると約一二〇三万円になり、同原告の主張する七五三万円と大きく食い違っているから、右供述記載を直ちに採用することはできない。そこで、以上のことを総合し、かつ経年減価の程度等をも考慮して判断すれば、右オートバイ等についての同原告の損害額は七五万三〇〇〇円と認めるのが相当である。

(7) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(8) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害後、弟宅に避難し、昭和六〇年八月一一日から新築の現住居に入居した昭和六三年までの間は借家住まいとなったこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として九八万五八一六円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一二三万〇七二二円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(9) 損害保険による填補額について

前掲各証拠によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物又は家財について七七〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、二二八五万九八六九円になる。

(九) 番号9の原告永野つねについて

損甲第一号証、第三九号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(六九歳)は、夫(七三歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二一一の宅地(別紙(一二)に「永野道人」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第三九号証の七によれば、本件災害により同原告所有(持分三分の二)の右宅地340.47平方メートル(103.17坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一八二六万一七八九円(このうち持分三分の二に相当する額は一二一七万四五二六円)で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると四六二万一五五〇円になる。

計算式 244,200×103.17×2/3−12,174,526=4,621,550

(2) 建物について

前掲各証拠並びに損甲第三九号証の三及び第四九号証によれば、同原告所有(持分三分の二)の軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺モルタル壁二階建居住一棟(床面積合計112.30平方メートル。昭和四七年三月一〇日建築。)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(なお、前掲各証拠によれば、同原告は息子と共同して昭和五八年一一月一五日に右建物を前記(1)の土地とともに二〇〇〇万円以上で購入したことが認められ、被告は、右売買において建物の価値は零と査定されたものと考えられるので、その取得価格は零円であると主張するが、右売買当時の土地の価格を的確に示す証拠がない以上、右売買における土地と建物の価格割合は不明というほかなく、他にも右建物の新築時の建築費用等取得価格の認定に資する証拠はないから、同原告についてはC方式による損害額の算出が許されるというべきである。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると四四二万三五八一円になる。

計算式(残価率) 1−(0.375×13)=0.5125

(損害額) 122,000×0.9×1.05×

112.30×0.5125×2/3=4,423,581

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、前記(1)の土地には同原告が購入した当時から木造の塀(全長約六六メートル、高さ約1.2メートル)があり、同原告は入居に際し二〇万円の費用を掛けてこれを修理したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたこと、高さ1.2メートルの木造塀の本件災害発生時における再調達価格は、長さ一メートル当たり七〇〇〇円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(取得時期は右修理を施した昭和五八年一一月として計算するのが相当である。)により右塀についての同原告の損害額を算出すると四三万四二八〇円になる。

計算式(残価率) 1−(0.06×1)=0.94

(損害額) 7,000×66×0.94=434,280

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、前記(1)の土地には同原告が購入した当時から庭があり、同原告は約一〇万円を費やしてこれに若干の庭土を入れ整備したが、本件災害により、同原告が入居後購入して植えた若干の苗木とともに右庭が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実からでは庭の詳細及び苗木の種類・本数が明らかでないが、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号9の原告の庭・植木についての損害額は一五万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告及びその夫の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告及びその夫の年齢並びに家族構成とを基礎にして、C方式(同原告固有の家財は全家財の三〇パーセント程度とみるのが相当である。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると二〇四万円になる。

計算式 8,500,000×0.8×0.3=2,040,000

(6) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(7) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第三九号証の八ないし一〇によれば、同原告は、本件災害後、新たに住居を構えた昭和六二年七月までの間、県営住宅、アパート等の借家住まいを余儀なくされたこと、同原告については、夫が、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として一六〇万一六七九円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一〇六万六六二六円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一五六六万九四一一円になる。

(一〇) 番号10の原告上原栄について

損甲第一号証、第三一号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五七歳)は、妻(五四歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一七七の宅地(別紙(一二)に「上原栄」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第三一号証の八によれば、本件災害により同原告所有の右宅地331.91平方メートル(100.57坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金一七八〇万二六五六円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六七五万六五三八円になる。

計算式 244,200×100.57−

17,802,656=6,756,538

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第三一号証の三によれば、同原告は昭和四七年三月一〇日建築の軽量鉄骨造鉄板葺平屋建居住一棟(床面積78.51平方メートル)を同月二一日売買(代金三五〇万円)により取得したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると四二五万一一八七円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/357.9=2.37

(残価率) 1−(0.0375×13)=0.5125

(損害額) 3,500,000×2.37×0.5125=4,251,187

(3) 門・塀について

前掲各証拠によれば、同原告が昭和五〇年に二五万円を掛けて設置し所有していた大谷石製塀(全長11.7メートル、高さ1.2メートル)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右ブロック塀についての同原告の損害額を算出すると二八万〇八五〇円になる。

計算式(価格変動率) 848.7/617.7=1.37

(残価率) 1−(0.018×10)=0.82

(損害額) 250,000×1.37×0.82=280,850

(4) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、同原告は、昭和四七年に約二〇万円を費やして庭土を入れ、庭を整備したが、本件災害により、同原告所有の松、柘植、梅、柿等の庭木とともに右庭が埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号10の原告の庭・植木についての損害額は三〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(5) 一般家財について

前掲各証拠によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、同原告の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式により一般家財についての同原告の損害額を算出すると四七六万円になる。

計算式 8,500,000×0.8×0.7=4,760,000

(6) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(7) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第三一号証の九ないし一二によれば、同原告は、本件災害後約一か月間は同原告が経営する印刷会社の事務所に居住し、その後昭和六一年三月に現住所地に新居を構えるまでの間は県営住宅で生活したこと、同原告は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当する。

(8) 損害保険による填補額について

前掲各証拠及び損甲第三一号証の六、七によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について六四五万円、家財について七〇万円の損害保険金をそれぞれ受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一三一九万八五七五円になる。

(一一) 番号11の原告萩本親治について

損甲第一号証、第三七号証の一ないし三及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五八歳)は、妻(五九歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二六九の宅地(別紙(一二)に「萩本親治」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の二一によれば、本件災害により同原告所有の右宅地504.64平方メートル(152.92坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金二七〇六万七三七五円で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると一〇二七万五六八九円になる。

計算式 244,200×152.92−27,067,375=10,275,689

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の七ないし一二によれば、同原告は昭和四九年一〇月五日建築の木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建居宅一棟(床面積138.93平方メートル)を昭和五〇年一月二二日に売買(代金一三六〇万二〇〇〇円)により取得したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(証拠上取得価格が認定できるからC方式は相当でない。)により右建物についての同原告の損害額を算出すると一一七三万一七二五円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/615.4=1.38

(残価率) 1−(0.0375×10)=0.625

(損害額) 13,602,000×1.38×

0.625=11,731,725

(3) 門・塀について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の一四によれば、同原告が昭和四九年九月ころに設置し所有していた大谷石製塀(全長約二一メートル、高さ約1.6メートル)、コンクリートブロック塀(全長約一四メートル、高さ約1.6メートル)及び金網フェンス(全長約三〇メートル、高さ約1.6メートル)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式により右塀及びフェンスについての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計一七〇万一五五五円になる。

大谷石製塀 一三七万七六〇〇円

計算式(残価率) 1−(0.018×10)=0.82

(損害額) 60,000×21×160/120×0.82=1,377,600

コンクリートブロック塀

一六万三九五五円

計算式(残価率) 1−(0.225×10)=0.775

(損害額) 17,000×14×160/180×0.775=163,955

金網フェンス 一六万円

計算式(残価率) 1−(0.02×10)=0.8

(損害額) 5,000×30×160/120×0.8=160,000

(4) 庭・植木について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の一五ないし一八によれば、本件災害により、同原告が一一一万八八〇〇円を費やして整備した庭園(庭石を置き、一部は芝生、一部は白砂敷にし、池をこしらえ、水銀灯を配置し、中央に松の木を据えたほか、一三本の植木を植えたもの)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により庭・植木についての同原告の損害額を算出すると一一一万八八〇〇円になる。

(5) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の一九、二二ないし二六によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告は、妻とともに貸清掃具業を営んでいるが、本件災害当時は、事業専従者である妻への給与と併せ五三〇万円程度の年収があったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式により一般家財についての同原告の損害額を算出すると四七六万円になる。

計算式 8,500,000×0.8×0.7=4,760,000

(6) 特別家財について

前掲各証拠及び損甲第三七号証の二〇によれば、本件災害により同原告所有のサファイアの指輪(昭和五五年六月ころに四三万二〇〇〇円で購入したもの)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(宝石類については、経年による減価はないものとみるのが相当である。)により右指輪についての同原告の損害額を算出すると四三万二〇〇〇円になる。

(7) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(8) 逸失利益について

前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害の発生によって貸清掃具業の営業活動を妨げられ、昭和六〇年九月一五日までの約一か月半の間に一三二万七六八八円を下らない売上収入を喪失したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、逸失利益に係る同原告の損害額は一三二万七六八八円と認める。

(9) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第三七号証の三七ないし四一によれば、同原告は、本件災害発生後昭和六〇年七月末まで湯谷小学校に避難し、その後現住所地に新居を構えた昭和六一年一一月までの間はアパートでの生活になったこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二二〇万九三一一円を、被災者の会との合意に基づく補助金として一一三万四九九九円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、三五三四万七四五七円になる。

(一二) 番号12の(1)の原告飯嶋晃、同(2)の原告飯嶋純子、同(3)の原告石澤妙子及び同(4)の原告竹田幸子について

損甲第一号証、第三三号証の一、四、八及び弁論の全趣旨によれば、飯嶋敬紀(五七歳。以下、本項(一二)及び次項(一三)において「敬紀」という。)は、妻(番号13の原告飯嶋俊枝。五五歳。)及び長女(番号12の(2)の原告飯嶋純子。二八歳。)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一九五の宅地(別紙(一二)に「(株)経済情報センター 飯嶋敬紀」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告らが敬紀の損害として主張する費目について検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第三三号証の三九によれば、本件災害により敬紀が所有(持分二分の一)していた右宅地527.74平方メートル(159.92坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六一年七月二四日付け売買契約により被告が代金二八三〇万六三九〇円(このうち持分二分の一に相当する額は一四一五万三一九五円)で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同人の損害額を算出すると五三七万三〇三七円になる。

計算式 244,200×159.92×1/2−14,153,195=5,373,037

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第三三号証の九ないし一四、一六ないし一八、四〇、四一によれば、敬紀は昭和五三年七月一日に三六四二万〇六五〇円を費やして木造銅板葺二階建居宅一棟(床面積合計172.03平方メートル)を建築し所有(持分二分の一)していたが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により右建物についての敬紀の損害額を算出すると一七〇五万六二四五円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/667.9=1.27

(残価率) 1−(0.0375×7)=0.7375

(損害額) 36,420,650×1.27×0.7375×1/2=17,056,245

(3) 門・塀について

前掲各証拠及び損甲第三三号証の二三、四二によれば、本件災害により、敬紀が昭和五四年一〇月ころに二六万円を掛けて設置し所有していた石造の門柱が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により右門柱についての敬紀の損害額を算出すると二六万円を下らない。

計算式(価格変動率) 848.7/733.3=1.16

(残価率) 1−(0.018×5)=0.91

(損害額) 260,000×1.16×0.91=260,000

(4) 庭・植木について

前掲各証拠並びに損甲第一号証及び損甲第三三号証の二四ないし二九によれば、本件災害により、敬紀が二八七万円を費やして、松の木を植え、更に四回にわたって造園業者に整備を依頼した庭園が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により右庭園についての敬紀の損害額を算出すると二八七万円になる。

(5) 一般家財について

前掲各証拠並びに損甲第三三号証の三七、三八及び第三四号証の二によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、敬紀及びその妻である番号13の原告飯嶋俊枝は、敬紀が代表者を務める番号14の原告株式会社経済情報センター(以下、本項(一二)及び次項(一三)において「原告会社」という。)から給与を得ており、敬紀の給与所得は昭和五七年が一二〇〇万円、昭和五八年が六五五万円、昭和五九年が二六四万八〇〇〇円、昭和六〇年が七〇万円であり、番号13の原告飯嶋俊枝の給与所得は昭和五七年が二二五万円、昭和五八年が二二〇万四〇〇〇円、昭和五九年が一一二万五〇〇〇円、昭和六〇年が五七万円であったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実と、先に認定した敬紀の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(右給与所得の状況に照らし、年収による調整率は1.0が相当である。)により一般家財についての同人の損害額を算出すると六六五万円になる。

計算式 9,500,000×1.0×0.7=6,650,000

(6) 特別家財について

前掲各証拠及び損甲第三三号証の三〇ないし三四によれば、本件災害により敬紀所有の腕時計二個(昭和五六年三月ころに七五万円で購入したものと、同年五月ころに四八万円で購入したもの)、PTダイヤリング(昭和五七年四月ころに三七万八〇〇〇円で購入したもの)、ホールクロック(同年六月ころに三八万円で購入したもの)、強力モード金庫(昭和五六年一二月ころに一八万八〇〇〇円で購入したもの)、メキシコオパール指輪(昭和四七年七月ころに一二万五〇〇〇円で購入したもの)、家庭用サウナ風呂(昭和五九年七月ころに二四万九〇〇〇円を費やして設置したもの)及び婚礼家具五点セット(結婚を控えていた長女である番号12の(2)の原告飯嶋純子のため昭和五九年一〇月ころに八三万円で購入したもの)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(この点、被告は、PTダイヤリング及びメキシコオパール指輪は妻である番号13の原告飯嶋俊枝の固有財産であるから除外すべきである旨主張するが、宝飾品であることから直ちに妻の所有物であると推認することはできず、右は証拠による裏付けを欠いた主張であり採用できない。また、被告は、婚礼家具五点セットは長女である番号12の(2)の原告飯嶋純子に贈与されたものであるから除外すべきである旨主張するが、同原告は婚礼前であったものであり、既にこれが同原告に贈与されていたことを認めるに足りる証拠はなく、右主張も理由がない。)。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(宝石類及び婚礼家具については経年による減価がないものとみるのが相当であり、その余については平均残価率を0.5とみるのが相当である。)により右腕時計等についての敬紀の損害額を算出すると合計二三五万六五〇〇円になる。

計算式 (750,000+480,000+380,000+188,000+249,000)×0.5+378,000+125,000+830,000=2,356,500

(7) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、敬紀の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(8) 逸失利益について

前掲各証拠及び損甲第三四号証の一、六ないし八によれば、原告会社は、かつて三階建ての自社ビルに事務所を置いていたが、敬紀が体を壊したことにより経営規模の縮小を余儀なくされ、昭和五八年には後記建物に事務所を移し、右自社ビルは処分したこと、原告会社は、昭和五七年の決算日には次期繰越利益を計上し得ていたものが、昭和五八年の決算日には二七八万円余の未処理損失を計上するに至り、昭和六〇年の決算日(同年四月三〇日)においても前期からの繰越分を含めなお五一四万円余の未処理損失を計上していたこと、敬紀の本件災害後の給与所得は一か月当たり一〇万円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右のような原告会社の経営状況及び資産状態並びに先に認定した敬紀の年収額の推移に照らすと、本件災害がなければ敬紀に一か月当たり一〇万円を超える給与所得があったであろうとの推論は困難であるといわざるをを得ないから、同人の逸失利益に関する同原告らの主張は理由がない。

(9) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、敬紀は、本件災害発生の当日から昭和六〇年八月一〇日ころまで小学校の体育館で生活し、その後は借家を転々としたこと、同人は、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受理したことが認められる。そして、同人の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同人が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(10) 損害保険による填補額について

前掲各証拠及び損甲第三三号証の二二によれば、敬紀は本件災害により被害を受けた建物について二〇〇〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同人の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。なお、右各証拠によれば、同人は臨時費用保険金等として六〇万円を受領したことも認められるが、これは一種の見舞金と解され、これを損害額から控除するのは相当でない。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一九〇六万五七八二円になる。

そして、番号12の(1)ないし(4)の各原告が敬紀の死亡によりそれぞれ八分の一ずつ同人の権利を承継したことは先に説示したとおりであるから、同原告らは、同人の右損害額の八分の一に相当する二三八万三二二二円の賠償を求めることができる。

(一三) 番号13の原告飯嶋俊枝について

(1) 土地について

前記(一二)の冒頭及び(1)の事実のほか、前掲各証拠によれば、右同項掲記の宅地は本件災害発生当時同原告が所有(持分二分の一)していたことが認められる。そこで、右同項掲記の方法と同様の方法により右宅地についての同原告の損害額を算出すると五三七万三〇三七円になる。

計算式 前記(一二)の(1)のとおり

(2) 建物について

前記(一二)の(2)の事実のほか、前掲各証拠及び損甲第三三号証の一九、二一によれば、右同項掲記の建物は本件災害発生当時同原告が所有(持分二分の一)していたこと、同原告は昭和五五年一一月二日に四五三万八〇〇〇円を費やして木造瓦・亜鉛メッキ鋼板葺二階建事務所物置一棟(床面積合計109.16平方メートル)を建築し所有していたが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により右各建物についての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計二一〇六万七八三七円になる。

前記(一二)の(2)の建物(持分二分の一)

一七〇五万六二四五円

計算式 前記(一二)の(2)のとおり

事務所物置 四〇一万一五九二円

計算式(建築費倍率) 848.7/

818.2=1.04

(残価率) 1−(0.0375×4)=0.85

(損害額) 4,538,000×1.04×

0.85=4,011,592

(3) 逸失利益について

前記(一二)の(5)及び(8)の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告の本件災害後の給与所得は一か月当たり八万円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、原告会社の経営状況及び資産状態並びに同原告の年収額の推移に照らすと、本件災害がなければ同原告に一か月当たり八万円を超える給与所得があったであろうとの推論は困難であるといわざるを得ないから、同原告の逸失利益に関する主張は理由がない。

以上の損害額を合計すると、二六四四万〇八七四円になる。

そして、同原告が敬紀の死亡により同人の権利の二分の一を承継したことは先に説示したとおりであるから、同原告は、同人の前記(一二)の損害額の二分の一に相当する九五三万二八九一円の賠償を求めることができる。したがって、同原告についての認容総額(ただし、弁護士費用相当額を除く。)は三五九七万三七六五円になる。

(一四) 番号14の原告株式会社経済情報センターについて

(1) 建物について

前記(一三)の(2)の事実のほか、前掲各証拠及び損甲第三四号証の三、四によれば、同原告は、昭和五八年一〇月二六日右同項掲記の事務所物置が増築された際にその費用として二〇三万五〇〇〇円を支出し、以後これを同原告の資産として貸借対照表に計上し減価償却してきたこと、右資産の昭和六〇年の決算日(同年四月三〇日)における簿価は一六七万七七八四円であることが認められるものの、右増築部分が区分所有権の目的となり得る程度に独立性を有しているか否かは証拠上明らかでないから、右増築部分は右事務所物置に附合し、その所有者である番号13の原告飯嶋俊枝の所有に属するに至ったものと解するほかない(貸借対照表に資産として計上したからといって、これにより実体上の所有権を取得できるものではない。)。したがって、番号14の原告には建物についての損害は発生しておらず、この点に関する同原告の主張は理由がない。

(2) 特別家財について

前掲各証拠及び損甲第三四号証の五によれば、本件災害により同原告所有の在庫商品(輪島塗の飾棚、コタツ盆九、蒔絵付お椀二〇、雑煮椀五、炉縁二、六五重、花びん三、下駄、日の出額、座卓二、えもん掛三〇、弁当箱五及び屠蘇器二。仕入値合計七一八万円。)並びに機械装置、車両運搬具及び工具器具・備品が埋没したこと、右機械装置、車両運搬具及び工具器具・備品の貸借対照表上の簿価は、昭和六〇年の決算日(同年四月三〇日)においてそれぞれ二二六万〇〇一〇円、一八二万八九三八円及び四七〇万六六一四円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(在庫商品については、他に転売して利益を得る目的で所有している交換財としての性質上、特段の事情のない限り、新品として評価するのが相当である。また、貸借対照表に計上されている機械装置、車両運搬具及び工具器具・備品については、特段の事情のない限り、適正な取得原価、耐用年数及び残存価格の設定のもとに適正な減価償却が継続して施されているものと推認できるから、その簿価をもって評価額とすることには合理性がある。)により右在庫商品等についての同原告の損害額を算出すると合計一五九七万五五六二円になる。

(3) 雑損について

前掲各証拠によれば、同原告は、前記(一三)の(2)の事務所物置が埋没したことにより、湯谷団地内の高野方空き家を事務所として賃料月額一万円で賃借することを余儀なくされ、一年半分の賃料合計一八万円を支払ったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、同原告の雑損額は一八万円と認める。

以上の損害額を合計すると、一六一五万五五六二円になる。

(一五) 番号15の原告株式会社飯島源左衛門正行商店について

損甲第三五号証の一ないし六、九ないし一一によれば、本件災害により同原告所有の在庫商品(玉露茶、やぶきた茶、抹茶椀一一、水指、花びん二、つぼ二、なつめ一七、茶せん一〇、茶器セット三、名入の茶缶茶袋、ビニール袋、テープ及びシール、葛布の床掛五五、茶掛三〇、色紙掛一〇〇、短冊三〇〇、ミニ短冊三〇、バック一五、パラソル二、帯一三、ぼうし八、財布一〇、ぞうり一〇及び座布団地等。仕入値合計九六三万九〇〇〇円。)、冷蔵庫三台(昭和五七年四月二六日に三四万五〇〇〇円で購入したもの、昭和五八年二月一日に一六万九〇〇〇円で購入したもの及び同月一八日に一七万三八〇〇円で購入したもの)及び金庫(五万五〇〇〇円で購入したもの)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(在庫商品については、前掲各証拠から認められる仕入の状況と右在庫商品の仕入値合計額とを対比すると、相当長期間にわたって在庫品として保管されていたものがあることが推認されるから、経年による商品価値の下落分を考慮すべきであり、平均残価率を0.7とみるのが相当である。また、冷蔵庫及び金庫については平均残価率を0.5とみるのが相当である。)により右在庫商品等についての同原告の損害額を算出すると合計七一一万八七〇〇円になる。

計算式 9,639,000×0.7+(345,000+169,000+173,800+55,000)×0.5=7,118,700

(一六) 番号16の原告株式会社リンホフ・フォトについて

損甲第三六号証の一ないし四によれば、本件災害により同原告が写真撮影用の機材として所有していたカメラ(六×一七センチメートル)本体、同センターフィルター、同ケース、色温度メーター、ストロボメーター、フィルムホルダー(四×五インチ)五〇枚、同(五×七インチ)五〇枚、ルーペ(四倍ピント)、同(八倍ピント)、三脚(四×五インチカメラ用)、カメラ(三五m/m判)本体、同レンズ、同ケース、顕微鏡撮影システム(四×五インチ)、カメラ用交換レンズ、カメラ(五×七インチ判)本体、同広角ベローズ、同ケース、シャッターレリーズ(三四センチメートル)、同(五三センチメートル)、大型カメラ用レンズ四、大型カメラ用スタジオスタンド及び写真スタジオ用設備機材一式(これらはいずれも昭和五七年三月から昭和五九年二月までの間に購入したものであり、購入代金の合計額は九一四万六二〇〇円である。)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(平均残価率は0.5とみるのが相当である。)によりその損害額を算出すると合計四五七万三一〇〇円になる。

計算式 9,146,200×0.5=4,573,100

(一七) 番号17の原告西脇博について

損甲第一号証、第三八号証の一及び弁論の全趣旨によれば、同原告(三六歳)は、妻(三四歳)、父(六七歳)、母(六三歳)、長女(九歳)及び長男(三歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二七二の宅地(別紙(一二)に「西脇健作」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第三八号証の一五によれば、本件災害により、右宅地及び平屋建居宅(床面積116.64平方メートル)とともに、収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、同原告は、昭和五九年に妻と併せて約七〇〇万円の年収があり、また、同原告の父も、同年に約三〇〇万円の年収があったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実と、先に認定した同原告の年齢及び家族構成とを基礎にして、C方式(年収による調整率は0.9が相当である。)により一般家財についての同原告の損害額を算出すると四四七万三〇〇〇円になる。

計算式 7,100,000×0.9×0.7=4,473,000

(2) 特別家財について

前掲各証拠及び損甲第三八号証の二ないし一四によれば、本件災害により同原告所有のパソコン(昭和五九年一月に七〇万円で購入したもの)及び家庭用サウナ風呂(昭和五八年一〇月に二七万円で購入したもの)が埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(残価率はいずれも0.8が相当である。)により右パソコン等についての同原告の損害額を算出すると、次のとおり、合計七七万六〇〇〇円になる。

パソコン 五六万円

計算式 700,000×0.8=560,000

家庭用サウナ風呂二一万六〇〇〇円

計算式 270,000×0.8=216,000

(3) 雑損について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、埋没した前記(1)の土地・建物は同原告の父が経営する株式会社の所有であり、同原告及びその家族は同社から右建物を無償で借り受けて居住していたところ、同社が昭和六〇年五月九日に破産宣告を受けたことが認められる。右破産宣告により、同社所有の右建物は破産債権者のために差し押さえられたと同一の効果を受け、その結果、同原告は、右建物に対する使用借権をもって破産債権者及び破産管財人に対抗することができない地位に立たされるに至ったということができるから、同原告については、雑損の中でも比較的金額の大きい借家関係の費用のうちの相当程度の部分が、本件災害との関係において相当因果関係の範囲外にもれると解さざるを得ない。このような見地からすると、同原告の雑損額は二〇万円と認めるのが相当である。

(4) 逸失利益について

前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害当時、学習教材の訪問販売会社で歩合制のセールスの仕事をしており、出勤して仕事をすると一か月当たり一一万円の給与収入が保証されていたが、本件災害のため昭和六〇年八月はほとんど出勤することができず、同月分の給与収入を喪失したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、逸失利益に係る同原告の損害額は一一万円と認める。

(5) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害発生後昭和六〇年七月末まで湯谷小学校に避難し、その後は父母と別居して賃貸アパート暮らしとなったこと、同原告については、父が、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。右認定事実のほか、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、八五五万九〇〇〇円になる。

(一八) 番号18の原告筒井健雄について

損甲第一号証、第二七号証の一、五、七、二〇及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四九歳)は、妻(四七歳)及び長女(一八歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一九九の宅地(別紙(一二)に「筒井健雄」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地305.70平方メートル(92.63坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六七八万六〇七三円になる。

計算式 244,200×92.63×0.3=6,786,073

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二七号証の三、四、六、八ないし一三によれば、同原告は昭和四六年三月三〇日建築の軽量鉄骨造鉄板葺平屋建居宅一棟(床面積76.44平方メートル)を同年四月一五日売買(代金三一三万三〇一〇円)により取得した後、同月右建物に三〇万四〇二〇円を費やして増工事を施し、同年六月には一二万円を費やしてテラスと網戸を取り付け、昭和五一年一一月二〇日には三一一万円を費やして増築工事を行い(その結果、構造が木軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建、床面積が106.61平方メートルにそれぞれ変更された。)、昭和五四年九月には二二万五〇〇〇円を費やして右増築部分にアルミサッシを取り付けたが、本件災害によりこれが全壊する被害を受けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式により右建物についての同原告の損害額を算出すると七四一万九七八六円になる。

計算式(増築前の部分の建築費倍率)848.7/334.7=2.54

(増築前の部分の残価率) 1−(0.0375×14)=0.475

(増築部分の建築費倍率) 848.7/634.1=1.34

(増築部分の残価率) 1−(0.0375×8)=0.7

(損害額) (3,557,030×2.54×0.475)+(3,335,000×1.34×0.7)

=7,419,786

(3) 庭・植木について

前掲各証拠によれば、本件災害により、同原告所有の石垣、竹の垣根、柊、南天、日光ひば、マサキ、梅モドキ、木蓮などが埋没したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実を基礎にして、他の原告らの被害状況及び損害額と照らし合わせて考えれば、番号18の原告の庭・植木についての損害額は二〇万円を下らないと認めるのが相当である。

(4) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は五〇万円と認めるのが相当である。

(5) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第二七号証の一四ないし一九、二一ないし二三によれば、同原告は、本件災害後、昭和六〇年七月三一日まで湯谷小学校の体育館で避難生活を送り、その後新築の現住居に入居した昭和六二年一〇月までの間は大学官舎や借家を転々としたこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として七四万〇九七七円を、被災者の会との合意に基づく補助金として六六万六六四一円をそれぞれ受領したほか、災害見舞金として、被告から三〇万円、長野市から七万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は四〇〇万円をもって相当とする。

(6) 損害保険による填補額について

前掲各証拠および損甲第二七号証の二四によれば、同原告は本件災害により被害を受けた建物について二九〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同原告の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。なお、右各証拠によれば、同原告は臨時費用保険金等として四三万五〇〇〇円を受領したことも認められるが、これは一種の見舞金と解され、これを損害額から控除するのは相当でない。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、一六〇〇万五八五九円になる。

(一九) 番号19の原告五味照夫について

損甲第一号証、第二五号証の一、二、六及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四〇歳)は、妻(三四歳)、長女(九歳)及び長男(四歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一六八の宅地(別紙(一二)に「五味照夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地341.05平方メートル(103.34坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると七五七万〇六八八円になる。

計算式 244,200×103.34×0.3=7,570,688

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二五号証の三、一四ないし一七によれば、本件災害により、同原告所有の木造鉄板葺平屋建居宅(床面積85.25平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。昭和五九年八月増築。)のうち西側の7.5畳間及び六畳間の一部(屋根、壁、基礎部分、建具類その他電器配線など)が損壊したほか、スチール物置、ブロック塀及びボイラーも損壊し、その修復のため四〇六万〇一六〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、右建物についての同原告の損害額は四〇六万〇一六〇円と認める。

(3) 門・塀について

同原告は、塀についての損害額五万一〇〇〇円を独立の費目として主張しているが、前記(2)に判示したとおり、ブロック塀の修理費用は建物についての損害額に含まれており、これとは別に塀についての損害が発生したことを認めるに足りる証拠はないから、右主張は理由がない。

(4) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は三〇万円と認めるのが相当である。

(5) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第二五号証の一〇ないし一三、二四ないし三六によれば、同原告は、本件災害後、湯谷小学校体育館で避難生活を送り、また、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みによって前記(2)の居宅への出入りができなくなったため、現住所地に別に居宅を構え入居した昭和六二年五月までの間は借家暮らしとなったこと、同原告は、災害見舞金として、被告から三万円、長野市から二万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一五四三万〇八四八円になる。

(二〇) 番号20の原告荒井伊佐男について

損甲第一号証、第二四号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五三歳)は、妻(四八歳)、長女(二二歳)、二女(二一歳)及び母(八〇歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二二一の宅地(別紙(一二)に「荒井伊佐男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地309.95平方メートル(93.92坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方法により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六八八万〇五七九円になる。

計算式 244,200×93.92×0.3=6,880,579

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二四号証の三、四、六によれば、同原告は、本件災害により、同原告所有の木造鉄板葺平屋建居宅(床面積85.28平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。)について、落ちてきた隣家の屋根が屋根に穴を空け、隣家の梁が壁を突き破り、そのため建物全体が押されてゆがんだようになり、戸や窓がなめらかに開閉しなくなり、雨漏りのため室内が腐り汚れるなどの被害を受け、その修復のため五二五万円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、右建物についての同原告の損害額は五二五万円と認める。

(3) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第二四号証の五によれば、本件災害により、同原告所有の洋だんす二本、和だんす二本、ベビーだんす、サイドボード、冷蔵庫、電子レンジ、ガス湯沸器、ミシン、ベッド、ふとん類七組、応接セット、本箱二個、シャンデリア、衣類・下着類・ワイシャツ等、食器類及び書籍約一二〇冊(購入価格合計二二二万円)が損壊または腐食したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(取得時期が明らかでないので、残価率は平均して0.7が相当である。)により右家財についての同原告の損害額を算出すると一五五万四〇〇〇円になる。

計算式 2,220,000×0.7=1,554,000

(4) 雑損について

先に認定した居住の事実及び建物・家財等の損壊状況に照らし、同原告の雑損額は三〇万円と認めるのが相当である。

(5) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みによって前記(2)の居宅への出入りができなくなったため、昭和六〇年八月一日まで湯谷小学校体育館で過ごし、その後昭和六二年五月三〇日に右居宅に戻るまでの間は公務員宿舎や県営住宅を転々としたこと、同原告は、被告から、災害復興住宅建設事業補助金として二八万四八九九円を受領したほか、災害見舞金として、被告から一〇万円、長野市から五万円をそれぞれ受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三五〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一七四八万四五七九円になる。

(二一) 番号21の原告森川猛夫について

損甲第一号証、第三〇号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四八歳)は、妻(四四歳)、長男(二〇歳)及び長女(一四歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一七〇の宅地(別紙(一二)に「森川猛夫」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地317.41平方メートル(96.18坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると七〇四万六一四六円になる。

計算式 244,200×96.18×0.3=7,046,146

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第三〇号証の三、六によれば、同原告は、本件災害により、一年一〇か月にわたって避難をしていたため、同原告所有の木造瓦葺地下一階付平屋建居宅(床面積合計137.97平方メートル。昭和四六年三月三〇日建築。)へ再入居するに当たり、内装工事(表畳の貼り替え、台所のクロス貼り替え、洋間の絨毯貼り替え)及び給排水工事(湯沸器の据え付け調整、風呂釜の取り付け)を必要とし、その工事に一〇〇万円を下らない費用を支出したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、右建物についての同原告の損害額は一〇〇万円と認める。

(3) 雑損について

前掲各証拠及び損甲第三〇号証の七によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みによって前記(2)の居宅への出入りができなくなったため、昭和六〇年八月一日からは県営住宅に、同月一五日からは民間アパートに、同年一一月二三日からは市営住宅にそれぞれ入居し、昭和六一年一二月二三日に立退指示が解除された後、昭和六二年四月末に右居宅に戻ったこと、同原告は、この間、転居に伴うあいさつ回りの品の購入代金として二六七〇円、右民間アパートの賃貸人への権利金・礼金として一三万五〇〇〇円、同アパートの賃料として一〇万円(月額三万五〇〇〇円の四か月分から長野市住宅補助金四万円を控除した額)、引越代として一一万五〇〇〇円(二回分)及びピアノの運搬代として四万四〇〇〇円(二回分)の各支出を余儀なくされたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、損甲第三〇号証の七の中には、家庭用品、台所用品、ガステーブル、浴槽・風呂釜、ガス湯沸器等の購入代金として一八万一二〇七円を支出したことを証するレシート及び領収書が存するが、これらの支出は反対給付として購入物の取得を伴い、同原告の全体としての財産を減少させるものではないから、財産的損害とはいえない。また、前掲各証拠によれば、同原告が長男の下宿代を支出したことも認められるが、長男が下宿するに至った事情については証拠上明らかでなく、右支出を本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害と認めることはできない。)。したがって、同原告の雑損額は三九万六六七〇円と認める。

(4) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、被告から、被災者の会との合意に基づく補助金として一五万九七三二円を受領したことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一一四四万二八一六円になる。

(二二) 番号22の原告野口茂について

(1) 土地について

損甲第一号証、第一七号証の一、三、五及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、長野市上松三丁目一六〇五番二三五の宅地(別紙(一二)に「新名敏雄 野口茂」と記載されている場所)474.61平方メートル(143.82坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると一〇五三万六二五三円になる。

計算式 244,200×143.82×0.3=10,536,253

(2) 逸失利益について

前掲各証拠及び損甲第一七号証の四によれば、同原告は、本件災害当時、右同所所在の木造鉄板葺平屋建居宅(床面積140.10平方メートル。昭和四八年一〇月二〇日建築。)を所有し、これを新名敏雄に賃貸して一か月当たり八万円の賃料収入を得ていたが、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みにより右建物への出入りができなくなったため、昭和六〇年八月から立退指示が解除された昭和六一年一二月までの一七か月分の賃料収入合計一三六万円を喪失したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、逸失利益に係る同原告の損害額は一三六万円と認める。

(3) 慰謝料について

前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害当時、前記(2)の建物に居住しておらず、避難生活を送る必要がなかったことに加え、前記(1)及び(2)の土地・建物も本件地すべりによる直接の被害を免れたことが認められる。そうすると、同原告が本件災害によって受けた精神的苦痛の中に、財産的損害の補填のみでは慰謝されない性質のものが含まれているとは考え難く(損甲第一七号証の一には、将来は二男の居住用にと考えていた夢が破られた旨の同原告の供述記載があるが、その所有に係る土地・建物は健在であるから、これを住居とすることに支障はなく、右は特に保護に値する精神的苦痛であるとは認められない。)、同原告の慰謝料に関する主張は理由がない。

以上の損害額を合計すると、一一八九万六二五三円になる。

(二三) 番号23の原告内山卓郎について

損甲第一号証、第二六号証の一、二、七、三六及び同原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、同原告(五〇歳)は、妻(五〇歳)、長女(一七歳)及び二女(一四歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二七四の宅地(別紙(一二)に「内山卓郎」等と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地390.55平方メートル(118.34坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると八六六万九五八八円になる。

計算式 244,200×118.34×0.3=8,669,588

(2) 雑損について

前掲各証拠及び損甲第二六号証の三、一四ないし二〇によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みによって同原告所有の三階建居宅(床面積合計172.86平方メートル)への出入りができなくなったため、昭和六〇年七月二六日から翌二七日までは湯谷小学校体育館で、同日から翌二八日まではホテルでそれぞれ避難生活を送った後、同日から同年八月三一日までは長野市松代町の借家で、翌九月一日から昭和六一年八月三一日までは同市安茂里の借家でそれぞれ居住し、その後同市伺去に購入した中古住宅に移り(その間の同年一二月に立退指示解除)、更に昭和六二年七月三一日に湯谷団地内の元の住居に戻ったこと、同原告は、この間、ホテルの宿泊費として二万円(一泊四人分)、借家の賃料として三九万円(月額四万円の一三か月分から長野市住宅補助金一三万円を控除した額)及び引越費用として三二万円(四回分)の各支出を余儀なくされたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(なお前掲各証拠によれば、同市松代町の借家は同原告の兄の所有する空き家であり、同人は同原告に対し賃料は不要である旨を述べていたことが認められ、被告は、このような事情の下における賃料の支出は本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害とはいえない旨を主張するが、本件災害により借家への転居を余儀なくされた被災者は、賃料相当額の損害を被ったものとして、被告に対しその賠償を請求することができるものと解すべきところ、たまたま賃貸人が被災者の肉親であったためにその情誼から賃料の請求をしない旨の申入れがあったからといって、このような肉親たるの身分関係に基因する恩恵の効果を加害者にまで及ぼすべきではないから、被告の右主張は失当である。)。したがって、同原告の雑損額は七三万円と認める。

(3) 慰謝料について

同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情(なお前掲各証拠によれば、同原告には湯谷団地分譲地の購入資格の存否につき疑義のあることが認められるが、同原告は前記(1)の宅地を購入後は同所に平穏に居住していたことがうかがえるから、同原告の慰謝料の算定に当たって右の購入資格に関する事情に重きを置くのは相当でない。)を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一二三九万九五八八円になる。

(二四) 番号24の原告竹内邦臣について

損甲第一号証、第一八号証の一、三、五及び弁論の全趣旨によれば、同原告(六五歳)は、妻(七六歳)、長男(三〇歳)、長男の妻(二八歳)及びその長女(〇歳一一か月)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二二三の宅地(別紙(一二)に「竹内邦臣」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地390.98平方メートル(118.47坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると八六七万九一一二円になる。

計算式 244,200×118.47×0.3=8,679,112

(2) 雑損について

前掲各証拠及び損甲第一八号証の一〇ないし三三によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭に打ち込みによって同原告所有の平屋建居宅(床面積141.60平方メートル。昭和五九年一〇月九日建築。)への出入りができなくたったため、本件災害発生の当日は湯谷小学校体育館で一夜を過ごし、翌二七日から同年八月六日までは親戚の家で暮らし、翌七日から昭和六二年三月七日までの間は借家での生活となり(この間の昭和六一年一二月二三日に立退指示解除)、その後湯谷団地の自宅に戻ったこと、同原告は、この間、引越費用として二三万円(三回分)、借家の賃貸借契約を仲介した不動産業者への手数料として二万七〇〇〇円、借家の賃貸人への権利金として一一万円、借家の賃料として八七万三〇〇〇円(長野市住宅補助金一八万円を控除した額)、借家の修繕費用として八万一七八〇円及び自宅への再入居の際の修繕費用として四万六〇〇〇円の各支出を余儀なくされたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、同原告の雑損額は一三六万七七八〇円と認める。

(3) 逸失利益について

前掲各証拠及び損甲第一八号証の八、九によれば、同原告の長男の妻は、本件災害当時、中央児童相談所心理判定員として被告に勤務し、一か月あたり一〇万円を超える給与収入を得ていたところ、本件災害に伴う避難生活の中にあって同女の長女を養育するために勤務の継続を断念せざるを得なくなり、六か月分の給与に相当する合計六〇万円の収入を喪失したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかしながら、右は同原告の長男の妻について生じた逸失利益であり、同原告に生じた損害ではないから、この点に関する同原告の主張は理由がない。

(4) 慰謝料について

同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一三〇四万六八九二円になる。

(二五) 番号25の原告中村善信について

損甲第一号証、第二三号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(三一歳)は、妻(三七歳)、長男(八歳)及び二男(五歳。昭和六〇年一〇月二一日死亡。)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二三六の宅地(別紙(一二)に「中村善信」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地462.37平方メートル(140.11坪)を本件災害発生の当時に所有(持分五分の一)し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると二〇五万二八九一円になる。

計算式 244,200×140.11×0.3×1/5=2,052,891

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二三号証の三、六ないし八によれば、同原告は、本件災害により、同原告所有の木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建居宅(床面積115.10平方メートル。昭和五三年一一月二八日建築。)について、壁のひび割れ・剥落、窓枠の歪み・開閉困難、風呂の漏れ、水道のポンプの故障などの被害を受け、その修復のため八三万七一八〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、右建物についての同原告の損害額は八三万七一八〇円と認める。

(3) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示とH型鋼杭の打ち込みによって前記(2)の自宅への出入りができなくなったため、昭和六〇年八月四日まで湯谷小学校体育館で過ごし、その後昭和六一年四月二六日に自宅へ戻るまでの間は浅川小学校校庭に急造されたプレハブ住宅での生活となったことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害金を合計すると、五八九万〇〇七一円になる。

(二六) 番号26の原告中村寛について

損甲第一号証、第二三号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、前記(二五)の冒頭及び(1)掲記の宅地を本件災害発生の当時に所有(持分五分の四)し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪あたり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると八二一万一五六六円になる。

計算式 244,200×140.11×0.3×4/5=8,211,566

(二七) 番号27の原告腰野よしえについて

損甲第一号証、第一九号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五四歳)は夫(五二歳)及び夫の母(七九歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二〇一の宅地(別紙(一二)に「腰野武夫」等と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地335.11平方メートル(101.54坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると七四三万八八二〇円になる。

計算式 244,200×101.54×0.3=7,438,820

(2) 雑損について

前掲各証拠及び損甲第一九号証の四によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示によって自宅への出入りが制限されたため、本件災害発生の当日から昭和六一年三月八日までの間は勤務先の社宅に避難し、その後自宅に戻ったこと、同原告は、これにより、右避難先から自宅に戻る引越費用として九万五〇〇〇円の支出を余儀なくされたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、同原告の雑損額は九万五〇〇〇円と認める。

(3) 慰謝料について

同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は二五〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一〇〇三万三八二〇円になる。

(二八) 番号28の原告中沢尤について

損甲第一号証、第二〇号証の一ないし三、五及び弁論の全趣旨によれば、同原告(四二歳)は、妻(三九歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番二及び同番二八五の宅地(別紙(一二)に「中沢尤」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地合計460.13平方メートル(139.43坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二七万三九〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると一一四五万六九六三円になる。

計算式 273,900×139.43×0.3=11,456,963

(4) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第二〇号証の四によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示によって同原告所有の二階建居宅(床面積合計113.18平方メートル)への出入りが制限されたため、昭和六〇年一二月二一日までの間(立退指示解除は同年八月一〇日)、勤務先のアパートでの避難生活を余儀なくされたことが認められる。そして、同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一二四五万六九六三円になる。

(二九) 番号29の原告小山菊彦について

損甲第一号証、第二一号証の一、二、六及び弁論の全趣旨によれば、同原告(五四歳)は妻(五三歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一四三の宅地(別紙(一二)に「小山菊彦」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、同原告は、右宅地306.64平方メートル(92.92坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同原告の損害額を算出すると六八〇万七三一九円になる。

計算式 244,200×92.92×0.3

=6,807,319

(2) 雑損について

前掲各証拠及び損甲第二一号証の三、七によれば、同原告は、本件災害に伴う立退指示によって同原告所有の平屋建居宅(床面積85.14平方メートル)への出入りが制限されたため、本件災害後三日目の夜から県営住宅に居住したが、勤務先への交通の便が悪く暑さの中の通勤で体調を崩したことから、昭和六〇年九月一日に勤務先に近い賃貸マンションへ転居し、同年一二月に立退指示が解除された後、昭和六一年一〇月末に右自宅へ戻ったこと、同原告は、この間、旅館宿泊費として二万七八〇〇円(二泊二名分)、家財運搬費として五万七〇〇〇円(二回分)、緊急搬出時に手伝ってくれた人への謝礼として三万円(三名分)、外食費として一万五七七〇円(五回分)、賃貸マンションの賃料・権利金・礼金・駐車場代として四二万四〇〇〇円(長野市住宅補助金四万円を控除した額)、自宅の温水器を凍結させないよう凍結予防の加湿器に通電した電気代として一万二六一五円、自宅への再入居時に内装(壁)・畳・洗面所を補修した費用として五二万九三六〇円及び引越費として五万三〇〇〇円の各支出を余儀なくされたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(この点、被告は、賃貸マンションの賃料のうち県営住宅の家賃を超える部分は本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害ではないと主張するが、同マンションの賃料額は合理的な範囲内にあり、同マンションへの転居の経緯にも照らせば、これを本件災害と相当因果関係の範囲内にある損害と解するのが相当であるから、被告の右主張は失当である。)。したがって、同原告の雑損額は一一四万九五四五円と認める。

(3) 慰謝料について

同原告の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同原告が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一六〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、九五五万六八六四円になる。

(三〇) 番号30の原告中村もと子について

損甲第一号証、第二二号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、同原告の夫中村元芳(四六歳。以下、本項において「元芳」という。)は、同原告(四一歳)、長女(一五歳)及び二女(六歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番一〇六の宅地(別紙(一二)に「中村元芳」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠によれば、元芳は、右宅地353.05平方メートル(106.98坪)を本件災害発生の当時に所有し、現在もなお所有していることが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二五万四一〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての元芳の損害額を算出すると八一五万五〇八五円になる。

計算式 254,100×106.98×0.3=8,155,085

(2) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠及び損甲第二二号証の七によれば、元芳は、本件災害に伴う立退指示(昭和六〇年一二月までに解除)によって同人所有の平屋建居宅(床面積76.59平方メートル)への出入りが制限されたため、本件災害発生の当日から約一週間は湯谷小学校で、その後約半月は妻である同原告の実家で、更にその後約半年は借家でそれぞれ生活することを余儀なくされたことが認められる。そして、元芳の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同人が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一〇一五万五〇八五円になる。

そして、前掲各証拠及び損甲第二二号証の八ないし一一によれば、同原告は、昭和六二年五月九日、元芳から同人の右損害賠償請求権を譲り受けたことが認められる(なお、被告は、元芳から同原告への右債権譲渡は信託法一一条が禁止する訴訟信託に該当し無効である旨主張するので、検討すると、信託法一一条は、本来の権利者から権利の移転の名において第三者に訴訟をなす権能を任意的に付与するいわゆる訴訟信託を広く許容すると、民事訴訟法が訴訟代理を原則として弁護士に限定している趣旨を潜脱し、他人の紛争に介入し不当に利益を貪るがごとき濫訴の弊害を招来するおそれがあるため、これを原則として禁止しようとするものであると解されるから、弁護士代理の原則の精神に抵触せず、また濫訴の弊害を招来するおそれがなく、かつこれを認める合理的必要がある場合には、訴訟信託を許容するに妨げないというべきである。そして、加害者に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を有する被害者が、配偶者等家計を同じくする者にこれを譲渡し、訴訟の追行を委ねることは、弁護士代理の原則の精神に抵触せず、また濫訴の弊害を招来するおそれもないから、合理的必要の存する限り、これを許容して妨げないと解すべきである。これを本件についてみると、前掲各証拠によれば、元芳は、当時の勤務先が被告や被告県下の公共団体から税金の計算業務を受託していた関係上、自らが原告となって本件訴訟をすることに差し障りを覚えたことから、家計を同じくする妻の同原告に損害賠償請求権を譲渡し、本件訴訟の追行を委ねたことが認められ、訴訟信託の合理的必要が存したものということができるから、右債権譲渡は有効であり、この点に関する被告の主張は理由がない。)。

(三一) 番号31の原告破産者岩崎則男破産管財人高井正直について

損甲第一号証、第四〇号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、岩崎則男(四〇歳)は、妻(四〇歳)、長女(一一歳)、二女(八歳)及び妻の母(七五歳)とともに長野市上松三丁目一六〇五番四の宅地(別紙(一二)に「岩崎則男」と記載されている場所)に居住していたところ、本件災害に遭遇したことが認められる。そこで、以下においては、同原告の主張する損害費目について逐次検討する。

(1) 土地について

前掲各証拠及び損甲第四〇号証の三ないし六によれば、岩崎則男は、右宅地385.13平方メートル(116.70坪)を本件災害発生の当時に所有していたが、その後昭和六三年七月二五日鈴木秀男に対し右宅地を地上の同人所有の居宅(木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建床面積140.74平方メートル。昭和四八年七月二五日建築。昭和五二年一一月二日、昭和五七年九月二〇日各増築。)とともに代金二一〇〇万円で売却したことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二七万三九〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての岩崎則男の損害額を算出すると一一一八万七四四五円になる。

計算式 273,900×116.70×0.35=11,187,445

(2) 慰謝料について

前判示の各事実のほか、前掲各証拠によれば、同人は、本件災害に伴う立退指示(昭和六〇年八月一二日までに解除)によって前記(1)掲記の居宅への出入りが制限されたため、本件災害発生当日から湯谷小学校の体育館で寝泊まりをし、その後昭和六〇年八月一四日からは仮設のプレハブ住宅で、同年九月からは賃貸マンションでそれぞれ生活し、自宅に戻ったのは昭和六一年二月であったことが認められる。そして、同人の被った財産的被害の内容・程度、避難生活の態様、家族構成等諸般の事情を斟酌すると、同人が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇万円をもって相当とする。

以上の損害額を合計すると、一二一八万七四四五円になる。

(三二) 番号32の原告和田要子について

損甲第一号証、第二八号証の一、二、一三及び弁論の全趣旨によれば、本件災害により同原告所有(持分二分の一)の長野市上松三丁目一六〇五番一九二の宅地(別紙(一二)に「和田」等と記載されている場所)393.90平方メートル(119.36坪)が埋没し、その後右宅地は昭和六二年一月一六日売買により被告が代金二一一二万七六一四円(このうち持分二分の一に相当する額は一〇五六万三八〇七円)で買い上げたことが認められる。そこで、右認定事実及び先に認定した右宅地の本件災害当時の時価(一坪当たり二四万四二〇〇円)を基礎にして、先に判示した算出方式により右宅地についての同人の損害額を算出すると四〇一万〇〇四九円になる。

計算式 244,200×119.36×1/2−10,563,807=4,010,049

そして、同原告が和田光太郎(以下、本項(三二)及び次項(三三)において「光太郎」という。)の死亡により同人の権利の二分の一を承継したことは先に説示したとおりであるから、同原告は、同人の後記(三三)の損害額の二分の一に相当する三五八万九七一二円の賠償を求めることができる。したがって、同原告についての認容総額(ただし、弁護士費用相当額を除く。)は七五九万九七六一円になる。

(三三) 番号33の原告和田美範、同34の原告和田ユリ及び同35の原告和田康二朗について

(1) 土地について

前記(三二)の冒頭の事実のほか、前掲各証拠によれば、右同項掲記の宅地は本件災害発生当時光太郎が所有(持分二分の一)していたことが認められる。そこで、右同項掲記の方法と同様の方法により右宅地についての光太郎の損害額を算出すると四〇一万〇〇四九円になる。

計算式 前記(三二)のとおり

(2) 建物について

前掲各証拠及び損甲第二八号証の三ないし九によれば、光太郎は昭和五二年一一月一七日建築の木造瓦葺平屋建居宅一棟(床面積52.17平方メートル)を同年六月二八日売買により取得したが、本件災害によりこれが埋没する被害を受けたこと、同人は、右建物を購入するため銀行から二一〇万円を借り入れ、また右建物建設自己資金第二回納入分として長野県住宅供給公社に二〇一万円余を納め、更に右建物につき保険金額二一〇万円の火災保険を掛けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右認定事実を基礎にして、B方式(右認定事実によれば、右建物の取得価格は約二一〇万円と推認できるから、C方式は相当でない。)により右建物についての同人の損害額を算出すると二〇一万三三七五円になる。

計算式(建築費倍率) 848.7/650.6=1.30

(残価率) 1−(0.0375×7)=0.7375

(損害額) 2,100,000×

1.30×0.7375=2,013,375

(3) 一般家財について

前掲各証拠及び損甲第二八号証の一〇、一二によれば、本件災害により前記(2)の建物に収蔵されていた一般家財のほとんど全部が埋没したこと、光太郎(三五歳)は、本件災害当時、妻(番号32の原告和田要子。三七歳。)、長男(番号33の原告和田美範。一一歳。)、長女(番号34の原告和田ユリ。九歳。)及び二男(番号35の原告和田康二朗。七歳。)とともに東京都内に居住し、右建物には年に二、三回家族とともに訪れ、一回の滞在は五日ないし一週間程度であったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、光太郎の年収は証拠上明らかでない。そこで、右認定事実を基礎にして、C方式(右建物の使用状況に照らし、常時居住する場合の半分程度の家財があったとみるのが相当である。)により一般家財についての光太郎の損害額を算出すると二一五万六〇〇〇円になる。

計算式 7,700,700×0.8×0.7×0.5=2,156,000

(4) 雑損について

先に認定した建物の使用状況及び建物・家財等の損壊状況に照らし、光太郎の雑損額は一〇万円と認めるのが相当である。

(5) 慰謝料について

光太郎の被った財産的被害の内容・程度、建物の使用状況等諸般の事情を斟酌すると、同人が本件災害により被った精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇万円をもって相当とする。

(6) 損害保険による填補額について

前掲各証拠によれば、光太郎は本件災害により被害を受けた建物について二一〇万円の損害保険金を受領したことが認められるから、同人の損害額を算出するに当たっては右金額を控除すべきである。

以上の損害額を合計し、損害保険による填補額を控除すると、七一七万九四二四円になる。

そして番号33ないし35の各原告が光太郎の死亡によりそれぞれ六分の一ずつ同人の権利を承継したことは先に説示したとおりであるから、同原告らは、同人の右損害額の六分の一に相当する一一九万六五七〇円の賠償を求めることができる。

(三四) 弁護士費用について

損甲第一一号証の二四、第二六号証の三五、第二八号証の一四、第四〇号証の七及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告ら(ただし、番号12の(1)ないし(4)の各原告を除く。)及び飯嶋敬紀は、被告が本件災害による損害賠償債務の任意の弁済に応じなかったため、やむなく弁護士である原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の提起及び追行を委任し、本判決言渡後遅滞なく手数料及び報酬を支払う旨約したこと、番号12の(1)ないし(4)の各原告は飯嶋敬紀の右義務の八分の一ずつを、番号13の原告飯嶋俊枝は同人の右義務の二分の一をそれぞれ承継したことが認められる。そして、本件訴訟における事案の内容、訴訟遂行の難易度、認容額等諸般の事情に照らして考えると、本件災害と相当因果関係にある損害として原告らが被告に対して請求し得る弁護士費用は、別紙(二)認容金額一覧表③欄記載の各金員をもって相当と認める。

三  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告に対し、別紙(二)認容金額一覧表①欄記載の各金員及び内同表②欄記載の各金員に対する不法行為の日以降である昭和六〇年七月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官齋藤隆 裁判官杉山愼治 裁判官古田孝夫)

別紙(四)〈省略〉

別紙(六)〜(一二)〈省略〉

別紙(二)

認容金額一覧表

番号

原告

1

矢川三男

一八六三万二三〇四円

一六九三万九三〇四円

一六九万三〇〇〇円

2

北島善宏

一五六四万〇〇一二円

一四二一万九〇一二円

一四二万一〇〇〇円

3

新名よしえ

一〇〇七万八八五六円

九一六万二八五六円

九一万六〇〇〇円

4

松枝一幸

二〇一〇万三〇七七円

一八二七万六〇七七円

一八二万七〇〇〇円

5

野々村邦夫

一七七六万一三六五円

一六一四万七三六五円

一六一万四〇〇〇円

6

西澤政二

二三〇三万〇〇五三円

二〇九三万七〇五三円

二〇九万三〇〇〇円

7

小松次郎

一八五〇万二三六九円

一六八二万〇三六九円

一六八万二〇〇〇円

8

丸山隆志

二五一四万四八六九円

二二八五万九八六九円

二二八万五〇〇〇円

9

永野つね

一七二三万五四一一円

一五六六万九四一一円

一五六万六〇〇〇円

10

上原栄

一四五一万七五七五円

一三一九万八五七五円

一三一万九〇〇〇円

11

萩本親治

三八八八万一四五七円

三五三四万七四五七円

三五三万四〇〇〇円

12

の(1)

飯嶋晃

二六二万一二二二円

二三八万三二二二円

二三万八〇〇〇円

(2)

飯嶋純子

二六二万一二二二円

二三八万三二二二円

二三万八〇〇〇円

(3)

石澤妙子

二六二万一二二二円

二三八万三二二二円

二三万八〇〇〇円

(4)

竹田幸子

二六二万一二二二円

二三八万三二二二円

二三万八〇〇〇円

13

飯嶋俊枝

三九五七万〇七六五円

三五九七万三七六五円

三五九万七〇〇〇円

14

株式会社

経済情報センター

一七七七万〇五六二円

一六一五万五五六二円

一六一万五〇〇〇円

15

株式会社

飯島源左衛門

正行商店

七八二万九七〇〇円

七一一万八七〇〇円

七一万一〇〇〇円

16

株式会社

リンホフ・フォト

五〇三万〇一〇〇円

四五七万三一〇〇円

四五万七〇〇〇円

17

西脇博

九四一万四〇〇〇円

八五五万九〇〇〇円

八五万五〇〇〇円

18

筒井健雄

一七六〇万五八五九円

一六〇〇万五八五九円

一六〇万〇〇〇〇円

19

五味照夫

一六九七万三八四八円

一五四三万〇八四八円

一五四万三〇〇〇円

20

荒井伊佐男

一九二三万二五七五円

一七四八万四五七五円

一七四万八〇〇〇円

21

森川猛夫

一二五八万六八一六円

一一四四万二八一六円

一一四万四〇〇〇円

22

野口茂

一三〇八万五二五三円

一一八九万六二五三円

一一八万九〇〇〇円

23

内山卓郎

一三六三万八五八八円

一二三九万九五八八円

一二三万九〇〇〇円

24

竹内邦臣

一四三五万〇八九二円

一三〇四万六八九二円

一三〇万四〇〇〇円

25

中村善信

六四七万九〇七一円

五八九万〇〇七一円

五八万九〇〇〇円

26

中村寛

九〇三万二五六六円

八二一万一五六六円

八二万一〇〇〇円

27

腰野よしえ

一一〇三万六八二〇円

一〇〇三万三八二〇円

一〇〇万三〇〇〇円

28

中沢尤

一三七〇万一九六三円

一二四五万六九六三円

一二四万五〇〇〇円

29

小山菊彦

一〇五一万一八六四円

九五五万六八六四円

九五万五〇〇〇円

30

中村もと子

一一一七万〇〇八五円

一〇一五万五〇八五円

一〇一万五〇〇〇円

31

破産者岩崎則男

破産管財人

高井正直

一三四〇万五四四五円

一二一八万七四四五円

一二一万八〇〇〇円

32

和田要子

八三五万八七六一円

七五九万九七六一円

七五万九〇〇〇円

33

和田美範

一三一万五五七〇円

一一九万六五七〇円

一一万九〇〇〇円

34

和田ユリ

一三一万五五七〇円

一一九万六五七〇円

一一万九〇〇〇円

35

和田康二朗

一三一万五五七〇円

一一九万六五七〇円

一一万九〇〇〇円

別紙(三)

請求金額一覧表

番号

原告

(イ)

(ロ)

(ハ)

1

矢川三男

三七三八万二九五〇円

三三九八万四五九〇円

三三九万八〇〇〇円

2

北島善宏

三七四二万四〇九七円

三四〇二万二〇九七円

三四〇万二〇〇〇円

3

新名よしえ

二二八二万三〇一四円

二〇七四万九〇一四円

二〇七万四〇〇〇円

4

松枝一幸

四六〇〇万六三九二円

四一八二万四三九二円

四一八万二〇〇〇円

5

野々村邦夫

三四七六万三三五一円

三一六〇万三三五一円

三一六万〇〇〇〇円

6

西澤政二

四〇七九万九八三七円

三七〇九万〇八三七円

三七〇万九〇〇〇円

7

小松次郎

五七一八万六八八六円

五一九八万八八八六円

五一九万八〇〇〇円

8

丸山隆志

七九九五万三八二六円

七二六八万五八二六円

七二六万八〇〇〇円

9

永野つね

三四〇五万八〇〇〇円

三〇九六万二〇〇〇円

三〇九万六〇〇〇円

10

上原栄

三一四二万二六〇八円

二八五六万六六〇八円

二八五万六〇〇〇円

11

萩本親治

五七九七万〇七八七円

五二七〇万〇七八七円

五二七万〇〇〇〇円

12

の(1)

飯嶋晃

六〇九万九九三七円

五五四万五四三七円

五五万四五〇〇円

(2)

飯嶋純子

六〇九万九九三七円

五五四万五四三七円

五五万四五〇〇円

(3)

石澤妙子

六〇九万九九三七円

五五四万五四三七円

五五万四五〇〇円

(4)

竹田幸子

六〇九万九九三七円

五五四万五四三七円

五五万四五〇〇円

13

飯嶋俊枝

六五九四万九四九八円

五九九五万四四九八円

五九九万五〇〇〇円

14

株式会社

経済情報センター

一九六一万六三四六円

一七八三万三三四六円

一七八万三〇〇〇円

15

株式会社

飯島源左衛門

正行商店

一一四二万二〇〇〇円

一〇三八万四〇〇〇円

一〇三万八〇〇〇円

16

株式会社

リンホフ・フォト

一〇〇六万〇二〇〇円

九一四万六二〇〇円

九一万四〇〇〇円

17

西脇博

一六一四万八〇〇〇円

一四六八万〇〇〇〇円

一四六万八〇〇〇円

18

筒井健雄

四三二六万四五四二円

三九三三万一五四二円

三九三万三〇〇〇円

19

五味照夫

三九七四万一七一七円

三六一二万九七一七円

三六一万二〇〇〇円

20

荒井伊佐男

四〇七五万八〇一六円

三七〇五万三〇一六円

三七〇万五〇〇〇円

21

森川猛夫

二八四四万九五一六円

二五八六万三五一六円

二五八万六〇〇〇円

22

野口茂

三五五八万八六六一円

三二三五万三六六一円

三二三万五〇〇〇円

23

内山卓郎

三二三四万九八〇七円

二九四〇万九八〇七円

二九四万〇〇〇〇円

24

竹内邦臣

三四八四万一六九八円

三一六七万四六九八円

三一六万七〇〇〇円

25

中村善信

一一七四万九一六八円

一〇六八万一一六八円

一〇六万八〇〇〇円

26

中村寛

二五七一万二九五二円

二三三七万五九五二円

二三三万七〇〇〇円

27

腰野よしえ

二七七九万八一六七円

二五二七万一一六七円

二五二万七〇〇〇円

28

中沢尤

二五四一万六六二六円

二三一〇万六六二六円

二三一万〇〇〇〇円

29

小山菊彦

一九二三万〇〇一一円

一七四八万二〇一一円

一七四万八〇〇〇円

30

中村もと子

二〇八五万七六七九円

一八九六万一六七九円

一八九万六〇〇〇円

31

破産者

岩崎則男破産管財人

高井正直

二一四五万二七八五円

一九五〇万二七八五円

一九五万〇〇〇〇円

32

和田要子

二二〇六万〇五九四円

二〇〇五万五五九四円

二〇〇万五〇〇〇円

33

和田美範

四四七万四三七九円

四〇六万八三七九円

四〇万六〇〇〇円

34

和田ユリ

四四七万四三七九円

四〇六万八三七九円

四〇万六〇〇〇円

35

和田康二朗

四四七万四三七九円

四〇六万八三七九円

四〇万六〇〇〇円

別紙(五)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com