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青森地方裁判所 昭和23年(行)16号 判決

原告

佐藤源一郞

被告

堀越村農地委員会

主文

被告が昭和二十二年十月六日自作農創設措置法により靑森県中津郡堀越村大字堀越字柳田三十八番地田一段四畝十三歩、同上五十二番地田一畝二歩、同上百五十八番地田二段七畝十五歩についてした買收計画決定はこれを取消す。

訴訟費用は各自弁とする。

請求の趣旨

主文と同旨。

事実

原告訴訟代理人は、その請求の原因として、被告は主文第一項記載の由は昭和二十一年十一月二十三日現在岩間良輔において原告から賃借小作していたことを理由に昭和二十二年十月六日自作農創設特別措置によりこれを目的として買收計画を樹立した。しかし原告は昭和十二年八月長男〓策が応召し営農上手不足を生じたので同月十五日親族岩間良吉に期間同日より〓策が兵務解除帰還するまで、賃料中等玄米取上相当額、その弁済期毎年十二月三十一日と定めて貸與引渡した。爾來良吉がこれを占有耕作していたが、昭和十四年四月二十五日〓策が兵務解除により帰還したから右土地返還期限は到來した。しかし当時〓策は軍務に從事中受けた難治の負傷はまだ癒えず又、その頃から昭和十八年までの間に原告の同居家族中稼働能力を具有する男子三名が出征孫三名が応徴何れも相亞いで家を離れたため、原告は余儀なく良吉のため右明渡期限をこれらの家族が帰還するまでに延長した。ところで良吉は昭和二十年一月死亡しその長男岩間淸武がその家督を相続すると共に右小作権をも承継したが同月中旬その叔父(良吉の実弟)岩間良輔に原告の承諾の下に賃貸借の内容と同一條件で転貸引渡した。然るに終戰後昭和二十年八月下旬から同年九月上旬までの間に前記出征、応徴家族が続々帰還し、原告の同居家族は十七名(原告夫婦、長男夫婦、子女三人、孫八人、甥二人、内農耕能力者六人)に增加し田一町二段七畝、林檎畑四段五畝、平畑一反を自作しているだけでは到底この大家族は糊口を凌ぐことができなかつたし他方又〓策も負傷の全治により稼働能力を回復したので原告は同年九月上旬から屡淸武及び同人の通訳により良輔に事情を愬え右小作地の返還を求めたところ竟に同年十月十五日両名は快諾の上、原告にこれを引渡しよつて以つて同日合意解約が成立し原状回復義務の履行が完了した。爾來原告は今日まで右土地を占有耕作している。從つて昭和二十年十一月二十三日良輔がまだ右田を占有耕作していたことを唯一の理由とする右買收計画は違法であるから原告は昭和二十二年十月八日被告に右事情を具陳して異議の申立をしたところその頃棄却の裁定を受けた。そこで更に同年十二月十二日同一理由を以つて靑森県農地委員会に訴願したところ昭和二十三年三月三十一日これ又棄却の裁定を受けた。

しかし本件計画決定及びこれを是認する右裁定及び裁決は固より総て違法であるから拔本的是正として右計画決定の取消を求めるため本訴に及ぶと陳述し被告の本案抗弁事実を否認し仮りに良輔が被告主張のように良輔の小作田全部を取上げられる運命に陷つても同人は原告の親族であり又齡既に四十六、〓唖の独身者でもあるから原告は同人を引取り扶養加護する等の用意がある。よつて被告の抗弁は杞憂に過ぎないと陳述し証た。(立証省略)

被告訴訟代理人は先づ本案前の抗弁として本訴はこれを却下するとの判決を求めその理由として原告は当初靑森県農地委員会を被告とし、同委員会において昭和二十三年三月三十一日堀越村農地委員会が昭和二十二年十月六日本件田につき自作農創設特別措置法によりした買收計画決定を是認した裁決の取消を求めながらその後堀越村農地委員会を被告として右買收計画決定の取消を求めるは被告転換の適否は暫く措き請求の基礎を変更するもので不適法であるから須らく却下しなければならないと陳述し本案につき請求棄却の判決を求め答弁として原告主張のような農地買收計画決定、異議の申立、その棄却の裁定、訴願、その棄却の裁決及び原告が昭和二十一年一月一日岩間良輔から賃貸借の解約により本件田の引渡を受け爾來今日までこれを占有耕作して來たことはこれを認めるが爾余の事実は全部これを否認する。

原告は昭和二十一年一月一日、(イ)訴外相馬武義から原告所有、武義が原告から賃借耕作中の田二段九畝歩又、(ロ)訴外齊藤平太郞から原告所有、平太郞が原告から賃借耕作中の田一段歩を何れも賃貸借の合意解約により取上げ直ちにこれを良輔に賃料取引上相当金額その弁済期毎年十二月三十一日期間不定と定めて貸與引渡した。しかし原告と良輔、武義、平太郞との間の前敍合意解約は所轄靑森県知事の許可を欠如し法律上当然無効であるのみならず被告は昭和二十二年十月六日自作農創設特別措置法により右各田は昭和二十年十一月二十三日現在夫々右三名においてこれを賃借小作していたことを理由としこれを各該当小作人に売渡す目的で買收計画を樹立したから、今若し原告の主張を正当とすれば良輔は竟にその小作地を全部取上げられ忽ち路頭に迷うに至るであろう。これでは農地の公平な再分配及び営農能力者の保護を目的とする斯法の精神に背戻するから原告の本訴請求に応ずることができないと陳述した。(立証省略)

理由

よつて先づ請求の基礎変更の抗弁の適否につき按ずるに原告は本件口頭弁論において當初靑森県農地委員会を被告とし、同委員会が昭和二十三年三月三十一日「堀越村農地委員会において昭和二十二年十月六日原告主張の田につき自作農創設特別借置法によりした買收計画決定」を是認した裁決の取消を求めながらその後堀越村農地委員会を被告として右買收計画決定の取消を求めるは先づ被告を変更したことは明瞭ではあるが、右変更につき原告に故意又は重大な過失があつたとの点について原告の挙示援用にかかる全証拠及び一件記録によるもこれを認めるに足らず、却つて前記法律所定の行政処分の眞の当事者は何庁であるか即ち最も効率的訴訟を追行するには孰れの行政庁を被告とすべきかについては相当疑義があり。又同一目的を追う一連の行政処分中どの処分を何庁を相手に、どんな方法で攻撃すれば自己の主張を維持実現するに最も恰当であるかは斯道の專門家でも容易に会得することが困難な事情にあるから他に格段の事情がない限り單に叙上のように訴訟の進行中被告を転換したというだけでは固より原告の故意又は重大な過失に出たものと断ずることはできない。

次に叙上二個の請求は成程文字自体は殆んど相異し、一見全然別異の請求で請求の基礎に変更があるようだがしかし一方の請求に基く訴訟の判決が確定すればその拘束力が他方の行政処分にも及ぶことは行政事件訴訟特別法第十二條の解釈上殆んど疑のないところであり右二個の請求はいわば同一基体の両頭に過ぎず一頭を滅却すれば当然爾余の基体全体從つて亦他頭も死滅し、ここに全手続は挙げて当初に遡及して無効に帰する関係にありかような場合は固より請求の基礎に毫末も変更を來すものではないから、被告の抗弁は相立たない。

よつて進んで本案請求の当否につき稽えるに原告主張のような農地買收計画決定、異議の申立、その棄却の裁定、訴願、その棄却の裁決があつたことは当事者間に爭がなく、又証人岩間淸武、佐藤〓策(以上各第一、二回)岩間良輔の各供述に証人斎藤潔の供述の一部を参酌綜合すれば原告は昭和十二年八月長男佐藤〓策が応召し営農上手不足を生じたため、同月十五日頃親族岩間良吉に期間同日から〓策が軍務解除帰還するまで、賃科中等玄米取引上相当額、その弁済期毎年十二月三十一日と定めて貸与引渡したこと、爾來良吉においてこれを占有耕作していたところ昭和十四年四月二十五日〓策が兵務解除により帰還し、右土地返還期限か到來したが当時〓策は前線で受けた難治の創傷まだ癒えず、なおその頃から昭和十八年までの間同居の家族中稼働能力を具有する子孫六名が相次いで出征又は応徴、努力の不足を來したため、原告は余儀なく、良吉のため、右明渡期限をこれらの家族が帰還するまでに延長したこと。良吉は昭和二十一年一月死亡しその長男岩間淸武がその家督を相続すると共に右小作権をも承継したが同月中旬その叔父(良吉の実弟)岩間良輔に原告の承諾を得て賃貸借の内容と同一條件で転貸引渡したと、然るに終戰後昭和二十年八月下旬から同年九月上旬までの間に前記出征、応徴家族が相亞いで帰還し原告の同居家族は十七名内農耕能力者六名(〓策を除く)に增加し田一町二段七畝、林檎畑四段五畝、平畑一段を自作しているだけでは大家族の糊口を凌ぐに容易な業ではなく他方〓策も亦、創傷の快癒により稼働能力を回復したため、原告は同年九月上旬から屡、淸武及び同人の通訳により良輔に事情を愬え右小作地の返還を求めたところ、竟に同年十月十五日両名はこれに応諾原告に右土地を引渡し爾來原告は今日に至るまで平穩公明に右土地を占有耕作して來たことを肯認するに足る。被告は右合意解約及び引渡の日時は昭和二十一年一月一日以後である旨主張し証人斉藤篤意、斎藤潔は何れも稍これに符合するような口吻を漏らすけれども該各供述は前掲各証拠に照らし到底そのまま首肯し難くその他斎藤專次郞、相馬武義の各供述を以つてしても右認定を覆し被告主張事実を推認するに足りない。

思うに既に昭和二十年十一月二十三日現在右土地の占有耕作者が原告であり良輔でなかつたことが前認定のようである以上、右土地が同法第三條により買收することができる事に実つき何等主張及び立証がない本件においては良輔が同日現在右土地を小作していたことを前提とする本件買收計画決定は既にその前提において違法であり到底取消を免れない。

(なほ仮りに被告主張のように原告と淸武、良輔との間の小作契約の合意解約及び土地の返還が昭和二十一年一月一日であつたとしても当時まだかような合意解約につき、行政庁の許可を要する趣旨の法規が一も無かつたことは洵に当裁判所に顯著な事実であるから右許可を受けずしてした右解約從つて又これに伴う原状回復義務の履行としての土地の引渡返還も毫も違法ではなく、ただ同法第六條の二、第六條の五の規定により所謂基準日遡及買收の計画を樹立することができるかどうかの問題は殘るだけである。ところで既に前段説示のように、原告が多数の営農能力者の出征、応徴等のため多年自作して來た稻田の耕作を継続することができず、余儀なく一親族に返還期限をこれら家族の帰還するまでと定めて一時貸与引渡した場合においてその後これらの家族が全部帰還し右期限が到來し、且原告は、妻子孫眷族十七名を擁し一町数段歩の自作地だけでは到底全家族の糊口を凌ぎ得ず已むを得ず賃借人に右土地の返還を要求したような場合において、賃借人において事情は兎もあれこれをしも拒否するは同法第六條の二第二項第六條の五第二項第五條第六号同法施行令第七條の律意に牴触し、信義に反することは贅言を俟つまでもないであろう。なお同人は昭和二十一年一月一日頃原告より原告がこれより曩、相馬武義、斎藤平太郞から小作契約の合意解約により引渡を受けた原告所有の稻田三反九畝歩を、賃料取引上相当金額毎年十二月三十一日拂、期間不定と定めて賃借引渡を受け現在これを占有耕作中であることは証人相馬武義、斎藤平太郞の各供述を綜合してこれを認めることができるから良輔において本件稻田を原告に返還しても右代り田により営農を維持するに事欠かないから本件土地を原告に返還したからとて毫もその生活に脅威を感ずる心配はなく加之、証人岩間淸武、佐藤〓策(各第一、二回)の各供述を綜合すれば良輔は原告の一親族であり又当四十六才の〓唖の独身者でもある関係上日常兎角原告の加護補佐を受けつつあり、他日自己の小作地全部を喪失するような運命に陷つても原告は同人を引取り養輔扶助する労を惜しまない誠意と用意とがあることを認めることができるから本件土地を良輔から取上げ原告に保有自作させても必しも良輔を遇するに酷に失せず良輔が良輔なりにその眞に同情すべき人生行路否余生を齷齪、否樂しむに毫も差し障りはないであろう。他面又良輔が右新小作地を失わず結局、武義、平太郞のみが小作地計三反九畝歩を手放さなければならない運命に立至つたとしても同人等はなお他に小作地等相当反別を保有し、営農に努力すれば必ずしも生計に事欠かず所謂「大農たらざるを憂えず精農たらざるを喞つ」状態にあることは証人斎藤篤意、相馬武義、斎藤專次郞の各供述に本件口頭弁論の全旨趣を加味考量してこれを推認するに余りがあるから本件土地を原告に保有自作させても竟に殆んど農地の公平な再分配を主眼とする斯法の精神を沒却するものと断ずることはできないであろう。)

よつて原告の本訴請求を正当として認容すべきである。

最後に訴訟費用の負担につき一考するに、一般に訴訟費用は敗訴の当事者にこれを負担させるのは本則ではあるが本件農地買收計画のように、画期的新法の下急速に取り運ばねばならない行政処分においてその運営の実体及び技術に未経驗な農地委員会が時に不知不識の間に若干の過誤を犯すは数の免れない所であり、その過責は固より全部これを不問に付することができないにしてもその間又自ら一掬の宥恕赦免の情もなければならないから行政事件訴訟特例法第一條民事訴訟法第九十二條の趣意に則り主文のように判決する。(ただ本件訴訟費用中原告と前被告靑森県農地委員会との間に生じた部分は原告が前叙のように本件訴訟の進行中被告を適法に変更したため、行政事件訴訟特例法第七條により前訴は取下げられたものと看做される結果、裁判所が同法第一條民事訴訟法第百四條により当事者の申立を俟ち決定を以つてその額及び負担者を定むべきであろう。)

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