大判例

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高知地方裁判所 昭和32年(わ)59号 判決

被告人 黒岩勇一

主文

被告人を禁錮一年六月に処する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人の業務

被告人は、乙種二等航海士の資格を有する船員であるが、昭和二九年六月頃高知県安芸郡室戸町の室戸汽船株式会社に雇われ、爾来同会社所有の鋼船太平丸(総トン数一九二トン一四)に船長として乗組み、室戸町、阪神間の定期貨客輸送に従事し、同船の運航全般を指揮していたものである。

第二、出航の状況

昭和三一年四月一九日朝、上海付近に低気圧が発生し、しだいに発達しながら毎時七〇キロの超速度で東北東に進み、午后三時には済州島東に達して中心示度は九九四ミリバールに発達し、午后六時頃福岡の北を経て、午后九時には岡山付近に達した。

この低気圧の状況について、N・H・K東京中央放送局は同日午後四時の全国気象通報の時間に、正午現在として「東支那海北部の北緯三三度東径一二六度には九九六ミリバールの低気圧があつて東北東に進んでいるもようです。明日は日本海に抜ける見こみで、本邦近海は今晩から明日にかけて南寄りの風がしだいに強まりますから、船舶は十分御注意下さい。」と放送し、又高知測候所は、同日午後二時三〇分高知県下に「東支那海の低気圧が東北東に進行しているので、今晩頃から県下全般に風雨が強くなり、南寄りの風が、陸上では一〇ないし一五メートル、海上では一五ないし二〇メートルに達し、風波が高くなるから小船は十分注意を要する」旨の風雨注意報を発令し、N・H・K高知放送局は、右注意報を同日午后三時五分頃、同五時一三分頃及び同七時一〇分頃の三回に放送し、さらに室戸測候所は、右注意報を同日午后四時頃までに官公署、漁業組合等二十数ヶ所に電話連絡した。

右低気圧の接近に伴い、同日室戸町付近では午后三時頃から低気圧の北方通過に伴つて発生する南東突風(俗称シラ)の前兆として、南寄り低空をちぎれ雲が速い速度で走り始め海上では潮が沖に向つて流れ出し、白波が立ち、瀬の音も底鳴りがしてき、午后五時半頃には雨となつた。風も午后五時頃から南東に変つてしだいに強まり、雲形は午后七時には変層雲と乱層雲になり、気圧は午后五時約一〇〇四・七ミリバールのものが同七時には一〇〇六・九ミリバールと異常に下降しつつあつた。

被告人は、同日午后四時半頃太平丸に乗船して出航の準備に当り、午后六時五五分乗客中村武士外一〇名を乗船させると共に木材、促成野菜等約一〇〇トンを積載して、室戸港より阪神方面に向けて前記気象状況下に出航したが、出航后も気圧はいぜん下降を続け、風雨もしだいに強まつて、船体は動揺し、飛まつは甲板上に打ち揚げるようになり、同日午后七時三〇分頃室戸岬南方約二海里の海上に差しかかつた際は、風速一三メートル以上の南東風が吹きつのり、船体が潮目に入つて船首より波浪をすくい揚げ、上甲板に著しい侵水を見るようになつた。

第三、出航及び航行に際しての安全確保の業務上の注意義務

もともと太平丸は、構造上、舷しよう(ブルワーク)が低いため上甲板上に波が打ちこみやすいのみならず、舷しようの放水口(ウォツシュポート)は左舷に二個、右舷に一個でその排水能力は左舷に比し右舷は三分の一に足りないので、荒天の際波を受けて上甲板上に海水がたまるときは、船体は平衡を失つて右舷に傾き転覆する危険を多分に持つていた。

しかも太平丸の航行する室戸岬沖は、岬の突出した地形並びに岬沖の複雑な潮流のため、他の海面に比して波浪が高く又潮目(異水塊の接触面)も形成されやすく、さらに低気圧の北方通過に伴う風向きの変化のため三角波がおこるなど船舶の航行に支障を来たしやすい水域であつた。

そうして被告人は、同日午后四時に肩書自宅で、N・H・K東京中央放送局午后四時放送の前記気象通報を聴取していたものである。

いやしくも船長として船舶の運航全般を指揮する被告人はこのように天候悪化が十分予測される場合、しかも右のように構造上欠陥を有する船舶で室戸岬沖の危険水域を航行しようとするには、先ず、発航に際し、(一)その後のラジオによる気象通報を聴きもらさないように努むるはもちろん、最寄りの測候所にも問合わせ、かつ船内備付の気圧計を観測して気圧の変化推移に意を用いるほか、船員としての経験観察に基き風向、風速、雲形、波浪、潮流、潮音等に注意するなどあらゆる方法により気象に関する最新の資料をえて発航の可否を判断し、(二)上甲板に波を受けた際の排水を考慮に入れ舷しようの放水口の蓋を開くなど航海の安全を期するに必要な準備をし、次で(三)出航后も常に風速、風向、波浪等の状況に細心の注意を払い、危険な状態に立ちいたつたときは、直ちに引返す方途を講じ、もつて航海の安全を確保すべき業務上の注意義務を有する。

第四、被告人が業務上の注意義務をかい怠したこと

しかるに被告人は、不注意にも右気象放送に基く低気圧の位置、速度、方向発達程度についての測定を怠り、室戸岬付近では右低気圧の影響は大したことはなく、仮りに影響があつてもそれまでには大阪湾に逃げこむか、最悪の場合にも最寄りの甲浦港に寄港できるものと速断したため、その後ラジオ放送を聴取せず、かつ最寄りの室戸測候所に対しても気象の照会をしなかつたので、高知測候所発表の前記風雨注意報を聴取することができず、又船内備付の気圧計が異常な下降を示しつつあつたのにこれを観測しなかつたので、低気圧が急速に接近しつつあることに気づかず、又同日午后三時頃から前記のようにシラの前触れを示す種々の徴候が見られたのにこれにも意を用いなかつた結果、運航に危険の予想される気象の変化を察知せず、船体が危険におちいる事態が発生することはないものと軽信し、かつ出航前の船内点検をおろそかにしたため、右舷舷しようの放水口の内蓋が閉められたままにされていることに気づかず、これを放置したまま出航した。しかも出航后においては、風速はしだいに増大し、船体は波浪にほんろうされ、航海の継続は極めて危険な状態に立ちいたつたのに、転覆の危険はないものと軽信し、途中より引返して船体、乗員等の安全を計ることに思いをいたさず漫然航海を続けた。

第五、太平丸の転覆と乗員の溺死

被告人が以上の業務上の注意義務をかい怠し、適切な措置を採ることなく、その結果前記のように漫然航行を続け室戸岬南方約二海里の海上付近で、南東に転針したところ、南東の風が疾強風となり、船体が潮目に入つて船首より波浪を引続きすくいあげ、上甲板に著しく侵水してきたが、その際左舷放水口は解放されていたのに、右舷の放水口は閉鎖されていたため右舷の排水状態が悪くその結果船体は平衡を失つて右に傾き、その後も打ちつづく南東よりの波浪による海水の侵入で右舷しようが水面下に没ししだいに右舷に傾斜を深め、同日午後八時二〇分頃室戸岬北五九度東、一・五海里の海上で右舷後方より三角波の巨浪を浴びて遂に同船を沈没するに至らせ、よつて別表記載のとおり、乗客中村武士外七名乗組員山下広美外七名合計一六名をその頃溺死させたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)太平丸は従前定期検査にも合格しており構造上の欠陥は全くない、(二)事故当時の気象の変化は極めて異常なものであつて、被告人があらゆる手段方法を用いて気象状況を判断したとしても、これを予測することは不可能であつた、(四)仮りに本件事故が被告人の過失によつて生じたとしても、被告人の属する室戸汽船株式会社は、主として高知県芸東地区の促成野菜の迅速な運送を主たる目的としているため、鮮度の減退を恐れて欠航を好まず、ために被告人は使用人として会社の方針に従わざるをえなかつたのであるから、事故当日被告人が太平丸を出航させたことについてはいわゆる期待可能性がなかつたものであると主張するので、以下これらの点について判断する。

(一)  太平丸の構造上の欠陥について

第三回公判調書中、証人渡辺保寿の供述記載並びに同人の検察官に対する供述調書によれば、太平丸は昭和三〇年一〇月二九日の定期検査に合格はしているものの、右検査は、太平丸が三級船であつて構造に関する規制のないこと、又沿海区域のみを航行するので、まさかの場合には避難しやすいことなどを理由に、多少の欠陥を有していても、従前よりの惰性も加わつて漫然合格させてきたものであることが認められるのみならず、当時の検査官であつた右渡辺証人も太平丸が判示のような欠陥を有していたことはこれを認めているのであるから、右検査合格の一事をもつて、同船に構造上の欠陥がなかつたとは、とうてい言えない。判示各証拠によれば同船に前記のような欠陥があつたことを認めるに十分であるのみならず、被告人自身もその欠陥を知悉していたものであることがうかがわれる。

(二)  気象変化の予測可能性について

太平丸の事故当時の気象変化が異常に早かつたことは、判示各証拠によつても明らかであり、これは当日の低気圧の進行速度が極めて速かつたことに基因するものであるが、判示のとおり同日午後三時頃からシラの前兆があり、気圧も異常に下降し注意報も発令されていたのであるから、被告人が今少し注意してこれらの事実を見聞していたなら、気象変化の異常性について予測することが可能であつたものと言わねばならない。このことは当日太平丸に乗船しようとした林咲子ら数名の乗客が出航直前の風浪の状態から危険を感じて乗船を見合わせている事実(林咲子、山下菊野、安岡千代、中屋勝義の検察官に対する各供述調書)並びに同日太平丸の出航より三時間前に高知港より大阪に向けて発航した関西汽船株式会社所属の平和丸が、同日午後五時十分頃高知県香美郡赤岡町沖付近に差しかかつた際気圧の異常下降と雲行の状況等から危険を察知し、いち早く高知港に引き返している事実(同船船長大谷権二郎の検察官に対する供述調書)に徴しても明らかである。

(三)  期待可能性について

室戸汽船株式会社は、高知県芸東地方の促成野菜の運送をその最大の収入源の一つにしているものであるが、この野菜は積みこみ即日出航しなければ鮮度が落ち、大阪市場において二、三割の落値を見るため、欠航すれば荷主からの苦情も出て次の荷受に悪影響を及ぼしやすいので、出航予定日時の変更を極力好まない情況にあつたことは、証人島内晴馬の当公判廷における供述並びに関川正一郎、山下重喜の海上保安官に対する各供述調書により認められる。

従つて被告人が当日低気圧の接近しつつある中で、敢えて出航を決意した心理状態にこのような事情が多少作用したであろうことは否定できない(大場正雄の検察官に対する第一回供述調書)。しかし当裁判所の証人久保敏郎に対する尋問調書や被告人自身の検察官に対する供述調書によつても、従前会社側が出航に対し干渉した事実は一度もなく、一切を被告人の自主的決定に委せていたことが明らかであるので、右のような事情があるからといつて、本件の場合太平丸の出航並びに航行の継続につき、被告人にそれ以外の行為を期待することができなかつたものとはとうてい認めることができない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、業務上過失往来危険の点は刑法第一二九条第二項罰金等臨時措置法第二条第三条に、業務上過失致死の点は各刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条に各該当するが、以上は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条により犯情最も重いと認められる乗客一名に対する業務上過失致死罪の刑に従つて処断することとして、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮一年六月に処し、後記の情状を考慮し同法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、全部被告人に負担させる。

(量刑の事情)

本件太平丸の沈没は、要するに被告人が船長として予定航路の気象海象に対する調査並びに船体点検を怠つて漫然出航し出航後も気象等の変化に対する観察を怠り続航の危険を顧みず速かに引返す等の措置を講じなかつた業務上の過失によるものであつて、その結果一六名にのぼる尊い人命を失わせたことは誠に遺憾である。被告人が船長としての右注意義務を尽すことによつて、右惨事は容易に避けることができたことを考えるとき、被告人の刑責は甚だ重大であると言わねばならない。従つて当裁判所は、被告人に対し、禁錮刑を選択したうえ一年六月の刑を科したものであるが、他面本件事故は、異常気象がその主たる原因であつて、いわば天災であつたと言いうること、しかも気象変化の原因となつた低気圧の進行速度がこの季節では異常な超速度であつて、これが今少しく遅かつたなら或いは本件事故は発生していなかつたかもしれないこと、太平丸の構造上の欠陥自体については、被告人には直接の責任はないこと、又この欠陥の補正については、一応定期検査にも合格していた関係上、被告人よりは所属会社へ要求しにくかつたと思科されること、太平丸の出航を決意した被告人の心理状態に、前記のとおり促成野菜の迅速な運送という会社の方針が多少とも影響を及ぼしていたこと、被告人は過去三十数年の船員生活において、今回のような事故を一度も起こしておらず、他に前科もなく、年齢もすでに六三歳となり、しかも家庭には妻と中学一年の子供を抱え、一家の支柱として働かなければならない事情にあること、本件事故発生後、本裁判の結果を待つため予備員となつて航海に従事せずひたすら謹慎していること、被害者の遺族には会社から補償金等が交付され示談解決していること等々を考慮するときは、被告人に対して実刑を科することなくその執行を猶予するのを相当と認める。

よつて主文のとおり判決する。

(別表略)

(裁判官 呉屋愛永 隅田誠一 中川敏男)

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