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高知地方裁判所 昭和45年(ワ)576号 判決

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(甲事件)

1 被告檮原町は、原告中越巌に対し、金六七七万円及びこれに対する昭和四三年一二月五日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 原告中越巌と被告四万川区との間で、別紙(一)記載の保護交付金請求権が原告中越巌に帰属することを確認する。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

4 1につき仮執行宣言

(乙事件)

1 被告檮原町は、原告下元幸夫に対し、金一一二五万円及びこれに対する昭和四五年一〇月三日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 原告下元幸夫と被告四万川区との間で別紙(二)記載の保護交付金請求権が原告下元幸夫に帰属することを確認する。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

4 1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  当事者

(一) 原告中越は、高知県高岡郡檮原町上組所在の上組部落(以下「上組部落」という。)に居住する全世帯の各世帯主四名により、また、原告下元は、同町井高所在の井高部落(以下「井高部落」という。)に居住する全世帯の各世帯主二四名により、それぞれ選定され、これらの者の共同の利益のために選定当事者となっているものである。

(二) 被告檮原町(以下「被告町」という。但し、後記西津野村及び檮原村当時のことがらについても便宜上「被告町」ということがある。)は、明治二一年の旧町村制の制定に伴い、四万川村、越知面村、檮原村、初瀬村、松原村及び中平村の六か村を統合した西津野村が、その後、檮原村、檮原町と改称され、今日に至っている地方自治体である。

(三) 被告四万川区(以下「被告区」という。)は、右統合前の四万川村の区域であり、統合の結果、被告町の行政区域の一部となったが、その区域住民をもって団体を構成し、区長を公選して代表者とし、四万川区基本条例(以下「区条例」という。)に基づき、その区域内で自治行政を行っている権利能力なき社団である。

2  入会権の存在

上組部落及び井高部落は、いずれも被告区の一地域を占める部落であるが、原告ら及びその選定者の父祖等は、江戸時代から、上組部落では別紙(一)記載の、井高部落で同(二)記載の各土地(これらを合わせて以下「本件各土地」という。)を含む広大な山林を所有(総有)して、これらの土地を各部落有の入会林野とし、自家用の薪炭材、建築材、牛馬の飼料、屋根の敷葺等を採取したり、わらび、ぜんまい等を収穫してこれを売却し生活費の一部にあてたりして、利用してきた。

右入会林野の利用管理は、部落住民であれば、右産物を自由かつ平等に採取しうるものであること、各住民の権利の範囲は入会林野全域に平等に及び各住民ごとに区域を設けないこと、他部落住民の入会利用は一切認めないこと、部落を去った者は右権利を失ないその代償を請求し得ないが、新たに部落に入ったものについては旧住民と同等の権利を認め、差別を設けないこと並びに林野の利用管理及び処分等に関し重要な事項は部落世帯主の全員一致の議決により定めること等の慣習に基づき行われてきた共有の性質を有する入会権で、その態様からみれば、いわゆる個別的共同利用形態をとっていた。そして、こうした入会権の主体である上組部落及び井高部落は、実在的総合人の実体を有する共同体を構成していた。

3  保護交付金と入会権との関係

(一) 保護交付金の性質

明治に入っても、被告町内では、部落が所有権及び入会権を有する入会地が多数存在したが、被告町は、明治四〇年ころ、これらの入会地の所有権を被告町に無償で移転させ、町有地に統合する政策を遂行し、その結果、被告町の所有であるが、なお地元部落が入会権を有する統合町有地(当時は統合村有地。以下便宜上「統合町有地」という。)が誕生した。

これを上組部落及び井高部落についてみるのに、本件各土地については、明治四〇年七月二七日に同年三月八日寄付を原因として被告町(当時は西津野村)への所有権移転登記がなされている。もっとも、この登記は、同月九日被告区を所有者とする保存登記がなされたうえ、被告区から被告町へ移転したという形式でなされているが、その保存登記は被告町への移転登記をするための便法にすぎず、実体は、上組部落及び井高部落から被告町への所有権移転であった。

被告町は、大正九年の公有林野官行造林法(大正九年法律第七号)の施行に伴い、統合町有地に官行造林を実施する計画をたてたところ、これらの土地には地元部落民がなお前記入会権を有していたため、その計画の遂行につき部落民との間に紛議を生じたが、結局、大正一一年一〇月七日被告町の議会でなされた「官行造林収益配当ニ関スル議決」(以下「本件議決」という。)により、将来官行造林の伐採時に被告町が国から受け取るべき利益のうち二割五分を関係地元部落に配分する旨定めて解決し、右議決による配分を承諾した各部落の地域内の統合町有地につき、大正一二年一二月一五日国と官行造林契約を結んだのを最初として、順次官行造林を実施した。この利益配分を保護交付金と称するが、その本質は、官行造林の結果、地元部落が有する入会権が行使できなくなり、灌漑用水が冷えて作物の収穫が減少し、鳥獣が多数繁殖して作物に多大の損害を与え、更には造林地の火災予防又は消火活動等について地元部落民が保護義務を負担することになったことの代償ないしは対価の意味を有するものであった。

かくして、造林を承認した各部落は、これによって、将来官行造林の伐採時に国から被告町が受け取る立木代金の五割に当たる分収金のうち二割五分を保護交付金として受け取るべき権利を取得したが、その後、右割合は、被告町の規程又は条例により変遷し、昭和三三年四月一日施行の町有林野取扱条例(昭和三三年檮原村条例第七号。以下「本件条例」という。)をもって二割と定められ、現在に至っている。本件条例一五条二号は、右二割の交付先を「関係地元」と規定しているが、本件各土地については、その旧所有者である上組部落及び井高部落が右の関係地元に該当する。

(二) 官行造林の実施

上組部落及び井高部落の住民は、いずれも大正一一年ころ、入会林野に対する官行造林の実施を承諾し、これに伴い、被告町は、本件各土地につき、大正一二年一二月一五日国と官行造林契約を締結し、国は、これらの土地に造林を実施し、別紙(一)の地域の造林(昭和六年から七年にかけて実施)を官行造林第一五林班、第一六林班(以下「第一五、一六林班」という。)、同(二)の地域の造林(昭和七年から八年にかけて実施)を同第九林班、第一〇林班(以下「第九、一〇林班」という。)とそれぞれ呼称した。

なお、第一五、一六林班中、上組部落の入会権が存した部分は、別紙(三)の赤斜線部分であり、その余の同青斜線部分は中ノ川部落の入会権が存した部分であって、その面積の割合は、同赤斜線部分が59.5ヘクタール、同青斜線部分が36.2ヘクタールである。

4  保護交付金の存在

(一) 第一五、一六林班の国有林は、昭和四二年以降伐採され、被告町は、その代金一億〇九〇〇万円の五割に当たる五四五〇万円を分収金として国から受領した。また、被告町は、昭和四五年九月五日国との間で、第九、一〇林班の立木を一億一二五〇万円で買い受ける旨の契約を締結し、これによって右代金の五割に当たる五六二五万円を分収金として国から受領した。

(二) 従って、上組部落は、右第一五、一六林班の分収金中前記入会権を有する地域の割合(95.7分の59.5)を乗じたものの二割に当たる六七七万円(一万円未満切捨て)を、井高部落は、右第九、一〇林班の分収金の二割に当たる一一二五万円をそれぞれ保護交付金として受領する権利がある。

(三) ところが、被告町及び被告区は、本件条例所定の保護交付金の交付先である「関係地元」とは被告区を指すものであるとして、上組部落及び井高部落の右(二)の保護交付金の帰属を争っている。

5  本訴請求

よって、被告町に対し、原告中越は、金六七七万円及びこれに対する右請求権発生後である昭和四三年一二月五日以降支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告下元は、金一一二五万円及びこれに対する右請求権発生後である昭和四五年一〇月三日以降右同様の損害金の各支払を求めるとともに、被告区との間において、原告中越は、目録(一)記載の請求権が同原告に帰属することの、原告下元は、同(二)記載の請求権が同原告に帰属することの各確認を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び反論

1  認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 請求原因2のうち、上組部落及び井高部落が被告区の一地域を占めること並びにこれら部落の住民が統合町有地内でわらび、ぜんまい等を採取していたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 請求原因3について

(1) 同(一)のうち、被告町が明治四〇年ころ、地元所有地の無償譲渡を受け、統合町有地が成立したこと、本件各土地について原告ら主張のような登記がなされていること、大正九年に公有林野官行造林法が施行され、被告町が統合町有地に官行造林を実施する計画をたてたこと、本件議決がなされたこと及び被告町が統合町有地につき大正一二年一二月一五日国と官行造林契約を結んだのを最初として順次官行造林を実施したことは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同(二)前段のうち、上組部落及び井高部落の住民が入会林野に対する官行造林を承諾したことは否認し、その余の事実は認める。同後段の事実は否認する。

(四) 請求原因4(一)の事実は認める。同(二)の主張は争う。同(三)の事実は認める。

2  反論

(一) 被告町の成り立ち

明治二一年の旧町村制の実施により、明治初年津野山郷と呼ばれていた九か村のうち、檮原村、越知面村、四万川村、中平村、松原村及び初瀬村の六か村が統合し、西津野村が発足した。この西津野村が檮原村と改称し、更に被告町となり、今日に至っている。

ところで、発足時の西津野村は、村域が広大であったため、越知面、四万川及び松中(松原、中平)に区を定めて区長を置き行政事務を司らせた。被告区は、右の制度の廃止後も区名を存置し、今日に至るまで独立した活動をしている(但し、地方自治法上の財産区ではない。)。そして、区の行政事務、特に学校、橋梁、道路、消防など区域住民の福祉にかかる公共事業は、住民から選出された区会議員の議決によって執行され、その経費は、当初は区有財産による財産収入で、現在は、被告町からの交付金で支弁されている。

(二) 統合町有地

被告町の町有地は、その取得事情から、(1)国有地の払下げを受けたり、個人所有地を買い入れたりして取得した純町有地と、(2)部落又は旧町村制施行により西津野村に統合された旧村の所有林野を明治三九年寄付によって取得した統合町有地とに分けられる。

前記のように、西津野村が発足し、旧村を区として村行政の補助的地域単位としたのちも、前記旧村有林、部落有林の所有権は旧態のままであったが、日露戦争後から行われた部落有林野の整理統一事業政策により、西津野村でもこれら林野を村有に統一すべく村内有志が努力した結果、明治三九年、被告町(西津野村)は、寄付により区有林野及び部落有林野を取得し、ここに被告町の統合町有地が誕生した。

被告区においても、本件各土地を含め、もと旧四万川村所有の村有地は、西津野村成立後も、依然被告区所有(未登記)であったが、これにつき、原告ら主張のとおり、所有権保存登記をしたうえ、西津野村への所有権移転登記を行い、これを統合町有地とした。

(三) 保護交付金

(1) 被告町の保護交付金制度は、明治四一年一〇月制定の「村有造林規程」において、人工造林の管理費名下に伐採時取得金の二割五分を管理部落に交付することとしたこと及び大正二年二月の「部落有ニシテ村有ニ統一セル土地」についての規程において、天然林の保護区を各区として、保護費名下に伐採時取得金の八割を当該保護区に交付することとしたことに始まる。そして、本件議決により、保護交付金は条例上明定されたが、これは、官行造林による収益金の七割五分を村の収入とし、二割五分を林地所在の区に交付することを定めたものである。その後、昭和一五年二月二八日檮原村有林野施業規程、昭和三〇年九月一二日村有林野取扱条例及び本件条例と逐時改正がなされ、今日に至っているが、被告町は、これらの規程、条例に基づき、毎年施業計画をたてて町単独又は他の公共団体と共同の分収契約による造林事業を行い、これによって得られる収益の一定率を保護交付金として、関係区又は部落に交付してきた。

(2) こうした保護交付金制度は、当時荒廃していた町(村)有林に人工造林を行う際に、広く町(村)民の造林事業への参加を奨励し、造林の経営を確立して基盤の弱かった町(村)財政に資するために、いわば、右参加の報償として恩恵的に造林地から生ずる収益を村民に還元する、という趣旨のものであって、原告らの主張するような代償ないし対価の性格を有するものではない。

(3) 本件条例一五条二号によれば、統合町有地に対する保護交付金は「関係地元」に交付されるが、同条末尾のただし書で「関係地元とは統合町有地の旧持分所有者にして、区又は部落のいづれなりとも一括して総称する」と規定していることに照らせば、右関係地元とは、統合町有地の旧所有者を指し、本件では、被告区を指すと解すべきである。

(四) 上組部落及び井高部落の入会権の存否

(1) 統合町有地成立以前の使用状況

統合以前の統合町有地では、村民が屋根葺用萱、飼料、肥料用草、薪材などを採取していたが、人口が少なかったこと及び農業経営規模が小さかったことから、その全域に及ぶことはなく、集落の近辺の採取に便利な林野に限定されていた。そして、被告区内の統合町有地のほとんどは、高所及び急斜面に存在し、高い所では標高一三〇〇メートルを越えており、こうした集落から離れた交通不便な高所に住民が入り会っていたとは、到底考えられない。また、入山の時期、採取量、採取用具等の産物採取についての内部規制、すなわち、入会的規制は存在しなかった。

なお、檮原地方では、山地に野生するわらび、ぜんまい等は、昔から慣習として住民又は町外からの採取者が自由に町有林、私有林の別なく入山して採取してきており、これらについて何らの内部規制もないから、上組部落及び井高部落の住民が統合町有地内で自由にわらび、ぜんまい等を採取しても、原告ら主張の入会権存在の根拠とはならない。

従って、統合町有地成立前においても、原告ら主張の入会権は存在しなかった。

(2) 上組部落

現在の上組部落のうち、原告中越及びその選定者の居住する山の尾根の南側は、従前申田部落、右尾根の地域は従前名ノ谷部落と呼ばれ、いずれも中ノ川部落の一部に属していた。これらが明治十六、七年ころ中ノ川部落から分離したうえ統合してできたのが山々部落であり、これがその後上組部落と改称され、今日に至っているが、明治二一年の旧町村制施行当時の名称は山々であった。

ところで、第一五、一六林班は、すべて名ノ谷部落内にあるところ、その後、名ノ谷部落は住民が一人残らず死亡又は転出したため、消滅した。

右事実によれば、仮に原告中越の主張する入会権が存在したとしても、それは、名ノ谷部落の入会権であり、同部落住民が皆無となった以上、入会権は解体し、申田部落の住民が承継できるものではない。

(3) 井高部落

現在の井高部落は、明治二一年旧町村制発足当時は、井桑部落と高階野部落に分かれ、更に井桑は奥(上)井桑と下井桑とに分かれて集落が存在していた。

ところが、原告下元が入会権を主張する第九、一〇林班は、奥(上)井桑部落にあるから、仮に、右林野に入会権が存在するとしても、その利用主体は奥(上)井桑住民であり、高階野、下井桑の住民ではないから、これらを会わせた井高部落は入会権の主体とはなり得ない。

(五) 被告区の入会権

(1) 被告区は、区条例をもって、その構成員たる区民の資格及び区有財産の管理について規定している。

(2) 被告区は、次のとおり入会地及び入会集団構成員の管理をしてきた。

(イ) 明治四二年旧八月五日、「共有地宛付及地子徴集ノ件」、「神ノ山ニアル共有地ノ樹木売払ノ件」及び「杉植付地選定ノ件」を決議。

(ロ) 同年旧九月一四日、「釜ノ窪山植林床地整理ノ件」を決議。この釜ノ窪の植林については、区会がその後も、手入れ、立木売買、地え等につき、たびたび決議している。

(ハ) 明治四三年一二月五日、「山林火入ノ件」を協議。

(ニ) 明治四四年五月二五日、「森林火入法」につき決議したが、この中には「共有地火入ノ箇所堂宮ニ要スル茅、中ノ川、本モ谷、茶屋谷、神ノ山ニ関スル箇所ニテハ刈取ヲ為ス事ヲ得」との部分があり、区会の決議が四万川区全域の「共有地」に及んでいることが明らかである。

(ホ) 同年八月二一日、「公有地草刈場」について「入会関係調査表ニハ手数ヲハブキ入会関係ハ四万川住民ハ同一ニシテ壱表ヲ差シダシタレ共、葺草牛馬ノ飼草肥料ノ刈取リ火入防火線等ニ就テ古来ノ通リ変更セズ」と確認し、同時に「来春ノ植林地東(向)奥ノ字壱坪甲六百十三番山林四町五反三畝十歩ノ土地ト定ム」と決議して、四万川区会は字東向にある山林へ植林することを決めたが、これによっても、被告区が管理権を有することは明らかである。なお、東向奥の植林については、その後たびたび決議されている。

(ヘ) 明治四五年六月三〇日、「当区字下坪植林地刈明ケハ高夫ヲ以テ七月末日迄ニ執行スル事」と決議。

(ト) 大正二年一月二八月、「壱坪字ノ植林地火入件」と「当区内採草地火入」は区長へ託す旨決議。

(チ) 大正四年五月一〇日、「野原火災防禦ノ件」と「受持関係部落ニ於テ防禦スル事。若火災ノ都合ニヨリ関係部落ニ於テ防禦能サルト認ムル場合ハ便宜ノ部落へ通知スル事通知ヲ受シ部落ニ於テハ直ニ防禦ニ着手スル事」と決議。

(リ) 同年五月三日、村有地境界標杭建設について決議。

(ヌ) 同年八月二八日、村有地植林地の刈明について決議。

(ル) 同年一一月一〇日、火災罹災者に対する救援は、区内を東八部落と西七部落に二分し、東又は西の数部落単位で行うことを決議。また、大正九年三月八日、海津見神社の御神輿運搬につき区内全域の各部落に高夫を課す旨決議。

これらは、当時の生活共同体としての範囲が部落単位ではなく、被告区全域に及んでいたことの証拠である。その後、右決議に基づき、焼屋茅の出荷が東八部落及び西七部落単位で行われている。

(ヲ) 被告区自らが植林をし、請負又は高夫をもって中刈などを行い、かつ、植林委員を定め、日当を支出し、植林計画などに当たらせる事実が存在した。

(ワ) 大正八年九月二三日、「隠居トシテ他部落へ移住シ一戸ヲ立テ業ヲ営ムモノハ組長会ニ於テ戸口調査ノ如何ニ依リ決スル事」を決議し、区の構成員の把握につとめ、同月二九日の区会でも同趣旨の決議をしている。その他戸数の負担免除は、区会の決議によっている。

(カ) 採草地の火入許可願書の作成は区会において決議している。

(3) また、次のような事実もある。

(イ) 保護交付金は、長年にわたって、被告町が受領権者と認めた被告区に交付され、その使途は区会の議決に基づいて決定されているが、被告区では、これにつき、本件紛争に至るまではいずれの部落からも何ら異議がなく、同訴訟後も上組部落及び井高部落以外の部落からは異議がない。

(ロ) 被告町内でも、部落が統合町有地の旧所有者であった越知面区以外の区では、本件訴訟以外に部落が入会権の存在を主張した事実はない。

(ハ) 統合町有地の産物の処分については、被告町が被告区の同意を得て処分する慣習が存在する。

(4) これらの事実を総合すれば、仮に、原告らの主張するように、保護交付金が入会権の対価であるとしても、その入会主体は部落ではなく被告区であるから、その受領権者も被告区と解すべきである。

三  被告らの抗弁

1  入会権の放棄

檮原町内に点在する採草地は、統合時の議決を受けて、まず明治四五年に決定され、大正二年に村内有志大会で設けられたものであり、その採草地への出入り、収益の配分等は、指定された各部落の自主的運営に委ねられていた。右採草地の設定に当たっては、採草地以外の村有林は、天然造林地と定めてこれを各大字(旧村)単位で保護させることとし、保護報酬として各大字に対して伐採時取得金の一〇分の八を交付することとした。

元来、採草地の設定は、町(村)有財産の増殖と造林事業の奨励を目的としてなされたが、その結果、町(村)民の町(村)有林に対する使用収益行為は、採草地に限定され、それ以外の町(村)有林に対し使用収益行為はできなくなった。

従って、右設定時において、村民は、統合町有地に対する使用収益権を放棄すると同時に、採草地に対する使用収益権を所有者たる被告町に対する関係で明確にしたものであるから、仮に従前統合町有地内に入会権が存在していたとしても、それは放棄されたというべきである。

2  入会権の消滅

(一) 統合町有地は、その成立当初においては、旧所有者たる旧村及び部落がなお使用収益権を有していたため、地元民の旧慣による火入れが依然として行われたり、野火が延焼したりして荒廃するばかりで、村財政に益するところはなかった。

そこで、被告町(西津野村)では、明治四一年ころから統合町有地の造林計画をたて、徐々に造林を実行してきたが、これに関する最初の規程が明治四一年一〇月一二日制定の「村有造林規程」である。

これ以後、被告町は、町有林に対する規程、条例を順次整備して使用収益方法を定め、これらを完全に支配するようになった結果、住民の使用収益権は、採草地を除き、収奪され尽してしまった。

(二) 被告町の定めた規程、条例の変遷を年代順にみれば、次のとおりである。

(1) 明治三八年三月「学校戦勝記念造林規程」

(2) 明治四一年一〇月「村有造林規程」

この規程は、村有林に人工造林をするため、毎年杉檜の苗木を購入し、各区(旧村)に戸数別で配分して栽植保護をさせ、その報酬として伐採期に売却代金の四分の一を当該管理部落に交付する、というものである。この交付金は、保護交付金制度の先鞭であり、規程の趣旨からみて、植林撫育の管理費、報酬金としての性質を有する(入会権の放棄又は行使の停止の代償的性質を有するものではない。)。

(3) 明治四五年採草地の決定

これは、明治三九年の統合町有地成立の際の議決に基づくものであるが、その詳細は不明である。

(4) 大正二年二月「部落有ニシテ村有ニ統一セル土地」についての規程

これは、保護交付金制度を明文化した最初の規程であり、天然林の保護報酬として、旧所有者に収益を配分することを目的としたものである。

(5) 大正二年一月採草地の決定

その詳細は、抗弁1記載のとおりである。

(6) 大正四年に被告町は、採草地を含む村有林野の実測に着手し、大正六年にこれを完了した。

(7) 大正一〇年一〇月「村有林官行造林ニ関スル議決」

(8) 大正一一年一〇月本件議決

これによって、官行造林による収益の配分は、村七五パーセント、旧所有者二五パーセントと定められたが、これは、前記(4)の配分(旧所有者に八〇パーセント)とは対照的であり、保護交付金を入会停止の対価又は代償とみるのであれば、このように天然林と官行造林とで配分率を異にする理由は到底説明できない。

(9) 大正一二年一二月に被告町は、高知大林区署との間で「公有林野官行造林契約」を締結した。これが最初の官行造林である。

(10) 大正一三年二月「檮原村公有林野官行造林地ノ保護及ビ産物ノ採取ニ関スル規則」

この規則により、村民の官行造林地内における下草落葉及び落枝の採取は、期間及び器具を制限されることとなった。また、入山する者は村長の入山鑑札を受けてこれを携行しなければならなくなり、立木手入のため除伐した枝等を採取するにも村長の許可が必要となった。

この規則によって、仮に、原告ら主張の入会権が存在していたとしても、入会権者が自主的に規制すべき事項は、すべて被告町の規則によって定められ、以後村民の異議もなく、ここに被告町の完全な管理下に置かれることになった。

(11) 大正一三年二月「官行造林地看守人職務規程」

(12) 昭和一五年二月「檮原村有林野施業規程」

この規程では、貸地料の決定に際してのみ、関係区又は部落(旧所有者)代表者と被告町とが合議できるとされたが、右代表者の意見も村長が賃貸料を決定するための参考意見にすぎない。また、右規程では、収益の配分率を造林主体等によって差異をつけ詳細に決めているが、右決定の際、原告らのいう入会権者との協議の事実を裏付ける証拠はない。

(13) 昭和三〇年九月「村有林野取扱条例」

この条例は、右(12)を改正し、主に配分率を被告町に多くしたものであり、ここに初めて従来の「分収」が「保護交付金」と称されている。また、従来「区」、「部落」、「関係区又は部落」と表現されていたものが「関係地元」と表現されている。

(14) 昭和三三年三月本件条例

この条例は、統合町有地の天然萠芽林の町への配分が三〇パーセントから五〇パーセントへ引き上げられている他、保護義務の内容が詳細に定めているが、町民の山林への立入り、産物採取の制限については何ら触れていない。これは、被告町の山林に対する完全な支配権が確立され、被告町の許可なく立入り又は産物採取のできないことが自明となったからである。

(15) 同月「町有林野官行造林地看守人服労規程」

(16) 昭和三五年六月「村有林野取扱条例一部改正条例」

この条例では、採草地からの収益の配分を受ける者を当該採草地利用の部落(入会集団)と明記したが、採草地について入会権の存在することは被告らも認めており、当然の事柄を規定したものである。

(三) 右(二)の規程及び条例等の実施に伴い、被告町では現実に次のような事実があった。

(1) 被告町は、檮原村当時から官行造林看守人に看守手当を支払ってきている。

(2) 統合町有地のしいたけ原木材薪伐等の採取は、希望町(村)民から旧所有者である区の区長に申し出て、被告町から区に払渡をしたうえ、区から当該住民に売り渡す慣行が確立している。

(3) 被告町所有の立木売却に当たっては、被告町自ら現況調査人を雇って適正価額を算定させている。

(4) 前記採草地の決定(大正二年)以後、農業に必要な萱、飼料、木材等の需要はすべて採草地からの採取で十分であったので、その不足を唱え、統合町有地に対する権利を主張する住民は全くなかった。そして、化学肥料への依存、屋根瓦の普及、牛馬に代る耕運機の普及その他農業形態の変化に伴い、昭和三五年ころには採草地でさえ、草も刈られず、放置されていた。

(5) 被告町は、前記規程、条例に基づき、過去数十年間にわたり旧所有者へ保護交付金を支払ってきたが、本件訴訟まで誰からも異議なく承認されてきた。そして、条例上使途は公共事業に限定されており、現実にも公共事業のためにのみ支出されてきた。

(四) このように、被告町は、西津野村時代から規程、条例を順次整備し、これに基づいて町有林の使用収益方法を定め、原告らを含む住民も異議なくこの方法に従って右土地の使用収益をなしてきているから、このような事情の下では、遅くとも、本件条例の制定された昭和三三年ころまでには、原告らの主張する入会権は、解体消滅している。

四  抗弁に対する原告らの認否

1  被告らの抗弁1は争う。

2  被告らの抗弁2のうち、被告ら主張の年月日に被告ら主張の規程、条例が制定されたことは認め、その余は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1並びに同4(一)及び(三)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二1  〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、〈証拠判断略〉

(一)  檮原町は、明治二一年の旧町村制の実施により、明治初年津野山郷と呼ばれていた九か村のうち、檮原村、越知面村、四万川村、中平村、松原村及び初瀬村の六か村が統合されてできた西津野村がその前身である(この点は、当事者間に争いがない。)。そして、この西津野村が明治四五年に檮原村と改称され、更に、昭和四一年に町制を施行して現在に至っている。

ところで、発足当時の西津野村は、広大な面積を有していたため、旧檮原村内に置かれた村役場から遠い越知面、四万川及び松中(松原及び中平)の各地域には区を設置し、諸税の徴収、区内公共事業の実施等の村の行政事務の補助を執り行わせることとした。そして、各区では、代表者である区長及び区内の住民の代表者である区会議員を選出して、事務を執行した。その後、旧檮原村(東区と西区とに分けられた)及び旧初瀬村にも区が設置され、今日に至っているが、これらの区は、いずれも地方自治法上の財産区を構成していない。

被告区は、被告町の北西部を占める旧四万川村域を範囲とし、発足当時は、六丁部落を中心に合計一五の部落(東向、富永、下組、東川、中ノ川、本モ谷、茶屋谷、高階野、井桑、坪ノ田、分丸、神ノ山、山々、坂元川及び六丁)から成り立っていた。その後、山々部落が上組部落と改称し、井桑部落と高階野部落とが統合して井高部落となったほかは、部落に変化はなく、今日に至っている。被告区では、区内の財政、区民の権利義務等の区行政の基本を定めるために区条例(昭和四三年一月区会で議決)を制定している(この点は、当事者間に争いがない。)が、その制定以前から、各部落の代表者等によって構成された議決機関である区会において、区全体の行事を定めるほか、各部落を取りまとめ、又は部落間の利害を調整してきた。しかし、本件訴訟を契機に、原告下元及びその選定者の居住する井高部落は、被告区を一方的に脱退し、現在に至っている。

(二)  被告町は、その約九割を山林が占めるが、これら山林は、地租改正以前は、特に所有関係も意識されず、部落(旧幕時代には、「組」と呼ばれていた。)民の日常生活に必要な採草地、採薪地として利用されていた(従来こうした山林の利用に関し、どのような規制が行われていたかは、明らかでない。)が、地租改正により、その相当の部分が旧村有地となった。もっとも、越知面村では個々の部落有地が形成されたものの、旧村有地は形成されなかった。そして、こうした旧村有地又は部落有地は、明治二一年に西津野村が発足した時点にも当然には同村に統合されず、また、その利用形態も変わらなかった。

発足当初の西津野村は、財政基盤が十分でなかったので、まず村有地の形成及びこれに対する造林事業に着手し、明治三五年には一一五町歩の国有不要存置林を国から払下げの形式で取得したが、更に、村内に広く存在する旧村又は部落有の山林を村有に統一する機運が生まれ、明治三九年二月二六には村会で「(1)元公有山ト称セシ地所ニシテ現今各部落有財産トナリ居ル地所ヲ西津野村有財産ニ寄附スル事。但シ各部落従来ノ慣行ヲ慮リ壱戸平均三反歩以内ノ使用権ヲ與フル事、(2)前項ノ外各部落有ノ地所ニシテ純粋部落有財産ニ非サルモノ及ヒ各部落人民ノ醵出金ヲ以テ買入タル証跡現今明瞭ナルモノヲ除キ残地ハ地価ノ半額ヲ以テ其部落人民ニ売却ス。但シ売却代金ハ村有財産ニ寄附スル事。」との議決がなされ、これに基づき同年一二月二七日、「部落有土地所分議案」が村会に提出、議決され、その結果、西津野村内の約三九六〇ヘクタールに及ぶ区有又は部落有の土地が寄付又は売却により同村に移転され、ここに統合町有地が誕生した。

被告区でも山林三二四町七反七畝余りを西津野村に移転し、本件各土地を含むこれらの土地につき明治四〇年に被告区を所有者とする保存登記がなされたうえ、寄付を原因として、被告区から被告町への所有権移転登記が経由された(そのような登記が経由されていることは、当事者間に争いがない。)。

(三)  こうして、西津野村は広大な村有地への造林を計画し、明治四一年一〇月には村有造林規程を制定し(同規定が制定されたことは、当事者間に争いがない。)、村が村民に造林させる代わりに、植栽管理費用として、各部落単位に売却代金の四分の一を交付することとした。しかしながら、統合町有地の使用、収益権は旧慣に委ねられていたので、同地内で地元住民による採草、採薪、火入れ等が行われ、村として行う造林計画にも支障が生じていた。また、村による統合町有地の管理も十分に行えず、野火の延焼に対する消火態勢ができていなかったので、統合町有地たる林野は荒廃する一方であった。

そこで、大正二年、百十数名の村内有志による大会が開催され、これらの問題点について議論が交わされた結果、同年二月二八日、統合町有地を採草地(約一五〇町歩)と人工造林地及び天然林地とに分け、天然林地については、各区を保護区とし、火災防御をさせる代わりに、山林の伐採時には、収益の一〇分の八を各区に交付する旨定められた。こうして、住民は採草地(統合町有地の約一〇分の一)に限り、火入れを含め、従前の利用を認められる代わりに、その余の統合町有地の使用、収益を禁止された(もっとも、同林地内に立ち入り、造林に関係のない雑木を薪炭用等に一、二本伐採する程度のことは、黙認されていた。)。但し、檮原地区では、従来から早春にわらび、ぜんまい等の野草を採取することは、地元住民に限らず広く認められていたので、統合町有地に地元住民が立ち入り、野草等を採取することはあった(統合町有地内で部落住民がわらび、ぜんまい等を採取していたことは、当事者間に争いがない。)。

こうして、採草地が設定されたので、被告区では大正三年に、一戸一反歩の割合で部落を単位として、採草地の割当てを行い、部落ごとの採草地(もっとも、数部落が共用するものもあった。)が決められた。これら採草地については、採草地全体に関する事項は被告区が決定したが、火入れの時期の決定並びに使用開始時期及び管理等の利用に関する規制は、採草地を利用する各部落に委ねられるようになった(もっとも、警察に対する火入れの許可申請等は、採草地決定後も、被告区がとりまとめて行っていた。)。

また、被告町でも、大正四年には、採草地を含む村有林野の実測に着手し、同六年にこれを完了させ、村有地管理の基礎を作った。

(四)  大正九年、公有林野官行造林法が制定された(この点は、当事者間に争いがない。)ことに伴い、被告町内でも官行造林を実施することとなり、大正一一年一〇月七日の村会で本件議決がなされた(この点は、当事者間に争いがない。)。そして、これにより、統合町有地で官行造林を行えば、それによって被告町の取得する収益金の七割五分を被告町が、残る二割五分を林地の旧所有者である区又は部落が、それぞれ受領することになった。こうして、大正一二年以降、統合町有地内の官行造林事業が進められ、これに伴い、大正一三年には官行造林地の保護を図るために「檮原村公有林野官行造林地ノ保護及産物ノ採取ニ関すスル規則」が制定された(同規則が制定されたことは、当事者間に争いがない。)。これによれば、町(村)民は、官行造林地の火災を発見した場合には、これを町(村)当局又は看守人に通知し、特に最寄の部落民は、消火すべき義務を負うほか、官行造林地内での下草、落枝の採取等についても一定の期間や使用器具等が制限され、被告町の許可のもとに初めて行いうるものとされた。

その後、住民が統合町有地内でしいたけの原木等を採取するについては、これを希望する住民がその旨を同地の旧所有者である区又は部落に申し出で、これを受けた区又は部落が被告町から右原木等を買い受けたうえこれを当該住民に売り渡す、という慣行が成立した。

(五)  昭和一五年二月、被告町は「檮原村有林野施業規程」を制定し(この点は、当事者間に争いがない。)、その中で被告町内の各部落に一般的に町有林野全般に対する保護管理義務を課す(但し、これによって各部落が具体的な保護管理義務を要求されることはなかった。)一方、町有林伐採による収益の一部を分収金として、地元に交付する途を開いた。この分収金は、純町有地か統合町有地であるか並びに造林の施業主体が誰であるかによって異なるものの、統合町有地における官行造林の場合、村が七割五分、旧所有者たる「元関係区又ハ部落」が二割五分を受け取るものとされた。戦後もこうした被告町の林業政策の基本には変化がなかったが、昭和三〇年には、右「檮原村有林野施業規程」に代わるものとして「村有林野取扱条例」が制定された(この点は、当事者間に争いがない。)が、同条例五条で、従来「分収金」と呼ばれてきた地元への収益の還元を「保護交付金」と改め、合わせて、被告町への配分率を多くしている。また、従来、「区」、「部落」又は「関係区又は部落」と表現されていた分収金(保護交付金)の受領主体たる地元を「関係地元」と表現した。

更に、右条例をなお整備するために、昭和三三年本件条例が制定されたが、この中では、一五条で保護交付金について規定し、合わせて、右条例中の疑義を正すために、「関係地元」につき、「関係地元とは、統合町有地の旧持分所有者にして、区又は部落のいづれなりとも一括して総称するも採草地については、利用している部落をいうものとする。」と規定した。その後、本件条例は、昭和三五年に戦後の生活習慣の変化によりほとんど利用されず放置されていた採草地内の植林を奨励するため、関係地元(この場合には、部落を意味する。)に対する支給率を引き上げる旨の改正(昭和三五年檮原村条例第二号)が行われた(同改正の行われた点は、当事者間に争いがない。)ほかは変更なく、現在に至っている。

(六)  被告区では、昭和二一年五月以降、檮原村有林野施業規程、村有林野取扱条例又は本件条例に基づく分収金又は保護交付金が被告町から支給されたが、これらは、本件訴訟で問題となっている本件各土地に関する保護交付金を除き、すべて被告区の施設又は同区内の公共施設、各部落の道路等の建設費の助成(これらの費用は、本来被告町が支出すべきものであるが、町財政が十分でないので、被告区においてこれらを助成していた。)に使われている。更に、昭和三八年八月一日には、被告町が被告区内の檮原西部農業協同組合に対し融資をした際、被告区が、その受け取るべき保護交付金を担保に供する旨の契約が被告町と被告区との間で締結された。

2  原告らは、本件各土地は上組部落及び井高部落が所有(総有)していたものであり、これを統合町有地とする際になされた被告区名義の所有権保存登記は被告町への所有権移転登記をするための便法にすぎなかった、と主張するけれども、右の所有(総有)を根拠づけるに足りる明確な文書はないし、かえって、〈書証番号略〉によれば、明治二二年勅令第三九号をもって公布された地租の根本台帳である土地台帳には、越知面区内の統合町有地についてはその旧所有者が「越知面ノ内本村」あるいは「越知面ノ内長谷」であるなどと記載され、部落(字)有であったものはそのとおり明示されているのに対し、被告区内の統合町有地についてはその旧所有者が「四万川村持」であると記載され、それが部落(字)有でなく被告区(村)の所有であったことを明示していることが認められるのであり、その記載が明らかな誤りであるとみるべき資料はないから、右の主張は採用できず、前記認定の事実をもあわせ考えれば、結局のところ、本件各土地は、被告区(旧四万川村)の所有であったとみざるをえず、ひいては、仮に本件各土地が入会権の対象となっていたとしても、その入会主体は被告区であって、上組部落及び井高部落は、排他的な入会主体ではなかったとみるほかない。

3  以上に認定した事実に照らせば、統合町有地への官行造林に伴う保護交付金は、統合町有地の旧所有者に対する収益分配ないしは行政として行う造林事業への住民の参加に対してする統合町有地の旧所有者への報償という性格を有するものであって、本件条例一五条二号にいう「関係地元」とは、統合町有地の旧所有者である区(旧村)又は部落を指すというべきところ、本件各土地は、被告区の所有に属していたものであり、上組部落及び井高部落の所有であったとは認め難いから、原告ら主張の保護交付金請求権は、上組部落及び井高部落に属するとみることはできず、被告区に属するというべきである。

なお、〈書証番号略〉によれば、越知面区内の統合町有地における官行造林については、各部落が被告町から保護交付金を受領している事実が認められるが、前記認定のとおり、越知面区内の統合町有地の旧所有者は各部落であるから、その部落が保護交付金を受領することは本件条例に照らして当然のことであり、このことをもって、他の区でも各部落が保護交付金を受領すべき立場にあるとはいえない。また、〈書証番号略〉中には、、越知面区以外に檮原東区、同西区及び初瀬区でも部落が被告町から直接保護交付金を受領しているとの記載及び供述があるけれども、〈書証番号略〉に照らして、たやすく措信できないし、仮に右記載等にかかる事実があるとしても、そのことから直ちに、本件各土地に対する保護交付金を受領すべきものが上組部落又は井高部落であるとは、速断できない。

4  このように、本件で保護交付金を受領すべきものは被告区であるから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三  よって、原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山脇正道 裁判官 前田博之 裁判官 田中敦)

別紙 選定者目録(甲)(乙)〈省略〉

別紙 (一)(二)〈省略〉

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